大学なんか行っても意味はない?――教育反対の経済学

シグナリング理論を軸にした非常に面白く読み応えのある論考。大学や大学院の卒業要件が簡単で、大半が何も学ばずに4年間を過ごす日本人とっては賛同するべきところも多いのではないだろうか。高校卒業時の受験問題を解く能力の順位付けを金科玉条のごとく崇め奉っているが、それもまたシグナリングに過ぎないのだ。高校や大学の教員利権、アカデミアの研究費利権について、資本主義国家は再考するべき時なのかもしれない。※放棄所得は機会費用と訳してほしかった。

 

  • 誤解のないよう言っておくが、役に立つスキルを教える、経済学者の言葉で言えば「人的資本を形成する」教育も多少あることを肯定するのにやぶさかではない。学校では読み書きと計算を習う。 このスキルは現代のほとんどの仕事で必要とされている。私は大学院で統計学を学んだ。今の仕事では統計学を使っている。本書では人的資本論を批判しているが、学校が人的資本を多少形成するという見方を否定するものではない。本書が否定するのは「人的資本純粋主義」|aほぼすべての教育が仕事で役に立つスキルを教え、その仕事のスキルが教育が労働市場で見返りをもたらすほぼ唯一の理由である、とする見方である。
  • 同様に、本書で教育のシグナリング理論を擁護するからといって、教育のすべてがシグナリングだと主張しているわけではない。教育のかなりの部分がシグナリングであると言っているのだ。「かなりの部分」とは厳密にはいかほどか。第一に、学生が学校で過ごす時間の少なくとも3分の1はシグナリングである。第二に、学生が享受する金銭的な見返りの少なくとも3分の1はシグナリングである。個人的には、シグナリングが占める割合は50%を超えていると考えている。おそらく80%に近いのではないか。・・・我が国の教育制度にシグナリングが占める割合がたとえ3分の1程度であったとしても、膨大な時間とお金が無駄遣いされていることがわかるだろう。

 

  • 私が博士課程の学生に経済学教授になるためのトレーニングをする場合は、魔法は介在しない。学生は私と同じ仕事をしたがっている。やり方を教えるまでだ。だが私の教え子の大部分は経済学教授にはならない。何の教授にもならない。では私の授業はどうやって教え子たちのエンプロイアビリティ「鯛だ。]を高めるの
    か。私は自分の知らないことは教えられない。教え子たちの大半が就く仕事のやり方を私は知らない。ほとんどの大学教授が知らない。
  • 魔法に実体はない。象牙の塔での業績が実社会での成功になぜ結びつくのか、論理的な説明がなければならない。ここでその説明をしよう。学生が学ぶことと労働者がすることに違いはあっても、学業成績の良さは労働者としての生産性の高さの強いシグナルになるのだ。労働市場が報酬を出すのはあなたが習得した役
    に立たない学問に対してではない。それを習得したことによって示した、あなたにあらかじめ備わっている特性に対して報酬を出すのである。
  • 学生にあらかじめ備わっているスキルを認証するのは実に簡単なので、これまでの人生をずっと世間から隔絶された象牙の塔で過ごしてきた私でもやり方を知っている。どうするかって? 典型的な大学教授がすることをすればよい。自分がハマっているオタク的興味について講義する。学生に宿題をやらせ、試験を受けさせる。学期末に授業内容の習熟度に基づいて学生の成績をつける。奇跡でも起こらなければ、教え子が仕事でマフィアの経済学を活用することはない。それでもいいのだ。私の授業で高成績を取るのにふさわしい資質が仕事で高い業績を上げるのにふさわしい資質と合致している限り、雇用主が単位を落とした学生よりAを取った教え子を選ぶのは賢い。

 

教育という錬金術

  • 他を考慮せず卒業生の給料の額だけを見るなら、教育は鉛を黄金に変える錬金術だ。飲食店員を入れると経済コンサルタントになって出てくる。教師にしてみれば、自分の手柄とついつい考えたくなる――角帽姿のかつての教え子を眺めて「我ながらよくやった」とほれぼれしたい。だが自分の胸に正直に聞いてみたと
    したら、教師は自画自賛をためらうはずだ。われわれは本当に飲食店員を経済コンサルタントに変えたのかーそれとも飲食店員に経済コンサルタントの資質があると評価したにすぎないのか。
  • 喩えるなら、一個の石の市場価値を上げる力は彫刻家にも鑑定家にもある。彫刻家は石を作品に作り上げることによって市場価値を上げる。鑑定家は作品の価値を判定することによって市場価値を上げる。教師であるわれわれは「自分がしたことはどの程度が彫刻で、どの程度が鑑定なのか」と自問しなければならない。
    教師が自問しないなら、かわりに卒業生がそれを問わなければならないのである。

 

  • なぜ数学専攻が教育学や「公園/レクリエーション」学専攻と同じ分類に入っているのか。見方によっては、数学ほど技術的スキルが身につく専攻科目は他にない。しかし純粋数学には明確な就職先がない。多くの雇用主は数学専攻学生を、全般的な数学能力を評価して雇う。だが学問の世界以外で、定理の証明に給料を払ってくれるところなどない。
  • 有益性低―この分類に入る専攻科目の大半 「美術、哲学、女性学、神学など――は位置づけに異論がないだろう。リベラルアーツ・プログラムは「知のための知」という理想を掲げている。ほとんどは、社会に出たときに備えて学生を育成するという体面を繕うことすらしない。コミュニケーション学と心理学の有益性の評価が低すぎるとあなたは言うかもしれない。これらの専攻科目はジャーナリズムや心理学の仕事に就く学生を養成しているのでは?と。だがそれは「歴史学歴史学者の仕事に就く学生を養成しているのでは?」と言うに等しい、世間知らずな抗議だ。心理学とコミュニケーション学と歴史学の有益性を「低」にしたのは、有給の仕事を獲得するのが不可能に近い分野で学生を育てているからだ。 2008–2009年度に心理学の学士号を取得した学生は9万4000人いるが、国内で心理学者として働いている人の数は7万4000人しかいない。同年にコミュニケーション学の学士号を取得した学生は8万3000人以上いる。記者、特派員、ニュース解説者の仕事の総数は5万4000だ。歴史学者は予想通り最も前途が厳しい。歴史学を修めた新卒者は3万4000人以上いるが、歴史学者として働いている人は全国で3500人しかいない。これらの学位を取得した学生の大多数は、専門外の分野で就職している。そう考えなければ帳尻が合わない。
  • 断固たる教育擁護派は科目や専攻を「有益性」で仕分けするという考えを認めない。ラテン語や三角法やエミリー・ディキンソンの知識がいずれ仕事の役に立たないとどうしてわかる?ある男性は、フランス語の知識があったおかげでパリの空港でアナウンスが理解できたと話してくれた。高校時代にフランス語をやっていなければ飛行機に乗りそびれていただろう。今、数年間投資しておけば、いつの日か空港で数時間を無駄にせずにすむかもしれない。ほら、フランス語の勉強は役に立つでしょう!こういう主張を聞くと「ホーダーズ Hoarders」「溜め込む人々の意」というドキュメンタリー番組を思い出す。番組に登場するのは常軌を逸した所有欲で人生を狂わせた人々だ。猫を集める人、古い冷蔵庫を集める人、自分が出したゴミを溜め込む人もいる。使うわけでもない所有物をなぜ一部でも捨てないのか。お決まりの答えが「いつか必要になるかもしれない」。牛乳の空容器100本がいつか「必要になるかもしれない」というのだ。
  • 文字通りに取るなら、ホーダーズの言い分は正しい。彼らのゴミがいつか必要になる可能性はある。だが常識で考えれば、家にゴミをぎっしり溜め込むのは大体においてよろしくない。保管費用と役に立つ可能性を天秤にかけるべきだ。
  • 知識についても同じである。たしかに、いつかラテン語が「必要になるかもしれない」。もしかしたらタイムマシンで古代ローマに迷い込むなんてことがあるかもしれない。それでも、ほぼ確実にありえないシナリオに備えて死語になった言語を何年もかけて学ぶのは理にかなっているだろうか。不可知論に逃げてはいけない。「このゴミがいつか役に立つか否かは誰も知りえない」はゴミを溜め込む理由としてナンセンスだ。
  • 「この知識がいつか役に立つか否かは誰も知りえない」は知識を溜め込む理由としてナンセンスだ。

 

科学

  • 科学の初歩がわかっているアメリカの成人はほとんどいない。総合的社会調査がその無知ぶりの何よりのエビデンスだ。近年、この調査は12の基本の科学的事実について一般人の知識をテストしてきた(表2-4参照)。正解した成人は60%だった。低いと思われるかもしれないが、これは大きく水増しされた数字だ。正/誤二択の質問だから、あてずっぽうでも50%の確率で正解できるのだ!
  • あてずっぽうの分を差し引いたら、一般人の科学知識のなさはあきれるばかりだ。地球が太陽の周りを回っていることを知っているアメリカの成人は半数そこそこしかいない。原子が電子より大きいことを知っているのはわずか32%だ。抗生物質ではウイルスは死なないことを知っているのは14%だけ。進化の知識があ
    る人はゼロをわずかに上回るほどしかいない。ビッグバンを知っている人は実質ゼロを下回る。コイントスで回答した方が正答率が高いくらいだ。あてずっぽうの分を差し引いた補正後の平均を出すと、平均的な回答者が正解を知っていたのは4.6問。これら12の子供向けの質問について成人が知っていることをすべて高校の科学の授業で習ったのだとすると、1年間に学習したのは1.4問ということになる。
  • 大半の回答者がビッグバンと進化を信じていないのを、おそらく教育者はキリスト教原理主義のせいだと言うかもしれない。だが科学の初歩についての無知は宗教とは関係がない。聖書が書かれた通りの真実であることを否定しているアメリカの成人のうち、2問すべてに正解したのはわずか7%なのだ。質問の易しさを考えれば、アメリカ人の科学の知識は可もなく不可もなしと結論づけるべきではない。アメリカ人の科学の知識はほぼ皆無だと結論づけるべきである。

外国語

  • 高卒者は平均2年間、外国語の授業を受けている。成人はいかほどの成果を見せてくれるだろうか。総合的社会調査(GSS)でだいたい正確な推定ができる。この調査では回答者に次の質問をしている。「あなたは英語以外の言語を話せますか?」「その言語をどれくらい流暢に話せますか?」「その言語を初めて習ったのは子供のときに家庭でですか、学校ですか、それ以外の場所ですか?」
  • 結果は、まったくお粗末きわまりない。学校で外国語がペラペラになった人は実質、一人もいない(図2-5参照)。学校の勉強で外国語が「上手に話せる」ようになったと言う人はわずか0.7%だ。学校の勉強で外国語が「まあまあ上手に」なったと言う人が1.7%。これは自己申告なので、本当の言語能力はもっと低いにちがいない。家庭で習得しない限り、外国語はほぼ確実に身につかない。これが厳しい現実である。
  • アメリカ人の驚異的な無知は人的資本純粋主義への致命傷にはならないかもしれないが、それでも気まずい事実だ。学校で学ぶことがこれほどわずかしかないのであれば、なぜ雇用主はこれほど大きく教育に報いるのだろうか。最も簡単な答えは、雇用主が教師と同様、相対評価をするというものだ。読み書き計算能力
    が中庸というとインテリは眉をひそめる。だが雇用主から見れば、中庸は基礎や基礎未満よりよほどましである。
  • この答えの主な欠点は、学校で出来が良かった成人でさえたいてい歴史、公民、科学、外国語の基礎知識がないことだ。それでもこれらの科目を落とせば就職には不利になる。スペイン語を落とせば高校を卒業できず、大学に進学できず、労働市場に冷たくあしらわれる―――大半の学士も同じように母国語しか話せなくても。人的資本純粋主義者はこれをどう説明するのだろう。

 

  • ジョンズホプキンス、MITなど評価の高い大学の研究者らが、大学レベルの物理学で優秀な成績を取った学生が、授業で教えられ試験を受けたのとは少しだけ形を変えて出された基本的な問題や質問を解けないことが頻繁にある、と報告している。
  • コインを投げ上げたら、空中で作用する力はいくつあるだろうか。教科書の答えは「一つ」だ。コインが手を離れた後、コインに作用するのは重力だけである。ところが人気のある答えは「二つ」だ。コインを投げ上げた力がコインを上昇させ続け、重力がコインを下に引っ張るという。誰に人気があるのか? ほぼすべての人だ――物理学の学生も含めて。学期が始まった時点で、力学入門の授業を取っている大学生のうちコイン問題に正解するのは2%しかいない。学期が終わる時点でも2%が正解できない。難しい宿題や試験問題のこなし方を覚えた後でも、学んだことを単純な実生活の事例に応用する者は一握りしかいないのだ。

 

しつけと社会性

  • 教育者は自分たちが生徒に考え方を教えていると豪語する。だが子供たちが学校で何を身につけているのか、素人に好まれやすいのは、それよりもっと冷めていて信用性の高い説、すなわちしつけと社会性だ。
  • 学校は学生に協調させ、対立をおさめさせ、チーム作業をさせ、身だしなみを整えさせ、きちんとした言葉遣いをさせることによって、社会的スキルを身につけさせている。ふつうの労働者は階層制組織の中で退屈な仕事をして日々を送る。おそらく教育は子供たちを将来担う役割に慣らしているのだ。
  • すべてもっともらしい主張だ。学生が耐えている何千時間もの苦役と人づきあいを考えれば特に。しかししつけと社会性を身につけさせるという説は重大な疑問を見落としている。学生が学校に行かないとしたら、かわりに何をするだろう?10代を自宅でビデオゲームばかりして過ごす若者は野放図に育つかもしれない。でもその10代を働いて過ごしたとしたら? 仕事でしつけが身につく。仕事で社会的スキルが身につく。なぜ教育が仕事の世界そのものよりもうまく仕事の世界に備えさせる、などと言えようか。
  • 学校が教え込むのは労働倫理というより学校の倫理だ。この二つの倫理は完全に一致するわけではない。たしかに学校も仕事も、指示に従い他人と協調することを教える。だが成功の定義と尺度はそれぞれ違う。学校は現実的な成果よりも抽象的な理解、市場テストに通るよりも試験に通ること、銭金よりも公正さを重んじる。このせめぎあいをアンドリュー・カーネギーが辛辣に指摘している。
  • 人は子息を大学にやってギリシャ語やラテン語のような、実用性のなさではチョクトー語(ネイティブアメリカンの一部族の言葉)と大差ない知識の獲得にエネルギーを浪費させてきた。[…] 蛮族同士のささいで取るに足りない小競り合いの詳細を詰め込まれ、悪党の集団を英雄とあがめたてまつるよう教え込まれる。それをもって私たちは「教育を身につける」と呼んできた。「教育を身につける」と、まるでこの地球とは別の惑星での人生が宿命づけられるかのようだ。[…]若者たちが身につけた代物は、彼らに誤った考えを吹き込んで実人生に嫌悪感を持たせる働きをしてきた。 […] 大学に行っていた数年間を実業の世界で過ごしていたら、本当の意味での教育が身についていただろう。若者の情熱とエネルギーは踏み消され、有為の人生ではなく無為の人生をいかにうまく生きおおせるかが彼らの大命題になってしまっているのだ。
  • カーネギーを前時代的だの俗物だのと言って片づける教育者が、まさに私の正しさを証明している。学校は、倫理的な価値はともかくとして、仕事での成功を邪魔する態度を山ほど教え込む。子供に大人になる準備をさせるのであれば、1年間学校に通わせるより1年間仕事を経験させた方が、もっとふさわしいしつけと社会性が植えつけられる。

 

  • 教育には見返りがあるかのように見える。これについての人的資本純粋主義の説明は、教育が有益な仕事のスキルをたくさん教えるから、の一点張りだ。つい信じたくなる説だ……学校が何を教え、学生が何を学び、大人が何を知っているかを精査するまでは。これがわかってしまうと、人的資本純粋主義は単に誇張というだけでなくジョージ・オーウェルの描いたディストピア風に見えてくる。学校が教えることの大半は労働市場では何の価値もない。学生には教えられたことの大半が身についていない。大人は学んだことの大半を忘れている。この不都合な事実を口にすると、教育者はミラクルで反論してくる。何かを勉強した経験によって何でも上手にできるようになるのだと。教育心理学者の1世紀にわたる研究によってそのミラクルが気休めの神話であると暴かれたことぐらい何だというのだ。
  • たしかに楽観的に見れば、私がまとめた事実は別のとらえ方もできる。学校が教えることの大半が労働市場では何の価値もないとすれば、学校で教えることの一部には価値がある。学生が教えられたことの大半を身につけられないとすれば、教えられたことの一部は身についている。大人が学んだことの大半を忘れているとすれば、学んだことの一部は覚えている。
  • 異論はない。だが疑問は残る。学校で学ぶささやかな仕事のスキルで、卒業後に獲得する報酬の上乗せ分の説明はつくのだろうか。答えの決め手はプレミアムの大きさだ。少なくとも表面上は、現代の教育は非常にお金になる。ささやかな学びが本当に法外な所得に結びつくのだろうか。それとも、教育の一見すると莫大な見返りは統計上の幻影なのか。

 

実在する謎、無益な教育の大きな見返り

  • 世の中には使えない専門家があふれている。南北戦争なり『スター・トレック』なりの全知識をマスターしたとして、雇用主はあなたにそんな難解な知識があっても「何もできない」と一蹴するだろう。学生が耐えてこなしている無益な教育課程はオタク趣味と同程度の金銭的見返りしかないのではないか、と推測したい誘惑にかられる。日常生活を見回せばその誘惑はさらに大きくなる。大卒なのに無職の人、博士号を持っているのにレジ打ちをしている人、どれも従来型の大学のカリキュラムが市場テストではじかれている証拠ではないか。
  • しかし所得統計を精査すれば、まるで異なる風景が見えてくる。教育程度が上がると給与も上がる。収入格差は絶大だ。 2011年に、修士号以上の学位を持つ人は高校中退者の3倍近くも稼いでいた。学歴が一段階上がるごとに大きな効果があるようだ。この情報化時代に高卒の資格などたいした意味がないように思われるが、高卒者は中退者より30%も給与が高い。国勢調査局からそのまま持ってきた数字だ。

小麦VSもみ殻?

  • 教育はこれほどまでに仕事の能力と無関係なのに、なぜこれほどまでにお金になるのか。明快な説明が一つ存在する小麦/もみ殻理論と呼ぼう――シグナリングに訴えない説だ。 この理屈では、教育には金銭的見返りの高い小麦(読み書き、計算、批判的思考、技術教育)と金銭的見返りのないもみ殻(歴史、ラテン語、体育、フランス語詩)が混じり合っている。学校教育がお金になるのは公式統計では「実務に直結した」授業と「実務に直結した」専攻を「お遊びの」授業と「お遊びの」専攻と一緒にしているからだ。
  • 小麦/もみ殻理論は現状を絶対的に支持するものではない。「カリキュラムにはきわめて貴重な仕事の下地作りと仕事とは無関係の埋め草が入り混じっている」とすれば改善の余地はおおいにある。小麦/もみ殻理論は教育制度を褒めているようで実はけなしているとも言えるかもしれない。それでも、もしこの説が正しいなら、教育制度は―欠点はあるにせよ――本当に学生を錬金術で優秀な労働者に変身させていることになる。
  • しかしエビデンスを見ると、小麦/もみ殻説はよくいっても誇大宣伝だ。小麦がもみ殻より金銭的見返りが高いのは明らかだが、もみ殻にも確実に金銭的見返りがある。ほとんどの教育課程では入学か卒業に(あるいは両方に)膨大なもみ殻の履修が必須なのだから、もみ殻に金銭的な見返りが発生すると考えるのは当然だろう。
  • 工学を例にとろう。図3-2を単純に解釈すると、平均的な教育学専攻学生が工学専攻に転向すれば5%収入が上がると読める。しかし平均的な教育学専攻学生のSATの得点、高校時代のGPA、数学の素養を見ると事情は違ってくる。工学に転向した平均的な教育学専攻学生の収入増は本当はどれほどだろうか。本の別個の論文の推定は5%増から8%増と幅があり、平均すると4%増となる。この補正値は実は楽観的だ。教育学専攻学生に工学のカリキュラムを修了する能力があることを前提にしているからだ。実際は、熱意のある工学専攻学生ですらもっと楽な専攻に逃げてしまうことがよくある。私がカリフォルニア大学バークレー校の学部生だったとき、「GPAの下限が0に近くなったら政治学に行け」という文字の入ったTシ
    ャツが流行っていた。元工学専攻の学生たちには笑えないユーモアだったが。
  • それはさておき、小麦/もみ殻理論の真偽を正しくテストするには、収入の高い専攻を収入の低い専攻と比較すべきではない。小麦/もみ殻理論はもみ殻が労働市場では価値がないと言っているのだから、収入の低い専攻を高卒と比較するのが正しいテスト法である。図313は大学プレミアムと専攻プレミアムをあらかじめ備わった能力で補正した場合、各専攻がどれだけ収入を得られるかを示す。
  • 収入が最も高い専攻だけを見れば小麦/もみ殻理論には信憑性がある。しかし小麦/もみ殻理論をテストするには、収入が最も低い専攻まで見なければならない。結果はどうか。大学便覧に掲載されている収入が最も低い専攻の収入プレミアムは約3%である。世間でばかにされる多くの専攻―人類学、考古学、英語、リベラルアーツ社会学、歴史、コミュニケーション――は収入を約30%押し上げる。政治学専攻学生は経営学専攻学生とほぼ同等の収入で、どちらも生物学専攻学生よりわずかに収入が高い。
  • 経済学教授として最も目をむいた小麦/もみ殻理論への反撃材料は、経済学専攻が工学専攻とほぼ同じくらい稼いでいることだ。私の職業が労働市場に備える訓練を学部生に施す努力をほとんどしていないことは、私が保証する。カリフォルニア大学バークレー校やプリンストン大学のようなエリート大学ですら学生たちに甘い。率直に言って大半の経済学教授は昔のソ連のジョーク「国は賃金を払うふりをし、国民は働くふりをする」ではないが「われわれは教えるふりをし、彼らは学ぶふりをする」を実践している。4年間の勉強期間の間に、優秀な学生であれば売れるスキルを二つだけ身につける。初等統計学と、割引現在価値を計算する能力だ。
  • では経済学教授は8期の授業を何で埋めているのか。教授陣を魅了しているトピックを水で薄めた内容だ。すなわち需要と供給の問題、数理経済学、経済成長、そして呼称から期待するほどには「応用」されていないあまたある分野――マクロ経済学、産業組織論、労働経済学、規制論、公共選択論、経済史。仕事のスキルという観点からすると、経済学の学位はほぼすべてもみ殻である(経済学教授を目指す者以外にとって)。ところが、私たちが経済学専攻学生に職業訓練を施せていないにもかかわらず、労働市場は卒業生を工学専攻学生と同等に遇している。
  • 小麦/もみ殻理論に公正を期して言うが、経済学は外れ値である。最もお金になる専攻は職業に関わる個向が高い。工学専攻学生とコンピュータサイエンス専攻学生は文句なしのトップであり、金融学、会計学、謎看護学がほぼ互角で後に続く。しかしそれでも、役に立たない楽勝科目を専攻して4年間遊び暮らした学生
    が、「時間の無駄だから大学には行かない」という同世代より5%高い収入を当然のように期待できるという事実は残る。

小麦ともみ殻とミスマッチ

  • 仕事と専攻はどの程度の関係があるのだろうか。大卒者の約5%が「密接な関係がある」、5%が「まあまあ関係がある」、3%が「まったく関係ない」と答えている。この回答はおそらくエゴによって歪められている。自分の仕事と専攻が「まったく関係ない」と白状したい人がいるだろうか。しかしそれでもこの回答には意味がある。ミスマッチを認めている人々は、専攻に合った仕事に就いている平均的な人よりも収入が0―2%低い。職業と関連のある専攻ほど、ミスマッチのリスクは低い。
  • これらの事実はすべて小麦/もみ殻理論と一致するが、一つ重大な矛盾がある。職業と関連性の高い専攻ほど労働市場においてミスマッチが不利になるのだ。工学専攻学生とコンピュータサイエンス専攻学生の場合は20%以上、医療系の専攻学生は30%近く収入が減る。それに対して職業と関連性の低い専攻の場合、ミスマッチによるペナルティはほぼゼロである。英語専攻と外国語専攻ではミスマッチによって収入が約1%減少する。哲学専攻と宗教学専攻の場合はミスマッチによって収入はなんと20%増える! 「実務に直結した専攻」のメリットを十二分に享受するためには、受けた訓練を使う仕事に就かなければならない。それに対して「お遊びの専攻」のメリットを十二分に享受するためには、大学の学位を求める仕事に就けばよいだけだ。そして小麦/もみ殻理論とは裏腹に、お遊びの専攻のメリットはばかにならない。
  • 小麦/もみ殻理論の提唱者として最も有名なのはおそらくコメディアンのジェイ・レノだろう。レノいわく、「大学で哲学を専攻する学生は、コップの水が半分入っているのか半分空なのかを研究する。後にウェイターの仕事に就く下準備をしているわけだ」。レノが言っていることはあながちまちがいではない。哲学は収入の低い専攻であり、哲学専攻学生の一部は実際にウェイターの仕事に就く。しかし統計的には、レノの言葉は誇張である。平均的な哲学の学士号取得者は、能力は同等でも大学に行かなかった者より30%近く収入が高い。学位は仕事の能力を上げる役には立たないかもしれないが、良い仕事に就く役には立つのだ。哲学だけが特別なのではない。何であろうと勉強すれば、何も勉強しないより金銭的な見返りがある。

 

IQ「ロンダリング

  • 人的資本純粋主義者はよく「労働者がなぜ3時間のIQテストではなくわざわざ4年間の学位で能力をシグナリングするのか」と言って抗議する。雇用主がIQは高くても真面目さと協調性に欠ける低学歴の就職希望者を恐れるのは当然ではないか、が私の答えだ。しかし教育産業に批判的な人々はもっとあっさりした答えを用意している。アメリカの雇用主がIQテストより学歴に頼るのは、IQテストが実質的に違法だからだと。
  • 1991年に公民権法に条文化されることになる画期的な判決となった1971年のグリッグス対デューク・パワー社裁判のおかげで、IQで採用する会社は高額な訴訟リスクを負う。なぜか。IQテストには黒人およびヒスパニック系の就職希望者に差別的効果があるからだ。責任を問われないためには、雇用主はIQテストの実施を「業務上必要」であると証明しなければならない。この法的なハードルを乗り越えるのはほぼ不可能であるため、雇用主は労働者のIQスコアを「ロンダリング」 する方法として高学歴に頼っているのである。ジョナサン・ラストがいみじくも述べている通りだ。
  • グリッグス裁判では、人種的マイノリティのIQテストの成績が相対的に低い場合、雇用主はIQに類するテストに依存してはならないという判決が下った。そこで雇用主が行っているのは、テストスコアの取得を大学を通してロンダリングすることだ。大学はこのような考課材料の利用を許されているからである。

 

幸福度

  • 学歴の高い人の方が平均して幸福度が高い。本当に教育によって人の幸福度は高まるのだろうか。二重計算を避ける限り、エビデンスは弱い。教育は、所得で補正したとしても、幸福度を多少は上げるかもしれない。ある研究チームが、大卒者は高卒者より2パーセンテージポイント、高卒者は高校中退者より4パーセンテージポイント、幸福度が高い傾向があると報告している。しかし所得と健康の両方で補正した研究では、教育はむしろ幸福度を下げる可能性があるとしている。この場合も、おそらく教育は期待値を膨れ上がらせているのである。大卒者は客観的に見て比較的幸運であるため、世の中が自分に敵対しているという主観的な感情を持たずにすんでいるのにちがいない。エビデンスは両方の結果が混在しており弱いため、計算では幸福度に対する教育の効果をゼロとする。

 

  • ステイシー・デールとアラン・クルーガーの有名な2本の論文では、大学の格はほぼ無価値だとしている。二人が注目したのは一部の主に難易度の高い大学ではあるが、代表サンプルで同様の結果を得ている。彼らの最も驚くべき発見は、質の高い大学に多数の願書を提出する学生は、実際にそれらの大学に進学したかどうかに関係なく、キャリアで飛び抜けた成功を果たしていることだ。理由は、まさか労働者が17歳のときに送った願書の数をもとに雇用主が給与を決めているからではないだろう。大学受験で上を目指して相応の努力をする人には野心と意志の力――この二つは労働市場が高く評価する特性である――が強い、と解釈するのが妥当だ。デールとクルーガーの結果が信じがたいと思うなら、ハーバードにも入れるくらい優秀な一人の学生に、デラウェア大学が学部を挙げて目をかけ支援するところを想像してみてほしい。
  • デールとクルーガーの研究は興味深いが、とはいえ外れ値である。他の専門家はほぼ全員が、大学の格に何らかの金銭的見返りを発見している。実際、デールとクルーガーも大学員に関する情報を度外視すれば、同じく大学の格に金銭的見返りを発見しているのである。『バロンズ』誌の格付けで大学の質を測定した研究者は概して、「トップ」大学の卒業者は「底辺」大学の卒業者より約20%収入が多いとしている。SATの平均点で大学の質を測定した研究者は、SATの平均点が100ポイント上がると、卒業生の所得は1%から11%上がるとしている。授業料で大学の質を測定した研究者は、授業料が1000ドル上がるごとに卒業生の収入は0–1%上がり、10%上がると卒業生の収入は0-1.4%上がるとしている。私立校と公立
    校の比較も行われているが、結果はばらつきがある。なかでも目を引く研究は、さまざまな測定尺度を丹念にまとめて大学の質の総合指標を作成している。最終結果。底辺からトップの四分位数に移動すると、男性の収入は約12%、女性の収入は約8%上がる。
  • ということは、貪欲に稼ぎたい人が大学に行くなら、入れる中で最も難易度の高い大学に入学すべきなのだろうか。そうとは限らない。直観的には、いい学校ほど難しく、難しい学校ほど修了の確率は低いと考えるだろう。カリフォルニア工科大で果たしてやっていけるのか? 卒業率を見ると、良い大学ほど学生の修了確率はふつうよりも高いのがわかるが、これにはわかりやすい説明がつく。トップ校の学生は指折りに難しい授業を楽々とこなせるほど優秀だからだ。
  • 不思議なことに、この話題になるとほとんどの専門家が結局、この常識感覚による説明を否定する。専門家の一致した見解は、一流校は入った者勝ちだということだ。プリンストン大学に無作為にどんな学生を入れても、卒業の確率と卒業後の給与は自動的に上がる。なぜか。勉強と怠けは伝染するからではないだろうか。周りが勤勉な学生ばかりだったら、怠けていると孤立してしまう。一流校の学生たちには研究者が見落としている別の優位性があるのではないかと私は個人的ににらんでいる。それでも、エビデンスに照らして、私の収益率の計算では大学の質と修了の確率は無関係とする。
  • では、底辺校ではなく一流校から卒業する分のリターンはどれだけあるのか。研究結果がばらついているため、図5-9では大学の質プレミアムの推定値を低、中、高で出している。低い推定値は大学の質プレミアムをゼロとしている。中程度の推定値では一流校を卒業すると報酬が5%高く底辺校では5%低く――なる。高い推
    定値は一流校で+10%に、底辺校で-10%である。当面、授業料は年間3662ドルで固定していると想定しよう。
  • 大学の質が上がっても授業料は上がらず修了の確率が下がらないとすれば、学生にとって考慮に値する選択肢は二つだけとなる。入れる中で最高の大学に行くか、大学には進学しないかだ。ここで興味深いインプリケーションがある。大学の質プレミアムが上がるほど、大学は「秀才君」と「優等生君」にとっては得な取引になり、「凡才君」と「鈍才君」にとっては損な取引になるのだ。なぜか。優秀な学生は良い大学に入れるが、出来の良くない学生はそれほど良くない大学で妥協しなければならないからだ。出来の良くない学生を受け入れてくれる中でレベルが一番の大学は、進学する価値がおそらく今ひとつだろう。

自己負担費用と教育の利己的なリターン

  • 学士号と修士号についての私の計算では、全学生が公立大学の実質授業料である年平均3662ドルを支払うと想定している。では、全額支給の奨学金を利用したり、私立大学に正価を支払ったりする場合、リターンはどう変わるだろう。図5-10に、大学の質が費用に依存しない(あるいは労働市場が大学の質に対して金
    銭的見返りを与えない)場合、自己負担費用によってリターンがどのように変動す
    るかを示す。
  • 数字はほぼあなたの予想通りだ。「凡才君」と「鈍才君」にとっては、全額支給の奨学金でさえ大学は得な取引とはならない。公立大学に正価を支払うのは「秀才君」にとっては得な取引、「優等生君」にとってはまあまあ得な取引、「凡才君」と「鈍才君」にとっては価値のない取引である。「秀才君」でなければ、私
    立大学の投資価値はよくても並程度――標準的な授業料の減免を勘定に入れてもだ。計算をさらに複雑にするのは、ほとんどのエリート大学が、低所得家庭で成績がトップクラスの学生には非常に気前の良い学資援助を行っていることだ。例えば世帯所得が7万5000ドル未満の場合、ハーバード大学が請求する授業料は通常、ジョージ・メイソン大学の公式の州内授業料より安い。貧しい家庭の「秀才君」は一流大学に出願するのがお奨めだ―そして最も安い授業料を請求してきた大学に行けばよい。
  • 授業料が高いほど有利な学位を買えるわけではないのか? これはまったくわからない。『バロンズ』誌の格付けで測定しても、SATの平均点で測定しても、多くの公立大学―例えばカリフォルニア大学バークレー校、バージニア大学ミシガン大学―――は序列の最上位に近い。地元の州で一番の公立大学が入学させてくれるのなら、余分な授業料を払うべき明確な理由はない。
  • 最後の論点。授業料を喜んで出してくれる親は多いが、わが子に「現金の方がいい?交換条件なしで」と聞く親はあまりいない。この親の援助という隠し玉ゆえに、教育は家族にとってはしょっぱい投資かつ子供にとってはおいしい投資になりうるのだ。あなたが私立大学に行っている「優等生君」で、親が全額出してくれているとしよう。家族の学位のリターンは2%だ。しかしあなた個人で見ると、あなたは図5-10の「全額支給型の奨学金」と同じ5.6%のリターンを獲得する――うまくすれば親がお小遣いまでくれるかもしれない。

 

  • 結婚はトリクルダウン経済の最も純粋な形態の一つだからである。配偶者の追加所得の多くが、経済的な浸透現象によってあなたの追加所得になるのだ。
  • キャンパスで意識的に玉の輿もしくは逆玉を狙う人はあまりいないかもしれないが、それでも教育程度が上がるほど玉の輿/逆玉に乗る確率は上がる。人生で逆はまずありえない。つがうには出会う必要がある。われわれの社会では、上の学校に進学するほど、裕福な―あるいは将来裕福になる――人々に囲まれて日々を過ごす可能性が高まる。相手を選ばずに知り合いと結婚するとしても、高学歴は高所得の配偶者と結ばれる確率を高めるのだ。
  • そして相手を選ばずに結婚する人はごく少ない。人は自分と似通ったパートナーに惹かれる。年齢、宗教、民族、階級、趣味……そして学歴。互いに惹かれ合う力は強い。あなたの教育年数が1年延びれば、あなたの配偶者の教育年数は通例0.5ないし0.6年延びる。この効果は、知力、年齢、年度、人種、性別、宗教で補正しても約3%残る。総合的社会調査(GSS)を使うと、実のところシープスキン効果のシープスキン効果が発見できる。高校を卒業すると高卒者と結婚する確率が30パーセンテージポイント上がる。大学を卒業すると大卒者と結婚する確率が25パーセンテージポイント上がる。アメリカ人の結婚は卒業証書を基準としたカースト制なのだ。
  • 従来、結婚に対する教育のリターンは女性にとってのみ大きかった。女性の多くは卒業後まもなく結婚してキャリアを追求しなかった。私がカリフォルニア大学バークレー校の学部生だったころは、学業の振るわない女子学生を評して、あの子たちは永久就職の資格を取りに来てるんだね、という失礼なジョークがまだささやかれていたものだ。今は世の中がすっかり変わった――現代女性が永久就職の資格を取らなくなったからではなく、現代男性が永久就職の資格を取り始めたからだ。
  • 結婚に対する教育の金銭的見返りはどれほど大きいのだろうか。女性に関しての研究は意外に少なく、男性に関してはほとんど存在しない。高所得の男性が高所得の女性と結婚するようになっていることに学者は十分に気づいているが、「在学期間が1年延びると金持ちと結婚する確率はどれだけ上がるか」という発想にはなかなか至らない。だがこの疑問を実際に深掘りした少数の学者は金塊の山を掘り当てている。
  • 研究が少ないことの一つの説明は、結婚に対する金銭的見返りがゼロサムと見られるからだ。夫婦が世帯所得を均等に分け合い、自分の取り分を別々に消費する場合、収入が少ない方の金銭的利益は自動的に、収入が多い方の金銭的損失に等しくなる。妻の収入が6万ドルで夫の収入が4万ドルであれば、結婚によって夫は1万ドル豊かになるが、そのかわり妻は1万ドル貧しくなる。
  • しかしよく考えれば、夫婦は共同で消費することによって多額の節約ができる。「一人口は食えぬが二人口は食える」のことわざはさすがに言い過ぎだ。とはいえ、一人世帯二つより二人世帯一つの方が住居費、家具類、交通費、光熱水道費、雑費、さらにはコストコのような量販店のおかげで食費すら節約できるのは
    明らかである。夫婦はいくら節約になるのか。学者はこの下世話な疑問をさまざまな手法で分析している。その結果わかった節約は 20–40%で、最も信頼性の高い推定値は約35%である。結婚は収入が低い方の配偶者を自動的に豊かにし、収入が高い方の配偶者を豊かにする潜在的可能性がある。
  • 総合的社会調査(GSS)を使って結婚に対する教育のリターンの概算を出そう。第一に、自分の学歴によって結婚相手の学歴がどれだけ上がるかを推定する。第二に、配偶者が学歴に応じた平均であるとして、自分の学歴によって配偶者の所得がどれだけ上がるかを算出する。第三に、夫婦が生活費を折半して5%節約すると想定して、自分の教育の学位のリターンを計算する。計算を複雑にしないために、a 25歳で結婚、b ずっとフルタイムで働いている、c 結婚生活を継続している夫婦だけを対象とした(図5-3参照)。
  • 予想通り、結婚は男女ともすべての能力レベルにおいて教育のリターンを増やす。結婚のおかげで、教育のリターンは男性で約1パーセンテージポイント、女性で2パーセンテージポイント上がる。この変化だけで進学に賭けることを決断するにはたいがい十分だ..…ただし、若いうちに結婚するとわかっている限りにおいてだが
  • ちなみに、高額な私立大学にお金を払うおそらく最強の理由が結婚市場である。ハーバード大学に行けば、人より良い仕事に就けるとは限らないが、一生有効な高級会員制の出会いの場にほぼ確実に入れたことになる。このトピックに関する
    わかりきった事実を確証している。ある研究チームは、女性にとって大学の質の金銭的見返りの半分以上は結婚によるものとしている。学校が本人以上に配偶者をグレードアップするという考えは直観的にもうなずける。ハーバード大学に行けば、あなたは別人になるわけではないが、エリートと出会う。
  • 「お金のために結婚するな。お金持ちが集まる場所に行って、恋愛結婚をしなさい」という世間の知恵がある。古くさい考え方に聞こえるかもしれないが、不朽の真理だ。男女の差が縮まるにつれ、女性にとって結婚に対するリターンは重要性が薄らいできたが、逆に男性にとっては結婚に対するリターンが価値を発揮
    するようになった。弁護士と結婚した大学教授として、私はよく知っている。

労働参加率と教育の利己的なリターン

  • ここまで、すべての学生が卒業から引退まで、中断なくフルタイムで働くことを希望していると想定してきた。専門用語で言えば、すべての推定値は「100%の労働参加率」および「100%のフルタイム労働」を前提としている――卒業生は時折、職探しに苦労するものの、6歳まで正規の労働時間で働こうとするのをやめない。「自分の教育は受けるだけの価値があるか」とわざわざ問う人なら、卒業後は本格的なキャリアを望むと仮定している。
  • これは過大な仮定である。最もモチベーションが高い学生でも、子育て、「自分探し」、あるいは慢性疾患の治療のために労働市場を退出する可能性はある。さらに重要な点として、人に教育についてのアドバイスをする場合、アドバイスされる側の多くはモチベーションが高くはないだろう。受けた教育を活用しようと
    するのをいずれやめる者もいるだろうし、そもそも最初から活用しない者もいるだろう。労働参加率は学歴とともに上がるが、いずれも100%には遠く届かない数字だ(図5-14参照)。

 

賢い学生のための実践的指針

  • 「答えだけ教えてくださいよ」と学生がごねると教師は嫌がる。学者にとって、簡潔な解決策は徹底した説明の衣装を着せなければ体裁が悪いのだ。しかし教育に関する決断はリスクが高いので、私は体裁をかなぐり捨てよう。そして私の計算には非金銭的な価値が含まれているので、このアドバイスは見かけの印象以上に効き目が強い。世の中はチャンスに満ちているし、人は一人ひとり違う。絶対誰でも成功する戦略というものはない。一般論には必ず例外がつきものだ。だが、他を選ぶよりも賢明な学歴の選択というものは存在する。それが、こちらである。
  • あなたがよほどの劣等生でない(または定職に就くことを望まない)限り、高校には行け。卒業後に定職に就きたいなら、ほぼどんな学生にとっても高校は得な取引である。高校に入学した初日の時点で、「秀才君」「優等生君」「凡才君」、そして「鈍才君」でさえ、最低5%の学位のリターンをあてにできる。学歴と経験のない労働者の給与は低いので、たとえ負けるのが通例でも、若者は安い賭け金で学業の成功に賭けられるのだ。
  • たとえ厳しいシナリオでも、高校の金銭的見返りは大きい。独身主義者と「鈍才君」と教室に座っているのが苦痛な人々にとって学校は実りが小さいが、結婚するつもりがなく学校嫌いの男性の「鈍才君」でも学位のリターンは4%ある。高校に行かずに低スキル職に就いた方がいいグループは大きく分けて二つしかない。第一のグループは、卒業後フルタイムで働くつもりのない「純才君」だ。第二のグループは「鈍才君」より下の学生である。学業成績が下位 0–5%であれば卒業の見込みはあまりに低いので、退学して働き始めた方がいい。くれぐれも、GEDを受けようかなどと思わないこと。魅力的な妥協策に思えるかもしれないが、GEDの役目など「私は頭脳はありますが高校を卒業するだけの気力に欠けています」と雇用主に伝えるのが関の山である。
  • あなたが優秀な学生であるか特殊なケースに限り、大学に行け。次の三つのシンプルなルールに従えば、「秀才君」と「優等生君」にとって大学は損のない取引だ。第一に、「実務に直結した」専攻を選べ。STEMは明らかに「実務に直結」している。経済学、経営学政治学も含まれるといってよいだろう。第二に、評判のいい公立大学に行け。おそらく正価は請求されないだろうし、たとえ請求されたとしても払うだけの価値はある。第三に、卒業後はフルタイムでしっかり働け。大学卒業後に非正規で働くのは、自分が種を蒔いた作物を半分収穫し損なうようなものだ。この三つのルールが守れない者は痛い目を見る。
  • 出来の良くない学生にとって、大学は通常は損な取引だ。「凡才君」なら、特殊なケースのみ進学するといい。工学のような科目を専攻するつもりか? エリート大学から奇跡的においしい奨学金を提示されたか? 女性で絶対に結婚するつもりか?それなら学業成績にムラがあっても、大学進学はありかもしれない。そうでなければ進学はやめて就職することだ。最後に、「鈍才君」は問答無用で大学に行くべきではない。
  • よほどの条件がそろわない限り、修士号は取るな。「秀才君」でさえ、修士課程に進んだ初日の段階で、学位のリターンはわずか2.6%の見込みになる。だから不利な勝率を克服できると思える確実な理由―あるいはそれなりの理由が複数ある場合にのみ進学すべきだ。まずは、学力が「秀」を超えていなくてはならない。修士課程は脱落者が出るのがあたりまえで、フィニッシュラインを通過することが確信を持って期待できるのは学生のうち上位5-10%しかいない。専攻分野も非常に重要だ。科目別の卒業生の収入に関するデータは少ないが、工学、コンピュータサイエンス、経済学の方が美術、教育学、人類学よりはるかにリターンが高いことはほとんど疑いがない。美術、教育学、人類学の学位は、あなたが周りの修士課程の学生と比べても専攻科目に心底入れ込んでいる場合にのみ意味がある。最後に、女性の場合、将来結婚するかどうかも重要になる。「秀才君」であることが前提だが、結婚する女性なら修士号は悪くない取引、しかし独身を貫く女性にとっては益のない取引だ。
  • 私の助言は多くの人の気持ちを逆なでする。「エリート主義的」「俗物」、あるいは「性差別的」として否定する人もいる。正確に評すれば「率直」である。教育の見返りが卒業に左右されるのは私のせいではない。過去の学業成績から卒業の可能性が高い確度で予想できるのは私のせいではない。美術の学位の金銭的見返りが低いのは私のせいではない。既婚女性の方が独身女性より教育から利益を得られるのは私のせいではない。あまりに多くの卒業生がフルタイムで働かないのは私のせいではない。私はただ伝えているだけだ。事実を正直に報告するのが私の仕事なのである。特に、実生活上とても重要な、歓迎されざる事実を。
  • しかし私のアドバイスに対する最もよくある反射反応は、私を偽善者と糾弾することだ。「なるほど、彼は他人の子供に大学進学を考え直せとアドバイスしている。だが自分の子供には絶対そんなことを言わないはずだ」と。そういう人は私を知らない。私はわが子にもまったく同じようにアドバイスする。私は伝える内容を相手の身の丈に合わせている。学生の学業成績、モチベーション、志している学問分野、結婚の意思などを聞き出す。その上で、その人物像に当てはまる人には通常どんな進路の選択肢があるかを教えている。わが家の上の子二人は成績優秀で経済学に興味があるので、当然ながら大学を奨めるだろう。下の子二人は
    学校に上がったばかりなので、まだ判断は下せない。もしどちらかが成績が振るわなければ、私は優しくも断固として高校卒業後は定職に就けとアドバイスするだろう。
  • 最後に、私の処世訓はどれ一つとして、人が教育のリターンを緻密に計算して進学の決断をしているとは想定していない。 むしろ逆だ。人が教育のリターンを緻密に計算して進学の決断をしているなら、とっくにそうしているのだから私のアドバイスなど必要ないだろう。私たちの進学の決断は世間知らずと人並み意識とプライドに深く毒されている、と私は踏んでいる。その声を一掃して――せめて薄めて――読者に無駄な時間とお金と涙を出させないのが私の目指すところである。

 

報酬から生産性へ

  • 教育の利己的なリターンは報酬に左右される。あなたは在学中にその期間に得られたであろう給与をどれだけ失い、修了後どれだけ給与を余分に獲得するだろうか。それに対して、教育の社会的なリターンは生產性に左右される。社会はあなたが在学中にその期間に得られたであろう生産物をどれだけ失い、修了後どれだけ生産物を余分に獲得するだろうか。
  • 純粋な人的資本説では、報酬と生産性はどんなケースでも必ず等しい。あなたが自分の生産力以上の給与を要求すれば雇用主はあなたを雇いたがらないし、雇用主もあなたの生産力以下の給与を提示すればあなたを雇えない。
  • それに対して、純粋なシグナリング・モデルでは、報酬と生產力は平均においてのみ等しい。あなたの学歴が能力と合致していれば、あなたの生産性は給与と合致している。そうでない場合、給与と生産性には乖離が生じる。もし学歴があなたの能力に比べて著しく低ければ、あなたの収入は生產力に比べて少ない。もし学歴があなたの能力に比べて著しく高ければ、あなたの収入は生產力に比べて多い
  • そこで、教育の社会的なリターンを計算するには、教育が給与と福利厚生を上げるのはなぜかを知らなければならない。教育によって報酬が上がるのが、教育が労働者の生産性を上げるためだけであれば、社会の利得は労働者の利得と等しい。教育によって報酬が上がるのが、教育が労働者の生産性を示すためだけであれば、社会の利得ははるかに少ない。ほとんどの場合、むしろ社会の利得はゼロだ。 たしかに、唇用主がその労働者が優秀でどの労働者がそうでないかを知っていれば、経済の生産性は上がる――そして社会はよ豊かになる。知識は富である。だから学生の格付けには社会的な価値がある。しかしひとたび学生が適正に
    格付けされてしまえば、社会的価値は消える。労働者の質に関する雇用主の知識は、もし全員が一つ下の学位を持っていたとしても本質的に同じはずだろう。経済学用語で言えば、たとえシグナリングの社会的な総便益は大きくても、その社会的な限界便益はほぼゼロである。
  • 収入と雇用に対する教育の効果に、シグナリングが占める割合は正確にはどれくらいだろうか。これまでの章で検証したエビデンスから、シグナリングの役割について慎重な見方と妥当な見方が導き出される(図6-1参照)。慎重な見方はシープスキン効果を100%シグナリングの功績としているが、それ以上のものはシグナリングに認めていない。本書のシープスキンの内訳を踏まえると、高校で38%、学士号で59%、修士号で74%がシグナリングの割合となる。しかし、途中学年ごとのリターンの一部もシグナリングであると考える方が妥当だ。教育年数が1年長いことは、あなたについて多くを伝えはしないかもしれないが、何がしかは伝わる。どれくらい伝わるだろうか。複数のアプローチで、妥当な推定値はシグナリングが総合で。80%とされている。シープスキン効果がすべてシグナリングであれば、学年ごとのシグナリングの割合は高校で57%、学士課程で47%、修士課程で25%となる。
  • 生産性に対する教育の効果を得るには、論を進めるための前提として、労働者が平均的に自分の価値に見合った収入を得ているとする。学士号を持っている「優等生君」は自分の生産力に見合った収入を得ている。なぜなら定義上、「優等生君」は学士号を持っている平均的な労働者の能力を持っているからだ。しかし同じ学生が高校を卒業してすぐ就職した場合、市場は彼に単により安い給与を支払
    うだけではない。彼の生産力に比べて安い給与を支払うことになる。なぜか。学
    歴が彼を実力以下に見せているからだ。同様に、もし「優等生君」が修士号を取得した場合、市場は彼に単により高い給与を支払うだけではない。彼の生産力に比べて高い給与を支払うことになる。なぜか。学歴が彼を実力以上に見せている
    からだ。シグナリングの割合が高くなるにつれ、生産性と給与の乖離も大きくな
    っていく。図6-2に「優等生君」の場合のパターンを示す。
  • 利己的な観点からすると、在学中に得られなかった給与と、卒業後に獲得する給与の上乗せ分は釣り合いが取れている。得られなかった給与はすべて個人的費用だ。獲得する給与の上乗せ分はすべて個人的便益だ。しかし社会的な観点からすると、重要なのは給与ではなく生産性である。学校の社会的費用はあなたが生產
    しなかった生産物である。学校の社会的便益はあなたが学習によって余分に生産できるようになった生產物だ。教育の金銭的な見返りの80%がシグナリングで、教育年数1年で年収が5000ドル上がるとすれば、社会にとっての真の利得は1000ドルしかない。残りの4000ドルは、雇用主に対して自分の価値を過小評価していると説得することによって得たあなたの見返りである

 

経済成長

  • 新しいアイデアは進歩の根幹である。現代人の生活が1800年当時よりずっと向上しているのは、現代人の知識が1800年当時よりずっと増えているからだ。1800年当時の地球にだって飛行機や iPad の製造に必要な材料はすべてそろっていた。だが適切なアイデアが生まれるまで、材料は眠っていた。人類は適切なアイデアが現れるまで、なぜこれほど長く待たなくてはならなかったのか。答えの一端として、アイデアはひとたび生まれてしまえば安価に模倣できるということがある。その結果、イノベーターは自分たちが創造した価値のほんのわずかな一部を手にするにすぎない。
  • このわかりきった道理が「教育は活力ある社会の基盤である」という感動的な説教につながる。大半の生徒に創造性はないが、高校までの教育に大きく投資すれば、全員にイノベーションの知的ツールが与えられて、社会の潜在的な創造力が豊かになる。同様に単科大学や総合大学に大きく投資すれば、優秀な学生が研究の最前線に送られ、イノベーションを引っ張る人々に雇用や資金が与えられる。国民所得の10%を一貫して教育に投資し、年間成長率が1%から2%に上がれば、それ以上の便益が何もなくても社会的なリターンは11%にもなる。
  • 残念ながら、この感動的な説教は虫のいい願望である。すでに第4章で国の教育プレミアムに関する研究をレビューした。エビデンスは混在しているが、教育は個人に比べると国への効果は低いようだ。国家レベルでは、教育が生活水準を上げるかどうか、まして教育が国の生活水準の向上を速めるかどうかは定かではない。動くかどうかわからないなら、それは永久運動機関ではないと考える方が無難だろう。教育が進歩を加速するかどうかを具体的に検証している研究者らは、ほとんど成果を出していない。
  • 長期的なマクロ経済学データに欠陥があることを踏まえれば、学術研究を無視して一般的な感覚を大事にすべきではないか、と答える人もいるかもしれない。だが一般的な感覚で実際に何がわかるだろうか。「教育を受けた人々はイノベーション力がある」という言葉がそれらしく聞こえるのも、カリキュラムが実社会
    といかに乖離しているかを思い出すまでの話だ。高校で生徒が数学と科学に費やす時間は全体の4分の1ほどしかない。大学で工学を専攻する学生は約5%、コンピュータサイエンスは2%、生物学と生物医学は5%だ。「イノベーションを起こすために必要な知的ツールを学生に与える」というのは、善意に解釈しても後付けの理屈である。しかも現代の世の中では、最も頭脳明晰な学生たちは大学教授になり、創造性を商業的価値のあるトピックより学問的に関心のあるトピックに注ぎ込むことが多い。たしかに、象牙の塔で好きな研究に没頭した結果、ある産業に革命を起こす場合もある。しかし一般的な感覚からすれば、有益なアイデアを発見する最善の方法は、有益なアイデアを探すこと以外に考えられない――興味のおもむくままに研究して、それがいずれ役に立てばと祈るよりも。

 

  • シグナリングを慎重に見積もった想定の難点は、先に論じたように、慎重すぎることだ。教育の年数は――卒業だけでなく――すべて、何がしかの良いシグナルを発信する。妥当な見方――すなわち教育の便益の80%をシグナリングが占めるとした場合、教育の社会的なリターンはどうなるだろう(図6-6参照)。
  • 結果は悲惨きわまりない。すべての学歴レベル、すべての学生の能力レベルで社会的なリターンは非常に低い。「鈍才君」を高校にやってもたった0・2%の利益にしかならない。それ以外の教育投資はマイナスのリターンを生む。繰り返すが、これは学校が学生を向上させられないという意味ではない。学校は学生を
    向上させることができる。言いたいのは、社会が時間とお金の初期支出を回収する前に学生はたいてい寿命が来て死ぬということだ。学校教育のあまたある社会的な便益も、その莫大な社会的費用の前には色あせてしまう。
  • 利己的なリターンはかなり高いのに、社会的なリターンがこれほどまでに低いのはなぜだろうか。それはシグナリングの仕組みが再分配だから、つまり個人の取り分は大きくなってもパイは大きくならないからだ。「教育の収益率が高いと、世の中が教育過剰になるのはなぜ?」ときくのは、「自動車が便利だと、大気汚染
    が過剰に発生するのはなぜ?」ときくようなものだ。

 

教育版ドレイクの方程式

  • カール セーガンの畏敬に満ちた言葉によれば、銀河一つひとつに「何十億個もの」星がある。しかし銀河に無数にある太陽系の中で、生命を有するものは一つしか確認されていない。私たちの星だ。銀河にこれほどまでに生命の可能性が少ないのはなぜだろうか。天文学者のフランク・ドレイクがそれを明らかにするエレガントな方程式を発表した。ドレイクの方程式という。方程式の主旨をひらたく言えば、生命が発生するための途方もない数の必要条件が、生命が発生する途方もない数の機会を相殺している。人類が外の世界に発信する技術を持っているのは、私たちの太陽系に生命を維持できる惑星が存在し、その星に実際に生命が誕生し、知的生命体に進化し、その知的生命体が惑星間通信技術を発達させ、私たちがまだ自滅していないからにすぎない。このような条件のすべてを別の太陽系が満たさない限り、異星の文明との交信は永久に実現しないだろう。宇宙がこれほどさびしく見えるのも無理はない。
  • 同じ心構えで向き合えば、教育の統計もセーガンのような畏敬の念を呼び起こす。高校中退者の人生を見てみよう。彼らの貧困、無職状態、犯罪に引き寄せられるさまを。それを工学の学位を取得した大卒者の人生と比較しよう。彼らの裕福さ、キャリアに打ち込み、法を守るさまを。両者の人生の隔たりは天文学的だ。高校中退者が全員、工学の学位取得者に変わったら私たちの社会がどんなユートピアになるか想像するがいい。ハーバードの元学長、デレック・ボックはかつて「教育が高額だと思うなら、無教育を試してほしい」という名言を吐いた。利得がこれほど大きいのに、なぜ費用のことで騒ぐのか。
  • 教育が社会を変える力が銀河系級に過大評価されているからだ。例えば高校中退者と工学の学位取得者の間に観察された格差は、教育版ドレイクの方程式とでも呼べるものの一つの項にすぎない。労働者にとって教育の社会的な便益は、高校中退者と工学の学位取得者の間に観察された格差に教育を無事に修了する確率を掛け、格差のうち元の能力差のせいではない割合を掛け、格差のうちシグナリングのせいではない割合を掛けたものに等しい。
  • 平均的な工学の学位取得者の社会への貢献度を総合すると平均的な高校中退者の3倍であり、教育版ドレイクの方程式の他の項がそれぞれ50%だとしよう。すると教育の真の効果を算出するには、観察された格差の+200%に、修了の確率30%を掛け、能力バイアスによらない50%を掛け、シグナリングによらない50%を掛ける。出た答えはたった+5%だ。
  • なぜ私の方法では一般的な感覚にはそぐわないほど情けない社会的なリターンになるのだろう。細かい部分の惨状はおくとしても、つまるところ教育版ドレイクの方程式のせいである。私は他の教育研究者が同様に観察した格差からスタートした。しかし他の研究者は――通常は暗に、時として明白に――教育版ドレイクの方程式の他の項をすべて100%に設定しているのだ。全員が進学したら必ず卒業し、能力バイアスによる格差はゼロ、シグナリングによる格差はゼロ、全員が働く。これではご本家のドレイクの方程式のすべての項を100%に切り上げておいて、銀河系には高度文明を有する星が数十億あると発表するようなものだ。たしかに高い教育を受けた者は模範的市民スキルが高く、定職に就き、法を守る――だが、教育は模範的社会への道ではない。むしろ教育版ドレイクの方程式に理にかなった数字を当てはめれば、模範的社会への道はUターンから始まることがわかる。教育支出を大幅削減しても人間は変わらないが、節約した数十億ドルがあれば大変革が起こせる。

 

  • それでも私は抜本的な改革を支持する。理念上は私は頑固なリバタリアンだ。納税者が教育を支援することに対して絶対に反対するわけではないが、納税者が何かを支援することに対して反対する確固とした倫理的立場をとる。なぜか。私は他者への非介入を支持する確固とした倫理的立場だからであり、課税は他者への介入例の極致だと考えているからだ。たとえ税金が民主主義的に全面支持されていても、立証責任は課税を望まない少数派ではなく、課税を望む多数派が負うのが筋だ。これも超えられる壁である。課税が明らかな惨事を避ける唯一の方法であるなら、税金を取ればよい。だが社会的な便益が小さいか、便益があるかど
    うかわからないプログラムに資金を出すために国民から税金を取るのは、私にはおおいにまちがっていると思われる。
  • リバタリアニズムが現代の政治思想として異端であるのはわかっている。なぜ私のような変わり種の考え方をする人間がいるのか、興味がある方には哲学者マイケル・ヒューマーの『政治的権威の問題 The Problem of Political Authority』を紹介することで説明に変えさせていただく。とはいえ、読者から「理想的な教育政策はどのようなものか?」と聞かれて「あなたの持っている理念による」と答えたのでは、責任逃れもはなはだしいだろう。私の教育反対論の、理念に左右されない核心部分から目をそらす便利な言い訳にはなるが、読者にはすべてを知る権利がある。
  • すべてを考え合わせた結果、私は学校と国家は完全に切り離すべきだと思う。政府はいかなる種類の教育も税金を使って財政支援するのをやめるべきだ。各種学校はやめるべきだ。各種学校は――小学校、中学校、第3期教育(高等教育)、いずれも等しく―学費と民間の慈善活動だけでまかなうべきだ。このような政策(というか無策?)はリバタリンの基準からしても極端である。ほとんどのリバタリアンはバウチャー制度を夢想している。学校を民営化し、公費でまかなうというものだ。しかし私からすると、バウチャー制度――もっと一般的な呼び方では「学校選択制」――では現状がごくわずかに改善されるにすぎない。教育は大半がシグナリングなのだから、主要な問題は質の低さではなく量の多さである。アメリカの学校は、スポーツスタジアムと同様、無用の長物なのだ。政府による莫大な支援の大きな難点は、これらの無用の長物がうまく運営されていないとか競争力がないことではなく、数が多すぎ、お金をかけすぎていることだ。政府はどちらの産業も自由市場に委ね、大量倒産を市場の失敗ではなく市場による調整と見るべきである。
  • 学校と国家の完全分離というと教条主義的に思われるかもしれないが、穏当な提案よりも実利的に優れている。ユーモア作家のP・J・オルークの言葉を借りれば、「政府に金と権力を与えるのは十代の若者にウィスキーと車のキーを与えるようなものだ」。公的資金で財政支援された教育の過去の実績は悲惨で、毎年数千億ドルを浪費している。完全分離すれば、透明性を確保した状態で政府の信用ならない手を教育産業のコントロールパネルから遠ざけておける。それに対して「95%の分離」政策では監視しづらく、教育が別の形で不正利用される可能性をなくせない。先ほどの比喩を使って、十代の男の子に飲酒運転の前歴があると
    しよう。この少年から運転する権利を95%取り上げるというやり方もたしかにある。飲酒検査にパスし、昼間だけ運転を許可し、十代の同乗者を乗せないという条件をクリアしなければハンドルを握らせないのだ。しかしどんなルールを課しても彼がうまくすり抜けるリスクがついてまわることを考えれば、危険運転する
    人間から車のキーを没収する方が賢明なやり方ではないだろうか。

 

なぜ教育に課税しないのか

  • 高等教育に正の外部性があるとの見方は変えていませんが、高等教育には負の外部性もあることを私はかなり意識するようになりました。高等教育に政府が助成金を出すことが果たして正当か、『資本主義と自由』を書いた当時よりも今は疑問を感じています。PC[ポリティカル・コレクトネス」が現在広まっていることは非常に強い負の外部性であると思われますし、1960年代の学生デモはまちがいなく高等教育による負の外部性でした。こうしたことを徹底的に分析すれば、高等教育にはそれがもたらす負の外部性を相殺するために課税すべきという結論に導かれるかもしれません。――ミルトン・フリードマン「リチャード・ヴェダーへの手紙」
  • 教育を抑制するのがこれほどの名案なら、助成金がゼロになった時点でなぜやめるのか。もっと踏み込んで、教育に課税してはどうか。このアイデアは「政治的に不可能」かもしれないが、これまで検討してきた最善の改革はすべてそうだった。世間受けしない以外に、教育に課税してまずい点はあるだろうか。
  • 正面きった反論は、教育は100%シグナリングというわけではない、というものだ。繰り返すが、私の最善の推測値では教育は約80%がシグナリングで20%がスキル形成である。教育にまるごと課税すると、角(シグナリング)を矯めて牛(スキル形成)を殺す危険がある。しかしよく考えれば、これは反論としては弱い。たしかに教育税によってシグナリングもろともスキル形成まで失う可能性はある。だが助成金をカットすることにもまったく同じマイナス面がある。1%の課税が抑制するスキル形成は、助成金の1%カットと同程度であるはずだ。
  • さらに強い課税反対論は、政府が長年にわたって無駄な教育に多額の後援をしてきたという指摘から始まる。その実績を踏まえれば、逆の行為を政府に任せてしまうのは考えが甘い。たとえ理想の政府なら積極的に教育を抑制するはずであっても、現実の政府にその権限を与えるのは愚かだ。教育税が専攻や学校のランクによって変わる場合、税法がどれだけ複雑になるか――法を悪用する機会がどれだけあるか――を思い浮かべてみればいい。それに代わる透明性の高い方法は、政府を教育に関わらせないことだ。
  • だがこの新種の税に対する決定的な反対論は、ほぼすべての倫理的な立場がこれに反対しているということだ。教育への課税は教育や現状維持を重視する伝統的な立場と衝突するだけではない。国民に介入しないことを重視するリバタリアンの立場ともぶつかる。この提案はまだ試されたことがないため、効果は臆測の域を出ない――そして、効果があるとわかるまでは試すべきではない。

 

  • 教育万歳という感情の遍在を、社会的望ましさのバイアスではどう説明できるだろうか。主力の説が三つある。一つは人間の普遍性に原因を求めるものだ。背負っている文化は多様であっても、一皮むけば私たち人間はよく似ている。世界中のホモ・サピエンスが母性、砂糖、吸いつくような美しい肌に惹きつけられる――「現代社会では、すべての子供に最高の教育を受けさせなければならない」といった思いやりにあふれ、未来志向で理想を掲げたスローガンにも。ポピュリズムが世界のどこでもよく似ているのは、大衆の好みが世界のどこでもよく似ているからだ。
  • それを補足するのが、次の説だ。大衆の考えを何でもかんでも「誤謬」と呼ぶのは社会的に望ましくない――そして人間の心は生まれつき合成の誤謬を犯しやすい。教育は利己的なリターンが高いため、社会的なリターンも同等にあると早合点してしまう。一部に言えることは全体にも言えるはずでしょう? 社会的望ましさのバイアスは、カリキュラムが仕事に即していないという実体験からの知識を使って私たちがこの誤謬に異議を唱えるのを阻む――ひそかに心の中で思うことさえも。
  • 最後の説は世界的なエリート文化に原因を求める。非欧米出身のエリートは二つの世界に身を置いている。欧米のエリート文化と自分の出自である伝統文化だ。欧米のエリートは19世紀に教育に惚れ込んだ後、欧米の大衆と非欧米のエリートもその価値観に取り込んだ。その後、非欧米エリートも自国の文化に教育という
    福音を徐々に伝えていった。教育万歳という感情が世界に遍在しているのは、アブラハムの宗教〔世界三大宗教ユダヤ教キリスト教イスラム教」が世界に遍在しているのと同じく、何ら不思議ではないのだ。
  • 社会的望ましさのバイアスの何がそんなに悪いのか? 無駄で生産性を下げる政策の元凶だからである。そのメカニズムは知っての通りだ。世界中のほぼすべての政府は大衆の支持を必要とする。民主主義国では、大衆の支持を失ったリーダーはリーダーの座にいられなくなる。独裁国では、大衆の支持を失ったリーダーは権力にしがみつくことはできるが、しがみつかざるをえなくなるわけだ。いずれの国でも、リーダーには大衆の支持を得られることなら何でもする――つまり大衆におもねる強いインセンティブがある。
  • 「それで万事うまくいくのでは?」というのは甘い考えだ。世界を見渡し、人間の感情を考えてみればよい。多くの優れた政策は耳に心地よくない。多くの愚策は耳に心地よい。政治家は本能的に、社会的望ましさのバイアスに立ち向かうかわりに迎合してしまう――デマゴーグに走るのだ。「現代社会では、すべての子供に最高の教育を受けさせなければならない」? すばらしい。子供たちのために年間1兆ドル支出しよう。かわりに可能だったはずの他の施策はどうなる?いや、トレードオフなどない。教育に支出する額が多いほど、将来豊かになるのだから。異端の政治家ならこのごまかしを甘い考えだと言えるかもしれないが、デマゴーグに加担する方がデマゴーグを打破するよりはるかに楽である

 

  •  とどのつまり、二種類の職業教育をめぐる議論ということになる。「従来派」は全員を作家、歴史家、政治学者、翻訳者、物理学者、数学者のような、なれる確率が低く社会的地位の高い職業に向けてトレーニングしたがる。いわゆる職業教育重視派は、本人が就く可能性の高い職業に向けてトレーニングしたがる。従来ルートであれば教育者に痛みはない。自分が先生から教わったことを学生に教えればよい。職業ルートは教育者の痛みをともなう。こちらを選択すれば学生の適性と労働市場を常にチェックしなければならないからだ。結構なことではないか。若者を現実的な将来に備えさせるために、教育者に痛みを感じてもらおう。
  • 従来型の学問を擁護する人々は、将来の不透明さをよく引き合いに出す。労働市場は変化がめまぐるしい。学生が雇用されるのは2025年ないし2050年の経済環境の中なのに、2015年の経済環境に向けて備えさせる意味がどこにある?おっしゃる通りだが、これは昔ながらの普通科の授業を支持する論拠にはならない。先が見えないことは、ほぼ確実に就かないであろう職業に学生を備えさせる言い訳にはならない。仕事の未来について今わかっていることがあるとすれば、作家、歴史家、政治学者、翻訳者、物理学者、数学者の需要は低いままだろうということだ。
  • しかし職業教育重視に対する世間受けのいい反対理由は、知識習得の観点からではなく平等主義に訴えたものだ。全員を普通科に入れた方が、子供たちを「適性」で選別して「ふさわしい」トレーニングをあてがうよりも平等に見える。平等などすでに幻想だと言うこともできる。すべての人が大学を目指せるという虚
    構が出回っていても、大学がまともに相手にするのはオナーズクラスとAPクラス〔ともに高校の成績上位者向けの履修コース] の生徒だけだ。しかしあくまで高い理想を掲げる平等主義者は「それなら全員をオナーズクラスとAPクラスに入れよう」と言い出すだろう。

 

  • 後進国の子供たちは働いている。先進国の子供たちは勉強している。文明が進むにつれ、子供が有給雇用から隔離されて過ごす年数が増えていく。現代は仕事が学校の妨げになることが懸念され、学校が仕事の妨げになることは懸念されない。このようなルールが自然の法則かと思われるくらい深く浸透している。
  • わかるようでわからない理屈だ。社会が発展するに従って、子供たちにいかいふな職業を教えるのが常識だろう。職業を教えないで卒業後に子供たちが労働市場に適応することを期待するのは常識ではない。どれほど進んだ社会になろうと同じだ。子供たちに10年以上も実社会と関係のない教科を勉強させるのは、時代に関係なくおかしい。
  • 非主流とは何だろう? 職業教育を再起動させようではないか。就職市場の未来予測を立てようとするかわりに昔から定着したカリキュラムを守り続けるのは、よそで落とした鍵をこっちの方がよく見えるからという理由で街灯の下で探すようなものだ。もちろん、正真正銘の一般的スキルである読み書き計算は教えるべきだ。だがそれ以外については、学校は将来のキャリア機会に関して裏づけのある予測を立て、適性を見きわめた上で学生を現実性の高い職業に触れさせるべきだ。子供の雇用を「搾取」だの学業がおろそかになるリスクがあると見るのでなく、仕事を最も純粋な形の職業教育として称揚すべきだ。子供が本格的に仕事をするために学校をやめても、嘆くべきではない。そういう子たちがガンの治療法を発見することはないだろうが、少なくとも自立した社会の一員にはなるのだから。
  • 暗鬱なディストピア的未来構想だろうか。まったくそんなことはない。6歳の子供たちが実質的な仕事のスキルを身につけて、自活できるだけの収入を得る世界を思い浮かべてほしい。学業に向かない十代前半の子たちが、不良ではなく見習い職人に憧れる世界を思い浮かべてほしい。学生が自分の受けている授業を実生活で役に立つか面白いと思える世界を思い浮かべてほしい。生產的で自立し、社会参加した新しい世代を育てることができたなら、今の退屈し、子供扱いされた若者と比べて大きな進歩と言えないだろうか。ディストピア的な未来を恐れるよりも、ディストピア的な現在を見つめるべきだ。現代社会では、成功を目指す子供たちは20年近くも学校で過ごす。ほとんどの子供はカリキュラムを途方もなくつまらないと思っている。この長期にわたる苦行の間、学生は貧乏生活を送るか親に経済的に依存している。卒業してようやく「実社会」に出ても、活用するのは勉強したことのほんの一部だ。そして自身の子供ができれば、長々しい未熟な期間を今度は親の立場で再体験する。私たちの現状は『一九八四年』や『すばらしい新世界』とは違う。だがもし今の教育制度に慣れきっていなかったら、誰がこんなものを望むだろう?

 

 

  • 教育はリベラルにも保守にも受けがいい。イデオロギーを超えた盲目の愛によって人は教育を賛美する説に走り、教育を批判する説を拒否する。
  • 小学校と中学校には資産調査付きバウチャー制度。貧困家庭の子供の教育は税金でまかなう。それ以外の家庭は親が負担する。
  • 高等教育は?
  • 税金による助成はやめる。貧困家庭の学生の教育の機会を確保するためには、助成金の補助のない学生ローンを政府から提供すればいい。滞納金の回収はIRS(歳入庁)にアウトソースする。
  • 授業料が高くなれば、若者はシグナリングのために学校に通う無駄な年数を切り上げ、早く就職して生産活動に従事するようになる。
  • 社会にとっては無駄な教育に、一体なぜ政府が助成金を出す必要があるのかと。
  • 有権者は、たとえうまくいかなくても耳に心地よい政策を好み、政府はそれを採用する。私は「社会的望ましさのバイアス政治」と呼んでいます。教育支出の削減はメリットが有るのに非道に思われてしまうから、今後も大衆の支持が得られず試されないままでしょう。 

 

  • ブライアン 授業の初日に、教え子のどれくらいの割合が文学を退屈だと考えていますか?
  • シンシアうーん、8割かな。
  • ブライアン学期末の時点で、教え子のどれくらいの割合が文学を退屈だと考えていますか?
  • シンシアさあ。78%かしら。あなたの成果はもっと?
  • ブライアンだといいですがね! 経験上、私の「思いが届く」のは、それを受け止めたいと望むまれな学生だけです。残りの学生はちょっと勉強して、試験を受けた後は、日々の忙しさにとりまぎれていきますね。
  • シンシア他にいい方法はあるの?
  • ブライアン 向学心のある学生に思想や文化を教える。それ以外の学生にはおせっかいをせず、向こうから気持ちを変えてくれることを願っていればいいんですよ。
  • シンシア 学生が文章の読解をつまらないと思うなら、学ぶべきではないの?
  • ノライアン 学ぶべきですよ。読むのは実用的なスキルですから。今はつらくても、長い目でみれば本人のためになる。
  • シンシア詩についても同じことが言えない?
  • ブライアン 詩は実用的なスキルではないですから。詩の勉強が苦痛だと思う学生の大多数は一生「苦労が報われる」ことはありません。
  • シンシア物質的な見返りはなくても、人生を豊かにしてくれるわ。
  • ブライアン そんなことはまずない。
  • シンシアなぜわかるの?
  • ブライアン 詩の本の売れ行きをごらんなさい。ほとんどすべての人が学校で詩を勉強させられる。でも大人になってから自発的に詩の勉強を続ける人はほとんどいない。詩は後から身につくたしなみだけど、それが身につく人なんてほとんどいないんです。
  • シンシア 私は身についたわ。
  • ブライアン 私もですよ。でもわれわれのような飛び抜けた例外は全員に詩を押しつける理由としては弱すぎる。
  • シンシア 学校で教えなければ、私たちのような飛び抜けた例外もいずれいなくなってしまうわ。
  • ブライアン そんなことはありません。思想や文化の多くは税金の支援など受けていない。公立校では宗教を教えていないけど、宗教は存続しているでしょ。公立校でも私立校でもロックンロールをわざわざ聴かせるところなんてほとんどないけど、ロックンロールは流行っているじゃないですか。私が子供のころは何かに興味を持ったらよく図書館で調べました。今の子供たちにはインターネットという天の恵みがあるでしょう。
  • フレデリック教育に反感を持っていないと言うわりにはずいぶん教育に否定的だね。
  • ブライアン教育を愛するからこそ、オーウェルの世界をほうふつとさせる今の教育もどきを受け入れられないんです。
  • フレデリック 理想が高すぎるんだよ。
  • ブライアン高くないですよ。オンライン学習を見てください。世界最高の先生たちが教えるすばらしい教材にあふれ、真剣に知識を求める人たちが学んでいる。従来型の学校で同じことができていないのであれば、従来型の学校に問題があるんです。
  • ジリアン ちょっと待って。あなたはシグナリング説を理由にオンライン教育には悲観的なのかと思ってたけど。
  • ブライアンシグナリングがあるがゆえにビジネスモデルとしてのオンライン教育には悲観的ですが、私はオンライン教育をおおいに評価していますよ。将来性うんぬん以前に、今すでにオンライン教育のおかげでインターネット接続があれば誰でもほぼ無料で知識が得られている。SFさながらの人類の知の勝利ですよ。
  • ジリアン [不満そうに] じゃあ実質的にはオンライン教育が勝っているけど、従来型の学校はビジネスモデルの主流であり続けるんですね。
  • ブライアン その通り。
  • シンシア 学校について何か肯定的なことを教えてくれないかしら。世間で評価されるだけの成果を実際に上げている部分だって少しはあるはずよ。
  • ブライアン そうですね。私は4人の子供の父親として、子供たちの目を通して教育を再体験しているんですが、一番感心したのは何だと思います?
  • シンシア数学?
  • ブライアン プリスクールなんです。
  • シンシア プリスクールには一生のメリットがあるというあの手の研究を信じてるの?
  • ブライアンというわけじゃないですけど。それでもプリスクールでの体験には心から感心したんです。幼児たちが文字と数字、ともに有益なスキルを学んでいる。先生方は子供たちに楽しんでできそうな活動を少しずつ試させてやる。子供たちが自由に遊べる時間もたっぷりある。プリスクールに行くのを、娘は楽しみにしているんですょ――こちらも入れて良かったなと思う。
  • シンシア 私もプリスクールは好きよ、でも一生プリスクールが続くわけじゃない。
  • ブライアン続けるべきでもないですね。私がプリスクールを評価するのは、優先順位が正しいからです。後の人生で使いそうなスキルを全員に教える。心を豊かにする機会に幅広く触れさせる。一生つきあえるものに出会えたらすばらしい。でもそうでなければ、放っておいて本人の自主性に任せる。
  • フレデリックそれでどうなるか。思想や文化を愛する人が今よりさらに減ってしまいますよ。
  • ブライアン可能性はあるけど、どうかな。思想や文化を嫌がる子供たちに無理に押しつければ、愛する気持ちより嫌悪感を生じさせることになりやすい。ふてくされた高校生がシェイクスピアを朗読するのを聞いたことがありますか?[身震いしながら]
  • フレデリック [身震いしながら]他にいい方法はないの?
  • ブライアン 気長に待つことです。今は目先の利害にしか興味がなくても、知への無関心を考え直す一生という長い時間が子供たちにはあるんですから。
  • フレデリック それは希望的観測じゃないの。
  • ブライアン人類のあらゆる知に無料で瞬時にアクセスできる時代、人文主義者は自分たちがいかに恵まれているかを考えるべきですよ。知的生活はいまやすべての人に開放されている。強制的な啓蒙にそもそも意味があるとははどうにも思えないけれど、いずれにしても、それはもう時代遅れなんですよ。

 

  • 社会の立場から見ると、(教育の)過大評価は特に著しい。学生は最終試験を受けたら学んだことの大半を忘れてしまう。実生活では一生知る必要がないからだ。喧伝される教育の社会的恩恵などほとんど幻想である。教育の主要な成果として普及するのは、広い層の繁栄ではなく学歴インフレだ。冷静にそろばんをはじいてみれば、教育に対する社会的な投資のパフォーマンスはタンス預金を下回る。
  • 個人の立場から見れば教育の投資効率はましだが、それでも期待には遠く及ばない。高校はほぼ全員にとって見返りが大きいが、ふつうの人は大学には行くべきではない。もっと言ってしまえば、今のふつうの大学生は大学に行くべきではないのだ。
  • この鉄則を裏づけるもの? 第一に、能力バイアスがある。典型的な大卒者が成功しているのは、学歴、知力、モチベーション、態度がそろった「ドリームチーム」のおかげであって、大学の卒業資格だけのおかげではない。第二に、修了の確率がある。大学に入学するのは事業を立ち上げるのと同じで、ギャンブルだ―しかも勝率は「ガリ勉」と「先生のお気に入り」が有利だ。失敗する確率の高い大多数に大学進学を奨めるのは残酷な誘導ミスである。それくらいなら宝くじを買えと言った方がましだ。当たれば左うちわで暮らせるのだから。
  • 教育は人文主義的な、あるいは「精神論」的な見方からはさらにはなはだしく過大評価されている。たまに超優秀な先生の感化によって思想や文化を愛するようになる例はあるが、超優秀な先生はごくわずかしかいない。それを証明するのに物々しく統計を持ち出す必要はない。基本的な事実を挙げるだけで十分だろう。美術作品、高尚な音楽、古典文学の消費がすべて学校のおかげだとしても、使われているお金は雀の涙だ。政治や社会への姿勢に対する教育の効果も過大評価されている。学校で過ごした時間は左翼思想の推進や伝統的な生き方の放棄にはほとんどつながらない。ピア効果は多少確認できるものの、 それはむしろ逆の方向
    に作用することが多い。教育は人を資本主義嫌いではなく、資本主義好きにするのである。
  • 教育の名誉を挽回する方法、私たちが子供のころから聞かされてきたプロパガンダに見合ったものにする方法はあるだろうか。考えられなくもないが、『ロード・オブ・ザ・リング』のエオメルの言葉を引用するなら「望みを託すな。ここは見捨てられた土地だ」。プロパガンダはあまりにも華々しく、現実はあまりに
    も暗い。既知の情報に基づいて行動するのが賢いだろう。盗人に追い銭はやめよう。教育予算を削減しよう。教育費の負担を納税者から学生とその家族に移そう。職業教育には期待できるが、まずは「障害物を取り除く」のが出発点になる。今後実施できそうな職業教育はたくさんあるが、それには否定派の声が小さくなることが条件なのだ。

  • 私たちは今どれほど行き詰まっているのか。現状の教育に政府が年間一兆ドル近く注ぎ込んでいることを考えたら、固まってしまいそうだ。上っ面の化粧直しがたえず行われているので、柔軟に時代に対応しているかのような幻想がある。新しい歴史教科書を採用したり、中国語を履修要覧に追加したり。テクノロジーを採り入れてみたり。大学生は教授の講義中に教室でスマホをいじるかわりに、寮の自室でインターネットでストリーミングされる教授の講義を聞き流しながらスマホをいじれるわけだ。だがどれほど化粧直しを重ねようと、学校の本質は変わらない。学生は卒業後は使わない退屈な内容を山ほど学びながら10年以上も過ごす。
  • この難題を一刀両断する方法がある。政府の助成金削減だ。それで仕事に即した授業内容に変わるわけではないが、学生が教室に座って過ごす期間は数年減るだろう。役に立つことをたいして学んではいないのだから、全般的に「スキルの退化」ではなく学歴デフレの効果があるだろう。前例のないこの逆転は社会的なSFに聞こえるが、論理は明快だ。就職希望者の学歴が低いほど、自分に雇う価値があると雇用主を説得する必要性も少なくなる。
  • 難問の解決は果たせるだろうか。私は悲観的だ。スタンドプレーしたがる政治家や有識者とは違って、私は将来自分の正しさが裏づけられるなどと期待していない。社会的望ましさのバイアスは政府を支配している。政策が支持され継続されるのは成功するからではない。耳に心地よいから支持され継続されるのだ。「すべての子供は最高の教育を受けさせるに値する」は社会的なリターンが壊滅的に低くても、世界中の国民に受けがいい。

 

www.tachibana-akira.com

料理王国202106

  • 特集1は今行きたい、フレンチ・ビストロ10名店。割と王道の店舗が紹介されており、新たな発見はなかった。
  • 特集2は世界の名店が使うブランド食器ガイド。こちらはあまり一般消費者には馴染みがないブランドも紹介されており、参考になるかもしれない。

ベルナルド

  • 世界のミシュラン三つ星の6割が使用することで知られているブランド

ベルナルド|ベルナルドのリモージュ磁器の歴史は1863年から続き、格調高い伝統工芸技術を継承しながらも、フランスらしいクリエイティヴな感性を発揮したコレクションを発表しております。

ジャン・ルイ・コケ

  • 高貴な白と繊細なラインが特徴

jlcoquetjapan.com

ドグレーヌ(Degrenne)

  • 「用の美」を追求

www.momastore.jp

  •  スタルクとコラボした陶器の重箱シリーズ

Collection L'Économe by Starck - Degrenne

レイノー(RAYNAUD)

  • 異国情緒を取り込んだモダン 

housefoods.jp

カマチ陶舗

  •  メイドイン有田

www.kamachi.co.jp

ジョノ・パンドルフィ(Jono Pandolfi)

  • マンハッタンを一望する工房

www.jonopandolfi.com

digiday.jp

  • この3月、高級レストランは軒並み休業に追い込まれ、多くの納入業者への発注もキャンセルされてしまった。しかし、納品先をなくしたのは食品卸に限らない。ミシュラン星付きレストランのシェフ御用達として知られる、手作り陶器ブランドのジョノパンドルフィ(Jono Pandolfi)への注文も、この時期、すべて取り消された。

  • そこで同社は、工房で働く職人の大半を3月に一時解雇。新しいビジネスモデルへの転換に着手した。「すべての作業を中断し、直ちにD2C事業の再構築に集中した」と、同社の経営を担うニック・パンドルフィ氏は語る。ジョノパンドルフィは現在、「家庭でプロ顔負けの料理を作る人々」をターゲットに、1点15ドル(約1500円)から150ドル(約1万5000円)ほどの価格帯で、プレート、ボウル、飲料用食器などを販売することに注力している。

でたらめの科学 サイコロから量子コンピューターまで

  • 実際、乱数を数学的にちゃんと定義するのは難しい。
  • 現在、乱数はコンピューターで作ることが一般的になっているが、その道の第一人者である広島大学の松本眞教授に尋ねたら、「嫌な定義ならありますよ」と言われた。
  • 嫌な定義? どういうことかというと、「その数字を並べる以上に短くその数列を記述できる方法がない」というのが定義だというのだ。
  • 3、3、3……のように「3」が100個並んだ数列なら、「3が100個」という具合に「圧縮」できるし、2、6、0……のようなものなら「2から始まって4ずつ増えた
    数字を100個」という具合にやはり圧縮できる。
  • つまり何らかの規則性が見つかれば、短く記述できて圧縮できるということだが、乱数とはそうしたルールや特徴がなくて圧縮できない――つまり、覚えるとしたら丸暗記するしか方法がない数の並びのことだ。あるいは、その数字の並びを説明しようとしたらそれ自身を見せるしかないという数の並びのことなのだ。
    この定義は確率論を研究していたロシアの数学者、アンドレイ・コルモゴロフと、情報理論を研究しているアルゼンチンの数学者、グレゴリー・チャイティンの名を取って「コルモゴロフ・チャイティンによる定義」といわれている。
  • なんだか禅問答のようでもあり、「そんなことを考えて何になるのか」と言われそうだが、乱数は実はさまざまなところで幅広く使われている。
  • 身近なところでは、コンピューターのゲームで、キャラクターが出てくる局面を決めるのに乱数が使われている。

 

私はランダム化試験しか信じない

  • 2020年は、新型コロナウイルスが社会・経済に大きな影響を与えた年として記憶されるだろう。治療薬の開発が進んでいるが、有効性を証明する臨床試験にも「でたらめ」が大きな役割を果たしている。
  • 7月にあった米下院の公聴会
  • 米国の感染症対策の責任者で、米国国立アレルギー・感染症研究所のアンソニー・ファウチ所長は、何度も繰り返した。「私はランダム化プラセボ対照比較試験しか信じない」
  • 所長に迫っていたのは共和党のブレイン・ルートケマイアー議員だった。ルートケマイアー氏は、トランプ大統領が「一押し」していた抗マラリア薬ヒドロキシクロロキンの有効性を、ファウチ所長に認めさせようとしてこう迫った。「ある臨床研究によると、ヒドロキシクロロキン投与で新型コロナ患者の死亡率が大きく下がった。この臨床研究は十分な分析がなされ、ほかの多くの研究とは違って査読も受けている。データを見た医師や科学者は『この薬を投与することが患者のためになることは明らか』と言っている。私は医師らとも話をした。彼らは『亜鉛と一緒に使うヒドロキシクロロキンが有効になるが、これまでの研究では同時投与をしておらず、効果が限定的だった。今回は同時投与をした。間違いなく効く』と言っている。何かコメントありますか」
  • 明らかに政治的な圧力だ。ファウチ氏の答えはこうだ。
  • 「その臨床研究は『後ろ向きコホート研究』(病気を発症したグループとそうでないグループで、生活習慣などをさかのぼって調査、比較する手法)と呼ばれるもので、研究を目的とせずに集められたデータを利用することから、欠陥がある。特にこの研究では比較群さえも置かれていなかった。よくわかっている人が見れば、ランダム化プラセボ比較試験ではないことは一目瞭然だ」
  • 「これは査読を受けた研究ですよ!」とルートケマイアー氏が突っ込むが、ファウチ氏は譲らない。
  • 「それは関係ない。質の悪い研究でも査読はできる。事実は、その臨床研究が、ランダム化プラセボ対照比較試験ではないことだ。ランダム化プラセボ対照比較試験は薬の有効性を見る最善の方法だが、あらゆるランダム化プラセボ対照比較試験がヒドロキシクロロキンの有効性を示していない。もしランダム化プラセボ対照比較試験で有効性を示したら、私は有効性を認めて投与を勧めるだろう」
  • ファウチ氏がこだわっていた試験は、新しい薬の効き目を調べるため、薬と見かけは同じだが何の薬効もないプラセボ(偽薬)を使い、新薬のグループとプラセボのグループで比較する試験だ。プラセボは、薬だと思って飲むだけで心理的な効果でよくなる人がいるので用意される。
  • 患者はランダムに、新薬群とプラセボ群に割り当てられる。
  • しかし、たとえば新薬群に重症者や年齢の高い人、持病がある人が比較群より多く入っていると、薬には副作用があったように見える。逆に、比較的若い患者ばかりが新薬群に多く割り当てられると、薬の効果があったように見えてしまう。実際には薬の効果がなかったとしてもだ。
  • こうした患者の背景の違いはどうしても起きる。しかしランダムに割り付けを行い、多数の患者を集めると、こうした背景の差が打ち消されて新薬の効果や副作用が見えるようになる。

 

科学的な新薬試験とは
  • 新しい薬を市場に出す場合、通常は、臨床試験の「第三相」と呼ばれる段階で、多数の患者を集めた二重盲検試験で効果が認められなければならない。
  • だが新谷さんによると、この種の試験が行われることは、資金が潤沢にある製薬企業が実施する試験に比べ、規模の小さい医師主導試験では実は多くはない。いろいろ制約があるのだ。
  • 見かけはそっくりだが、効き目のないプラセボを用意するにはお金がかかる。
  • たとえば手術の手技のようなものの効果を測る場合、プラセボという考え方自体が成り立たない。手術をしたようなふりはできないからだ。
  • 新谷さんは日本発の新型コロナ治療薬として期待されるアビガン(一般名ファビピラビル)の臨床試験に参加したが、これもプラセボを使った二重盲検試験ではなかった。
  • 臨床試験が始まったのは、新型コロナの第1波が落ち着きつつあったころ。終息すると患者が来なくなって試験ができなくなるので、「一日でも早く試験を立ち上げよう」と大急ぎで始めることになったため、プラセボの手配が間に合わなかったのだ。
  • この試験では、最後までアビガンを投薬しないという完全な対照群を置けなかった。その理由は報道などでアビガンへの期待が高まり、試験に参加する人に「アビガンを治療に使わない」という選択肢を設定できなくなったのだ。
  • 盲検試験では「新薬群」か「プラセボ群」かを誰にも知らせないように注意深く試験を進める工夫が必要になるが、今回はそれもできなかったので、無作為割り付けの結果、患者は自分が「はずれ」だったらすぐわかってしまう。「そんなんだったら参加しません」という患者が続出することが想定され、「はずれでも、5日待ったら飲んでもらいます」と説明して参加してもらう試験となった。2020年7月の発表時点では、盲検化できないがゆえに、体にとどまるウイルスの量のような、客観的なデータしか評価に用いることが出来なかった。
  • 完全な比較群をおけなかったために、試験の結論は投薬開始から5日間のデータのみの比較になり、「有効性があるどうかは統計的に確かめられなかった」というやや弱い結果につながることになった。
  • 「飲み始めを遅らせる群ではなくて、最後まで使わない盲検化された群(プラセボ群)を設定できれば、入院日数の差など、他にも多くの項目を評価に用いることが可能になり、有効性に関するデータはもう少し出やすかったと思います。それでも、当時の状況を考えると、あれがベストな状態ではありました」
  • アビガン試験では無作為割り付けは行われているが、無作為割り付けもしていない試験が実際には多いという。
  • 「単群試験」といって、患者全員に未承認薬を飲ませ、前後で症状を比較したり、過去の文献と比較するといったものだ。
  • 患者数が非常に少ない病気の試験の場合はやむを得ない面もあるが、薬を飲まなくても治ってしまう病気は少なくなく、薬を飲むことによる心理的効果もある。比較群のない試験は科学的とはいえない。
  • また「観察研究」といって、たとえば「あなたは高血圧の薬を飲んでいますか」と質問し、「飲んでいる」と答えた人と「飲んでいない」と答えた人に分けて観察する試験もある。
  • やはり新型コロナで8月、「ヨード入りうがい薬でうがいをする人はウイルスが少なかった」という試験結果を大阪府の吉村洋文知事が発表して、薬局の店頭からイソジンが消えるという騒ぎがあったが、その原因となった試験はこの種のものだ。
  • うがいをする人はもともと健康志向が強く、食べ物に気をつけていたり、積極的に運動していたりする可能性があるが、そういう背景の影響が考慮されていないので、うがい薬の効果を見ることは本当はできない。
  • 「観察研究でも、うまく統計的に背景を調整すれば、ある程度の科学性は担保できます。でもやはり研究の妥当性は二重盲検の無作為化試験に勝つものは何もないと思いますね。そういう意味では、ファウチ氏の意見に100%賛同します」
  • アビガンの臨床試験では、その後、参加する患者の数を増やすなどして10月には承認申請にこぎつけた。

 

  • 従業員10人の「ゑびす堂」だ。もともと製本業を営んでいたが、1955年に「ナンバリング専業」という珍しい業態の印刷会社になった。
  • 普通、印刷というと同じものを大量に刷るものだが、お札のように、図柄は基本的は同じだが、番号だけはすべて違っているものがある。そういうことを実現する技術を「ナンバリング」とか「可変印刷」と呼ぶ。
  • 例えば領収書の番号なども可変印刷で作られているが、通常の印刷とは違う技術が要求され、どこでもできるというわけではないという。ゑびす堂はそうした技術のノウハウがある。

 

  • なぜ乱数調整ということが始まったのでしょうか。
  • 古いゲームでは、強いキャラクターが出てくる確率が非常に低いものがありました。コンピューター相手ではなく、誰かと通信して対戦する場合、自分が強いキャラクターを持っていないと負けるわけですが、出てくる確率があまりにも低いのでかなり長時間のプレイを強いられ、苦労していました。
  • 一方で、ゲーム機が使っている疑似乱数が比較的解析しやすいものであることがわかり、先ほど説明したような乱数調整が一般的になりました。それで強いキャラクターも短時間で手に入れられるようになりました。私が遊んでいたゲームの場合、人間同士で対戦するときは、「乱数調整するのが当たり前」というほどでした。現在では強いキャラクターが出る確率が上がるようにゲームソフトのプログラムも調整されているので、乱数調整の必要性は下がっています。
  • 「乱数調整しやすいゲームと、しにくいゲームがありますか。
  • あります。昔のゲームは乱数のビット長が短く、しらみつぶしで初期値を当てることはしやすかったです。しかし最近のゲームは乱数のビット長がビットまで長くなったりしており、しらみつぶしはかなり難しくなります。
  • またゲーム機によっては、疑似乱数の中でも予測可能性がない高度な「暗号論的疑似乱数」を使っているものがあります。これは初期値の特定はまずできません。

科学者たちが語る食欲

  • これらのシンプルな概念を理解すれば、実験結果の重要な点が見えてくる。まず、炭水化物を過剰摂取したすべてのバッタが、タンパク質ターゲットに近い線に沿ってほぼ垂直に並んでいる。つまりこれらのすべての点のバッタが、ほぼ同量のタンパク質(ターゲットの210㎜に近い、約150mg)を摂取していたことがわかる。だがこれだけのタンパク質を摂取するために、バッタは炭水化物を過剰に、それもかなり過剰に摂取する必要があった。

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  • この余分な炭水化物の摂取は、2つの代償を伴った。
  • 高炭水化物食のバッタ は「成虫」まで時間がかかった
  • 第一が、「時間」である。
  • 低タンパク質/高炭水化物食で飼育されたバッタは、羽の生えた成虫に脱皮するまでの期間が長かった。成虫になるまでの期間が長くなればなるほど、繁殖のチャンスを得る前に鳥やトカゲ、クモに―あるいは別のバッタに――食べられる可能性が高くなる。
  • 第二の代償は、ふつう昆虫とは関係がないと思われていることだ。高炭水化物食で飼育されたバッタは、肥満になったのだ。バッタは体が外骨格に覆われているから、見ただけで太っているかどうかを判断するのは難しい。だが内側の体は豊満で、まるで太りすぎた騎士が数サイズ小さな甲冑に押し込められているようだった。
  • 高炭水化物食のバッタは、タンパク質ターゲットを達成するために、炭水化物を過剰摂取した。だが低炭水化物食のバッタはどうだったのか?そこでグラフ上のターゲットより下に位置するバッタを見てみよう。
  • ここではグラフの形状が右のほうに少々張り出しているのがわかるだろう。つまり、バッタのタンパク質摂取量はターゲットより少々多く、炭水化物摂取量はターゲットよりかなり少なかった。その結果、これらの点のバッタは、摂取ターゲットの餌で飼育されたバッタに比べ、やせすぎていて、成虫になるまで生き延びられる可能性が低かった。貯蔵脂肪が少ないため、長距離を飛行したり、野生で長く生き延びることはできなかっただろう。
  • まとめると、高炭水化物食を与えられたバッタは、(体が要求する量のタンパク質を摂取するために)延々食べ続け、その結果として太り、発達が遅れた。
  • 他方、低炭水化物食では、(タンパク質への欲求がすぐに満たされたため)炭水化物の摂取量は少なかったが、エネルギー不足の代償を支払った。

 

バッタ は「十分」なら タンパク質を無視した

  • そこでオックスフォードの私たちの研究室の博士課程学生、ポール・チェンバーズに頼んで、バックに解かせる栄養のパズルを作成してもらった。
  • チェンバーズはタンパク質と炭水化物の比率の異なる2種類の餌を、それぞれのバッタに与えた。
  • すべてのケースで、バッタはまったく同じ行動を取った。どんな組み合わせの食物を与えられようと、バッタはまったく同じ比率でタンパク質と炭水化物を摂取したのだ。
  • これを行うために、バッタは与えられた餌の組み合わせに応じて、2種類の食物の摂取量を大きく変える必要があった。人間にたとえれば、肉とパスタ、卵とパン、豆と米、魚とジャガイモのどの組み合わせを与えられても、まったく同じ比率でタンパク質と炭水化物を摂取したことになる。人間にとって、こんな芸当は到底不可能に思える。だがバッタは何らかの方法で、このパズルをやすやすと解いたのだ。
  • さらに驚いたことに、バッタの摂取したタンパク質と炭水化物の量は、バッタ大実験のグラフ上の摂取ターゲットにぴったり一致した。バッタはタンパク質と炭水化物の最も健康的な配合、つまり生存と成長を最も促進する配合を選択したのだ。
  • さらにこの実験は、不足している栄養素が食物に含まれているかどうかを、バッタがどうやって知るかまで明らかにした。
  • バッタはほかの昆虫と同様、口部や足、そのほかのいろいろな部分に味毛が生えている。味毛が食べられるものに触れると、バッタはその化学成分を分析したうえで、食べるかどうかを判断するのだ。たとえばバッタが最近十分なタンパク質を摂取していたなら、センサーはタンパク質を無視し、タンパク質がそこにあることすら認識しない。

 

  • バッタの食物の選択肢が豊富な場合には、食欲システム同士が協力し合い、バッタは食物を組み合わせて正確に適切なバランスの食餌を摂取できる。
  • だがバッタ大実験でのように、バランスの悪い食餌しか得られない場合には、タンパク質欲と炭水化物欲が競争する。そしてバッタの場合、どんなときも最終的に競争に勝つのはタンパク質だった。
  • バッタの摂食に関するこうした一つひとつの発見は、少なくとも私たちにとっては、それだけでも十分魅惑的だった。だがこれらの発見は、すべての人に関係する、それよりはるかに大きな問題を投げかけてきた。すなわち、バッタに見られることが、ヒトを含むすへての動物の食欲にも見られるのではないかという可能性である。

 

脳に満腹信号が届くまで「時間」が かかる

  • しかし食欲は、ただ食べ始めるよう体に指示するためだけに存在するのではない。同じくらい重要な働きが、「いつ食べるのをやめるべきか」を知らせることである。
  • 食物が消化されて栄養素が取り出され、血流に吸収されると、脳に満腹信号が送られる。だがこのプロセスの欠点は、信号が発動するまでに時間がかかることだ(実際、食事が終わるまで発動しないこともある)。脳が「ストップ」のメッセージを受け取るまでに、食ベすぎてしまうおそれがある。ドカ食いをして、10分前に満腹になっていたことに気づかず食べ続けた経験は誰にでもあるだろう。気づいたときにはあとの祭りで、すでに体内にカロリー爆弾を送り込んでしまっている。
  • これを避けるにはどうしたらよいのだろう?
  • 食べるペースを遅らせ、早く胃にたまり、栄養素が血流に吸収され脳にその存在を知らせるまで、時間を稼いでくれる何かが必要だ。さいわい、自然はその「何か」も用意してくれた。満腹感を高め、胃排出の速度を遅くし、胃腸を広げるものを。「食物繊維」だ。
  • バッタなどの草食動物やヒトなどの雑食動物にとって、食物繊維は植物性食物の嵩を増す主な成分である。
  • 食物繊維は植物の細胞や組織の構造を支え、主にヒトの消化酵素では分解できない複雑な構造の炭水化物でできている。だが一部の食物繊維は、腸内に棲む微生物によって分解される――これら数兆の微生物を総称して、「微生物叢」(マイクロバイオーム)という。
  • 腸内微生物は食物繊維の餌を得る見返りに、体が必要とする重要な栄養素(短鎖脂肪酸、ビタミン、アミノ酸など)を産生する。また免疫系を支え、腸を健康に保ち、心の健康にもよい影響をおよぼす。そして、こうしたすべての働きに加えて、満腹感を生み出す信号を発する。
  • 微生物叢は食欲制御システムの重要な部分を占めているのだ。

 

  • 第1のステップとして、ゴキブリを3つの群に分け、2日にわたって3種類の餌のうちの1種類だけを摂取させた。「高タンパク質/低炭水化物食」の群、「低タンパク質/高炭水化物食」の群、「中タンパク質・中炭水化物食」の群。人間でいえば、魚だけ、米だけ、魚と米の混合――つまり寿司の食事にほぼ相当する。
  • この期間が終了すると、第2ステップとして、すべてのゴキブリにこれら3種類の餌のビュッフェを提供し、好きなものを自由に食べさせた 。
  • 結果は驚くべきものだった。スティーヴンが例のタンパク質—炭水化物の摂取量グラフに結果をプロットしたとたん、すべてが明らかになった。
  • ゴキブリはただ栄養摂取のバランスを図っていただけでなく、私たちがその時点まで、いや今に至るまで観察した、どんな動物にも劣らないほどの正確さをもって栄養バランシングを行っていたのだ。

 

  • 第1ステップで低脂肪の餌生物を与えられていたゴミムシは、高脂肪食を明らかに選択し、また低タンパク質の餌生物を与えられていたゴミムシは、高タンパク質食を選択した。
  • 他方、座って待つ捕食者のコモリグモは、提供された餌生物を食べる量を変えることによって、摂取する栄養素を選んだ。つまり、脂肪が必要な場合には太った餌生物をより多く摂取し、タンパク質が必要な場合には細身の餌生物をより多く摂取した。
  • 最もめざましい行動を取ったのは、造網性のクモだ。クモの摂食方法は、獲物に消化酵素のカクテルを注入し、そうやって前消化しておいた栄養素のスープを呑み込んで、残った固形分を捨てる、というものだ。獲物の体の捨てられた部分を調べてみると、捕食者が必要としていた栄養素がとくに枯渇していることが判明したのである。
  • このことから、クモが獲物に注入する消化酵素のカクテルを調整することによって、特定の栄養素の必要を満たす能力をもっていることが推測される。

 

  • すべてのケースで、家庭のペットの餌の選択と摂食行動を駆り立てていた最も強力な要因は、栄養バランスだった。そのうえペット動物の進化の歴史に興味深い違いがあることも明らかになった。
  • ネコは、タンパク質の総エネルギー比率が52%の食餌を選んだ。これはイエネコやオオカミの祖先を含む、野生の捕食動物に典型的な比率である。
  • 他方イヌは、実験対象の5犬種すべてで、タンパク質エネルギー比率がわずか25-35%の食餌を選択した。この比率はイヌの祖先種であるオオカミの比率よりはるかに低く、雑食性動物にずっと近かった。このことから、イヌは家畜化の過程で人間の手によってネコよりも大きく変えられたと推測される。
  • 魅力的なドッグフードの缶詰や袋は、船に積まれることも、ステーション
    に届けられることもなかった。イヌたちは「ドッグフード」の発明前に、いや農業さえ発明されていない時代に、家畜化された祖先が食べていたような餌を食べるしかなかった。「人間の残飯」である。
  • おそらく、飼育されたネコとイヌが異なる主要栄養素の比率を好むのは、このためだろう。ネコは体が小さく、またネズミを減らす能力を買われることが多かったため、進化と家畜化の過程を通じて獲物を狩り続けた。
  • 体がより大きなイヌについては、人間と家畜の安全のために、家畜化の過程でオオカミに備わった狩猟本能を交配によって取り除くことに重点が置かれた。そうしてイヌは狩りではなく、人間の残飯に頼らざるを得なくなった。残飯は一般に肉食動物の獲物に比べ、炭水化物と脂肪の比率がずっと高いため、イヌはやがて飼い主である私たち雑食性動物に似た栄養を選択するようになったのだ。

 

「草食動物」と大差ない捕食動物の摂食行動

  • イヌの食餌の変化がもたらしたもう1つの帰結は、イヌがアミラーゼ(デンプン消化酵名) を生み出す遺伝子を増やすよう進化することによって、ほかの肉食動物に比べデンプンをより効率的に消化する能力を発達させたことだ。10章で見るように、ヒトも穀物などのデンプン作物の農業生産を行うようになると、同じような進化上の変化をたどった。
  • このことは、同じ環境条件――この場合でいえば農業がもたらした炭水化物の豊富な世界――が、異なる種の生物に同じような変化をもたらす、いわゆる収斂進化のプロセスを示している。イヌはヒト化してきたのだ。

 

「母乳」は赤ちゃんに合わせて成分が変わる

  • そう考えると、捕食動物を含むほぼすべての動物にとって、摂食とはぐらつく銃身で動く標的を狙うような、一か八かのプロセスだといえる。最適な栄養バランスを達成する見込みを少しでも得るためには、銃身を安定させることに特化した、相互作用する複数の食欲というかたちのメカニズムが欠かせない。
  • このメカニズムを必要としない例外はおそらくごくわずかで、非常に特殊な例に限定されるはずだ。
  • 例外の1つが、動物のすべての栄養ニーズを満たすために特別に設計された食べ物、母乳である。とくに魅惑的なのが、オーストラリアのダマヤブワラビーの例だ。
  • 赤ちゃんは母親のお腹の袋の中で生活するため、母乳以外のものを口にする機会がない。だが母乳は単一の食物とは名ばかりで、時間とともに複雑に変化し、赤ちゃんのその時々の発達段階に応じて栄養組成を変えていく。たとえば脳、肺、爪、毛の発達期には、それぞれに適した多様な配合のアミノ酸が生成される。
  • おまけにメスは年齢の異なる2匹の子を同時に袋に抱えることもある。その場合には、特定の年齢に必要な栄養のカクテルを生成する専用の乳首が、それぞれの子に与えられる。
  • それでも、袋の中の恵まれた環境を出て自立すれば、こうした種もほかの種と変わらない摂餌メカニズムをもつようになると予想される。栄養ごとに特化した食欲メカニズムを発達させる必要が生じるのだ。

 

生物は「プランB」を持っている

  • こうして私たちは、最初の問いに答えることができた。栄養バランシングは実際に種を超えて広く見られ、例外は1つとしてなかった。
  • この行動が、草食動物、雑食動物、肉食動物の家畜種・非家畜種に見られることを実験で示した。そしてその理由を説明するために、採餌理論を再考した。
  • だが私たちは、野生での動物観察をつねとする生物学者として、自然が親切にも栄養バランスの取れた食餌を確実に得られるほど豊富で多様な食物を提供してくれるのは、ごく限られた状況だけだと知っていた。
  • 現実世界には、動物がすべての栄養素を適量摂ることができない状況はままある。
  • そうしたアンバランスはごく頻繁に生じるため、動物はいわゆる「プランB」をもっているにちがいない、つまり食欲システムには、必要な栄養素が得られない状況に対処するための方法があるはずだと、私たちは推測した。あるものの過剰摂取と別のものの過少摂取の折り合いをつけ、バランスさせるための対処法が必要になるはずだ。
  • まさにこれが、バッタ実験が答えようとしていた問いである――バッタにとってのプランBとは何だろう?
  • その答えは、「バッタは最終的に、ほかの栄養素よりタンパク質を優先させ、タンパク質の摂取ターゲットを達成するために必要とあれば、発達を遅らせ、肥満になることも厭わない」だった。
  • では人間にとってのプランBとは何だろう? 私たちの知る限り、この質問は提起されたことも、ましてや答えられたこともなかった。
  • 私たちはこれを調べることにした。そして次に起こったことが、私たちのその後のキャリアの方向性を決定することになったのである。

 

  • だがヒトを対象とする研究は、食事内容の正確な記録が得られないことがネックだ。ほとんどの研究は、被験者の過去数日間の食事内容を自己報告に頼っている。問題は、人間が忘れっぽいことだ。そのうえ他人だけでなく自分にもズルをしたりウソをついたりする。
  • 栄養学者のジョン・デ・カストロの話が参考になる。
  • 彼は被験者に食事の写真を撮ってもらうことで、この問題を解決できたと思っていた。画像を見て思い出しながら質問票に記入してもらえば、まちがいは起こらないはずだと。
  • ところがそうはいかなかった。彼はこの現象を「ブラウニーの謎」効果と名づけている。カロリーたっぷりの濃厚なブラウニーはしっかり写真に収められていたのに、被験者は食事日記のスプレッドシートに果物や野菜、鶏ムネ肉を忠実に記録しながら、なぜかブラウニーだけは記入しなかったのだ。
  • 思い出し法に頼るより、ヒトの被験者をバッタと同じように扱ったほうが、より正確なデータが得られる――つまり人間を一定期間隔離・監禁し、たった1種類の乾燥した実験餌だけを与えるということだ。そうすれば摂食を信頼できる方法で確実に測定できるが.……その一方で志願者が殺到することもなくなってしまう。

 

  • 被験者は自由に食事を選択できた第1段階では、予想摂取量に近いカロリーを摂り、タンパク質のカロリー比率は約18%だった――この比率も予想どおりである。これまでの研究で、世界中の人々の標準値として5%から20%という比率が示されている。
  • ちなみに、これはケリーが30日の観察期間にわたってヒヒのステラで確認した主要栄養素の比率――タンパク質比率17%―にも非常に近い値だった。
  • 驚いたことに、被験者が高タンパク質食のグループと、高炭水化物・高脂肪食のグループに分けられた第2段階では、被験者全員が自由選択段階と同じタンパク質の摂取比率を維持した。つまりタンパク質の摂取ターゲットを達成するために、高炭水化物・高脂肪食だけを与えられたグループは、自由選択段階に比べて総摂取カロリーを35%増やさなくてはならず、他方高タンパク質食だけを与えられた被験者は、摂取カロリーを38%減らしたのだ。
  • 被験者の大学生の反応は、明らかにバッタと同じだった。タンパク質に対する食欲が、食品の総摂取量を決定していたように思われた。

 

  • プラスチックの箱に1匹ずつ入れられたバッタとは違って、学生はきわめて社
    会的な環境で食事をしており、仲間の選択の影響を受けやすかった。また、動物は好きなときに食べるのを止められるのに対し、人間は残すのは悪いから、もったいないからといった理由で、皿にあるものをすべて食べようとする。これを表す、「強迫性完食」という科学用語まであるほどだ。
  • こうした潜在的欠陥があるとはいえ、レイチェルの実験は非常に興味深い結果を示していた。バッタとヒトの行動の類似性を確認したことで、自信をもって次の仮説を立てることができた。
  • 「タンパク質が不足しているがエネルギーが豊富な食環境では、ヒトはタンパク質の摂取ターゲットを達成しようとして、炭水化物と脂肪を過剰摂取する。だが高タンパク質食しか得られない場合は、炭水化物と脂肪を過少摂取する」
  • このことがもつ意味は、計り知れないほど大きい。
  • 身体活動で消費されるカロリーが不変と仮定すれば、高炭水化物・高脂肪食はやがて体重増加を招き、高タンパク質食は体重減少につながる。いずれにせよ、どんな場合にも最優先されたのは、一定量の――多すぎず、少なすぎない量のータンパク質の摂取であるように思われた。
  • これが、私たちが食べるほかのすべてのものに影響をおよぼすタンパク質の力、すなわち「タンパク質レバレッジ」である。

 

  • 国連食糧農業機関(FAO)の栄養素利用可能性(栄養摂取と同義ではないが、十分近い)に関するデータベースによれば、1961年から2000年にかけて、アメリカの平均的な食事組成は重要な変化を遂げ、タンパク質比率は14%から12.5%に低下した。
  • その分上昇したのはもちろん、脂肪と炭水化物だ。
  • アメリカ人は、このタンパク質比率の低下した食事でタンパク質の摂取ターゲットを達成するには、総摂取カロリーを13%増やすしかなかった。そしてその結果が、エネルギー(カロリー)余剰と、ひいては体重増加である。
  • 誰も注意を払っていなかったが、ここ数十年間の動きをひとことでいえばそうなる。

 

人は「スイーツ」より「しょっぱいスナック」が食べたい

  • 興味深いことに、余剰カロリーのほとんどは、食事量の増加ではなく、間食から来ていた。
  • 実験では甘い系としょっぱい系の両方のスナックを提供した。たぶんあなたは、余剰カロリーはすべてスイーツのせいだと思うだろう。ところがそうではなかった。増加したカロリーのほぼすべてが、しょっぱい系の、旨みの感じられるスナックから摂取されていた。
  • 旨みは食品がタンパク質を含んでいることを知らせるシグナルだ。低タンパク質/高炭水化物・高脂肪食の被験者は、味だけタンパク質に似せて高度に加工された食品を食べていたため、体がタンパク質を欲し続けていたのだ。

 

6章のまとめ

  1. ヒトはバッタと同様、ターゲット量のタンパク質を摂取することを優先させる。
  2. ヒトはタンパク質が欠乏し炭水化物が豊富なこの世界で、タンパク質のターゲットを達成するために、炭水化物と脂肪を過剰に摂取し、肥満のリスクを負っている。
  3. 食事のタンパク質比率が高い場合、ヒトはタンパク質の過剰摂取を避けるために、炭水化物と脂肪の摂取を減らす。
  4. 高タンパク質食が減量を促すのは、このためである。だがなぜカロリー不足のリスクを負ってまで、タンパク質の過剰摂取を避けようとするのだろう?

 

  • 自然環境では、ハエは寿命を延ばすか、産卵を増やすかのどちらかの目的のために食べることはほぼまちがいない。いいとこ取りはできないのだ。
  • しかし、ハエは食べるものを自由に組み合わせることができる場合、どちらの選択肢を選ぶだろう?
  • この疑問に答えるために、別の実験でハエに赤ちゃんか長寿かを選ばせた。つまり、高炭水化物食(長寿)か、高タンパク質食(多くの卵)かのどちらかを選択できるようにした。
  • 「ハエが取った行動のヒントを教えよう。あなたがこの状況でたぶん選ぶだろう選択肢の反対を選んだのだ。そう、ハエは最長寿命ではなく、最多産卵数を支えるタンパク質と炭水化物の組み合わせを選んだのである。
  • 人間でいえば、これは15人の子を産んで40歳で死ぬことに相当する。200年ほど前の人の一生は、まさにそんな感じだった。当時生まれた子どものほとんどが、5歳になる前に亡くなっていたことを考えるとうなずける。
  • だが少なくとも現代に暮らす私たちにとっては、そんなによい話には思えない。しかしショウジョウバエ(とおそらくヒト以外のほとんどの種)は、長生きすることより、できるだけ多くの遺伝子を残すことを重視する。

 

7章のまとめ

  1. タンパク質の過剰摂取に何らかの代償が伴うかどうかを明らかにするために、ショウジョウバエを使った実験で、主要栄養素の摂取比率の違いがハエの生涯におよぼす影響を調べた。
  2. 最長寿命と最多産卵数には、それぞれ別の食餌が必要だった。「低タンパク質/高炭水化物食」で飼育されたハエが最も長生きした。「高タンパク質/低炭水化物食」は早死を招いた。タンパク質比率が高めで炭水化物比率が低めの―だがタンパク質比率が高すぎない――餌で飼育されたハエが、最も多くの卵を産んだ。
  3. より複雑な動物、たとえば哺乳類についてはどうなのだろう?

 

  • このように、肥満は予想以上に複雑だということをマウスは教えてくれた。
  • 単にやせているからといって、健康で長生きできるわけではない。それどころか、高タンパク質/低炭水化物食のセクシーなやせたマウスは、すべてのマウスの中で最も寿命が短く、見栄えのいい中年の死体になった。なぜなら、高いタンパク質対炭水化物比は、急速な老化に関連する経路を激しく活性化させ、細胞とDNAの修復・維持メカニズムを弱め、老化やがん、そのほか慢性病を促進する比率でもあるからだ。
  • これは望ましい状態とはいえない。そしてこれはおそらく、マウスに限った話ではない。なにしろ老化と代謝に関する限り、人間はマウスと生物学的に同じなのだ――今説明した長寿システムと成長・繁殖システムは、すべての生化学的詳細に至るまで人間とマウスでほぼ同一である。

 

  • それでも興味深いことに、私たちの実験結果だけをもとに、彼らの食事の主要栄養素のバランスが健康寿命を延ばすことを予測できるのだ。
  • ブルーゾーンの住民の中でおそらく最も有名なのは、日本の沖縄島の人々だろう。沖縄は100歳以上の人口割合がほかの先進国平均の5倍である。サツマイモと葉物野菜を主体とし、少量の魚と赤身肉を組み合わせた伝統的な沖縄食は、タンパク質比率がわずか9%(食糧難の地域を除けば世界最低水準)、炭水化物が的%、そして脂肪がわずか6%だ。これは実験の最長寿命のマウスが摂取していた比率にほぼ相当する。
  • 伝統的な沖縄の食事を摂っている人は、肥満とほぼ無縁だった。その理由の1つは、食事の食物繊維含有率が高いからである。
  • これは重要なことだ。食事に十分な食物繊維が含まれると、カロリーの過剰摂取を駆り立てるタンパク質レバレッジの効果が弱められる。食物繊維は胃で膨潤し、消化速度を遅らせ、腸内微生物の餌になる――これらすべてが組み合わさって、空腹感を抑える効果がある。
  • この食物繊維の多くが、沖縄の人の主な炭水化物源であるサツマイモや、そのほかの野菜や果物に含まれているのだ。

 

8章のまとめ

  1. 私たちはマウスの大規模研究に着手し、タンパク質、炭水化物、脂肪、食物繊維の比率の異なる餌で、生涯にわたってマウスを飼育した。
  2. マウスもハエと同様、低タンパク質/高炭水化物食が最も寿命が長く、最も中高年期の健康状態がよかったが、最も繁殖能力が高かったのは高タンパク質/低炭水化物食だった
  3. 低タンパク質食は、成長と繁殖につきものの損傷からDNAと細胞、組織を守る、長寿経路を作動させることによって寿命を延ばした。長寿経路は、イースト細胞から人間までのあらゆる生物に普遍的な仕組みである。
  4. タンパク質、脂肪、炭水化物、そして食物繊維のダイヤルをひねることで、インスリン抵抗性を伴う/伴わない肥満を予防することも起こすことも、寿命を延ばすことも縮めることも、繁殖を促進することも阻害することも、筋肉量を増やすことも減らすことも、腸内微生物叢や免疫系を変化させることも、それ以外の多くのこともできる。私たちは多くの目的を実現するために食事を調整する新しい方法を発見した。

 

  • 1つの可能性として、食品メーカーは意識的にだろうとなかろうと低タンパク質食に向かって舵を切りつつあり、私たちはそれに反応して食べる量を増やしているとも考えられる。まさに、実験で私たちが餌のタンパク質比率を減らしたときに、バッタが行ったのと同じ行動だ。これは不健康な食品をたくさん売るのに都合のよい作戦だが、カルロスの分析によってすでに示されているように、肥満や病気、早死を防ぎたい人にとっては、都合がよいとはいえない。
  • 何年も前に行ったバッタの実験をきっかけに始まり、野生の霊長類にまで対象を拡大した私たちの分析は、肥満の蔓延についての画期的な新しい手がかりをもたらした。超加工食品を食べると太るのは、一般に考えられているように、そうした食品に含まれる脂肪と炭水化物に対する強い食欲が原因なのではない。
  • そうではなく、私たちのタンパク質欲が、脂肪と炭水化物の摂取を制御する能力よりも強いから、太りすぎてしまうのだ。そのため、超加工食品に見られるように、タンパク質が脂肪と炭水化物によって希釈されると、タンパク質欲が、本来脂肪と炭水化物の摂取を制御するはずのメカニズムを圧倒してしまう。
  • その結果、必要以上に、つまり健康によい摂取量以上に食べすぎてしまうのだ。

 

  • 人間がオランウータンと違って、果物の食べすぎで太らない理由は、食物繊維にある。人間は類人猿ほど多くの果物を食べられないのだ。
  • それに、人間がなぜ超加工食品を食べて太るのかも、繊維によって説明できる。
  • 工業的に生産された大量の作物が、食品加工機械によってデンプンと糖に変換される際、取り除かれる主なものの1つが食物繊維だ。いったん除去された繊維はけっして――少なくともその多くは――食品には戻らない。バッタやマウス、オランウータン、そしてリンゴジュースの例から学んだように、食物から繊維を取り除くのは、食欲のブレーキを切ってしまうようなものだ
  • そう考えると、近年肥満と超加工食品が切っても切れない関係にある理由が理解しやすくなる。

 

  • どちらの国でも、結果は同じだった。脂肪含有量は食品価格にほとんど影響をおよぼさなかった。つまり脂肪から得られるカロリーは、価格押し上げ効果が非常に小さかった。
  • 他方、タンパク質は強力な影響をおよぼし、タンパク質が多いほど、商品の価格は高かった。驚いたことに、炭水化物はかえって価格を下げた。炭水化物が多く含まれる食品ほど、価格は安かったのだ!
  • 加工食品のメーカーがなぜタンパク質をケチり、炭水化物と脂肪を大盤振る舞いしようとするのかは明らかだ。それによって、製造原価を抑えられるからだ。そのうえ今見たように、消費者の食欲を操作して過食させることまでできるという、おまけまでついてくる。

 

  • 栄養素は 脂肪、炭水化物、タンパク質、そして塩も食物に風味を与える重要な
    要素である。つまり繊維の比率が低いと、食べ物はおいしくなるのだ。私たちの初期のバッタ研究がこれを裏づけている。味蕾を刺激する栄養素の濃度を高めると、電気信号がバッタの脳により速く到達し、食べるようバッタを促したのである。
  • したがって、超加工食品の繊維含有量を減らすことが、なぜメーカーの利益になるのかはすぐわかる。味がよくなるからだ。
  • バッタで見られたこの影響は、史上最大の健康危機の1つである、超加工食品の蔓延の理由を説明する。食事を決定する2つの要因―――どの食品を選ぶか、それをどれだけ食べるか――が両輪となって、この危機を助長したのだ。
  • 繊維が少なく脂肪と炭水化物が多い食品はおいしいから、選びがちになる。おまけにタンパク質をあまり含まないから、製造原価が低い。そして、低タンパク質・低繊維・低価格の三拍子揃った食品は、ついつい食べすぎてしまう。
  • かくして超加工食品が全面的勝利を収めるというわけだ。

 

「高血圧」の子どもになる

  • 赤ちゃんのぽっちゃりした皮下脂肪、とくに腕と脚の脂肪は、健康的な人間の乳児の特徴である。だが内臓脂肪の多さは警鐘を鳴らした。子どもたちの4歳時の追跡調査で、警鐘はさらに大きくなった。
  • 妊娠中に低タンパク質食を摂っていた女性の子どもに、血圧上昇の徴候が見られたのだ。
  • ミシェルとクレアのデータが発していたメッセージは明らかだった。
  • 妊娠中の女性は、自分自身と赤ちゃんの健康のために、タンパク質比率が18%から20%で、健康的な脂肪と炭水化物を組み合わせた食事を摂ることが望ましい。
  • 重要なことに、タンパク質比率が18%から20%で、低脂肪(30%)・高炭水化物(50%)の食事を摂っていた女性が、微量栄養素の摂取が最も多かった。おそらく、主要栄養素がこの比率で含まれる食事を摂るためには、植物性と動物性の多様な食品を食べる必要があり、そのような食事にはビタミンとミネラルが健康的な比率で含まれるからだろう。

 

乳児は「最もタンパク質比率が低い食事」がベスト

  • 新生児は、食事に関して自分で選択できることはほとんどない。母乳で育てられる場合は、炭水化物比率55%(主に乳糖)、脂肪比率38%の低タンパク質(約7%)食を与えられる。これは人間が飢饉でもない限りけっして食べない、タンパク質比率が最も低い食事だ。だが離乳までの乳児にとっては、紛れもなく最適な食事組成である。
  • これはすべての霊長類に共通することだが、その理由が興味深い。霊長類は大きな脳をもち、複雑な社会生活を送るから、大人として知る必要があるすべてのことを学ぶために、長い幼少期を必要とする。低タンパク質の母乳は成長を遅らせることで、これを可能にするのだ。
  • また、母乳が最適な理由はもう1つある。
  • 市販の乳児用調合乳で育った人間の赤ちゃんは、母乳で育った赤ちゃんに比べ、その後の人生で肥満になりやすいことが研究で示されている。市販の調合乳の多くは、母乳よりもタンパク質含有量が多い。新生児に高タンパク質(通常の7%よりも高い11%)の調合乳を与えた実験でも、同じ結果が得られた。

 

13章のまとめ

  1. タンパク質とエネルギーの必要量は、ライフスタイルによって、また誕生から老齢まで生涯を通して変化し続ける。タンパク質ターゲットは、出生より前に、親のライフスタイルによって決定されることさえある。
  2. タンパク質ターゲットが高いほど、それを達成するために多くの食べ物を食べなくてはならない。食物繊維が少なくエネルギーが高い食事の場合、タンパク質ターゲットを達成するために余分なカロリーを摂取しなくてはならない。この結果、体重増加とインスリン抵抗性(糖尿病前症)のリスクが高まる。
  3. インスリン抵抗性は体内のタンパク質が減少する速度を高めるため、タンパク質ターゲットはさらに上昇し、過食と持続的な体重増加、2型糖尿病や心臓病、そのほかの健康問題を助長する悪循環が生じる。
  4. この悪循環を抜け出すにはどうしたらいいだろう?

 

「タンパク質欲」は普遍的な欲求

  1. タンパク質に対する特別な渇望は、普遍的な欲求だ。タンパク質欲は、あらゆる動物が栄養素の摂取ターゲットに到達するのを支援するために進化した。動物はタンパク質が必要になると、その風味への渇望を感じる。ヒトはタンパク質が不足すると、あの食欲をそそる旨みにたまらなく引きつけられる。
  2. タンパク質欲は、ほかのいくつかの食欲――主に炭水化物、脂肪、ナトリウム、カルシウムに対する食欲――と協力して、健康的でバランスの取れた食餌を摂るよう動物を誘導する。
  3. この誘導システムは、自然の食環境の中で進化した。この環境では、食べ物に含まれるすべての栄養素の間に、確かな相関関係が存在した――これらたった5つの栄養素の摂取を調整するだけで、おのずとそのほかの数十の有益な物質を含む、バランスの取れた食餌を摂ることができた。
  4. だが自然にあっても、特定の食べ物が不足してバランスの取れた食餌が摂れなくなることがある。そういう状況になると、食欲は協力するのをやめて、競争する。
  5. ヒトをはじめとする様々な種では、競争に勝つのはタンパク質だ。その結果、タンパク質欲が、全体的な摂食パターンを決めるようになる。
  6. 食環境にタンパク質が不足していれば、私たちはタンパク質欲が満たされるまで食べ続ける。他方食事のタンパク質比率が、体が必要とするよりも高ければ、タンパク質欲は早めに――総摂取カロリーが少ないうちに―満たされる。
  7. だからといって、タンパク質が多ければ多いほどよいというわけではまったくない。イースト細胞からハエ、マウス、サルまでの生物は、タンパク質を過剰摂取しないよう進化した。それにはいくつか理由があるが、主な理由は、タンパク質を摂りすぎると、老化を早め寿命を縮める生物学的プロセスが作動するからである。
  8. 私たちは、食システムの工業化によって、栄養バランスを図る能力を著しく阻害されている。人間は食環境に次のような影響をおよぼしてきた。
  • 低タンパク質の加工食品に、糖、脂肪、塩、化学物質を添加して、不自然においしくした。
  • 安価な超加工脂肪と炭水化物を大量に投入して、食料供給におけるタンパク質の存在を希釈した。
  • 満腹感を高め腸内微生物の餌になる、食物繊維の摂取を減らすことによって、食欲システムのブレーキを解除した。
  • 子どもを含む消費者に超加工食品を積極的に売り込むことで、世界の食文化を変容させ、超加工食品を定着させた。
  • 食肉タンパク質への世界的な需要を満たすために、食肉生産を持続不可能な方法で増やし、環境に負荷を与えた。
  • 環境中の二酸化炭素濃度を高めることで、主要食用作物のタンパク質含有量を減少させた。
  • ここに挙げた点を、正直なところ、とても危険な徴候だと考えている。これらはとりもなおさず、人間が栄養に関わるみずからの生物学的機構と相容れない食環境を生み出したことを示しているからだ。
  • だが希望の光はある。今や私たちは十分な知識をもち、生物学的機構と敵対するのではなく協力して、問題を解決し始めることができるのだ。

 

  • 高タンパク質食ダイエットが流行り始めたのは、しばらく前のことだ。
  • この考えを広めたのは、ロバート・アトキンスの著書だった。アトキンスは減量のために、低炭水化物・高脂肪・高タンパク質食を推奨した。彼は正しかった。その理由はもうおわかりだろう。そうした食事では、タンパク質欲が満たされ、全体的に食べる量が減るからだ。
  • アトキンスに続いて、パレオダイエット、ケトジェニックダイエット、肉食ダイエットなど、低炭水化物食やゼロ炭水化物食を推奨するダイエットが流行した。肉、魚、卵、バターだけを食べて、楽に体重を減らし、強壮で動物的な健康を手に入れよう、という考えである。
  • こういった手法はどれも確実に減量を促す。タンパク質を十分摂ることで飢えが満たされるうえ、超・低炭水化物のケトン食を摂る(1日当たりの炭水化物摂取量を20gーリンゴ1個分に相当―以内に抑える)と、体は細胞の主な燃料としてグルコース(ブドウ糖)の代わりに、脂肪の分解産物であるケトンを燃やすようになるからだ。
  • またケトンはタンパク質の摂取量が少ないときにも、カロリー摂取を抑制する効果があると考えられている。

 

  • 自分の「タンパク質ターゲット」を理解する
  • あなたのタンパク質の摂取ターゲットを、次の3ステップで推定しよう。

www.msdmanuals.com

  • ステップ1:あなたの年齢、性別、活動量をもとに、1日のエネルギー(カロリー)の必要量を推定する。「ハリス・ベネディクト法」と呼ばれる式を使って計算してくれるサイトを利用しよう。
  • ステップ2:このカロリーのうち、どれだけをタンパク質から摂る必要があるか(つまりあなたのタンパク質摂取ターゲット)を推定しよう。ステップ1で出した値に、次の係数をかけて算出する。
  • 子ども、青少年:0.15(タンパク質比率15%の食事を意味する)
  • 若年成人(8歳~30歳):0.18
  • 妊婦、授乳婦 :0.20
  • 成熟した成人(30代):0.17
  • 中年(0歳~6歳):0.15
  • 老年(8歳超):0.20
  • ステップ3:ステップ2で算出した値を4で割って、1日に摂取すべきタンパク質のグラム数を算出しよう(タンパク質1gは4%に相当する)。

 

  • 「超加工食品」を避ける
  • 超加工食品を避けよう。目の前にあると食べてしまうから、家の中にもち込まないのがいちばんだ。そういう食品はついつい食べてしまうようにできている。
  • 超加工食品は、世界的な慢性病の蔓延を引き起こした最大の原因である――栄養と食欲の相互作用を悪用してきたのだ。
  • こうした食品を見分ける方法はあるだろうか? カルロス・モンテイロ自身が、次のように説明している。
  • 「超加工食品を見分ける実用的な方法としては、NOVA超加工食品群に特徴的な成分が少なくとも1種類以上、原材料のリストに含まれているかどうかを調べるといい。つまり、キッチンでけっしてまたはめったに使われない食品成分(高果糖コーンシロップ、水素添加油脂やエステル交換脂肪、タンパク質加水分解物など)、または最終製品の嗜好性や魅力を高めるための添加物(香味料、旨み物質、着色料、乳化剤、乳化塩、甘味料、増粘剤、消泡剤、充填剤、炭酸化剤、発泡剤、ゲル化剤、つや出し剤など)である」

 

  • 「高タンパク質食品」を食べる
  • 多種多様な動物性食品(鶏肉、肉、魚、卵、乳製品)および/または植物性食品(種、ナッツ、豆)の中から高タンパク質食品を選び、タンパク質の摂取ターゲットを満たすとともに、タンパク質欲を最もよく満足させるバランスでアミノ酸が含まれた食事を摂ろう。
  • ベジタリアン(悪いことではない)の人は、さらに多様な食品を食べる努力をしなくてはならない。単一の植物性タンパク質は、多くの動物性タンパク質に比べ、アミノ酸のバランスが劣る傾向にあるからだ。

 

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  • 具体的にタンパク質の摂取ターゲットを達成する方法を理解しやすいように、チャールズ・パーキンス・センターの研究仲間で栄養学者のアマンダ・グレッチ博士が作成してくれた、主要な食品のタンパク質、脂肪、炭水化物、カロリー、飽和脂肪、ナトリウム含有量の表を331ページから載せておく。

 

  • 「繊維」を食べる
  • 人間は生理学的機構が進化した太古の時代に、今よりずっと多くの食物繊維を摂取していた。今日、食欲とともに食事中の食物繊維が、何を食べるかをコントロールする役割を担っているのは、そのためである。
  • 多量の葉物野菜、非デンプン質の野菜、果物、種、全粒穀物を食事に含め、体にカロリ1負荷をかけずに繊維を確保して、食欲ブレーキを再起動させよう。豆や種、乾燥豆(ライ豆、インゲン豆、ひよこ豆、ササゲ、レンズ豆など)を食べることでも、繊維とタンパク質 、健康的な炭水化物を増やすことができる。
  • ビタミンとミネラルが摂れ、サプリメントの必要性が薄れるというおまけつきだ。

 

  • 「カロリー」信奉をやめる
  • カロリー計算にこだわらないこと――きちんとした食事を摂れば タンパク質欲があなたの代わりにカロリーの面倒を見てくれる。
  • 高タンパク質の食品には、良質な炭水化物と脂肪を含む多量の野菜や果物、豆、全粒穀物をつけ合わせよう。そうすれば三大栄養素の食欲をすべて満たすことができる。

 

  • 食べ物を「混ぜ物」にしない
  • 食べ物に加える砂糖や塩は控えめにし、脂肪分を加えるときは「エキストラバージンオイル」などの健康的なものを選ぼう。

 

  • 「空腹」のときに食べる
  • 1から6までのすべてを行っても、単にタンパク質の摂取ターゲットと総エネルギー必要量の推定値を満たしただけにすぎない。
  • これを出発点にして、自分の食欲を自分でコントロールしていると感じられるようになるまで――食事どきに空腹を感じ、食後と食間は満足できるようになるまで 量を増減して調整しよう。

 

  • 「塩味」がほしいことの意味を知る
  • 食欲に耳を傾けよう。自分の胸に尋ねよう――「今ほしいのは、塩味や旨みなのだろうか?。もしそうなら、タンパク質が必要なことを、体が知らせているのだ。 
  • そんなときは、ニセのタンパク質(超加工食品のしょっぱい系のスナックなど)の誘惑にとくに屈しやすくなっている。
  • 誘惑に負けてはいけない――代わりに良質のタンパク質食品を食べよう。

 

  • 「食欲」を信じる
  • その一方で、必要と感じる以上のタンパク質を摂らないようにしよう。タンパク質欲が適量を教えてくれるし、摂りすぎにはデメリットがある。
  • 食欲は計算サイトよりも正確な測定器なのだ。

 

  • 運動時は「20~30g]タンパク質を摂る
  • 運動して筋肉量を増やしているときは、1回の食事につき3gから30gのまとまったタンパク質を摂ると、新しい筋肉タンパク質を形成するための細胞機構が最もよく活性化されることがわかっている。この量が、筋肉合成を起動させるのに最適な量だ。
  • 筋肉合成に関わる機構とは、8章で説明した成長・繁殖経路のことだ。この経路は必然的な副産物として細胞のゴミを放出し、細胞とDNAに損傷を与える。タンパク質を0gから30g含む食事を摂ると、タンパク質合成のスイッチが2時間ほど入り、悪影響をその時間に限定することができる。

 

  • 「食べない時間」を1日の中につくる
  • 細胞とDNAの修復・維持を促すために、夜間は断食し、間食を控えよう。
  • たとえば午後8時から翌朝の朝食までは何も食べないようにするなど。毎日の断食によって長寿経路が活性化されるうえ、夜遅くに余分なカロリーを摂取するリスクが減り、眠りにつきやすくなる。
  • 世の中の減量プログラムには、カロリー制限を伴うものがいろいろある(有名なものでは「5:2断食ダイエット」〔1週間のうち5日間は普通の食事をし、2日間は食事制限をする)など)が、たとえ全体的な摂取カロリーを減らさなくても、1日のうちの食べる時間帯を制限する(「間欠的断食」や「時間制限摂食」など)だけでも健康効果があることが、研究によって示されている。
  • なぜ効果があるかといえば、数時間の断食によって、損傷を引き起こす成長経路がオフになり、健康と長寿を支える細胞とDNAの修復・維持プロセスが活性化されるからだ。
  • 寝ている間は何も食べられない。つまり夜間の睡眠は、たまった細胞のゴミを一掃し、日中にDNAと細胞が受けた損傷を修復する機会になる。このことは体内のすべての細胞についていえるが、とくに顕著なのが脳細胞だ。時間制限摂食と良質な睡眠が、心身の健康を増進するのも当然である。

 

  • 「体内時計」に合わせて眠る
  • よく眠ろう。睡眠は、食事・運動とともに、心身の健康の3本柱の1本である。睡眠と栄養は、体内時計を通じて結びついている。
  • 私たちの生物学的機構は、脳にある「親時計」によってコントロールされている。親時計は約1時間周期で動き、睡眠と覚醒、体温、腸運動、血圧、インスリン感受性等々の1日のリズムを刻んでいる。親時計はメラトニンなどのホルモンを利用して、それぞれの臓器にあって別々に動いている子時計を同期させる。実際、細胞の一つひとつに個別の体内時計があり、それらはDNA複製やインスリンシグナル伝達などの基本的な細胞プロセスと緊密に結びついている。
  • 細胞や臓器にある子時計の同期が乱れると、具合が悪くなる。時差ボケに苦しんだことがある人ならわかるだろう。長期のシフト労働者は、肥満や糖尿病、心血管疾患、がんになりやすい。
  • だが体内の親時計はデジタル腕時計のように正確には動かない。少しずつ遅れていくため、信頼できる環境刺激によって毎日リセットする必要がある。時刻設定の主な手がかりになるのは日光だが、食事のタイミングも重要だ。体内時計が睡眠を予期する時間帯に明るい光にさらされたりものを食べたりすると、体内時計システムは撹乱され、それが続けばいつか健康を害してしまう。

 

  • こもらず「外」に出る
  • 活動的になろう――できれば戸外に出よう――そして社交的になろう。身体活動と社会交流は、健康増進と長寿と明らかな相関関係にある。

 

  • つくってみる
  • 大好きな料理を自分でつくれるようにしよう――そしてつくり方を子どもにも教えよう。 それは親が子どもに与えられる最高の贈り物の1つである。

 

  • 「流行り」に惑わされない
  • (超加工食品をできるだけ減らしながら)好きなものを食べよう。栄養バランスのよい食事を摂る方法は無限にある。特別な医療上の理由がない限り、どの食品群(穀物、乳製品など)も除外する必要はないし、また苦手なものや自分の食文化に適さないものを食べる必要もない。
  • 世界の伝統的な食文化や新しい食文化は、地域や歴史、宗教と深く結びつき、人々の生活をゆりかごから墓場まで、病めるときも健やかなるときも支えてきた。いま流行りの、 ヴィーガンからケトンまでの様々な栄養哲学は、特定の状況では健康的な食事になるが、ほとんどの人は続けることができないし、また経済的な既得権益や怒り、狂信が深く絡んでいる。
  • 私たちの物語はこれでおしまいだ。動物が健康的な食事について教えてくれたことを、 あますところなく説明した。
  • 本書ではここまで、いろいろな数値や数式、科学的事実を挙げてきた。これらは健康的な生活を送るための重要なガイドとして活用できるし、ぜひそうしてほしい。
  • だがそれだけが健康的な生活だと思ってはいけない。むしろ本書から得た知識や気づきを、旅行中に地図を使うように、そうした生活に到達するための道しるべや、迷子になったときの参考書として使ってほしい。
  • やがて、ただ健康的な食環境に向かって舵を切り(そして不健康な食環境から遠ざかり)、食欲に耳を傾けるだけで、ことさら意識しなくても楽しく健康的な食事ができるようになる。スポーツや楽器、自動車の運転を習うのに似ている。最初は集中して、意識的にルールを適用し、練習を積み、悪い習慣を捨て去る必要がある。だがいつのまにか、それが生まれつきの習慣のようになる。
  • いや、健康的な食事は、そもそも生まれつきの習慣のはずだ。粘菌からヒヒまでの生物は、数値や数式、スポーツ、音楽、自動車が発明される前から、数百万年間もそういう食餌を摂り続けてきたのだから。

新版 お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方 知的人生設計のすすめ

  • 経済的独立にはいくら必要か
  • 人生はいちどしかないのだから、自分の思うがままに自由に生きたい。誰もがそう願っています。これが、人生設計におけるゴール(目標)です。ところで、「自由 Liberty」とはいったい何でしょう。それは、「なにものにも束縛されない状態」のことです。
  • このように考えると、自由に生きるためには一定の条件を満たさなければならないことがわかります。その条件とは資産、より端的にいえば、お金、です。
  • 「自由」を経済的な意味で定義するならば、「国家にも、会社にも、家族にも依存せず、自由に生きるのに十分な資産を持つこと」になります。これが「経済的独立 Financial Independence」です。
  • 経済的独立という考え方はロバート・キヨサキの『金持ち父さん貧乏父さん』によって広く知られることになりましたが、自由とお金の関係をはじめて日本人に教えたのは、投資家のR・ターガート・マーフィーとエリック・ガワーの『日本は金持ち。あなたは貧乏。なぜ?』でした。
  • 私はそれまで、自由とは主観的な問題だと素朴に思っていましたから、「お金がなければ自由もない No Money, No Freedom」という徹底したリアリズムはたいへんな衝撃でした。そこで、平凡なサラリーマンが経済的独立を達成して自由に生きるにはどうすればいいかを考えたのが『ゴミ投資家のための人生設計入門』(メディアワークス 1999年1月/現在は『世界にひとつしかない「黄金の人生設計」』として講談社 + d文庫に収録)です。

 

次々と現われるあやしいひとたち

  • 私は個人的な興味から海外の金融機関に口座開設し、さまざまな金融商品に投資してみたのですが、そのマニュアル本をつくるうちに、あやしげなひとたちが次々と現われるようになりました。
  • 「君はなんで、タックスヘイヴンの利用法を1600円の本に書いたりするんだ」と、ある紳士は私を怒鳴りつけました。彼はオフショアバンクの口座開設を、100万円ちかい手数料を取って請け負っていました。「本になどしないで、私と組んで富裕層向けのコンサルティングビジネスをすれば年収1億なんて簡単だよ」と誘ってくるひともいました。彼は税理士や会計士のネットワークを持っており、税金を払わない方法を知りたがっている金持ちをいくらでも紹介できる、というのです。
  • 「いいかい、贈与・相続税がタダになるなら、10%の手数料なんてみんな喜んで払うよ。相続財産が10億円なら手数料は1億円、100億円なら10億円の儲けだ。それを山分けするのでどうだい」
  • 要するに彼も、タックスヘイヴンを利用した(合法的な)節税術が1600円で書店で売られていることが都合が悪かったのです。その当時、オフショアバンクやアメリカのネット証券、香港やシンガポールの金融機関の情報はほとんど知られておらず、口座開設やその活用法をマニュアル化すると、本が書店で売れるだけでなく、読者葉書や掲示板(「海外投資を楽しむ会」のサイトに読者の掲示板を設置していました)への投稿などで大きな反響がありました。一部の専門家や富裕層だけが知っていた情報を公開することには「世の中を変えている」という実感があり、わくわくするほど面白かったのです。
  • これを「出版ビジネス」の醍醐味とするならば、「金融ビジネス」のひとたちの考えはニッチな情報を囲い込み、特定の顧客に高額で販売してボロ儲けする、というものでした。確かにこの方が短期的には高収益をあげられるかもしれませんが、何度話を聞いても私には興味が持てませんでした。
  • 私はやがて、世の中にはきわめて知性が高く、それと同時に「楽して金儲けしたい」「額に汗して働くなんて真っ平だ」と思っているひとがいるという事実に気づきました――それも、ものすごくたくさん。金融業の本質はマネーゲームですから、その特殊性がこうしたひとたちを惹きつけるのです。
  • 彼らは、徹夜して本をつくる私の仕事をまったく理解できませんでした。そして私も、彼らのビジネスのどこが楽しいのかわかりませんでした。しかしこのときの体験は、私にとって大きな財産になります。その後私は、『マネーロンダリング』(幻冬舎 2002年5月)で作家としてデビューすることになりますが、金融業界の周縁に棲息するあやしいひとたちは小説のなかの登場人物として活躍してくれることになったのです。
  • ベストセラー『金持ち父さん貧乏父さん』も例外ではありません。まだ読んでいないという方のために、その内容を要約してみましょう。金持ち父さんになりたければ、
  1. まずは収入を増やしなさい(著者はゼロックスの営業マンとして仕事をしながら、株式投資や不動産売買で資産を増やした)
  2. 次に支出を減らしなさい(金持ち父さん =著者の親友の父親は、大きなビジネスを手がけながらも、質素な生活をしていた)
  3. さらにリスクを取りなさい(著者は不動産不況の際に、銀行から借金をしてまで割安の不動産に投資した)
  4. サラリーマンを辞めて起業しなさい(著者は、サラリーマンのままでは金持ちになれないと説く)
  5. 税金を払うのをやめなさい(この本では、会社をつくって合法的に節税する方法が紹介されている)
  6. 家計のバランスシートをつくって自分の資産と負債を管理しなさい

 

  • すべてのお金持ち本は、原理的に、こうした一般原則に還元されてしまうのです。
  • 最初にお断りしておくなら、確実に金持ちになる方法など、この世にありません。もしそんなものがあれば、世界じゅうのひとが金持ちになっているはずです。百歩譲って、仮に確実に金持ちになる方法があるとしても、それが本に書いてあるわけはありません。他人に教える前に、著者自身がその方法で金持ちになるはずだからです。
  • では、金持ちが書いた お金持ち本”なら信頼できるのでしょうか?残念ながら、そうともいえません。なぜなら、そこに書かれているのは著者個人の体験でしかないからです。金持ちになるヒントを得ることは可能でしょうが、一般化はできません。
  • お金持ち本"には、読者を錯覚させるあるトリックが隠されています。それは、「成功したひとしか本を書かない」ということです。
  • たとえばロバート・キヨサキは、市況の回復を確信して、多額の借金をしてハワイの不動産を買い漁りました。しかし不動産の値下がりで苦境に陥り、め年には夫婦でホームレス生活を余儀なくされ、一時は古ぼけたトヨタを「家」にしていたといいます。見かねた友人が自分の家の地下室を貸してくれるまで3週間、ホームレス生活は続きました。その後、キヨサキの予想どおり不動産は大きく値上がりし、資産形成に成功するわけですが、不動産価格の下落がさらに続けば、借金を返済できずに破産していたかもしれません。その場合は、『金持ち父さん貧乏父さん』が書かれることは永久になかったはずです。
  • ロバート・キヨサキがハワイの不動産を買っていた80年代半ばに日本の不動産に多額の投資をしたひとがいるとすれば、90年代のバブル崩壊で間違いなく破産しています。さらにいえば、ハワイの不動産市況が回復し、キヨサキが投資に成功したのは、バブルの最盛期に大量のマネーが日本からハワイに流れ込んだためです。こうして金持ちになったキヨサキが、バブル崩壊で苦しむ日本人に成功譚を語るというのも、考えてみれば皮肉な話です。
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    本を読み終えるまで:2時間2分

 

  • 同様の状況は、大麻覚醒剤などのドラッグや上限金利を超えた融資など、現代の日本でも見られます。ヤクザのシノギは、常に法律のブラックゾーンやグレイゾーンの領域で行なわれるのです。違法とはいえないものの、社会的にはきわめて評価の低いビジネスがあります。風俗業や産業廃棄物処理業などがその典型で、こうした業種で成功して金持ちになったとしても世間一般の評価は低いままです。
  • ほとんどのひとは、たんにカネ儲けがしたいのではなく、それによって社会的な評価も上げたい(みんなからちやほやされたい)と思っています。一流大学を卒業したり、MBAを取得したひとは、〝汚れ仕事、で成功したいとは思いません。ここから、「社会的評価による歪み」が生まれます。優秀な人物が誰もやりたがらない仕事に本気で取り組めば、ほかの(社会的評価の高い)業種より成功する確率はずっと高くなるでしょう(私はそういう理由で風俗業を始めたひとを知っています)。

日本の社会の"秘密"

  • 私も含めほとんどのひとは、国家から役得を得られるような立場でもなければ、法を犯すつもりもなく、*汚れ仕事”に人生を賭ける覚悟もありません。利益をもたらす歪みがあったとしても、それを利用できるひとは限られています。考えてみればこれは当たり前で、誰にでも利用できるなら収益機会はたちまち失われてしまうはずです。
  • しかし、実はそのなかでひとつだけ、その気になれば誰でも利用できる歪みがあります。それが「社会制度的な歪み」です。そのための条件はただひとつ、自営業者(または中小企業の経営者)になって「個人」と「法人」のふたつの人格を使い分けることです。
  • なぜこのような不思議なことが起こるかというと、戦後の日本社会のさまざまな制度がサラリーマン(+公務員)を基準につくられてきたからです。その結果、サラリーマンでないひとたちを平等に扱うことができなくなり、そこから制度の歪みが生じたのです。
  • 地方都市の商店主や、地域に根差した中小企業の経営者たちは、特定郵便局や農協、医師会などと並ぶ重要な票田で、政治家の後援会の中核でもあります。彼らのために便宜を図ることが、自民党から公明党共産党に至るまで、すべての政治家にとって重要な関心事でした。そのため、収入や資産の多寡にかかわらず自営業者や中小企業はすべて、社会的弱者、として優遇されることになりました。
  • もちろん賢いひとたちは、こんなことは当然の常識として知っているでしょう。しかし私は、自分がサラリーマンだった頃は日本の社会制度に大きな歪みがあることにまったく気づきませんでした。これは私だけではなく、(サラリーマン・公務員である)読者の大半も同じではないでしょうか。サラリーマンを辞めて事業を始めれば、誰でも富を獲得できるわけではありません。しかし日本では、*お金持ち、と呼ばれるひとは成功した自営業者か中小企業の経営者で、大企業のサラリーマン社長になってもせいぜい東京の郊外に一戸建ての家が持てる程度です。
  • なぜこのようなことになるのか――それが私の素朴な疑問でした。そして、自営業者になってはじめて、そこに経済合理的な理由があることに気がついたのです。

 

  • 資産運用の初期においては、金融資産に投資するよりも、人的資本に投資した方が合理的です。なぜなら、他人はあなたのために働いてくれませんが、あなたはあなた自身のために真剣に働くだろうからです。
  • サラリーマンが金持ちになるのが難しい最大の理由は、税・社会保険料コストが大きいためです。年収1000万円のサラリーマンだと、実質税負担は250万円にもなります。こんな大金を毎年国に払っていたのでは、金持ちになれるわけがありません。
  • 誰もがキャリアを積んで、年収1000万円を超えるエリートサラリーマンになれるわけではありません。「自分に投資する」とよくいわれますが、その投資の大半は無駄になっているという現実もあります。サラリーマンとして出世したり、ビジネスを立ち上げて成功したり、そういう理想像だけを追い求めても成功の果実を手にできるひとは限られています。では、人的資本に投資しても思うような成果を挙げられない私たち凡人は、どうすればいいのでしょうか?
  • 実は、ここにもちゃんと解決策があります。それは、支出を減らすことです。当たり前のことですが、誰もが確実に資産運用に成功する方法があるはずはありません。さらには、必死になって努力したとしても、100人が100人とも出世レースに勝ち残ったり、ビジネスで成功できるわけでもありません。しかし、支出を減らすことは誰にでもできますし、それによって確実に家計の純利益は増大し、資産は大きくなっていきます。
  • 「金持ちはケチだ」とよくいわれますが、これは論理が逆で、「ケチだからこそ金持ちになれた」のです。確実に資産を増やす方法が目の前にあるにもかかわらずそれを実行しない人間が、資産形成に成功できるはずがありません。
  • 宝くじで大金を当てたひとの大半は、浪費癖によってけっきょく貧乏に戻ってしまうのです。
  • 日本企業の最大のコストは人件費です。日本は世界でもっとも人件費の高い国なので、社員数を減らせば人件費が圧縮され、利益は一気に拡大します。だからこそ、追い詰められた企業は人減らしに必死になります。
  • 同様に、日本の家計の場合、最大のコストは住居費です。親と同居していたり、安い社宅を利用していたり、ローンを払い終わった家に住んでいる場合は別ですが、たいていの人は、年収の20-25%を住宅ローンの支払いや家賃に充てています。年収500万円のサラリーマンの平均的な住居費は年100万~120万円程度でしょうから、これを減額することができればキャッシュフローは劇的に改善します。
  • パラサイト・シングルと名づけられた、親と同居する独身の男女がブランド物を買い漁り、贅沢に海外旅行を楽しむ姿を見れば、住居費をリストラする効果は明らかです。彼らは父親をパトロンに、母親を家政婦にして、世界でもっとも優雅な身分を満喫しています。
  • 不況で収入が減ってきたら、もっと安い家に引っ越せば問題は解決します。住宅ローンの負担が重くなってきた場合は厄介ですが、妙な見栄やプライドは捨てて、いったん持ち家を売却し、身の丈にあった賃貸に移ることを検討するべきかもしれません。赤字を続けていれば、確実に家計が破綻してしまいます。
  • この10年で住宅価格が半値になったということは、現金を持っているだけで、年利7%で運用できたのと同じです。商業物件は3分の1になりましたから、こちらはなんと年利2%相当です。そのうえ、衣類や電化製品をはじめとして、日用品の価格もずいぶん下がったので、生活も楽になっています。
  • それに対して、資産運用に大失敗したのは、株や不動産に投資したプロたちです。
  • 企業も機関投資家も、株や不動産で大損して不良債権の山を築きました。それをすべてバブル崩壊のせいにしていますが、現在問題になっているのは、それ以降の投資の失敗です。
  • 投資指南本の類はこうしたプロ、が書くことになっているので、素人が投資に成功し、専門家が失敗したとは口が裂けてもいえません。そこでみんな、素知らぬ顔をしているのです。

 

  • 日本では「公営ギャンブル」という摩訶不思議なものがあって、国や自治体が法外なテラ銭を取って賭博を開帳しています。最悪なのは宝くじで、購入代金の半分は、買った途端に国に持っていかれます。こんな割の悪いギャンブルは、世界的にも例を見ません。サッカーくじtotoも同様で、誰も買わなくなったのはサッカー人気が下火なのではなく、胴元が強欲すぎてゲームに魅力がないからです。このような公営宝くじは、「国家が愚か者に課した税金」と呼ばれています。
  • 競馬・競輪・競艇オートレース公営ギャンブルも、胴元の取り分が5%という悪質なゲームです。100万円を投じた瞬間に、まだ試合も始まっていないのに賭け金が75万円に減ってしまったのでは、最初から勝負は決まっています。八百長でもないかぎり、法外にテラ銭の高いゲームに継続的に賭け続けて勝てる人間などいないということは、数学的に証明されています。「競馬必勝法」はこの世に存在しないのです。
  • 日本で広く行なわれているギャンブルでもっとも胴元の取り分の少ないのはパチンコで、ゲームへの参加コストは3%前後といわれています。公営ギャンブルよりもはるかに良心的で、勝てる可能性はずっと高くなります。競馬で食べていける人はいませんが、パチンコやスロットで生活している人がけっこういるのはそのためです。

 

  • 地価が大きく下がっていれば、家を売ってもなお借金が残り、身動きがとれなくなります。
  • 会社をリストラされて返済が滞ると、金融機関が不動産を処分してしまいます。こうなると、あとは自己破産するしかありません。ローン完済後に手にする不動産は、こうした多くのリスクに対して支払われる報酬(プレミアム)です。しかし、8年も先の不動産にはたしてそれだけの価値があるのか、いったい誰にわかるでしょうか? マンションの場合、所有者の利害が対立して建替えができなければ、無価値の廃墟になっている可能性すらあります。
  • そのうえ、含み損が生じていては家を買い替えることができません。これでは、家の広さに合わせて家族形態を決めるという本末転倒なことになってしまいます。もともと住宅ローンでの持ち家の購入は、買い替えを前提とした資産運用法なので、現在のようなデフレ経済では無理が生じるのは当然なのです。
  • 不動産は、保有しているだけでコスト(固定資産税)がかかる特殊な資産です。売買時には、不動産業者に支払う手数料(3%)のほか、不動産取得税や登録免許税、登記費用などもかかります。地価の大幅な上昇を前提にしなければ、不動産投資は、もともと割に合わないものだったのです。
  • 将来のインフレと地価の上昇を予想するなら、持ち家も合理的な選択のひとつでしょう。しかしそれでも、不動産の購入を検討するのは、実際に地価が反転するのを待ってからでも遅くはありません。
  • ここ数年で大量供給されたマンションはいずれ中古物件として市場に放出され、不動産価格や賃料を押し下げるのは間違いないでしょう。なにも、わざわざ好んで損をする道を選ぶことはありません。
  • 一方、賃貸はこうしたリスクから完全に解放されています。生活水準や家族構成に合わせて、住む家を替えていけばいいからです。田舎に住むことも、海外に居住してみることも自由です。
  • 30年後に、賃貸と持ち家のどちらが得かは、現時点では誰にもわかりません。したがって、家を買うか買わないかは経済的な選択ではなく、「自由」に対する考え方の違いといってもいいでしょう。
  • 持ち家を購入することで仮に何らかの報酬が得られるとしても、それは自由を放棄した代償かもしれないのです(図1のケース3)。
  • ――いま読み返してみても、不動産投資についての2年前の説明にとくに付け加えるところはありません。とはいえこの理屈は、私が資産運用について書いたなかでもっとも理解してもらえないもののひとつです。再度繰り返しますが、私はマイホームを否定しているわけではありません。マイホーム(不動産)に資産としての特権的な優位性があるわけではない、という当たり前のことを述べているだけです。不動産については『臆病者のための億万長者入門』(文春新書)のなかで別の角度から論じているので、興味のある方は参考にしてください。

 

  • 生命保険も、不動産(マイホーム)と並んできわめて強い感情的なバイアスがかかっている金融商品です。
  • 生命保険は、原著で述べているように、その本質は「不幸な出来事が起きたときに当せん金が支払われる宝くじ」ですが、保険会社は,家族への愛情の証、と宣伝しています。これは、不幸の宝くじ』としての特徴が、「自分が死んだときに家族を守る」という純愛の物語に適しているからです。
  • その結果、保険はたんなる金融商品であるにもかかわらず、巧みなマーケティングによって特別の地位を確保するのに成功しました。こうして多くの日本人が、必要以上の保険に加入してお金を無駄にしているのです。
  • 住居費と並ぶ人生の大きなコストに、生命保険があります。仮に20歳から8歳までの1年間、月額3万円の保険料を払い続ければ総額約1500万円の支出になり、ワンルームマンション1軒買うのと同じです。しかし多くの人が、この無駄な出費に気づいていません。保険というのは、宝くじの一種と考えることができます。
  • 住宅ローンを組んだひとも、その際に強制的に死亡保険に加入させられるので、それ以上の保障は不要です。本人が死亡するとローンの残債が保険金で相殺されるので、遺族の生活費は持ち家の売却で賄うことができるからです。
  • 保険は損をする可能性が高い商品ですから、最低限の保障さえ確保できれば、それ以上は無駄です。日本人のほとんどは何らかの保険に加入していますが、大半は意味のない保険料を払っているだけです。有り体にいってしまうならば、生命保険とは、扶養家族の多い低所得者向けの金融商品なのです。

 

  • 世の中には生命保険を資産運用の一種と信じ込んでいる人がいますが、これは完全な誤解です。終身保険にしろ、個人年金にしろ、資産運用系の保険商品は、宝くじ(保険)部分のコストがかかっているだけ、ほかの資産運用手段よりパフォーマンスが落ちるからです。日本の保険会社はバブル期に実現不可能な高利回りを約束して保険の勧誘をしていましたが、その多くが経営破綻して年金支給額は大幅に減額されてしまいました。
  • 最近は、死亡保障や医療保障に個人年金を加えた総合型の保険が大々的に宣伝されていますが、この手の商品を販売する大手生保は経費率が高く、格安生保と比べて商品に競争力がありません。それをごまかすためにわざと商品を複雑にしているので、検討するだけ時間の無駄です。
  • 現在、もっとも保険料が安いのは、全労済(こくみん共済)、日本生協連(CO・OP共済)、全国生協連(生命共済)などの共済系の生命保険でしょう。これらは毎月1 000円程度の定額掛金制で、加入年齢が上がっても掛金(保険料)が変わりません。それに対して一般の保険商品は、加入年齢に応じて保険料が上昇します。
  • これから新たに保険に加入する場合でも、共済系3社でほとんどのニーズに対応可能です。これらはもともと保険料が安いうえに、決算後の利益を割戻金として保険加入者に還元しているので、割高なうえに契約者配当もない国内大手生保の商品と比較するとコストは半分程度まで下がります。
  • ある経済週刊誌が保険特集をしたときに、大手生保の役員が匿名で共済系の保険に入っていることを告白していましたが、自社の商品に詳しいほど加入する気にならないのも当然です。
  • 経済紙誌は生命保険会社が広告の有力クライアントなので、圧倒的な価格競争力を持つ共済系保険についてはほとんど触れません。そのため認知度がいまひとつ上がらないようなので、ここで紹介しておきます(最近では掛金の安いネット生保も増えてきたので、共済と比較してみてもいいでしょう)。

保険金はできるだけ受け取りにくくする

  • 1カ月の生活費が30万円とすれば、100万円の貯金があれば3カ月は無収入でも生きていくことができます。このようなひとにとっても、もっとも経済合理的な医療保険とは、入院後3カ月たってから無制限に保険金が支払われる商品です。これなら長期入院で貯金が底をついても収入が途絶えることはありません。
  • 3カ月以上の長期入院をする確率はきわめて低いので、ほとんどの場合保険料は払い損になるでしょうが、その分保険料は安くすみます。これで万が一、のときの心配がなくなるのだから、これこそが保険に期待される役割でしょう。
  • ところが日本の医療保険は入院直後(場合によっては初日)から保険金の支給が始まり、8日程度で支給が終わってしまうものもあります。本来必要とされる商品とはまったく逆なのです。

 

  • 世間一般の通念に反して、「子どものいる家庭はマイホームをあきらめるべきだ」という結論が導かれます。住宅ローンを組む際に、それまで蓄えたキャッシュを頭金として吐き出さなくてはなりません。現金がない状態で子どもに多額の教育費がかかるようになると、資金繰りがつかず、家計は簡単に破綻してしまうからです。
  • 一般に、サラリーマンの生涯年収は3億~4億円といわれています。生涯年収を3億円として、このうちの2割 = 6000万円は税金と年金・健康保険などの社会保険料で天引きされ、手取りは2億4000万円。ここから住宅関連支出(7000万円)と各種保険料(1000万円)を引くと1億6000万円。そのうえ子ども2人を育てると4000万円の教育費がかかり、残りは1億2000万円です(図3)。老後の資金として3000万円程度の貯蓄が必要だとすると、実質可処分所得は、残金の9000万円をサラリーマン人生40年で割った年200万円程度にしかなりません。子どもが増えれば、盆暮れに家族で帰省しただけで家計の余裕はなくなり、赤提灯で一杯やる小遣いにも窮するようになります。こうして、見えない「貧困化」が徐々に進行していきます。

 

  • 厚労省は、「将来世代でも厚生年金は2.1倍もらえる」と主張しています。それを信じれば、厚生年金も得になって「年金問題」は消失してしまいます。
  • トリックは、厚生年金の保険料の半額が会社負担になっていることにあります。厚労省はそれを利用して、サラリーマン個人が負担する半額の保険料を基準にすることで、厚生年金の利回りを2倍にかさあげしているのです。
  • 厚労省のこの詐術は、当の政府によって暴露されています。内閣府が会社負担分を加えた総保険料で厚生年金の利回りを試算していますが、それによれば(2014年時点で)6歳以下のサラリーマンでマイナスになっています。厚生年金は、男性に限れば現役世代のほぼ全員が払い損なのです。
  • 日本では消費税を3%上げるのにも大騒ぎしていますが、厚労省にとって都合のいいことに、年金保険料の料率改定に国会の議決は必要ありません。これは払った保険料がいずれ本人に返ってくるとされているからですが、現実には、サラリーマンが納めた保険料の半分は国民年金の赤字の穴埋めに流用され、消えていくのです。

 

  • 国営医療保険は大きく、自営業者が加入する国民健康保険(国保)、大手企業や業界団体が設立した組合健康保険(組合健保)、健保組合を独自で持てない中小企業のための全国健康保険協会(協会けんぽ)の3つに分かれます。
  • 国保は自営業者などが加入するもので、申告所得に応じて保険料を支払い、医療費の7割が公費負担(本人3割負担)です。組合健保(+ 協会けんぽ)は保険料の半額が会社負担で、給与(標準報酬月額)に対して決められた料率の保険料を支払います。
  • 97年6月以前は、サラリーマンの加入する組合健保は、自営業者の国保より保険料が高いものの、保険金の給付も恵まれていました。国保の加入者が3割負担なのに対して、組合健保は本人が1割、家族が2割負担で、そのうえ世帯主の保険料で扶養家族全員の保険がカバーできたからです。
  • ところが97年の健康保険法改正で組合健保の医療費負担が本人2割、家族3割になり、さらに2003年4月の改正で本人・家族ともに一律3割負担になるに及んで、国保と組合健保の給付面での違いはなくなってしまいました(扶養家族の保険料免除は維持)。
  • なぜこのように、サラリーマンの加入する組合健保だけが一方的に改悪されていくのでしょうか。これも、年金制度と構図は同じです。
  • 組合健保の保険料率は、法定上限以下であれば各組合が自由に決めていいことになっており、企業の負担割合を3%以上にすることも可能です。こうして高度成長期に大手企業が競って健保組合を設立し、利益を従業員に還元してきました。
  • 企業や業界団体にとって、健保組合設立の最大のメリットは組合員から集めた保険料を自ら運用できることでした。かつては保険金を支払っても毎年かなりの額の資金が余ったので、それを原資に保養所をつくったり、スポーツ施設の会員権を取得したり、社員旅行を企画したりできたのです。無論、全国の健保組合には旧厚生省のOBが指定席のように天下りました。しかし、幸福な時代は長くは続きません。
  • 企業が運営するとはいえ組合健保も公的保険の一部ですから、組合員の医療費を負担するほかに、公的医療保険の一部、とりわけ高齢者の医療費を分担する義務を負っています。日本の医療費は高齢化によって急速に膨らんでいますが、自営業者の加入する国保の保険料を大幅に引き上げることは政治的に困難です。そこで厚労省が目をつけたのが潤沢な資金のある大企業の健保組合で、次々と法律を改正して後期高齢者支援金、前期高齢者納付金として収奪できるようにしたのです。
  • その結果、健保組合のなかには支援金・納付金が組合員の医療費を超えるところが出てきました。国民医療費のうち約3割(3兆円)が高齢者の医療費で、そのうちの7割(9兆円)は健保組合からの拠出で賄われています。これでは、いったい誰のために組合を運営しているのかわかりません。
  • 健保組合の負担があまりに重くなったことで、厚労省は老人医療費に対する公費をこれまでの3割から5割に引き上げました。しかしこれからも高齢者は増え続けるのですからこの程度の改革は焼け石に水で、制度が危機に陥るたびにサラリーマンにツケが回る構図は今後も変わらないでしょう(もちろん、こうした仕組みは介護保険も同じです)。これが、私たちが暮らす日本という社会の現実なのです。

 

  • かつては法人登記にあたって、銀行に資本金相当額を預け、出資金払込証明書を発行してもらう必要がありました。ところが実際に銀行に依頼すると、取引がないことを理由に証明書の発行を断られることが多く、これがマイクロ法人設立の障害になってきました(オウム真理教のダミー会社の口座が某都銀に集中し、問題になったからだといいます)。
  • しかし会社法の改正によってこの手続きは簡略化され、現在は定款に記載された資本金が代表者の口座に振り込まれたことを通帳のコピーで証明できるようになり、払込証明書は代表者が自分で作成すればよいことになりました。なお法人設立後は、大手銀行でも会社謄本さえあれば簡単に法人口座を開設してくれます。
  • 自分で会社を登記する場合の費用は、登録免許税(5万円)、定款認証料(5万円)に印鑑一式(2万~3万円)などの諸費用を加えて万円程度です。このうち定款認証料は、公証役場で定款に間違いがないことを認証してもらう費用です。こんなことは登記を受け付ける法務局でやればいいのですが、公証人は裁判官・検事や法務事務官の再就職先なので、強制的に彼らにお金を払うようにできているのです。ハンコひとつで5万円ですから、ボロい商売です(なお、以前は定款の認証に4万円の印紙が必要とされていましたが、これは電子公証を使えば不要です)。
  • 登記が終わると、税務署と都道府県税事務所に税金関係の書類を提出しなくてはなりませんが、これもわざわざお金を払って税理士に相談する必要はありません。書き方がわからなければ、税務署で聞けば親切に教えてくれます。
  • 法人を設立すると、労働基準監督署(労災)や公共職業安定所(雇用保険)、社会保険事務所(年金・健康保険)にも登録することになっています。厚生労働省は未加入の事業者に対し、租税情報などを活用して厚生年金・協会けんぽへの加入を促すとしていますが、現実には、マイクロ法人を含む小規模企業の大半は国民年金国民健康保険を利用しています。

 

  • 経済が成長し、パイが大きくなっている時代には、制度に大きな歪みがあっても問題は起きませんでした。再分配が特定の人たちに偏ってもなお、国民全体が豊かさを実感できるだけの余裕があったからです。
  • ところが10年以上に及ぶ長い不況で、これまでの大盤振舞いのシステムは崩壊してしまいました。それでも多額の借金をしてなんとかここまで維持してきましたが、それももはや限界です。こうして、国家による再分配の柱である公共事業の大幅縮小が誰の目にも明らかになりました。今後は建設業を中心に、膨大な補助金でなんとか生きながらえている産業が次々と破綻していくでしょう。
  • しかしそれだからといって、国家が再分配をやめることはありません。そんなことになれば政府・公務員の存在価値がなくなるばかりか、国家そのものが不要になってしまいます。
  • 現実には、不況になれば、国家の役割は強化されます。 弱者保護のためにさらなる再分配が必要になるからです。

 

  • 自営業者が「法人成り」すると、税・社会保険料のコストを大きく節約することが可能になります。そればかりか、取締役1人の会社でも、立派な事業者として、公的金融機関から低利の事業資金を借りることができます。
  • 世の中には、年利0.4%の資金で事業を行なっている経営者がいます。その対極には、商工ローンから高利の資金を借りて返済に苦しんでいる人もいます。ここでもまた、同じことが問われています。あなたは、どちら側に立つのでしょうか?

ヒトはなぜ太るのか?

  • 健康の専門家たちは、この第1法則が「ヒトはなぜ太るのか」に関係していると考える。それは,ニューヨークタイムズが書いたように,彼らが彼ら自身に対して,そして私たちに対して「使う以上のエネルギーを摂取する人たちは、体重が増えるだろう」というからである。これは真実である。真実でなければならない。より太り,重くなるためには,私たちは過食しなければならない。使う以上のカロリーを摂取しなければならない。それは当然のことである。しかし、熱力学はこれがなぜ起きるのか,つまり私たちはなぜ消費するよりも多くカロリーを摂取するのかについて何も示さない。ここでは単に、もし私たちが余計にカロリーを摂取すれば体重は増え、体重が増えれば余計にカロリーを摂取したというだけのことである。
  • ここで「ヒトはなぜ太るのか」について話す代わりに、「部屋がなぜ混んでいるのか」という話題を扱っていると想像してほしい。ここまで私たちが論議してきたエネルギーは,脂肪組織だけではなく、人間のからだ全体に存在する。つまり10人の人間はそれ相当のエネルギーをもち, 11人はより多くもち……という具合である。そこで、私たちが知りたいのは,この部屋がなぜ混雑していて、エネルギー(つまり人々)であふれかえっているのかについてである。
  • もしあなたが私に「部屋がなぜ混んでいるのか」という質問をしたとして、私が「そうだねえ,それは部屋を出た人よりも入った人のほうが多いからだよ」と答えたとすれば、あなたはおそらく私が賢い男か,あるいは逆にばかであると思うだろう。「もちろん、出た人よりも入った人のほうが多かった」とあなたはいい、「それは明白だ。しかし、なぜか?」と聞くだろう。実際,出る人よりも入る人のほうが多いから部屋が混んでいるということは冗長,つまり同じことを2つの違ういい方で表すことであり、意味がないのである。
  • さて、肥満に関する社会通念の論理を借りて、この点を明らかにしたい。私が「あのね、出る人よりも入る人が多い部屋は、混んでいるだろう。熱力学の法則を避ける方法はない」といったとする。するとあなたは「それはそうだが,それがどうした?」と答えるか,私は少なくともあなたがそういうことを期待する。なぜなら、私はまだ原因についての情報を与えていないからである。私はわかり切ったことをくり返しているだけである。
  • 過食が私たちの肥満の原因であると結論づけるために熱力学を利用すると,このようなことが起きる。もし私たちがより太り,重くなっているのなら,熱力学では「からだから出て行く以上のエネルギーが入っている」という。過食は消費するエネルギーよりも摂取するエネルギーのほうが多いことを意味する。それは同じことを違う方法で述べているだけで、いずれも「私たちはなぜ消費する以上のエネルギーを摂取するのか?」「私たちはなぜ過食するのか?」「私たちはなぜ太るのか?」という疑問に対して答えていない。
  • ここでは「なぜか?」という疑問に答えることが,本当の原因を説明することになる。米国国立衛生研究所(NIH)は、インターネット上で「肥満は、人間が消費する以上のカロリーを食物から摂取すると起きる」といっている。NIHの専門家たちは実際のところ,「起きる」という言葉を使うことにより,過食が肥満の原因であるとはいわず,単に必要条件であるといっているのである。専門的にいうと彼らは正しいが,そのとき「わかったよだからどうした? 肥満が起きたとき、次に何が起きるかということは話してくれるけど,なぜ肥満が起きるかについては話してくれないんだね?」というかどうかは、私たち次第である。過食が原因で肥満になる、あるいは過食の結果で肥満になるという専門家たち (大部分だが)は,高校の理系クラスで落第点を取る(または、少なくとも取るべき)ようなレベルの間違いを犯している。彼らは,私たちがなぜ太るのかについて,まったく何も語らない自然の法則と,私たちが実際に太っている場合に起きるべき現象(過食)を取りあげ、語るべきすべて
    の内容を語っていると思い込んでいる。これは20世紀前半に共通した過ちであった。それ以来,それは普遍的なものになってしまった。だから私たちは答えを求めてどこか別の場所を探す必要がある。
  • そのためによい出発点となるのは1998年に出版されたNIHの報告書かもしれない。当時のNIHの専門家たちは,肥満を起こす可能性のある因子に対してもう少し積極的かつ科学的であった。彼らは「肥満は遺伝子型と環境との相互作用から発症する,複雑で多数の因子が関与する慢性疾患である」と説明した。また,「肥満がどのように,そしてなぜ起きるかについての私たちの理解は完全ではないが,社会的,行動的,文化的,生理学的,代謝的,遺伝的な因子が総合的にかかわっている」とも述べている。
  • したがって,これらの因子の総合的な関係のなかに見つかるべき答えがあるのかもしれない。生理学的,代謝的,遺伝的な因子から始め,それらの因子が環境的な引き金へと私たちを導く。私たちが確実に知っておくべきことは、熱力学の法則は常に正しいものではあるが,私たちがなぜ太るのか,あるいは太りつつあるときに、なぜ消費する以上のカロリーを摂取しているのかについては、何の説明もしてくれていないということである。

 

  • 要するに,私たちが摂取するエネルギーと消費するエネルギーは相互に依存している。数学者たちは,これらをここまで取り扱われてきたような独立変数ではなく従属変数であるというだろう。一方を変えると,他方がそれを補正して変わる。すべてではないにしても,毎日または毎週消費するエネルギーのかなりの割合がエネルギーの摂取量を決定し,その一方で摂取し,細胞に供給されるエネルギーが(後述するように重要な点である),エネルギーの消費量を決めることになる。この2つは密接につながっている。これと違うことを主張する人はみな、複雑な生命体をあたかも単純な器械装置のように扱っている。
  • 2007年,ハーバード大学の医学部学長であるジェフリー・フライアーと,彼の妻で肥満に関する共同研究者であるテリー・マラトス - フライアーは雑誌サイエンティフィック・アメリカン(Scientific American)に「脂肪に燃料を注ぐもの」という題名の論文を発表した。そのなかで、彼らは食欲とエネルギー消費の密接な関係を述べ、この2つは人間が意識的に変えることができるようなものではないこと,またこの2つの補正の結果が単に脂肪組織の増減を示すような単純な変数ではないことを明らかにした。
  • 食物を突然制限された動物は不活発になり、細胞のエネルギー利用を低下させることによってエネルギー消費量を減らす傾向があり,それによって体重の減少を抑えている。また空腹感が増し,その結果,食物の制限が解除されると,元の体重に戻るまで以前の基準量以上に食べてしまう。
  • フライアーは100年に及ぶ直感的にわかりきった食事に関する勧告(食べる量を減らしなさい)が,なぜ動物には効果がないかをわずか2つの文章で説明した。もし私たちが,動物の食餌量を制限すると(動物に少なく食べろと命令できないので、動物に対して選択の余地を与えないようにするしかない),動物は空腹になるだけでなく,実際にエネルギー消費量を減らす。そのため代謝は遅くなり,細胞が消費するエネルギーはより少なくなる(なぜなら、消費するためのエネルギーが少ないからである)。動物は、望むだけ食べられるようになると,すぐに体重を取り戻す。
  • 同じことがヒトにもいえる。動物の研究で見られた効果が,ヒトにおいても同様にくり返し示されてきたので、私はフライアー夫妻がなぜ「ヒト」ではなく「動物」といったのか理解できない。ありそうな答えはフライアー夫妻(あるいは学術誌の編集者)が,研究の意味するところをそこまであからさまにしたくなかったということである。つまり,主治医や公衆衛生の専門家たちが常に提唱する食事に関する勧告が間違っているということ,つまり「もっと食べる量を減らし、もっと多く運動をすることが肥満や過体重の有望な治療法ではなく,そのように考えるべきではない」ということである。それには短期的な効果はあるかもしれないが、数か月あるいは1年以上続くものではない。最終的には私たちのからだが埋め合わせをすることになるのだ。

 

志望調節機構にゅうもん

  • 今や袖をまくって、仕事にとりかかるときである。私たちが知る必要のあるのは、脂肪組織内の脂肪の量を調節する生物学的因子が何なのかである。特にこの因子が食事によってどのような影響を受けるのかが重要で、それを知ることによって,私たちが何を間違えているのか,それをどう変えるべきかがわかる。いい方を換えれば,何が体質を決定するのか(なぜ肥満になるのか,やせたままでいるのか)そして,この傾向に影響を及ぼしたり,それを改善するために養育,食事,生活習慣のどの要素を変えることができるのかを知る必要がある。
  • ここでは基礎生物学および内分泌学に関することを説明する予定であり,当然のことながら,これらはすぐに読み進めるのは難しいかもしれない。ただ、注意して読み進めば、ヒトがなぜ太り,改善するために何をしなければならないのかについての知識をすべて得ることができると約束する。
  • 私がこれから話す科学は1920年代から1980年代の研究者たちによって解明されたものである。それはどの地点においても,特に議論を巻き起こすものではなかった。研究を行った人たちはそのしくみに賛成し,彼らは今も同じ立場である。しかし,問題は,前述してきたように肥満の「権威たち」が心理学者や精神医学者でない人たちさえも巻き込んで,過食と座りっぱなしの行動が肥満の原因と盲信してしまったことである。その結果,脂肪組織がどのように調節されているかという科学も含め、肥満に関するすべてがどうでもいいものになってしまったのだ。しかし,「権威たち」は脂肪組織の調節が意味することを嫌ったため(この点については後述する)、それを完全に無視したか,かたくなに拒絶した。この現実を直視しない彼らの態度がどうであろうと,私たちの脂肪組織の調節は重要である。私たちが太るかやせたままでいるかは,脂肪組織の調節にかかっているのである。

基礎(なぜ太る人がいるのか)

  • 【簡単な質問】そもそも私たちはなぜ脂肪が蓄積するのか? その理由は何か? そう,脂肪の一部は保温のための断熱材の役割を担っているし、その内側にある弱い組織を守る緩衝材の役目も果たす。しかし,その他についてはどうだろうか?たとえばウエスト回りの脂肪はどうか?
  • 専門家たちの典型的な見方は,脂肪の蓄積が一種の長期的な定期預金のように働く(退職金の口座のように,差し迫った必要のあるときにのみ手をつけることができる)というものである。この考え方は、からだが過剰なカロリーを摂取して、それを脂肪として溜め込んでおく。そして、十分な食糧を得ることができずに(ダイエットをしたり,運動をしたり,離れ小島で座礁したりしてその脂肪が動員される日が来るまで脂肪組織に留めているというものである。こうした状況に陥ったら、溜め込んだ脂肪を燃料として使う。
  • しかし,この概念が間違っているのは1930年代から知られていた。肪はたまたま連続的に脂肪細胞から流出し,燃料として利用されるためにからだを巡り、もし燃料として利用されない場合には脂肪細胞に戻される。これは、私たちが直近に何か食べたかや運動をしたかに関係なく続く。1948年にこの科学が詳細に解明された後、ドイツ人の生化学者でイスラエルに移住し、脂肪代謝の分野の父と考えられたエルンスト・ウェルトハイマー(Ernst Wertheimer)は「脂肪の動員と蓄積は,その動物の栄養状態に関係なく連続的に行われる」と説明した。
  • 脂肪細胞の脂肪は,細胞がエネルギーとして使用する燃料のかなりの部分をどんなときにも供給するだろう。栄養学者たちが,どういうわけか、からだにとって炭水化物が望ましい燃料であると考えたい(私たちにいいたい)理由は,(これは単純に間違っているのだが)細胞が脂肪を燃やす前に炭水化物を燃やすということである。これは食後の血糖値の上昇を抑えるために行われる。そして多くの人たちと同じように,あなたが炭水化物を多く含む食事を摂れば,そこには細胞が脂肪に手をつける前に燃やす炭水化物がたくさん存在することになる。
  • ここで炭水化物と脂肪の両方を含む食事(たいていの食事がそうである)を食べていると想像してほしい。脂肪が消化されると,それは貯蔵のために脂肪細胞へ直接送られる。もっとすばやい反応が求められる炭水化物にからだが対応しているあいだ、脂肪は一時的に隅に置かれていると考えてほしい。これらの炭水化物が消化されると,これは血液中にブドウ糖のかたちで現れ、これが「血糖」における「糖」である(「果糖」と呼ばれる炭水化物は特殊な例で後述する)。からだの細胞は燃料としてブドウ糖を燃やし、さらに予備の燃料の補充に使用するが,細胞は何かの助けがなければ血糖の上昇についていくことができない。
  • ここでホルモンであるインスリンが登場する。インスリンはからだのなかでさまざまな役割を果たすが,重要な役割の1つは血糖を調節することである。あなたは、まだ食事前だというのに(膵臓から)インスリンを分泌し始めるだろう――実際,インスリンの分泌は食べることを考えるだけで刺激されるのだ。これはパブロフ反射(条件反射)で無意識に起きる。このインスリンの分泌は,これから食べようとしている食事に対してからだの準備をしているのである。あなたが最初の一口を食べると,インスリンがもっと分泌されるだろう。そして食事から得られたブドウ糖が血液中にあふれると,さらに多くのインスリンが分泌される。
  • 続いてインスリンは、ブドウ糖を血液から細胞内に取り込むスピードを速めるように、からだの細胞に対して信号を送る。前述のように、細胞はこのブドウ糖の一部分を燃料としてただちに燃やし,それ以外は後で使用するために貯蔵する。筋肉細胞はブドウ糖を「グリコーゲン」という分子として貯蔵する。肝細胞は一部をグリコーゲンとして貯蔵し,一部を脂肪に変える。そして脂肪細胞は脂肪として貯蔵する。
  • 血糖(ブドウ糖)が下がり始め、それに伴いインスリン濃度も下がると、不足を補うために、食事中に貯蔵された脂肪が脂肪組織からどんどん遊離されるだろう(少なくとも遊離されるべきである)。これらの脂肪はもともと炭水化物であったものや、もともと食事に含まれていた脂肪だったものであるが,いったん脂肪細胞に貯蔵されると区別がつかなくなる。食事から時間が経過すればするほどより多くの脂肪を燃やしブドウ糖の使用はわずかとなる。夜中に数時間ごとに起きて冷蔵庫をあさることなく眠れる理由(少なくとも眠ることができるべき理由)は,脂肪組織から流れ出す脂肪が朝まで細胞にうまく燃料を送っているからである。
  • したがって、脂肪組織は預金口座や退職金口座というよりも、財布と考えるほうが適切である。脂肪をいつもそのなかに入れ,いつもそれから取り出す。食事中と食後にわずかに太り(脂肪が脂肪細胞から出るよりも多く入る),食事が消化されたらわずかにやせる(逆のことが起きる)。そして睡眠中にさらにやせる。あなたがまったく太らない理想的な世界においては、日中の食事により脂肪として蓄積されるカロリーは,食事が消化された後と夜間に脂肪として燃やされるカロリーと釣り合いがとれているのだ。
  • これに関する別の考え方は、脂肪細胞がエネルギーの緩衝材として働くというものである。脂肪細胞は,食事から摂取してもすぐに使わないカロリーを入れる場所を提供し,必要に応じてカロリーを血液中へと戻すーちょうど財布がATMから引き出したお金を入れる場所を提供し,1日を通して必要に応じて取り出すようなものである。予備の脂肪が一定の最低量に達するときにだけ再び空腹を感じ始め、食欲を感じる(ちょうど,財布に入れておきたい最低限の額があり,そこまでお金が減るとATMまで行って補充するようなものである)。脂肪代謝の分野の卓越した科学者としてエルンスト・ウェルトハイマーを手本にしたスイス人の生理学者アルベール・ルノルド (Albert Renold)は、1960年代初期に,私たちの脂肪組織は「エネルギー貯蔵と移行の積極的な調節機構の主要部分であり,いかなる生物の生存にも重要な調節機構の1つである」と説明した。
  • しかし、細胞がどの脂肪を出し入れし、どの脂肪を閉じ込めておくのかをどのように決めているのかは、脂肪が脂肪組織を1日中出入りしているため明らかにならない。この決定は脂肪の形態をもとに,非常に簡単に行われる。からだのなかの脂肪は異なる目的をもつ2つの異なる形態で存在する。まず,細胞の出入りを行う脂肪は「脂肪酸」と呼ばれる分子のかたちをとる。これはからだで燃料として燃やされる形態である。一方,脂肪の貯蔵は「トリグリセリド(中性脂肪)」と呼ばれる分子のかたちで行われる。これは3つ(トリ)の脂肪酸が1分子のグリセリン(グリセリド)によって,結合されたものである。
  • この役割分担の理由も驚くほど単純である。中性脂肪は脂肪細胞を取り巻く細胞膜をすり抜けるのには分子が大きすぎるのに対して、脂肪酸は細胞膜をすり抜けるほど小さいため、比較的簡単に出入りすることができる。脂肪酸は1日中滞ることなく流れて脂肪細胞を出入りしながら,必要なときにはいつでも燃料として燃やされる。中性脂肪は将来使用されるために脂肪細胞に溜め込まれ、いわば脂肪細胞で脂肪が固定されたかたちをとる。中性脂肪は脂肪細胞のなかで構成要素である脂肪酸からつくられている(専門用語でエステル化という)
  • 1分子の脂肪酸が脂肪細胞へと流れ込む(あるいは脂肪細胞でブドウ糖からつくられる)と,グリセリン1分子に他の脂肪酸2分子とともに結合し,その結果,大きな分子のトリグリセリド(中性脂肪)となり,脂肪細胞の外へ出られなくなる。これら3分子の脂肪酸中性脂肪が分解されるかバラバラになるまで脂肪細胞に閉じ込められ,そして、再び細胞を出て血液循環に戻ることができる。家具を買った後に初めて、大きすぎて部屋に入らないことに気づいた経験のある人なら,お決まりの手順を知っているだろう。(可能ならば) 家具を分解し1つずつドアのむこうに運び、むこう側で家具を組み立てる。そして、引越しでその家具を新居にもって行きたい場合は,同じことを逆にくり返す。
  • 結果として、脂肪酸中性脂肪へと変える脂肪細胞への脂肪酸流入を促進するものは,すべて脂肪を蓄積させるように働き、つまりそれはあなたを肥満にするのである
  • これらの中性脂肪をその構成分子である脂肪酸に分解して脂肪細胞をすり抜けられるようにするものはすべて,あなたをやせさせる。前述のように,それはきわめて簡単である。エドウイン・アストウッドが半世紀前に示唆したように,これらの過程に関与する数十ものホルモンや酵素がある。それらが阻害されることで大量の脂肪が脂肪細胞にに入りすぎ,十分な量が出ていかなくなることは容易に想像できるだろう。
  • しかし,この働きにおいては1つのホルモンが最も重要であり,それはインスリンである。アストウッドは約50年前にこれを指摘し,それに対して異論が出たことはなかった。前述のように,インスリンはおもに食事中の炭水化物に反応して分泌され,この本来の目的は血糖の調節である。しかし,インスリンは同時に脂肪と蛋白質の貯蔵と利用を調節する役割も果たす。たとえば、筋肉の増強と修復に必要な蛋白質が筋肉細胞に十分にあることを確かめ、食間に効果的に働くのに十分な燃料(グリコーゲン,脂肪,蛋白質も)があることを確かめる。そして、燃料の貯蔵庫の1つは脂肪組織であることから、インスリンは「主要な脂肪代謝の調節器」であるといえ,これは1965年にサロモン・バーソン(Salomon Berson)とロザリン・ヤロウ (Rosalyn Yalow)により説明された。この2人の科学者たちは、血中のホルモン量を測定するために必要な技術を開発し、多くの関連する研究を行った(この研究により、ヤロウは後にノーベル賞を受賞した。バーソンがこの受賞以前に死去していなければ、当然この賞を分けあっていただろう)。
  • インスリンはこの仕事をおもに2つの酵素を介して行う。1つ目はLPL(リポ蛋白リパーゼ)で,これはラットの卵巣を除去するとどのように肥満になるかについて説明したときに出てきた酵素である。LPLはさまざまな細胞の細胞膜上に突き出しており、血液から細胞内へと脂肪を取り込む働きをもつ。筋肉細胞の表面にあるLPLは脂肪を燃料として使用するために脂肪を筋肉へと取り込む。LPLが脂肪細胞の表面にある場合には脂肪細胞をさらに太らせる (LPLは血液中の中性脂肪をその構成分子である脂肪酸に分解するため、その脂肪酸が細胞中へと流入する)。前述のよう
    に女性の性ホルモンであるエストロゲンには脂肪細胞上のLPLを阻害することで脂肪の蓄積を減らす働きがある。
  • これまでに述べた,どの部分がいつ太るのかに関しての疑問の多くは、LPLが単純な答えとなる。男と女が違う太り方をするのはなぜか?LPLの分布が異なるため,LPLに及ぼす性ホルモンの影響も異なるのである。
  • LPLの活性は男性では腹部の脂肪組織において高く,したがってそこが脂肪の溜まりやすい場所となる。一方で、ウエストから下の脂肪組織のLPL活性は低い。男性が歳を取るとともにウエストより上の部分が太る理由の1つは男性ホルモンであるテストステロンの分泌が減るためで、テストステロンは腹部の脂肪細胞のLPL活性を抑制する働きがある。テストステロンが少なくなるということは、腹部の脂肪細胞のLPL活性が上昇することを意味し,その結果,脂肪が増えるのである。
  • 女性ではウエストから下の部分の脂肪細胞においてLPL活性が高く,そのため腰まわりや臀部が太りやすい。一方で,腹部の脂肪細胞におけるLPL活性は低い。閉経を迎えると、女性の腹部脂肪細胞のLPL活性は男性と同様になるため,女性は腹部にも過剰な脂肪をつける傾向がある。また,女性が妊娠すると臀部と腰においてLPL活性が上昇する。この部分は、彼女たちが後に乳児を育てるために必要なカロリーを溜めている場所である。脂肪をウエストよりも下に,そして背中側につけると,からだの前方にある子宮で育つ子どもの体重とバランスがとれる。出産後にはウエストより下の部分のLPL活性は下がり,溜めていた脂肪のほとんどを失うが,胸部の乳腺のLPL活性は上昇するため乳児に与える母乳をつくる脂肪をここに溜め込むことになる。
  • LPLは,私たちが運動をするときになぜ脂肪を失わないのかという疑問に対する非常によい答えでもある。私たちが運動をしている間,LPL活性は脂肪で低下し,筋肉細胞で上昇する。これは脂肪組織からの脂肪の放出を促進するため燃料を必要とする筋肉細胞で燃やすことができる。その結果,私たちは少しやせるので,ここまではよい。しかし私たちが運動を終えると、この状況は逆転する。筋肉細胞のLPL活性は失われ、脂肪細胞のLPL活性が急上昇して、脂肪細胞は運動の間に失われた脂肪を補充する。このようにして私たちは再び太るのである(このことは運動が私たちを空腹にするのはなぜかという理由でもある。運動後に筋肉はその補充と修復のために蛋白質を必要とするのに加え,積極的に脂肪の補充も行う。からだの他の部分はこのエネルギー流出を補おうとするため、その結果として食欲が増すのである)。
  • インスリンは脂肪代謝の主要な調節器であるから,それがLPL活性の主要な調節器でもあることは意外なことでない。インスリンは脂肪細胞,特に腹部の脂肪細胞のLPLを活性化する。研究者たちがいうように,インスリンはLPLを「上方調節」する。インスリンを分泌すればするほど,脂肪細胞のLPLはより活発になり、より多くの脂肪が血液中から脂肪細一胞へと貯蔵のために流入する。インスリンは筋肉細胞のLPL活性を抑制するため,筋肉での脂肪酸の使用を減少させる(また,インスリンは筋肉細胞やその他の細胞に脂肪酸を燃やさず,その代わりに血糖を燃やし続けるように指示する)。もし脂肪酸が脂肪細胞から抜け出すときにインスリン値が高ければ,これらの脂肪酸は筋肉細胞には取り込まれず,燃料として使用されないことを意味し,それらは最終的に脂肪組織に戻されるのである。
  • また,インスリンはまだ説明していなかったある1つの酵素——ホルモン感受性リパーゼ (HSL)に影響を与える。これはインスリンが貯蔵する脂肪の量をどのように調節するかにおいてきわめて重要なものである。ちょうどLPLが脂肪細胞を(そして私たちを) 太らせるよう働くように、HSLは脂肪細胞を(そして私たちを)やせさせるように働く。HSLは,脂肪細胞で中性脂肪をそれらの構成分子である脂肪酸に分解し,脂肪酸が血液循環へと流れ出ることができるようにする作用をもち,このことにより脂肪細胞内の脂肪が減少するのである。HSL活性が高いほど脂肪細胞からより多くの脂肪が放出され,それを燃料として燃やすことができるため貯蔵する脂肪量は明らかに減る。インスリンはHSLの働きを抑制して脂肪細胞内での中性脂肪の分解を防ぎ,脂肪細胞からの脂肪酸の流出を最小限にとどめる。インスリンはごくわずかな量で,HSLを抑制し,脂肪細胞に脂肪を閉じ込める偉業を達成する。したがって、インスリン値がたとえわずかでも上昇すると脂肪細胞に脂肪が蓄積してしまう。
  • インスリンはまた(ちょうど筋肉細胞で行うように)脂肪細胞にブドウ糖を送り込み,代謝を上げる。その結果,脂肪細胞内のグリセリン分子(ブドウ糖代謝の副産物)の量が増えるのだが,これらのグリセリン分子は脂肪酸と結合すると中性脂肪になり,さらに多くの脂肪が貯蔵される。さらにインスリンは、脂肪細胞が脂肪で満杯になってしまう場合に備え,新たな脂肪を貯蔵する場所を確保するために新しい脂肪細胞をつくるように働く。そしてインスリンは肝細胞に対して、脂肪酸を燃やさずに中性脂肪につくり直し,脂肪組織に送り返すように信号を送る。肝臓と脂肪組織において、インスリンは炭水化物を直接脂肪酸に変換するよう誘発することさえあるが,(研究室のラットに比べて)ヒトにおいてこれがどの程度行われているかについてはまだ議論の余地がある。
  • 要するに,インスリンが行うことはすべて,私たちが貯蔵する脂肪を増やし,私たちが燃やす脂肪を減らすように作用し,私たちを太らせるのである。

 

  • 血中インスリン濃度は,おもに摂取された炭水化物(その量と質)によって決まるため、最終的にどの程度の脂肪を蓄積するかを決めるのは、これらの炭水化物である。ここに一連の流れを示す。
  1.  炭水化物を含む食事を食べる
  2. インスリンを分泌し始める
  3. インスリンは (HSLを抑制することにより)脂肪酸の放出を止め,血液中から (LPLを介して)もっと多くの脂肪酸を取り込むように脂肪細胞に信号を送る
  4. 空腹になる,またはもっと空腹になる
  5. 食べ始める
  6. もっとインスリンを分泌する
  7. 炭水化物が消化され、ブドウ糖として血液中に入り,血糖値が上がる
  8. さらにインスリンを分泌する
  9. 食事に含まれる脂肪は中性脂肪として脂肪細胞に貯蔵される。また肝臓で脂肪に変換された一部の炭水化物も同様である
  10. 脂肪細胞は太り,あなたも太る
  11. インスリン濃度が低下するまで、脂肪は脂肪細胞にとどまる
  • あなたは、他のホルモンも私たちを太らせるのではないかと考えるかもしれないが, 1つの例外を除いて,その答えは事実上「ノー」である。ホルモンの役割についての1つの考え方は、ホルモンがからだに対して何かを行うように指示を出すもの「成長し,発達する(成長ホルモン),生殖する(性ホルモン),逃避する,または闘う(アドレナリン)]である。また、ホルモンはこれらのさまざまな活動に必要な燃料を供給する。とりわけ,脂肪組織に対して脂肪酸を動員し燃料として使用できるように信号を送る。
  • たとえば、私たちは危険を感じるとアドレナリンを分泌する。それにより必要に応じて逃げるか,闘う準備をする。しかし、襲いかかってくるライオンから逃げなければならないときに,ライオンよりも速く,遠くへ走るための燃料をただちに利用できなければライオンに捕まってしまうだろう。だから、あなたはライオンを見たらアドレナリンを分泌し、アドレナリンは脂肪組織に脂肪酸を血液中に放出するように信号を送る。理論的には、これらの脂肪酸は逃げるために必要なすべての燃料となるだろう。この意味では、インスリン以外のすべてのホルモンは脂肪組織から脂肪を解放するように働く。したがってこれらのホルモンによって少なくとも一時的にはやせる。
  • しかし,血液中のインスリン濃度が上昇しているときに,他のホルモンが脂肪組織から脂肪を取り出すことは,はるかに難しい。インスリンはその他のホルモンの効果に勝るからである。それはすべて非常に合理的である。大量のインスリンがあちこちにある場合,それは燃やすべき大量の炭水化物もあちこちにある(血糖値が高い)ことを意味するはずで、その場合。脂肪酸に邪魔される必要はないし、邪魔をしてほしくない。その結果,これらインスリン以外のホルモンは、インスリン濃度が低い場合にのみ脂肪組織から脂肪を放出する(これらのホルモンはHSLを刺激することにより中性脂肪を分解するが,HSLはインスリンに対する感受性が非常に高い
    ため,その他のホルモンはインスリンの作用を上回ることができない)。
  • 例外はコルチゾールである。これは、私たちがストレスや不安を感じているときに分泌されるホルモンである。実は、コルチゾールは脂肪組織に脂肪を蓄積させる作用および脂肪組織から脂肪を取り出す作用をもつ。それはインスリンと同様にLPLを刺激し、次章で述べる「インスリン抵抗性」という状態を引き起こしたり、悪化させたりすることにより脂肪を蓄積させる。インスリンに耐性をもつようになると,からだはもっとインスリンを分泌し、もっと脂肪を溜めるようになる。
  • このように、コルチゾールはLPLを介して直接的あるいはインスリンを介して間接的に脂肪を蓄積するように作用する。一方で他のホルモンと同様に,おもにHSLを刺激することで、脂肪を脂肪細胞から放出するようにも作用する。したがって、インスリン濃度が高いときコルチゾールはより太らせる方向へ,インスリン濃度が低いときには,その他のすべてのホルモンと同じようにやせさせる方向へと働くのである。ストレスや不安を感じているときやうつ状態のときにたくさん食べて太る人たちがいることやその逆になる人たちがいることは、これによって説明がつくかもしれない。
  • 結論は40年以上知られてきたが,ほとんど無視されてきた。私たちがもっとやせたい(脂肪組織から脂肪を取り出して燃やしたい)と思ったときに絶対にしなければならないことは,インスリン濃度を下げることとインスリン分泌量を減らすことである。ヤロウとバーソンは1965年に,脂肪を脂肪組織から解放し、それをエネルギーとして燃やすことには「インスリン不足の負の刺激のみが必要である」と書いた。もしインスリン濃度を十分に下げることができれば(インスリン不足の負の刺激),脂肪を燃やすことができる。もし下げることができなければ、脂肪は燃やされないであろう。インスリンが分泌されているときや血液中のインスリン濃度が異常に上昇しているときには、脂肪は脂肪組織に蓄積するだろう。このことは科学が私たちに示している。

その関連

  • 脂肪の貯蔵と燃焼の24時間の循環については前述したが,私たちは食事を消化しているときに脂肪を獲得し(炭水化物がインスリンに与える影響のため)、次の食事までの数時間や夜間眠っている間にそれを失う。理論上、蓄積の段階で得られた脂肪は、燃焼の段階で減らす脂肪とつり合いがとれる。私たちが日中に溜める脂肪は夜間に燃やされるが、この循環を制御しているのはインスリンである。前述の通り、インスリン濃度が上昇すると脂肪は蓄積される。インスリン濃度が下がると,脂肪は燃料として動員され、使用される。これは通常必要とされる以上のインスリンを分泌させるものや,高いインスリン濃度を必要以上に長く保つものは、すべて脂肪を蓄積する時間を延ばし、燃焼する時間を短くする。その結果起きる不均衡(脂肪がより多く蓄えられ、より燃やされる量が減る)が1日20カロリーというごくわずかの差になる可能性もあり,このことは私たちを20年以内に肥満へと導
    く可能性がある。
  • 脂肪を燃やす時間よりも脂肪を貯蔵する時間を延ばすことにより,インスリンは間接的に別の影響をもたらす。食後数時間は血糖値が食事をする前の値へと低下するとともに,からだは燃料として脂肪酸を使用することを思い出してほしい。しかし、インスリンは脂肪細胞からの脂肪酸の流出を抑制するため、他の細胞に対しては炭水化物を燃やすように指示する。したがって血糖が正常値に戻るにつれて、からだは代わりの燃料の供給を必要とするようになる。
  • インスリン濃度が上昇したままでは脂肪を利用できない。通常ならば、細胞は必要に応じて蛋白質を燃料として使用できるが,インスリン濃度が高い状態ではそれも利用できない。なぜならインスリンには蛋白質を筋肉にしまっておく作用もあるためである。さらに,肝臓と筋肉組織に貯蔵した炭水化物も使うことができない。なぜならインスリンはそれらの供給にも鍵をかける作用があるからである。
  • その結果,細胞は燃料不足に陥ったことに気付き,そして私たちは文字通り細胞の空腹を感じる。そして,私たちは通常よりも早めに食べたり,いつもよりも多く食べたりする。前述した通り、私たちを肥満にするものは何でも,その過程で私たちを過食にさせるが,これはインスリンによって引き起こされる。
  • このようにインスリンが作用する間は脂肪が増えていくため,からだはどんどんと大きくなり,その結果,燃料の要求も増えていく。また,太るにしたがって脂肪を支えるために筋肉も増える(インスリンのおかげもあって、摂取された蛋白質は、それが何であれ筋肉細胞や臓器の修復、必要であれば筋肉を増やすため使われることなる)。つまり、私たちが太るとエネルギー要求が増え,そのために食欲(特にインスリン濃度が高い場合,炭水化物は細胞が燃料として燃やす唯一の栄養分になるため,炭水化物に対する食欲)も同様に増加する。これは悪循環であり、まさに避けたいものである。太りやすい傾向にあるとき,私たちは肥満の原因となる炭水化物の多い食物を切望するようになるだろう。

 

なぜ私が太り,あなたは太らないのか(逆もしかり)

  • インスリンが人々を太らせるのであれば,それはなぜ一部の人だけを太らせるのだろうか? 私たちは皆インスリンを分泌するが,多くの人はやせているし、彼らは一生やせたままだろう。これは性質(nature, 遺伝的素質)の問題で,この性質の引き金を引くのは養育(nurture) や食事あるいは生活様式といったものではない。
  • その答えはホルモンが孤立している状態で働かないという事実にあり、インスリンも例外ではない。特定の組織または細胞に対するホルモンの影響は,細胞内および細胞外の多数の因子(たとえばLPLやHSLなどの酵素)に依存している。これにより,ホルモンの効果は細胞から細胞,組織から組織,そして発達や人生の各段階においてさえも異なるようになる。この状況におけるインスリンに対する1つの考え方は、インスリンがからだのなかでどのように燃料を分配するかを決めるホルモンであると見なすことである。食後,インスリンとそれが影響を与える各種の酵素(たとえばLPL)は,異なる栄養分がどのくらいの割合で、どの組織に送られるか,どの程度燃やされるか,どの程度貯蔵されるか,そしてこれが必要性と時間によりどのように変わるかを決定する。私は燃料がエネルギーとして利用されるか、貯蔵されるかに関心があるので、インスリンとこれらの酵素が,燃料分配計の上でどちらに針を向けるか決めると想像してほしい。それは車の燃料計のようでもあり,右側の「F」が「full」(満タン)ではなく「fat」(脂肪)を表し、左側の「E」が「empty」(空)ではなくて「energy」(エネルギー)を表すと想像してほしい。
  • 針が右側(「F」の方向)を指すと,それはインスリンが摂取されたカロリーのうちわずかな分しか筋肉で利用しない代わりに,脂肪の蓄積にまわしていることを意味する。この場合,あなたは太る傾向にある。つまり,身体活動に使えるエネルギーが減るため,座りがちな生活になるかもしれない。針がさらに「F」の方向を指すようになるほど,カロリーがもっと蓄積され,さらに肥満が助長される。もちろん,座りがちな生活を避けるためには、脂肪の蓄積により失われたカロリーを補うためにもっと食べなければならない。燃料分配計の最右端の世界に住んでいるのは病的に肥満の人たちである。
  • 針が反対方向(「E」の方向)を指すことは、摂取されたカロリーの不相応な量を燃料として使用していることを意味する。身体活動のためのエネルギーがたくさんあり,脂肪としてはほとんど蓄積されない。このような人はやせていて、活動的で、適度に食べるだろう。さらにEの方向へ傾くと、より多くの身体活動のためのエネルギーが存在し,脂肪の蓄積はもっと減り、よりやせるだろう。やつれて見えるマラソンランナーたちはこの辺りで見かけられる。彼らのからだはカロリーを燃やし(カロリーを溜めない)、そして彼らには燃やすカロリーがたくさんある。第二次世界大戦前の代謝に関する研究者たちが「身体的に活動的であろうとする非常に強力な衝動」と呼んでいたであろうものを、マラソンランナーたちはもっている。では、針が指す方向を決めているものは何であろうか? その答えはインスリンの分泌量といった、ごく単純なものではないだろうが,おそらくその一部には関与しているだろう。同量の炭水化物を含む同じ食事を与えられても,他の人たちよりもインスリンを多く分泌する人たちは脂肪を溜め,身体活動に使うエネルギーはあまり存在しない可能性が高い。彼らのからだは血糖値を制御するために働く。これは高血糖はからだに毒であるためで,必要とあれば脂肪細胞に脂肪を無理して詰め込むこともいとわない。
  • もう1つの重要な因子は細胞がインスリンに対してどの程度の感度を示し,そして分泌されるインスリンに対して細胞がどれくらいで反応しなくなるか(「インスリン抵抗性」と呼ばれる特性)ということである。インスリンに対して抵抗性があるという考え方は,私たちが太る理由と肥満に関連する多くの病気について理解するためには非常に重要である。この問題にはたびたび立ち戻るつもりである。インスリンを分泌すればするほど,細胞と組織はインスリンに対する抵抗性が強くなる可能性がある。それは同じ量のブドウ糖の負荷があっても,血糖値を正常に保つためにより多くのインスリンが必要になることを意味する。これに関する1つの考え方は,細胞がすでに存在する以上のブドウ糖を必要としないと判断し(過剰なブドウ糖は細胞にとって毒である), インスリンによって血液中から細胞内にブドウ糖を取り込ませる働きを抑えるのである。
  • 問題(見方によっては解決法)は、膵臓がより多くのインスリンを分泌して,これに対応することである。その結果は悪循環である。たとえば、簡単に消化される炭水化物に反応して大量のインスリンが分泌されると,少なくとも短期的に,細胞(特に筋肉細胞)はインスリンの効果に対して抵抗する可能性が高い。なぜなら,筋肉細胞にはすでに十分なブドウ糖があるからである。もし、細胞がインスリンに対する抵抗性をもつと、血糖値を正常に保つためにはより多くのインスリンが必要になり、その結果、さらに多くのインスリンが分泌され、インスリンに対する抵抗性をもっと高める。そして、脂肪細胞がインスリンに対する抵抗性をもたない限り,インスリンは脂肪組織を太らせる(カロリーを脂肪として貯蔵する)ように作用する。これは、より多くのインスリンを分泌することが燃料分配計の針を貯蔵(F)の方向へと動かすことを意味する。しかし,健康的な量のインスリンが分泌されているにもかかわらず,筋肉細胞が比較的すぐにインスリンに抵抗性を示すようになる場合にも,同じことが起こるだろう。このインスリン抵抗性に反応してもっと多くのインスリンが分泌され、さらに太ることになるのだ。
  • 3番目の因子は,脂肪細胞,筋肉細胞,肝細胞がインスリンに対して違う反応を示すことである。それぞれの細胞が,インスリンに対する抵抗性を同時的に同程度に,あるいは同じように示すことはない。程度の差はあるが,インスリンに対して他の細胞よりも感受性の高い細胞があり,これは同じ量のインスリンであっても、組織によってその影響の度合いが異なることを意味する。また,これらの組織がインスリンに対してどのように反応するかは、個人により異なるし、たとえ同一人物でも時間の経過とともに異なることだろう。
  • ある組織のインスリンに対する感受性が高ければ、インスリンが分泌されたとき、その組織はより多くのブドウ糖を取り込むだろう。それが筋肉の場合,より多くのブドウ糖がグリコーゲンとして貯蔵され,多くが燃料として燃やされることだろう。一方で、脂肪組織の場合にはより多くの脂肪が貯蔵され、燃料の放出はより少なくなる。もし,筋肉細胞がインスリンに対して非常に高い感受性を示し,脂肪細胞は低い場合,燃料分配計の針は燃料を燃焼させる方向を指すだろう。筋肉は摂取された炭水化物からより多くの割合のブドウ糖を取り込み、それをエネルギーとして使う。その結果、あなたはやせて、身体的により活発になるだろう。もし筋肉のインスリン感受性が脂肪細胞に比べて相対的に低い場合,脂肪組織は摂取さ
    れたカロリーをより多くの割合で蓄積するだろう。その結果,あなたは太り、座りがちになる。
  • ここで事態は複雑になる。インスリンの変化に対し,組織がどのように反応するかは時間とともに変わる(後述するように、食事によっても変わる)。年をとるとともにインスリン抵抗性は高くなるが,これはまず筋肉組織に起こり,その後,脂肪組織に見られるようになる。一般的なルールとして、インスリン感受性は、脂肪細胞では筋肉細胞よりも常に高い状態が続く。そのため、たとえ若いときにはやせていて、活動的で,燃料分配計の針が燃料燃焼の方向を指していても、年をとるに従って,筋肉細胞はインスリン抵抗性を示す可能性が高い。それに伴い,からだはもっと多くのインスリンを分泌して対応するだろう。
  • このことは、年をとるにつれて燃料分配計の針が右に動く(もっともっとカロリーが脂肪へと向けられ,からだの残りの部分への燃料はどんどん減る)ことを意味する。中年になるとやせたままでいることが、いよいよ難しくなってくることに気付くだろう。また、このインスリン抵抗性とそれに関連して起こる高インスリン血症に伴う他の代謝障害,つまり血圧の上昇,中性脂肪の増加,HDL(通称,善玉コレステロール)の低下,血糖の調節が困難な耐糖能異常などを示すようになる。そして、エネルギーの脂肪組織への流入の副作用として、あなたはますます動かなくなるだろう。
  • つまり、世間一般の見解である「中年になると肥満になるのは,私たちの代謝が低くなるからである」という説は、おそらくその原因と結果が逆になっている。筋肉がインスリン抵抗性をだんだんと強め、これが摂取されたエネルギーを脂肪へとより多く分配し、筋肉や臓器の細胞が燃料として使用するエネルギーが減るという可能性が高い。私たちが「代謝が落ちる」というのは,これらの細胞で使用されるエネルギーが減少することを意味しているのだ。私たちの「代謝率」は低下する。もう一度くり返すが,太る原因のように見えるもの(代謝の低下)は、実は結果である。代謝が低下するから太るわけではない。太るから代謝が低下するのである。
  • この問題の食物 (nurture)に関する側面,つまり事態を悪化させる食物,そして、なくても生きていける食物について話す前に、取りあげるべき性質(nature)に関する問題がもう1つある。それは、わずか20~30年前と比べて,今日,子どもたちが太っているのはなぜか? また, 子どもたちが太って生まれてきているようなのはなぜか? これは,世界各国の研究で、最近明らかになった肥満の流行の1つの側面である。今日,かつてないほど多くの子どもたちが肥満であるのみならず、大部分の研究において子どもたちは生後6か月の時点で、以前に比べて著しく太っていると報告されており,この現象は子どもたちの行動とは明らかに何の関係もない。太っている子どもたちは肥満の両親から生まれる傾向があるが,その理由の一部は、インスリン分泌やインスリンに反応するさまざまな酵素,さらにどのようにして、いつインスリンに抵抗性を示すようになるかを,遺伝子が制御しているためである。しかし心配の種となるもう1つの因子もある。子宮内の胎児は栄養分を母親の血液中の栄養分の量に比例して(胎盤と臍帯を通して)受け取る。これは母親の血糖値が高いほど,子宮内で胎児が受け取るブドウ糖の量が多いことを意味する。
  • 胎児は、膵臓を発育させインスリン分泌細胞を増やすことにより,より多くのブドウ糖に対応するようになるらしい。したがって、妊娠中の母親の血糖値が高いほど,胎児ではより多くのインスリン分泌細胞が発達し,出産が近づくにつれてもっと多くのインスリンを分泌するだろう。近年,新生児はより多くの脂肪をつけて生まれ、インスリンを過剰に分泌する傾向があり,成長するにつれてインスリン抵抗性になるだろうと考えられる。また、その新生児は年をとるとともに肥満になる傾向があるだろう。動物実験においては,この傾向は動物がヒトでいう中年に達したときにのみ認められる。この結果がヒトにあてはまるとすれば、たとえ若いときにはこの傾向をほとんど示さないとしても,中年になると肥満になることが、子
    宮のなかにいる段階でプログラムされていることになる。肥満の母親,糖尿病の母親,妊娠中に体重が過剰に増える母親,そして妊娠中に糖尿病になる母親(「妊娠性糖尿病」として知られる状態)が皆,より大きく,より太っている子どもを生む理由はほぼ間違いなくこれである。これらの女性はインスリン抵抗性を示し,血糖値が高い傾向にある。
  • しかし,肥満の母親が肥満の子どもを生み,肥満の子どもが肥満の母親になるとすると,それはどこで止まるのだろうか? このことは、肥満の流行が始まり,私たちがみな肥満になり始めたことにより,もっともっと多くの子どもたちを生後数か月の段階から太るようにプログラムし始めたことを意味する。実際,この特殊な悪循環が肥満の流行の1つの原因であるとしても驚くことではないだろう。このように、私たちが肥満になったときには,自分たちの健康以上に考えるべきことがある。私たちの子どもたちも、そしてその子どもたちも、その代償を払うことになるかもしれない。そして、後に続く世代は、その問題を元に戻すことをはるかに難しく感じるかもしれない。

 

私たちにできること

  • 太りやすい体質をもって生まれるかどうかは、あなたにはコントロールできない。しかし「肥満症入門」が示していることは,私たちが食べる炭水化物(炭水化物の量と質)は太りやすい体質を助長していることである。前述したように,インスリンの分泌を最終的に決めるのは炭水化物であり,体脂肪の蓄積を促すのはインスリンである。炭水化物を食べたからといって私たち全員が太るわけではないが,太る人にとってその原因は炭水化物である。炭水化物の摂取量を減らすほど,私たちはやせるだろう。ここではタバコと比較してみよう。すべての長期喫煙者が肺がんになるわけではない。男性6人あたりたった1人,女性では9人あたり1人が肺がんになる。しかし,肺がんになる人たちにとって、タバコの煙は最も一般的な原因である。かつてそうであったように,タバコのない世界では肺がんはまれな疾患だろう。そして、炭水化物を多く含む食事がない世界であれば、同じように肥満はまれな状態だろう。
  • 炭水化物を含むすべての食物が同じように肥満の原因となるわけではない。これは重要な点である。最も太りやすい食物は血糖値とインスリン濃度に最も大きな影響を与える食物である。これらは濃縮された炭水化物,特にすばやく消化されるもので、精製された小麦粉からつくられた製品(パン, シリアル, パスタ)、液体の炭水化物(ビール,フルーツジュース,ソーダ)およびデンプン(ジャガイモ,米, トウモロコシ)である。これらの食物はすばやく血液中にブドウ糖を氾濫させるため、血糖値が急上昇し、インスリン濃度が急上昇する。その結果,私たちは太る。驚くことではないが,過去200年近く,これらの食物は特に肥満の原因になると考えられてきた(後述)。
  • ほとんど例外なく,これらの食物は入手可能なもののうち最も安価なカロリー源でもある。これは、貧困な人ほど肥満になる可能性が高い理由をはっきりと説明している。なぜか? 最初に述べたように,今日の米国や欧州諸国と肩を並べるほどの肥満と糖尿病発症率を示すきわめて貧しい集団を見つけることは,過去から現在まできわめて容易なことだからである。これが1960~1970年代に,これらの集団の治療をした医師たちによってなされた説明であり,今や,それが科学によって裏付けられることは明らかである。
  • 英国からジャマイカに移り住んだ糖尿病専門家のロルフ・リチャーズは、1974年に「第三世界の大部分では、炭水化物の摂取量が多い」と書いた。また,「動物性蛋白質よりもむしろデンプン(スターチ)を入手しやすいことが,当然のようにこれらの集団のカロリー摂取量増加に貢献し、脂肪の産生と肥満の発症につながる」とも述べた。これらの集団の人たちは、食べすぎやあまり動かないことにより肥満になるのでなく、彼らが依存している食物(彼らの食事の大部分を構成するデンプンと精製された穀物)が彼らを太らせるのである。
  • その一方,ホウレンソウやキャベツ類などの緑色の葉野菜に含まれる炭水化物は、消化しにくい繊維と固く結びついているため、消化されて血液中に取り込まれるまでには,はるかに長い時間がかかる。また,これらの野菜は水分を多く含むため,その重量の割には消化されるデンプンの量がジャガイモなどに比べて少ない。ジャガイモなどと同じ量の炭水化物を摂るには、はるかに多くの量を食べなければならず,その炭水化物を消化するには時間がかかる。したがって,これらの野菜を食べても血糖値は比較的低く保たれるため,インスリン反応はごくわずかで太りにくい。しかし,なかには食事中の炭水化物に非常に敏感で,これらの緑色野菜でさえも問題となる人たちがいるかもしれない。
  • 果物に含まれる炭水化物は比較的消化が容易であるが、水分が多く希釈されているため,デンプンに含まれる炭水化物ほど濃縮されていない。同じ重量のリンゴとジャガイモを摂取した場合,血糖への影響はジャガイモのほうがかなり高く, これはジャガイモのほうが,より太りやすいことを示唆する。しかしそれは果物によって太る人がいないことを意味するのではない。

 

 

  • 肥満症入門の観点から見て,果物がやっかいである理由は、果糖という一種の糖を含んでいるため甘く、これは炭水化物と同様に太るもとであることだ。栄養学者や公衆衛生の専門家たちが肥満の流行を阻止しようと必死になるにつれて、彼らは緑色野菜と一緒に果物をたくさん食べるように執拗に勧めるようになった。果物は食べる前に加工する必要がないし,脂肪とコレステロールを含まず、ビタミン (特にビタミンC)と抗酸化物質を含むため、論理的にはからだによいに違いないだろう。しかし、太りやす.い体質なのであれば果物の大部分は肥満を改善するどころか、悪化させることはほぼ間違いない。
  • 私たちにとって最悪の食物は、ほぼ間違いなく糖〔特に,スクロース(白糖)と高果糖コーンシロップ)である。最近、公衆衛生の専門家とメディアは、高果糖コーンシロップが肥満流行の原因であるとして攻撃し始めた。高果糖コーンシロップは1978年に導入され,1980年代中ごろまでに米国内の清涼飲料の大部分に含まれる糖に取って代わった。米国人は果糖が糖の一種であることを認識していなかったため,糖(米国農務省は「ノンカロリー甘味料」と区別して「カロリー甘味料」と呼んでいる)の総消費量は,年間1人120ポンド(約54kg)から150ポンド(約68kg) へとまたたく間に増加した。しかし果糖は糖である。事実上,砂糖と果糖はまったく同じであるため,これら両方を糖と呼ぶ。白糖,つまりコーヒーに入れたり、シリアルに振りかけたりする白い顆粒状のものにはブドウ糖と果糖が半々に含まれる。一般的に,私たちがジュース,炭酸飲料,フルーツヨーグルトから摂取する高果糖コーンシロップは、55%が果糖(食品産業でHFCS-55という名称で知られているのはそのため), 42%がブドウ糖,3%がその他の炭水化物である。
  • 果物を甘くするのと同様に,これらの甘味料を甘くしているのは果糖である。そして,私たちを極度の肥満にしている原因はこの果糖であり,したがって甘味料は健康にとても悪いと考えられる。米国心臓病協会(AHA) やその他の専門家は,最近(遅くても何もしないよりはまし),果糖,すなわち砂糖と高果糖コーンシロップを肥満の原因、またおそらく心臓病の原因でさえもあるとし,標的にするようになった。しかし,彼らの主張のおもな根拠は、これらの甘味料は「空っぽのカロリー」,つまりビタミンミネラル, 抗酸化物質を含んでいない点である。しかしこれは的外れである。実際に果糖は健康に悪影響(肥満を含む)を及ぼし,このことはビタミンや抗酸化物質を含んでいないこととはほとんど関係がなく,一方でからだが果糖をどのように処理するかという点と非常に大きな関係がある。果糖とブドウ糖が半々に含まれるという糖の組み合わせは、私たちを肥満にするのに特に効果的かもしれない。
  • 私たちがデンプンに含まれる炭水化物を消化すると,それらは最終的にブドウ糖として血液中に入る。血糖は増加し,インスリンが分泌され,カロリーは脂肪として貯蔵される。砂糖や高果糖コーンシロップが消化されると、ブドウ糖の多くは最終的に血液中に入り血糖値を上げる。しかし,果糖はほとんど例外なく肝臓において酵素によって代謝される。したがって果糖は血糖値やインスリン濃度に対してすぐに影響を与えることはないが,キーワードは「すぐに」であって,長期的には多くの影響がある。
  • ヒトのからだ,なかでも肝臓は,現代の食事から摂取される量の果糖を処理できるようには進化してこなかった。果糖は果物のなかに比較的少量(たとえば,ブルーベリー1カップに30カロリー分) 存在する(しかし,後述するように、果糖の含有量を増やすように何世代も品種改良された果物もある)。ペプシやコカコーラの355mL缶には80カロリー分の果糖が含まれる。リンゴジュース355mLには85カロリー分の果糖が含まれる。肝臓はこの膨大な量の果糖に対して,その多くを脂肪に変え,それを脂肪組織に送り出して対応する。これが,生化学者たちが40年前にあっても果糖を最も「脂肪を生成」する炭水化物(最もすみやかに脂肪に変わる糖)と呼んだ理由である。一方、果糖と一緒に摂取されるブドウ糖は血糖値を上げ、インスリンの分泌を刺激し、脂肪細胞をどこから来た脂肪であろうとすべて(肝臓内で果糖からつくられた脂肪も含む)貯蔵する状態にする。これらの糖を摂取すればするほど、またそれらが食事に含まれている期間が長ければ長いほど、からだは糖を脂肪に変換することに適応していくと考えられる。英国人の生化学者で果糖の専門家のピーター・マイヤーズ(Peter Myers)がいうように,私たちの「果糖代謝の様式」は時間とともに変化する。これは脂肪を直接肝臓に蓄積する(脂肪肝として知られる状
    態)原因となるだけではなく、肝細胞のインスリン抵抗性によって引き起こされる一種の連鎖反応により、筋肉組織がインスリン抵抗性を示す原因にもなると考えられる。
  • そのため、果糖が血糖値とインスリン濃度に対してすぐに影響を与えないとしても、時間とともに(おそらく数年)インスリン抵抗性の予測される原因となり、脂肪として蓄積されるカロリーが増加することの原因にもなる。燃料分配計の針が最初はそうではなかったとしても,やがて脂肪蓄積の方向を指すようになるだろう。
  • もし,これらの糖をまったく食べなかったとすれば,たとえ食事の大半がデンプン質の炭水化物と小麦粉であったとしても,肥満や糖尿病にならない可能性は十分にある。世界で最も貧しい集団で炭水化物の多い食事を摂っていても,肥満や糖尿病にならない集団がある理由はこれにより説明されるが,その一方でそんなに幸運ではない集団もある。日本人や中国人のように肥満や糖尿病にならない(少なくともならなかった)集団は、昔からほとんど糖を摂取していなかった。あなたが太り始めたとき,それを停止させ状況を反転させたいのであれば、まずこれらの糖を除くべきである。
  • アルコールは特別な例である。アルコールはその大部分が肝臓で代謝される。たとえば、ウオッカひと口のカロリーの約80%が直接肝臓に行き、少量のエネルギーと大量の「クエン酸塩」と呼ばれる分子になる。そして、そのクエン酸塩はブドウ糖から脂肪酸をつくる過程を促進させる。そのためアルコールは肝臓内の脂肪産生量を増やし,これがおそらくアルコール性脂肪肝症候群の発症機序であろう。アルコールは別の場所も太らせるかもしれないが,これらの脂肪を脂肪として貯蔵するか燃やすかは、アルコールと一緒に炭水化物を食べるか,飲むかにより支配される。通常,私たちはアルコールと一緒に炭水化物を摂取する。たとえば,一般的なビールのカロリーは、その3分の2がアルコールそのものであるのに対し,約3分の1は麦芽糖(精製炭水化物)に由来する。ビール腹はその顕著な結果なのである。

 

不公平が生む悪循環

  • 肥満症入門のメッセージはきわめて単純である。あなたが太りやすい体質で,健康を損なうことなく,できるだけやせていたいのであれば,炭水化物を制限し,血糖値とインスリン濃度を低く保たねばならない。注意するべき点は,カロリーを減らして脂肪を減らすのではないことである。太らせる食物(炭水化物)を削ることで、脂肪を減らすのである。もし体重を希望の数値まで落とした後に,これらの食物を食事に戻せば,再び肥満になるだろう。一部の人だけが炭水化物によって肥満になるということは(ちょうど一部の人だけがタバコを吸って肺がんになるのと同じように),もしあなたがそのうちの1人であって脂肪を減らしたり,脂肪を減らしたままにしたりしたいのであれば、これらの食物を避けることでしか実現できない。
  • ここで関係する不公平はこれだけではない。それは最悪のものでさえもない。イントロダクションで述べたように,この肥満の解決には、犠牲を払わずに減量する方法やそれを維持することはできない。これまでのメッセージは,炭水化物が私たちを太らせ,太ったままにしておくということである。しかも、私たちを太らせる原因となる食物は,私たちが大好きで、それなしでは生きられないというぐらい食物のリストの最上位に位置するだろう。ここにはベーグル, パン, ポテト, スイーツ,そしてビールが含まれる。
  • これは偶然の一致ではない。動物実験からは、動物たちが優先的に、おそらく過剰に摂取する食物は,細胞に最も速くエネルギーを供給するもの(簡単に消化される炭水化物)であることが明らかになっている。
  • そして、もう1つの要因は私たちがどのくらい空腹であるかであり、これは最後の食事からどの程度時間が経過したか,その間にどの程度のエネルギーを消費したかを示している。食間が長いほど,そしてより多くの工ネルギーを消費するほど,私たちはより空腹になるだろう。そして空腹であればあるほど食物をよりおいしく感じるだろう。あー, とてもおいしとよくいわれるが、それに理由がないわけではない」と、1世紀以上前に書いた。
  • 食前であっても,インスリンには空腹感を増す作用がある。食べること(特に炭水化物の多い食物と甘いものを食べること)について考えるだけでインスリンは分泌され始めるが,このインスリン分泌が食物をひと噛みして数秒以内に増加することを覚えているだろうか?それは消化が始まる前,ブドウ糖が血液に取り込まれる前に起こる。インスリンには血液中にある他の栄養分(特に脂肪酸)を蓄え,もうすぐやって来る大量のブドウ糖に備えてからだを準備する働きがある。そのため私たちの空腹感は単に食べることを考えるだけで強くなり,そして最初の何口かを食べることで、さらに強くなる(フランスには「食べるほどに食欲が出る」ということわざがある)。
  • フランスの科学者ジャック・ル・マグナン (Jacques Le Magnen)がいったように,食事が続くにつれて,この「空腹の代謝的背景」は弱まり,食欲は満たされるが,それと同時に食事への嗜好性,つまりどれだけおいしく感じるかという感覚も弱まる。インスリンは脳内で食欲と食事行動を抑制するように働いている。結果として,最初の何口かは,最後の何口かよりも、常に、おいしく感じられるだろう(「最後のひと口までおいしい」という文句が,特に味がよく楽しめる食品やそうした経験を描写するために使われたのはこのためである)。これが,私たちの多く(やせていようと,
    太っていようと)がパスタやベーグル,その他の炭水化物に富んだ食物を「好きになる理由として,もっともらしい生理学的な説明である。それらの食物を食べることを考えるだけで,インスリンは分泌される。インスリンは栄養を血液循環から一時的に取り除いて貯蔵することで私たちを空腹にし,その結果,最初のひと噛みがよりおいしく感じられるようにする。血糖とインスリンの反応が大きい食物ほど,私たちはそれを好み,よりおいしいと感じるのである。
  • この「血糖値とインスリンによるおいしさ」の反応は,太っている人や太りやすい体質の人たちでは、ほぼ間違いなく増大されている。そして、彼らが太るにつれて,インスリンはより効果的に脂肪を脂肪組織に,蛋白質を筋肉に溜め込み,それらを燃料として使えなくするため,彼らはますます炭水化物の多い食物を食べたくなる。
  • いずれ起こることだが、いったんインスリン抵抗性になると、より多くのインスリンが静脈のなかを1日のほとんどの時間流れるようになるだろう。その結果,燃やすことのできる燃料が炭水化物由来のブドウ糖のみであるという状態が、1日のなかでより長くなるだろう。インスリン蛋白質,脂肪,グリコーゲン(炭水化物の貯蔵型)までも,後のために安全にしまい込む働きをしていることを覚えているだろうか? インスリンは、細胞に対して燃やすべき過剰なブドウ糖があることを示しているが,実際にはブドウ糖はない。そのため、私たちはブドウ糖を渇望する。たとえ脂肪と蛋白質(たとえば、パンなしのハンバーガーやチーズの厚切り)を食べたとしても,インスリンはからだがそれらを燃料として燃やすかわりに,これらの栄養を貯蔵するように働くだろう。それに,少なくとも炭水化物をたっぷり含むパンが一緒でなければ,あなたがこれを食べたいと思うことはほとんどないだろう。なぜなら,その時点において,からだは脂肪や蛋白質を燃料として燃やすことがほとんどできないからである。
  • 甘いものは特別な例であるが,これは甘党の人たち(あるいは子どもを育てた経験のある人たち)にとっては驚くことではないだろう。まず,肝臓内における果糖の独特の代謝は、ブドウ糖インスリン刺激効果と合わせて、太りやすい体質の人たちに甘いものへの渇望を起こさせるのに十分かもしれない。さらに脳に対する影響もある。プリンストン大学のパートリー・ヘーベル(Bartley Hoebel)の研究によると、砂糖を摂取するとコカイン, アルコール、ニコチン,その他の常習性のある物質が標的とするのと同じ脳の部位(「報酬中枢」として知られている)の反応を引き起こす。すべての食物にはこれと同じ効果がある程度あり,これは報酬中枢系統がこのような行動,つまり種に利益をもたらす行動(食べることや繁殖行為)を強めるために進化したためと考えられる。しかし,砂糖はコカインやニコチンと同じように,その信号を不自然なまでに脳へ送っているようである。動物実験の結果を信用するのであれば,砂糖と高果糖コーンシロップは薬物と同じような常習性があり,それはほぼ同じ生化学的な理由によるものである。
  • さて、それは悪循環としてどのようなものか? 私たちを太らせる食物は、私たちが太りやすい食物をほしがるように仕向ける(くり返しになるが,これは喫煙と変わらない。肺がんを起こすタバコもまた,私たちに肺がんの原因になるタバコを渇望させる)。それらの食物が私たちを肥満にしやすいほど,それらを食べるときにあなたが肥満になりやすいほど渇望は大きくなる。その循環を断ち切ることは可能であるが,こうした渇望と闘う必要があり(ちょうどアルコール中毒者たちが禁酒し,喫煙者たちが禁煙するように)、継続的な努力と注意なしには断ち切ることができない
    のだ。

 

  • 定期的な運動を行うことによって余分な体重を減らしたと断言する人たちにも,同じことがいえる可能性が高い。週5回のランニングや水泳,エアロビクスを始めたにもかかわらず,食物には何の変更も加えないという人たちはまれである。むしろ, ビールや炭酸飲料の摂取を減らし,甘い物を控え,おそらくデンプンを緑色野菜に置き換えようとさえ考えるだろう。例によって、カロリー制限を用いた食事療法が失敗するとき(運動プログラムについても同じことがいえる),その理由は肥満の原因とはならない食物を制限するからである。こうした食事療法はインスリンと脂肪蓄積に対して長期的な影響はないが,エネルギーや細胞や組織を修復するために必要となる脂肪と蛋白質を制限してしまう。こうした方法は脂肪組織を確実に標的にするのではなく,からだ全体の栄養とエネルギーを枯渇させてしまったり,半枯渇状態にしてしまったりする。食事療法を行っている本人が半飢餓状態を我慢できる限り,減らした体重は維持できるが,その間にも筋肉細胞が修復と機能維持のために蛋白質を得ようとするのと同じように,脂肪細胞は失った脂肪を取り戻すために働き、食事療法を行っている人が消費する総エネルギー量はそれを補うために減少するだろう。
  • 肥満症入門が最終的に示唆することは,減量は食事に含まれる太らせる原因となる炭水化物を取り除けば成功することである。炭水化物を取り除かなければ失敗する。本質的に脂肪組織を調節し,過剰に蓄積したカロリーを放出させることである。この目的のためにならないような変更を行っても(特に摂取する脂肪と蛋白質を減らすこと),別のかたち(エネルギーや筋肉を修復するために必要な蛋白質)でからだを飢餓状態にし,その結果として起きる空腹が失敗へと導くだろう。

  • この2000年の分析が示したように,重要な点は,今日の典型的な西洋の食事における全摂取カロリーの60%以上を占める現代の食物 (穀類,乳製品,飲物,植物油とドレッシング,砂糖とキャンディーを含む)が,「典型的な採集・狩猟生活者が食事から摂取するカロリーにはまったく関与していなかった」ということである。容易に消化できるデンプン,精製された炭水化物(小麦粉と白米),砂糖が太る原因とされるもっともらしい理由は,私たちの遺伝子が炭水化物を食べるように,また今日ほどの量を食べるように進化しなかったことだろう。こうした食物を含まない食事がより健康的であることは一目瞭然のように思われる。蛋白質と脂肪を摂取するための肉,魚および鶏は,250万年の間,私たちの祖先にとって健康的であった食事の主成分である。
  • この進化に関する議論をひっくり返すと,現代の西洋化した社会で,伝統的な食事から,だんだんと私たちが日常的に食べるような食事をするようになった集団に行きあたる。公衆衛生の専門家たちは、これを「栄養の「移行」と呼び,それは例外なく病気の移行(今日,西洋の病気として知られている一連の慢性疾患の出現)も伴う。これらの疾患には肥満,糖尿病、心疾患、高血圧と脳卒中,がん, アルツハイマー病やその他の認知症,虫歯, 歯周病,虫垂炎,潰瘍,憩室病,胆石,痔核,静脈瘤,便秘症が含ま
    れる。これらの病気や健康状態は,西洋の食事を食べ、現代的な生活を送る社会において一般的であるが,そうでない社会においては,まったく存在しないとまではいかなくても、まれである。それらの伝統的な社会が,西洋的な食事と生活習慣を[貿易または移民(自発的または奴隷貿易のように強制的に)を通して]受け入れると,これらの疾患がほどなく出現するだろう。
  • この慢性疾患と現代の食事生活習慣との関連は,19世紀中ごろ,フランス人の医師スタニスラス・タンショウ (Stanislas Tanchou) が「がんは、精神異常と同様に,文明の進歩に伴い増加するように思われる」と指摘したときに初めて注目された。マイケル・ポランが指摘するように、それは、今や食事と健康に関する疑いの余地のない事実である。西洋の食事を摂れば西欧の疾患(特に肥満,糖尿病,心疾患,がん)に罹る。
  • これが,公衆衛生の専門家たちががんも含めたすべての疾患の原因は食事と生活習慣である(不運や悪い遺伝子の結果ではない)と信じる理由の1つである。
  • この例として、乳がんを考えてみてほしい。この疾患は日本では比較的まれで、米国の女性のような悩みの種でないことは確かである。しかし、日本人女性が米国に移住すると,彼女たちの子孫がその地域の他の民族集団と同じ乳がん発症率となるまでに、たったの2世代しかかからない。これにより米国の生活習慣や食事に関する何かが乳がんの原因になっていることがわかる。問題はそれが何かということである。

 

健康的な食事の本質

  • 炭水化物が私たちを太らせる原因であるからには,肥満を避ける最善かつ唯一の方法は炭水化物の多い食物を避けることである。このことは,すでに肥満の人やもう一度やせたい人が行うべき最善かつ唯一の方法であることを暗に示している。その論理は単純明快である。しかし、医師はこうした食事が有益である以上に害をもたらすと信じており,そうでないと信じることは困難である。
  • ここに1960年代からくり返されてきた,炭水化物制限食に対する3つのおもな反対論を示す。
  1.  炭水化物制限食は食べる量を減らすことや運動をすること,またはその両方を行わずに減量することを約束しているが,これは熱力学の法則と入るカロリー/出るカロリー説の最優先事項に反するため詐欺である
  2. 炭水化物制限食は1つの栄養素(炭水化物)のみを制限しているが,健康な食生活の第一法則はおもな食品群のすべてから偏りなく食べることであるため,この食事は栄養のバランスがとれていない
  3. 炭水化物制限食は高脂肪食でもあり,特に飽和脂肪を多く含むため、コレステロール値を上げて心臓病を引き起こすだろう
  • 太りやすい炭水化物を制限する食事においては,必須栄養素(ビタミン,ミネラル,アミノ酸を含む)が不足しているという論議は説得力がない。まず、この食事法で避ける食物は太りやすいものであり,葉物・緑色野菜やサラダではない。これだけでもビタミンやミネラル不足に対するいかなる表面的な懸念も取り去られるはずである。さらに,太りやすいため制限される炭水化物(デンプン,精製炭水化物,糖類)は、どのみち必須栄養素を事実上含んでいない。
  • たとえあなたが体重を減らすには摂取カロリーを減らす必要があると信じていても,太りやすいこれら炭水化物はまさにこの理由により減らすのには理想的な食物だろう。あなたが一般通念に沿って、総摂取カロリーをたとえば3分の1に減らすとすれば,すべての必須栄養素も3分の1に減ることになる。英国人の栄養学者ジョン・ユドキン (John Yudkin)が1960~1970年代に論議したように,砂糖,小麦粉,ジャガイモ,ビールを禁止し,肉,卵,葉物・緑色野菜の摂取を無制限に認める食事法は,すべての必須栄養素を残すことができるどころか、増やしさえするかもしれない。なぜなら,この食事法ではこれらの食物を多く食べることができるからである。
  • 動物性食品は飽和脂肪を含み,それは健康に悪影響を及ぼす可能性があると初めて論議された1960年代以来,栄養学者は肉には生命に必要なすべてのアミノ酸,すべての必須脂肪酸,13種類の必須ビタミンのうち12種類が驚くほどたくさん含まれていると指摘することを控えてきた“。それは事実である。特に肉は豊富なビタミンAとE,すべてのビタミンB群の源である。ビタミンB12とDは動物性食品にのみ含まれる(しかし、日光浴を定期的に行うことでも,十分なビタミンDを得ることができる)。
  • ビタミンCは動物性食品には比較的少ない唯一のビタミンである。しかし、ビタミンB群において見られるように,太りやすい炭水化物を多く摂るほど,これらのビタミンが必要となる。ビタミンBは細胞内でブドウ糖代謝するために使用されるため,炭水化物を多く摂るほど,(脂肪酸の代わりに)ブドウ糖を燃やし、食事からさらに多くのビタミンBを摂取する必要がある。
  • ビタミンCはブドウ糖と同じしくみを使って(必要とされる)細胞内に入るため、血糖値が高いほどブドウ糖が余計に細胞に入り,ビタミンCの吸収は少なくなる。インスリンもまた腎臓におけるビタミンCの吸収を抑制し,その結果,炭水化物を食べると,体内に保持して利用すべきビタミンCが尿と一緒に排泄される。もし食事に炭水化物が含まれなければ,必要とするすべてのビタミンCは動物性食品から得られる可能性が高い。
  • これは進化の観点から見ても理屈に合っている。なぜなら,赤道から離れ長い冬を経験する場所に住む集団は、数か月あるいは数年(たとえば氷河期)の間,猟によって手に入れた獲物以外は何も食べずにすごしていたからである。これを考えると,必要なビタミンCを得るためにオレンジジュースか新鮮な野菜を毎日食べる必要があるという考えは不合理のように思われる。これはまた、ほとんど炭水化物を食べ物も食べなかったであろう孤立した採集・狩猟生活者がそれでも繁栄した理由を説明することになるだろう。
  • 炭水化物は健康的な人間の食事に必要ではない。別のいい方をすれば,(炭水化物制限食の支持者がいったように)必須炭水化物といわれるようなものは存在しない。栄養学者は健康な食事には120~130gの炭水化物が必要だというだろうが、これは食事中の炭水化物が多い(1日あたり120~130g)場合に,脳と中枢神経系が燃料として燃やすものと,私たちが実際に食べなければならないものとを混同しているだけである。
  • 食事に炭水化物が含まれない場合,脳と中枢神経系は「ケトン体」と呼ばれる分子を燃料とする。これらは肝臓において、脂肪や炭水化物を摂取せずにインスリン値が低いときに脂肪細胞から動員される脂肪酸,さらにアミノ酸からも合成される。食事に炭水化物が含まれていない場合、ケトン体は脳が使うエネルギーの約4分の3を供給するだろう。炭水化物を厳しく制限した食事が「ケトン生成 (ketogenic)」食として知られている理由はこれである。残りの必要なエネルギーは、中性脂肪が分解されるときに遊離されるグリセリンや,蛋白質アミノ酸を使って肝臓で合成されるブドウ糖から得られるだろう。太りやすい炭水化物を含まない食事には多くの脂肪と蛋白質が含まれており,脳の燃料不足は起こらないだろう。
  • 脂肪を燃料として燃やしている(結局,私たちが脂肪を使って行いたいこと)ときはいつでも,肝臓もこの脂肪のいくばくかを使い, ケトンに変換し,それを脳がエネルギーとして使っているだろう。これは自然な作用である。これは私たちが食事を抜いたときに起こり,昼間に蓄積した脂肪を使ってからだが機能するもので(少なくともからだの脂肪を使って機能しているべき)、特に夕食や夜食と朝食の間の時間帯に顕著に起こる。夜がふけるにつれて、徐々に多くの脂肪を肝臓に動員しケトン合成を増やす。朝までに専門的に「ケトーシス」として知られる状態になり、脳はおもにケトンを燃料として使用している。これは,炭水化物を1日あたり約60g以
    下に制限した食事により起こることと違いはない。研究者たちはブドウ糖よりもケトン体を燃料としたほうが脳と中枢神経系がより効率的に機能することを報告している。
  • この軽度のケトーシスを,炭水化物を食べていない時代(人類の歴史の99.9%の期間)のヒトの代謝の正常な状態と定義することができる。こうした理由から、ほぼ間違いなくケトーシスは単なる正常な状態であるのみならず、健康的な状態でさえあるといえる。この結論を支持する1つのエビデンスは、1930年代から医師たちが手に負えない小児期てんかんを、ケトン生成食事法を使用して治療し,治癒までさせていることである。そして,最近,研究者たちは成人のてんかんも同様にケトンを生成する食事法で治療でき,そしてがんの治療と治癒すらも可能であるという考え(私が論議するように,あなたが思うほうど非常識ではない考え)を検証し始めた。

 

  • さて、私がここまで勧めてきたことを行うように指示した臨床試験(これまで食べていた太りやすい炭水化物を,脂肪や飽和脂肪が多い動物性食品と交換する試験)において,対象者たちに何が起きたかを見てみよう。
  • 過去10年間に,研究者たちは炭水化物が非常に少なく、脂肪と蛋白質が非常に多い食事(おもに1972年のベストセラー『アトキンス式 低炭水化物ダイエット(Dr. Atkins' Diet Revolution)」で, ロバート・アトキンス (Robert Atkins)医師により知られるようになったアトキンス式ダイエット]を,米国心臓病協会(AHA)や英国心臓財団(BHF)により推奨される低脂肪,低カロリー食と比較するかなり多くの試験を行ってきた。
  • これらの試験は高脂肪,高飽和脂肪の食事を摂ることが,体重および心臓病と糖尿病の両方に関する危険因子に与える影響について調べた,かつてない優れた研究である。その結果は驚くほど一貫していた。これらの試験では、被験者たちは食べたいだけの脂肪と蛋白質(食べたいだけの肉、魚,鶏)を食べ,炭水化物を避ける1日50~60g以下(200~240カロリー相当)]ように指導され,一方で,総カロリーを減らすのに加えて,特に脂肪と飽和脂肪を避けるように指導された対照と比較された。その結果,主として脂肪と蛋白質を食べた人たちには次のようなことが起きた。
  1. 少なくとも体重が大きく減少した
  2. HDLコレステロールは増加した
  3. 中性脂肪はかなり減少した
  4. 血圧は低下した
  5. コレステロールはほとんど変化しなかった
  6. LDLコレステロールはわずかに増加した
  7. 心臓発作に対する危険性はかなり低下した

 

結未

  • これはダイエット本ではない。なぜなら私たちが論議しているのはダイエットではないからである。過食や座りがちな生活ではなく炭水化物が私たちを太らせるという事実を,あなたがいったん受け入れれば、体重を減らすために「ダイエットを始める」という考えや健康の専門家が「食事療法による肥満の治療」と呼ぶものは,もはや実質的な意味をもたない。今や、議論する価値がある唯一の話題は,原因である炭水化物(精製された穀物,デンプン類,糖類)を避ける最適な方法と,健康へのベネフィットを最大にするために他に何を行うかである。
  • 1950年代以降,いくつかの非常によく考えられたダイエット本が体重を調節するために炭水化物を制限することを勧め,これらの本は近年かつてないほど重版されている。当初、その著者は医師で、一般的には彼ら自身が体重の問題を抱えていた。そのため彼らの経験は似たようなものであった。彼らが食べる量を減らして運動をしても体重は減らず、最終的に炭水化物を制限する考えに行きあたった。彼らはそれを試し,うまくいくことに気付き,それを患者に処方した。それから、彼らはそのメッセージを伝えるために,彼らは経験に基づく本を書いた。その食事法が効果的であったこと,またその食事法がうまくいく可能性があると思えばどのような新しいダイエットでも試してみようとする人たちが常に存在するため、当初これらの本は売れた。
  • 「脂肪を食べてスリムになろう(Eat Fat and Grow Slim, 1958年)」,『カは、継続はどちらを食べるほうが容易で,最も楽しみが得られるのはどちらかという点である。あなたが,皮のない鶏の胸肉,脂肪の少ない肉や魚の切り身,卵白のオムレツで満足であるならばそうすればいい。しかし,肉の赤身と同様に脂身を食べること,卵白と同時に卵黄を食べること,バターとラードで調理された食物を食べることは、この食事法を継続するために,そしてまた健康のためにも,よりよい処方であるかもしれない。

副作用と医師について

  • 摂取する炭水化物を脂肪に置き換えるとき,あなたは細胞がエネルギーとして燃やす燃料に,根本的な変化をつくり出している。細胞は,おもに炭水化物(ブドウ糖)で動いている状態から、脂肪(からだの脂肪と食事中の脂肪の両方)で動いている状態になる。しかし,この変化には副作用を伴う可能性がある。副作用には虚弱感,疲労,悪心,脱水,下痢,便秘,起立性低血圧(急に立ち上がると血圧が急激に低下し,めまいを起こしたり,気を失ったりすることさえある),痛風の悪化などが含まれることがある。1970年代に専門家たちは、これらの「副作用の可能性」が,その食事法を「一般的に安全に使用すること」ができない理由であると主張し、絶対に行うべきでないと示唆した。
  • しかしそれは、炭水化物の禁断症状として考えられる短期的な影響と,その離脱症状を克服し,より長い期間やせて、健康的に生きることの長期的な利益とを混同したものであった。炭水化物の禁断症状は、より専門的な用語では「ケト適応 (keto-adaptation)」と呼ばれ,これは1日約60g以下の炭水化物しか摂取しなかったことにより起こるケトーシスの状態に適応しているためである。炭水化物の制限を試みる人たちのなかで、すぐにあきらめる人がいる理由はこれである。ウェストマンは「炭水化物の禁断症状は,しばしば「炭水化物の必要性」と解釈される」という。さらに「それはタバコを止めようとしている喫煙者たちに向かって,その禁断症状は『タバコの必要性』により引き起こされ,その問題を解決するために,再び喫煙するように示唆するようなものである」と述べている。
  • 副作用の理由は、明らかであり,炭水化物の制限を処方する医師はそれらの治療と予防が可能であるという。これらの症状は食事の脂肪含有量が高いこととは何の関係もない。むしろ、それは蛋白質の摂取が多すぎ,脂肪の摂取が少なすぎること,食事に慣れるまで十分な時間をとることなく激しい運動を試みること,また,ほとんどの場合,炭水化物制限に対してからだが十分に埋め合わせをできずインスリン値の急激な低下が起こることの,いずれかの結果であるように見える。
  • 私が前に,少し話したように,インスリンは腎臓にナトリウムを再吸収するように信号を送り、その結果、水分が保持され血圧が上昇する。炭水化物を制限する際に起こるように,インスリン値が下がると,腎臓は貯留していたナトリウムを水と一緒に排出するだろう。ほとんどの人にとってこれは有益であり,炭水化物の制限により血圧が下がるのはこのためであるこの水分の喪失は体重200ポンド(約90kg)の人で、6ポンド(約3kg)以上になることもあり、初期の体重減少の大部分を占める可能性がある]。しかし,人によっては、水分の喪失を妨げる必要があると,からだが判断
    することもある。それは代償性反応のネットワークを通して行われ,水分の保持と電解質不均衡(ナトリウムを保持するために、腎臓がカリウムを排出する)へとつながり,その結果、先に述べた副作用が起こる。フィニーが言及したように,この反応はナトリウムを食事に加えることで予防することができる。つまり、1日あたり1~2gのナトリウム(小さじ1/2~1杯の塩)を摂るか,鶏か牛を煮出したスープを毎日2カップ飲むことであり,現在,ウエストマン, バーノン,その他の医師はこれを処方している。
  • これらの副作用は、太りやすい炭水化物を避ける決心をする際に,知識の豊富な医師の指導を受けることの重要性について語っている。あなたが糖尿病や高血圧症である場合には,医師の指導は必須である。炭水化物を制限することは血糖値と血圧の両方を下げるため、同じ作用のある薬をすでに飲んでいる場合には,その組み合わせは危険である可能性もある。血糖値の異常な低下(低血糖として知られる)はけいれん、意識の喪失、また死に至ることもあるかもしれない。血圧の異常な低下(低血圧)はめまい,失神,けいれんを起こしうる。
  • ヒトがなぜ太るのか,そして、それにどのように対処すべきかを理解している医師を見つけることはとても困難である。そうでなければ,この本は必要ない。本当に残念ながら,体重調節の現実を理解している医師たちでさえも,患者に炭水化物の制限を処方することをしばしばためらう(たとえ、彼らが自分の体重をそのように維持しているとしても)。肥満の患者に対し,食べる量を減らし、もっと運動をするように指導したり,専門家たちが勧める低脂肪,高炭水化物の食事を摂るように指導したりする医師は、患者の誰かが2週間後、2か月後に心臓発作を起こしたとしても,
    医療ミスにより訴えられることはないだろう。確立された医学的慣習に逆らい、炭水化物の制限を処方する医師にはそのような防衛手段はない。

 

限られた量であれば食べられる食品

  • チーズ:1日4オンス(約110g)まで。スイスチーズ、チェダーチーズなどの固く,熟成させたチーズ,またブリーチーズ,カマンベール,プルーチーズ、モッツァレラチーズ,グリュイエールチーズクリームチーズ,ヤギ乳チーズを含む。ヴェルヴィータのような加工(プロセス)チーズは避ける。ラベルを確認し,炭水化物の量は1食あたり1g以下であるべきである
  • クリーム:1日大さじ4杯まで。高脂肪のもの、低脂肪のもの、サワークリーム(コーヒーに入れるクリームは不可)
  • マヨネーズ:1日大さじ4杯まで。Duke'sマヨネーズとHellmann'sマヨネーズの炭水化物含有量は少ない。他社の製品はラベルを確認のこと
  • オリーブ(黒,または,緑): 1日6粒まで
  • アボカド:1日半分まで
  • レモン/ライムジュース:1日小さじ4杯まで
  • 醤油:1日大さじ4杯まで。キッコーマン醤油の炭水化物含有量は少ない。他社の製品はラベルを確認のこと
  • ピクルス、ディルピクルスまたは砂糖無添加:1日2食分まで。Mt.Oliveは砂糖無添加のピクルスをつくっている。ラベルで炭水化物と1人前の分量を確認のこと
  • 間食:豚の皮を揚げたもの、ペパロニの薄切り,ハム,牛,七面鳥,その他の肉を巻いたもの、辛く味付けした卵

おもな制限:炭水化物

  • この食事法では,糖類(単炭水化物)とデンプン(複合炭水化物)を用いない。唯一推奨される炭水化物は、次のリストに示されている,栄養分が高く,食物繊維を多く含む野菜である。
  • 糖類は単炭水化物である。この種の食物は避けること。具体的には,白砂糖、黒砂糖,蜂蜜,メープルシロップ,糖蜜, コーンシロップ,ビール(大麦モルトを含む)、牛乳(乳糖を含む),味付けされたヨーグルト, フルーツジュース,果物である。
  • デンプンは複合炭水化物である。この種の食物を避けること。具体的には、穀粒(「全」穀粒さえも),米,シリアル,小麦粉、コーンスターチ、パン, パスタ, マフィン,ベーグル,クラッカー,じっくり調理した豆(インゲンマメ, ライマメ,黒豆),ニンジン,パースニップ(シロニンジン)トウモロコシ,豆, ジャガイモ,フライドポテト, ポテトチップスなどの「デンプン質の」野菜である。

油脂(脂肪と油)

  • すべての脂肪と油は、バターであっても食べられる。オリーブ油とピーナツ油は,特に健康な油であるので調理に使用したほうがよい。トランス脂肪を含むマーガリンやその他の硬化油は使用しない。
  • サラダのドレッシングに関しては,家庭で手づくりした油と酢のドレッシングが理想的であり,必要に応じてレモンとスパイスを足す。ブルーチーズ,ランチ,シーザー, イタリアンドレッシングも, ラベルに1食分の炭水化物が1~2g以下と表示されていれば使用してもよい。「低カロリー」ドレッシングは、一般的に多くの炭水化物を含むので避ける。細かく刻んだ卵,ベーコン,おろしたチーズをサラダに加えてもよい。
  • 脂肪は味がよく,満腹感を与えるので、一般的に脂肪を加えることは重要である。したがって肉と一緒に出される脂肪や皮は,皮にパン粉をまぶしていない限り食べることができる。低脂肪ダイエットをしようとしてはならない。 

甘味料とデザート

  • 何か甘いものを食べる必要性を感じるときには,最も理にかなった代替甘味料を選ぶべきである。入手可能な代替甘味料には,Splenda(スクラロース), Nutra sweet(アスパルテーム), Truvia(ステビアとエリスリトールの混合), Sweet'N Low(サッカリン)などがある。さしあたり糖アルコール(ソルビトール, マルチトールなど)は避けること。これらは時々胃を痛めることがあるが,今後,少量の使用は許されるかもしれない。

飲物

  • 許可されている飲物を飲みたいだけ飲みなさい。しかし、無理に飲んではいけない。最良の飲物は水である。風味の付いた人工炭酸水,ボトル入りの天然水やミネラルウオーターもよい選択肢である。
  • カフェインの入った飲物:カフェインの摂取により減量と血糖値の制御が妨げられる患者もいる。この点を考慮し,コーヒー(ブラック,人工甘味料,またはクリーム入り),お茶(無糖,または人工甘味料入り),またはカフェインの入ったダイエット炭酸飲料を1日3カップまで飲んでもよい。

アルコール

  • この食事法では,最初はアルコールの摂取を避けること。減量し,食習慣が確立したところで,後日,炭水化物の少ないアルコールを適度に食事に足してもよいかもしれない。

摂取量

  • 空腹なときに食べること。お腹がいっぱいになったらやめる。この食事法は、「食べたいときに食べる」方式(つまり,空腹であればいつでも食べ,満足する以上に食べない)が一番効果的である。からだに耳を傾けることを学びなさい。低炭水化物食には、無理なく食事の摂取量を徐々に,ゆっくりと減らしていく自然の食欲減少効果がある。したがって,食物がそこにあるからといって、皿の上にのっているものをすべて平らげることはやめる。一方で、空腹をがまんしないこと。カロリー計算はしません。空腹感や渇望のない、無理のない減量を楽しむことが重要である。
  • 1日を栄養価の高い、低炭水化物の食事で始めることを勧める。ただし、多くの薬や栄養サプリメントは、食事ごとまたは1日3回,食物とともに服用する必要があることには注意が必要である。

重要な情報と助言

  • 次の品目はこの食事法には含まれていない。砂糖,パン, シリアル,小麦粉を含むもの,果物,ジュース,蜂蜜,全乳または無脂肪乳、ヨーグルト,缶入りスープ,乳製品代用品,ケチャップ,甘い薬味と付け合わせ。
  • 以下のよくある間違いを避けること。「無脂肪」または「低カロリー」のダイエット製品や食品には、「隠された」糖やデンプンが含まれることに注意する(たとえばコールスローや無糖クッキーとケーキなど)。飲み薬、咳止め、咳止めドロップ,その他の薬局で入手可能で糖を含む可能性のある薬はその表示を確認する。「低炭水化物ダイエットに最適」と表示された製品を避けなさい。

 

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勝つ投資 負けない投資

  • 一般に機関投資家は大きな資金を動かします。資金力さえあれば勝てると考えている人もよくいますがこれは誤りで、その巨大さが時には大きな足かせとなる場合もあるのです。
  • また、彼らは大概顧客の資産を預かって運用する立場なので、投資には透明性と説明責任が常に伴います。資産運用ビジネスには信用が何よりも大切ですから、預かった大切な資産をギャンブルのような取引で運用できないように、投資判断をするファンドマネージャーや、取引を行うトレーダーには様々なルールが課せられているのです。
  • そのひとつが、流動性に乏しい銘柄には投資しないというものです。株式投資における流動性とは売買代金のことで、トヨタであればある日の商いをみると751万株、626億円もの取引が行われているため、億単位で投資をしていても1日から数日で売買を完了させることができます。しかし、上場企業の中にも、一般にほとんどその名を知られていないような小型株も存在します。そうした銘柄は時価総額が数十億円程度の小さいものから存在し、1日の売買代金は数百万円から数千万円。時には1日を通じて売買が成立しないこともあります。このような銘柄では、買うにも売るにもとても時間がかかってしまうし、その間に不測の事態が起こった場合、売るに売れないまま巻き込まれてしまいます。これではリスクが高過ぎるということで、「流動性が基準に満たない銘柄への投資は避けよう」ということになるわけです。
  • もうひとつは、「フルインベストメント」という考え方です。ほとんどの投資信託やファンドでは運用資産のうち現金で持っておけるのは数%までとルールで定められています。
  • これは何を意味するかというと、今はあまり儲からなさそうな相場だとか、下手をすればこれから株価が下げていきそうだと運用者が思っていても、株を売って次のチャンスに備えることができないということです。
  • 普通の人が聞くといかにもバカバカしいと思うかもしれませんが、これは市場平均より好成績を納めれば優秀とみなす運用業界の評価基準から来るものです。つまり、ベンチマークとしている指数である日経平均株価TOPIXが年間で5%下落していたら、10%の下落ですませたファンドマネージャーは「非常に優秀」ということになります。
  • しかし、個人投資家には上記の2つのことはいずれも理解し難い話だと思います。将来上がりそうな良い銘柄であれば、流動性に乏しかろうが買うべきだし、自分の大切な資産が目減りしている状態で、ベンチマークより下落がマシだったから今年は良かったなと振り返られる人はほとんどいないでしょう。
  • まだ日の目を見ていない銘柄を先に仕込んでおいて、人気が出るのを待つ。下がると思えば売っておいて、安くなってから買い直してリターンを得る。そうした自然な投資行動を取れる機動力こそが、個人投資家機関投資家に対して優位に立てる唯一の武器なのです。それをどう活かすかが、投資活動の成否を決める重大な鍵となっていきます。
  • 慎重に銘柄を選別しますから、大きく外すリスクはかなり低減されているはずです。ただ、その一方で得られるはずのリターンの一部は、取り逃がしてしまっています。「この銘柄、いいかもしれないな」というインスピレーションが湧いたところから数えて1か月後、2か月後にようやく投資行動に出るのですから、その間に他の投資家が、その銘柄の価値に気づいて買い進め、株価がかなり上がってしまうケースもよくあります。この投資の意思決定の遅さは、組織で運用を行う機関投資家にとっては、大きな制約のひとつといえます。
  • つまり、こうした機関投資家の弱点を知ってさえおけば、個人投資家でも十分、機関投資家に太刀打ちできるということです。巨砲を持つ戦艦大和が、機動力に勝る駆逐艦に負けるようなことは、株式市場では頻繁に起こっています。