- 既存の社会の取り決めが不当な格差を生んでおり、集合行為を妨げているという点では、われわれは左派と同じ意見である。しかし左派の欠陥は、政府の官僚的エリートが社会の病理を治すとして、裁量的な力に依存していることだ。左派が思い描くエリートたちは、善良で、イデオロギーが中立で、公共の利益をいちばんに考えているが、現実にはときに恣意的だったり、腐敗していたり、無能だったり、悪いイメージが先行してしまって国民から信頼されていなかったりする。市場にはもともと急進主義が備わっているとわれわれは考えている。
- われわれが思い描くラディカル・マーケットとは、市場を通した資源の配分(競争による規律が働き、すべての人に開かれた自由交換)という基本原理が十分に働くようになる制度的な取り決めである。オークションはまさしくラディカル・マーケットだ。オークションでは参加者は互いに入札し合うルールになっているので、競売にかかるものは、それをいちばん必要としている人の手に渡ることになる。ただし、入札価格の違いは、それをほしいと思う気持ちの差によるものだけでなく、富の格差によって生まれている場合もあることに注意しなければいけない。
- オークションは不動産の売却、美術品、ファンドレイザーのためのものだと考えている人がほとんどだ。インターネット上では日常的に行われているとはいえ、それが広く一般に公開されることはない。しかし、以下に述べるように、オークションが私たちの社会に浸透したら、 リオを、そして世界を救うことができるかもしれない。
完全競争という幻想
不完全な市場システム
- 当時、市場は「完全に競争的」であるとの前提に立つ経済学者が増えており、それが分析の基礎になっていた。市場が完全に競争的であるということは、少数の同質な商品があって、どの商品も大量に保有したり購入したりする個人は存在しない、ということである。自分の商品を売り、必要なものを他人から買うために、全員が激しく競争しなければいけない。穀物が完全競争市場の古典的な例である。どの穀物生産者も市場で大きなシェアを持っていないので、1人の生産者
が価格に大きな影響を与えることはできない。くわえて、非常に多くの製粉業者、牧場主、パン屋が穀物を買うので、1人の買い手が買い控えをして価格を押し下げることもできない。市場が提示する価格がどのようなものであっても、全員がそれを受け入れなければいけない。
- しかし、ジョーン・ロビンソンら、先駆的な経済理論家が指摘したように、現実の世界ではこのように動く市場はほとんどない。ここで、家を買うプロセスを考えてみよう。住宅市場のうち、完全競争状態にいちばん近いのは、大都市の住宅市場である。大都市の住宅市場は、家が絶えず供給され、たくさんの人が家を買おうとしている。だが、そうしたところで家を買うか売るかしたことがある人なら誰でも知っているように、システムは完全とはほど遠い。立地も、設備も、眺望も、日当たりも、家によってそれぞれ違う。同質とはおよそかけ離れており、穀物とは別物である(穀物が同質なのは、入念なマーケットデザインの結果にほかならない)。取引がまとまらなければ、住宅の購入は何カ月も先送りされることになり、その間に買い手は条件に合いそうな他の家を探す。
- そうだとすると、買い手にも売り手にも強い交渉力があることになる。どちらも相手がいくらなら支払ってもいいと考えているか、いくらなら受け入れてもいいと考えているかを見きわめて、最も有利な価格を勝ち取ろうと躍起になる。そんな戦略的行動のせいで取引が失敗してしまうこともある。たとえうまくいったとしても、その過程で膨大な時間と労力が浪費されている。複雑なビジネス取引だと、問題が拡大する。 たとえば、土地開発計画では、工場やモールを建てるために隣接する数多くの土地を買い上げなければいけない。デベロッパーのリスクがとても高いので、既存の住宅の所有者は交渉で優位に立つ。多数の住宅所有者が高額の支払いを求めて合意を渋れば、計画が遅れたり、場合によってはストップしたりする。
- 個人や企業が参加する市場のほとんどは、穀物市場よりも住宅市場に近い。 工場も、知的財産も、企業も、絵画も、どれも非常に特異的で、二つとして同じものが存在しない資産である。このようなケースは他にもたくさんあり、完全競争の前提はほとんど意味をなさない。労働市場もそうである。すべての労働者は才能も性格も違えば、住んでいるところも違う。インターネットサービスや航空会社のフライトなど、相対的に同質な商品の市場は数多くあるが、そこでさえ少数の企業が市場を支配している。しかも、そうした企業がたくさんあるように見えるときでも、所有者が同じであったり、共謀していたりすることが多い。このように、市場支配力(企業や個人が自分たちに有利になるように価格に影響を与えることができる力)は、経済の隅々まで行き渡っている。 市場支配力は、現在の資本主義の組織構造に偏在する固有のものであり、スタグネクオリティと政治対立を生んでいる二つの大きな原因の一つだと、われわれは考えている。
市場が存在しない領域
- もう一つの大きな問題は、市場支配力がはびこる市場がある一方で、人間の生舌のさまざまな領域では、人々の幸福を大きく高める市場が存在しないことだろう。この問題が特に深刻なのが、ふつうは政府が提供する財やサービスである。警察、 公共公園、道路、社会保険、国防がその例だ。いま必要とされているのは、政治的影響力の市場なのである。
- 政治的影響力の市場など、荒唐無稽に聞こえる。お金で政治的影響力を買うことが許されるなら、政治は一握りの金権主義者にコントロールされてしまうのではないか。19世紀後半のアメリカで蔓延した政治腐敗の歴史がそれを物語っている。その当時、地方の政治家は宗教組織や鉄道関係者、石油王らに広く買収されていた。
- だが、これに代わるモデル、 つまり、すべての市民に平等な発言権が与えられて、すべての問題が多数決の原理で決まるというモデルには深刻な欠点がある。多数者が支配するようになると、少数者はどうなってしまうのだろう。トランスジェンダーの人たちがトイレを使う権利や中絶の防止など、少数者が強い関心を持っている問題があっても、その問題の重要性に見合った影響力を行使する方法がない。1人1票制がとられているために異なる集団同士が歩み寄ることができず、イデオロギーのブロックの間で権力が激しく振れている。
- 現代の生活の中で市場がほとんど存在しない領域は、政治だけではない。移民が厳しく制限されて、国境をまたぐ労働の貿易が止まり、労働市場に穴が空いている。デジタル経済で非常に価値のある商品の一つであるデータは、グーグル、フェイスブックといった企業が収集して収益化しているが、そうしたデータを生み出すユーザーが直接報酬を受け取ることはない。データの市場が強く必要とされているが、そうした市場はまったくない。市場経済は完全に競争的であるとされており、そうであるように見えるかもしれないが、実際には市場の独占と欠落が生じてしまっている。
- このような状況を見ると、標準的な経済学のレトリックが拠って立つバラ色の前提に疑問がわいてくるが、同時に、見過ごされている機会も浮き彫りになる。市場支配力が市場をむしばんでいるばかりか、市場が存在すらしていないことも多いという現実と向き合えば、左派と右派の二極化を避けることも、偏見と特権に立ち向かう急進主義者の闘いを再開させることもできるだろう。
私的所有が効率的な資源の配分を妨げる
- 地主も独占者と同じように、土地を売るときに、最初に公正な価格を提示した人に売らずに、高額な価格が提示されるまで合意を渋ることで(市場への供給を絞るのと同じことになる)、売却益を増やすことができる。その間、土地は使われないか、有効に活用されない。このため、私的所有は実際には効率的な資源配分を妨げるおそれがある。それは土地の私的所有に限ったことではない。同質な商品を除けば、どの資産でも私的所有が効率的な資源配分を妨げる可能性がある。ビジネス機器、自動車、美術品、家具、航空機、知的財産を考えてみてほしい。どれも金額は小さくない。現代の経済には私有財産がたくさん存在するので、独占やこの後で述べる独占に関連する問題が引き起こす資源配分の失敗によって、生産が25%以上押し下げられている可能性があることが、実証研究で明らかになっている。アメリカだけで1年に何兆ドルも失われている計算だ。
- このように、急進主義者のラディカルな改革が生み出した資本主義システムは、土地と労働の自由な流れを妨げていた制約を緩め、土地と労働が最も有効に使われるようにしたかのように見えたが、制約がすべて取り払われたわけではなかった。独占力が進歩の道筋に立ちふさがっていたのである。
ヘンリー・ジョージの「土地税」と「モノポリー」 ゲーム
- 先に述べたヘンリー・ジョージは、独占問題を解決する方法を提唱した。そのアイデアはおそらく経済学者の間で最も傑出したものだろう。共同所有を達成するうえで、国有化よりも「もっと単純で、もっと容易で、もっと穏やかな方法」とは、「公共の用途のために地代を租税として徴収することである」と、ジョージは説いた。
- ジョージの土地税は、今日の固定資産税とは違っていた。固定資産税は一般に税率が1~2%と低いが、土地と家屋を合わせた評価額がベースになり、評価額は政府の鑑定士が査定して決めるのがふつうである。一方、ジョージの土地税は税率がはるかに高い。土地を占有するために支払わなければいけない地代の100%になる。ただし、土地の上に建てられている構造物の価値には課税されない。 鑑定人は、最近売却された近隣の空き地の事例に基づいて、 家屋の価値のうち、家屋の下にある改良されていない土地から生じている部分がどれだけあるか(つまり、家屋が解体された場合にその土地にどれだけの価値があるか)を判定する。この土地の価値はすべて税金で没収されるが、土地の上にある構造物が超過価値を生み出せば、その分は住宅所有者のものになる。
- そうした「地代」に100%課税されると、所有者は土地の上に建てたものの価値はすべて享受できるが、土地そのものの価値については、その全額を政府に払わなければいけなくなり、土地を借りた人とまったく同じことになる。「土地の独占はもう割に合わなくなる。いまは価格が高くて他の人が締め出されている何百万エーカーもの土地が放棄されるか、わずかな金額で売却されるだろう」。政府が土地の所有に課税すれば、自分の土地を生産的に使うことができる人はそうするので税金を払うことができるが、土地税がなかったら土地を遊ばせて安閑としていたであろう人たちは、土地を売却して、税金を逃れようとする。
- ジョージの提案はたちまち大衆の心をとらえた(図11参照)。ボードゲームの歴史で最も有名なものといえる「モノポリー」は、「地主ゲーム」と呼ばれたゲームが原型になっている。ジョージのアイデアを大衆に教えるために、エリザベス・マギーが1904年に考案した。いまはおなじみのルールでは、プレイヤーは土地を独占して、他のプレイヤーを破産に追い込み、ゲームから脱落させようとする。ところが、オリジナルはルールが違っていた(イーベイでフォコーポリー・プレス版を買うことができる)。 地代に税金をかけて (土地の上に建てられている家屋には課税されない)、それが公共工事の財源になるので、プレイヤーは公共会社と鉄道
をタダで利用できるし、いまは「GO」と呼ばれているところを通過すると社会的配当を受け取り、サラリーが増える。こうしたルールがあるため、1人のプレイヤーが独占を達成することはできず、誰かが自分の土地を開発すると、すべてのプレイヤーがその恩恵にあずかれる。
- 1933年には、アメリカの哲学者、ジョン・デューイが、ジョージの『進歩と貧困」は「政治経済に関して書かれたそれ以外のほぼすべての本を合わせた販売部数を上回った」と推測している。著名な政治家や思想家の中にはジョージ主義者が大勢いた。貴族階級のウィンストン・チャーチル、 ラディカルな進歩主義者のデューイ、シオニズム運動を起こしたテオドール・ヘルツルらがそうである。
ジョージ主義の欠陥
- だが、ジョージ主義には深刻な欠陥があった。構造物の下にある土地の価値に100%課税されて没収されるなら、所有者は土地に投資することはおろか、手入れをするインセンティブすらなくなってしまう。これは投資非効率という問題だ。当時、土地の投資非効率は問題とされていなかった。 土地を保守管理する必要はない、土地に価値を付け加えることができるのは、家屋のような地上構造物だけだと考えられていたからだ。しかし、こうした前提は環境に与える損害を無視していた。生態学者のギャレット・ハーディンは後年になって、単独の所有者がいない土地は往々にして過放牧に陥り、浸食され、汚染されると考察した。 これはハーディンが「共有地の悲劇」と呼ぶ状況である。鉱山からとれる金属、油井からとれる石油など、枯渇する可能性がある天然資源では、それ以上に大きな問題にぶつかった。土地に100%課税されると、そうした資源の所有者はできるだけ早く石油や鉱石をとりだそうとするので、資源が浪費されてしまう。
- くわえて、ジョージの提案が実現していたら、行政にとっては悪夢になっていただろう。ジョージは自然の賜物である土地と、土地の上に建っているか、土地を使用しているあらゆるもの(ジョージのいう「人工資本」)とを区別し、前者には課税すべきだが、後者には課税すべきではないとした。この線引きはたぶんに人為的なものだった。工場は鉱山からとられた金属で建てられており、工場は一度建てられると、土地とまったく同じように独占されやすい。また、工場は簡単に動かせないし、工場が地域の発展を後押しするかもしれない。そうなれば土地の価値は上がる。そのため、土地から生まれる価値とその上に建っている構造物の価値を区別するのは至難の業だ。
- この点を、エンパイア・ステート・ビルを例に考えてみよう。このビルの下にある土地の純粋な価値はどうなのだろう。隣接する土地の価値と比較して推定することもできる。しかし、ビルそのものが周辺地域の土地に価値を与えている。ビルがなくなれば、周囲の土地の価値はほぼ間違いなく変わるはずである。土地と建物、場合によっては周辺地域は互いに強く結びついているので、それぞれの価値を別々に算定するのは難しい。他の地域もそうだろう。純粋に物理的な立地条件よりも、建造物の外観やイメージ、建物や通り、公園、小道との関係性といった、それ以外のさまざまな要素によって決まる部分のほうが大きい。
中央計画制の欠点
- その中で、限界革命の3人目の立役者、カール・メンガーの門下生であるルードヴィヒ・フォン・ミーゼスとフリードリヒ・ハイエクは、中央計画制の欠点を指摘した。中央計画の立案者には、最適な配分を決定するための情報と分析能力がない。人の評価というのは私的な情報である。
- 市場の真髄は、価格システムを通じてこの情報を消費者から生産者に伝える能力にある。これに対し、中央計画制では大規模な資源配分の失敗が生まれ、誰もほしがらないものが生産される。それがソ連のような現実世界の社会主義経済の特徴だった。さらに、経済が中央集権化したことで、政治的濫用が生まれる道が開かれた。 ハイエクはこれを「隷属への道」という印象的な言葉で表現している。
- 中央計画制の恐ろしさを目の当たりにした西側の自由主義者は、資本主義は、たとえ限界があるとしても、経済を組織する優れた方法だと考えるようになった。独占を防ぐには、非常に重要な産業で反トラスト法をつくり(第4章を参照)、規制を導入し、国有化を制限することが最も効果的だった。アメリカでは、政府は電力事業などの「自然独占」に価格規制をし、ヨーロッパでは、大規模な公益企業や大企業は政府が所有することが多かった。戦後の好景気にわく中で、私有財産に関する根本的な問題は影が薄くなっていった。
私的な交渉と独占問題
- 独占問題が深い凍結状態に陥っていたのは、コースが1960年に発表し、いまでは古典になっている論文「社会的費用の問題」が誤って解釈されていたからだった。 コースによれば、取引(つまり交渉) コストが低ければ、所有権がどう配分されようと、効率性には影響を与えない。交渉を通じて、最も価値の低い用途から最も価値の高い用途へと財が譲渡される。あるオフィスビルで、静かな医者のオフィスと、大きな音がする音楽教師のオフィスが、薄い壁をはさんで隣り合わせになっているところを想像してみてほしい。医者は音に悩まされていて、音楽教師には出ていってもらうか、防音壁を設置してほしいと思っている。ある法的なルールの下では、音楽教師には好きなだけ大きな音を出す権利が認められる。別のルールの下では、医者には騒音がない環境で静かに暮らす権利が認められる。
- コースの議論に照らすと、理想的な条件下では、最終的に両者が合意する騒音の水準は同じになる。一方のシナリオでは、医者は音楽教師にお金を払ってもう少し静かにするようにしてもらい、もう一方のシナリオでは、音楽教師は医者にお金を払って、ある程度の音は受け入れるようにしてもらう。交渉が完全であれば、法律では騒音の水準は決まらず、誰が誰にお金を払うかという点にだけ影響を及ぼす。
- コースの主張は一般に考えられているよりも複雑なものだったのだが、資本主義の熱烈な擁護者は細かい部分を無視した。 その1人がシカゴ大学のノーベル賞経済学者、ジョージ・スティグラーである。1966年版『価格の理論』で、所有権が強力で明確に定義されていれば、私的な交渉によって、常に効率的な結果がもたらされるという単純すぎる考え方を正当化するものとして「コースの定理」を提唱した。この誤った解釈は、独占問題を想定しておらず、私有財産は投資効率性を高める優れた制度であることを暗に示している。主流派の経済学者の大半は、いまでも交渉によって独占問題はなくなると想定している。
設計によって競争を促進する
ヴィックリーが提示したオークションという制度
- しかし、すべての思想家がスティグラーに追随したわけではなかった。ヴィックリーは独占問題を認識して、共同所有というジョージのビジョンに敬意を払い、独自の解決策としてオークションという理想の制度を提示した。想像の世界での架空のオークションを「序文」で取り上げた。すべての財産ーあらゆる工場、住宅、自動車が共同で所有されていて、お金を払ってそれを使う権利が絶えずオークションにかけられる。(レンタル料の形で)いちばん高い値をつけた市民は、別の市民がそれよりも高い入札価格をつけるまで、その財を保有する。どの工場、どの住宅、どの自動車も、現時点での最高入札価格が開示され、その金額が、現在の保有者がその資産を使うために政府に支払うことに同意した賃借料になる。これよりも高い価格を入札すれば、誰でもそれを使う権利を主張できる。賃借料として徴収したお金は、公共財の財源に使われ(第2章を参照)、社会的配当として分配される。ヴィックリーはこのユートピア的なビジョンを直接描いてはいないが、彼のアイデアと結びつく部分があまりにも多いので、ヴィックリーが死の直
前まで実現したいと願っていた壮大なビジョンの一部だったのではないかという気がしている。そこで、本書ではこれを「ヴィックリー・コモンズ」と呼ぶことにする。
- 斬新な概念のほとんどは、最初は現実離れしているように見えるものだ。いまから10年前には、アパートをオンラインで見知らぬ人にお金を取って貸すなど、考えられないようなことだった。すでにみなさんの頭には、「ヴィックリー・コモンズができると日常生活が混乱してしまう」という反論が浮かんでいるに違いない。この点については、この章の後のほうで取り上げる。だが、心にとめておいてほしいことがある。ヴィックリーのアイデアは、私たちが毎日訪れるウェブやフェイスブックのページに広告枠を割り当てるのにすでに使われている。数秒ごとに、ヴィックリーが提案したオークションデザインを通じて、そのときにいちばん高い値をつけている人に枠が与えられているのだ。
- 政府もオークションを使っている。コースは連邦通信委員会(FCC)を説得して、放送用電波の周波数帯の利用権を与えたり、政府が決めた価格で売却したりするのではなく、オークションにかけるようにさせた。これに対応して、経済学者のロバート・ウィルソン、ポール・ミルグロム、プレストン・マカフィーがヴィックリーの研究を発展させて、周波数帯を売却するためのオークションを設計した。 しかし、この設計は独占問題を一時的に解消したにすぎなかった。電波オークションは頻繁に行われるわけではなかったので、オークションの勝者は周波数帯を何年も、場合によっては何十年も保有し続けることができた。何年も前に利用権を競り落とした会社は、いまでは利用権を最も高く評価している所有者ではないかもしれない。 新しい会社がその帯域を買いたいと思っても、帯域の保有者がとんでもなく高い金額を要求してくるかもしれない。以下に述べるように、そのとおりのことが実際に起きている。
- ヴィックリーの後継者の筆頭にあげられるロジャー・マイヤーソン(このトピックに関する自身の研究でノーベル賞を受賞)とマーク・サタースウェイトは、ヴィックリーのアイデアを使って、財産の独占性に関するジェヴォンズとワルラスの洞察を深く掘り下げた。2人は、単純すぎるコースの解釈が成り立つのは、買い手が売り手よりも資産を高く評価していることを、買い手と売り手の両方が確信しているという例外的なケースだけであることを数学的に示した。 それ以外の状況では、交渉によって独占問題を克服し、それをいちばんよい形で利用する(いちばん高く評価する)人のところに資産が移動し続けるようにする方法はない。この研究によって、なぜ電波市場では周波数帯が新しい用途になかなか再配分されないのか、そしてなぜ、インターネット広告枠のオークションのほうがはるかにうまくいっているのか、その理由に一部説明がついた。独占問題を解決して、配分効率性を生み出すには、使用のための正当なオークションを継続的に行うしかない。
オークションの問題点とその解決策
- しかし、オークションを継続的に行うと、問題が起きる可能性もある。それは投資効率性の問題だ。自分が保有しているものがいつ他人に取り上げられてしまうかもしれず、入札の売上金も受け取れないことを保有者がわかっていたら、財産を手入れして改良しようとは思わなくなるだろう。こんな状況では、自宅を荒れるに任せてしまうかもしれない。ジョージの土地税案と同じで、ヴィックリー・コモンズは人々に投資を促すインセンティブをもたらさない。
- この問題に対応するものとして、投資を促進するインセンティブが配分効率性よりも重要になる私有財産権 (ジョージのいう「人工資本」)と、配分効率性が投資効率性よりも重要になる共有財産(ジョージのいう「土地」であり、使用はオークションを通じて分配される)を使うことが考えられる。実際に、アメリカの現行の所有権制度がそれに似ていなくもない。私有財産制は広く浸透しているが、政府は国土の大部分をはじめとする莫大な資源を所有して、それを賃貸したり、無償で使用させたりしており、電波のようにオークションにかけるときもある。しかし、あらゆる財産をこのような極端な型に押し込めては、資源の無駄遣いになる。投資効率性の面からも、配分効率性の面からも、きまって非常に非効率な結果になってしまうからだ。大半の種類の財産には投資がプラスになる。また、大半の種類の財産は、耐用期間に人の手から人の手に移っていくし、そうなるべきである。
- もっとよいアプローチは、求められる投資効率性と配分効率性のバランスをとる道を見つけることである。このアプローチを「部分共同所有」と呼ぶことにする。 これは共同所有と伝統的な私的所有の中間にある形態だ。部分共同所有にすれば、一つの財産制度の中で配分効率性と投資効率性が最適化される。共同所有によって独占力が生まれるのを阻止できる一方、私的所有によって投資が促されるからだ。1980年代後半、経済学者のピーター・クラムトン、ロバート・ギボンズ、ポール・クレンペラーが財産権を共有する方法を提示し、イリヤ・シーガルとマイケル・ウィンストンがこれに重要な改良を加えた。
- ジョージ主義に基づく土地税を執行するため、中国の孫文は自己申告制度の導入を提案した。一般には、住宅の所有者は自宅の評価額に一定の税率をかけた金額を固定資産税として支払い、評価額は鑑定評価員と呼ばれる職員が決定する。 孫文のシステムだと、個人が自分の土地の価値を自己申告し、その自己申告額に一定の税率をかけて計算した税額を支払うが、国はいつでもその土地を自己申告額で買い取ることができた。孫文を「建国の父」とする蒋介石政権が台湾に逃れたときに、孫文の仕組みが実行に移された。残念ながら、過少申告された土地を買い取る意思や能力は政府にはほとんどなく、この仕組みはほぼ失敗に終わった。
- シカゴ大学の経済学者、アーノルド・ハーバーガーは、1962年にチリのサンティアゴで講演したとき、腐敗が蔓延するラテンアメリカで固定資産税を執行するという問題を解決する方法として、孫文の仕組みを精緻化したものを提示した。ヴィックリーはベネズエラの財政システムを懸念していたが、鑑定評価員が住宅の所有者から賄賂を受け取って、税負担を最小限にするために評価を過小にすることは日常茶飯事であり、ハーバーガーもこの現状を憂えていた。本人は前例があったことは知らなかったようだが、ハーバーガーが示した解決策には時代を超えたエレガントさがある。
- 不動産......の評価額に課税するのであれば、本当の経済的価値を推定する評価手順を取り入れることが重要になる・・・・・・。経済学者としての答えは・・・・・・単純明快である。所有者一人ひとりが・・・・・・自分の不動産の価値を公表するようにさせて、その金額を支払ってもいいという入札者が現れたら、それを売ることを義務づけるのである。このシステムは単純で、自己拘束的であり、腐敗する余地がなく、行政コストがほとんどかからないうえ、すでに市場にいる人たちにも、不動産を経済生産性がいちばん高い用途に使うようにするインセンティブが生まれる。
- ハーバーガーは政府の歳入を増やす方法としてこの仕組みを設計したが、先に明らかにした独占問題に対するすばらしい解決策を提示している。ハーバーガー税は、後にノーベル賞経済学者のモーリス・アレも提唱しており、評価額を高く申告して資産が購入されないようにするとコストが高くつくので、資産に対して独占力を行使しようとする人を罰するものとなる。申告額を高くすればするほど、支払わなければいけない税金が増えてしまうからだ。
「共同所有自己申告税(COST)」によって所有権を社会と保有者で共有する
- この税金を、富の「共同所有自己申告税 (common ownership self-assessed tax = COST)」と呼ぶことにしよう。富のCOSTは、富を保有すること)のコストでもある。COSTが適用されると、伝統的な私有財産制のあり方が変わる。それが「共同所有」である。私有財産を構成する権利の束の中でも特に重要になる二つの柱」は、「使用する権利」と「排除する権利」だ。COSTでは、この二つの権利がどちらも保有者から社会全般に部分的に移る。
- 最初に使用権について見ていこう。私有財産の一般的なイメージでは、財産を使って得られる利益はすべて所有者のものになる。しかし、COSTの場合は、この使用価値の一部が明らかになり、税金を通じて公共に移転する。税金が高くなればなるほど、移転される使用価値は大きくなる。次に排除権に話を移そう。こちらのほうがはるかに重要なポイントになる。私有財産制では、所有者がみずから売るか手放すまで、財産を持ち続ける。それはつまり、他の人にはその財産を使わせないようにするということである(わずかな例外を除く)。 COSTだと、「所有者」には、財産を自己申告額で買うことを申し入れた人を排除する権利は認められない。逆に、その金額を支払えば、誰でも現在の所有者を排除することができる。したがって、申告額が低ければ低いほど、公共が保有する排除権は「所有者」よりも大きくなる。 税金が上がると価格は下がるので、COSTを上げると、排除権も公共に徐々に移っていき、申告額を支払える人なら誰でも財産の所有権を主張できる。
- COSTとは、社会と保有者で所有権を共有することと概念化できる。保有者は社会から賃借する借り手になる。その財産をより高く評価する使用者が現れると、賃貸借契約は終了し、契約は新しい使用者に自動的に移る。だが、これは中央計画ではない。政府は価格を設定しないし、資源を配分することも、国民に仕事を割り当てることもない。それどころか、後で述べるように、政府の役割はいまよりも限られたものになる。土地を収用する、財産を国有化するなど、裁量的な介入をして、高額要求といった独占に関連する問題を解決する必要がないからだ。 歳入を確保するために、歪んだ裁量的な政府税をかける必要もぐっと小さくなる。さらに、あらゆるものの管理がラディカルに分散される。このように、COSTを導入すると、力が徹底的に分散化されると同時に、所有権が部分的に社会に移る。意外かもしれないが、この二つは実はコインの裏表なのである。 COSTは中央計画の一形態を生み出すどころか、柔軟性の高い使用市場という新しい種類の市場をつくり出して、恒久的な所有権に基づく古い市場に取って代わるものとなる。
一税二鳥
- 本書では、私的に所有されている資産が最も有効に活用されるのを阻む問題をどれも「独占問題」と大まかに呼んでいる。ジョージ、ジェヴォンズ、ワルラスはこの言葉をそのような意味で使ったが、現代の経済学では、独占問題はさまざまな要素に分かれている。われわれはマイヤーソンとサタースウェイトが重視した問題に焦点を当てたが、他の経済学者たちは、資産が最も有効に活用されない別の理由を示している。後で見るように、COSTを導入すれば、すべての問題が一度に軽減される。
「シグナリング」と「保有効果」が消滅する
- 問題の一つは、経済学者が「シグナリング」 や 「逆選択」と呼んでいるものだ。この概念に関する研究で、ジョージ・アカロフとA・マイケル・スペンスがノーベル賞を受賞している。中古車などの資産の保有者はたいてい、その資産の品質を潜在的な買い手よりもよくわかっている。そのため、保有者が高い価格を要求するかもしれない。それは、買い手がその金額を支払ってもいいと考えているだろうと踏んでいるだけでなく、高い価格をつければ、保有者が車を手放したくないと考えていることを伝えるシグナルになるからでもある。この車には高い価値があるに違いないと買い手に思わせる策略だ。そうしたシグナリングは、交渉本の定番の一つである。市場で価格交渉をしたことがある人なら誰でも、この品にはこんなに価値があるんですよと、売り手にとうとうと語られたことがあるだろう。COSTはシグナリングに税金をかけるので、シグナリングの害が最小限に抑えられる。
- もう一つ、取引の障害となるのが、ノーベル賞経済学者のリチャード・セイラーが明らかにした「保有効果」である。セイラーは、あるものを買うために支払ってもいいと考える最大の金額は、それを手放すために受け入れてもいいと考える最小の金額よりも低いことを発見した。実際に触ったことも使ったこともなくてもそうなのだ。抽象的なものでさえ、自分の所有物には高い価値を感じるようである。 最近の研究の結果として得られた証拠によれば、保有効果とは、人間に備わっている根源的な執着心というよりも、交渉で優位に立つために使うヒューリスティック(無意識に使っている経験則)である。あなたが自分の所有するものを心から大切にしているように見えると、相手はそれを価値のあるものと考えて、高い金額を提示するようになりやすい。保有効果は、取引の経験が豊富な人には現れず、交渉や戦略的な取引がめったに見られない社会でも認められない。市場社会で求められる複雑な価格設定をこなす時間と能力がない人の特徴であるようだ。保有効果は取引を阻む壁となり、大きなコストを生んでいる。だが、高い価格をつけることがなくなり、財産が「所有する」ものから「借りる」ものになれば、それもなくなる。
借り入れという問題も解決される
- 借り入れも、資源を取引して有効に活用するのを妨げる障害になる。住宅から工場まで、数多くの資産は、借りるのではなく(少なくとも部分的に)所有していなければ、有効に活用できない。改変や投資をする必要があっても、賃借人はそれが自由にできないからだ。いまは使用されていなくて、集合住宅に改造できる工場がその例になるだろう。だが、現行の私有財産制では、資産を買い取るには高額の費用がかかるので、準備金を厚く積んでおくか、高い借り入れ能力を持っていなければいけない。借り入れの障壁には、信用の欠如、融資がもたらす間違ったインセンティブ、融資関係がもたらすリスクなどがある。低所得者がお金を借りて住宅を買えるようにするために、政府は膨大な資源を投入しており、大勢の人が返済しきれない債務を背負い込んでしまっている。
- COSTはこの問題を軽減するものとなる。保有者は将来支払うことになる税金を計算に入れて、将来のCOSTの支払額から割り引くので、資産に設定する価格は劇的に下がる。さらに、資産にかかるCOSTの支払額を最小限にしようとして、価格を引き下げる。われわれが提案する税率だと、資産価格は現在の水準の3分の1から3分の2下がる。サンフランシスコやボストンのように、人気があって人が密集している地域は、ごくふつうの家が60万ドル以上するが、それが20万ドルまで下がる可能性がある。そうなれば借り入れをする必要が減って、必要なお金が手元にない大勢の人たちが、債務を抱え込まなくても事業を立ち上げたり、住宅を(部分) 所有したりできるようになる。この効果は、低所得者にとって特に重要になるだろう。
取引の障害が減少する
- これ以外にも、怠惰、無能、悪意といった取引を阻む障害があるが、経済学者はこの三つを顧みない傾向がある。私有財産制だと、怠惰な所有者や人嫌いの所有者は、資産を退蔵してしまうものだ。それも、利益を得るためではなく、怠慢によってである。この問題は、封建制度の下で特にはびこっていたように思われる。この時代の地主は、思慮深くもなく、倹約もしないし、勤勉でもなかった。ノーベル賞経済学者のジョン・ヒックスはかつて、「独占の最大の利益は、静かな暮らしを送れることだ」と述べている。COSTの場合、所得を生み出して高い評価額を維持できなければ、もっとうまく使える人に資産を明け渡さなければいけなくなるため、怠惰な独占者は静かな暮らしを送れなくなる。
- COSTはこうした取引の障害をすべて小さくするだけでない。いまは交渉問題に対処するために面倒な手順を踏んだり、次善策を見つけたりしなければいけないが、それが全部不要になる。新車の価格をカーディーラーと何度も交渉しなくてもすむようになるし、自動車ローンで食い物にされることも、下取りで買いたたかれることもない。住宅の売買はストレスだらけなので、ほとんどの人は不動産仲介業者や弁護士を雇うが、高額の料金を請求されるのがおちだ。COSTなら、資産の交換が透明になって、流動性が高くなり、少ない資本でできるようになるため、こうした諸々の手間がかからなくなる。
- これらを積み上げていくと、トータルの利益はとても大きくなる。筆者の1人がアンソニー・リー・ジャンとともに行った試算では、COSTを使ってマイヤーソンとサタースウェイトが明らかにした問題を軽減するだけで、経済における資産の価値は4%、生産はおよそ1%増える。しかし、先に述べたようにCOSTには他にもプラスの効果があること、そして後述するように、COSTを財源として使うと他の非効率な税金が減ることをすべて考え合わせると、生産は5%増えると、われわれは見込んでいる。経済における資産配分の失敗から生まれる損失の合計は25%と推定されていることを考えれば、この数字は妥当だろう。
- COSTには私たちがよく知っている一面もある。ほとんどの人はすでに、強制的に売却されるリスクを知らず知らずのうちにとっている。住宅や車のローンを滞納したら、住宅や自動車に起こりうることなのだ。 朝目覚めると、自分の車が差し押さえられて、持っていかれてしまっているかもしれない。何かを借りるときは、レンタル料を滞納したり、地主が地代を引き上げて支払えなくなったりすると、立ち退かされるリスクがつきまとう。保険に入るときは、困難な状況を評価して「自己申告」するものだし、たとえ暗黙のものにすぎないとしても、住宅や車が破壊されたらお金がどれだけ必要になるか判断することが求められる。ジップカー、ウーバー、エアビーアンドビーが体現している共有型経済(シェアリング経済)が広がり、ある商品を「所有」するのではなく、一時的に「保有」すると同時に、その商品を消費して売る(したがって価格を設定する)ことになじむようになっている。しかし、COSTが取り入れられると、生活はラディカルに変わる。だから、まずは限られた公的市場と商業市場でテストしなければいけない。
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