ブルシットジョブ

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  •  クルトの仕事がブルシット・ジョブの典型例だとみなしうるのは、ひとつの単純な理由による。つまり、それらの仕事口がたとえ消えてなくなったとしても、世の中になんの影響も与えない(make no discernible differencein the world)だろう、ということである。

 

  • 価値のある仕事とは、あらかじめ存在している必要性に応えたり、ひとが考えたこともない製品やサービスをつくりだして、生活の向上や改善に資するような仕事ではないでしょうか。わたしは、ずっと昔の仕事はほとんどがこういう種類の仕事で、われわれが暮らしてきたのはそういう世の中だったはずだと信じています。いまとなっては、ほとんどの産業では供給が需要をはるかに上回っていて、それゆえ、いまや需要が人工的につくりだされるのです。わたしの仕事は、需要を捏造し、そして商品の効能を誇張してその需要にうってつけであるようみせることです。実際、それこそが、広告産業になんらかのかたちでかかわるすべての人間の仕事なのだといえるでしょう。商品を売るためには、なによりもまず、ひとを欺き、その商品を必要としていると錯覚させなければならない。もしも、そんなことにわれわれが携わっているのだとすれば、こうした仕事がブルシットでないとはとてもいえませんよね。
  • 広告業界マーケティング業界、さらには広報業界においては、この種の不満が非常に高まっており、もっぱら広告業界の労働者によって創刊された雑誌(『アドバスターズ」)が存在するほどである。かれらは生活のためにやらされてきた仕事に憤っており、みずからが広告業務で獲得してきた力を、悪事ではなく善いことに使いたいとねがっている。

 

  • だがもちろん、肝心な点は効率ではない。事実、もしも学生に効率的な仕事の習慣を教えることだけを考えるなら、最良の手段は、かれらの学習にゆだねることである。結局のところ、学業は、金銭が支払われないことを除けば(奨学金や仕送りを受け取っているならば、実際には支払われているわけだが)、あらゆる意味で
    実質のある仕事である。事実、パトリックやブレンダンは「現実世界」の仕事を引き受ける義務さえなければ、別の活動にかかわっていただろう。そして、その活動のほとんどすべてと同じく、学業は、実際には、かれらの余儀なくされた仕事もどきの仕事などよりもはるかに実質的なものだ。学業は実質的な内容をもっている。講義に出席し、文献を読解し、筆記訓練や論文作成に取り組み、その結果に対して評価を受けなければならないのだから。けれども実際には、まさにこのことが、学生たちに現実世界を教えなければと考えるようになった権威者たち――保護者、教師、政府当局など―――の眼に学業には欠陥があるようにみられている理由なのである。
  • それがあまりに結果重視にすぎるということだ。試験をパスしさえすれば、好きなやり方で勉強できるのだから。目標達成をめざす学生は自己規律を学ばねばならないが、これは命令下でいかに行動するかを学ぶことと同義ではない。もちろん、学生たちが関与する可能性のあるそれ以外の計画や活動のほとんどについても、同じことがいえる。演劇のリハーサルや、バンド演奏、政治活動、あるいはクッキーを焼いたりマリファナを栽培して同級生に売ったり、などなど。こうした活動が訓練としてふさわしい社会とは、自営業の大人からなる社会か、自律した専門家(医者、弁護士、建築家等)――かつて大学はこのような専門家を輩出すべく設計されていた――から主に構成される社会である。それは、パトリックの完全なるコミュニズムの夢想の主題でもあった、民主的に組織された集団の一員にすべく若者を訓練する方法としてもふさわしいかもしれない。しかし、ブレンダ
    ン が指摘するように、ブルシット化した労働環境に適応するための訓練とそれは、まったく相容れないのである。
  • この手の学生むけバイトの仕事の多くは、IDのスキャンや、からっぽの部屋の監視や、すでにきれいになっているテーブルの掃除といった、ブルシットな業務のたぐいです。学校に通いながら金が手に入るのだからと、だれもが、そうした業務を冷めた目でみています。とはいえ、学生に直接お金を渡して、そんな仕事は自動化したり取りやめたりしてもかまわないはずです。
  • 全体の仕組みについてはよくわかっていませんが、こうした仕事の多くは米連邦政府によって資金提供されていて、学生ローンとむすびついています。これは、学生に多額の負債を負わせるべく設計された連邦制度全体の一部であって――学生にとって借金を免れることはとてもむずかしいので、それによって将来にわたって労働に束縛されることが確実になります――、それに付随して、将来のブルシッ ト・ジョブのため の訓練と準備をほどこすべく設計された、ブルシットな教育プログラムもあるのです。

 

  • 金融の支配のもとで、企業活動のあらゆる次元にある種の競争ゲームが導入されてきた。さらにいえば、企業とは対極にあると考えられてきた大学のような組織やチャリティ活動の領域にも、競争ゲームが導入されてきた。おそらく、ハリウッドには、いまだ完全にブルシット化の波に呑まれない部分も残っている。しかし、経営封建制は、いたるところで、何千時間もの創造的な努力の時間を、文字通りゴミ箱行きにしてしまうであろう。ここでもう一度、科学研究や高等教育の領域をとりあげてみよう。助成機関が採用するのが、すべての申請のうちのたった10%だとすれば、申請の準備に投入された労働の90%は、アポロニアの「デブすぎてヤレない』という企画倒れに終わったリアリティ・ショーのプロモづくりに投入された労働と同程度、無意味だったということである(というか、もっと悪い。というのも、あとでそれをイカれたエピソードとして話のネタにすることもできないからだ)。これは人間の創造的なエネルギーの途方もない浪費である。この問題の規模を感覚的につかんでおこう。最近のある研究によると、ヨーロッパの大学は一年間でおよそ一四億ユーロもの大金を、通りもしない助成金申請に費やしているとい もちろんその大金を、研究資金として活用することもできたのはあきらかである。
  • 学者が論文や書評の執筆に対して報酬を受け取ることはないが、少なくとも、かれらに報酬を支払っている大学は、しぶしぶながらも研究は職務の一部であると認めている。ビジネスの世界はもっと悪い。たとえば、ニューヨーク大学でライティングの教授をしているジェフ・シュレンバーガーは、本書の原型となった2013年の小論にブログで応答し、いまや企業人の多数が、もし少しでも満足を感じられる仕事があるならば、それに対する報酬は支払われるべきではないと考えていると指摘している。
  • グレーバーによれば、ブルシット・ジョブは道徳的責務を伴うものである。「あなたがつねに忙しくしていなければ――なんで忙しいのかは大した問題ではないのでなんでもよい――、あなたは悪人なのである」。だが、このような論理には裏面があって、それはつぎのようなものである。あなたがXというおこないを本
    当に好んでいるとする、それに、そのおこないには価値もあり意味もあって、内面的な報いをあなたにもたらしてくれるとする。とすれば、そのおこないに(十分な)報酬を期待するのはまちがっている。そのおこないによって他者が利潤を得るとしても(とりわけそのようなばあいこそ)、無償でそれをおこなうべきである。
    いいかえれば、われわれはきみが好きなことを(タダで)やることで食わせてもらうが、きみの食い扶持はきみのいやなことをやって稼がなきゃならないのであって、そうじゃなきゃ許さないよ、というわけだ。

 

  • 前章で展開した「価値」と「諸価値」の対立に立ち戻るならば、つぎのようにいえる。もしたくさんお金を稼ぎたいのであれば、そうする方法はある。一方で、もし別のかたちの価値――真実(ジャーナリズム、アカデミックな研究)、美(アート世界、出版界)、正義(社会運動、人権活動)、チャリティなど――を追求し、なおかつそれで食っていこうとするならば、家族の資産や社会的ネットワーク、文化資本などがある程度なければ、それは端的に不可能である。「リベラル・エリート」とは、お金を稼ぐこと以外の目的をもって活動してもお金を稼ぐことができる地位に実質的に組み込まれている人びとである。かれらはあたらしいアメリカの貴族階級になろうとしており、おおむねそれに成功しているとみなされている。ハリウッドの特権階級と同じである。かれらは世襲の権利を独占し、それによって豊かな暮らしと高い目的に寄与しているという充実感―――高貴であるという実感―の両方を得ることのできる職に就いているわけだから。

 

  • 労働にかかわりのない万人の生活保障が提起されると、最初にあがる典型的な反論は、そんなことをしたら人間はたんに働かなくなるだけだというものである。しかし、これは明白な誤りであり、ここではあっさりと退けてよいと思う。二つ
    めのより深刻な反論は、たいていの人間は働くかもしれないが、その多数が自己満足的な関心でのみ働くのではないか、というものだ。つまり、へたくそな詩人とか、ひとをイラつかせるようなパントマイマーや、イカれた科学理論の布教者などで街は満ちあふれ、だれもやるべきことをやらなくなるだろう、というわけだ。ブルシット・ジョブ現象が痛感させてくれるのは、そのような発想の愚かさである。自由な社会の一定の層が、それ以外の人びとからすればバカバカしいとか無駄だとおもえる企てに邁進するであろうことはあきらかである。しかし、
    そのような層が、10や20%を超えるとはとても想像しがたい。ところが、である。富裕国の37%から40%の労働者が、すでに自分の仕事を無駄だと感じているのだ。経済のおよそ半分がブルシットから構成されているか、あるいは、ブルシットをサポートするために存在しているのである。しかも、それはとくにおもしろくもないブルシットなのだ!もし、あらゆる人びとが、どうすれば最もよいかたちで人類に有用なことをなしうるかを、なんの制約もなしに、みずからの意志で決定できるとすれば、いまあるものよりも労働の配分が非効率になるということがはたしてありうるだろうか?

MONOQLO 202101

恒例のベストバイオブ・ザ・イヤーです。

  • 歯ブラシはタフトで異論がありません。以前通っていた歯医者で薦められて以来、ずっと愛用しています。

  • LDKもMONOQLOも歯磨き粉はずっとクリーンデンタル推しですね。歯周病リスクのある人にはおすすめですし、フッ素濃度1400ppmは優秀です。長い間日本の歯磨き剤のフッ素濃度の上限1000ppmで、諸外国と比較すると明らかに濃度が低かったのですが、2017年3月に歯磨き剤のフッ素濃度の上限が、1500ppmまで引き上げられたので、ようやく日本の歯磨き粉もまともに使えるようになりました。一昔前まで推していたコンクールのジェルコートは950ppmなので、上限引き上げに合わせて濃度を引き上げるべきだと思います。チェックアップは以前950ppmでしたが、現在は1450ppmでクリーンデンタルを上回っています。同じくライオンのクリニカシリーズも1450ppm、歯周病リスクがなく、少しでも高いフッ素濃度を求めるなら、こちらを選ぶべきかもしれません。

  • ただ、本当にフッ素濃度を求めるのであれば、やはり輸入品に頼るべきです。たとえば私が個人輸入しているClinproは5000ppmです。デンタルケアガチ勢は今後も輸入を前提に戦うことになるでしょう。

www.3m.com

  • 最近はやっているAndroid TV内蔵のプロジェクターとかいう玩具、画質も音質もガチ勢には物足りなかったですが、子供用の玩具と思えばよさそうです。

  • リップのベストバイはバルクオムのTHE LIP BALMですか。個人的にはCHANELのBOY DE CHANEL LIP BALMが未だにベストバイです。

www.vogue.co.jp

  • プアマンズヨギボーのPigroがベストバイ、コスパはいいと思いますが、カラーバリエーションが少なく、やや形が作りにくいので、好みの問題ではないでしょうか。高々1万円の差なのでヨギボーでいいと思いました。

  • ノイキャンのベストバイはBoseの700に軍配ですか。SONYのWH-1000XM4のほうがノイキャン機能は上だと思いますが、プラスチッキーな見た目が低評価。原音再生能力を重視するオーヲタはMOMENTUM Wirelessを選ぶかなと思いますが、ややコスパが悪いか(僕の普段遣い)。音質最強はShureのAONIC50だと思いますが、無線接続、ノイキャンだと音質の劣化が著しいと、なかなか激しい市場です。

  • バッテリーはそろそろ入れ替えの時期なので、性能評価を鵜呑みにします(自分で比較する気にならない)。ま、分からなくなったらAukeyかRAVPower買っとけってことですね。

  • 食洗機安くなったなー、家電はもうPanasonic一強時代に突入しつつある(白物も美容も)。

  • これは知らなかったもので一番感心しました。ベルメゾンは定期的にこういうナイスアイデアなグッズ出してきますよね。

www.bellemaison.jp

  • 掃除、このカテゴリーは鵜呑みにしてベストバイを買い続けています。自分で比較する気にはならない。

  • シャンプーはMARO、愛用中。

yamanatan.hatenablog.com

  • 毛布、この比較待ってました。さすがに個人では比較できませんから。無印やヒートテック、西川の評価が気になっていましたが、最強はニトリ(値段もやや高いけど)。コスパではトップバリュもよさそうです。

HOME COORDY HEAT わた入り2枚合わせ毛布 -イオンのプライベートブランド TOPVALU(トップバリュ) - イオンのプライベートブランド TOPVALU(トップバリュ)

  •  そしてゲーミング着る毛布、これは意外をつかれましたがすごいですね。買おうかな笑

Begin 2月号

Beginは毎回編集部と好みが合わないので敬遠気味ですが、欲しいモノランキング!というタイトルに惹かれて購入。
  • サバティカルのギリアというテントが抽選でないと買えない状態、ソロキャンパーの知り合い曰くコスパがいいので、初心者におすすめとのこと。

sabbatical.jp

  • 釜浅商店の「庖丁にやさしいまな板」が紹介されてましたね。黒いまな板はまだまだ数が少ないので、それだけで貴重な存在です。

kama-asa.com

  • 同じく黒いまな板といえば、エピキュリアンです。こちらは木製ですので、EVA素材の「庖丁にやさしいまな板」よりも刃当たりが強いです。
  • EVAは刃当たりがソフトで弾力性があるのが最大の魅力ですが、熱に弱いのが最大の弱点です。これを克服しているのがエラストマーです。エラストマーを採用している(黒い)まな板ではビタクラフトとマックが有名です。私はビタクラフトを愛用していますが、マックよりも厚くて重たいので、重厚感が嫌ならマックですね。この辺り、しっかりと掘り下げてくれないので、Beginはいまいちなんだよな。

  • バーミキュラのフライパン、Beginに言われるまでもなく欲しいですよね。ずっとWish listに入ってます。
  • バーニーズのエコバッグ、これは知らなかったのでBeginに感謝。なかなか可愛いエコバッグに巡り会えてないので期待です。お店で実機(?)見てきます。

onlinestore.barneys.co.jp

  • 一昔前に流行ったボディバッグではちょっと容量が心許ないときがあり、aniaryのクラッチブリーフを併用していたのですが、アウトドア向きではないし、ひとまとめにしたいとき用にもバッグがほしいなと思っていたときに登場したのがマスターピースのProgressです。昔マスターピースのボストンを使っていたこともあり、革製品と違ってハードにガシガシ使える点も気に入っています。本誌では、ビジネスバッグとして紹介されていますが、ちょっとビジネスで使うにはカジュアル寄りかな、色にもよると思うけど。
  • マルチパースはWHCがエントリーしていますね。L字型コインケースは、ポイントカード入れで愛用しているので、僕も注目のジャンルです。素材感ではWHCがよいですが、PORTERやBLACK LABEL CRESTBRIDGE、ペッレモルビダとも比較してほしいところです。
  • オシャレなマスクケースを探しているときにVogueの記事で出会った
    THREAD & SPICEのマスクケースがBeginにも。個人的には公式HPのRAFFINEが好きです。

www.tbc-factory.jp

www.shipsltd.co.jp

私のお気に入りマスクケース。(Mayumi Nakamura) | Vogue Japan

2020年買っ(て良かっ)たもの

縄跳び

プランク+腹筋運動を数年間続けていたが、在宅勤務で外出頻度が激減し、有酸素運動を取り入れたかった&効率よく運動をしたかったので、身体活動強度の基準であるMETsを参考に、縄跳びを採用した(ランニングと同等の強度で全身運動、体幹にも効果的)。ベアリング構造、太めのロープ、滑り止めのあるグリップなどからFEELCATを選定した。

公園で飛んでいたのだが、冬は寒いので外にいる時間を減らしたい&アスファルトやコンクリートの地面は非推奨らしいので、室内用にHimartを追加しようか悩み中。

(独)国立健康・栄養研究所[2012] 改訂版『身体活動のメッツ(METs)表』

https://www.nibiohn.go.jp/eiken/programs/2011mets.pdf

在宅環境

在宅環境を整えるため、色々と投資した。

モニターアームは定番のエルゴトロン

モニターアーム補強プレートも買ってよかった。安定性が違う。

スタンディングデスクもやりたいので、机は電動で定評のあるFlexispotに変更。

ヘッドレストが欲しい&後傾に対応する椅子という基準でエルゴヒューマンプロを選択。アーロンは前傾、エンボディはヘッドレストがないので見送りに。

机も椅子も重いので、デスクごとチェアマットで床を防護。

GooglePhotoの改悪、GooglePlayMusic終了により、ローカルのバックアップ環境を見直すことになり、数年ぶりに外付けHDDを購入。NASの運用見直しが来年のテーマ。

オンラインショッピングを利用する頻度が高くなったので、ダンボールナイフを購入。3箱くらい連続で来ると鬱になっていたが、ナイフのおかげで簡単に壊せて楽になった。

家で料理をすることが増えたので、IHヒーターの傷つき防止マットを購入。効果の有無はわからない(使ってない場合と比べることが原理的にできない)けど、精神衛生上はよい買い物だった。

以前からティファールのマルチクッカーを使っているが、使用頻度が高くなったことで、毎回ステンレスのレードルで内蓋を傷つけないようにびくびくするのがストレスに。ということで、新たにシリコンのレードルを購入。最初から買っておけばよかったランキング一位。

使っているフライパンカバーのネジのガタツキが気になったので、新しいものに。

某ラーメン屋で見かけて気になるも既に廃盤、諦めきれず海外から輸入した。水差しが欲しくなったのはSTELTON以来、人生で二度目。

作り置き用の保存容器、プラスチックは色や匂い移りが気になったのでニトリの耐熱ガラス容器に。蓋のパッキンはやや脆弱だけど、コスパ高い。

www.nitori-net.jp

洗濯、お風呂用にマグネシウム粒ペレット。

髪のパサツキが気になったので、評判のいいナノケアを買ってみた。タングルティーザー、エリプスのコンボでかなり髪質は改善したように思う。 シャンプーは引き続きMAROを使っているが、ジュレームもお試しで購入してみた。使用感次第では乗り換えるかもしれない。

ファッション、インテリア

スーツを着る機会が減る=クローゼットで待機する時間が増える、なので、いいハンガーにしてスーツを労ることにした。さすがのナカタハンガー、質感が違って存在感が素晴らしい。スーツも喜んでる(はず)。

在宅で見苦しいティッシュケースを目にする機会が増えたので、某ホテルで目にして気になったティッシュケースを書斎用に購入。リビングで使っている白esseyといい対比になってよかった。

テンピュールの電動ベッドに試乗したら、帰りについてきた。しっかりしたサイズ感で就寝前の読書をサポートしてくれる。

たまたま入ったインテリアショップでウサギと目が合って購入。見てるだけで可愛い。外で使う気にならないので、傘としては失格。

発売情報を見た瞬間に購入決定。今年は旅行に行けなかったので、その鬱憤をこの子に晴らしてもらっている。玄関に鎮座中。

www.yoshidakaban.com

絵を見る技術 名画の構造を読み解く

 
「絵画の科学」という題名にしてくれたほうがよかったのではないかと思う。ある学問分野(科学に限る)を学ぶことは、その分野の色眼鏡をかけて対象を見る能力を培うことであり、ある種の偏見をすることで初めて、これまで見えなかったものが見えるようになる経験を養っていくことである。これはなかなか言語化が難しいし、分かりやすくイメージで説明するのも難しいのだが、ようやくこれを体現してくれる本に出会った。それが本書である。
バランスや構図、色といった知識・技術を得ることで、これまで見えてこなかったものが絵画から浮き上がって見えてくる体験は、まさしくあらゆる学問分野(科学に限る)に通じるものである。この感覚は、物理学を学ぶことで、物理的な現象の背後に隠されている動学方程式が見えてくる感覚と同じであり、また、経済学を学ぶことで、人間行動の背後にある制約付き最大化問題や経済現象の背後にある均衡が見えてくる感覚に通じるものがあるだろう。
もちろん、絵画を楽しむ上で必要な知識や技術を学ぶ上でも有用な書物であることは言うまでもない。こういう絵画論系の本は、えてして時代背景や作者の事情から再現性のない固有のエピソードを語りがちで、汎用性が効かない人文学的な雑学しか手に入らないのが不満だった。筆者はこれを以下のように書いている。
前提知識がなくても、見て分かることがたくさんある――そのことはもうご存知ですね。まずは全体の印象をざっくりとつかみましょう。分からないことがあったら保留にして、あとで調べればいいのです。インターネット時代ですから、背景情報や解釈などは大抵のことがすぐ分かります。でも、観察はあなたにしかできません。
筆者の言葉を借りれば、これまでの絵画論系の本は、インターネットで調べればわかる「背景情報や解釈」を重視しがちで、観察する方法を教えてくれなかったわけだ。しかし、実際に重要なのは観察する方法である。筆者はこれを絵画技術と呼んでいるわけだが、この観察する方法・絵画技術は情報の構造が体系的で、非常に汎用性が高い。前者を文系的な絵画解釈というなら、後者は理系的な絵画解釈と呼んでもいいかもしれない。本書は理系的な絵画解釈の方法論を学ぶことができるという意味で、非常に有用な一冊なのである。
 
「目の動かし方」が違った!
  • 左ページの図は、写真(波間から女性の顔が出ているもの)を見ているときの目の動きを、アイトラッカーという装置を使って記録したものです。
  • 右が美術教育を受けた人の目の動きで、画面を上下左右、端までまんべんなく見ています。どこか一か所に視線が滞留してはいません。一方、左は普通の学生のもので、中央の顔部分ばかりに視線が引きつけられ、背景、特に画面の両サイドにはほとんど目が向けられていません。
  • つまり、絵の見方を知っている人は、目立つ箇所だけでなく、それと背景との「関係性」を意識して見ているのに対し、絵の見方になじみのない人は、目につくところだけに注目しているのです。両者では、目の動かし方そのものが完全に違うということです。ホームズとワトソンにアイトラッカーをつけても、同じような結果が得られそうです。
  • 他の類似した研究からは、美術教育を受けた人とそうでない人では、絵について言葉で描写するときのポイントが違うことが分かっています。前者は「輪郭線がある、ない」とか「この色が目立つ、あの形が目立つ」など造形的な要素を指摘するのに対し、後者は「明るい、暗い」という漠然とした印象を述べる傾向が見られます。
 
  • 司馬遼太郎が絵のタッチなどの表面的な特徴から受ける印象を問題にしている
    のに対して、画伯は絵のデザイン(構造や造形)を見て語っているから起こったものです。一つの絵の二つの側面を見ていたわけで、それぞれの視点ではどちらも正確なのです。
  • つまり「絵の見方を知っている」とは、表面的な印象だけでなく、線・形・色などの造形の見るべきポイントを押さえ、その配置や構造を見ている、ということだと言えます。
  • もちろん、歴史的な背景や画家のプロフィールについて知ることは、絵について深く知るために大事です。しかし、その前に、観察の仕方を身につけておく必要があるのです。ホームズも、自分の仕事に必要なものは「観察と知識」だと言っています。私は美術史の先生から「美術史家はよい探偵でなければいけない」と言われました。観察したことを元に、知識と照合して理解を深めていく仕事だからです。よく観察できないと、知識が活かせないのです。

 

「この世は後を観察しようともしないけど明らかなことに満ちている」
  • ワトソンはホームズの解説を聞いた後、「君の推理の説明を聞くと(中略)話はいうもばかばかしいほど単純で、自分でも簡単にできそうに思える。だが君が推理の手順を一つひとつ説明してくれるまで、私はぽかんとしているだけだ。それでも、私の目は君と同じくらいによいと思っているのだが」と嘆息します。
  • 絵の見方についても、同じことが言えます。知ってしまえば単純なこと。でも、一つひとつの着眼点に私自身の力だけで至れたとはとても思えません。そのくせ、私もワトソンと同じで、目だけは先学たちと同じだけよいと思っているんです。
  • この本で紹介する「絵を見る技術」は、歴史的名画という人類の宝の海を航海するための、地図とコンパスのような役割を果たしてくれます。「この世は誰も観察しようともしないけど明らかなことに満ちている」とは、これまたホームズの言葉です(『バスカヴィル家の犬』)。この方法で見れば見るほど、名画とは本当によくできていると気づかされます。今までどうして気づかなかったんだろう、と何度も驚くと思います。
  1. この絵のフォーカルポイントはどこ?
  2. 主なリーディングラインを挙げてみましょう。どこを指していますか?
  3. 角をどんな風に処理しているでしょう? 両サイドにストッパーはありますか?
  4. 視線はどんな経路で誘導されているでしょうか。入口や出口はありますか?
  5. 奥行きを考慮した視線の経路はあるでしょうか? 
 
  • ではなぜ、斜めの線を使うと動きが出るのでしょうか。
  • 斜めということは、垂直に向かう途中なら起き上がろうとしている、あるいは水平に向かう途中なら倒れかけている、そのどちらかだと人間は感じるものだからです。斜めになっているものは、次の動きを予感させます。
  • さらに、「右肩上がり」という言葉があるように、斜線が右上がりか右下がりかでも、微妙に受ける印象が違ってきます。一般的には、右上がりのほうが元気な印象になり、逆に右下がりは不安な印象になると言われています。ルーベンスの「十字架昇架』は右下がりの斜線を構造線に持ち、前途の暗さが暗示されています。十字架の作る斜線を、両側から斜めに支える人々が強調していて、緊迫感が感じられますね。
  • このように、躍動感を感じる、ダイナミックだと感じるときは、斜線の構造線が隠れている可能性が高いのです。
  • 美術評などでは、こうしたことは言わずもがなであるため、省かれて結論の印象だけが記述されることが多々あります。「堂々として威厳に満ちた絵」は、より即物的に言えば「まっすぐの縦線が強調された絵」ということです。逆に、堂々とした印象を受ける絵だったら、きっとそれは垂直線を構造線にしていると分かるのです。

 

  • 構造線 印象の由来 使われやすい形容詞
  • 縦 立っている 堂々とした、毅然とした
  • 横 寝ている 穏やかな
  • 斜め 動いている ドラマティック、不安定、緊張感
  • 放物線 揺れる、上昇、落下 優美な、優雅な
  • 円 完璧・完成 丸みのある、超然とした
  • 縦+横 安定 厳格な、厳粛な、古典的な
  • S字 リズムある躍動 有機

そもそも絵具って何?
  • あなたがもし絵でも描こうと思ったら、100円ショップに行けば、数百円でカラフルな絵具を揃えることができます。うっかり描き損じても、ためらいなくゴミ箱に捨てられる。もしくは、コンピュータ画面上で、必要な色を選択すればよいだけ。
  • こんな状況、15世紀のダ・ヴィンチデューラーが見たら、卒倒するかもしれません。どういうことか、これからお話ししていきます。
  • そもそも絵具とは、色の素になる物質を、接着剤の役割を果たす「媒材(メディウム)」と混ぜたものです。
  • 溶く材料(メディウム)によって、絵の種類が変わります。油で溶いていたら油絵、膠で溶いていたら日本画、卵で溶いていたらテンペラ画、漆喰壁に塗ればフレスコ画。なら水彩画は水か、というとそうではなくて、これはアラビアゴム。つまり、色の素はみんな一緒で、何で溶くかで呼び名が変化します。
  • 使えた絵具の種類は、有史以来17世紀まで、大きな変化はなかったと言えます。昔の画家は、極端に色数が少ない中で描いていたのです。
  • 現代との違いは、まだあります。現在、お店で売られている絵具は、ほとんどがすでにメディウムと混ぜた状態のものです。一方、昔の画家は、自分で材料をすりつぶし、メディウムで溶いて準備するところから始めていました。また、色の材料によって性質が違うため、それぞれの性質と使用法に習熟する必要がありました。色によっては、強い毒性を持つものもあります。ヒ素や鉛由来の絵具もあったからです。変色や退色の仕方も素材によってまちまちで、うまく扱えば劣化を最小限にとどめられもしますが、まずければ思うような発色が得られないこともありました。
  • 「絵の状態がいい」という場合、保存状態も大事ですが、画家に絵具を扱う技術が前提としてあった、ということなのです。昔の画家は薬剤師のような技能も必要だったのですね。昔の画家ってすごいな、と思いますね。ただし、日本画家は現在でも、昔と同じ手法で、扱いが難しい岩絵具で制作しています。次に日本画を見るときは、そういう点も気にしてみてください。
  • 合成絵具の黎明期には試行錯誤もあり、品質に問題のあるものも当然ありました。『ファン・ゴッホの寝室』のゼラニウム・レーキが出てきたのもその頃のことです。他にもクロムイエローなどは、塗ったはしから変色するという評判が立ったほど。色の耐久性に問題がなくても、素材の毒性が強いため使われなくなったものもあります。問題のある絵具は、次第に淘汰されていきました。
  • 絵具の保存方法にも変化が起きました。1824年、金属のチューブ入りの絵具が発明されます。それまでは、基本は工房で原材料を調合し、持ち運ぶときは豚の膀胱に詰めるなどしていました。チューブ入り絵具ができたおかげで、はじめて屋外で絵が描くことが容易になったのです。
  • そういう中から印象派が出てきます。明るい色を求めた彼らは、どんどん土由来の絵具をパレットから追放し、カラフルな新しい絵具ばかり使うようになりました。そんな時代の申し子であるゴッホは、新旧両方のパレットを経験しています。

鮮やかさと陰影のつけ方
  • 鮮やかさは、影の表現の仕方と大きく関わっています。陰影で立体感を出すことを、キアロスクーロ(明暗法)と言います。中でも繊細に調子を少しずつ暗くして溶けるような輪郭線に描く手法を編み出したのがダ・ヴィンチで、煙みたいなのでスフマート(イタリア語で煙を意味する単語の派生語)と呼ばれます 極端に明るいところも暗いところもないのが特徴です。一方、陰影を極端にしたものが、さきほど見たカラヴァッジョ(167ページ)に代表される画風で 、テネブリズム(「闇」が語源)と呼ばれます。

bijutsufan.com

  • ここで問いたいのは、影の部分では色が失われるのですが、そこが何色で塗られているかということです。
  • ダ・ヴィンチの場合、この影の部分は、少し茶色や黒を足したような濁った色で塗ってあります。煙のような細かなグラデーションになっていて、もっとも暗い部分も真っ黒ではありません。逆にカラヴァッジョの場合は、影は漆黒に近い濃色です。
  • ところが、この二つ以外に、影の部分まで鮮やかな色で塗ってある場合もあります。先ほどのミケランジェロの『デルフォイの巫女』(169ページ)がよい例で、グリーンの衣服の明るい部分が黄色で塗られています。カンジャンテという塗り方で、中世からルネサンス初期に多く見られます。スフマートとは対照的な陰影法で、明るい部分を真っ白く抜いたり、影の部分に違う色を使ったりして、色の鮮やかさを保っています。私は、カンジャンテを見つけると綺麗なので嬉しくなるのですが、ダ・ヴィンチはこの手法を、固有色以外で影を付けるのはリアリティに欠けると言って非難しました。このようにダ・ヴィンチは、自分の考えを人に強く押し付け、融通が利かないところもあるのです。

art.pro.tok2.com

  • そこで、ラファエロは、影の部分に鮮やかな色を使って中間トーンを少し白っぽい色にする手法(「ユニオーネ」)を使いました。こうすれば、濁った色を使わず、しかも固有色だけで陰影がつけられます。
  • 印象派は影を黒や茶色で塗らないことで有名ですが、一種のカンジャンテです。そのために、ルノワールの裸婦は当時「皮膚病」と非難されたりしました。しかし、肌色の影をうっすらと青や緑で塗るのは、歴史的名画でも珍しくありません。フェルメールも肌色の影の部分に緑色を使っています。
  • 近代絵画には、そもそも影を描かない絵も多いのですが、陰影がついていたら、影の部分をどんな色で塗っているか、今後は気にしてみてください。

www.salvastyle.com

artoftheworld.jp

  • 下のゴーギャンの「黄色いキリスト』を見てください。
  • 西洋では、こんなふうに輪郭線をしっかり描くことは、中世では普通のことでしたが、ルネサンス期に途絶え、9世紀の終わり頃までありませんでした。
  • その一因となったのがダ・ヴィンチです。第4章でダ・ヴィンチが「スフマート」という画法を使ったことに触れましたが、これは輪郭線をぼかし、はっきりさせない描き方です。彼は、輪郭線をしっかりと描くのはリアルではないからダメだと言っていました。それは暗に、中世の特徴を引きずり輪郭線をくっきり描く、ボッティチェリのような画家を否定する発言だったのです。

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  • 日本では江戸末期まで輪郭線を描くのは当然のことでしたが、そんな日本の浮世絵の影響などもあって、ゴーギャンの時代には輪郭線を強調する画法が復活し、クロワゾニズムなどと呼ばれました。
  • 一方、印象派のように、描くというより色でもって面を塗る場合、輪郭線は不明瞭になります。現実の世界には、ご存知の通り輪郭線はありません。ですから、輪郭線は抽象化の第一歩とも言えます。
  • 英語で、「輪郭を描く」を意味する delineate という単語は、「詳しく説明する」という意味もあります。線描には、対象を背景から切り出し、強調する効果があります。もし写真のようにリアルに描きたければ、線はあまり強調しないほうがいいということです。
  • 日本の絵画では、輪郭線を描くのを「鉤勒(こうろく)」と言い、そうではなく「面」で描くことを、線を表す「骨」が見えないということで「没骨(もっこつ)」と呼びます。伝統的に絵は線で描くものとされていたので、明治時代に横山大観菱田春草が没骨表現をしたとき、「朦朧派」と揶揄されたものです。
  • このように、輪郭線の有無に対する評価は、地域や時代によって変わります。絵画の歴史は、「抽象化」と「自然化」を行ったり来たりしているのです。
  • 輪郭線を強調して描く場合は、表現の自然らしさが落ちるものの、線の引き方で様々な表情が出せるのが魅力です。線の太さ、長さ、筆圧、線を引くスピード、フリーハンドかどうか、新村の素材感……これらの要素が組み合わさって線の印象を作り上げます。線は線でも、どんな線なのかを味わうと、その役割と効果が見えてくるでしょう。

主要ポイントを一致させる

  • 静物画の名手として有名なシャルダンの『お茶を飲む女性』は、何気ない絵に見えますよね。スプーンでお茶をかき混ぜている女性を、そのまま写生したかのような。

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  • しかし、この絵は鉄壁の構図を誇る絵です。耳、首、肘のリーディングラインを観察しましょう。ラインの集まる「結び目」が、縦一列に並んでいることが分かるでしょうか。こういうふうに目立つポイントが一列に並んでいる こと を、「一致」(coincidence)とか「共線性」と言います。
  • なぜこうなっているかというと、一つには画面に秩序をもたらすため。もう一つは、この線は重要ですよ、と教えるためです。
  • よく絵を描いている人が、絵筆など棒状のもので、対象の大きさをはかったりする姿を見たことがあると思います。あれは、どのポイントが同じライン上にあるかも確認しているのです。
  • この縦線を中心軸にした二等辺三角形に、女性がすっぽり収まっています。この縦線を中心に、絵が展開しているのが見えてきますね。共線性を発見すると、そこがカギとなって次々に絵の謎が解けることも。美術館などで探す場合は、パンフレットなど何かまっすぐなものを、離れたところからかざして見るとよいでしょう。

デジタル円 日銀が暗号通貨を発行する日

集中型と分散型の選択

  • 民間業者が発行するか中央銀行が発行するかにかかわらず、デジタル通貨に関する文献では、集中型と分散型の選択が主要な論点となっている。例えば、いわゆる「マネーフラワー」による通貨の整理を提唱した Bech 氏と Garratt 氏の共著論文でも、両者の選択を主なメルクマールの一つとしている。
  • 集中型は、現在の中央銀行当座預金の運営システムや民間の銀行間決済システムのように、支払や決済に関する情報を1カ所に集約して集中的に決済を行うものを指し、実務家にとって容易にイメージしうる方法である。これに対し分散型は、「暗号資産」の多くが採用したブロックチェーンの技術などによって、支払や決済をネットワーク内の不特定の場所ないし分散した形で行う方法である。
  • 支払や決済の手段がデジタル通貨であるかどうかにかかわらず、両者の間には明確な違いがある。つまり、集中型の場合には決済機関が必要であるが、分散型の場合には決済を認証するルールがあれば良いという点である。
  • 集中型の場合には、決済機関に何らかのトラブルが生じたり、外部からの攻撃を受けたりした場合には、支払や決済が広範囲にわたって影響を受けることになる。それだけに、決済機関に対するセキュリティや頑健性の要求度合いは高く、結果として導入や運営のコストも大きくなる。主要国の銀行間決済システムが民間金融機関による共同出資の形で運営されている理由も、支払や決済を集中して行うことの効率性の反面としてのコストの大きさにあると考えられる。
  • これに対して分散型の場合には、決済機関の導入や運営が不要であるために、運営コストは相対的に低位で、仮に支払や決済の一部に不正を含めて問題が生じても、金融システム全体としては支払や決済を継続できるよう設計することができる。
  • 「暗号資産」の中には、こうした決済のシステム全体としての効率性や頑健性をメリットとして強調するものも多く、その後に中央銀行を含む多様な主体が証券決済や不動産登記のためにブロックチェーン技術を体化したシステムを開発する際には、分散型のこうした優位性が追求されている。
  • もっとも、近年における「暗号資産」の実情をみると、分散型による決済に特有なコンセンサス形成や「分岐」の影響だけでなく、取扱業者におけるセキュリティの不備などによって、特定の支払や決済に生じた問題によって、広範囲にわたる支払や決済が実質的に困難になる局面も散見される。つまり、少なくとも現時点では、集中型と分散型のセキュリティや頑健性に関する相対的な優位性は、実際には当初に主張されていたほど単純というわけではなかった。
  • 両者の選択を中央銀行デジタル通貨の決済に即してみると、集中型は口座形態による支払や決済、分散型はウォレット形態による支払や決済と、各々関連付けられて議論されることが多い。
  • 口座形態での支払や決済は、現在の中央銀行当座預金や民間銀行預金による支払や決済と基本的に同じであり、家計や企業にとってもイメージしやすい。ウォレット形態での支払や決済も、小口の支払や決済に関する最近のイノベーション の下では容易にイメージしうるようになっている。例えば、スマートフォン の支払アプリを使用する際に、銀行券によって「チャージ」するのでなく、中央銀行デジタル通貨によって「チャージ」することを考えればよい。
  • 中央銀行デジタル通貨の支払や決済を念頭に両者を比較する場合、口座形態の優位性を主張することは比較的容易である。なぜなら、支払や決済に関する現在の技術を応用しうる面が大きいほか、個人情報や取引情報の適切な管理や本人確認の仕組みについても、中央銀行デジタル通貨の受払いを担う民間金融機関に引続き実務を委ねることができれば、現在の枠組みを援用しやすいとみられるからである。
  • 同様に、デジタル通貨の発行者である中央銀行がシステムを適切に管理できれば、外部からの不正なアクセスやデジタル通貨の不正使用、デジタル通貨の「偽造」といった問題を有効に防ぐことも可能になる。これら全体を通じて、新たに中央銀行デジタル通貨を発行するのに要するコストや事務負担を軽減できれば、中央銀行デジタル通貨を用いた支払や決済への円滑な移行を実現する上で大きな利点となりうる。
  • 一方でウォレット形態にもメリットは存在する。なかでも、民間主導で進行している金融サービスに関するイノベーションとの親和性が高い点には魅力がある。例えば、中央銀行デジタル通貨を用いて支払や決済を行うためのアプリを、民間業者が提供する広範な金融サービスのためのアプリに組み込むことができれば、ユーザーの利便性が向上するだけでなく、中央銀行デジタル通貨の利便性を強化できる。
  • この結果、中央銀行デジタル通貨の通用力が短期間で上昇するとともに、民間業者がそれをインフラとして活用する多様な金融サービスを開発するインセンティブが高まることで、支払や決済に関するイノベーションが促進されるという好循環も期待される。特に主要国の場合、民間業者がスマートフォンのような分散型端末を用いた金融サービスのイノベーションを進めているだけに、ウォレット形態の採用は、逆にそうした民間サービスをインフラとして活用しつつ、中央銀行デジタル通貨を早期に浸透させることに繋がる面もある。

画家にしかなれない人が画家になる

デサップ:画家になれるかなれないかは、すぐにわかります。なぜなら、世の中には画家よりも簡単にお金を稼げる職業がたくさんあるので、本当に絵が好きでなければ、画家を続けられないからです。逆に言えば、画家を続けている人は、たいてい良い画家になります。私も、子供の頃から画家にしか興味がありませんでした。授業を聞かずに、教科書の挿絵を模写していたので、成績も悪かったです。素行も良くなくて、4、5回は退学と転校になっています。親はがっかりしていましたが、どの学校に行っても絵を描くことはやめませんでした。私は画家にしかなれなかったし、画家にしかなれない人が、画家になるのだろうと思います。 

 

https://www.suiha.co.jp/column/%E5%85%89%E3%82%8A%E8%BC%9D%E3%81%8F%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%8D%B0%E8%B1%A1%E6%B4%BE%E2%80%95%E2%80%95%E3%82%AE%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%B5%E3%83%83%E3%83%97%E3%81%8B%E3%81%8F%E8%AA%9E-2/

デサップ:私の絵はコントラストを強くとっていることが特徴です。明るい部分はより明るく、暗い部分はより暗く描くことを意識しています。パリの街を描くときには、ネオン輝く夜景が多いですが、それもコントラストを強めるためです。また、しばしば雨の上がった後の水たまりを描いて、水に反射する光を描くことで、絵の中の光を多くしています。それから、マチエールにも注意を払っています。実際に絵を見ていただければわかりますが、絵具を塗り重ねて立体的にしています。そして、ユトリロが絵具に漆喰を混ぜたように、私は絵具に砂や樹皮を混ぜています。土や木の幹を描くときに砂や樹皮を混ぜることで、本物のように見せることができるからです。 

https://www.suiha.co.jp/column/%e5%85%89%e3%82%8a%e8%bc%9d%e3%81%8f%e7%8f%be%e4%bb%a3%e3%81%ae%e5%8d%b0%e8%b1%a1%e6%b4%be%e2%80%95%e2%80%95%e3%82%ae%e3%82%a3%e3%83%bb%e3%83%87%e3%82%b5%e3%83%83%e3%83%97%e3%81%8b%e3%81%8f%e8%aa%9e/