絵を見る技術 名画の構造を読み解く

 
「絵画の科学」という題名にしてくれたほうがよかったのではないかと思う。ある学問分野(科学に限る)を学ぶことは、その分野の色眼鏡をかけて対象を見る能力を培うことであり、ある種の偏見をすることで初めて、これまで見えなかったものが見えるようになる経験を養っていくことである。これはなかなか言語化が難しいし、分かりやすくイメージで説明するのも難しいのだが、ようやくこれを体現してくれる本に出会った。それが本書である。
バランスや構図、色といった知識・技術を得ることで、これまで見えてこなかったものが絵画から浮き上がって見えてくる体験は、まさしくあらゆる学問分野(科学に限る)に通じるものである。この感覚は、物理学を学ぶことで、物理的な現象の背後に隠されている動学方程式が見えてくる感覚と同じであり、また、経済学を学ぶことで、人間行動の背後にある制約付き最大化問題や経済現象の背後にある均衡が見えてくる感覚に通じるものがあるだろう。
もちろん、絵画を楽しむ上で必要な知識や技術を学ぶ上でも有用な書物であることは言うまでもない。こういう絵画論系の本は、えてして時代背景や作者の事情から再現性のない固有のエピソードを語りがちで、汎用性が効かない人文学的な雑学しか手に入らないのが不満だった。筆者はこれを以下のように書いている。
前提知識がなくても、見て分かることがたくさんある――そのことはもうご存知ですね。まずは全体の印象をざっくりとつかみましょう。分からないことがあったら保留にして、あとで調べればいいのです。インターネット時代ですから、背景情報や解釈などは大抵のことがすぐ分かります。でも、観察はあなたにしかできません。
筆者の言葉を借りれば、これまでの絵画論系の本は、インターネットで調べればわかる「背景情報や解釈」を重視しがちで、観察する方法を教えてくれなかったわけだ。しかし、実際に重要なのは観察する方法である。筆者はこれを絵画技術と呼んでいるわけだが、この観察する方法・絵画技術は情報の構造が体系的で、非常に汎用性が高い。前者を文系的な絵画解釈というなら、後者は理系的な絵画解釈と呼んでもいいかもしれない。本書は理系的な絵画解釈の方法論を学ぶことができるという意味で、非常に有用な一冊なのである。
 
「目の動かし方」が違った!
  • 左ページの図は、写真(波間から女性の顔が出ているもの)を見ているときの目の動きを、アイトラッカーという装置を使って記録したものです。
  • 右が美術教育を受けた人の目の動きで、画面を上下左右、端までまんべんなく見ています。どこか一か所に視線が滞留してはいません。一方、左は普通の学生のもので、中央の顔部分ばかりに視線が引きつけられ、背景、特に画面の両サイドにはほとんど目が向けられていません。
  • つまり、絵の見方を知っている人は、目立つ箇所だけでなく、それと背景との「関係性」を意識して見ているのに対し、絵の見方になじみのない人は、目につくところだけに注目しているのです。両者では、目の動かし方そのものが完全に違うということです。ホームズとワトソンにアイトラッカーをつけても、同じような結果が得られそうです。
  • 他の類似した研究からは、美術教育を受けた人とそうでない人では、絵について言葉で描写するときのポイントが違うことが分かっています。前者は「輪郭線がある、ない」とか「この色が目立つ、あの形が目立つ」など造形的な要素を指摘するのに対し、後者は「明るい、暗い」という漠然とした印象を述べる傾向が見られます。
 
  • 司馬遼太郎が絵のタッチなどの表面的な特徴から受ける印象を問題にしている
    のに対して、画伯は絵のデザイン(構造や造形)を見て語っているから起こったものです。一つの絵の二つの側面を見ていたわけで、それぞれの視点ではどちらも正確なのです。
  • つまり「絵の見方を知っている」とは、表面的な印象だけでなく、線・形・色などの造形の見るべきポイントを押さえ、その配置や構造を見ている、ということだと言えます。
  • もちろん、歴史的な背景や画家のプロフィールについて知ることは、絵について深く知るために大事です。しかし、その前に、観察の仕方を身につけておく必要があるのです。ホームズも、自分の仕事に必要なものは「観察と知識」だと言っています。私は美術史の先生から「美術史家はよい探偵でなければいけない」と言われました。観察したことを元に、知識と照合して理解を深めていく仕事だからです。よく観察できないと、知識が活かせないのです。

 

「この世は後を観察しようともしないけど明らかなことに満ちている」
  • ワトソンはホームズの解説を聞いた後、「君の推理の説明を聞くと(中略)話はいうもばかばかしいほど単純で、自分でも簡単にできそうに思える。だが君が推理の手順を一つひとつ説明してくれるまで、私はぽかんとしているだけだ。それでも、私の目は君と同じくらいによいと思っているのだが」と嘆息します。
  • 絵の見方についても、同じことが言えます。知ってしまえば単純なこと。でも、一つひとつの着眼点に私自身の力だけで至れたとはとても思えません。そのくせ、私もワトソンと同じで、目だけは先学たちと同じだけよいと思っているんです。
  • この本で紹介する「絵を見る技術」は、歴史的名画という人類の宝の海を航海するための、地図とコンパスのような役割を果たしてくれます。「この世は誰も観察しようともしないけど明らかなことに満ちている」とは、これまたホームズの言葉です(『バスカヴィル家の犬』)。この方法で見れば見るほど、名画とは本当によくできていると気づかされます。今までどうして気づかなかったんだろう、と何度も驚くと思います。
  1. この絵のフォーカルポイントはどこ?
  2. 主なリーディングラインを挙げてみましょう。どこを指していますか?
  3. 角をどんな風に処理しているでしょう? 両サイドにストッパーはありますか?
  4. 視線はどんな経路で誘導されているでしょうか。入口や出口はありますか?
  5. 奥行きを考慮した視線の経路はあるでしょうか? 
 
  • ではなぜ、斜めの線を使うと動きが出るのでしょうか。
  • 斜めということは、垂直に向かう途中なら起き上がろうとしている、あるいは水平に向かう途中なら倒れかけている、そのどちらかだと人間は感じるものだからです。斜めになっているものは、次の動きを予感させます。
  • さらに、「右肩上がり」という言葉があるように、斜線が右上がりか右下がりかでも、微妙に受ける印象が違ってきます。一般的には、右上がりのほうが元気な印象になり、逆に右下がりは不安な印象になると言われています。ルーベンスの「十字架昇架』は右下がりの斜線を構造線に持ち、前途の暗さが暗示されています。十字架の作る斜線を、両側から斜めに支える人々が強調していて、緊迫感が感じられますね。
  • このように、躍動感を感じる、ダイナミックだと感じるときは、斜線の構造線が隠れている可能性が高いのです。
  • 美術評などでは、こうしたことは言わずもがなであるため、省かれて結論の印象だけが記述されることが多々あります。「堂々として威厳に満ちた絵」は、より即物的に言えば「まっすぐの縦線が強調された絵」ということです。逆に、堂々とした印象を受ける絵だったら、きっとそれは垂直線を構造線にしていると分かるのです。

 

  • 構造線 印象の由来 使われやすい形容詞
  • 縦 立っている 堂々とした、毅然とした
  • 横 寝ている 穏やかな
  • 斜め 動いている ドラマティック、不安定、緊張感
  • 放物線 揺れる、上昇、落下 優美な、優雅な
  • 円 完璧・完成 丸みのある、超然とした
  • 縦+横 安定 厳格な、厳粛な、古典的な
  • S字 リズムある躍動 有機

そもそも絵具って何?
  • あなたがもし絵でも描こうと思ったら、100円ショップに行けば、数百円でカラフルな絵具を揃えることができます。うっかり描き損じても、ためらいなくゴミ箱に捨てられる。もしくは、コンピュータ画面上で、必要な色を選択すればよいだけ。
  • こんな状況、15世紀のダ・ヴィンチデューラーが見たら、卒倒するかもしれません。どういうことか、これからお話ししていきます。
  • そもそも絵具とは、色の素になる物質を、接着剤の役割を果たす「媒材(メディウム)」と混ぜたものです。
  • 溶く材料(メディウム)によって、絵の種類が変わります。油で溶いていたら油絵、膠で溶いていたら日本画、卵で溶いていたらテンペラ画、漆喰壁に塗ればフレスコ画。なら水彩画は水か、というとそうではなくて、これはアラビアゴム。つまり、色の素はみんな一緒で、何で溶くかで呼び名が変化します。
  • 使えた絵具の種類は、有史以来17世紀まで、大きな変化はなかったと言えます。昔の画家は、極端に色数が少ない中で描いていたのです。
  • 現代との違いは、まだあります。現在、お店で売られている絵具は、ほとんどがすでにメディウムと混ぜた状態のものです。一方、昔の画家は、自分で材料をすりつぶし、メディウムで溶いて準備するところから始めていました。また、色の材料によって性質が違うため、それぞれの性質と使用法に習熟する必要がありました。色によっては、強い毒性を持つものもあります。ヒ素や鉛由来の絵具もあったからです。変色や退色の仕方も素材によってまちまちで、うまく扱えば劣化を最小限にとどめられもしますが、まずければ思うような発色が得られないこともありました。
  • 「絵の状態がいい」という場合、保存状態も大事ですが、画家に絵具を扱う技術が前提としてあった、ということなのです。昔の画家は薬剤師のような技能も必要だったのですね。昔の画家ってすごいな、と思いますね。ただし、日本画家は現在でも、昔と同じ手法で、扱いが難しい岩絵具で制作しています。次に日本画を見るときは、そういう点も気にしてみてください。
  • 合成絵具の黎明期には試行錯誤もあり、品質に問題のあるものも当然ありました。『ファン・ゴッホの寝室』のゼラニウム・レーキが出てきたのもその頃のことです。他にもクロムイエローなどは、塗ったはしから変色するという評判が立ったほど。色の耐久性に問題がなくても、素材の毒性が強いため使われなくなったものもあります。問題のある絵具は、次第に淘汰されていきました。
  • 絵具の保存方法にも変化が起きました。1824年、金属のチューブ入りの絵具が発明されます。それまでは、基本は工房で原材料を調合し、持ち運ぶときは豚の膀胱に詰めるなどしていました。チューブ入り絵具ができたおかげで、はじめて屋外で絵が描くことが容易になったのです。
  • そういう中から印象派が出てきます。明るい色を求めた彼らは、どんどん土由来の絵具をパレットから追放し、カラフルな新しい絵具ばかり使うようになりました。そんな時代の申し子であるゴッホは、新旧両方のパレットを経験しています。

鮮やかさと陰影のつけ方
  • 鮮やかさは、影の表現の仕方と大きく関わっています。陰影で立体感を出すことを、キアロスクーロ(明暗法)と言います。中でも繊細に調子を少しずつ暗くして溶けるような輪郭線に描く手法を編み出したのがダ・ヴィンチで、煙みたいなのでスフマート(イタリア語で煙を意味する単語の派生語)と呼ばれます 極端に明るいところも暗いところもないのが特徴です。一方、陰影を極端にしたものが、さきほど見たカラヴァッジョ(167ページ)に代表される画風で 、テネブリズム(「闇」が語源)と呼ばれます。

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  • ここで問いたいのは、影の部分では色が失われるのですが、そこが何色で塗られているかということです。
  • ダ・ヴィンチの場合、この影の部分は、少し茶色や黒を足したような濁った色で塗ってあります。煙のような細かなグラデーションになっていて、もっとも暗い部分も真っ黒ではありません。逆にカラヴァッジョの場合は、影は漆黒に近い濃色です。
  • ところが、この二つ以外に、影の部分まで鮮やかな色で塗ってある場合もあります。先ほどのミケランジェロの『デルフォイの巫女』(169ページ)がよい例で、グリーンの衣服の明るい部分が黄色で塗られています。カンジャンテという塗り方で、中世からルネサンス初期に多く見られます。スフマートとは対照的な陰影法で、明るい部分を真っ白く抜いたり、影の部分に違う色を使ったりして、色の鮮やかさを保っています。私は、カンジャンテを見つけると綺麗なので嬉しくなるのですが、ダ・ヴィンチはこの手法を、固有色以外で影を付けるのはリアリティに欠けると言って非難しました。このようにダ・ヴィンチは、自分の考えを人に強く押し付け、融通が利かないところもあるのです。

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  • そこで、ラファエロは、影の部分に鮮やかな色を使って中間トーンを少し白っぽい色にする手法(「ユニオーネ」)を使いました。こうすれば、濁った色を使わず、しかも固有色だけで陰影がつけられます。
  • 印象派は影を黒や茶色で塗らないことで有名ですが、一種のカンジャンテです。そのために、ルノワールの裸婦は当時「皮膚病」と非難されたりしました。しかし、肌色の影をうっすらと青や緑で塗るのは、歴史的名画でも珍しくありません。フェルメールも肌色の影の部分に緑色を使っています。
  • 近代絵画には、そもそも影を描かない絵も多いのですが、陰影がついていたら、影の部分をどんな色で塗っているか、今後は気にしてみてください。

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  • 下のゴーギャンの「黄色いキリスト』を見てください。
  • 西洋では、こんなふうに輪郭線をしっかり描くことは、中世では普通のことでしたが、ルネサンス期に途絶え、9世紀の終わり頃までありませんでした。
  • その一因となったのがダ・ヴィンチです。第4章でダ・ヴィンチが「スフマート」という画法を使ったことに触れましたが、これは輪郭線をぼかし、はっきりさせない描き方です。彼は、輪郭線をしっかりと描くのはリアルではないからダメだと言っていました。それは暗に、中世の特徴を引きずり輪郭線をくっきり描く、ボッティチェリのような画家を否定する発言だったのです。

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  • 日本では江戸末期まで輪郭線を描くのは当然のことでしたが、そんな日本の浮世絵の影響などもあって、ゴーギャンの時代には輪郭線を強調する画法が復活し、クロワゾニズムなどと呼ばれました。
  • 一方、印象派のように、描くというより色でもって面を塗る場合、輪郭線は不明瞭になります。現実の世界には、ご存知の通り輪郭線はありません。ですから、輪郭線は抽象化の第一歩とも言えます。
  • 英語で、「輪郭を描く」を意味する delineate という単語は、「詳しく説明する」という意味もあります。線描には、対象を背景から切り出し、強調する効果があります。もし写真のようにリアルに描きたければ、線はあまり強調しないほうがいいということです。
  • 日本の絵画では、輪郭線を描くのを「鉤勒(こうろく)」と言い、そうではなく「面」で描くことを、線を表す「骨」が見えないということで「没骨(もっこつ)」と呼びます。伝統的に絵は線で描くものとされていたので、明治時代に横山大観菱田春草が没骨表現をしたとき、「朦朧派」と揶揄されたものです。
  • このように、輪郭線の有無に対する評価は、地域や時代によって変わります。絵画の歴史は、「抽象化」と「自然化」を行ったり来たりしているのです。
  • 輪郭線を強調して描く場合は、表現の自然らしさが落ちるものの、線の引き方で様々な表情が出せるのが魅力です。線の太さ、長さ、筆圧、線を引くスピード、フリーハンドかどうか、新村の素材感……これらの要素が組み合わさって線の印象を作り上げます。線は線でも、どんな線なのかを味わうと、その役割と効果が見えてくるでしょう。

主要ポイントを一致させる

  • 静物画の名手として有名なシャルダンの『お茶を飲む女性』は、何気ない絵に見えますよね。スプーンでお茶をかき混ぜている女性を、そのまま写生したかのような。

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  • しかし、この絵は鉄壁の構図を誇る絵です。耳、首、肘のリーディングラインを観察しましょう。ラインの集まる「結び目」が、縦一列に並んでいることが分かるでしょうか。こういうふうに目立つポイントが一列に並んでいる こと を、「一致」(coincidence)とか「共線性」と言います。
  • なぜこうなっているかというと、一つには画面に秩序をもたらすため。もう一つは、この線は重要ですよ、と教えるためです。
  • よく絵を描いている人が、絵筆など棒状のもので、対象の大きさをはかったりする姿を見たことがあると思います。あれは、どのポイントが同じライン上にあるかも確認しているのです。
  • この縦線を中心軸にした二等辺三角形に、女性がすっぽり収まっています。この縦線を中心に、絵が展開しているのが見えてきますね。共線性を発見すると、そこがカギとなって次々に絵の謎が解けることも。美術館などで探す場合は、パンフレットなど何かまっすぐなものを、離れたところからかざして見るとよいでしょう。