完全教祖マニュアル

反社会的な教えを作ろう

  • さて、ここからは具体的な教義作成について考えていきますが、最初にはっきりと述べておきたいことがあります。 皆さんの中に、宗教に関して次のような持論をお持ちの方はいませんか。すなわち、「宗教は社会の安寧秩序を保ち、人々の道徳心を向上させるものであり、社会を乱すものであってはならない」と。 残念ながら、これはとんだ見当外れなので直ちに忘れて下さい。宗教の本質というのは、むしろ反社会性にこそあるのです。特に新興宗教においては、どれだけ社会を混乱させるかが肝だということを胸に刻んでおいて下さい。
  • 現に大ブレイクした宗教を見てみると、どれもこれも反社会的な宗教ばかりです。 イスラム教しかり、儒教しかり、仏教しかり。どれも最初はやべえカルト宗教でした。しかし、その中でも最もヤバいカルトはキリスト教でしょう。イエスの反社会性は只事ではありません。罪びとである徴税人と平気でメシを食い、 売春婦を祝福し、労働を禁じられた安息日に病人を癒し、神聖な神殿で暴れまわったのです。 当時の感覚で言えばとんでもないアウトローで、もちろん社会の敵なので捕らえられて死刑にされます。 同胞のユダヤ人からも、「強盗殺人犯は許せてもイエスだけは許せねえ」と言われる程の嫌われっぷりでした。しかし、イエスはこれほど反社会的だったからこそ、今の彼の名声があるとも言えるのです。
  • なぜ、新興宗教が反社会的になるかというと、そもそも新興宗教はその社会が抱える問題点に根差して発生するものだからです。なので、どうしても反社会的にならざるを得ませんし、また、そこにこそ宗教の意義があるとも言えます。

 

  • そもそも仏教だって本当は墓も葬式も戒名も要らないのですから。
  • せっかくなので、ここで日本における葬式についても少し触れておきましょう。おそらく多くの人は「葬式をすると死者の魂が天国のようなところ(極楽浄土?)に行く」という感覚を持っていると思います。それでも、葬式で何のためにお経を唱えているのかはよく分からないと思いますが、これは平安時代に生まれた二十五三昧会のケースを見れば、その意味も分かるかもしれません。
  • さて、時は平安時代 比叡山の二五人の僧侶が集まり、「オレたち二五人の中で誰かが死にかけたら、協力して極楽浄土へ送ろうぜ」という趣旨のサークルが作られました。これが二十五三昧会です。つまり、仲間が死ぬ間際に周りで念仏を唱えてあげることによって、その人が最後まで阿弥陀仏のことを信じていられるようサポートしてあげる組織でした。 死ぬ瞬間は誰だって怖いでしょうし不安でしょうから、「みんなで協力したい」という気持ちが僧侶の中に芽生えたとしても何ら不思議ではありませんよね。これが我が国における浄土教実践の初期の形であり、この系譜から浄土宗の法然が出てくるのです。
  • そして、この二十五三昧会における葬送儀礼が、現在の日本仏教の葬式に影響を与えていると言われているのです。 「なんで葬式でお経を読むの?」という疑問はもっともです二十五三昧会に関しては死にかけの人を励ます意味で念仏を唱えていたわけです。これなら意味も分かりますよね? 浄土教においては、本来は極楽へ行くための手助けだったのです。
  • 死んだ本人の葬式を挙げることの意味は、これで何となく分かるかと思われます (実際は宗派によって葬式の意味合いは色々と違ってきますが)。しかし、その一方で、日本仏教の葬式が本人だけでなく遠い先祖まで供養しているのはよく分からないと思いますが、これは実際のところ、儒教の影響によるものと言われているのです。
  • 儒教といえば倫理道徳の類で宗教とは関係ない代物と思う人もいるかもしれません。しかし、最初期の儒教では孫が祖父の頭蓋骨をかぶって、祖父の魂をおろしたりするシャーマニックな側面もあったのです。この招魂儀礼を子孫がきちんとやってくれると、死んだ後でも呼び出してもらえるので、ある意味で永遠の生命を得られます。だから儒教では子供や孫に「先祖を敬いましょうね」と熱心に教えていたわけです。 これが儒教における本来の「孝」の意味です。ちなみに、この時、儒教で孫がかぶっていたお爺ちゃんの頭蓋骨は時代と共に変わっていき、現在の位牌へと繋がっています。 位牌は元々儒教アイテムなのですね。
  • そして、そんな儒教の地、中国に仏教が伝来します。ここで中国仏教は儒教の影響を受けて、本来の仏教にはなかった「先祖崇拝」というニュアンスが加わりました。 次に、その儒教的価値観で捉えられた仏教が日本に伝わり、日本人が仏教と儒教を混同した結果、現在のよく分からない日本仏教の祖先崇拝があるわけです。この辺りの過程は実際はもっと複雑なのですが、大雑把にはこのような流れとなっています。
  • なお、仏教には『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』という経典があり、そこでは「善行を積んだら餓鬼道に堕ちたお母さんを救えちゃいました!」というエピソードが書かれています。これだけ見ると、「先祖供養ってちゃんと仏教の中にあるじゃん!」と思うかもしれませんが、実はこれも中国において成立した偽経なのです。おそらく、「仏教にも儒教要素入れとかないと中国人にウケないんじゃない?」と思った当時の中国人が気を利かせて作ったのでしょう。そして、これが現在のお盆に繋がっているわけです。 こういったことからも、現在の日本仏教における先祖崇拝には儒教が大きく影響していると考えられます。
  • このように、現在の日本仏教の葬式は、やはり本来の仏教の教えと懸け離れたものであることは否めません。この点に対する批判は今も根強くあります。それに対する仏教側の言い分も色々とありますが、まあ、実際のところ、重要な収入源だから続けているという面は大きいでしょう。生真面目な人は怒りを覚えるかもしれません。
  • が、しかし、それでも日本の仏教は葬式も墓参りもします。元来の仏教とは懸け離れていますが、別に悪いことではありません。