「しがらみ」を科学する

  • 社会とはしがらみの集まり・・・人々に一定のしかたで行動するように促しているしがらみが、そうした人たちの行動そのものによって生み出されている状態が社会なんだよ。・・・本当のことを言うと、インセンティブ構造という言葉が使いたいんだけど。

 

  • メスの場合には、いくらモテてたくさんのオスと交尾しても、作ることができる子供の数には限度がある。だから、多くの場合、モテる性質が進化しやすいのはオスの方なんだ。
  • 大きくて派手な羽が健康の印
  • こうして、何千世代、何万世代もたつと、派手なハネの雄を好む雌の性質が種の特性として一般化していきます。最初のきっかけは健康のしるしに対しての穏やかな好みだったのが、その好みが増幅されることで、雄のハネがますます大きく派手になり、そして大きくて派手なハネを好む性質を雌がますます強く持つように進化が進んでいきます。
  • その結果、ハネの大きさや派手さは本人の生存にとって望ましくないほど極端になるんだけど、それでも派手なハネは雌にとって魅力を持ち続けるんですね。それは、派手なハネが自分の生む子どもの生存にとって有利だからではなくて、ほかの雌がその性質に魅力を感じているので、派手なハネを父親から受け継いだ男の子が雌たちにモテるからなんだ。
  • だから、仲間たちとの競争に勝ってたくさんの子孫を残す性質が進化したからといって、その性質が本人の生存にとって有利な性質になるとは限らないんですね。

 

  • 実は、教育ママと呼ばれているお母さんたちの多くは、ほんとうはもっとのびのびと子どもを育てたいと思っているのかもしれないかもしれない。だけど、まわりのお母さんが子どもたちに勉強をさせているかぎり、自分も同じように子どもの尻を叩いて勉強をさせることになってしまう。だから、実は受験戦争というのも、予言の自己実現や不況などと一緒で、誰も望まないのに生まれてしまう社会現象としての側面を持っているんだよ。

 

  • 単純な原因―結果という考え方をしないからといって、世の中のできごとについての説明を放棄することにはならないんだよと言いたいんです。
  • 世の中のできごとを説明しようとすれば、まず必要なことは、一人ひとりがどういう原理で行動しているかを知ることだよね。この章で話した例を使えば、いじめのクラスの生徒たちは、安心できれば「いじめ阻止」に参加するという原理で行動している。あるいは、クジャクたちのハネがどう進化するかは、どういうハネを持った子どもの数が増えるかで決まってくる。
  • これが分からないと、なぜある現象が存在しているのかが分かりようがない。進化の原理が分からないと、クジャクのハネがなぜ派手になったのかを説明できない。だけど、進化の原理がクジャクのハネが派手なことの原因じゃあないよね。同じ進化の原理に従って、さまざまな生き物がさまざまなかたちに進化しているんだから。
  • 同じように、生徒たちが傍観者を決め込むかどうかが、「いじめ阻止」に加わってもどれくらい安全かどうかによって決まってくるということが分かっても、それだけではみんなが傍観者にまわるかいじめ阻止に参加するかは分からない。
  • だから、一人ひとり(一羽いちわ)の行動原理そのものは、社会の中で生まれるでき
    ごとの原因にはならない。重要なのは、みんながそうした原理に基づいて行動をした結果、どんな環境が生み出されるかなんだ。
  • たとえば、「いじめ阻止」に何人が参加しているかによって、同じ原理に従っても、参加した方が有利かしないほうがいいのかが変わってくる。あるいは、ほかの雌たちが派手なハネに魅力を感じているかどうかによって、派手なハネの雄を好きになった方が有利かどうかが変わってくる。ということで、「社会」の中での人々(鳥々)の行動を説明しようとすると、一人ひとり(一羽いちわ)の行動原理と、そうした行動原理を持つ人や鳥の行動が生み出しているインセンティブの両方が、どう組み合わさるかが重要だということになる。この二つの組み合わせによって個人の行動が変化するし、その結果、社会環境そのもの(「いじめ阻止」に参加している人数、雌クジャクの好み)も変化する。そうなると、このプロセス全体が原因だと考えざるをえない。これを単純な原因―結果という枠組みで見よう
    とすると「同じことの繰り返し」になってしまうし、場合によっては「心でっかち」になってしまうんだよ。

 

  • 山本七平さんが言っている「空気」というのは、要するに、この本で話してきた「社会」です。つまり、ほかの人たちからの反応を予想してとる行動が、その反応をとるインセンティブを作り出している状態のことです。
  • いま紹介した調査の結果からも分かるように、日本人は協調性があるとよく言われるけど、みんな必ずしも協調的な生き方が好きだというわけではないんですね。協調的に行動している場合でも、必ずしも進んで協調しているわけではない。
  • その典型的な例として、山本七平さんは『「空気」の研究』(文春文庫)という本の中で、戦艦大和の出撃をめぐる大本営での議論をとりあげています。
  • 大和がアメリカ軍に攻撃されている沖縄に向けて出港したのは、第二次世界大戦の末期になって、日本のまわりの制空権を完全にアメリカ軍に奪われてしまった時期でした。そうした状況を正確に判断し、大和が沖縄に到達してなんらかの成果をえる可能性があるかどうかを考える人にとっては、大和が沖縄に到達する前に撃沈されてしまうだろうということは疑問の余地のない結論だった。
  • 大和が属する第二艦隊司令長官の伊藤整一中将もその一人で、大和の出撃に最後まで反対していたけれど、ほかの高級軍人たちは精神論を振りかざすばかりで、論理的な結論に聞く耳を持たない。高級軍人たちが、大和は国民全員が特攻するための手本になるんだという精神論を振りかざしている中で冷静な判断を下しても、そうした判断は無視されるだけじゃなく、精神力が足りない証拠としてまわりの人たちから見下されてしまう。
  • こうした場面で偉い軍人たちが読んでいた「空気」というのは、みんなが友達の間で浮いてしまわないようにと思って読みあっている「空気」と同じ。「空気」というのは、こんなことを言うと馬鹿にされてしまうとか、ここではとてもこんなことは言えないという共通理解のことなんだ。
  • この共通理解の下では、誰も自分が非難されるようなこと、つまり冷静な判断は口にしない。誰もが冷静な判断を口にしないので、多くの人が個人的には冷静な判断を下していても、そうした判断を口にしようとしなくなる。そのため、そうした判断を口にする人間は見下されるだろうという理解に疑いが生じる余地がなくなってしまう。こうした状況を山本七平さんは「空気」という言葉で呼んでいたんだよ。
  • 要するに、予想されるまわりの人たちからの反応に従って行動することで、そうした予想に従わざるをえない状態が生まれてしまうということを、山本七平さんは「空気」という言葉で表現していた。
  • まわりの人たちの反応を読んで行動するという点では、KYという言葉を使っている現代の日本の若者たちも、意味のない作戦を強行した大本営の高級軍人たちも同じ原理で行動してたんですね。
  • こうした高級軍人たちは、この本で「社会」と呼んでいる状態に直面していたわけなんだ。そうした「社会」は、そこにいる人たちにとっては、逆らうことができないけど目に見えない空気のように思えるよね。だけど、そうした状態そのものを作り出しているのは、自分たち自身の行動なんだよ。