なぜ在宅勤務を喜んでいる場合ではないのか

  • 理由の一つは、会社の業務を代替するアウトソーシング(外部委託)が非常に充実してきたことだ。アメリカのオーデスクや日本のクラウドワークスのようなクラウドソーシング企業を活用すれば、必要とする業務や職務に適った人材を世界中からマッチングすることができる。

  • アメリカ企業はシステム開発のほとんどを、インドをはじめベラルーシウクライナ、フィリピンなどの安価で優秀なプログラマーに委託しているし、研究開発職さえ、ナインシグマなど技術者のプラットフォームを経由してアウトソーシングしている。日本でも、リモートワーク専任の人材派遣業を営むキャスター(中川祥太社長)などの会社を活用する企業が増えてきている。

  • 自社に社員を抱え込んで、人事異動を頻繁にやりながら、5年、10年かけて、自社にだけ精通した会社員を養成していくよりも、その分野のエキスパートを一定期間派遣してもらったほうが合理的であることに、多くの日本企業が気づきはじめたのだ。技術の発達によって外部に業務委託をしても何ら矛盾や支障が生じないほど仕事が平準化され、アウトソーシングを厭わない職場環境になっている。
  • 「ズーム」などのオンライン会議システムの活用が進んでいるが、社員にフルタイムで在宅勤務をさせるくらいなら、もっと能力のあるエキスパートに時間単位で業務を委託したほうがずっと仕事のパフォーマンスは高くなる。テレワークに加えて、AI(人工知能)やRPA(ソフトウェア型ロボットによる業務の自動化)が普及し始めているので、今後は正社員の採用を減らしてアウトソーシングを進める企業が増加していくに違いない。
  • 会社に出社しなくてもできる仕事というのは、大抵は能力とスキルのある人なら誰でもできる仕事だということだからだ。テレワークが普及すればするほど、「誰にも負けないスキルがないか」「実績を残しているのか」といった点がますます求められるのだ。

  • 新卒採用の場面でも、「自分はこれができます」という売り込みがさらに必要になってくる。しかし、日本の大学はすぐに使える実用的な知識とスキルを教えていないので、大卒人材は「使えない人材」だと評価され、採用を見送られ始めるだろう。もっと言えば、大卒よりも、高専や専門学校で使えるスキルを身につけた人のほうが、企業から声がかかりやすくなっていくだろう。

  • マッキンゼー人材がなぜここまで伸びるのかといえば、「新卒採用の場合は32歳、中途採用の場合は35歳までに社長になれないやつはダメだ」と言って、ガンガン鍛えたからだ。日本の大企業とは違って、1年目から経営的な視点を持つようにさせ、徹底的に仕事を任せた。
  • 「日本人はアメリカ人や中国人のようにうまくビジネスができない」という意見もあるが、そんなことはない。単に年功序列などの日本特有の人事システムが、日本企業の経営力の低迷を引き起こしているにすぎない。入社して10年以上見習いみたいな仕事をさせれば、そういう染色体を持った人間が生き残ってしまうのだ。大卒の約3割は3年以内に退職してしまうという統計もあるくらいだ。
  • とはいえ、今のマッキンゼーは様変わりしてしまっている。他のコンサルティングファームもそうだが、クライアント企業が優秀な人材を採用できないからと、コンサルティングファームが頭脳人材の集団派遣をしているというのが実態だ。企画部隊に企画をさせ、企画部隊とは違った実行部隊が実行の面倒を見るというような、いわば「高級人材一時貸し出し会社」のようになってしまった。
  • 最近で言えば「新入社員に社長をやらせる」仕組みがある、藤田晋氏が創業したサイバーエージェントもユニークだ。1年目から社長になれば、戦略だけでなく人事の問題、財務の問題など、経営に必要な幅広いノウハウが実践的に身についていく。

  • 日本の伝統的な企業では、若手・中堅社員は上司の資料づくりばかりで、経営に初めて触れるのは入社してから20~30年後。そんなトップが経営する日本企業の業績が伸び悩んでいるのは至極当然だろう。

  • 日本企業は人事制度を抜本的に見直し、優秀な人材を世界中からサイバー採用したり、加速インキュベート(育成)したりするシステムの構築を、果敢に実行に移していかなければならない。

 

 

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AI現場力 「和ノベーション」で圧倒的に強くなる

AIについてあまり分かっていない方による無知と誤解に基づくAI論が2割、残り8割はAIと関係ない筆者の経験談だが、いまいち議論の焦点が見えにくい。

 

米軍も活用する「シミュレーションによる学習」

  • ロールプレイングやケーススタディバーチャルリアリティの戦争ゲームなど、シミュレーションを行って経験の幅を広げることがこれまでも多く行われてきた。新たな能力をより効率的・効果的に「加速学習」することができるからだ。米軍では実際に、コンピュータゲームをはじめとしたさまざまなシミュレーションを用いて、兵士の訓練も実施している。 メリットは大きく3つだ。
  • レセプター(受容体)を効率的に育成できる。
    • レセプターとは、その人の持っている基本的な考え方や知識、それに過去の経験を反映した神経構造をいう。レセプターがなければ、新しいメッセージや情報は脳の構造に取り込まれず、理解不能ないし意味不明のままになってしまう。無意識に自らに設置しているアンテナのようなものだ。
    • 辣腕経営者は長年のビジネス経験を通して、正確なパターン認識と効果的な意思決定をするためのレセプターを身に付けていく。 しかし、現実世界で行き当たりばったりで経験を積むよりも、現時点で欠落している特定の経験に焦点を絞って、集中的に訓練すれば、必要なレセプターを、より迅速かつ効率的につくることができる。ハーバード・ビジネス・スクールなどで、ケースメソッドという手法を取り入れているのも、そうした意図があるからだ。
  • 現実世界で体験するのが困難あるいは不可能な状況、危険な状況やまれにしか起こらない状況についても練習できる。
    • ジャンボ機が操縦不能になった状況でどう行動すべきかを学ぶときには、実際の状況を再現して訓練するのは危険すぎる。米軍がさまざまなシミュレーションを用いる理由の1つは、リアルでは再現しにくい状況での訓練ができることにある。こうした能力を育成するには、シミュレーションのほうが効果的だ。
  • 実際に悪い結果をもたらすことなしに、失敗から学ぶことができる。
    • ビジネスゲームで大赤字を出したり、戦闘ゲームで敵に狙撃されたりしても、実害はない。 成功するよりも、失敗したほうが、その経験は深く心に刻み付けられ、なぜそのような結果になったのかという振り返りや学習が進むものだ。シミュレーションであれば、安全に失敗を体験できる。
  • それぞれの組織や個人の目的を踏まえたレセプターを持った上で、たくさんの経験をどんどん積み重ねていく。そのスピードをAIやVR、ARといったデジタルの力を使って高めていけば、これまでにない速さで人の能力向上が実現できるはずだ。

 

標準化をテコにした戦い方

  • 日本企業には自前主義にこだわり、高性能な独自規格をつくり、それをブラックボックス化していくというアプローチがよく見られるが、これがイノベーションのスピードを低下させる要因だ。もちろん、日本でも標準化を狙う取り組みもあるが、その多くは自らの規格をデファクト・スタンダード (事実上の標準) にしていこうとするものだ。デファクトを取るとその後の事業運営が有利に進められると考えている。
  • 確かに、デファクトは有効だが、世界の標準化をめぐる戦い方はそれだけではない。特に欧州では、標準化団体などの公的機関によって規定されるデジュール・スタンダードという標準が主流だ。こうした標準化をうまく使うことができれば、標準に乗り遅れることがないばかりか、リソースが捻出できる。そして、空いたリソースは圧倒的な強みをもつモジュールの構築や活用に使える。
  • また、標準化団体での議論を通じてイノベーションを生んでいく仲間の輪を広げることもできる。デジュールにおける標準化とは限りなくオープンな議論で生み出す、オープンなモジュール、プラットフォームを意味するのだ。
  • たとえば、ドイツの中小企業で計測制御用コントローラを手がけるベッコフオートメーションは、デジュールの議論を主導しつつ、デジュール化した規格を使った制御装置を開発・販売するというオープン戦略をとっている。どんな装置にもすぐにつなげるというオープンさを評価する企業での採用が進み、市場でのプレゼンスを上げている。
  • 実際に、同社が開発した工場の生産設備をつなぐフィールドネットワーク規格「イーサキャット」は、トヨタに採用され大きな反響を呼んだ。自社や系列内にある装置を相互につなぐという大きな目的を、オープンなありものの規格を活用して、なるべく早く実現する。こんなことを考えたのではないだろうか。そして、これはもちろん新たな価値の創出により多くの時間が使えるようになることを意味する。
  • 「標準を握られることがまずい」ではなく、「これで標準の部分をつくるのに時間を使わなくていい。標準を使って生み出す新たな価値に時間が割ける」というマインドセットが必要なのだ。

後発企業でも参入可能

  • 標準化には必ず更新のタイミングが訪れる。後発でもそれを見据えてはるかに性能を高めた要素技術を開発し、そのタイミングで投入すれば、標準化においても存在感を発揮できる可能性がある。というのは、すでに活用している一定のルールを守りながら、大きな性能向上が果たせる場合、大多数の参加企業にはその合理性がすぐにわかり、支持をとりつけることができるはずだからである。

 

 

コンサルを超える 問題解決と価値創造の全技法

  • マッキンゼーの特徴は、ファクトベース。 決められた形どおりにファクトを集め、新人でも、正しい分析とそこから導き出される答えを得ることができるよう、優れたプログラムを持っていて、それによって、原則として、一プロジェクト三カ月で答えを出す。
  • シニアマネージャーと複数の若手コンサルタントによるチームでおこない、人による質のばらつきも少ない。「ファクトベース、一プロジェクト三カ月、調査し、分析し、戦略を立てて終了」が、マッキンゼーの定番メニューである。
  • 問題は、本来、総合芸術である問題解決がただの分析にとどまりがちだということだ。新人だけでなくシニアマネージャークラスも、経営や実学の知識が乏しいために、分析に頼りがちになる。これでは近い将来、AIに負ける。

 

  • マッキンゼーは、最初に答えを言う。 解決までの遠く複雑な道のりについても、すべて種明かししてしまう。
  • これに対してボスコンは、最初から答えを示すのではなく、 相手が自分で気づくように上手に導く。なにしろ、三年かけていっしょにその道のりを歩くわけだから、時間はある。だから、 分析の結果の報告・提案も、相手が受け入れやすいような言い方をする。そうやって相手をその気にさせるのである。
  • 相手がその気にならなければ、決して実行されることはないのを熟知しているからだ。 実際、相手が、 どんどんやる気になっていくことによって、結果的に正しい方向に導くことができる。
  • ただし、クライアントは自分で気づいたと思っているわけなので、コンサルタントの切れ味に対し、不信感を持つこともある。また、人によっては、そのややまわりくどい謎解きのような言い回しに、「結論は何だ」といらつくこともあるだろう。

 

  • ファクトベースのマッキンゼー流と心理学重視のボスコン。導入する企業にとっては、三ヶ月で一割を取るか、三年で七割を取るかの選択とも言える。

 

  • マッキンゼーをはじめ、問題解決は、たいてい次の順に行われる。
  1. ステップ1 問題を定義する
  2. ステップ2 問題を構造化する
  3. ステップ 3優先度をつける
  4. ステップ4分析方法を設定する
  5. ステップ5 分析を実施する
  6. ステップ6 発見内容を統合する
  7. ステップ7 問題解決法を提言する
  • このうち、もっとも重要なのは、
    ステップ1 問題を定義する
    ステップ2 問題を構造化する
    という最初の二つのステップだ。
  • まり、結局、何が本質的な問題なのかをきっちりと見極める 「課題設定」であ。 これがうまくいくと、問題解決全体の五〇%はできたことになるとされる。
  • 当たり前のことのようだが、受験生メンタリティのままの人にとっては、案外、これが難しいようだ。提示された問題を解くことには慣れていないのである。
  • しかし、最初の課題設定が悪いと、その後、何をやってもピンボケで、問題の本質には迫れない。最初の五〇%はうまくいかなかったから、残りの五〇%でカバーしよう、というわけにはいかないのだ。 そのくらい大切なところなのである。

 

  • 「科学者は先入観を捨て、リアルな現象から、発見するものだ。それが科学的アプローチではないですか?」と。
  • しかし、それは正しくない。 虚心坦懐にものを見る、というのは聞こえはいいが、実際には、いろいろなものが見えすぎてしまって、何が本質だかわからなくなるのがオチだ。
  • そもそも科学者は、必ず仮説を持ったうえで、現象を観察するものだ。いったん、これが本質だ、と決め打ちして、その「色眼鏡」で現象を見てみる。
  • このとき、たまたま一発で、ぴったりはまることもあるにはあるが、たいていはそこに当てはまらないものが出てきてしまう。そこで、無理矢理現象をねじ曲げるのは政治家か官僚で(?)、科学者は、「仮説」を作り直す。そうやって、正しい仮説に近づいていくわけだ。 実際、科学者たちは、そのようにして、世紀の大発見をしてきた。

 

  • 「イシュー度」とは、問題の本質度
  • 「解の質」とは、ぼんやりとしたものにピントが合っていく(レゾリューション)度合い

 

 

  • 混乱している状況に入っていくことが問題解決ではないのだ。混乱を解決しようと思ったら、混乱していないスペースにものを振らなければならない。
  • そもそもいまの困った現象を引き起こしている原因に突き当たると、その現象そのものがなくなることも少なくない。

 

問題解決は四段論法で

  • コンサルは、四つの問いを立てて、問題を解決していく。まず、WHAT? 何が問題なのか? という問いだ。次に、WHY? なぜ、それが問題なのか? という問い。ここで、いきなりHOW? いかに問題を取り除くか? にいくのではなく、WHY NOT YET? つまり、なぜまだそれができていないのか?を考える。そのうえで、HOW? それができるようになるためには、どうすればいいか?を問う。
  • なぜ、本来やるべきことができないのか? これこそが、問題の本質なのだ。そこが見えてくると、そこに対するHOWが答えになる。
  • 私がいろいろな企業で問題解決のお手伝いをさせていただくときも、この四つを解いてもらう。 その際に、一番の掘りどころが、やはりWHY NOT YET? の部分だ。
  • なぜ、いまそれができていないかに、その会社の固有の病気が出てくる。 それがないと、ありきたりのべき論、教科書的な回答が出てきてしまう。これが、 WHY NOH YET? の力だ。

 

  • 「はじめに」でも述べたように、コンサルが呼ばれるのは、問題があるからだ。 何の問題もない企業は、そもそもコンサルを雇おうなどとは考えない。したがって、問題解決がコンサルの仕事になるわけだが、じつは、企業は問題を解くだけでは元気にはならない。 病巣を摘出してとりあえず生き延びたというのでは、緊急避難でしかないからだ。 いかにこれまで以上に元気に活躍できるようになるかが、本質的な問題解決だ。
  • つまり、重要なのは、問題を成長機会に変えることである。
  • タイタニック号に突き刺さった氷山を生還の通路とする。みなが、 これが問題だと言っていることこそを取り込んで、そこから新たにできることを考えるのだ。
  • コンサルの全員がこの手法をとるわけではない。マッキンゼーではむしろ、 企業再生のプロとして、病気になった企業をなんとか持ち直させるまでを得意する人たちが主流派だ。
  • しかし、私は、問題を摘出するより、未来につながる新しい道を示すほうが健全だと思っている。だから、マッキンゼーの採用担当になったときには、問題解決型の人ではなく、機会創出型の人を採るようにした。

 

SO WHAT?と、空、雨、傘

  • われわれコンサルが使う「空、 雨傘」もすっかり有名になってしまったので、 ご存じの方も多いと思う。
  • いまの空を見ると曇り空である、という事実があったとする。
  • これは事実(ファクト)だ。しかし、「空」の観察結果を語ったところで、SO WHAT? 「だから何?」となる。ここに少し推論を加えて、「これから雨が降るかも」となると、予測になる。つまり、いまの現象からもう一段踏み込んだものが「雨」だ。それでもまだ、 SO WHAT? 「だから何?」に答えたことにはならない。
  • では、このような観察や予想を踏まえて、どのような行動を喚起すればいいのか。 これにはいくつかの選択肢がある。 「外に出るな」というのもそのひとつだろう。 「外に出るのだったら、傘を持て」もそのひとつ。 で、「空、雨、傘」である。
  • よくありがちなのは、さんざん分析して、「空は曇りである」といういわば当たり前の事実を述べるにとどまる報告書である。余計な推察を加えず、事実をそのまま伝えることが仕事だとされている官庁系や大会社にありがちだ。しかし、それだけでは何の行動にも結びつかない。 推論を加え、推論のあとにレコメンデーションがあってはじめて提案としての価値が生まれる。
  • 気象予報士であれば、「いまは曇り、午後は雨になるでしょう」と「予想」までが仕事だ。しかし、最近の気象予報士は、「今日は傘を忘れずに」というレコメンデーションまで忘れない。 しっかり、 「空、雨、傘」を実践しているのだ。
  • 実践に結びつけるためには、空や雨だけでなく、 「傘」まで言い切る必要がある。だからコンサルはつねに、SO WHAT?と尋ねる癖がついている。

 

  • まず仮説を立て、それに基づいてファクト(事実)を見ていきながら、ファクトに基づいて仮説をつくり直していく、という一連の作業は、最近シリコンバレーで流行のリーン・スタートアップに通じるところがある。
  • 最初から完璧なものをつくるのではなく、まずMVP(ミニマム・バイアブル・プロダクト=最低限役に立つ商品)を市場に出す。そしてマーケットの反応を見ながら、つくり直していく、という方法だ。

 

  • グーグルでは90%以上失敗しないと、ちゃんとリスクをとったことにはならない、とされる。なぜなら、失敗するというのは、いろいろな可能性にチャレンジしている、ということだからだ。
  • ラインを止めても、クビにならないどころか、ボスからありがとうと感謝される。これがアンドン方式の本質である。 そうすることで、現場は、失敗を隠さず、それを貴重な学習機会にしていく。これこそ、考える現場を基軸としたトヨタ流の進化の神髄なのである。
  • 学習するためには、失敗を認める勇気、いったんは行けると思ったものを壊す勇気が必要なのだ。だからこそ、グーグルは、トヨタ同様、失敗を祝うのである。

 

  • 負け犬だからといって、本当に即座に捨てるべきかどうかは、よく考えた方がいい。もっと言うと、採算が取れているなら、投資をやめることで利益は増える。そこを見ずに早すぎる諦めという過ちをおかさないよう気をつけた方がいい。

 

マッキンゼーの問題解決10則

  1. 「問題」とされていることが、本質的な問題とは限らない
    問題解決のスタートである課題設定において重要なのは、当事者が問題だと思っていることの多くは、本質的な問題ではないということだ。なぜなら、もし、当事者が問題だとわかっているのなら、すでに解けているはずだから。
  2. 大きな視野 (Big Picture) でとらえ直す
    当事者がそもそもなぜそういう状況に陥っているのか、なぜほかに選択肢がないと思っているのか。それを、いったん引いて、全体像の中でとらえ直す。すると、問題だ、問題だ、と言っていることの多くが、表面的な現象にすぎないことがわかってくる。
  3. 仮説から始める
    ビッグデータ分析のように、やみくもにファクトを集めて分析しようとしても、真の答えは見えてこない。 まず、仮説から始める。 ファクトがそれに合わなければ、仮説をつくり直す。 その繰り返しによって、本質に迫っていく。
  4. 漏れなくダブりなく(MECE) 問題を構造化する
    問題を、漏れなくダブりなく構造化する。 このときのポイントは、全体を見たうえでここが大事だと思っている以外のところに見落としがないか、チェックすることだ。というのも、見えていない部分に問題が隠されていることが多いからである。 その意味でも、MECEのうち、ダブりはあってもいいが、 漏れはあってはならない。
  5. カギとなる変数 (Key Driver) にフォーカスする
    チョークポイント、すなわち、首を絞めているポイントを探す。
  6. できるだけ簡素(シンプル) 化する
    状況をできるだけシンプルに公式化しようと試みることだ。 何が変数で何が定数かを見極めて、公式化する。
  7. 正しい答えはひとつではない
    自然科学とは異なり、問題解決においては、正しい答えはいくつもある。山に登るのにいくつもルートがあるのと同様だ。速いと思っていたルートが、結構険しかったりすることもある。いずれにしても答えは幾通りもあるから、ひとつだけで考えないことが大事だ。
  8. 壊して、再構築する
    仮説が一発でうまくいくことはほとんどない。 崩しては再構築を繰り返すのが普通。 自己否定したり、膨らましたり、ひねったりしていく。
  9. ときに答えがふっと湧いてくる瞬間を大切にする
    ⑥を繰り返しているうちに、ふと何か啓示のように、答えが湧いてくる瞬間というのはたしかにある。 それも、行き詰まっている最中、というより、そこから離れているとき。 お風呂の中で気づいたアルキメデスのようにとらわれすぎると見えてこないものが、そこからちょっと視点を移したときに見えてくるのだ。 その瞬間を大切にする。ただし、そうした瞬間が訪れるのにも幾つかの条件がある。 ひとつはそこまで考え抜いているということだ。そうでなければ出てこない。すぐ気晴らしをしたがる人がいるが、それではダメ。 もっと苦しまないと出てこない。
    「暁のソリューション」というフレーズがマッキンゼー内で流行っていたことがあった。 一晩中考えに考え、悩んだ末、夜が明ける頃に答えが見えてくるというわけだ。 ただし、 暁になると頭がぼんやりするので、答えが見えた気になっただけで、結局、 錯覚だったりするわけだが(笑)。いずれにしろ、 ワーク・ライフ・バランス的に考えると、昨今では流行らないだろう。
  10. 問題がないことが最大の問題
    問題がないことが最大の問題である。 当社は問題ないとか、当部は問題ありません、などと言う人がいるが、それは相当深刻な問題だ。

 

  • マッキンゼーの得意技は、危機感で相手を追い詰めることだ。
  • 一方、ボスコンは、「あなたは本当はこういうことがやりたかったんでしょう」と使命感に火をつける。
  • 最後にアクションに結びつかないものには何の意味もない。

 

  • 学習優位というのは、先程述べたトライ・アンド・ラーンに近い。失敗するかもしれないが、とにかく試してみた。そのような思考からどれだけ多くを学び、どれだけ深められるかが勝負の分かれ道となる。そして、そのような学習能力こそが、優位性につながる、という発想だ。
  • 学習能力のある個人や企業も、同じところに踏みとどまっていては、だんだん学習効果が頭打ちになり、学習能力そのものまで劣化してしまう。成長し続けるためには、新しい分野で新たな学習を始動し続ける必要がある。 しかも、誰にとってもアンファミリア (未踏の地であればあるほど、先に行ってファミリアになった者が勝つのだ。
  • そのためには継続的な学習ではなく、 「脱学習」が求められる。といっても、何も学習しない、ということではない。 それでは単に「トライ・アンド・エラー」を繰り返す 「懲りないやつ」になってしまう。
  • 同じところで踏みとどまって学習するのではなく、学習の場所を 「ずらし」 ていく。 この「ずらし」こそが、ここでもキーワードなのである。学習の場をずらせば、また新しい学習曲線を描き始めることができる。 このように、次から次へ新しいものを獲得していく能力こそが、次世代成長を実現するための学習能力なのである。
  • そして、このようにして、新しいものにつねにチャレンジしていくことが、 非線形の時代のいま、もっとも求められる優位性なのだ。

 

  • 変身資産とあるように、自分を変える力がないと、人はどうしても同じところに定着してしまいがちだが、将来を考えれば、労働市場の流動化は確実に起こる。その時、重要になってくるのが、ノマドの生き方となるはずだからだ。
  • 自分が次に何をしたいかを考えて、自分の次の人生をつくるということ、投資をするということだ。
  • 自分を型にはめずに、あえて宙ぶらりんにしておく。その場に貢献しつつ、自分もその場から吸収しつつ、次の展開を考える。
  • 自分の軸を持ちながら、相手の優れたところを新たに取り込んで、ハイブリッドに生み落とす。そうした力がある限り、新しい場所に行っても常に価値を生み出すことができる。
  • 見てから跳ぶのではなく、跳ぶことによって見えてくる、新しいことが発見できる。実存主義の概念で言えば「投企」だ。私達人間は、常に現実の中に飛び込んで、事故の可能性を追求し続ける存在なのだ。
  • 自分の軸を持ちながら新しい経験をすることによって、さらなる高みにつながる。弁証法で言うところのアウフヘーベンする。LEAPすることこそが、非連続な時代における自己生成を駆動するのである。

 

  • インプット時間の規定:仕事に対して使える時間を規定してしまうこと。予め自分の時間をギリギリまで使わないですむように計画するのがポイントだ。
  • 次に重要なのが、処理すべきタスクの優先順位決め。仕事を来た順番に行うのではなく、インパクトがあって、かつ自分らしい能力が生かせるものを優先させる。横軸に業務のインパクト、縦軸にスキルの独自性をとる。フォーカスすべきは北東すなわち右上だ。切るべきところは、明らかに左下ボックスである。

  • 独自性があるからといって、自前だけで全部やり切らないで、他力を活用することも大切だ。
  • レバレッジをかけるためには、業務の標準化が必須だ。

 

  • 五年に一回来る非連続のときはマッキンゼー。それを組織の力に落とし込むときはボスコン
  • 長期を見るときにはマッキンゼー、短期に実践する際にはボスコン

 

  • 新しいことを行うためには、一度ゼロベースに立ち返ることが重要だ。これは、企業だけではなく、個人にも当てはまる。自分をもう一回、ゼロベースにして、新しいものに対してチャレンジできる状況にしておくことが大切だ。
  • 自分だけが本当に生み出せる価値は何かということにこだわり続ける必要がある。
  • 重要なのは考え続けることだ。

 

  • 青春とは心の若さである。
  • 信念と希望にあふれ、勇気に満ちて日に新たな活動を続けるかぎり
  • 青春は永遠にその人のものである

 

 

論点思考 内田和成の思考

  • どうしたら正しい問題、あるいは解くべき問題に突き当たることができるのか。ボストンコンサルティンググループ (BCG)では、この解くべき問題(課題)のことを論点と呼んでいる。社内では毎日のように「このプロジェクトの論点はなにか」「ここで答えておくべき論点はこれとこれだ」といった議論を繰り広げている。
  • 論点とは「解くべき問題」のことだが、その解くべき問題を定義するプロセスを論点思考と呼ぶ。 そして、問題解決のプロセスはいくつもの論点候補の中から本当の論点を設定し、その論点に対するいくつかの解決策を考えだし、そこから最もよい解決策を選び、実行していくという流れで進む。つまり、論点思考は問題解決プロセスの最上流にある。
  • 最初に論点設定を間違えると、間違った問題に取り組むことになるので、その後の問題解決の作業をいくら正しくやったところで意味のある結果は生まれない。論点設定に戻ってやり直すことになる。したがって、短期間で答えを出すためには最初の論点設定がきわめて重要になる。

 

  • ピーター・ドラッカーは次のように述べている。
  • 「経営における最も重大なあやまちは、間違った答えを出すことではなく、間違った問いに答えることだ」 “The most serious mistakes are not being made as a result of wrong answers. The truly dangerous thing is asking the wrong questions." (Men, Ideas and Politics)
  • 「分析の技術的な完全さを求めるのではなく、意見の対立や判断に関わる問題を明確にすることが重要である。正しい答えではなく、正しい問いが必要である」(『新訳 創造する経営者』ダイヤモンド社)
  • まさしくそのとおりで、真の問題に気づく力こそ、現在のビジネスパーソンに最も必要なものだ。 

 

  • コンサルティング会社のプロジェクトを例にとると、目的や論点を正しくとらえたよい提案書(プロポーザル)ができれば、期待された成果を出してプロジェクトが成功する確率はかなり高くなる。だからこそ、コンサルティング会社のパートナーは他の調査・分析作業は部下に任せることはあっても、ここに自分の経験と能力をフルに投入し、徹底的に考え抜き、最良のプロポーザルをつくりだそうと努力する。
  • これはビジネスにおいても同じだ。なにを問題とするか、いかに論点を設定するかによって、その後の成否が決まるのである。

 

論点思考の四つのステップ

  • 論点思考を行なう際、覚えておきたいのが、以下のステップだ。
  1. 論点候補を拾いだす(→第2章)
  2. 論点を絞り込む (→第3章)
  3. 論点を確定する(→第4章)
  4. 全体像で確認する(→第4章)
  • 論点設定とは大論点を定義することである。前述したように、大論点とはいく
    つかある論点の中で、ゴールを規定する最上位の論点であり、戦略思考の出発点
    となる。自分の仕事の依頼主 (社長のこともあれば、部門長、上司、場合によっ
    ては自分自身のこともあるだろう)が問題解決を求めている高次元の悩み・課題
    を、自分にとっての問い、自分に課せられている任務そのものの目的として翻訳
    したものといってよい。
  • 論点の整理・確認とは、大論点に答えるために、「掘るべき筋と単位」を中論
    点、小論点として因数分解し、構造化することだ。言い換えると、答えを導きだ
    すために、仮説を立て、検証・反証していく道筋であり、横方向の因数分解と縦方向の上下関係の構造で全体像が定義される。この論点を縦横に展開した構造全体を、「イシュー・ツリー」と呼んでいる。
  • このうち論点思考の肝となるのが、論点を設定する部分だ。要するになにが一番の問題なのかを発見することである。
  • 論点を設定する際に、どうしても省略できないステップがある。それが「論点候補を拾いだす」だ。「本当の論点がなにか」を探るためには、まずどんな論点がありそうかをリストアップする必要がある。 それが、論点思考の出発点である。
  • もちろんコンサルタントであれば顧客から教えられた問題点がそのまま論点の場合もある。ビジネスパーソンであれば、上司からいわれた課題がそのまま論点の場合もあるだろう。しかし、世の中、そうでないことが多いというふうに思っておけば間違いない。顧客の論点や上司の論点は疑ってかかったほうが、早く答えにたどり着く。
  • 問題解決が速い人は、本当に解決すべき問題すなわち「真の論点はなにか」とつねに考えている。もう少し具体的にいえば、「なにが問題なのか」「それは解けるのか」「解けるとどんないいことがあるのか」を考える。
  • そのためには思いついた論点候補のうち、どれが真の論点かの「当たりをつける」あるいは「筋の善し悪しを考える」。さらにそれが本当に問題解決になるかを顧客・上司にぶつけたり、インタビューしたり、自分の頭の中のデータベースを参照したりして、補強していく。これさえできればまだなにも解決策を考えていなくても、問題解決の九割方は終わっている。
  • 私の感覚では、「②論点を絞り込む」と「③論点を確定する」は行ったり来たりすることが多いが、②で絞り込んだ瞬間に自動的に論点が確定される場合もある。当たりをつけてしっくりいかない場合に、相手に探り針を入れたり、真意の確認をして論点が間違いないかたしかめ直すこともある。それでも①~④すべてのステップを順番に行なうことは滅多にない。
  • 論点設定に不慣れな人はいきなり③の手法の一つである「顧客・上司へのヒアリング」から取りかかる。そして聞き取ったものを「構造化」しようとする。 要するに与えられた課題について、それが解くべき論点であるとなんの疑いもなく作業を始めて、結果としては顧客・上司の満足する解決策を見極めることができずに失敗することが多い。
  • ベテランは「本当の論点はなにか」を考える。初心者はインプットと構造化を繰り返す。ここがベテランと初心者の大きな違いだろう。

 

  • 誰の論点を解くかによってアプローチも違えば答えも違ってくる。さらには誰を満足させるかも違ってくる。誰の論点を解くかを間違えると、まったく違う答えを出してしまう。これは試験官が複数いて、試験官ごとに出題内容が違っているようなものだ。解答する前に、どの試験官の問題を解くかを判断しなくてはならない。

 

論点は環境とともに変化する

  • 論点は、実はさまざまな外的要因や内的要因の影響を受けたり、トップの問題意識が変わったり、優先順位に変更があったりして、動くことが多い。
  • 論点は「点」と表現されるから静的なイメージがある。だが、これはつねにダイナミックに動く。非常に動的なものだ。

論点は進化する

  • 仕事を進めるにつれて論点が動くケースもある。作業を進めるにつれて、当初考えていなかった論点が浮かび上がってきて、そちらのほうがより本質的な課題であることに気づくことを意味する。

 

  • 論点らしきものが目の前に現れたとき、私は次の三つのポイントで問題を検討する。
  1. 解決できるか、できないか。
  2. 解決できるとして実行可能 (容易)か
  3. 解決したらどれだけの効果があるか。
  • まず、「解決できるか、できないか」を見極める。 解けない問題にチャレンジしても成果はあがらず、時間と手間がムダになるだけだ。解けないとわかったら、その論点はすぐに捨て、論点設定をやり直す。
  • 解けない問題にチャレンジするのは無意味である。
  • 学者が研究の場面で、解けない問題にチャレンジするのはいい。未知の領域の研究、難間にチャレンジすることは人類の進歩につながる可能性がある。 例えば数学の世界には、ミレニアム懸賞問題というものがある。 クレイ数学研究所によって一〇〇万ドルの懸賞金がかけられている七つの問題だ。すでに解決されたのはポアンカレ予想だけだが、他も難問ばかりである。
  • それぞれ学問的には重要な問題だが、こうした問題に向き合うことはビジネスにおいては最悪だ。大事なことは、難問をクリアすることではない。仕事で成果を出すことが大事だ。
  • 解けない問題にチャレンジするのは無意味。私たちコンサルタントは「解決できるか、できないか」にすごくこだわる。

なにかこの人は勘違いしているようだが、研究者も研究課題を設定する際に一番重視するのはfeasibilityである。解けない問題と思っているにもかかわらず、やけくそで挑戦するような研究者は存在しない。解けない(と考えられる)問題にチャレンジするのは無意味であり、その見定めに係る厳しさはコンサルタントの比ではない。なんでもかんでも研究者(学者という名称を使うのもどうかと思う、研究者は自分のことを学者とは言わない)をディスるのは止めてほしい。ましてや、誤解や理解不足に基づく誹謗中傷は尚更だ。

 

上位概念の論点を考える

  • 構造化の際、ある論点を起点に上位概念の論点を考えることで、横にある論点を浮かび上がらせる手法もある(図表4-3)。論点aの上位論点Aを考えることによって、論点aと同じ階層にある論点b、論点が見えてくる。
  • 例えば、上司から新規顧客開拓を考えるよう命令されたとする。そのとき普通は、新規顧客開拓を構成する下位の論点x、y、zを考えてしまう。ところができるビジネスパーソンは、そのとき、なぜ新規顧客開拓を行なう必要があるのかという上位概念の論点を考える。
  • もし上司が売上げアップのために新規顧客開拓を考えていたとすれば、bやcには新製品開発や既存顧客の深掘りといった論点が並ぶはずだ。それらの横に並ぶ論点と比較検討した上で、新規顧客開拓策を提言したほうが上司の満足度は高いはずだ。
  • 一方で、上司のねらいが売上げアップではなく、業績不振から来る利益減少を補うための手段として新規顧客開拓を考えているとしたら、(論点a)新規顧客開拓に並ぶ論点は、(論点b) コスト削減、(論点c) 販売促進・広告宣伝費の効率化・・・

 

  • シャチについての四つの問いがある。
  1. 「シャチは魚か」(=仮説に基づいた質問)
  2.  「シャチは魚かほ乳類か」(=白か黒かをはっきりさせる論点)
  3.  「シャチは何類か」(=オープンな論点)
  4. 「シャチはどんな生物か」(=ただの質問)
  • ①の「シャチは魚か」というのは、「シャチは魚である」という仮説に基づく問いだ。② 「シャチは魚かほ乳類か」というのは、二者択一で白黒つける論点だ。 これに答えることで、半分の可能性を捨てることができる。 ③「シャチは何類か」という問いはオープンな論点である。 ④「シャチはどんな生物か」というのは、どんな答えが返ってくるか予想がつかない曖昧な質問だ。
  • あなたがチームリーダーだとして、こうした問いをメンバーに投げ掛けたとしたらどんな反応があるだろうか。
  • 「シャチはどんな生物か」という問いを設定すると、メンバーの答えは、「大きい」「海に住んでいる」「獰猛である」など、とめどなく広がり、収拾がつかなくなる。 したがって④の質問は避けたほうがいい。
  • だが、そのときに「シャチは何類か」と問いかければ迷わない。 「シャチは魚かほ乳類か」と聞けばより迷いは少なくなる。
  • コンサルティング・プロジェクトでリーダーがメンバーに仕事を頼むときに、メンバーには「シャチは何類か」というオープンな論点を背景として説明し、「ほ乳類か魚かを調べてほしい」と白黒論点レベルで仕事を依頼するとうまくいくと森さんは語る。すなわち、②と③を使う。
  • では、なぜ①の「シャチは魚か」と仮説を提示しないのか。実は仮説をストレートにメンバーに提示するのはリスクがある。これは私のほうで説明しよう。
  • まず一つ目は論点を絞り込みすぎて、もしかしたら他にもあるかもしれない論点を見落とす、あるいは考えてもみようとしなくなるリスクだ。例えばシャチは魚かどうかを検証しろといわれたら、本当はほ乳類かもしれないしあるいは両生類かもしれないのを考慮しない可能性が高い。しかも、仮説が検証できなかったとき、すなわちシャチが魚ではないと判明した場合、もう一度頭に戻って仮説構築から始めないとならない。もちろん、やり直せばよいのであるが、少し時間がかかる。
  • 次いで、一つ目とも絡むが自分で論点を考える癖がつかない。いつも論点は上司から降ってきて、自分はそれを検証すればよいと思い込んでしまうと、いつまでも論点思考力が身につかない。仮説の検証が得意な分析屋、作業屋のままで終わってしまう。部門を任されるとからっきしダメな人間になりかねない。逆にいえば②のように複数の論点を与えるか、あるいは③のようにややオープンな論点を与えられれば、自分で比較対象を調べたり、異なる論点を見つけたりする可能性が高い。何度も繰り返すようだが、論点は対立軸があったほうが、より鮮明に浮かび上がる可能性が高い。
  • 最後のリスクは、自分の思い込みで自分の都合のよい情報だけを拾って、ロジックを組み立ててしまうことだ。通常私たちは自分がどのような事実を見て、それをどう解釈したのか、というような「思考のプロセス」を意識しない。そのため自分の思考の筋道を相手に開示して、それが正しいかどうかを検証したり、またそのプロセスに疑問を抱いたりすることもなく、あたかも自分の考えたことが真実であるかのように思う。これを避けるためにも白か黒かと考えることは極めて重要だ。
  • メンバーに「シャチは魚か」という問いを設定すると、「海を泳いでいます。サメと同じように魚を食べる肉食です。どう見ても魚です」としかいわなくなる。 「魚かほ乳類か」という問いを設定すると、魚とほ乳類の違いをきちんと見極める。その違いは子どもを産むか卵を産むかで、一見シャチは魚に見えるけれどほ乳類だと答えられる。

 

 

戦略コンサルタント 仕事の本質と全技法

  • 自分たちよりもはるかにビジネス経験、人生経験が豊富なクライアントの経営陣に対して、高い付加価値を提供しなくてはならないのだから、ハードルはきわめて高い。
  • 頭脳的にも、身体的にも、そして精神的にも、「尋常ではないタフさ」が求められる。それが、この仕事が「知的体育会系」と呼ばれる所以だ。
  • だから、本音をいえば、私はこの仕事を「楽しい」と思ったことが一度もない。
  • やりがいは大きいし、さまざまな業種の、さまざまな会社の、さまざまなテーマに関与できるので、「面白い」と感じることは多い。
  • でも、「面白い」は「楽しい」ではない。
  • 30代前半だった駆け出しコンサルタントのころは、クライアントの社長への最終報告会の前日には一睡もできず、「自分の分析は正しいのだろうか」「本当にこんな提言をしていいのだろうか」と自問自答を繰り返した。胃が痛くなるほどの強烈なプレッシャーと不安を感じていた。

 

  • 戦略コンサルタントという仕事の本質をひと言で表現すれば、それは触媒(Catalyser)である。
  • 依頼を受けたクライアントの中にまじりこみながらも同化することをせず、化学反応を起こし、変化を加速させ、変革の実現をお手伝いするのが私達の仕事だ。
  • 内部だけで進める変革にはリスクもある。
  • ともすると内輪の論理に陥り、客観性、合理性に欠けたり、世の中の変化を見誤ったり、議論が収束せず、無用に時間がかかることもある。
  • 誤った合理性に執着することほど不合理なことはない。にもかかわらず、多くの会社は「自分たちは合理的にやっている」と思い込み、自前主義から脱却できないでいる。
  • 戦略コンサルタントは「アウトサイダー」である。
  • 社内の力学や過去の常識に染まらず、何のしがらみもない「部外者」だからこそ、「インサイダー」ではなかなか言えないこともズバッと指摘できる。「アウトサイダー」という立ち位置こそが、私たちの強みの源泉である。

 

  • 戦略グループをほぼゼロから立ち上げるという組織開発に関与できる点も、私
    にとっては大きな魅力だった。
  • 私はもともと誰かが敷いた「線路の上を走る」より、自分の手で「線路を敷く」ことに興味をもつタイプである。
  • ゼロから戦略グループを立ち上げるので手伝ってほしいという要請を、私は受け入れることにした。

 

  • 「何でもいいから、何かで有名になれ。名前を売れ」
  • キースは、欧米では自他共に認めるSCMの第一人者だった。
  • 「SCMの専門家になろう」と決め、それを磨いてきたからこそ、その分野では誰もが認めるプロフェッショナルになった。
  • 私は、何か特定の分野の専門家になるつもりはなかった。
  • どんなテーマであろうが、経営トップに適切な助言ができる「引き出し」の多いコンサルタントになりたいと思っていた。
  • しかし、キースと出会って、「顔」を売ることがいかに重要かということを認識するようになった。
  • プロフェッショナルとして生きていくのであれば、自分の「顔」をもつことが大事なのだと彼は私に教えてくれた。

 

  • いま戦略コンサルタントに求められているのは、ロジカル・シンキングを超える「クリエイティブ・シンキング」である。
  • 常識にとらわれない、斬新な発想、ユニークなアイデアを生み出さなければ、クライアントに付加価値をつけることは難しくなっている。
  • ロジックを突き詰めようとすると、結論はひとつの方向に収斂していく。
  • 自然科学の世界では真理を突き止めるために、徹底的に理詰めで考えることは大切なことだが、ビジネスの世界では誰もが思いつくような同質的な答えに何の価値もない。
  • ロジカルに考えたうえで、その結論を超える何かを見出すためには、ロジックに「ひねり」を加えなければならない。「ひねり」こそ「面白い」と言われるための源泉である。
  • 「ひねる」とは「物事を回転させて、異なる角度から考えてみる」という思考法だ。「右脳」に長けた人は、直感的に「ひねり」ができる。ほかの人が思いつかないようなアイデアが、ごく自然に思いつく。普通の人とは異なる感性、感覚をもっていて、常識にとらわれない新しいこと、面白いことが頭に浮かんでくる。
    そんな人と出会うと、うらやましいと思うが、残念ながら「左脳人間」の私にはそんな芸当はできない。
  • しかし、戦略コンサルタントという仕事をしている以上、常識的なロジックを超えた何かを生み出さなければ、クライアントを成功へと導くことはできない。
  • ロジカルに考えたうえで、ロジックを超える。それこそが、「クリエイティブシンキング」なのである。

 

  • 「知識格差」「情報格差」がなくなった現在、戦略コンサルタントは何を武器にクライアントに付加価値を提供すべきなのか。私はそれをずっと考えながらこの仕事をしてきた。
  • 私が行き着いた結論は、「熱量」である。「熱量」とはエネルギーである。
  • 変革を実現するためにはエネルギーが不可欠である。どんなに素晴らしい変革のシナリオを描いたところで、「熱量」が乏しければ、実現はおぼつかない。
  • 戦略コンサルタントにとって「合理性の追求」は不可欠だ。経営は理詰めでなくてはならない。そのために、客観的な分析、冷静沈着な思考、的確な判断が求められることは昔も今も変わらない。
  • しかし、「合理性の追求」は必要条件であり、十分条件ではない。
  • いくら合理性を担保しても、「熱量」が足りなければ結果には結びつかない。

より専門的な知識や情報を武器に付加価値を提供するべき、とならない辺り、コンサルタント=究極のアマチュアだな、という印象を受けた(もちろん熱量の重要性を否定するつもりはないのだが)。

 

あなたは「4つの人材区分」のどれか?

  • 戦略コンサルティングファームの場合は、そこで働くコンサルタントは全員プロフェッショナルを目指さなければならない。プロフェッショナル・ファームを標榜する以上、それは当然のことだ。
  • しかし、一般の事業会社の場合、全社員がプロフェッショナルである必要はない。さまざまな職種、役割があり、それぞれの持ち場で貢献してもらうことが求められる。
  • ただし、事業会社においても、会社に何の貢献もしない 「ぶら下がり社員」を抱えている余裕などない。
  • 「あなたは会社のために何ができるのか?」が問われている。
  • それでは、事業会社における人材は、これからどのように区分されていくのか。私は次の4つに大別されていくと考えている。
  1. 経営リーダー人材
    経営を司る経営トップ、取締役、執行役員といったトップマネジメント層およびその予備軍。社内から昇進、昇格するのが基本だが、外部の「経営のプロ」を招聘するケースもこれからは増えていく。
  2. 高度専門職人材
    企業価値を高めるために不可欠な高度専門的な仕事を担うプロフェッショナル人材。それぞれの分野、機能において卓越した専門性、経験を有する。
    社内での育成のみならず、外部人材の活用も必須。 この中から、「経営リーダー人材」が生まれる可能性もある。
  3. ナレッジワーカー人材
    現場における価値創造活動において付加価値の高い仕事ができる人材。
    ものづくりの現場、営業の現場、サービスの現場などにおいて、実績と経験に裏付けられた高い付加価値を提供するエキスパートである。
  4. マニュアルワーカー人材
    付加価値の高くない仕事に従事する人材。
    代替性の高いコモディティであり、やがてAIやロボットなどにとって代わられる可能性が高い。
  • 「①経営リーダー人材」と「②高度専門職人材」は、市場性のあるプロフェッショナルと位置付けられる。
  • 「③ナレッジワーカー人材」は、会社の中ではとても有用であるが、市場性は限定的である。いわば、会社の中において価値のある社内エキスパートである。「マニュアルワーカー人材」がやがてテクノロジーによって淘汰されていくとなると、企業が必要とする人材は、「①経営リーダー人材」「②高度専門職人材」というプロフェッショナルか、社内エキスパートとしての「3ナレッジワーカー人材」のみとなる。
  • このいずれかに該当しなければ、あなたは会社にとって「不要な人」ということになる。つまり、新たな時代においてビジネスパーソンが直面する根本的な問いかけは、次の言葉に凝縮される。
  • 「プロフェッショナル」として勝ち残るか?
    「エキスパート」として生き残るか?
    それとも、「コモディティ」として淘汰されるか?
  • 日本企業の人材戦略は、今後10年で間違いなく激変する。その潮流についていけなければ、あなたの未来はない。

 

  • プロフェッショナルとして認められ、その世界でのし上がっていこうとするマインドと能力をもつ者だけが勝者となる時代へと突入しようとしているのだ。
  • サッカー元日本代表の三浦知良選手は、こう語っている。
  • 「2部や3部では『練習環境をよくしてほしい』といった声をよく聞く。でもね、自分が上にいかない限り、環境なんて良くならないんだ。(中略)環境を改善してもらうのを夢見るより、自分でその環境へいく。生き残りたいなら、今いる場所を出てでも、上がれるだけ上がらないとね」
  • この言葉にプロフェッショナルの本質が凝縮されている。居酒屋で同僚たちといくら愚痴をこぼしたところで、何も変わらない自分の人生を変えるのは、自分自身しかいない。

 

自分の可能性に蓋をするなー「きっとできる。自分にはそれだけの可能性がある」と信じる

  • こうした私の考え方に否定的な人もいるだろう。
  • 「そんなことを言えるのは、あなたが勝ち組だからだ」と感じる人もいるかもしれない。しかし、私自身の30年のキャリアを振り返ると、平穏なときなど、ほとんどなかったといっていい。
  • 一見、華麗な転身を遂げ、成功を収めてきたように見えるかもしれないが、じつはいつももがき、悩み、自問自答していた。
  • そんな中で、私自身がいつも大切にしていたのはたったひとつ、「自分の可能性に蓋をしない」ということだった。
  • 「戦略コンサルタントになんてなれるのだろうか」「プロジェクトで結果は出せるのだろうか」「自分はプロジェクトを売ることができるのだろうか」「社長である私に、社員たちはついてきてくれるのだろうか」「本なんて書けるのだろうか」......。
  • 自分の居場所やキャリアのステージが変わるたびに、不安や弱気が頭をもたげていた。そんなとき、私は「きっとできる。自分にはそれだけの可能性がある」と自分に信じ込ませ、奮い立たせてきた。
  • そして、実際に多くのことを実現させることができた。
  • どんな人にも、その人ならではの才能や力が潜んでいると私は信じている。
  • でも、ほとんどの人は、そうした可能性に自分で蓋をしてしまい、活かせないでいる。本当にもったいないと思う。
  • 自分の可能性を信じられるのは、自分だけなのだ。

 

  • 真のプロフェッショナルは優れたチームプレイヤーでもある。それはサッカー
    ラグビーなどのプロスポーツの世界を見ても同じである。
  • これから求められる「和」は、たんなる同質的な「仲良しクラブ」ではない。
  • 共通の目標、ゴールを実現するために、ひとつのチームとしてまとまりながら、それぞれの専門性を発揮する。そうした「新たな和」が求められている。
  • 私は22歳でBCGに転職し、ボストンで研修を受けた。そのときに教えられた言葉のひとつが「多様性からの連帯」 (unity from diversity) だ。個性や多様性をもつ戦略コンサルタントが、ひとつのチームとして、時にぶつかり合い、時に刺激し合いながら、目標を達成する。そこからプロ同士の連帯感が生まれてくる。
  • いま日本企業に求められているのは、「健全なコンフリクト」である。
  • それぞれがそれぞれの意見や主張をぶつけ合い、対立や衝突を恐れずに、共通のゴールに向かって突き進んでいく。 未来を創造するためには、そのプロセスが欠かせない。
  • 「和」は最初から存在するものではない。
  • 「健全なコンフリクト」の結果として生まれるものである。

「ゆでガエル」から脱却するのは、あなただ!

  • 経済同友会代表幹事である櫻田謙悟さん(SOMPOホールディングスグループCEO)は、「まじめなゆでガエルになっていないか」と警鐘を鳴らす。
  • 「まじめなゆでガエル」とは、「日々がんばっているけれど、外の世界が見えておらず、がんばる方向性を間違えている人」のことだ。
  • 日本企業はいま大きく生まれ変わろうとしている。変わらなければ生き延びていけないのだから、経営者たちは本気だし、必死だ。問題は社員たちだ。

 

「社内価値」ではなく「市場価値」で勝負する

  • これまでのビジネスパーソンの大半は、会社の中で役に立つ、会社の中で選ばれる人間になることを目指した。
  • 社内で評価され、認められれば、出世の階段を駆け上がり、給料も上がる。 人材評価の軸は、常に「社内価値」がベースだった。
  • しかし、プロフェッショナルは「社内価値」ではなく「市場価値」にこだわる。社内のみに通用する能力に依存するのではなく、より普遍的な能力、経験値を高めることができれば、自分を活かす「場」はいくらでも広がる。
  • 「もし転職するとしたら、あなたにはいくらの値がつきますか?」
  • それこそが「市場価値」である。
  • 自分を高く評価してくれる、高く買ってくれるところに身を置くのが、プロフェッショナルの基本である。
  • もちろん、期待値が高ければ、責任やプレッシャーは大きくなる。しかし、その責任感やプレッシャーこそが、プロフェッショナルにとっての動力源なのである。

 

「プロセス」ではなく「結果」にこだわる

  • プロフェッショナルとは「仕事人」である。
  • 自分に課せられたミッション、役割を確実に遂行することを期待されて、プロフェッショナルとしての扱い、処遇を受ける。
  • だから、プロフェッショナルにとっては「結果」がすべてである。
  • 一回一回が真剣勝負だ。気を抜くことなどできない。
  • たとえどんなに「プロセス」が適切だったとしても、「結果」を伴うことができなければ、「プロ失格」の烙印を押される。
  • 私はローランド・ベルガーのコンサルタントたちに、「会社へのコミットメント」は求めていない。
  • 会社を好きになってくれる、仲間を大切にしてくれる気持ちはありがたいし、嬉しいが、仕事で成果を出せなければ何の意味もない。
    プロフェッショナルにとって大切なことは、たったひとつ。それは「仕事へのコミットメント」だ。

 「相対」ではなく「絶対」で勝負するー「自分にしかできない何か」を追求する

  • 分野は何であれ、最も価値の高いプロフェッショナルとは、唯一無二の「絶対価値」を生み出すことができる人材である。
  • 「代替性のない」 (irreplaceable) 人材こそが、究極のプロフェッショナルと言える。
  • 他者との相対比較の中で己を磨くのではなく、「自分にしかできない何か」を追求し、比較対象のない絶対的な存在を目指す。
  • そのためには、自分の強み・弱み、長所・欠点を冷静に分析し、何を磨くのか、何を伸ばすのかを戦略的に見極めることが求められる。
  • 己を知ることこそが、プロフェッショナルへの第一歩である。

パラダイム 「他律」ではなく「自律」で行動するー「上司」は自分自身

  • プロフェッショナルに「上司」は必要ない。「上司」がいるとすれば、それは自分自身である。
  • 真のプロフェッショナルチームは、共通のゴールや大きな方針、最低限のルールしか設定しない。過剰なルールや縛りなどの管理強化が、プロフェッショナルの創造性ややる気を毀損することを知っているからである。
  • プロフェッショナルは他者の命令や指図で動くのではなく、あくまでも自分自身の主体性で判断し、行動する。あくまでも「自主管理」が基本だ。
  • それができない者は、どんなに優れた才能を持ち合わせていたとしても、所詮アマチュアである。

「アンコントローラブル」は捨て、「コントローラブル」に集中する

  • プロフェッショナルにとって悲観的な状況とは、コントロール可能な選択肢がひとつもない状況のことである。
  • 自分でコントロール可能な変数 (controllable) が存在する限りは、けっして諦めず、常に楽観的に物事を考える。
  • 自分がコントロールできるものは何かを探し出し、そこに集中し、突破口を見出そうとする。コントロールできないもの (uncontrollable) に固執したり、嘆いたりはしない。
  • 真のプロフェッショナルは、一瞬で大きく流れを変えることができる。
  • それは何が「コントローラブル」で、何が「アンコントローラブル」なのかを見抜き、コントロール可能なものに集中し、専念するからである。

 

「運命」と「選択」の科学 脳はどこまで自由意志を許しているのか?

  • 4歳半前後の600人の子どもたちは、マシュマロというご褒美について選択肢を与えられる。マシュマロが1個なら今すぐその場でもらえるが、15分待てば2個もらえるという。12年後の追跡調査で、満足をすぐに得ないで遅らせることができた子どもは、誘惑に負けていた子どもと比べると、知力や成績において高度な特性を示していたことがわかった。幼少期の衝動や食欲に駆られる行動を認知制御する能力は、人生形成の予測になるかのように見えた。
  • ニューヨーク大学とカリフォルニア大学から成る神経科学者チームは、この結果を再現できるかという取り組みを始めた。ところが逆に発見されたのは、両親または保護者の社会経済的背景や教育の違いを考慮に入れれば、4歳時点で衝動的な子と意思を貫いた子の間に達成能力の差はあっても、15歳の時点でそれはおおむねなくなっている、という結果だった。4歳の時点での行動にかかわらず、15歳時点では、裕福で専門職に従事する家庭の子どもたちは概して、快適とはいえない環境で育った同級生よりも成績がよかったのだ。
  • どうやら、かつてのスタンフォードの研究者らはこういった側面を実験計画に含めなかったらしい。この新たな結果は直感的に納得できる。不足を感じる環境で育てば、長期的な利益よりも短期で得られる利益を選ぶようになるだろう。最初のマシュマロがいつ消えてもおかしくないと思うような子どもにとって、2つめのマシュマロに意味はないだろう。もし、金が底をついたからと両親に約束を破られたり、きょうだいにおやつを横取りされたりしていれば、すぐに満足を得ることこそが完璧に合理的な戦略なのだ。
  • わたしにはこの話は教訓のように思える。どんな分野であれ、科学とは暫定的であり、立案者と認知バイアスに拘束されるのだ。

 

脳を老化から守るために、研究者が日課にしていること

  • 別れ際、医学研究協議会の建物を出る前に、わたしはロヒールに質問した。「あなたはもっぱら、老化の過程を調査してきたけれど、当の自分は脳を老化の影響から守るために何をしているの?」と。彼の考えをもとに、加齢とともに脳のレジリエンスを高めるために誰もができることを、ここに列挙する。 神経科学の知識をもって悲運を阻止しようとする、そのおもしろい皮肉を楽しまずにはいられない。その最高の秘訣とは驚くなかれ、なんと・・・・・・
  • 身体をよく動かす
    別に、ランニングしろとはいわない。30分のウォーキングのような軽い運動や、週に3回の水泳やサイクリングは脳と身体にとてもいい。あなたがどんな体格でもどんな予定で動いていても、とにかくその場に行って身体を動かそう。神経組織発生を増やすかもしれないだけでなく、脳毛細血管を健康に保つことにもなる。
  • 夜はよく眠る
    睡眠はニューロン同士の結合を強化し、新しい知識を記憶として保存するというエビデンスがますます増えている。さらに睡眠は、日中に脳でつくられたあらゆる毒素を免疫系が取り除く機会となり、毒素が蓄積してニューロンが死滅するのを防ぐ。
  • 人づきあいを絶やさない
    家族や友人とともに過ごしたり、話し合いをしたり、他人から何かを学んだり、いろいろな物の見方や考え方を受け入れたりすることは、脳の処理を活動的にし、よりよい健康状態に結びつく。
  • 食事に気をつける
    心臓血管系の不健康と関連する食べ物(動物性脂肪、加工食品、過剰な糖分)もまた、認知力の不健康に結びつく。食事は、心臓と脳のためにするというのが原則だ。それが、微細な脳血管が詰まってニューロンを窒息させる微小脳梗塞から身を守ることになる。
  • 学び続ける
    人生の初期の学びは、人生の終わりの認知力の衰えを防ぐのに役立つ。研究によれば、長く学び続けている人ほど、脳は健康的に歳を重ねる可能性が高いという。正規の教育だろうとそうでなかろうと、どんな学習でも生涯にわたるものは脳の健康維持のための強力な戦略となる。
  • 常に前向きでいる
    自分は忘れっぽいと思い込んでいると、すぐに能力は衰える。たとえば、人の名前が覚えられないとか目的地への行き方がわからないとかを心配して、新しい人づきあいの場を避けるようになると、下り坂をまっしぐらということになりかねない。おおむね、メンタルヘルスが良好であれば、 認知力も良好なのだ。気持ちが落ち込むと、運動したり、自分の面倒を見たり、世間との交流を求めて出歩いたりすることに意欲をなくしたり、楽しみを感じなくなったりする。毎晩、寝る前に感謝の日記をつければ、前日にあった楽しいことをまたやりたくなったり、
    新しい経験を求めたくなったりして、前向きな気分で目が覚めやすくなる。

 

  • 報酬系は3つの主な経路で成り立っている。1つめは、中脳の領域の奥にある「腹側被蓋野(VTA)」と呼ばれる小さな神経細胞の集まりだ。そこで2つめの、ドーパミンという化学物質が産生され、ドーパミンは3つめの、側坐核」という脳の別の領域に移動する。側坐核はアーモンド形の組織で、ドーパミンに反応して電気的活動により発火する。この回路は快感を味わえばいつでも、活気づく。快感を得られるような活動のことを、たとえば食事やセックスのことを考えるだけでも、十分、活性化する。また巧妙なことに、この回路は狩りやセックス、捕食者からの逃亡を促すような動きにも敏感だ。この脳の領域は基本的に、生きる上で必須の3つの目標(後述)の達成を手助けする(進化よ、みごとだ。とても効率がいい)。
  • 側坐核前頭前野(額のちょうど裏にある領域で、推理や企画、臨機応変な思考および意思決定といった、高度な実行機能に関連する)はつながっている。そのため、楽しい気持ちを思い出すと連動して適切なトリガーが引かれ、その経験を繰り返そうという意欲が高まるのだ。
  • 興味深いことに、薬物乱用はこのシステムを乗っ取る。だから、薬物には常習癖がつきやすいのだ(進化よ、こりゃよくないな。残念な逆効果だ)。また、糖分はヘロインとかアルコール並みに報酬系に作用するというのは間違いだが、よくいわれるように、むやみな食欲に歯止めをかけるチェックシステムに穴があるのは確かだ。胃は満腹感を抑えるために、物理的にもうお腹はいっぱいだから食べるのはやめて、と指示する信号を脳に送る。問題は、システムが壊れると十分に反応しないということだ。その影響は、なかなか感じられないことが多い。胃を縮め
    るためにバンドを装着させる肥満外科手術は、満腹感を高め、食事制限を促す窮余の策だ。人は生物種として、おいしいと知った食べ物をどこまで腹に詰め込めるか、その見極めが下手だ。身体と脳に関する限り、 欲求は止まらない。そして、この行動をあと押しするのが報酬系なのだ。
  • そうなったのは、人がつくり上げた環境とはまったく違う環境に合わせて報酬系が進化したからだ。おおむね、哺乳類はおよそ2億5000万年をかけて進化し、その間、何が起ころうと食べ続けてきた。食料を探し出し、すばやく消化し、たとえ腹いっぱいでも食べ続け、より効率的に脂肪を蓄える(できるだけ長く脂肪蓄積を維持する)という能力は強みとなった。その特性は生き残った遺伝子によって、うまく子孫に受け継がれたのだ。同時に、非常に特殊な状況以外なら、のんびりしているのが好ましかった。人は食料を探し、食べ、生殖するためにエネルギーを費やす、という動機を持って進化してきた。ざっと、そんなところだ。

 

  • クラウス・ヴェーデキントが初めてベルン大学動物学研究所で行い、のちにアメリカで再現された興味深い実験がある。 女性は相手の評価基準の1つとして、好ましいパートナーのにおいを意識下で嗅ぎつけていることがわかったのだ。研究者らはある男性グループに、消臭剤を使ったり余計なにおいがつくようなものを食べたり飲んだりせずに、1枚のTシャツを洗わずに数日間、着るように頼んだ。その後、着用者の情報をまったく知らされていない女性グループに、そのTシャツのにおいを嗅いで、魅力の度合いを評価するよう依頼した。
  • すると、女性は、自分の免疫系とは大きく異なる免疫系を持つ男性の体臭をとても好むということが判明した。その違いは、主要組織適合遺伝子複合体 (MHC: major histocompatibility complex)という100ほどの遺伝子にあった。MHCは、免疫系に病原体などの異物を認識させるよう、タンパク質をコードする。 この遺伝子は、においの嗅ぎ分け方を決め、免疫系の構成を定めるという、2つの役割を果たしている。
  • 自分とは異なる遺伝子変異を持つ相手との交配は、より多くの感染症に抵抗力のある子孫を生み、生存の機会を増やす。女性は最適な遺伝子を念頭に置いて、文字どおり「ふさわしい男性」を嗅ぎつけるのかもしれない。それはどうやら、遺伝子に書き込まれ、脳に組み込まれた完全に無意識の行動らしい。ちなみに、この嗅覚の能力は男性の場合はあまり顕著ではない。つまり、男性はおおむね女性ほどにおいに敏感ではなく、「ふさわしい」 パートナーを嗅ぎつけることにあまり力を入れない、つまり、子どもを産み育てることに時間やエネルギーを女性ほど犠牲にしないと考えられるのだ。
  • 避妊薬「ピル」は、ホルモンによって疑似的な妊娠状態を継続させることで、女性を一時的に生殖不能状態にさせるのだが、興味深いことに、ピルは先ほどの実験結果を覆すことがわかった。ピルを服用している女性は、免疫系の構成という意味で、遺伝子的に自分と似た男性のにおいを好ましく思う傾向が高かったのだ。基本的に、ピルを服用中だと遺伝的に近縁の男性、たとえば兄弟やいとこなどのにおいを好ましく感じると思われる。妊娠したら、自分や子どもを守ってくれる近縁の男性がそばにいればとても便利だからだ。他の研究でも、ホルモン避妊法は脳の配線を変え、 彼氏の選択に影響を及ぼすと指摘されているが、そうなるとある問題が浮上する。はたして、ピルの服用を中止して妊娠した女性がパートナーに魅力を感じなくなる可能性はあるのか?
  • とはいえ、「彼女の男性の好みはそんな状況でがらりと変わるのか」と読者の皆さんがパニックになる前に、ひと言注意させてもらってもいいだろう。個人のMHCの特性(免疫系の重要な遺伝コード)は指紋と同じく唯一無二ということを考えると、ピルの中止が自分と似た特性の誰かの子どもをつくろうとする意味とは、とうてい思えない。

 

  • ここに、人生の教訓が導き出される。自分には、わくわくする感動や幸福の秘訣、充実した人生を追い求める遺伝的素因がありそうだと思う人は、未知の経験や意外な展開にどきどきする冒険でいっぱいの日々を送るだろう。もちろん、決まった手順や既知の物事に従うのが好きでも、何も悪いことはない。とはいえ、安全で確実なやり方で穏やかな挑戦をするのは、とてもいいことだ。結局、先に見てきたとおり、新しいスキルを学び、活発な姿勢を崩さず、他人の視点を受け入れることが、長期的な脳の健康には大事なのだ。
  • わくわく探しが大好きだろうとおうちにいるのが大好きだろうと、本来、行動は人間の営みに備わっている。行動によって、人は世の中と交流し、身振りや発話を介して感情を表現し、意見を交換し、生殖することができる。原始的な動物のホヤとは正反対なのだ。ホヤは幼生期には海を探索し、やがて居心地のいい岩に落ち着く。岩に固着したあとに最初にするのは、自分の脳と神経系を消化することだ。それから、岩にひっついたまま、たまたま海流に乗ってき有機物の小片を食べる。ホヤは雌雄同体、つまり両性の生殖器官を持っているので、動かなくても生殖できる。どうやら、自分ではその不活発で孤独な生活ぶりを気にしていないらしい。
  • それに対して、わたしたち人間は生涯にわたって、絶えず考え方を最新のものにしなくてはと、せわしなく動き続けている。それは、個人として精神的に成長し、部分的ではあるが) 自分の世界観を人間の集合意識にささげようとするためだ。

 

信念は何に役立つのか?

  • 宗教的信念や政治的イデオロギーに関する神経科学を考察する前に、ごく一般的な感覚での「意味の創造」を支える神経学のメカニズムを考えてみよう。 なぜ、 人間は世の中や自分を説明する理論をこうもしつこく探し求めるのだろう? 分析や解釈をせずにはいられない気持ちはどこからくるのか、そして、それはどんな機能を果たしているのか?
  • 心理学教授で『Skeptic (スケプティック)』誌の創刊者である、マイケル・シャーマーの著書Beliefs and Reinforce Them as Truths (信じる脳:幽霊や神から政治や陰謀まで―人はどのように信念を組み立て、それを真実として補強するのか)』(未邦訳)では、信念を形成する能力は人類の進化に不可欠とされている。これまで見てきたとおり、愛とはある意味、生殖への衝動の副産物なのだが、シャーマーは、信念とは脳の頑固なパターン探しの副産物であり、明らかに進化的な利点をもたらしたスキルだという説得力のある主張を展開している。
  • たとえば、ジャングルの葉陰に隠れた捕食動物の顔のパターンを見きわめ、このままでは食べられると予測して急いで逃げることができれば、一定の個体はあと1日は生き延びられ、そのスキルを子孫に伝える可能性がもたらされる。これについては認識の章で、脳が持って生まれた自己防衛のメカニズムが、統合失調症の例に見られるようにうまくいかないこともあると述べた。
  • 脳は、注ぎ込まれる情報から常に意味を抽出しようとしている「信念のエンジン」と考えられる。脳は受け取ったすべての感覚入力を分類し、相互参照してパターンを生み出すことで、この「エンジン」としての働きを行っている。おおむね潜在意識の仕事であり、意識的な認識作用をもって予測を行い、未来の計画を立てることが目的だ。
  • これは驚くべき妙技だが、いつも完璧にできるとは限らない。脳には、特殊なものを「一般化」するという弱点がある。概して、同じ状況で同じ経験を2、3度すると、それを「現実」の反映だと前向きに断言する。そもそも、以前の経験に基づいて現状のモデルが形づくられ、その予測処理が未来の計画を立てるのに役立つのだ。それは、いわゆる「直接の経験の経路」を通じて行動を形成するのに、絶対必要だ。

 

  • 問題は、脳はいったん何らかの信念を築くと、それが不完全だろうと不備があろうと見直したがらないということだ。さらに、原因となる事柄に原因を表す意味を割り当てたくてしょうがない脳の欲求を考えると、そもそも偶発的な誤った結論 (〝白人はすぐれている〟)に人が飛びつくのもうなずける。そして、脳はこうした信念に力を注ぐようになり、裏づけとなる証拠を探しつつ否定的な情報を無視してその信念を強化する。 そのまわりに未来の現実がつくられ始めるのだ。
  • この信念形成の描写は、神経回路を形成する生理学的なプロセスとそっくりだ。両者ともに、「自己強化」のループがある。認知のしくみと同じく、信念形成についても脳はエネルギー節約のために近道を通って処理するよう、先天的に定められているのだ。この点については、脳は本質的になまけものだと思いたくもなる。神経学的な深いレベルでは、脳の力は信念の変更よりもその維持に注がれている。
  • ある考えを変えて、対立する新しい考え方のための新たな神経回路を敷くには、意識的な努力が余分に必要になるが、それはまったくやりがいのない仕事かもしれない。これは他人と共有する信念、つまり家族や宗教的信仰といった社会的アイデンティティを形成する信念については特に当てはまる。この場合は単に情報を調整するという問題ではなく、関係性を改めて整えるという問題になる。大きな賭けだ。人は本当に自分の世界観を、さらにその延長線上で性格の基本的な面を変えることができるのかという、長年の問題が含むところはとても興味深い。

 

 

なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?

  • 91歳で生涯を閉じたピカソが、手元に遺した作品は7万点を数えた。それに、数カ所の住居や、複数のシャトー、莫大な現金等々を加えると、ピカソの遺産の評価額は、日本円にして約7500億円にのぼったという。美術史上、ピカソほど生前に経済的な成功に恵まれた画家、つまり「儲かった」 画家はいない。

では、両者の命運を分けたのはなんだったのか?

  • それは、ピカソのほうが「お金とは何か?」に興味を持ち、深く理解していた、という点ではなかったか。というのも、ピカソがお金の本質を見抜く類まれなセンスを持っていたことがうかがえる逸話が、数多く残されているのである。

ピカソの絵はなぜ高いのか?

  • 特に、自分の絵を販売することに関しては天才的で、ピカソは新しい絵を描き上げると、なじみの画商を数十人呼んで展覧会を開き、作品を描いた背景や意図を細かく説いたという。
  • 絵が素晴らしいのは前提だ。だが人は、作品という「モノ」にお金を払うのではない。その「物語」を買うのだ、と彼は知っていた。そして、たくさんの画商が集まれば、自然に競争原理が働き、作品の値段も吊り上がる。ピカソは、自分の作品の価値を価格に変える方法"、今でいえば〝マネタイズ"の方法をよく知っていたのだと思う。

なぜピカソは小切手を使ったのか?

  • 生前のピカソは、日常生活の少額の支払いであっても、好んで小切手を使ったという。
  • なぜか? 実は、次のようなカラクリがあったのだ。
  • まずピカソは、当時から有名であった。その彼が買い物の際に小切手を使えば、それをもらった商店主は、小切手をどのように扱うだろうか? ピカソは次のように考えた。商店主は、小切手を銀行に持ち込んで現金に換えてしまうよりも、ピカソの直筆サイン入りの作品として部屋に飾るなり、大事にタンスにしまっておくだろう。そうなれば、小切手は換金されないため、ピカソは現金を支払うことなく、実質的にタダで買い物を済ませることができる。
  • ピカソは、自分の名声をいかに上げるか、のみならず、それをどうやって、より多くのお金に換えるか、という点についても熟知していたのだろう。これは現代の金融でいえば、信用創造、"キャピタライズ"の考え方である。

ピカソはなぜ、ワインのラベルをタダで描いたのか?

  • シャトー=ムートン=ロートシルトというフランス・ボルドー地方にある有名シャトーのワインがある。この1本5万円は下らない高級ワインの1973年モノのラベルは、ピカソがデザインしている。そして、その対価は、お金ではなくワインで支払われた。ピカソの描いたラベルの評判が高ければ高いほど、ワインの価値は高まり、高値がつく。ピカソがそのワインをもらえば、自分で飲むにしろ売るにしろ、価値が高いほうがいいに決まっている。双方に利益のある話である。
  • ちなみに、シャトー名のロートシルトは、英語の発音では、ロスチャイルド。言わずと知れたユダヤ金融の頂点に君臨する一族である。ピカソに限らず、その年ごとに異なる有名アーティストにラベルをデザインしてもらうアイデアを思いついたシャトーのオーナー、フィリップ・ド・ロッチルド男爵(ロッチルドは、ロスチャイルドのフランス語読み)もまた、お金の本質を知っていた。
  • 彼らは解っていたのだ。信頼関係の土台があれば、お金を介さなくても双方の価値を交換することが可能である。むしろ、お金という数値では表現しきれない生の価値を伝えることができる。経済は必ずしもお金という媒介を必要とはしない。お金の達人は、究極的には、お金を使う必要がないのだ。

 

  • 「世の中には、2通りの生き方がある。ひとつはリスクを取る生き方、もうひとつは、人に従う生き方だ。私はリスクを取る生き方をしてきた」といきなり話し始めた。僕は黙って彼の話を聞いていた。
  • 彼はさらに、僕に2つのことを教えてくれた。
  • ひとつは、レバレッジをかけることだ。
  • 僕がいたM&Aの業界では、お金とは再投資するものだった。集めたお金を流し、さらに大きなお金とするのだ。「レバレッジ」という言葉は知っている人も多いだろう。
  • 「ビジネスには、2つのレバレッジがある。 OPTとOPMだ。OPTとは、Other People's Time (人を動かす)、OPMとは、 Other People's Money (人のお金を動かす)のことだ」。
  • OPTについて、「最終的な勝者は、人を動かす者だ。すべてのビジネススキルの中で、組織力学・行動心理学こそ学ぶ価値がある」と彼は言った。
  • 実際、OPMについて、彼は多くを実践していた。若いころ投資銀行で働いていたというだけあって、事業を立ち上げるときの大がかりなファイナンス方法について熟知していた。

 

  • 本書の冒頭で登場したピカソには、次のような逸話もある。
  • あるレストランにピカソが訪れた時、ウェイターの一人がこうピカソに言った。「このナプキンに何か絵を描いてもらえませんか? もちろん、お礼はします」と。
    ピカソは、これに答え、30秒ほどで、小さな絵を描いた。
  • そして、にっこりと笑って「料金は、100万円になります」と言った。
  • ウェイターは驚いて、「わずか30秒で描かれた絵が100万円ですか?」と聞いた。
    それに対して、ピカソはこう答えたという。
  • 「いいえ、この絵は30秒で描かれたものではありません。40年と30秒かけて描いたものです。」
  • ピカソは当時、40歳だった。もちろん冗談のつもりで、ウェイターをからかったのだろうが、ピカソの意図するところはこうだろう。
  • ひとつの物事が結実して目に見える価値になるには、才能と、長い歳月の努力とコミットメントの結果である。だから、目に見える結果だけを評価してはならない。それが生まれ出る原因に、目を向けなければならない。
  • ピカソは、そうウェイターを諭したのではないか?
  • お金とは、常に結果である。それは長い期間における価値の創造の結果でしかない。僕たちが目を向けるべきは、原因たる価値なのである。