「運命」と「選択」の科学 脳はどこまで自由意志を許しているのか?

  • 4歳半前後の600人の子どもたちは、マシュマロというご褒美について選択肢を与えられる。マシュマロが1個なら今すぐその場でもらえるが、15分待てば2個もらえるという。12年後の追跡調査で、満足をすぐに得ないで遅らせることができた子どもは、誘惑に負けていた子どもと比べると、知力や成績において高度な特性を示していたことがわかった。幼少期の衝動や食欲に駆られる行動を認知制御する能力は、人生形成の予測になるかのように見えた。
  • ニューヨーク大学とカリフォルニア大学から成る神経科学者チームは、この結果を再現できるかという取り組みを始めた。ところが逆に発見されたのは、両親または保護者の社会経済的背景や教育の違いを考慮に入れれば、4歳時点で衝動的な子と意思を貫いた子の間に達成能力の差はあっても、15歳の時点でそれはおおむねなくなっている、という結果だった。4歳の時点での行動にかかわらず、15歳時点では、裕福で専門職に従事する家庭の子どもたちは概して、快適とはいえない環境で育った同級生よりも成績がよかったのだ。
  • どうやら、かつてのスタンフォードの研究者らはこういった側面を実験計画に含めなかったらしい。この新たな結果は直感的に納得できる。不足を感じる環境で育てば、長期的な利益よりも短期で得られる利益を選ぶようになるだろう。最初のマシュマロがいつ消えてもおかしくないと思うような子どもにとって、2つめのマシュマロに意味はないだろう。もし、金が底をついたからと両親に約束を破られたり、きょうだいにおやつを横取りされたりしていれば、すぐに満足を得ることこそが完璧に合理的な戦略なのだ。
  • わたしにはこの話は教訓のように思える。どんな分野であれ、科学とは暫定的であり、立案者と認知バイアスに拘束されるのだ。

 

脳を老化から守るために、研究者が日課にしていること

  • 別れ際、医学研究協議会の建物を出る前に、わたしはロヒールに質問した。「あなたはもっぱら、老化の過程を調査してきたけれど、当の自分は脳を老化の影響から守るために何をしているの?」と。彼の考えをもとに、加齢とともに脳のレジリエンスを高めるために誰もができることを、ここに列挙する。 神経科学の知識をもって悲運を阻止しようとする、そのおもしろい皮肉を楽しまずにはいられない。その最高の秘訣とは驚くなかれ、なんと・・・・・・
  • 身体をよく動かす
    別に、ランニングしろとはいわない。30分のウォーキングのような軽い運動や、週に3回の水泳やサイクリングは脳と身体にとてもいい。あなたがどんな体格でもどんな予定で動いていても、とにかくその場に行って身体を動かそう。神経組織発生を増やすかもしれないだけでなく、脳毛細血管を健康に保つことにもなる。
  • 夜はよく眠る
    睡眠はニューロン同士の結合を強化し、新しい知識を記憶として保存するというエビデンスがますます増えている。さらに睡眠は、日中に脳でつくられたあらゆる毒素を免疫系が取り除く機会となり、毒素が蓄積してニューロンが死滅するのを防ぐ。
  • 人づきあいを絶やさない
    家族や友人とともに過ごしたり、話し合いをしたり、他人から何かを学んだり、いろいろな物の見方や考え方を受け入れたりすることは、脳の処理を活動的にし、よりよい健康状態に結びつく。
  • 食事に気をつける
    心臓血管系の不健康と関連する食べ物(動物性脂肪、加工食品、過剰な糖分)もまた、認知力の不健康に結びつく。食事は、心臓と脳のためにするというのが原則だ。それが、微細な脳血管が詰まってニューロンを窒息させる微小脳梗塞から身を守ることになる。
  • 学び続ける
    人生の初期の学びは、人生の終わりの認知力の衰えを防ぐのに役立つ。研究によれば、長く学び続けている人ほど、脳は健康的に歳を重ねる可能性が高いという。正規の教育だろうとそうでなかろうと、どんな学習でも生涯にわたるものは脳の健康維持のための強力な戦略となる。
  • 常に前向きでいる
    自分は忘れっぽいと思い込んでいると、すぐに能力は衰える。たとえば、人の名前が覚えられないとか目的地への行き方がわからないとかを心配して、新しい人づきあいの場を避けるようになると、下り坂をまっしぐらということになりかねない。おおむね、メンタルヘルスが良好であれば、 認知力も良好なのだ。気持ちが落ち込むと、運動したり、自分の面倒を見たり、世間との交流を求めて出歩いたりすることに意欲をなくしたり、楽しみを感じなくなったりする。毎晩、寝る前に感謝の日記をつければ、前日にあった楽しいことをまたやりたくなったり、
    新しい経験を求めたくなったりして、前向きな気分で目が覚めやすくなる。

 

  • 報酬系は3つの主な経路で成り立っている。1つめは、中脳の領域の奥にある「腹側被蓋野(VTA)」と呼ばれる小さな神経細胞の集まりだ。そこで2つめの、ドーパミンという化学物質が産生され、ドーパミンは3つめの、側坐核」という脳の別の領域に移動する。側坐核はアーモンド形の組織で、ドーパミンに反応して電気的活動により発火する。この回路は快感を味わえばいつでも、活気づく。快感を得られるような活動のことを、たとえば食事やセックスのことを考えるだけでも、十分、活性化する。また巧妙なことに、この回路は狩りやセックス、捕食者からの逃亡を促すような動きにも敏感だ。この脳の領域は基本的に、生きる上で必須の3つの目標(後述)の達成を手助けする(進化よ、みごとだ。とても効率がいい)。
  • 側坐核前頭前野(額のちょうど裏にある領域で、推理や企画、臨機応変な思考および意思決定といった、高度な実行機能に関連する)はつながっている。そのため、楽しい気持ちを思い出すと連動して適切なトリガーが引かれ、その経験を繰り返そうという意欲が高まるのだ。
  • 興味深いことに、薬物乱用はこのシステムを乗っ取る。だから、薬物には常習癖がつきやすいのだ(進化よ、こりゃよくないな。残念な逆効果だ)。また、糖分はヘロインとかアルコール並みに報酬系に作用するというのは間違いだが、よくいわれるように、むやみな食欲に歯止めをかけるチェックシステムに穴があるのは確かだ。胃は満腹感を抑えるために、物理的にもうお腹はいっぱいだから食べるのはやめて、と指示する信号を脳に送る。問題は、システムが壊れると十分に反応しないということだ。その影響は、なかなか感じられないことが多い。胃を縮め
    るためにバンドを装着させる肥満外科手術は、満腹感を高め、食事制限を促す窮余の策だ。人は生物種として、おいしいと知った食べ物をどこまで腹に詰め込めるか、その見極めが下手だ。身体と脳に関する限り、 欲求は止まらない。そして、この行動をあと押しするのが報酬系なのだ。
  • そうなったのは、人がつくり上げた環境とはまったく違う環境に合わせて報酬系が進化したからだ。おおむね、哺乳類はおよそ2億5000万年をかけて進化し、その間、何が起ころうと食べ続けてきた。食料を探し出し、すばやく消化し、たとえ腹いっぱいでも食べ続け、より効率的に脂肪を蓄える(できるだけ長く脂肪蓄積を維持する)という能力は強みとなった。その特性は生き残った遺伝子によって、うまく子孫に受け継がれたのだ。同時に、非常に特殊な状況以外なら、のんびりしているのが好ましかった。人は食料を探し、食べ、生殖するためにエネルギーを費やす、という動機を持って進化してきた。ざっと、そんなところだ。

 

  • クラウス・ヴェーデキントが初めてベルン大学動物学研究所で行い、のちにアメリカで再現された興味深い実験がある。 女性は相手の評価基準の1つとして、好ましいパートナーのにおいを意識下で嗅ぎつけていることがわかったのだ。研究者らはある男性グループに、消臭剤を使ったり余計なにおいがつくようなものを食べたり飲んだりせずに、1枚のTシャツを洗わずに数日間、着るように頼んだ。その後、着用者の情報をまったく知らされていない女性グループに、そのTシャツのにおいを嗅いで、魅力の度合いを評価するよう依頼した。
  • すると、女性は、自分の免疫系とは大きく異なる免疫系を持つ男性の体臭をとても好むということが判明した。その違いは、主要組織適合遺伝子複合体 (MHC: major histocompatibility complex)という100ほどの遺伝子にあった。MHCは、免疫系に病原体などの異物を認識させるよう、タンパク質をコードする。 この遺伝子は、においの嗅ぎ分け方を決め、免疫系の構成を定めるという、2つの役割を果たしている。
  • 自分とは異なる遺伝子変異を持つ相手との交配は、より多くの感染症に抵抗力のある子孫を生み、生存の機会を増やす。女性は最適な遺伝子を念頭に置いて、文字どおり「ふさわしい男性」を嗅ぎつけるのかもしれない。それはどうやら、遺伝子に書き込まれ、脳に組み込まれた完全に無意識の行動らしい。ちなみに、この嗅覚の能力は男性の場合はあまり顕著ではない。つまり、男性はおおむね女性ほどにおいに敏感ではなく、「ふさわしい」 パートナーを嗅ぎつけることにあまり力を入れない、つまり、子どもを産み育てることに時間やエネルギーを女性ほど犠牲にしないと考えられるのだ。
  • 避妊薬「ピル」は、ホルモンによって疑似的な妊娠状態を継続させることで、女性を一時的に生殖不能状態にさせるのだが、興味深いことに、ピルは先ほどの実験結果を覆すことがわかった。ピルを服用している女性は、免疫系の構成という意味で、遺伝子的に自分と似た男性のにおいを好ましく思う傾向が高かったのだ。基本的に、ピルを服用中だと遺伝的に近縁の男性、たとえば兄弟やいとこなどのにおいを好ましく感じると思われる。妊娠したら、自分や子どもを守ってくれる近縁の男性がそばにいればとても便利だからだ。他の研究でも、ホルモン避妊法は脳の配線を変え、 彼氏の選択に影響を及ぼすと指摘されているが、そうなるとある問題が浮上する。はたして、ピルの服用を中止して妊娠した女性がパートナーに魅力を感じなくなる可能性はあるのか?
  • とはいえ、「彼女の男性の好みはそんな状況でがらりと変わるのか」と読者の皆さんがパニックになる前に、ひと言注意させてもらってもいいだろう。個人のMHCの特性(免疫系の重要な遺伝コード)は指紋と同じく唯一無二ということを考えると、ピルの中止が自分と似た特性の誰かの子どもをつくろうとする意味とは、とうてい思えない。

 

  • ここに、人生の教訓が導き出される。自分には、わくわくする感動や幸福の秘訣、充実した人生を追い求める遺伝的素因がありそうだと思う人は、未知の経験や意外な展開にどきどきする冒険でいっぱいの日々を送るだろう。もちろん、決まった手順や既知の物事に従うのが好きでも、何も悪いことはない。とはいえ、安全で確実なやり方で穏やかな挑戦をするのは、とてもいいことだ。結局、先に見てきたとおり、新しいスキルを学び、活発な姿勢を崩さず、他人の視点を受け入れることが、長期的な脳の健康には大事なのだ。
  • わくわく探しが大好きだろうとおうちにいるのが大好きだろうと、本来、行動は人間の営みに備わっている。行動によって、人は世の中と交流し、身振りや発話を介して感情を表現し、意見を交換し、生殖することができる。原始的な動物のホヤとは正反対なのだ。ホヤは幼生期には海を探索し、やがて居心地のいい岩に落ち着く。岩に固着したあとに最初にするのは、自分の脳と神経系を消化することだ。それから、岩にひっついたまま、たまたま海流に乗ってき有機物の小片を食べる。ホヤは雌雄同体、つまり両性の生殖器官を持っているので、動かなくても生殖できる。どうやら、自分ではその不活発で孤独な生活ぶりを気にしていないらしい。
  • それに対して、わたしたち人間は生涯にわたって、絶えず考え方を最新のものにしなくてはと、せわしなく動き続けている。それは、個人として精神的に成長し、部分的ではあるが) 自分の世界観を人間の集合意識にささげようとするためだ。

 

信念は何に役立つのか?

  • 宗教的信念や政治的イデオロギーに関する神経科学を考察する前に、ごく一般的な感覚での「意味の創造」を支える神経学のメカニズムを考えてみよう。 なぜ、 人間は世の中や自分を説明する理論をこうもしつこく探し求めるのだろう? 分析や解釈をせずにはいられない気持ちはどこからくるのか、そして、それはどんな機能を果たしているのか?
  • 心理学教授で『Skeptic (スケプティック)』誌の創刊者である、マイケル・シャーマーの著書Beliefs and Reinforce Them as Truths (信じる脳:幽霊や神から政治や陰謀まで―人はどのように信念を組み立て、それを真実として補強するのか)』(未邦訳)では、信念を形成する能力は人類の進化に不可欠とされている。これまで見てきたとおり、愛とはある意味、生殖への衝動の副産物なのだが、シャーマーは、信念とは脳の頑固なパターン探しの副産物であり、明らかに進化的な利点をもたらしたスキルだという説得力のある主張を展開している。
  • たとえば、ジャングルの葉陰に隠れた捕食動物の顔のパターンを見きわめ、このままでは食べられると予測して急いで逃げることができれば、一定の個体はあと1日は生き延びられ、そのスキルを子孫に伝える可能性がもたらされる。これについては認識の章で、脳が持って生まれた自己防衛のメカニズムが、統合失調症の例に見られるようにうまくいかないこともあると述べた。
  • 脳は、注ぎ込まれる情報から常に意味を抽出しようとしている「信念のエンジン」と考えられる。脳は受け取ったすべての感覚入力を分類し、相互参照してパターンを生み出すことで、この「エンジン」としての働きを行っている。おおむね潜在意識の仕事であり、意識的な認識作用をもって予測を行い、未来の計画を立てることが目的だ。
  • これは驚くべき妙技だが、いつも完璧にできるとは限らない。脳には、特殊なものを「一般化」するという弱点がある。概して、同じ状況で同じ経験を2、3度すると、それを「現実」の反映だと前向きに断言する。そもそも、以前の経験に基づいて現状のモデルが形づくられ、その予測処理が未来の計画を立てるのに役立つのだ。それは、いわゆる「直接の経験の経路」を通じて行動を形成するのに、絶対必要だ。

 

  • 問題は、脳はいったん何らかの信念を築くと、それが不完全だろうと不備があろうと見直したがらないということだ。さらに、原因となる事柄に原因を表す意味を割り当てたくてしょうがない脳の欲求を考えると、そもそも偶発的な誤った結論 (〝白人はすぐれている〟)に人が飛びつくのもうなずける。そして、脳はこうした信念に力を注ぐようになり、裏づけとなる証拠を探しつつ否定的な情報を無視してその信念を強化する。 そのまわりに未来の現実がつくられ始めるのだ。
  • この信念形成の描写は、神経回路を形成する生理学的なプロセスとそっくりだ。両者ともに、「自己強化」のループがある。認知のしくみと同じく、信念形成についても脳はエネルギー節約のために近道を通って処理するよう、先天的に定められているのだ。この点については、脳は本質的になまけものだと思いたくもなる。神経学的な深いレベルでは、脳の力は信念の変更よりもその維持に注がれている。
  • ある考えを変えて、対立する新しい考え方のための新たな神経回路を敷くには、意識的な努力が余分に必要になるが、それはまったくやりがいのない仕事かもしれない。これは他人と共有する信念、つまり家族や宗教的信仰といった社会的アイデンティティを形成する信念については特に当てはまる。この場合は単に情報を調整するという問題ではなく、関係性を改めて整えるという問題になる。大きな賭けだ。人は本当に自分の世界観を、さらにその延長線上で性格の基本的な面を変えることができるのかという、長年の問題が含むところはとても興味深い。