MONOQLO 201911

仕事の道具

リカバリーシューズのウーフォース(OOahh)、オフィスの定番になりつつあります。

トラックボールユーザーにはお勧めですが、初めての人はまず

M570を使って、身体に合うか試したほうがいいと思います。トラックボールは腱鞘炎の特効薬です。

5万円以下でオフィスチェア探しているなら参考になりそう。1位はサンワダイレクト 

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個人的にはメッシュ座面のほうが好きなので、2位のクエトGYが気になりました。

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ランバーサポートがない・弱いオフィスチェアを利用していて、後傾の環境を作りたい人にはよいです。蒸れもあまり感じません。

最新流行のゲルクッション、通気性がいいのでメッシュ座面との相性がいいです。メッシュ座面は硬いのでクッション性が弱いですが、ゲルクッションはそこをうまく補完してくれます。

履き心地の良いビジネスシューズはロックポート一択、革靴苦手な僕でも履けます。

防水スプレーの定番

(雑誌では紹介されてないけど)定番のラナパー

(雑誌では紹介されてないけど)シューキーパーも忘れずに。私はコスパのいいコロニルのアロマティックシダーシュートゥリーを愛用しています。

安心と信頼のトラスコ中山

今度の出張で使ってみます。耐久性に難があるよう

 

yamanatan.hatenablog.com

 

NEVER LOST AGAIN グーグルマップ誕生 (世界を変えた地図)

  • 営利目的の企業が次々と誕生した。彼らのビジネスは無料で使えるグーグルマップAPIに依存していた。グーグルは世界最高のベースマップを作るという重労働を肩代わりし、誰もが使えるようにした。そしてそれは、数千万ドル規模のビジネス(時には数十億ドル規模にもなる)が育つ土壌となった。こうしたビジネスをあなたも知っているだろう。毎日使っているサービスかもしれない。
  • イェルプ、ジロウ、トゥルーリア、ホテルズドットコム、ストラバや、後のウーバーやリフトなどもそうだ。2005年から2006年にかけ、ウェブ2.0時代を代表するロケーションベースのサービスが数多く誕生した。彼らはサービスの基盤にグーグルマップを使っている。地図がイノベーションの注目分野になり、ベンチャーキャピタルから出資を受けたスタートアップが次々と台頭したのだった。
  • ブレットとジムのグーグルマップAPIがあったからこそ、こうしたスタートアップのビジネスが成立した。グーグルマップAPIはエクイティを求めない巨大なテックインキュベーターであったともいえる。 エクイティどころか、利用料すら受け取っていない。そうすることはグーグルのDNAに反することだったのだ。
  • ただ最終的に、ローンチから数年後グーグルマップAPIは有料化する。これはロケーションベースサービスを提供する企業が求めたことでもあった。究極のベースマップを無料で使えるのは彼らにとっても嬉しいことだったが、一方でグーグルがいつでもサービス内容を変更し、彼らのマッシュアップサイトに広告を表示できる状態を彼らは問題視していた。例えば、アメリカン航空はグーグルマップを使ったフライトトラッカーをウェブサイトに表示しているが、グーグルがそのマッシュアップサイトの広告枠をユナイテッド航空に販売することだってできる。サービスが有料化するまで、グーグルがそうすることをアメリカン航空側が止めることはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

予測マシンの世紀

補完財と代替財の「財」が材木の「材」になっている。経済学者が書いた本の翻訳でこれはさすがにひどい。ちゃんと出版社がチェックするべき。
  • ウィリアム・ノードハウスは、詳細な分析をもとに、こんにちと同じ量の光を確保するためのコストは1800年代はじめには400倍も高かったと結論づけている。もしも証明にそんな価格が設定されたら、コストに注目しないわけにはいかない。本を読むために人工照明を使うべきか、じっくり考えるだろう。その後、照明の価格が大きくて低下した結果、世界は明るくなった。・・・人工照明のコストがタダ同然にまで下がらなければ、今日のような生活はほとんど不可能だった。

 

  • 人間による予測は、たとえ経験豊かで有能な専門家であっても困難を伴う。それが最も如実に示されているのは、アメリカの裁判官が保釈許可に際して下す決断についての研究だろう。アメリカでは、毎年このような決断の数が1000万件にのぼる。保釈されるか否かは家族や仕事など個人的な問題にとって非常に重大であるし、政府が受刑者のために負担するコストへの影響は言うまでもない。裁判官が決断を下すときには、被告が保釈された場合の逃亡や再犯の可能性を基準に考えなければならない。最終的に有罪判決を受ける可能性は重視されない。決断の基準は明快で、定義もはっきりしている。
  • この研究では機械学習を使い、被告が保釈中に再犯や逃亡を犯す確率を予測するアルゴリズムが開発された。訓練データは広い範囲から集められた。2008年から2013年にかけてニューヨーク市で保釈された75万人に関してのデータで、逮捕歴、起訴内容、人口動態に関する情報などが含まれている。
  • 結論を言うと、機械の予測は人間の裁判官よりも優れていた。たとえば機械は、被告全体の1パーセントを最もリスクが高いグループに分類し、そのなかの62パーセントが保釈中に再犯すると予測した。ところが(機械による予測にアクセスできない)人間の裁判官は、このグループのほぼ半分の被告を保釈することを決断した。結局、機械による予測はかなり正確で、機械により高いリスクを確認された被告の63パーセントが実際に保釈中に再犯し、半分以上がつぎの公判期日に出頭しなかった。しかも、機械が高リスクと判断した被告の5パーセントは、保釈中にレイプか殺人を犯した。
  • 機械の勧めにしたがっていたら、裁判官は機械と同じように保釈する人数を決定し、保釈中の犯罪率を四分の一にまで減らしていたかもしれない。あるいは収監される被告の人数を50パーセント増やしていたら、犯罪率は据え置かれたかもしれない。
  • ここでは何が進行しているのだろう。なぜ裁判官の評価は予測マシンと大きく異なるのだろう。原因のひとつとして考えられるのは、被告の外見や法廷での態度など、アルゴリズムには入手できない情報を裁判官が利用することだ。このような情報は役に立つかもしれないが、判断を誤らせる恐れもある。実際。保釈中の犯罪率の高さを考えれば、判断を誤らせる可能性のほうが高いと結論してもおかしくない。裁判官の予測能力はかなりお粗末なのだ。
  • 人間にとってこのような状況での予測が難しいのは、犯罪率の説明には複数の要因が複雑に関わり合っているからだ。異なる指標のあいだの複雑な相互作用を考慮する能力に関して予測マシンは人間よりもはるかに優れている。過去に犯罪歴があれば被告が逃亡するリスクは高くなると人間は単純に信じたくなるが、機械であれば、それが正しいのは被告が特定の期間に無職だった場合にかぎることを発見するかもしれない。要するに、最も重要なのは相互作用の効果で、そこに関わる特徴の数が増えるほど、人間が正確な予測を行なう能力は低下していく。
  • こうしたバイアスが見られるのは、医療や野球や法律といった分野に限らない。専門職では絶えず観察される特徴だ。経済学者によれば、管理職であれ一般社員であれ予測する機会は多く、しかも結果がお粗末な事実に気づかないまま、自信満々に予測する。ミッチェル・ホフマン、リサ・カーン、ダニエル・リーは、専門技能をそれほど必要としないサービスを提供する企業15社の雇用への取り組みについて調査を行なった。その結果、通常の面接以外に客観的で検証可能なテストを実施するようになった企業は、面接だけで採用を決めていたときに比べて社員の在職期間が15パーセント高くなることがわかった。こうした取り組みを行なうにあたり、管理職は社員の在職期間を最大化するよう指示された。
  • 認知能力の診断や適職に関する指標など、テストは広範囲を網羅した。ただし、採用担当管理職の自由裁量を制約し、低い得点の応募者を勝手に採用できないようにすると、社員の在職期間はさらに長くなり、離職率が減少した。つまり、社員の在職期間を最大化するよう指示され、採用に関する経験が豊かで、機械が予測したかなり正確な情報を提供された人物であっても、自分勝手な判断を制約されないかぎり、上手に予測することはできなかったのである。

 

もはや知識は必要とされない

  • ロンドンのタクシー運転手が名物の黒塗りタクシーを運転するために義務付けられているフリッジ」というテストでは、細かな知識が問われる。ロンドン全体の何千もの地点や街路の所在地についての知識が試されるのはもちろん、もっと難しい知識も問われる。ふたつの地点を結ぶ最速のルートを、どの地点に関しても予測しなければならず、しかもテストでは1日のあらゆる時間帯が対象とされる。
  • ノリッジに合格するための学習に三年も投資したタクシー運転手は、予測マシンと競争する日が訪れるとは夢にも思わなかった。だから何年にもわたり、記憶のなかの地図をアップロードし、ルートを試し、わからない部分は常識で補ったものだ。ところが今日、ナビゲーションアプリはタクシー運転手とまったく同じ地図のデータにアクセスできる。しかも、予測に関して受けた訓練とアルゴリズ
    ムを結びつけ、リクエストされたらいつでも最善のルートを見つけられる。道路状況についてリアルタイムのデータを使うことなど、人間のタクシー運転手にはできない。
  • しかしロンドンのタクシー運転手の運命は、ノリッジで問われるような知識を予測するナビゲーションアプリの能力だけに左右されるわけではない。A地点とB地点を結ぶ最善のルートの決定には、ほかにも重要な要素が関わっている。まず、
    タクシー運転手は車両を制𨨶できる。つぎに、彼らには感覚器官が備わっており、なかでも特に目と耳は重要な役割を果たす。周囲の状況についてのデータを集めたら、知識としてうまく活用されるようにデータを脳に送り込む。ところがこの能力は、タクシー運転手にかぎらず人間なら誰でも持っている。ロンドンのタクシー運転手の状況が悪化したのは、ナビゲーションアプリのせいではない。彼ら以外の何百万人もの人たちが、はるかに優秀になったからだ。もはやタクシー運転手の知識は、不足商品ではない。ウーバーのようなライドシェアリング・プラットフォームが激しい競争を仕掛けている。

 

  •  予測の精度が向上すれば、決断するのが人間だろうと機械だろうと、決断の基準となる「イフ」や「ゼン」を増やすことができて、より良い結果が得られる。たとえば自動運転のケースに関して、本章では郵便配達ロボットの事例で説明した。これまで自動運転車は制御された環境でしか動かなかったが、予測マシンが導入されると制約から解放された。制約された環境とは、「イフ」(状態)の数が制限された環境である。自動運転車が街路のような非制御環境で動き回れるのは、予測マシンが可能性のある「イフ」をすべてコード化する必要がないからだ。その代わりに予測マシンは、特定の状況で人間ならどうするか予測できるように学習する。一方、空港ラウンジの事例からは、予測が改善されると「ゼン」を簡単に増やせることがわかる(たとえば、特定の日の特定の時間の空港までの所要時間の予測に応じて、出発時間がX、Y、Zのいずれかに決まる)。万が一に備えて常に早めに出発し、時間が余ったら空港のラウンジで待機する、という必要はなくな
    る。
  • 優れた予測に頼れないときは、しばしば「満足化」を行なう。すなわち、手に入る情報に基づいて、「この程度なら満足できる」と思える決断を下す。一例が、空港に行くときは常に早めに出発し、早く到着しすぎてフライトの時間まで待機するケースだ。最適の解決策ではないが、手に入る情報の範囲内では賢明な決断である。郵便配達ロボットや空港のラウンジは、満足化に応える形で考案された。しかし優れた予測マシンが登場すれば、満足化が必要とされる機会は減少する。そうなると、郵便配達ロボットシステムや空港ラウンジのような解決策への投資から得られる見返りも少なくなるだろう。
  • 私たちはビジネスでも社会生活でも満足化に慣れきっている。そのため、もっとたくさんの「イフ」や「ゼン」を扱うことができる予測マシンが登場し、いまよりも複雑な環境で複雑な決断を下すようになったら、どれだけ大きな変化が引き起こされるか、すぐには想像できない。空港ラウンジは当てにならない予測への解決策として生まれたもので、新しい時代に予測マシンが強力になればラウンジの価値は失われると言われても、なんだかピンとこない。もうひとつの事例が生検の利用で、これは画像診断による予測の弱点を補う形で存在している。今後、予測マシンの信頼性が高くなれば、生検に関わる仕事に大きな影響をおよぼすだろう。空港ラウンジと同じく、費用が高くて体に負担のかかる生検は、予測を全面的に信頼できないために考案された。空港ラウンジも生検も、リスク管理型の
    解決策である。優れた予測マシンが登場すれば、リスクをもっと上手に管理する新しい方法が提供されるだろう。

 

  •  AIやインクーネットが出現する以前、コンピューター革命が起きた。コンピューターは計算を正しく、しかも安上がりに行なった。特に、たくさんの項を足し合わせるのが得意だった。最初の人気アプリのひとつは、簿記の計算の負担を軽減した。
  • これを閃いたのは、コンピューター・エンジニアのダン・ブルックリンである。MBAの取得を目指していたとき、彼はハーバード・ビジネススクールのケースメソッドで様々なシナリオを評価するために計算を繰り返さなければならず、不満を募らせた。そこで計算を行なうコンピュータープログラムを書いてみたところ、非常に役に立ったので、その後はボブ・フランクストンと共に、アップル
    Tコンピューターに搭載されるヴィジカルクを開発した。ヴィジカルクはパソコン時代の最初の人気アプリとなり、多くの企業がこれを理由にオフィスへのコンピューター導入に踏み切った。ヴィジカルクは計算にかかる時間を従来の100分の1に短縮しただけではない。おかげで企業は、以前よりもずっと多くのシナリオを分析できるようになった。
  • 「当時、計算は簿記係の仕事だった。1970年代の終わりには、アメリカだけで40万人以上の簿記係が働いていた。ところが表計算ソフトは、彼らにとって最も時間のかかる作業、すなわち計算を取り除いてしまった。これで簿記係の職は失われたと思われるかもしれない。しかし、失業を嘆く簿記係の声は聞かれないし、反発を強めた彼らが表計算ソフトの普及を妨害したわけでもない。なぜ簿
    記係は、表計算ソフトを脅威と見なさなかったのだろう。
  • 「それは、ヴィジカルクという表計算ソフトのおかげで、実際のところ簿記係の価値は上昇したからだ。表計算ソフトが導入されると、計算は楽になった。どれくらいの利益を期待できるのか、仮定の部分をいろいろに変えると利益がどのように変化するのか、いまでは簡単に評価することができる。何度でも繰り返し計算できるので、ビジネスのスナップ写真ではなく、動画が手に入ると言ってもよ
    い。ひとつの投資が利益をもたらすかどうか確認するのではなく、予測条件をいろいろと変えながら複数の投資を比較したうえで、最善のものを選ぶことができる。ただし、どの投資を試すかについての判断は、人間が下さなければならない。表計算ソフトは計算の答えを簡単に出してくれるので、このプロセスでは質問することへの見返りが大きくなる。
  • 表計算ソフトが登場する以前に苦労して計算に取り組んでいた人たちは、コンピューター化された表計算ソフトに的確な質問をするのに最もふさわしい立場にいた。したがって職を奪われるどころか、大きな力を手に入れたのである。
  • このようなタイプのシナリオ、すなわち機械がすべてのタスクではなく、一部のタスクを引き受けて仕事が強化されるシナリオは、AIツールが導入されれば自然に普及していくだろう。今後、仕事を構成するタスクは変化する。なかには予測マシンによって不要になるタスクもあるだろう。空き時間のできた人たちが補充されるタスクもあるはずだ。そして多くのタスクでは、かつては必要不可欠だったメールが評価されなくなり、代わりに新しいスキルが注目される。

 

  • オックスフォード大学のカール・フレイとマイケル・オズボーンは仕事の遂行に必要なスキルのタイプについて調べたうえで、スクールバスの運転手(公共バスの運転手とは区別される)の仕事が今後10年から20年のうちに自動化される確率は、89パーセントに達すると結論づけた。
  • 「スクールバスの運転手」と呼ばれる人物が、子どもの自宅と学校を往復するバスの運転をしなくなったら、給料を支払う必要のなくなった自治体はそのぶんを別の支出にまわすべきなのだろうか。いや、そうはならない。バスが自動運転になったとしても、現在のスクールバスの運転手は運転のほかにもたくさんの役割を引き受けている。まず彼らには、大人として大勢の学童の集団を監督する責任
    があり、バスの外で発生する危険から子どもたちを守らなければならない。同じように重要な役割が、バスのなかの規律を維持することだ。子どもたちを管理して、お互いにトラブルを起こさないよう配慮するためには、人間の判断が未だに必要とされる。バスが自動的に動いても、こうした補足的なタスクが消滅するわけではない。むしろ、バスに同乗している大人はこれらのタスクにもっと集中できるようになる。
  • そうなるとおそらく、「スクールバスの運転手と称される立場の職員」のスキルセットは変化するだろう。今日よりも、教師のようにふるまう機会が増えるかもしれない。ここで肝心なのは、自動化は人間からタスクを奪っても、かならずしも仕事を奪うわけではないことである。雇用者から見れば、誰かに引き受けてもらいたい仕事は残される。そして雇われる立場から見れば、その誰かが自分以外
    の人間になるリスクが考えられる。
  • タスクが自動化されると、実際のところ仕事は何から構成されているのか、そこで人間は何を行なうのか、慎重に考えざるを得ない。たとえばスクールバスの運転手と同じく、長距離トラックの運転手も運転をするだけではない。アメリカでは、トラックの運転は最大の職種のひとつで、自動化の候補として検討される機会も多い。映画「LOGAN/ローガン」では、コンテナと車輪だけから成るトラックが道を走る近未来が描かれている。
  • しかし、無人トラックが大陸を横断して移動しているところなど、本当に目撃するようになるのだろうか。そこで、監督者となるべき人間が近くにいる時間がほとんどないと、トラックはどんな課題に直面するのか考えてみよう。まず、トラックも積荷もハイジャックや窃盗の対象になりやすい。人間が前方に立ちはだかればトラックは走行できないし、簡単に標的にされてしまう。
  • この場合、解決策ははっきりしている。人間がひとり、トラックに乗ればよいのだ。乗っているだけのタスクなら、運転するよりもずっとやさしい。しかもトラックは、何度も止まったり休憩したりせずに長距離を運転できる。自動運転ならば、ひとりの人間が超大型のトラックを、場合によっては何台も連ねて走らせることも不可能ではない。そのときは、列をなすトラックの少なくとも一台には
    人間用の座席があって、そこに乗り込んだ人間が車列を守り、目的地に到着するたびに物流管理や荷物の積み下ろしに関わる問題の処理に当たり、途中で突発事態が発生したら安全に誘導していく。これだけの仕事を現時点で取り除くことはできない。現在のトラック運転手は運転以外のこうしたタスクの経験が豊富で最も適任なので、運転手の役割が見直されても真っ先に採用されるだろう。

 

  • AIの登場によって、社会は多くの選択肢を与えられるが、そのどれにもトレードオフがつきまとう。目下、このテクノロジーは未だに初期段階だが、社会レベルで三つの顕著なトレードオフが存在している。
  • 第一に、生産性と分配のトレードオフだ。AIによって私たちは貧しくなり、生活が悪くなると指摘する人たちは多いが、それは真実ではない。技術の進歩によって私たちは豊かになり、生産性が向上するー経済学者の意見はそのように一致している。AIは確実に生産性を向上させるだろう。問題は富の創造ではなく、富の分配だ。AIが所得不平等の問題を悪化させる理由はふたつ考えられる。まず、AIが一部のタスクを人間から奪えば、残されたタスクを巡って人間同士の競争が激化して、賃金が低下する。しかも、資本所有者の所得に比べ、労働者の所得は減少するだろう。つぎに、コンピューター関連のほかの技術と同様、予測マシンはスキル偏向型なので、AIツールが導入されると、高度なスキルの労働者の生産性が不相応なほど向上する。
  • 第二に、イノベーションと競争のトレードオフだ。ソフトウェア関連のほとんどの技術と同じく、AIでは規模の経済が働く。しかもAIツールは、しばしば見返りの増加を特徴とする。予測の精度が上がればユーザーが増え、ユーザーが増えればたくさんのデータが確保され、デークが増えれば予測の精度が上がるといった具合だ。大きな支配力が手に入るのであれば、企業には競うかのように予測マシンを構築しようとする誘因が働く。しかし規模の経済においては、独占状態が引き起こされる可能性も考えられる。急速なイノベーションは短期的には社会に利益をもたらすが、社会への長期的な影響に関しては最適とは言えないかもしれない
  • 第三に、性能とプライバシーのトレードオフだ。データが増えるほどAIの性能は改善される。特に、個人データへのアクセスが簡単になれば、個人向けの予測を立てる能力は向上するだろう。ただし個人データの提供は、しばしばプライバシーの侵害という犠牲を伴う。ヨーロッパなど一部の国では、国民のプライバシーを守る環境が整備されている。このような環境は国民に利益をもたらす可能性もある。個人情報を対象とするダイナミックな市場が生まれる条件が整い、個人データの取引や販売や贈与に関して個人が決断しやすくなるかもしれない。しかしその一方、データにアクセスしやすいAIが競争力を持っている市場では、ヨーロッパの企業や国民はオプトイン[企業などが個人情報を収集・利用しようとする場合、事前に本人の許可を必要とする仕組み]にコストがかかるため不利な立場に置かれ、摩擦が生じる可能性が考えられる。
  • 以上三つのトレードオフのすべてを考慮するなら、国家はトレードオフの両面を比較したうえで、全体的な戦略や民意に最も適した政策を考案していかなければならない。

世界的に有名な専門家で基礎知識すら持たない人間がこれほど多いのは、経済学の分野くらいではないか。

経済という複雑極まりないものを理解しようと真剣に努力している者にとってみれば、経常収支と資本収支を足せばゼロになるとか、付加価値額と出荷額は違うといった基本的な原理すら理解していない人々から、あれこれ言われるのはたまらない。世界的に有名な専門家で基礎知識すら持たない人間がこれほど多いのは、経済学の分野くらいではないか。

 ポール・クルーグマン(Paul Krugman)

経済学者や政治理論家の思想は、正しい場合にも間違っている場合にも、一般に考えているより、はるかに強力である。世界を支配しているのは、思想以外にないと言えるほどである。自分は現実的であって、どのような思想からも影響を受けていないと信じているものも、いまは亡き経済学者の奴隷であるのが普通だ。権力の座にあり、天の声を聴くと称する狂人も、それ以前に書かれた学者の悪文から、錯乱した思想を導き出している。

ケインズ

漫画201910

もはや完全に当初のコンセプトに飽きた感のあるプロット、作った世界観で悪ふざけ、もとい十分に楽しみながら終わりを目指してやろう、みたいな作者の意志を感じます。バイコーンの話とか最高に楽しいですね。4点

絵もうまい、独自性はないけどキャラも立ってる、しかしどうも乗り切れない。ヲチが一本調子なのがダメなのかな。2点

方向性がよくわからなくなってきた。一気に失速しちゃったけど、能力者を率いて戦う展開になれば、また面白くなるかも?2点

ここで決着付けるかわかりませんが、とりあえずはクライマックス。この作品は容赦ないなぁ、と再認識する1巻ですね(といってもアニメしか見てない人には、何が容赦ないのかわからないかもしれないが)。前回と違って思い入れがあるキャラだけに、なかなかダメージが大きい。何度も書いてますが、割とジャンプの王道バトル漫画路線をたどりながら、これだけオリジナリティを出せるのは素晴らしいことです。20巻で決着なら間延びもなく、名作のまま終わる気もしてきました。5点

丁寧な作品です。本編を読んでないので、わかった感はあまり感じませんが、作品単体で十分に面白いです。3点

ダブルセブンと来訪者が発売されたので、積読していた優等生と合わせて。売れている作品には理由があると感じる代表作。細部に納得感があり、安心して読める。

優等生、デザインはきれいなんだけど、絵柄ちょっと変わったのかな?本編の横浜編はファン的にいろいろとあり、優等生編にその補完を望んでいる人が多いだけに、この絵柄の変化はやや不吉なのかもしれませんね。4点

あんまりシリアスに振れすぎなくてもいいんだけどなぁ。もう少しギャグ成分残してください。3点

ドラマを見返したついでに積読していた15巻をいまさら。よしながさんはリアルを書くのがうまくて、というかうますぎるので、本来フィクションならオブラートに包んだほうがいいようなこともしっかりと書いてしまうんですよね。もうね、介護とか終活とか重たいのなんのって。SAN値チェックです。4点

なんかこうプロットが拙いんですよね、全体的に。オリジナリティもそれほどあるわけではない、しかしなんかこう奇跡的なバランスで読めてしまう不思議な漫画。他人に薦めるほどではないけど、先が気になる漫画です。後半はちょっと雑すぎるかなぁ。3点

路線変更面白かったけど、この展開は・・・。漫画家の完成度は高いけど、プロットがまた面白くなくなった。登場人物と読者を散々振り回してきて、最後に望むのがそれかよっていう脱力。3点

読むの忘れてた7巻と合わせて。奥様の秘密はあまり気にならないので、さっさと明らかにしてしまってもいい気がする。そんなことでナサ君は動揺しないだろうし。むしろ明らかになった後の日常を続けてほしい。4点

本編と関係ないけど、巻末で紹介されていた事件簿と犯人達の事件簿の合本版はいいですね。3点

いよいよ蛇神様か。4点

1巻に1キャラずつ増やして掘り下げていく野崎くん形式が合ってそうだな、と思いました。4点

アニメ化決定おめでとう。もう少し構成考えたほうが読みやすいんじゃね、と思いました。3点

定期告知

漫画を大量に買うなら、豪邸に住んでいない限りkindle一択です。無印kindleは容量と解像度に問題があるので。Paperwhiteがおすすめです。

  

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ピクサー

  • 「でも、ピクサーはバンドや俳優と違います。会社です。アニメーション部門にこれから千人採用しても、この契約では、その全員がディズニーの仕事しかしてはならないことになってしまいます。こんなふうに会社全体を縛る契約、ありなんですか?」
  • 「おっしゃりたいことはわかりますよ。でも、ディズニーの立場で考えてみてください。映画を制作した経験のないピクサーと契約するわけです。しかも、実績のない種類のアニメーションですし、監督も無名で実績がありません。かなり危険な賭けだと言えます。ディズニーの資金で制作する映画に集中してもらわないと困るんですよ」
  • つまり、制作資金は全額ディズニー持ちという契約を結べただけで実績のないピクサーにとっては幸運だ、ディズニーにリスクを取ってもらう対価として独占条項は致し方ないということらしい。
  • どういう理由で決まったものであれ、これらの条件は悲惨である。1991年から2004年まで続くであろうこの契約により、ディズニー以外の映画、テレビ、ビデオの仕事がいっさいできなくなってしまった、打診することも考えることもできなくなってしまったのだから。制作に4年の歳月がかかることを考えると、新しい契約で4作目が生まれる可能性があるのは2008年、13年後になってしまう。これほど長い時間、手足を縛られるとは……あぜんとするしかなかった。

 

  • ポートフォリオ事業のようなものだと考えるのがいいでしょう。毎年、たくさんの映画を低予算、中予算、高予算に分けて制作予算を用意します。マーケティングについても同じで、映画ごとに予算を用意します。そして、ヒット作で失敗作の穴埋めができることを祈りながら映画を公開するのです」
  • 「予算枠ごとに何本作るのですか」スティーブが尋ねた。
  • 「いろいろですね。何本がいいということは特にありません。6本と少ないこともありますし、15本から20本と多いこともあります。年によっても違いますし、スタジオによっても違います。資金などの要因によっても違います」
  • 「ヒット作を見分ける方法はありますか?」
  • 「ありません。見分けられればいいのですが、実際には無理です。ヒットは予想が難しくて。大スターを起用すれば滑り出しはよくなりますが、それが最終的な成績につながるとはかぎりません」
  • 「つまり、クリエイティブな戦略であると同時に財務戦略でもあると考えるべきなのでしょうか」こちらは私の質問だ。
  • 「おっしゃるとおりです。もちろん、できるかぎりいい映画を作ろうとはしていますが、大事なのはいい組み合わせにすることです」
  • 「映画の製作というのは、事業としてそれほどいいものではありません。新作で成功するのは大変です。価値があるのは、むしろライブラリーのほうですよ」
  • 「大手スタジオというのは、基本的に、資本の提供と配給が仕事なんだな。いま作っているものをすごくいい製品に仕上げようとは別に考えないんだ。ビジネスモデルがまったく違うということか」と言うスティーブの話を私が引き取る。
  • 「そこそこの興行成績だった映画も、ライブラリーで長年にわたって価値を持つ可能性がある、と。すぐ時代遅れになるテクノロジー製品とは真逆ですね。ということは、実写映画に参入するなら、本腰を入れる必要があります。毎年、ヒット作を夢見て何本も映画を公開し、ライブラリーを構築しなければならないのですから」

 

  • ハリウッドのイメージから、世の中のトレンドを先取りするクリエイティブで魅力的な世界を想像していたのに、現実は、ハイテク会社よりずっと現状維持に汲々としていた、変化を恐れていたのだ。どこに行っても、畏怖と力による政治ばかりに思える。映画会社は、アーティストも映画もテレビ番組も音楽も、なんでもとにかく支配下に置きたがる。縛って言うことを聞かせようとするのだ。1991年にピクサーがディズニーと結んだ契約がいい例である。
  • ハリウッドといえば創造性というくらいなのに、現実はまったく違う。これには驚いた。映画会社が大きなリスクを取ったりイノベーションを起こしたりするのは難しい。リスクを取るより、二匹目のドジョウで安全確実な道を選ぶのだ。つまり、エンターテイメント会社としてピクサーが身を立てるには、イノベーションを抑えるハリウッド流に染まらないようにしなければならないということだ。アットホームな文化を捨て、管理と名声の文化に染まれば、いま、ピクサーを支えているはつらつとした活力が失われてしまう。ポイントリッチモンドなんてへき地に会社を置いてどうするんだと不満に思っていたが、それは大まちがいだったのかもしれない。逆にいい選択で、独自の道を歩きやすいのかもしれない。

僕は君たちに武器を配りたい

メインターゲットは高校生、意識の高い中学生にもおすすめ。大学生では少し遅いかもしれないが、読まないよりはまし。就活生はラストチャンスに間に合ったと思って読みましょう。遅い早いもさることながら、ここに書かれていることはすべて「現代社会の常識」であることをしっかり理解して、今後の意思決定に活かすことが肝要です。
就職相談を受けた時、以前であればここに書かれているような内容をくどくどと説明していたのですが、この本が出版されてからはとりあえずこの本を薦めています。今回は著者の訃報に際し、あらためてまとめてみました。
併せて読みたい
  • コモディティとは前述したように、「スペックが明確に数字や言葉で定義できるもの」という意味である。個々の商品の性能自体が高いか低いか、品質が優れているかどうかは、関係がない。
  • 人間の採用においても同じことだ。学歴が博士課程の人を募集するのであれば「博士」というスペックで、もしくは六大学以上の学歴でTOEICが900点以上というスペックで募集をかける。そうすると、そこに集まった人は「みな同じ」価値しかない。そこで付加価値が生まれることはないのだ。
  • 業務マニュアルが存在し、「このとおりに作業できる人であれば誰でも良い」という仕事であれば、経営者側にとっての関心は「給料をどれだけ安くできるか」という問題になる。
  • こうして、いかに人を買い叩くか、という競争がグローバル市場の中で行われ、ホワイトカラーの労働力そのものがコモディティ化してしまった。そのため、今の社会は構造的に「高学歴ワーキングプア」を生み出す仕組みになっているのである。

計画経済の恐ろしさ

  • そもそも、なぜこれほどまでに「資本主義」が世界を席巻するのだろうか。
  • 資本主義について話をする前にまず、資本主義経済の逆の体制である「計画経済」について、説明したいと思う。計画経済体制の国家というのは、旧ソ連が典型だが、簡単にいうと「どこかに神様のように万能な頭のいい人がいて、その人の正しい予測をもとに、社会が進んでいく」という前提で作られた社会である。
  • 万能で頭のいい人とはつまり、国家を運営する官僚=役人である。
  • そうした社会では、「優秀な学校を出て、難しい試験に合格した官僚には、国民のみんなが欲しがっているものが何か、いつどれぐらい必要なのか、全部分かる」というのが前提となっている。
  • さらに、食糧をはじめとする生活に必要な物資を作るために、何をしたらいいかも科学的に完全に予想できる。

「正しい人が勝つ」のが資本主義

  • 一方、資本主義の社会では、初めから「頭のいい人がすべてを決めるなんて無理」と考える。このかわり、市場に集まったそれぞれの人が、自由にお金とモノをやりとりすることで、自然にうまくいくという考え方をとる。アダム・スミスの考えた「神の見えざる手」のコントロールに任せよう、という思想だ。
  • 「お金」は市場に売りに出されるどんなモノとも交換できる。さらに時間が経っても「お金」は腐ったりしないし、(インフレなどがない限り)価値が目減りすることもない。だから商売の交渉においては、できるだけたくさんのお金があるほうが有利となる。そのため、資本主義社会の参加者は、基本的に全員がお金をたくさん得ること=富を目指す。
  • では、どういう人ならば、資本主義の社会でお金を増やすことができるのか。
  • 簡単にいえば、「より少ないコストで、みんなが欲しがるものを作った人」である。
  • その逆に、みんなが欲しがらないものを作ったり、必要以上のコストをかけて作る行為は、社会的に無駄な行為となり、自然と淘汰されていく。これが、資本主義の基本的な構造である。
  • 資本主義社会の中で正しいアウトプット、つまり顧客に売れる商品を提供し続ける人は、その見返りとしてたくさんのお金を得ることができる。そのお金を使ってさらに人々が欲しがる商品を開発し、生産力を高めることができるので、さらにまたお金が入ってくる、という上昇スパイラルを描くことができる。
  • その逆に間違ったアウトプット、つまりみなが欲しがらない商品を作っている人のところには、お金が入ってこないのでどんどん貧しくなっていく。コストを削って作った商品はさらに魅力がなくなり、ますます売れなくなっていく。その結果、自然とその人は商売を諦めることになり、無駄なコストをかけて商品が作られることもなくなる。さらに、資本主義社会の優れた仕組みは、基本的に、「何がいくらで売っているかが、公開されていること」である。計画経済では、公定価格という決まりがあり、「500円の商品は全員500円で買いなさい」と決められている。
  • しかし、資本主義社会においては、市場で500円で売られているものを、「自分なら400円で作れる」と思ったならば、作って売り出す自由がある。500円で売っていた人は、400円で同じ商品を売る人が出てくることで、自分も400円に値下げしなければならないというプレッシャーを受ける。価格が同じであれば、品質の競争が始まる。結果的に、価格はどんどん下がり、品質はどんどん向上していく。その品物を買いたい人は、より安い値段で、より高品質の商品を手に入れることができる。このスパイラルが繰り返されることで世の中が進歩していくというのが資本主義の世界なのである。
  • このように資本主義は、人間のいい意味での欲望に合致した、社会を進歩させる動力を内包したシステムであるところが優れているのである(ただしその進歩が進みすぎた結果として、商品の差がなくなり、値段が限界まで低下するコモディティ化現象も起きている。また、超富裕層と貧困層で格差が固定される問題もある。だから、バフェットやビル·ゲイツのような超富裕層は、寄付を通じて格差是正を支援したり、あえて超富裕層の課税強化に賛成したりしている)。

 

  • 働く人々、とくに正社員ではなく派遣社員などの非正規雇用で働く人たちからは、資本主義や資本家を糾弾する声が日増しに高まっており、最近の国会でも、製造業への派遣を原則的に禁止する、ということが決まった。
  • しかし私はそのニュースを見て、「本質からずれているのではないか」と感じていた。
  • なぜなら、労働者の賃金が下がったのは、産業界が「派遣」という働き方を導入したのが本質的な原因ではなく、「技術革新が進んだこと」が本当の理由だからだ。
  • 自動車産業に代表される工場のラインがオートメーション化され、コモディティ化した労働者がそこに入っても、高品質の製品が作れるようになったことが、賃金下落の本当の原因なのである。
  • 今政府がとろうとしている政策は、世間の人たちのウケを狙った小手先の改革にすぎず、賃金下落の本質を捉えていない。メーカーへの派遣が法律で禁止されれば、メーカーは次に、その仕事を外注に出し、請負先の企業がやはり低賃金で人を 雇ってモノを作らせるだけだ。
  • つまり賃金下落も、産業の発達段階の問題でしかないのである。産業の成熟化が進み、熟練労働者が必要なくなれば、新自由主義といった思想とは関係なく、労働者は必然的に買い叩かれる存在となってしまうのである。

 

  • かつて日産は「100分の1の技術から1000分の1の技術へ」というキャッチフレーズで、自分たちの技術の高さを宣伝した。しかし、これは日産の経営戦略の致命的な誤りだったといえるだろう。なぜならば、1000分の1の違いを感じ取れるユーザーは、存在しないからだ。「分からない差異は、差異ではない」のである。それより「色がたくさん選べる」といった、はっきり目で見える差異のほうが、よっぽどユーザーにとっては大事なのである。

 

  • 最近、早稲田大学政治経済学部でいちばん人気のあるゼミでスピーチをすることになった知人から、こんな話を聞いた。学生に就職について話す機会があり、事前にリサーチをしたところ、女子学生の3分の1が「一般職で就職し、職場の男性と早く結婚して、寿退職する」というシナリオを考えているというのである。
  • それを聞いた知人は、「君たちは現状がまったく分かっていない」と諌めたそうだが、私もまったく同感だ。寿退職を狙うとはつまり、夫に自分の人生のすべてをかけるということである。死ぬまで健康な男はいない。絶対に潰れない会社も存在しない。他人に自分の人生のリスクを100%委ねることほど、危険なことはないのである。
  • さらにいえば、その「お嫁さんマーケット」には、そこでもっともパフォーマンスの高い物件(結婚相手)をつかむために、大学に入る前からモテるためにあらゆる努力をしてきた、「女子力が高い」女の子がたくさんいる。
  • 早稲田大学という狭いマーケットの中では、男性の友人たちにちやほやされていたかもしれない。しかし社会という広い市場に出てみると、付け焼き刃の努力では「女子力」の高い女子と戦うのは不利な戦いとなろう。だから高学歴女性が「お嫁さんマーケット」で勝負しようと思うのは、非常にリスキーな選択なのだ。

 

  • 本田教授は「人間力」といった客観的に数値化することのできない、性格的特性を重視する傾向が広まることで、若者の無気力や諦め、社会に出ることへの不安を助長することにつながってしまう可能性があると指摘する。そうした能力の多くは、多分に生得的なもので、教育や努力を通じていかに身につけるかも解明されていない。性格の明るさやコミュニケーション力というものは、人の個性そのものである。企業が人を評価するうえで、人格や感情の深部にまで介入するのは間違いだ、というのが本田教授の主張だ。そうした理由から本田教授は、大学で各個人が学んだ専門知識を、もっと企業は評価するべきだという提案をしている。
  • 本田教授の主張には頷けるところもあるが、現実的ではない。なぜならば、現在ではほとんどの企業は、学生が大学で学ぶレベル程度の専門知識を必要としていないからだ。そして、本来は大学教育で身につけられる論理的思考力すら、コミュニケーション力の一部くらいに思われている
  • 昔は、大学の持っている知識が、企業が必要としているレベルより高いところにあった。しかし現在では、産業を牽引する最先端の知識は、企業の側に蓄積されているのである。企業が大学に求めるのは、現時点では何に役立つのかも分からない、スーパーハイエンドな知識だけであって、中途半端な研究は必要としていないのだ。

 

  • 多くの場合、大量のコマーシャルを放映している会社というのは、「新規顧客を獲得するのは大変だが、一度カモ(お客)を捕まえればとても高い利益を生むビジネス」を行っている。商品自体に特徴や魅力が足りないため、無理やり売り込む必要があり、そのために大量の営業マンを 雇うようになるのである。

 

若者を奴隷にする会社
  • 中小企業でブラック化するパターンに多いのは「カン違いカリスマ社長が君臨し、イエスマンだけが役員に残り、社員はみな奴隷」という構図だ。特色のない町工場などは、会社の主力商品自体が大企業に買い叩かれるコモディティ商品であるため、それでも会社が無理矢理利益を出そうとすると、給料を下げて従業員を搾取するしかなくなってしまう。だから、奴隷状態でも甘んじて働く社員しか残らない。
  • ある経営者は,「うちの会社はお客さんが儲けさせてくれるんじゃなくて、社員が儲けさせてくれるんです」と述べていたが、現代においても形を変えた「奴隷ビジネス」はまだ続いているのである。
  • 同じことは中小企業に限らず、大手企業にもいえる。業種・業界を問わず、商品がコモディティになってしまった業界は、商品を寄仕入れて、安く売るしかないコモディティ市場で戦う会社は必然的にブラック企業になる運命なのだ。
  • たとえばITのシステム開発会社などでも、特別な技術を持たず、さまざまな案件を人海戦術でこなすのが売りの会社は、ブラック化しやすい。「2ちゃんねる
    ブラック企業ランキングを見ると、幅広い業界で「安いことを売りにする会社がブラック化していることを見てとることができる。
  • 歴史のある会社でも、先行きがあまり明るくない企業を見分ける方法はある。まず40代、50代の役職者が大量にいる会社は危険だ。生産性が低いのに給料が高い高齢社員がたくさんいるということは、彼らの給料や退職金を稼ぐために、若い社員がたくさんの負担を課せられているということだ。
  • また古い会社は、現在そこで働いている社員だけでなく、退社した社員の福利厚生が現役社員の重しとなっているケースもよく見られる。破綻したJALが、辞めた社員の年金を払い続けるかどうかでモメていたが、今後も多くの破綻していく企業で年金問題がクローズアップされることだろう。現在40代から50代の社員が幸せそうにしている会社は、そこで働く若者の犠牲によって成り立っている可能性が大いにあるのだ。

 

  • 就職先を考えるうえでのポイントは、「業界全体で何万人の雇用が生み出されるか」という大きな視点で考えるのではなくて、「今はニッチな市場だが、現時点で自分が飛び込めば、数年後に10倍か20倍の規模になっているかもしれない」というミクロな視点で考えることだ。まだ世間の人が気づいていないその市場にいち早く気づくことなのだ。

 

  • 特定の産業があるタイミングで大きくなり、そこで働いていた人が一時的に潤うが、そこにあとからやってきた人は報われない、という状況が繰り返されるだけだ。
  • これから就職や転職を考える人は、マクロな視点を持ちつつ、「これから伸びていき」「多くの人が気づいていない」ニッチな市場に身を投じることが必要なのだ。つまり就職においても後に述べる「投資家的視点」を持っているかどうかが成否を左右するのである。
  • どのような会社に就職すべきかについて悩む人に、最後にこの言葉を贈りたい。高級ホテルチェーンを世界で経営するマリオット・グループは、ホテルマネージャーの心得として次のように述べている。「従業員に対してお客さまのように接しなさい。そうすれば従はあなたが接したように、お客さまに接するでしょう」
  • つまり従業員を大切にする会社は、顧客を大切にする会社なのである。逆にいえば、顧客を大切にしない会社は、従業員も大切にしない会社なのだ。会社のビジネスモデル自体がお客さんを小馬鹿にしている、あるいは馬鹿なお客さんをターゲットとしている会社には、長期的には未来がないと考えていいだろう。

 

  • B to B(企業と企業との商取引)、B to C(企業と消費者との商取引)の別を問わず、
    これまで個々の営業マンの人間的能力と労力で培われてきた購買行動が、ネットによって激変した。何かモノを買おうと思ったら、グーグルの検索窓にその商品名を入れればいい。瞬時にすべてのメーカーが提供する同一ジャンルの商品が一覧で表示され、その価格からスペックまで比較検討できる。消費者は同じ商品ジャンルの中から、もっとも安いものを選んで買えばいい。
  • これと同じことが、あらゆる企業の仕入れや見積もりでも起きている。個々人の営業力の商売はもはや時代遅れとなり、価格の透明化も進んでいることから、営業利益、つまり「サヤ」を抜くのが年々難しくなっているのである。
  • 企業においても「トレーダー」的な業種、つまり商品を「右から左へ」と渡すことで稼いでいた企業はどんどん経営が苦しくなっている。商社をはじめ、広告代理店や旅行代理店など、いわゆる「代理」業務を行ってきた会社は、インターネットの普及によってビジネスモデル自体に構造の転換が迫られている。
  • トレーダー的、エキスパート的な仕事は、先に挙げた商社などの業種に限らず、
    幅広い業界に存在する。
  • たとえば企業の海外駐在員という仕事の需要も減ってくるだろう。かつて、日本の企業は大量の海外駐在員を世界中に派遣していた。アメリカやイギリスで情報を集めて本国にレポートを送るのが仕事だったが,「ウォール・ストリート・ジャーナル」は東京でも読めるし、アメリカの金融業界の情報も在米のアナリストが直接ブログなどで発言している。英語が読めれば国外に人を置く必要がない。ただ情報を集めてくる、英字紙を切り抜きする人というのは、もういらないのである。
  • もちろん、本当に深いところの情報はネットでは手に入らない。だが逆にそういう情報は現地の人とのネットワーキングによって得られるものであり、中途半端な駐在員がたくさんいればいいというものではない。

 

  • ベネトンの洋服にさまざまな色が用意されてるのは、本当は「服の型紙の種類を極力少なくしてコストダウンをはかり、流行の色に合わせてあとから染色する」という会社側の都合によるものだ。だがそれを、「世界の多様性を受け入れる、
    すなわちダイバーシティを重視する企業」というメッセージとつなげることで、
    大衆には違和感なく受け入れられたのである。

自分の頭で考えない人々はカモにされる

  • 実はこの(ライブドアの)「情報弱者の大衆から広くお金を集める」手法を昔から行っているのが、金融業界だ。投資会社は、広く個人を相手に小口の商いをする会社と、特定の法人や信頼のおける個人とだけ高額の取り引きをする会社に分かれる。
  • 成功している投資会社は、個人市場からはいっさい資金調達をしない。投資した企業が成長したり、運用で儲けても、もともとの出資者にリターンを支払い、残ったお金は次の投資に回すのである。すごくうまくいっている投資会社は、市場から資金調達をする必要がないのだ。つまり、一般の個人投資家向けに売られている金融商品は、「プロが買わないような商品だからこそ、一般個人に売られている」ということである。
  • つまり、一般個人投資家は、本当に儲かる投資先には、アクセスすることすらできない仕組みになっているのである。
  • 資金を調達したい側の会社や人にとってみれば、たくさんお金を持っている人に交渉して自社の株を買ってもらったほうが、ずっと効率的に、楽に儲けられるのだ。それなのに、「個人を相手に小口に分割して手間ひまをかけてまで金融商品にして売る」ということは、「金融に詳しい目利きのお金持ち投資家が買わないような投資先であり、値づけだから」なのである。
  • 個人を相手に金融商品を売る会社にとって、いちばんありがたい顧客となるのは、「自分の頭で物事を考えない」人々だ。そしていつの時代もそうした人々はたくさんいる。つまり、個人を相手に商売するときは、「人数がたくさんいて、なおかつ情報弱者のターゲット層」のほうが効率が良いのである。だから、ホールセール(機関投資家や企業相手の大口取引)の金融事業で儲けられなくなってきた会社は、みなリテール(個人向けの小口の金融ビジネス)に進出しているのだ。
  • FX(為替取引)はまさに、そういう金融ビジネスモデルの筆頭である。一言でいえば「中産階級向けパチスロ」といって良いだろう。

 

「士」になっただけでは稼げない
  • 会計士においても、弁護士においても、その資格を手にすること自体には、ほとんど意味がないことがお分かりいただけただろうか。
  • 資格や専門知識よりも、むしろ自分で仕事を作る、市場を作る、成功報酬ベースの仕事をする、たくさんの部下を自分で管理する、というところにこそ、「付加価値」が生まれるのである。
  • それに対して単に弁護士資格を持っているだけの人は、まったく価値のない「野良弁」になってしまう。稼げない「野良弁」と、すごく成功している弁護士を分けるのは、弁護士資格ではなく、そうした新しいビジネスを作り出せる能力があるかどうかなのだ。
  • そこで求められるのは、マーケティング的な能力であり、投資家としてリスクをとれるかどうかであり、下で働く人々をリーダーとしてまとめる力があるかどうかだ。高学歴で難度の高い資格を持っていても、その市場には同じような人がたくさんいる。たくさんいる、ということならば、戦後すぐの、労働者をひと山いくらでトラックでかき集めたころとなんら違いはないのである。
  • 「弁護士いる?弁護士。日給1万5000円で雇うよ」といった具合に。

 

  • 彼(ゴーン)のように、優れたリーダーには「自分はすごい」という勘違いが必要なのである。そういう宗教家のような確信に満ちた態度がなければ、自分が信じ込んでいるビジョンやストーリーを、何千人もの社員に伝えて先導していくことはできない。
  • そういう観点からすると、ここ最近の日本の政治家で、いちばんリーダーの素質を持っていたのは小泉純一郎元首相だろう。在任期間中の彼は、時にむちゃくちゃとも思える発言でニュースを騒がせたが、多くの国民の人気を集めた。彼の言葉を詳細に見れば、かなりの「とんでも発言」をしているのだが、えてして一般大衆はああいった分かりやすい言葉を歯切れよく語る指導者についていくものなのである。
  • 学校では「みんなの上に立つ人はすばらしい人」と習うが、現実の歴史では、そういうすばらしい人」が、人の上に立って何か大きなことをなしたことはほとんどない。
  • 日本人の多くは、謙虚ですばらしい人格を持ったリーダーを好むが、そういう人は実際にはリーダーにはなれないのである。歴史に名を残すレベルの企業を作ったようなリーダーというのは、みなある種の「狂気の人」であることが多いのだ。

 

  • アメリカの本物のベンチャーキャピタリストは、だいたい本人自身に事業で大成功した過去がある場合が多い。当然、大金持ちであり、企業を経営した経験も豊富に持っている。一方、日本のベンチャーキャピタリストというのは、銀行を辞めた人や商社を辞めた人が独立して起こした会社がほとんどだ。つまり彼ら自身に経営の経験や事業を成功させた体験はほとんどないのである。
  • ビジネスパーソンが「儲かるから」という動機だけでいきなりラーメン屋を開いても、うまくはいかないのが道理である。
  • ところがなぜか日本のベンチャーキャピタルの場合は、元商社マンや元銀行家といった、起業や投資とは畑違いで実業の経験のない人々が集まって始めることが多いのだ。そのため多くのベンチャーキャピタルは、ベンチャー投資に関する知識や経験、判断能力もなければ、その後、会社を大きくするノウハウも持ち合わせていない

 

  • サラリーマンとは、ジャンボジェットの乗客のように、リスクをとっていないのではなく、実はほかの人にリスクを預けっぱなしで管理されている存在なのである。つまり、自分でリスクを管理することができない状態にあるということなのだ。

 

  • 人生の重要な決断をするときに覚えておくべきは「リスクは分散させなくてはならない」ということと、「リスクとリターンのバランスが良い道を選べ」という2点だ。
  • たとえリスクが少し高くとも、それに見合ってリターンも高いのであれば、そして万が一、外した場合でも自分で責任がとれるなら、その投資は「あり」だ。つまり「ローリスク・ローリターン」よりも、「ハイリスク・ハイリターン」の件数を増やしたほうが良い、ということである。
  • この観点からすると、最悪なビジネスといっても過言ではないのが、コンビニエンスストアに代表されるフランチャイズに加盟することである。フランチャイズビジネスの多くがリスクを加盟店に背負わせることで、本部だけが安全に儲かる仕組みとなっているが、なかでもコンビニの経営は、「ハイリスク・ローリターン」の最たるものといえる。

 

  • ここで私がお伝えしたいことは、「メディアの情報をそのまま信用するな」ということだ。日本でもっとも信頼されている経済情報源といえば、日本経済新聞であることは間違いない。だが、日経の記事を鵜呑みにすることは投資家としてもっともやってはいけないことである。
  • 会社に入ると新入社員は先輩から「日経ぐらいは読んでおかないと恥ずかしい」などと説教をされることがあるようだが、私から言わせれば、日経の記事をそのまま信じるほうがよっぽど恥ずかしい。これは私だけがそう言っているのではなく、外資系の投資銀行の第一線で働く40代のバンカーもよく「日経の記事はまったく金融が分かっていない奴が書いている」と言っているのである。
  • かといって新聞を読むな、と言っているわけではない。投資家の情報源のひとつとして日経を読むのは必須だが、そこに書いてあることをそのはま信じるな、
    ということなのである。世の中の人々が、話題となっている会社や商品、サービス、世の中のトレンドについてどう思っているのか。社会経済全般の動向を知るために日経を読むことは不可欠なことだ。だがそこでほかの人々と同じように考えてはいけない。

 

「現時点の少数意見」が正しければ必ず儲かる
  • 資本主義では、「自分の少数意見が将来、多数意見になれば報酬を得られる」という仕組みになっている。
  • たとえば凋落が叫ばれる出版業界について、多くの人々が「もう紙の本は終わりだ。将来的には本はすべて電子書籍になる」という意見を持っていたとする。そのときに「いや、紙の本にも別の生きる道がある。みなが電子化するならば自分たちはあえて紙の本にこだわる」という選択をして、事業を新たに始めたとする。その少数意見が正しければ、将来儲けることができる。反対に、その意見がやはり間違っていた場合は、儲けることができずに事業は継続できなくなる。このように資本主義はきわめてフェアな仕組みだといえる。
  • 投資ではよく「市場の歪み」を見つけることが重要だといわれる。「歪み」とは、本来であればもっと高い値段がついていいはずの商品が不当に安く値付けされていたり、もっと多くの人が買ってもいいはずなのに誰もまだその商品に気づいていない、といった状態を指す。つまりその「歪み」を正すことが、社会にメリットをもたらし、自分には財を運んでくれるのである。

 

  • 学部時代にもマッキンゼーに行くか、大学院をスキップしていきなり助手になれるキャリアを選ぶか非常に迷った。しかし、当時の東大法学部の価値観では、「君はどっち?」というのが挨拶で、キャリア官僚か司法試験かが普通の進路であった。なかでも成績上位者が助手に誘われるというシステムで、民間、まして外資に行くなどというのは、ハズレ者だった。したがって、助手とマッキンゼーで迷うなどという者は「前代未聞」「正気の沙汰ではない」とまで、言われていた。
  • しかし、20年後の大学がどうなっているか、そのとき、法学部の伝統的な研究者の地位はどうなっているかと想像したときに、自分の人生に対する投資判断は、
    それほど難しくなかった。
  • 投資銀行に行くか、マッキンゼーに行くかでも迷ったが、投資銀行は伝統的にどこもトップダウン、上意下達の企業文化だ。新卒で入社した社員は数年間、膨大な資料づくりに追われ、朝まで帰れないような日々が続く。一方でコンサルティング業界はもっと自由な気風があり、とくにマッキンゼーは部下が言ったことでもそれが正しい意見ならばすぐに採用される文化があった。学生時代にインターンマッキンゼーに行ったときに、「よほど大学の研究室より民主的だな」と感じていたため、入社することを決めたのである。

 

  • 大学で学ぶ本物の教養には深い意義がある、という価値観は世界で共通している。それは良い大学、良い会社に進めば人生は安泰、という日本でこれまで流布されてきた考え方とは何の関係もない。リベラル·アーツが人間を自由にするための学問であるならば、その逆に、本書で述べた「英語・IT・会計知識」の勉強というのは、あくまで「人に使われるための知識」であり、きつい言葉でいえば、「奴隷の学問」なのである。
  • 昨今の大学では、企業への就職率を上げるために、上記の「奴隷の学問」の勉強を学校自体が推奨しているところがあるが、私からすればまったくの間違いだ。
    私の起業論を学ぶ学生から、「将来、起業して成功するために、学生時代は何をやったらいいか」と聞かれることがある。どうやらベンチャーを設立して成功したすごい先輩を見ると「学生時代からすごい活動をしていたのではないか」と思うらしい。
  • しかし成功した起業家に実際に聞いてみると、学生のときから起業のためにすごく努力をしていた、という人はほとんどいない。
  • そうではなくて、自分が長年興味と関心を抱いていた何かに、心から打ち込んでいるうちに、たまたま現在の状況につながっていった、というケースが多いのだ。だから私は、社会に出てからのステップアップやキャリアプランについて、
    学生のうちから考え続けることは意味がほとんどないと考える。

 

人生は短い。戦う時は「いま」だ

  • 彼の生き方から我々が学べることは、時には周囲から「ばかじゃないのか」と思われたとしても、自分が信じるリスクをとりにいくべきだ、ということである。自分自身の人生は、自分以外の誰にも生きることはできない。たとえ自分でリスクをとって失敗したとしても、他人の言いなりになって知らぬ間にリスクを背負わされて生きるよりは、100倍マシな人生だと私は考える。
  • リーマンショック以降の日本では、資本主義そのものが「悪」であるかのように見なされる風潮がある。しかし資本主義それ自体は悪でも善でもなく、ただの社会システムにすぎない重要なのは、そのシステムの中で生きる我々一人ひとりが、どれだけ自分の人生をより意味のあるものにしていくかだ。
  • 若手の経済評論家の中からは、「既得権益を握っている高齢世代から富を奪え」というような意見も聞かれるが、社会全体のパイが小さくなっているときに、世代間で奪い合いをすることには意味がない。才能がある人、優秀な人は、パイを大きくすること、すなわちビジネスに行くべきだ。
  • パイ全体が縮小しているときに、分配する側に優秀な人が行っても意味がない。誰が分配しようが、ない袖は振れないからだ。社会起業家とか公務員という選択は、社会に富が十分にあって分配に問題がないときなら意味があるだろう。だが分配する原資がなくなりつつあるのが、今の時代ではないだろうか。
  • 自分が勤める会社に、働かないうえに新しい発想もなく、社内政治だけには長けた、既得権益を握って離さないオジサンたちが居座って甘い汁を吸っている。そう感じるのならば、本書で述べたように自分の会社をぶっ潰すためのライバル企業を作ってしまえばいいのである。自分の会社が本当に不合理なシステムで動いているのならば、正しい攻撃をすれば必ず倒せるはずだからだ。
  • 人生は短い。愚痴をこぼして社長や上司の悪口を言うヒマがあるのなら、ほかにもっと生産性の高いことがあるはずだ。もし、それがないのであれば、そういう自分の人生を見直すために自分の時間を使うべきだ。
  • 若い人が何か新しいことにチャレンジしようとするときに、「それは社会では通用しないよ」としたり顔で説教する「大人」は少なくない。
  • しかしその言葉は、既得権益を壊されたくない「大人」が自分の立場を守るために発しているかもしれないのだ。自分の信じる道が「正しい」と確信できるのであれば、「出る杭」になることを厭うべきではない。本書で述べてきたように、
    人生ではリスクをとらないことこそが、大きなリスクとなるのである。