予測マシンの世紀

補完財と代替財の「財」が材木の「材」になっている。経済学者が書いた本の翻訳でこれはさすがにひどい。ちゃんと出版社がチェックするべき。
  • ウィリアム・ノードハウスは、詳細な分析をもとに、こんにちと同じ量の光を確保するためのコストは1800年代はじめには400倍も高かったと結論づけている。もしも証明にそんな価格が設定されたら、コストに注目しないわけにはいかない。本を読むために人工照明を使うべきか、じっくり考えるだろう。その後、照明の価格が大きくて低下した結果、世界は明るくなった。・・・人工照明のコストがタダ同然にまで下がらなければ、今日のような生活はほとんど不可能だった。

 

  • 人間による予測は、たとえ経験豊かで有能な専門家であっても困難を伴う。それが最も如実に示されているのは、アメリカの裁判官が保釈許可に際して下す決断についての研究だろう。アメリカでは、毎年このような決断の数が1000万件にのぼる。保釈されるか否かは家族や仕事など個人的な問題にとって非常に重大であるし、政府が受刑者のために負担するコストへの影響は言うまでもない。裁判官が決断を下すときには、被告が保釈された場合の逃亡や再犯の可能性を基準に考えなければならない。最終的に有罪判決を受ける可能性は重視されない。決断の基準は明快で、定義もはっきりしている。
  • この研究では機械学習を使い、被告が保釈中に再犯や逃亡を犯す確率を予測するアルゴリズムが開発された。訓練データは広い範囲から集められた。2008年から2013年にかけてニューヨーク市で保釈された75万人に関してのデータで、逮捕歴、起訴内容、人口動態に関する情報などが含まれている。
  • 結論を言うと、機械の予測は人間の裁判官よりも優れていた。たとえば機械は、被告全体の1パーセントを最もリスクが高いグループに分類し、そのなかの62パーセントが保釈中に再犯すると予測した。ところが(機械による予測にアクセスできない)人間の裁判官は、このグループのほぼ半分の被告を保釈することを決断した。結局、機械による予測はかなり正確で、機械により高いリスクを確認された被告の63パーセントが実際に保釈中に再犯し、半分以上がつぎの公判期日に出頭しなかった。しかも、機械が高リスクと判断した被告の5パーセントは、保釈中にレイプか殺人を犯した。
  • 機械の勧めにしたがっていたら、裁判官は機械と同じように保釈する人数を決定し、保釈中の犯罪率を四分の一にまで減らしていたかもしれない。あるいは収監される被告の人数を50パーセント増やしていたら、犯罪率は据え置かれたかもしれない。
  • ここでは何が進行しているのだろう。なぜ裁判官の評価は予測マシンと大きく異なるのだろう。原因のひとつとして考えられるのは、被告の外見や法廷での態度など、アルゴリズムには入手できない情報を裁判官が利用することだ。このような情報は役に立つかもしれないが、判断を誤らせる恐れもある。実際。保釈中の犯罪率の高さを考えれば、判断を誤らせる可能性のほうが高いと結論してもおかしくない。裁判官の予測能力はかなりお粗末なのだ。
  • 人間にとってこのような状況での予測が難しいのは、犯罪率の説明には複数の要因が複雑に関わり合っているからだ。異なる指標のあいだの複雑な相互作用を考慮する能力に関して予測マシンは人間よりもはるかに優れている。過去に犯罪歴があれば被告が逃亡するリスクは高くなると人間は単純に信じたくなるが、機械であれば、それが正しいのは被告が特定の期間に無職だった場合にかぎることを発見するかもしれない。要するに、最も重要なのは相互作用の効果で、そこに関わる特徴の数が増えるほど、人間が正確な予測を行なう能力は低下していく。
  • こうしたバイアスが見られるのは、医療や野球や法律といった分野に限らない。専門職では絶えず観察される特徴だ。経済学者によれば、管理職であれ一般社員であれ予測する機会は多く、しかも結果がお粗末な事実に気づかないまま、自信満々に予測する。ミッチェル・ホフマン、リサ・カーン、ダニエル・リーは、専門技能をそれほど必要としないサービスを提供する企業15社の雇用への取り組みについて調査を行なった。その結果、通常の面接以外に客観的で検証可能なテストを実施するようになった企業は、面接だけで採用を決めていたときに比べて社員の在職期間が15パーセント高くなることがわかった。こうした取り組みを行なうにあたり、管理職は社員の在職期間を最大化するよう指示された。
  • 認知能力の診断や適職に関する指標など、テストは広範囲を網羅した。ただし、採用担当管理職の自由裁量を制約し、低い得点の応募者を勝手に採用できないようにすると、社員の在職期間はさらに長くなり、離職率が減少した。つまり、社員の在職期間を最大化するよう指示され、採用に関する経験が豊かで、機械が予測したかなり正確な情報を提供された人物であっても、自分勝手な判断を制約されないかぎり、上手に予測することはできなかったのである。

 

もはや知識は必要とされない

  • ロンドンのタクシー運転手が名物の黒塗りタクシーを運転するために義務付けられているフリッジ」というテストでは、細かな知識が問われる。ロンドン全体の何千もの地点や街路の所在地についての知識が試されるのはもちろん、もっと難しい知識も問われる。ふたつの地点を結ぶ最速のルートを、どの地点に関しても予測しなければならず、しかもテストでは1日のあらゆる時間帯が対象とされる。
  • ノリッジに合格するための学習に三年も投資したタクシー運転手は、予測マシンと競争する日が訪れるとは夢にも思わなかった。だから何年にもわたり、記憶のなかの地図をアップロードし、ルートを試し、わからない部分は常識で補ったものだ。ところが今日、ナビゲーションアプリはタクシー運転手とまったく同じ地図のデータにアクセスできる。しかも、予測に関して受けた訓練とアルゴリズ
    ムを結びつけ、リクエストされたらいつでも最善のルートを見つけられる。道路状況についてリアルタイムのデータを使うことなど、人間のタクシー運転手にはできない。
  • しかしロンドンのタクシー運転手の運命は、ノリッジで問われるような知識を予測するナビゲーションアプリの能力だけに左右されるわけではない。A地点とB地点を結ぶ最善のルートの決定には、ほかにも重要な要素が関わっている。まず、
    タクシー運転手は車両を制𨨶できる。つぎに、彼らには感覚器官が備わっており、なかでも特に目と耳は重要な役割を果たす。周囲の状況についてのデータを集めたら、知識としてうまく活用されるようにデータを脳に送り込む。ところがこの能力は、タクシー運転手にかぎらず人間なら誰でも持っている。ロンドンのタクシー運転手の状況が悪化したのは、ナビゲーションアプリのせいではない。彼ら以外の何百万人もの人たちが、はるかに優秀になったからだ。もはやタクシー運転手の知識は、不足商品ではない。ウーバーのようなライドシェアリング・プラットフォームが激しい競争を仕掛けている。

 

  •  予測の精度が向上すれば、決断するのが人間だろうと機械だろうと、決断の基準となる「イフ」や「ゼン」を増やすことができて、より良い結果が得られる。たとえば自動運転のケースに関して、本章では郵便配達ロボットの事例で説明した。これまで自動運転車は制御された環境でしか動かなかったが、予測マシンが導入されると制約から解放された。制約された環境とは、「イフ」(状態)の数が制限された環境である。自動運転車が街路のような非制御環境で動き回れるのは、予測マシンが可能性のある「イフ」をすべてコード化する必要がないからだ。その代わりに予測マシンは、特定の状況で人間ならどうするか予測できるように学習する。一方、空港ラウンジの事例からは、予測が改善されると「ゼン」を簡単に増やせることがわかる(たとえば、特定の日の特定の時間の空港までの所要時間の予測に応じて、出発時間がX、Y、Zのいずれかに決まる)。万が一に備えて常に早めに出発し、時間が余ったら空港のラウンジで待機する、という必要はなくな
    る。
  • 優れた予測に頼れないときは、しばしば「満足化」を行なう。すなわち、手に入る情報に基づいて、「この程度なら満足できる」と思える決断を下す。一例が、空港に行くときは常に早めに出発し、早く到着しすぎてフライトの時間まで待機するケースだ。最適の解決策ではないが、手に入る情報の範囲内では賢明な決断である。郵便配達ロボットや空港のラウンジは、満足化に応える形で考案された。しかし優れた予測マシンが登場すれば、満足化が必要とされる機会は減少する。そうなると、郵便配達ロボットシステムや空港ラウンジのような解決策への投資から得られる見返りも少なくなるだろう。
  • 私たちはビジネスでも社会生活でも満足化に慣れきっている。そのため、もっとたくさんの「イフ」や「ゼン」を扱うことができる予測マシンが登場し、いまよりも複雑な環境で複雑な決断を下すようになったら、どれだけ大きな変化が引き起こされるか、すぐには想像できない。空港ラウンジは当てにならない予測への解決策として生まれたもので、新しい時代に予測マシンが強力になればラウンジの価値は失われると言われても、なんだかピンとこない。もうひとつの事例が生検の利用で、これは画像診断による予測の弱点を補う形で存在している。今後、予測マシンの信頼性が高くなれば、生検に関わる仕事に大きな影響をおよぼすだろう。空港ラウンジと同じく、費用が高くて体に負担のかかる生検は、予測を全面的に信頼できないために考案された。空港ラウンジも生検も、リスク管理型の
    解決策である。優れた予測マシンが登場すれば、リスクをもっと上手に管理する新しい方法が提供されるだろう。

 

  •  AIやインクーネットが出現する以前、コンピューター革命が起きた。コンピューターは計算を正しく、しかも安上がりに行なった。特に、たくさんの項を足し合わせるのが得意だった。最初の人気アプリのひとつは、簿記の計算の負担を軽減した。
  • これを閃いたのは、コンピューター・エンジニアのダン・ブルックリンである。MBAの取得を目指していたとき、彼はハーバード・ビジネススクールのケースメソッドで様々なシナリオを評価するために計算を繰り返さなければならず、不満を募らせた。そこで計算を行なうコンピュータープログラムを書いてみたところ、非常に役に立ったので、その後はボブ・フランクストンと共に、アップル
    Tコンピューターに搭載されるヴィジカルクを開発した。ヴィジカルクはパソコン時代の最初の人気アプリとなり、多くの企業がこれを理由にオフィスへのコンピューター導入に踏み切った。ヴィジカルクは計算にかかる時間を従来の100分の1に短縮しただけではない。おかげで企業は、以前よりもずっと多くのシナリオを分析できるようになった。
  • 「当時、計算は簿記係の仕事だった。1970年代の終わりには、アメリカだけで40万人以上の簿記係が働いていた。ところが表計算ソフトは、彼らにとって最も時間のかかる作業、すなわち計算を取り除いてしまった。これで簿記係の職は失われたと思われるかもしれない。しかし、失業を嘆く簿記係の声は聞かれないし、反発を強めた彼らが表計算ソフトの普及を妨害したわけでもない。なぜ簿
    記係は、表計算ソフトを脅威と見なさなかったのだろう。
  • 「それは、ヴィジカルクという表計算ソフトのおかげで、実際のところ簿記係の価値は上昇したからだ。表計算ソフトが導入されると、計算は楽になった。どれくらいの利益を期待できるのか、仮定の部分をいろいろに変えると利益がどのように変化するのか、いまでは簡単に評価することができる。何度でも繰り返し計算できるので、ビジネスのスナップ写真ではなく、動画が手に入ると言ってもよ
    い。ひとつの投資が利益をもたらすかどうか確認するのではなく、予測条件をいろいろと変えながら複数の投資を比較したうえで、最善のものを選ぶことができる。ただし、どの投資を試すかについての判断は、人間が下さなければならない。表計算ソフトは計算の答えを簡単に出してくれるので、このプロセスでは質問することへの見返りが大きくなる。
  • 表計算ソフトが登場する以前に苦労して計算に取り組んでいた人たちは、コンピューター化された表計算ソフトに的確な質問をするのに最もふさわしい立場にいた。したがって職を奪われるどころか、大きな力を手に入れたのである。
  • このようなタイプのシナリオ、すなわち機械がすべてのタスクではなく、一部のタスクを引き受けて仕事が強化されるシナリオは、AIツールが導入されれば自然に普及していくだろう。今後、仕事を構成するタスクは変化する。なかには予測マシンによって不要になるタスクもあるだろう。空き時間のできた人たちが補充されるタスクもあるはずだ。そして多くのタスクでは、かつては必要不可欠だったメールが評価されなくなり、代わりに新しいスキルが注目される。

 

  • オックスフォード大学のカール・フレイとマイケル・オズボーンは仕事の遂行に必要なスキルのタイプについて調べたうえで、スクールバスの運転手(公共バスの運転手とは区別される)の仕事が今後10年から20年のうちに自動化される確率は、89パーセントに達すると結論づけた。
  • 「スクールバスの運転手」と呼ばれる人物が、子どもの自宅と学校を往復するバスの運転をしなくなったら、給料を支払う必要のなくなった自治体はそのぶんを別の支出にまわすべきなのだろうか。いや、そうはならない。バスが自動運転になったとしても、現在のスクールバスの運転手は運転のほかにもたくさんの役割を引き受けている。まず彼らには、大人として大勢の学童の集団を監督する責任
    があり、バスの外で発生する危険から子どもたちを守らなければならない。同じように重要な役割が、バスのなかの規律を維持することだ。子どもたちを管理して、お互いにトラブルを起こさないよう配慮するためには、人間の判断が未だに必要とされる。バスが自動的に動いても、こうした補足的なタスクが消滅するわけではない。むしろ、バスに同乗している大人はこれらのタスクにもっと集中できるようになる。
  • そうなるとおそらく、「スクールバスの運転手と称される立場の職員」のスキルセットは変化するだろう。今日よりも、教師のようにふるまう機会が増えるかもしれない。ここで肝心なのは、自動化は人間からタスクを奪っても、かならずしも仕事を奪うわけではないことである。雇用者から見れば、誰かに引き受けてもらいたい仕事は残される。そして雇われる立場から見れば、その誰かが自分以外
    の人間になるリスクが考えられる。
  • タスクが自動化されると、実際のところ仕事は何から構成されているのか、そこで人間は何を行なうのか、慎重に考えざるを得ない。たとえばスクールバスの運転手と同じく、長距離トラックの運転手も運転をするだけではない。アメリカでは、トラックの運転は最大の職種のひとつで、自動化の候補として検討される機会も多い。映画「LOGAN/ローガン」では、コンテナと車輪だけから成るトラックが道を走る近未来が描かれている。
  • しかし、無人トラックが大陸を横断して移動しているところなど、本当に目撃するようになるのだろうか。そこで、監督者となるべき人間が近くにいる時間がほとんどないと、トラックはどんな課題に直面するのか考えてみよう。まず、トラックも積荷もハイジャックや窃盗の対象になりやすい。人間が前方に立ちはだかればトラックは走行できないし、簡単に標的にされてしまう。
  • この場合、解決策ははっきりしている。人間がひとり、トラックに乗ればよいのだ。乗っているだけのタスクなら、運転するよりもずっとやさしい。しかもトラックは、何度も止まったり休憩したりせずに長距離を運転できる。自動運転ならば、ひとりの人間が超大型のトラックを、場合によっては何台も連ねて走らせることも不可能ではない。そのときは、列をなすトラックの少なくとも一台には
    人間用の座席があって、そこに乗り込んだ人間が車列を守り、目的地に到着するたびに物流管理や荷物の積み下ろしに関わる問題の処理に当たり、途中で突発事態が発生したら安全に誘導していく。これだけの仕事を現時点で取り除くことはできない。現在のトラック運転手は運転以外のこうしたタスクの経験が豊富で最も適任なので、運転手の役割が見直されても真っ先に採用されるだろう。

 

  • AIの登場によって、社会は多くの選択肢を与えられるが、そのどれにもトレードオフがつきまとう。目下、このテクノロジーは未だに初期段階だが、社会レベルで三つの顕著なトレードオフが存在している。
  • 第一に、生産性と分配のトレードオフだ。AIによって私たちは貧しくなり、生活が悪くなると指摘する人たちは多いが、それは真実ではない。技術の進歩によって私たちは豊かになり、生産性が向上するー経済学者の意見はそのように一致している。AIは確実に生産性を向上させるだろう。問題は富の創造ではなく、富の分配だ。AIが所得不平等の問題を悪化させる理由はふたつ考えられる。まず、AIが一部のタスクを人間から奪えば、残されたタスクを巡って人間同士の競争が激化して、賃金が低下する。しかも、資本所有者の所得に比べ、労働者の所得は減少するだろう。つぎに、コンピューター関連のほかの技術と同様、予測マシンはスキル偏向型なので、AIツールが導入されると、高度なスキルの労働者の生産性が不相応なほど向上する。
  • 第二に、イノベーションと競争のトレードオフだ。ソフトウェア関連のほとんどの技術と同じく、AIでは規模の経済が働く。しかもAIツールは、しばしば見返りの増加を特徴とする。予測の精度が上がればユーザーが増え、ユーザーが増えればたくさんのデータが確保され、デークが増えれば予測の精度が上がるといった具合だ。大きな支配力が手に入るのであれば、企業には競うかのように予測マシンを構築しようとする誘因が働く。しかし規模の経済においては、独占状態が引き起こされる可能性も考えられる。急速なイノベーションは短期的には社会に利益をもたらすが、社会への長期的な影響に関しては最適とは言えないかもしれない
  • 第三に、性能とプライバシーのトレードオフだ。データが増えるほどAIの性能は改善される。特に、個人データへのアクセスが簡単になれば、個人向けの予測を立てる能力は向上するだろう。ただし個人データの提供は、しばしばプライバシーの侵害という犠牲を伴う。ヨーロッパなど一部の国では、国民のプライバシーを守る環境が整備されている。このような環境は国民に利益をもたらす可能性もある。個人情報を対象とするダイナミックな市場が生まれる条件が整い、個人データの取引や販売や贈与に関して個人が決断しやすくなるかもしれない。しかしその一方、データにアクセスしやすいAIが競争力を持っている市場では、ヨーロッパの企業や国民はオプトイン[企業などが個人情報を収集・利用しようとする場合、事前に本人の許可を必要とする仕組み]にコストがかかるため不利な立場に置かれ、摩擦が生じる可能性が考えられる。
  • 以上三つのトレードオフのすべてを考慮するなら、国家はトレードオフの両面を比較したうえで、全体的な戦略や民意に最も適した政策を考案していかなければならない。