ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか

新しい何かを作るより、在るものをコピーするほうが簡単だ。おなじみのやり方を繰り返せば、見慣れたものが増える、つまり1がnになる。だけど、僕達が新しい何かを生み出すたびに、ゼロは1になる。

 ティールがもっとも重視する質問が出てくる。「世界に関する命題のうち、多くの人が真でないとしているが、君が真だと考えているものは何か?」・・・強い個性を持った個人(ただし、実際にはティールは少人数のチームを重視する)が世界でまだ信じられていない新しい真理、知識を発見し、人類をさらに進歩させ、社会を変えていくことを、自らの究極の目的としているのである。

あるべき姿は、「競合とは大きく違うどころか、競合がいないので圧倒的に独占できるような全く違うコンセプトを事前に計画し、それに全てを賭けろ」というスタンスである。

昨今、盛り上がりを見せている日本のスタートアップ、企業界隈を振り返ってみると、「0to1」とは程遠いことが分かる。隠れた真実を追求するというよりは、アメリカではやっているテーマの焼き直しを日本向けにアレンジしている企業がとても多い。一般個人投資家にとってのみ目新しい、流行りのビジネスモデルや経営者の話題性(性別、学歴、職歴など)、資金調達の規模を基に、ベンチャー界隈でお互い褒め合ったりして、評価が決まってしまっているところもある

日本人はスタートアップにおいても、「隠れた真実」とは真逆の「皆が知っているが実は間違っていること」にかけて損をする人が多い。投資の世界では、「日本人が来たら売れ」などとやや皮肉めいた格言があるが、・・・ティールが手がけている投資先の場合、当初はそんなことがビジネスになるのかと言われ、あるいは技術的に現時点で疑問点があるからこそ、世界でトップになることが出来るわけである。

ティールは年収20万ドルぐらいの一流大学卒業生、雇われ身分の人達を一番挑発しているように思う。それは、ティール自身が、あいまいな楽観主義による選択肢の拡大、分散投資的発想の際限のない競争の世界から積極的にドロップ・アウトした人物だからでもある。

 他の生き物と違って、人類には奇跡を起こす力がある。僕らはそれを「テクノロジー」と呼ぶ。テクノロジーは奇跡を生む。それは人間の根源的な能力をお仕上げ、より少ない資源でより多くの成果を可能にしてくれる。

一つは水平的進歩、または拡張的進歩・・・成功例をコピーすること、つまり1からnへと向かうことだ。水平的進歩は想像しやすい。すでに前例を見ているからだ。もう一つの垂直的進歩、または集中的進歩とは、新しい何かを行うこと、つまりゼロから1を生み出すことだ。それまで誰もやったことのない何かが求められる垂直的進歩は、想像するのが難しい。・・・マクロレベルの水平的進歩を一言で表すと、グローバリゼーションになる。ある地域で成功したことを他の地域に広げることだ。『中国はこれを国家ぐるみで行い、20年計画で今のアメリカを目指している。・・・ゼロから1を生み出す垂直的な進歩を一言で表すと、テクノロジーになる。

ウォズ 自分が本当にやりたいことは何か? をよく考えてほしい。才能なんかは必要ない。誰かがやったことをちょっとひねるだけの仕事はつまらない。小さなことでも“自分じゃなきゃ出来ないこと”を成し遂げたなら、それは大きなことだ。そしてうまくいったら“うんと自慢する”こと!

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科学技術でも、すでに出来上がっている技術を広めるとか、出来た技術を少し改善するとか、そういうことには日本の教育は非常に向いていると思うんです。でも、他の人がやらないようなことにトライする。出来ないと思っていることにトライする、教科書に書いてあることを否定する。こうしたことは「そういうことをしたらだめだ」と指導されていますよね。

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 大組織の中で新しいものは開発しづらく、1人ではさらに難しいからだ。官僚的な組織は動きが遅いし、既得権者はリスクを避けたがる。機能不全が極まった組織では、実際に仕事を片付けるよりも鋭意努力中だとアピールするほうが昇進しやすい。その対極にいる孤独な天才は、芸術や文学の名作を生むことは出来ても、一つの産業をまるごと想像することは出来ない。スタートアップではチームで働くことが原則で、かつ実際に仕事をやり遂げるにはそれを少人数にとどめる必要がある。

クリエイティブな独占企業は、まったく新しい潤沢な領域を生み出すことで、消費者により多くの選択肢を与えている。クリエイティブな独占は社会に役立つだけじゃない。それはよりよい社会を作る強力な原動力になっている。・・・新たな独占が起こるそのダイナミズムを見れば、過去の独占がイノベーションを阻害していないことがわかる。・・・進歩の歴史とは、より良い独占企業が既存企業に取って代わってきた歴史なのだ。・・・独占は、すべての成功企業の条件なのだ。

 アメリカの教育システムは競争への強迫観念を反映・・・じっと机についているのが苦手な生徒は劣等感を覚え、テストや宿題に秀でた子供は現実から離れた学校という狭い世界でアイデンティティを確立することになる。・・・みんなと同じになるために、学生は、インフレ以上に値上がりを続ける、何万ドルもの学費を支払っている。何故僕たちはそんなことをしているのだろう?

今日のシリコンバレーで、人付き合いの極端に苦手なアスペルガー気味の人間が有利に見えるのは、一つにこうした模倣競争が不毛だからだろう。空気を読めない人間は、周囲の人と同じことをしようとは思わない。ものづくりやプログラミングの好きな人は、一人淡々とそれに熱中し、卓越した技能を自然に身につける。そのスキルを使う時、普通の人と違ってあまり自分の信念を曲げることもない。だから、分かりやすい成功につられて周囲の大勢との競争に捕らわれることもない。

未来はどうなるかわからないという考え方が、何より今の社会に機能不全をもたらしている。本質よりもプロセスが重んじられていることがその証拠だ。具体的な計画がない場合、人は定石に従って様々な選択肢を寄せ集めたポートフォリオを作る。それが現在のアメリカだ。目標を掲げる代わりに、ありとあらゆる選択肢をいつまでも追いかけ続けている。・・・大学生になる頃には、10年を書けてたような経験をあれこれ寄せ集め、全く先の見えない未来に備えているというわけだ。「何が起きても大丈夫」と言いながら、具体的な備えは何もない。

< (日本で言うところの「つぶしがきく」という発想に近いように感じる。)

逆に、未来は明確だという考え方に立てば、確固たる信念を持つほうがいいはずだ。あれもこれも中途半端に追いかけて「万能選手」になるより、一番いいと思うことを決め、それを実行するべきだ。

あいまいな楽観主義者は、何年もかけて新製品を開発する代わりに、既存のものを作り直そうとする。銀行家は既存企業の資本構成を変えることで利益を得ようとする。・・・右肩上がりの発展を当たり前に享受してきたベビーブーマーは、あいまいな楽観主義者の世代となった。(日本だと団塊の世代だな・・・)何もしなくてもテクノロジーはどんどん進歩するかに見え、・・・その期待を実現するための具体的な計画を持つ人は殆どいなかった。・・・今の世論を構成する裕福なベビーブーマーたちは自分達の甘い楽観主義に疑問を持つことはなかった。既成のキャリアで自分達が成功できたのだから、子どもたちもそれでうまくいかないはずがないと思い込んでいる。

 具体的で楽観的な未来には、水中都市を設計したり、惑星移住を計画するエンジニアが必要になるはずだ。でも、あいまいで楽観的な未来には銀行家や法律家が重宝される。どうやって富を作り出すか皆目わからない時に唯一利潤を上げる金融は、あやふやな未来にぴったりの業界だ。

ベンチャーのリターンは正規分布ではないからだ。むしろベンチャーに当てはまるのはべき乗則だ。一握りのスタートアップがその他全てを大幅に上回るリターンを叩き出す。だから、分散ばかりを気にかけて、圧倒的な価値を生み出す一握りの企業を必死に追いかけなければ、その希少な機会を初めから逃すことになる。

2010年、アンドリーセン・ホロウィッツはインスタグラムに25万ドルを投資した。2年後にフェイスブックがインスタグラムを10億ドルで買収すると、アンドリーセンは7800万ドルの売却益を得た。2年足らずで投資額を312倍にしたわけだ。この衝撃的なリターンによって、アンドリーセンはシリコンバレーで最高のファンドという評判を確実にした。ただ、奇妙なことに、それではまったく足りなかった。というのも、アンドリーセンのファンドは15億ドルを運用していたからだ。・・・ベンチャーファンドは投資に値する会社を見つけると遥かに多額の資金をつぎ込む。ベンチャーキャピタルはゼロから1を生み出す一握りの企業を見つけ、あらゆる手立てで彼らを支援しなければならない。・・・大規模に成功できる現実的な可能性があるスタートアップだけを組み入れるのが、良質のベンチャーポートフォリオだ。

人生はポートフォリオじゃない・・・等しく可能性のあるキャリアをいくつも同時に進めて、人生を分散させることも出来ない。学校ではそれと反対のことを教えている。学校教育は画一的に一般教養を受け渡すだけだ。アメリカの教育制度を通過すると、べき乗則で考えることが出来なくなる。・・・重要なのは何をするかだ。自分の得意なことにあくまでも集中すべきだし、その前にそれが将来価値を持つかどうかを真剣に考えたほうがいい

 スタートアップの世界に関して言えば、たとえ君が非凡な才能を持っていたとしても、必ずしも企業がベストとは限らない。今は、起業する人が多すぎる。べき乗則を理解している人なら、ベンチャーを立ち上げることに躊躇するはずだ。・・・べき乗則のもとでは、企業間の違いは企業内の役割の違いよりもはるかに大きい。

 カジンスキーは人間の目標を次の3つに分類した。

  1. 最低限の努力で遂げられる目標
  2. 真剣に努力しないと遂げられない目標
  3. どれほど努力しても遂げられない目標 

 簡単、難しい、不可能の典型的な三分法だ。現代人が鬱々としているのは、世界のすべての難しい問題がすでに解決されてしまったからだとカジンスキーは言っていた。・・・自分にできることは子供にでも出来る。自分にできないことはアインシュタインにも出来ない。そこで、既存の制度を破壊し、すべてのテクノロジーを取り除けば、またゼロから難しい問題に取り組めると考えた。カジンスキーのやり方は狂っているけれど、彼が感じたテクノロジーの進歩に対する幻滅は今の社会の至る所に見え隠れしている。

物理的なフロンティアがほぼなくなったという自然の制約に加えて、4つの社会トレンドが隠れた真実への探究心を根っこから摘み取ろうとしている。ひとつ目は漸進主義だ。・・・期待されていることだけをきちんと行えば、Aをもらえる。これが終身在職権を得るまでずっと続いていく。だから、学者たちは新たな分野に挑戦する代わりに、ありふれた論文を量産することになる

 二つ目はリスク回避だ。隠れた真実を恐れるのは、間違いたくないからだ。隠れた真実とは、いうなれば「主流が認めていないこと」だ。だから間違わないことが君の人生の目標なら、隠れた真実を探すべきじゃない・・・自分が孤立していて、しかも間違っているかもしれないとなったら、耐えられないだろう

三木谷 やっぱり失敗から学ぶっていうのもあるんですけれども、失敗を恐れない力っていうことなんじゃないかなと僕は思っていて。結局みんな失敗したのを陰で言われるのが怖くてやれないわけじゃないですか。

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誰が考えても失敗する愚かなリスクを冒すことは、議論の余地無く良い方法ではない。でも、自分の頭で考えなさいということはつまり、リスクを取りなさい、そして自分で決断を下しなさい、ということ。そのためには、失敗してもいいと認めて、失敗を責めないこと。私が関わったビジネスで、何もかもうまくいきました、なんてことは一つもない。ビジネスリーダーにとって必要なのは、失敗する確率より成功率が上回るようにさせ、時間をかけて成功率を向上させること。過去の仕事でほとんど失敗をしたことがない人は、リスクを取らずに確実なことしかやって来なかった傾向がある。

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モーツァルト 私は人の賞賛や非難をまったく気に留めない。ただ自分の感じるままに行うんだ。

音楽家の名言集

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私は、リスクを取らない人生など何の価値もないと思っています。何の意味もありません。何ひとつ。ネルソン・マンデラはこう言いました。「小さく生きる人生、自分がやれること以下の生活で満足してしまう人生には、何の情熱もありえない」

私の妻がこんなことを言っていました。「自分が今まで手に入れたことのないものを得るためには、今までやったことのないことをしなくてはいけない」と。

講演家のレス・ブラウンも似たようなことを言っています。「自分が死の床にいるところを想像してみなさい。自分のベッドの周りに、達成されなかった可能性たちの亡霊が立っているところを。思いついたのに実行しなかったアイデアの数々。秘めたまま使われることのなかったさまざまな才能」「彼らが死にゆくあなたの枕元に立っている。怒り、落胆、失望をあらわにして『私たちにも活躍の場があったかもしれないのに』と彼らはあなたに言います。『でももう遅い。私たちは一緒に墓場に行くのです』と」

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3つ目は現状への満足だ。・・・過去の遺産でのうのうと暮らしていけるなら、隠れた真実を探す理由がどこにあるだろう?・・・4つ目はフラット化だ。・・・新しい何かが発見できるなら、世界の何処かで自分より賢くクリエイティブな人たちがそれをすでに見つけているのでは?そういった疑念の声によって、隠れた真実を探し始める前に諦めてしまう。

 知識がありすぎると、リスクばかり考えてしまうんですね。知識があると「こんな実験成功するわけない」とか「昔、同じような実験をやって失敗した人がいる」とか、そういう否定的なことばかり刷り込まれてしまって、チャレンジできなくなってしまうんです。

 

「権威を疑って自分の頭で考える」ような人じゃないと、ロボット社会が現実になった時、人間としての存在意義が問われるというのはあって

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こうしたトレンドにはいい面もないわけじゃない。たとえば、今時、カルト教団は成り立たない。・・・頭のおかしいカルトが少なくなったのは喜ばしいけれど、それには大きな代償が伴った。まだ発見されていない真実への探究心を、僕達は失ってしまったのだ。

 隠れた真実はまだ数多く存在するけれど、それは飽くなき探究を続けるものの前にだけ姿を現す。科学、医療、エンジニアリング、そしてあらゆる種類のテクノロジーの分野で、出来ることはまだまだ多い。・・・ビジネスも同じだ。偉大な企業は、目の前にあるのに誰も気づかない世の中の真実を土台に築かれる。いつも僕達の周りにありながら見過ごしていた余剰スペースを利用した、シリコンバレーのスタートアップを思い出して欲しい。エアビーアンドビーが出来る前、旅行者はホテルに高い部屋代を払う意外にほとんど選択肢はなく、不動産所有者は空き部屋を信頼できる相手に簡単に貸し出すことはできなかった。エアビーアンドビーは、他の人達にはまったく見えなかった、未開拓の需要と供給に気づいたのだ。・・・フェイスブックも含めて多くのインターネット企業が過小評価されるのは、それがあまりにも単純なものだからで、それ自体が隠れた真実の存在を裏付けている

競争は資本主義の対極にある。・・・独占企業は注目を避けるために独占状態をなるべく隠し、競争企業はわざと自社の独自性を強調していることに気づくはずだ。

学校教育の目的は社会全般に受け入れられた知識を教えることだ。であれば、こう考えるといい・・・学校では教わらない重要な領域が存在するだろうか?・・・たとえば、物理学はすべての総合大学で主要な専攻科目として確立されている。占星術はその対極にあるけれど、重要な領域とはいえない。では、栄養学はどうだろう?・・・この分野の大規模研究の殆どは30年前から40年前に行われたもので、その多くには深刻な間違いがある。低脂肪と大量の穀物中心の食事が推奨されてきたのは、科学の裏付けからではなく大手食品団体のロビー活動の結果だろう。

 高額の現金報酬は、現在の企業価値を社員に分け与えることになるだけで、時間を投資して未来に価値を生み出そうというインセンティブにはならない。

 案件ごとに働く人間が入れ替わり、単なる仕事だけの関係しか持てない職場は、冷たいなんてものじゃない。それに、合理的でもない。時間はいちばん大切な資産なのに、ずっと一緒にいたいと思えない人たちのためにそれを使うのはおかしい。職場にいる間に長続きする関係が作れないなら、時間の使い方を間違っている。投資に値しないということだ。・・・ペイパル・・・僕たちは一緒に働くことを心から楽しんでくれる人たちを雇うことにした。才能はもちろん必要だけれど、それよりも、ほかでもない僕達と働くことに興奮してくれる人を採用した。それがペイパルマフィアの始まりだった。・・・無料のクリーニングサービスやペットホテルなどに引かれるような人材は、チームの役には立たないはずだ。健康保険のような基本をカバーしたら、後は他社に出来ないことを約束スべきだ。それは、素晴らしい仲間と独自の問題に取り組める、替えの効かない仕事のチャンスだ。

新たなテクノロジーを生み出す会社が、いわゆる現代的な組織ではなく封建君主制に近いことを暗に示している。独創的な創業者は、有無を言わせず決断を下し、忠誠心を呼び起こし、数十年先まで計画できる。逆に、訓練されたプロフェッショナルが運営する個性のない官僚組織は、一人の寿命を超えて存続するけれど、目先のことしか見ていない

ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか

ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか

 

 

【瀧本哲史インタビュー】流されるまま東大:消化試合としての人生 | UmeeT

  • もちろん、教育というのは歩留まりが悪いシステムなので、東大生全員がリーダーで尖った存在になれといっても難しい話かもしれない。そもそも東大生の定義は「東大入試を通って入学手続きをした人」です。しかし、入試の精度はそれほど高くないので、実際のところ、半分ぐらいの学生は「三回入試を繰り返せば、一回は合格できない」その意味で「たまたま東大生」でしかない訳ですよ。だとすれば、2割ぐらいが卓越したことをすれば大成功ともいえる。

    一方で、「たまたま東大生」であっても、大学時代になんかのキッカケで、尖ったことにチャレンジして卓越した実績を挙げるかもしれない、そう言う可能性もあると思うのです。

    なので、せっかく東大のメディアをやるなら、その割合を最大化するきっかけを作るメディアにならないともったいなくないですか、ということです。こんな尖っている東大生がいるなら、自分もなにかやってみよう、そういう意欲を喚起するものであって欲しい訳です。あるいは、メディアを通じて、多くの人が存在を知ることで、尖った人が世に出てもっとレバレッジを効かせられるようになるかもしれない

  • 「地元の国立大学に進むと、”道庁か地銀か”という進路になりそうだ。そもそも北海道自体、成長エリアではない」と言って、東京に出てきたゼミ生がいるのですが、世界全体から見れば、日本自体が成長エリアではない。

    その意味で「東京大学北海道大学」も「霞が関北海道庁」も相対的な違いでしかない。地元の友達を根拠もなく下に見てる東大生って多いですが、視座を変えて見てみれば、自分も同じなんですよ。

  • 本業で忙しい会社って、世間に対して積極的にビジネスモデルやブランドを露出させる動機がないから、 しばしば「埋もれている」ように見えることがあります。
  • 今の世の中、安定した生活を手にしたと思ったら、高値掴みだったり、一見マイナーなものがトップになったりすることがザラにある。

    結局は、自分のビジョンと戦略に沿って、意思決定しないといけない。ましてや、東大はトップでもなんでもなくて、世界の「地方大学」に過ぎないわけですから。

  • 再度、革命・クーデターを起こさないように、「学問」という新しい「管理された競争」を創りだす。そしてその優勝賞品は、統治権ではなく、帝国大学入学。なんと「がんばったご褒美に、僕たちの”家来”にしてあげよう」という仕組みですね。ある意味、シュールというか、ほぼブラックユーモアに近い。
  • 無事、東大は官僚養成機関になっていきますが、基本的なシステムとしては低コスト大量生産ですよね。マスプロ講義というのは、マス・プロダクション=大量生産という意味です。「富国強兵」「殖産興業」で、大量かつ高速に西洋先進国をパクるのがミッションとなります。

    東大の沿革をたどっていくと江戸時代の蕃書調所(ばんしょしらべしょ)。つまり、外国語文献を読む組織に遡る訳で、そのころから「翻訳」が学問だったんですね。

    それに関連して、東大生一般には、ゼロから文章を書く能力がありません。入試で問われていないし、その後も、ほとんどトレーニングされていない。中高でも、一部のきちんとした私立学校を除いて、事実と論理に基づいて文章を書く教育はなく、「感想」を書かせる「作文」があるのみです。

    西洋の大学の伝統の一つの系列である、リベラルアーツ系のカリキュラムだと、作文はチューターがついて徹底的にやる。しかし少人数教育なので、とてつもなくコストが掛かる。一方、日本は後進国で、とりあえず追いつかなきゃならなかった。だから、目の前の実利(=官僚の生産と工業力の向上)に絡まない指導はしない。

    リベラルアーツというのは「自由人のための学芸」なので、少人数エリート教育なのですが、東大はそれと真逆の「家来」ないし「高級奴隷」(アリストテレスは「ものを言う道具」と呼んだ)を造る制度を用意していると考えると納得できます。もちろん、改革をしようとはされていますが。

  • アイビーの大学は「俺たちが国家建設する」という気概に溢れていますね。いわば、「国家が大学を創った」のではなく「大学が国家を創った」という。

    ケンブリッジも面白いですよ。元々オックスフォードで住民と対立した学者たちが引っ越しして出来た。その中でも、面白いのが、ニュートンの出身でもあり、ノーベル賞を32人輩出しているトリニティカレッジです。このカレッジは港を3つ所有しているらしく、そこから賃料収入が入るという、とてつもない財政基盤を持っています。その財力は「昔王様から譲り受けた」ということになっている。えらく社会貢献的な王様だと思うじゃないですか?
    この王様は、実は有名なヘンリー八世で、その財源といえば、国教会を作ったときにカトリック教会から接収した財産ですよね。そりゃあ「元は人のものですから、気楽に寄付出来ますよね」といった感じが、しないでもないです。

  • 明治の元勲達が設計した、「後進キャッチアップ国家」型の「富国強兵・殖産興業、官僚制・常備軍」モデルはさすがに破綻しているだろうと思うのです。