シンギュラリティは近い

  • 人間の脳は、さまざまな点でじつにすばらしいものだが、いかんともしがたい限界を抱えている。人は、脳の超並列処理 (一〇〇兆ものニューロン間結合が同時に作動する)を用いて、微妙なパターンをすばやく認識する。だが、人間の思考速度はひじょうに遅い。 基本的なニューロン処理は、現在の電子回路よりも、数百万倍も遅い。このため、人間の知識ベースが指数関数的に成長していく一方で、新しい情報を処理するための生理学的な帯域幅はひじょうに限られたままなのだ。
  • われわれの現在備えているバージョン1000の生物的身体も、同じようにもろく、無数の故障モードに陥ってしまう。身体を維持するのに、厄介な儀式が必要なのは言うまでもない。人間の知能は、ときには高い創造力や表現力を発揮できることもあるが、その思考するところのほとんどは、たんなる模倣にすぎなかったり、たいして重要でなかったり、制約があったりする。
  • シンギュラリティに到達すれば、われわれの生物としての身体と脳が抱える限界を超えることが可能になり、運命を超えた力を手にすることになる。死という宿命も思うままにでき、好きなだけ長く生きることができるだろう(永遠に生きるというのとは、微妙に意味合いが違う)。人間の思考の仕組みを完璧に理解し、思考の及ぶ範囲を大幅に拡大することもできる。二一世紀末までには、人間の知能のうちの非生物的な部分は、テクノロジーの支援を受けない知能よりも、数兆倍の数兆倍も強力になるのだ。

 

  • 一九五〇年代、伝説的な情報理論研究者のジョン・フォン・ノイマンがこう言ったとされている。「たえず加速度的な進歩をとげているテクノロジーは・・・・・・人類の歴史において、ある非常に重大な特異点に到達しつつあるように思われる。この点を超えると、今日ある人間の営為は存続することができなくなるだろう」。ノイマンはここで、加速度と特異点という二つの重要な概念に触れている。加速度の意味するところは、人類の進歩は指数関数的なものであり(定数を掛けることで繰り返し拡大する)、線形的(定数を足すことにより繰り返し拡大する) なものではない、ということだ。

  • 人間の脳は、非常に効率の悪い、電気化学的なデジタル制御のアナログコンピューティング処理を用いている。 脳の計算の大半は、ニューロン間結合(シナプス結合)によって行なわれ、毎秒約二〇〇回の計算速度しかない (ひとつの結合ごとに)。 これは、現在の電子回路の速度より一○○万倍以上も遅い。しかし、人間の脳は、三次元の超並列組織を構成していることから、驚異的な力をもっている。 三次元回路を人工的に構成するためのさまざまなテクノロジーはすでに準備段階に入っている。

  • 人の個性や技能は、脳の中だけに存在するのではない、と言っておく必要はある もちろん、脳が主な居場所ではあるのだが。 神経系は体中にはりめぐらされ、内分泌(ホルモン)系も同じく影響をもっている。 それでも、複雑さの大半は、脳の中にある。 脳には、神経系の大半が存在しているのだ。 内分泌系から出される情報のビット数はかなり低い。それというのも、決定要因となるのは、ホルモンの全体的な濃度であって、ホルモンの分子一個一個の正確な位置ではないからだ。

心を広げる

  • 二〇三〇年ごろのナノボットのもっとも重要な利用法は、生物的知能と非生物的知能の融合によってわれわれの心を、文字どおり、拡大することだろう。最初の段階は、ひじょうに遅い人間の一〇〇兆のニューロン間結合を、ナノボットのコミュニケーションを経由する高速のヴァーチャル結合によって増強することだ。これにより、 非生物的知能の強力な方式と直接つながることができ、同時に、人間のパターン認識力、記憶力、そして総合的な思考力は格段に向上するだろう。その技術は、ある脳から別の脳への無線通信も可能にする。

  • 二一世紀半ばを待たずして、 非生物的基盤を経由した思考が優位を占めるだろうという指摘は無視できない。第三章でくわしく述べたように、生体の人間の思考はひとり一秒あたり10^16CPSとなり(ニューロモーフィックによる脳部位のモデルに基づく)、人類全体ではおよそ毎秒10^26となる。これらの数字は、バイオエンジニアリングによってヒト遺伝子を調整したとしてもさほど変化しないだろう。これに対して、非生物的知能の処理能力は指数関数的に(指数自体を増しながら) 向上しており、二〇四〇年代半ばまでには生物的知能をはるかにしのぐと予想される。

  • そのときには、生物的な脳の中にナノボットを入れるというパラダイム自体、過去のものになっているだろう。 非生物的知能は数十億倍以上も強力であるため、優位を占めるようになる。れわれはバージョン3.0の人体をもち、思いのままに新しい形へ変わったりもとに戻ったりできるようになる。二〇二〇年までに、完全没入型の視聴覚ヴァーチャル環境の中で体をすばやく変化させられるようになるだろう。 そして二〇二〇年代にはあらゆる感覚と結びついた完全没入型のVR環境の中で変身できるようになる。そして二〇四〇年代には現実世界でそれが可能になる。

  • 非生物的知能はやはり人間と見なされるべきだろう。というのも、それは完全に「人間と機械の文明」から生じたものであり、少なくともその一部は、人間知能のリバースエンジニアリングに基づいているからだ。この重要な哲学的問題については次章で扱うことにする。この二つの知能の合体は、単に生物的な思考媒体と非生物的なそれとの合体というだけではない。さらに重要なのは、それによって人間の心が事実上、ひとつの思考法、思考体系として想像できる限りどのようにでも拡大できるようになるという点である。

  • 今日のわれわれの脳の設計は、相当に固定したものとなっている。通常、学習していく過程で、ニューロン開結合や神経伝達物質の集中のパターンが増えることはあるが、現在のところ人間の脳の総合的能力はかなり抑圧されている。 思考の中で非生物的な部分が優位を占め始める二〇三〇年代の終わりまでには、われわれは脳の神経領域の基本的構造を超越できるようになるだろう。

  • 多数の知的ナノボットを脳に移植することにより、記憶力ははるかに増し、あらゆる感覚、パターン認識、認知能力もはなはだしく向上するだろう。 ナノボットは互いにコミュニケーションをとるため、新しいニューロン間結合の形成や、既存の結合の破壊神経発火を抑えることによって)も可能であり、新たに生物と非生物の混成ネットワークを作り、新たな非生物的知能と緊密に連結するだけでなく、完全に非生物的なネットワークを追加できる。

  • 脳の拡張を目的とするナノボットの使用は、今日始まったばかりの神経移植手術に目覚ましい進歩をもたらすだろう。 ナノボットは外科手術なしに血流をとおって導入され、必要とあればすべて退去させられるので、処置後にも簡単にもとに戻すことができる。 それらはプログラム可能であり、ある一瞬ではVRを生みだし、その次には脳機能を多様に拡張することもできる。また、そのプログラム設定やソフトウェアの変更も可能だ。おそらくもっとも大きな違いは、外科的な移植では、神経移植片は一か所か多くて数か所にしか入れられないが、ナノボットは脳内に多数分布させて、数十億のポジションに置けることだ。

 

  • 合衆国陸軍の調査実験部門の長でASAGとの連絡役を務めるジョン・A・パーメントラ博士は、国防総省のトランスフォーメーション(変革) プロセスの方向性について 「高感度で、ネットワークを中心とし、迅速な決定が可能であり、あらゆる軍編成に勝り、いかなる戦闘空間においても圧倒的な力を発揮する」軍隊への動きである、と述べている。また、目下開発中で、二〇二〇年代に完成予定のフューチャー・コンバットシステム(FCS)については、「より小さく、より軽く、より速く、より破壊的で、より賢い」と評している。
  • 未来の部隊展開とテクノロジーに関して劇的な変化が準備されている。 細部に変更はありそうだが、陸軍は、約二五〇〇名の兵士と無人ロボットシステム、そしてFCS装備からなる旅団戦闘チーム (BCT) の配置を想定している。ひとつのBCTはおよそ三三〇〇の「プラットフォーム」(コンピュータ基盤)からなり、 それぞれ独自の知的コンピューティング能力を備える。BCTには戦闘域についての共通操作画面 (COP) があり、その情報は適切に変換されている。一方、各兵士はさまざまな形で情報を受け取る。その手段としては網膜へのディスプレイ(その他、さまざまな要警戒表示)や、将来的には神経への直接接続もありえるだろう。
  • 陸軍の目標はBCT単体で九六時間、全師団で一二〇時間の部隊展開を可能にすることだ。各兵士の装備の重量は、現在はおよそ四、五〇キログラムあるが、新素材や新装置に替えることで一五キロほどに減り、一方で戦闘力は劇的に向上するだろう。 装備のいくらかは「ロボットラバ」(四足歩行ロボット)が分担するようになる。
  • 軍服の新素材は、ケブラーという新しい合成樹脂とシリカ・ナノ微粒子を分散させたポリエチレングリコールを用いて開発されている。その素材は通常はしなやかだが、圧力を受けるとただちに突きとおせないほど密集し、防護服となる。また、MITにある軍用ナノテクノロジー研究施設では、「エクソマッスル」(外筋肉)というナノテクノロジーベースの素材を開発中で、戦闘員が重い装備を扱うときに筋力を大幅に補強することを目指している。
  • 米陸軍の主力戦車エイブラムスは戦闘員の安全に関して驚異的な記録をもっている。 二〇年にわたって戦闘で使用されてきたが、死傷者はわずか三名にすぎない。これは装甲素材が進化するとともに、ミサイルなどの武器を迎撃するよう設計されたインテリジェントシステムが発達した結果だ。しかし、戦車は七〇トン以上あり、FCSが目指すより小さなシステムの一部となるには、かなりの減量が求められる。軽量でありながらひじょうに強固な新しいナノ素材 (プラスチックがナノチューブと結合し、鋼鉄の五〇倍の強さとなるものなど)は、ミサイル攻撃を迎え撃つコンピュータ知能の発達とともに、地上戦闘システムの重量をおおいに減らすだろうと期待されている。
  • 最近のアフガン戦争やイラク戦争で使われた武装プレデターに始まる無人航空機(UAV) への流れは、今後急速に加速していくだろう。陸軍が研究しているUAVの中には、鳥ほどの小型サイズのものも含まれ、偵察と戦闘、双方の任務を速く正確にこなすことができる。さらに小型の、マルハナバチぐらいのものも想定されている。実際のマルハナバチの航行能力は、左右の視覚システム間の複雑な相互作用によるものだが、最近そのリバースエンジニアリングがなされた。やがてはこれらの小型飛行マシンに適用されるだろう。
  • FCSの中心は自己組織型で超分散型の通信網になっており、個々の兵士と機器から情報を集め、適切な情報画面とファイルをそれを必要とする兵士と機器に返送できる。敵の攻撃を受けやすい通信中枢は存在しない。情報はネットワークの傷ついた部分をすみやかに迂回する。そのためになによりなすべきことは、完全な通信状態を維持しながら敵軍による回線の盗聴や操作を防止するテクノロジーの開発である。 同様の情報セキュリティ技術は、電気的手段とソフトウェアウィルスを使用したサイバー戦争において、敵の通信への侵入・妨害・攪乱・破壊に適用されるだろう。
  • FCSは単体のプログラムではない。遠隔誘導、自律型、小型化、ロボットシステム、強固な結合、自己組織化、分散化、そして安全な通信を目指す総合的な軍事プログラムである。
  • アメリカ統合軍司令部のアルファ計画 (この計画が陸軍全体における急速な考え方の変化を導いている)は、二〇二五年の戦闘を「ロボット化がかなり進んだ」ものとして想定しており、「任務内容によって、何段階かの自律性調整可能な自律、管理下の自律、完全な自律―を発揮する」自律型戦闘ロボット (TAC)が組み込まれていると予測する。 TACは、ナノボットやマイクロボットから大型のUAVやその他の航空機や車両まで、幅広いサイズで利用でき、また複雑な地形でも走行できるようにオートメーション化されている。NASAが軍用に開発した画期的デザインは、ヘビの形をしている。
  • 自己組織化する小型ロボットの群れという二〇二〇年代のコンセプトを体現するプログラムのひとつは、米海軍研究局の「自律型インテリジェント・ネットワークシステム」 (AINS) で、それが目指す無人戦闘部隊は自律型無人ロボットからなり、水中、地上、空中を問わず活躍できる。そのロボット群を統括するのは人間の司令官で、プロジェクトの長、アレン・モシュフェグが「難攻不落の空のインターネット」と呼ぶネットワークによって分散的に命令を下し、コントロールする。
  • 群知能の設計については広範囲にわたって研究が進められている。群知能とは、個々のエージェント(機能主体)は比較的単純なルールに従って動いていても、数多く集まれば複雑な行動を起こすことができるというものだ。たとえば、昆虫の群れはコロニーの構造設計のような複雑な問題でも、しばしば知的に工夫して解決する。 もちろん一匹一匹にそのような能力はないのだが。
  • DARPAは二〇〇三年、一二〇体の軍事用ロボット(アイロボット社製、同社の創設者のひとりは、ロボット工学の先駆者、ロドニー・ブルックスである)からなる大部隊が群知能ソフトウェアによって、組織化された昆虫の行動をまねることができたと発表した。 ロボット工学システムがより小型化し、ますます発展するにしたがって、自己組織化する群知能の原理はいっそう重要な役割を担うだろう。
  • 軍部には開発期間を短縮する必要があるとの認識もある。歴史的に、軍事プロジェクトの調査研究から開発までにかかる期間は、典型的なもので一〇年を超えている。しかし一〇年ごとに、テクノロジーパラダイムシフトが倍増する状況では、多くの武器システムは戦場で使われる前にすでに時代遅れのものとなってしまっているため、開発期間はスピードアップする必要がある。その方策のひとつは、新しい武器の開発およびテストにシミュレーション(模擬実験)を用いることだ。これまでは、プロトタイプを作って実際に使用して(しばしば爆破させて) テストする手法をとっていたが、シミュレーションに替えれば、武器システムの設計から実現、そしてテストまでを、はるかに短期間で行えるようになる。
  • もうひとつの重要な傾向は、戦闘から兵士を遠ざけて、その生存率を高めることだ。 システムが遠隔操作できるようになれば、これは実現する。 車両から操縦士が離れることで、より危険な任務を果たすことができ、設計上、はるかに操作しやすくなる。また、人命を守るためのさまざまな設備が不要になるため、全体がひじょうに小さくなる。 将軍たちはさらに遠くへ移動している。 アフガンの戦闘では、陸軍大将のトミー・フランクスはカタールの観測室から指揮をとっていた。

スマートダスト

  • DARPAは鳥やマルハナバチよりさらに小さなデバイスを開発中だ。それは「スマートダスト」(賢い)と呼ばれる、虫ピンの頭ほどの複雑なセンサーシステムである。開発が充分に進めば、これらのデバイス数百万個を敵の勢力圏にばらまいて、敵の動きを詳細に監視させ、最終的には攻撃を支援できるようになるだろう(たとえば、すぐあとで述べるナノウェポンを放つなど)。 スマートダスト・システムの動力はナノエンジニアリングされた燃料電池で供給することになるが、同時にそれ自身の動きや風、熱流がもたらす力学的エネルギーを動力に転化することもできる。

  • 重要な敵や、隠された武器の位置の発見は、スマートダストに任せればいい。その本質は目に見えない大量のスパイで、敵のテリトリーを数センチ単位で隅々までくまなく監視し、あらゆる人間(体温、磁気画像、果てはDNAテスト、その他の手段によって)、あらゆる武器を識別し、敵側の目標物を破壊することさえできるのだ。

ナノウェポン

  • スマートダストのさらに先は、ナノテクノロジーベースの兵器となり、それより大きいサイズの兵器は時代遅れになる。そのように広く分散した勢力に対抗するには、敵もナノテクノロジーを採用する他なくなるだろう。加えて、ナノデバイスに自己複製力をもたせれば、その能力をさらに拡大できるが、破滅的な危険も招き入れることになる。

  • ナノテクノロジーはすでに幅広く軍事に適用されている。具体的には、ナノテクコーティングによる装甲板の強化、化学兵器生物兵器を迅速に発見し特定するチップ上に構築された"ナノ実験室〟一定地域の汚染を除去するナノスケールの触媒、状況に応じて自力で再構築できるインテリジェント素材、負傷者からの感染を防ぐために生物破壊性のナノ粒子が組み込まれたユニフォーム、プラスチックと結合してきわめて強力な素材を作りだすナノチューブ、自己修復する素材、などである。たとえば、イリノイ大学では自己修復するプラスチックが開発されているが、それはプラスチック基盤に液状モノマーの微小球と触媒を組み入れたもので、ひびが入ると微小球が砕けて自動的にその割れ目をふさぐようになっている。

スマートウェポン

  • ミサイルはすでに、標的への的中を願って発射される低能なものから、パターン認識を利用してみずから無数の戦術的決定を行なっていく巡航ミサイルへと移っている。しかし銃弾は、依然として本質的には旧型ミサイルを小さくしたものであり、それに知能をもたせることがもうひとつの軍事目標となっている。
    軍用兵器が小型化し、数を増やすにつれて、人間がデバイスの一つひとつをコントロールすることは、ほぼ不可能になるだろう。それゆえ、自律制御のレベルを上げることがまた別の重要な目標となる。 機械の知能が生身の人間の知能に追いついたあかつきには、より多くのシステムが完全に自律的なものになるだろう。