天才数学者列伝

  • オイラーバーゼル大学の教授職に応募したが、採用されなかった。その頃、二人の友人はロシアにいて、王立アカデミーの研究員としてエカチェリーナ一世に仕えていた。二人はオイラーにたびたび手紙を書き、自分たちと同様の職に就けるよう努力を続けていることを伝えた。その間オイラーは学生の身分に留まり、バーゼル大学でさらに多くの科目を受講した。 あるときベルヌーイ兄弟から、
    医学の分野で欠員が生じたという手紙が届いた。 そこで医学の勉強に身を投じ、 一七二七年にサンクトペテルブルク・アカデミーから医学分野の職に招かれた。オイラーサンクトペテルブルクに駆けつけたが、そのときアカデミーは政治、雇用、解雇の問題のせいで大混乱に陥っており、医学部門の職に招かれたはずのその人物がいつの間にか数学部門に収まっていることには誰も気づかなかった。
  • オイラーは成功を収め、ダニエル・ベルヌーイがスイスへ帰国した一七三三三年に数学部門の長となった。

 

  • グロタンディークは位相群に強い興味を持つようになった。 位相群とは、位相構造を持つ、すなわち、直線や平面や曲面のように連続の概念が認められる、抽象代数の群のことである。グロタンディークは位相群について学ぶために、ブルバキグループのメンバーであるシャルル・エーレスマンの講演に出席した。 エーレスマンは位相群の世界的権威だったが、 世間知らずの若きグロタンディークはそのことを知らなかった。 話が終わるとすぐにグロタンディークは講演者のもとへ駆け寄り、「あなたは位相群の専門家か」と聞いた。 腰の低いエーレスマンが「まあ、位相群のことはある程度知っている」と答えると、グロタンディークは背中を向け、「その分野の本当の専門家に会いたいんだ!」と言ったという。