恐れのない組織

コロナ禍における危機対応を通じて、いかに日本の政治家が与野党を問わず無能であるかを大半の国民が再認識させられている。震災およびその後の危機対応という歴史的な重大インシデントから何らかの教訓を得て活かすことができていれば、これほどの惨事にはならずに済んだのではないか、というのが、本文を読んだ率直な感想である。

波風を立てないために歩調を合わせる

  • 以上見てきたように、沈黙の文化とは、懸念の表明より周囲との同調が大勢を占める文化だと理解していいだろう。根底にあるのは、人々の意見にはたいてい価値がない、ゆえに尊重するには及ばないという前提だ。もしかしたら、福島の事故を引き起こすに至った一連の考え方を、沈黙の文化がどのように伝え続けてきたかについて、最も的を射た批判をしたのは、国会事故調(東京電力福島原子力発電所事故調査委員会、NAIIC)の委員長、黒川清かもしれない。彼は、英語版の報告書の冒頭に、次のように記した。
  • どんなに詳しく書いても、この報告書では――とりわけ世界の人々に対して――十分に伝えきれないことがある。それは、この大惨事の背後にある、過失を促したマインドセットである。これが「日本であればこそ起きた」大惨事であったことを、われわれは重く受けとめ、認めなければならない。根本原因は、日本文化に深く染みついた慣習――すなわち、盲目的服従、権威に異を唱えたがらないこと、「計画を何が何でも実行しようとする姿勢」、集団主義、閉鎖性―――のなかにあるのだ。
  • 黒川が挙げた「染みついた慣習」はいずれも、日本文化に限ったものではない。それは、心理的安全性のレベルが低い文化(率直な発言も抵抗もしたがらない姿勢と、世間に対して体裁をよくしておきたいという強烈な願望とが混ざり合っている文化)に特有の慣習なのだ。評判を気にするせいで、従業員は、外部に対してだけでなく内部でも意見を言えなくなる。福島第一原発の安全性――および、よりたしかな安全対策の実施に必要なもの――に対する警告をはねつけたことは、原子力エネルギーを推進したいという国の強い希望とも密接に関連していた。
  • 第3章で取り上げたニューヨーク連邦準備銀行のストーリーでは、規制を受ける側の強力な組織がそれとなく結託し、勇気を出して率直に発言したり拒否したり反対したりする少数の人々を黙らせてしまったが、同様に、日本の原子力産業も「規制の虜」に苦労していた。黒川によれば、原子力によって国家のエネルギー安全保障を実現するという日本の長年の政策目標が強力な命令になったために、原子力が、シビル・ソサエティ(市民社会)による監視の目などどこ吹く風の、止めようのない力と化したという。原子力の規制が、その推進について責任を負う同じ政府の役人に委ねられてしまったのだ。このように、必要性にとらわれ、何が何でも実現しようとしたことが、「規制当局の圧力をものともしない、小さな事故を隠すのが慣例の」文化を生み、「……福島第一原発の事故を引き起こしてしまった」のである。
  • 2013年、スタンフォードの調査によって、5000万ドルもあれば、十分な高さの壁を建設し、この大惨事を回避できたはずだったことが突きとめられた。しかしながらこの事例はやはり次の点を示している。メッセージを聞こうとしないことが支配的な文化になっているときに耳を傾けてもらうこと――意見を歓迎し、じっくり話し合い、ときにはその意見に基づいて行動を起こしてもらうこと――が、どれほど困難であるかを。

率直さを実現する

  • 一九九五年に三歳より上の年齢であったなら、あなたはおそらく『トイ・ストーリー』という映画に関心を持っていた、あるいはほどなく持つようになっただろう。『トイ・ストーリー』は、ピクサーが公開した史上初のコンピュータ・アニメーション長編映画である。その年、『トイ・ストーリー』が第一位の興行収入をあげ、ピクサーIPO(新規株式公開)も同年最大となった。その後のことは周知のとおりである。ピクサー・アニメーション・スタジオは以来、一九の長編映画を制作し、そのすべてが商業的に大成功を収めている。これは、ヒットを出すことが重要だが簡単ではない業界において、きわめて意義深い。また、ただ一社によって失敗なくヒットを飛ばし続けるというのは、他にほぼ例がない。同社はどのようにして、そんな偉業を成し遂げているのか。答えはこれだ――創造性と批判の両方が次々生まれる状況を、リーダーシップが生み出しているのである。ピクサーの仕事はストーリーの創造とアニメーション化かもしれないが、会社としてのあり方には、その映画と同様に普遍的で大切なことが、心理的安全性に関して示されている。
  • ピクサーの共同創設者であるエドウィン(エド)・キャットムルは、同社の成功の一因は率直さだと述べている。彼は、率直さとはざっくばらんに、あるいは腹蔵なく話すことだと説明し、「率直さ」という言葉からは遠慮のない正直な話し方が連想されると指摘しているが、それらはまさしく心理的安全性の考え方に通じている。率直さが職場の文化の一部になっていると、人々は発言を禁じられているように感じない。考えを胸にしまっておくこともない。皆、思うことを述べ、アイデアや意見や批判を共有する。理想的な場合は、ともに笑いながら、やかましいくらいに話をする。キャットムルは、率直さを促すために、組織においてそれを制度化する方法を模索している。わけても注目すべきは、「ブレイントラスト」というミーティングである。
  • 数名が数カ月ごとに集まって、制作中の映画を評価し、忌憚のない意見を監督に伝え、創造的問題の解決を手伝うブレイントラストは、一九九九年に生まれた。ストーリーに難のあった『トイ・ストーリー2』を面白いものに変えようと急いでいたときのことである。ブレイントラストが用いる方法は、いたってシンプルだ。監督たちとストーリーづくりに関わる人たちが、直近につくられたシーンを一緒に観て、ランチをともにし、その後、面白いと思うところと思わないところについて監督にフィードバックするのである。カギとなるのは、率直さだ。もっとも、率直であることはシンプルだが、決して簡単ではない。

素晴らしいものをつくるプロセスで悪いものを受け容れる

  • キャットムルが率直に認めているように、「……どの作品も、最初は箸にも棒にもかからない駄作」である。つまり、「トイ・ストーリー」はまかり間違えば、おもちゃたちの秘密の暮らしを描いた感傷的でつまらない映画になりかねなかったということだ。実のところ、その創造的なプロセスは本質的に繰り返しの作業であり、面白い作品になるかどうかは、誠実で正直なフィードバックを得られるかどうかにかかっている。もし、ブレイントラスト・ルームに集まって制作途中のシーンを観た人々がよくない、何かが足りない、わかりにくい、理解できないと思う部分を率直に述べても大丈夫だと安心できず、お世辞のような言葉を口にするだけであったら、「トイ・ストーリー』と「トイ・ストーリー2」が空前の大ヒット映画になることは、おそらくなかっただろう。
  • ピクサーのプレイントラストには、いくつかルールがある。第一に、フィードバックする際には建設的に、そして個人ではなくプロジェクトについて意見を述べなければならない。同様に、監督は批判に対して過敏になったり個人的なものとして受け取ったりせず、事実を告げる声に喜んで耳を傾ける姿勢を持つ必要がある。第二に、トップダウンにしろその逆にしろ、相手に強制することはできない。監督は作品について最終的な責任を負っており、提案された解決策を採用も却下もできる。第三に、率直なフィードバックは「あら探しして恥をかかせること」ではなく、共感の観点から行わなければならない。これについては、批評する側の監督たち自身も過去に何度もフィードバックを受けているため、その経験が活きてくる。わけても監督の構想や夢に対しては、称賛と好意的な批評が惜しみなく与えられる。キャットムルも述べているとおり、「ブレイントラストは心が広く、力になりたいと思っている。利己的な考えは持っていない」のだ。ブレイントラストは、臆病な「彼ら」ではなくむしろ中立的で自由に動ける「一団」と言ってよく、個々のメンバーの総和以上の存在と考えられる。人々が安心してひらめきや意見や提案を言うことができると、部屋のなかのナレッジが飛躍的に増える。これが起きるのは、個々の見解や提案が互いをもとにして進化し、新たなものを形づくったり今までと違う価値を生み出したりするためである。これは、フィードパックが別々に集められる場合とは対照的だ。
  • 専門家集団意見を率直に仲間に伝える、共通の目標を持つ人々から成る一団は、メンバー一人ひとりの個性やメンバー同士の相性に影響されやすい。言い換えるなら、誰かが先頭に立ってうまくプロセスを導かなければ、あっという間に収拾がつかなくなりかねない。素晴らしい結果を出すためには、マネジャーは長期にわたり絶えずダイナミクスに気を配る必要がある。また、人々が互いの専門知識に敬意を払い、意見を信頼し合うと、とてつもなく大きな成果をあげられるようになる。ピクサーアンドリュー・スタントン監督は、効果的にフィードバックするグループにふさわしい人材の選び方について、次のようにアドバイスする。曰く、その人材とは「より賢く考える力をもたらし、短時間に多くの解決策を提案できる人」でなければならないという。より賢く考える力をもたらす人を集めるというスタントンの重要なアドバイスは、革新と進歩に心理的安全性が不可欠である理由の核心を突いている。集まった人が心に思っていることを述べないかぎり、より賢く考えることはできないのだ。
  • 残念だが、ひとつ言っておかなければならないことがある。二〇一七年の終わり頃、エド・キャットムルとともにピクサーを創設したチーフ・クリエイティブ・オフィサーのジョン・ラセターが、不適切な行為が原因で休職し、「望まないハグや、どんな形であれ一線を越えていると感じる行為を受けたあらゆる人」に対し電子メールで謝罪した。ほどなく、ラセターのハラスメントについて、ビクサー従業員から抗議の声があがり始める。第6章で詳述するが、MeToo 運動のなかで起きたラセターの行為とそれに続く休職は、心理的安全性の脆く持続しにくい性質を明確に示している。一線を越えて身体的に関心を寄せると、苦労して獲得した信頼がたやすくむしばまれてしまうのである。
  • ピクサーのブレイントラストは、研究者が査読と呼ぶもの論文の草稿や執筆中の本を、同分野の別の専門家が読んで建設的な批評をするプロセス――に似ている。これは改善のためのきわめて貴重な情報になる可能性があり、ほとんどの場合、当初より格段によくなった原稿が世に出ることになる。ただ、同業の専門家の意見は(匿名の場合は特に)ライバル意識混じりで冷ややかにもなりうるのに対し、そういうことは、最高の状態にあるピクサーのブレイントラストならまず起
    きない。また、ピクサーのブレイントラストは、「芸術批評」にも似ている。芸術を学ぶ学生たちが、多くは教授かプロの芸術家の指導を受けながら、互いの作品について率直に批評し合うものである。この芸術批評は、他のグループプロセス同様、共感して支援する姿勢を伴わず、率直さがかえって足を引っぱってしまう場合、心理的安全性が弱まってしまいかねない。一方で、必ずしもそうとは限らない。仲間のフィードバックは貴重であり、それがあれば、若い芸術家たちは自律的に行動できるようになるのだ。一大スキャンダルになったフォルクスワーゲンディーゼルエンジンを、失敗を恐れ率直に話そうとしない人々ではなく、エンジニアという専門家集団が管理していたらどうなっていたかを考えてみよう。そのようなエンジンの実現可能性について、もしエンジニアたちが率直に意見を言えていたら。そうすれば、状況は全く違ったものになったかもしれなかっ
    た。

yamanatan.hatenablog.com

yamanatan.hatenablog.com

 

遠慮なく失敗する

  • ピクサーがヒット作を出し続けるもう一つの要因として、キャットムルは失敗を挙げる。興行的失敗がピクサーとして何としても避けたい事態である点を考えると、これは奇妙に思えるかもしれない。だが実は、そのような事態を避けられるかどうかは、制作の早い段階で積極的に失敗できるか否かにかかっていると理解されているのである。ブレイントラストはリスクや失敗を、クリエイティブなプロセスに不可欠と捉えている。キャットムルによれば、最初はどの作品も「箸にも棒にもかからない駄作」だという。スタントンも、自転車の乗り方を学ぶときに何度も失敗することなくすいすい乗れるようになる人はいないが、映画制作のプロセスも同様だと述べている。キャットムルはこう信じている。もし何度でも失敗することができなかったら、皆「かつて成功した、うまくいくとわかっているやり方に、いつまでも甘んじるようになるだろう。そんな仕事は模倣でしかない。革新的じゃない」と。他の多くの仕事がそうであるのと同様、イノベーションには試行錯誤のプロセスが欠かせないのである。
  • キャットムルは正直に、また人間らしく、失敗は怖いものだと認めている。積極的に失敗するのは実のところ、言うは易く行うは難しなのだ。彼は次のように述べている。「失敗のいい面と悪い面を見つけるためには、痛みと、その結果として生じる利益の両方を理解する必要がある」。失敗したときにそれを認め、この先は避けたいものだと願いながら歩み続けるだけでは不十分だ、とも説明している。私たちは失敗を、不安に思ったり避けようとしたりするのではなく、学習と冒険に必ずついてくるものだと理解する必要がある。自転車の乗り方を学ぶときに膝をすりむいたり肘にあざをつくったりといった身体的な痛みが伴うのと同様、オリジナリティあふれる映画をつくるには、失敗という心理的な痛みが伴う。さらに言えば、学習するときに失敗という痛みを避けようとすると、さらにひどい痛みを味わうことになる。キャットムル曰く、「そんな戦略、つまり先回りすることによって失敗を回避するなどという戦略を採るのは、特にリーダーにとって命取りだ」
  • 言うまでもないが、興行的に失敗すれば費用が莫大になる可能性があり、ピクサーは制作の早い段階での積極的な失敗を促すべく、策を講じている。たとえば、監督が構想に数年かけるのを認めているし給料も支払うが、制作コストの超過には制限を設けるといった具合だ。結果につながる失敗かどうかは、どうすればわかるのか。プロジェクトを打ち切って損失を減らすほうがいいのは、どんな場合か。キャットムルによれば、プロジェクトがうまくいっていない場合にピクサーが監督をクビにする理由はただ一つだ。すなわち、監督が明らかにチームから信頼されなくなっているか、ブレイントラスト会議で出される建設的な意見を受け容れ、その意見に基づいて行動するのを長期にわたって拒否している場合である。このように、ピクサーは「ミスをしても社員が恐怖を感じない」くらい心理的安全性の高い環境をつくり、それによって、キャットムルが「不安と失敗を切り離す」と呼ぶものを制度化しようとしている。言うまでもないが、率直に話したり積極的に失敗したりすることを重視しているのはピクサーだけではない。実際、成功しているクリエイティブな事業では、それとなくであれ目に見える形であれ、必ず実践されている。例としてもう一つ、大成功を収めている(そして何かと物議を醸す)ブリッジウォーター・アソシエイツ(世界有数のヘッジファンド運用会社)のレイ・ダリオを次に取り上げよう。
  • マネジャーも、部下のことを、当人がいないところで話してははいけない。ダリオ日く、「わが社では、陰口を言う者は卑劣な密告者と呼ばれる」。社員それぞれの継続評価の統計データは、「ベースボール・カード」に記録される。社員なら誰でも閲覧できるこのカードは、報酬、報奨、昇進、解雇について判断するためにマネジャーによって使われる。社内の誰も、不透明性のなかに隠れることはできず、これはダリオも例外ではない。全重役会議の動画をおさめる「透明性ライブラリー」は、方針や戦略がどのように議論されたかを従業員が知りたいと思った場合に、観ることができる。
  • 学習プロセスにはミスや賢い失敗が欠かせないとするダリオの考え方は、成長の仕方やイノベーションの生まれ方について私たちが知っているものと一致している。ダリオは次のように考えている。現代社会の失敗恐怖症は深刻だ」、なぜなら、正解を探すことを小学校時代の初めに教えられてしまい、革新的・自立的思考へつながる道として失敗から学ぶことを身につけないからだ、と。また、彼は早くから次のように述べている。「誰もがミスをするし欠点もあること、それらにどう対処するかで決定的な違いが生じることを学んだ」。だからブリッジウォーターでは、「失敗するのは構わないが、失敗に気づき、分析し、そこから学ばないのは容認されない」のである。
  • ブリッジ ウォーターでは、「真実と、その真実について何をすべきか」を知るために衝突する。それは、誰が何をするかに関してタスクベースの会話をしたり、別の視点を教え合ったり、相違や誤解を乗り越えたりすることでもある。人間は衝突するとつい競いたくなるものだと認めて、ダリオはこう助言する。「議論に『勝とう』としてはいけない。自分の間違いに気づくのは学んでいる証拠であり、それは正しくあることよりはるかに価値が高い」。重要なのは、些末なことにあまり時間をかけず、考えの不一致を解決するタイミングを見きわめることだ。ダリオ曰く、ブリッジウォーターでは「偏見のない衝突」が日常茶飯であり、当然ながら社員の頭に血が上ることもある(驚くことではないが、ブリッジウォーターの新入社員は離職率が高い。同社の文化が万人向けではないためだ)。マネジャーは、人々が手に負えないほど感情的になっているときには「会話の論理性にポイントを置く」よう指示を受けている。これを実行するためには「常に冷静かつ分析的に、他者の考えに耳を傾ける」のが最良の方法である。
  • ダリオは、会話の三タイプ(ディベート、議論、ティーチング)を区別しており、どのタイプが目前の問題にとって最適かを明確に判断するようマネジャーに助言している。ダリオによれば、議論とは、組織においてさまざまなレベルの経験や権限を持つ人々が参加し、考えや可能性をオープンに探究するものである。ここでは、質問し、意見を述べ、提案をすることが、参加者全員に求められる。そして、すべての考えが歓迎され、じっくり検討される。一方、ディベートは「ほぼ同等の人々」の間、ティーチングは「理解度がまちまちな人たち」の間で行われる。フィアレスな組織では、コミュニケーションがおそらく三タイプすべてを併せ持っており、境界が流動的になりがちだが、反面、三タイプともが存在しているために、心理的に安全な環境での話し合い方について、有用な考え方とその構築の仕方がもたらされる。
  • ここでわかるのは、明確なヒエラルキー心理的安全性が、フィアレスな組織では相容れないものではないということである。ブリッジウォーターでは考えを頻繁かつ率直に言うのが当たり前になる必要があるが、一方で、率直に話すことがヒエラルキ――個人の実績を基盤の一部とするヒエラルキー――と共存している。ただし、コンセンサスによる意思決定は行われない。ピクサーのブレイントラスト同様、率直な討論の目的は、主要な意思決定者に別の視点をもたらして、最良の結果を見出しやすくすることなのだ。また、もし独断的で自信たっぷりな社員の意見をあらかじめ選んでおきがちな文化であるなら、傲慢さに対して注意が必要だとダリオは警告する。「意見を述べる資格を得ているかどうか、自問してみるといい」と彼は言う。そのような資格は、実績を積み、責任を果たすことによって得ることができる。ダリオはこれを、難しい斜面をスキーで滑り降りる技に例えて言う。他人に教えるためには、まず自分がその技をしっかりできるようになる必要がある、と。一方、マネジャーとしては、(経験に基づいて導き出されているために)最も価値のある意見と、推測にすぎない意見を区別する必要がある。
  • リーダーとしての輝かしいキャリアがそろそろ終盤を迎えるダリオだが、自信過剰という落とし穴を回避するために、次の原則を、特に重要な原則の一つとして加えている。それは、「『無知』であることを心得るパワー」である。この原則に気づいて忠実に守ってきたことが、成功の一因だと彼は言う。なぜなら、このパワーのおかげで、質問し、助言を求め、難題に対する最良の答えを見つけてきたからである。

yamanatan.hatenablog.com

yamanatan.hatenablog.com

失敗がその役割を果たすとき

  • 優秀で意欲あふれるパロ・アルトの人々が、丸二年にわたって、ある革新プロジェクトに取り組んだことがあった。海水を低価格な燃料に変えるプロセスの開発プロジェクトである。そんな目標を達成するのは不可能だと、あなたは思うかもしれない。だが、科学者たちはすでに必要な技術を編み出し、ごく少量では成功を収めていたのだ。プロジェクト・フォグホーンという名のこの取り組みの課題は、採算に合うくらい大規模なプロセスにできるかどうかを見きわめることだった。だが、研究を重ねること二年、チームはやむなく認めた――経済的に競争力のある燃料をつくれるほど生産コストを抑えられない。今は原油価格が下落してしまったから、と。そしてプロジェクトの打ち切りを決断した。
  • チームは解雇されたのだろうか。面目丸つぶれだったのだろうか。何週間もばつの悪い思いをしたのだろうか。とんでもない。フォグホーン・チームのメンバーは誰もが、会社からボーナスを受け取ったのである。

安心して失敗できるようにする

  • その会社とは、グーグルX(エックス)。発明と革新を行う研究所であり、グーグルの親会社アルファベットの社内独立部門として活動している。改名してX(エックス)となったこの研究所のミッションは、「ムーンショット〔桁違いの壮大で有意義な挑戦]」テクノロジーを世に出し、世界をよりよい場所にすること。そして明確な目標は、重大な問題に対する、世界を根底から変えるような解決策を考案し商品化すること、すなわち、やがて次代のグーグルへと成長する可能性を持つブレイクスルーを生み出すことである。Xでの成功には、賢い失敗がことのほか重要だ。そのため、賢く失敗する方法と、失敗することが組織で許されるようにするためにリーダーたちが育てているマインドセットについて、私たちは多くを学ぶことができる。
  • 失敗したら報奨金を出すというのはインセンティブとして問題があるように思えるかもしれない。だが詳しく検討すると、斬新でスケールの大きなアイデアを追いかける研究組織にとっての、ビジネス上のロジックが見えてくる。XのCEO(正確には「キャプテン・オブ・ムーンショット」)を務めるアストロ・テラーは、次のように考えている。実行不可能なプロジェクトを何年もずるずると続けてリソースを使い果たしてしまうより、将来性のないプロジェクトを打ち切ったという理由で人々に報奨金を与えるほうが、経済戦略として優れている、と。言い換えるなら、何度も試し失敗して初めて大当たりが生まれるということになる。Xは、クリーンエネルギーから持続可能な農業や人工知能まで幅広い分野において、ムーンショットのためのアイデアを毎年一○○以上考える。だが、常勤の正社員が取り組むプロジェクトになるアイデアは、そのなかのほんの一握りにすぎない。
  • テラーは、二〇一六年のTEDトークに登壇し、Xで「安心して失敗できる」理由と方法を詳しく語った。
  • 怒鳴りつけて無理やり「早く失敗させる」ことはできない。皆、抵抗する。不安にも思う。「失敗したらどうなるだろう。みんなに笑われるんじゃないか。クビになるんじゃないか…」。スケールが大きくリスキーなこと、つまり大胆なアイデアに挑み、どんな困難にぶつかっても取り組み続けてもらえるかどうかは、みんなの抵抗感を最小限にできるかどうかにかかっている。Xでは、安心して失敗してもらうために全力を尽くしている。駄目だという証拠がそろったら、チームはさっさとプロジェクトを中止する。同僚からは拍手してもらえる。マネジャー、特に私からはハグとハイタッチだ。昇進もできる。プロジェクトを打ち切ったチームには、二人だけのチームであれ三〇人を超えるチームであれ、一人ひとりにボーナスが出る。
  • テラーが注目しているのは、失敗することが、わけても職場で、どれほど嫌なものであるかという点である。人は誰しも、周囲の目や解雇されることを心配に思う。そのため、もしリーダーが明確かつ積極的に、失敗を不安なくできるものにしないなら、人々は失敗を避けようとするだろう。

迅速な評価

  • 賢く失敗するためには心理的に安全な環境づくりが不可欠だが、同様に、失敗を活かすためには具体的なプロセスの確立が欠かせない。このミッション追求のためにテラーとXが使っているのが、規律ある実験というプロセスだ。科学者が仮説を覆す証拠を探すのと同じように、この会社はきわめて楽観的・理想主義的なアイデアがうまくいかない証拠を探す。そのようなアイデアをで できるだけ早く除いて、別のアイデアへ移るためである。プロジェクトは、社の内外を問わず多方面から提案される。そのなかの最も有望なアイデアのみに専念するために、Xには「迅速な評価」チーム――提案を調査分析し、アイデアを吟味し、達成できそうなものだけにゴーサインを出すチーム――がある。シニア・マネジャーと発明家から構成されており、まずはアイデアがうまくいかない理由をできるだけ多く探し、失敗を事前に予測する。「ラピッド・エバル(迅速な評価)」という名で知られるこのチームは、問題の大きさ、実行可能性、技術的リスクを詳しく検討する。漸進的に進められるこの段階では、ピクサーのブレイントラストを思わせる率直な話し合いによって、さまざまな点に疑問が投げかけられ、変更が加えられ、改良される。
  • 「ラピッド・エバル」の段階をクリアできるアイデアは、ごくわずかだ。あるアイデアが見込みありと判断されたら、荒削りな試作品が、理想的には数日でつくられる(X所有の「デザイン・キッチン」が入っている建物には、そういう試作品をつくるための道具と材料がそろっている)。完成した試作品に納得できたら、「ラピッド・エバル」は次の段階を担うグループ「ファウンドリー(鋳物場)」によってそのアイデアを突きつめる。ファウンドリーは次のように問うのだ。「この解決策を世に出すべきか。提案された解決策に投資対効果があるか。このアイデアを製品化できたとして、ニーズがあるか」
  • Xは、賢い失敗を別の場で褒め称えるという取り組みも行っている。「ファウンドリー」にゴーサインをもらえず、お蔵入りになってしまった試作品は、パロ・アルトのオフィスに展示されるまた、二〇一六年一一月以来、Xは年に一度パーティーをひらいて、中止になったプロジェクトについての「テスティモニアル(推奨意見)」を聞いている。(破綻した人間関係についての話や個人的な失敗談も歓迎されるが、)お蔵入りになった試作品が小さな祭壇に置かれ、その試作品の自分にとっての意味を人々が簡単に述べるのである。この儀式のおかげで、従業員は、全霊を傾けた試作品が日の目を見ずに終わって以来引きずっていた苦い思いをいくらか軽くすることができる。

失敗できないことが本当の失敗である

  • 以上のとおり、失敗はXにとって、してはならないことではない。いや実際、テラーが二〇一四年、BBCニュースに語ったように、「本当の失敗は、やってみてうまくいかないとわかったのに、なおも続けていくこと」なのだ。本当の失敗とは学ばないこと、あるいは面子がつぶれるほどのリスクを取らないことだという。テラーとXは、失敗を完全に受け容れているため、プロジェクトで成功したことについては全く話をしない。代わりに話すのは、「賢く失敗できない」ことについてである。賢い失敗は、技術だ。適切なときに適切な理由のために失敗できれば、役に立つ。第7章では、組織が失敗を活用・制度化しているほかの方法を検討しよう。

仕事をフレーミングする

失敗をリフレーミングする

  • 失敗(を報告すること)を恐れるのは、職場環境の心理的安全性が低いことを示す最大のサインである。そのため、失敗にリーダーがどのような意味を持たせるかが、きわめて重要になる。グーグルXについてのアストロ・テラーの発言を思い出してみよう。「スケールが大きくリスキーなこと、つまり大胆なアイデアに挑み、どんな大変な問題にぶつかっても取り組み続けてもらえるかどうかは……みんなの抵抗感を最小限にし、安心して失敗してもらえるようにできるかどうかにかかっている」。言い換えるなら、もしリーダーが明確かつ積極的に、人々が安心して失敗できるようにしなければ、必然的に人々は失敗を避けるようになるということである。では、テラーはどのようにして、失敗を「遠慮なくしてよいもの」としてリフレーミングしたのか。「自分は、失敗のプロではなく、学習のプロだ」ということを、みずから述べ、信念とし、みんなに納得させたのである。失敗からは、貴重なデータが手に入る。ただし学習するためには、失敗からの学びを注意深く精査できるだけの心理的安全性が不可欠であることを、リーダーは理解し、伝える必要がある。A・G・ラフリーは、P&GのCEOを務めているときに出版した『ゲームの変革者――イノベーションで収益を伸ばす』(日本経済新聞出版社)のなかで、最も金のかかった一一の失敗を素晴らしいと称え、それぞれについてなぜ価値があるのか、会社として一つひとつの失敗から何を学んだかを述べ
    た。

  • エド・キャットムルも、ピクサーのアニメーターたちに、映画はどれも最初は箸にも棒にもかからない代物であるとはっきり伝え、彼らが「不安と失敗を切り離せる」ようにしている。これぞ、リーダーとして「仕事をフレーミングする」発言だ。「素晴らしいもの」をめざすなかで「駄目なもの」に積極的に向き合って初めて、目を見はるような大成功が生まれる。そんな仕事をしているのだということを、みんなに確認しているのである。同様に、オープンテーブルのクリスタ・クォールズCEOも、従業員に次のように話している。「早く、頻繁に、とんでもない失敗を見せて。それでいいの。完璧である必要なんかない。駄目なものを見ることで、はるかに素早く軌道修正できるようになるから」。この言葉も、仕事をフレーミングしている。レストランのオンライン予約サービス事業における成功は、まるで手品のように最初からひょいと正解を出すことによってではなく軌道修正することによって生まれる。クォールズは早く、頻繁に、とんでもない失敗をすることを、のちの大成功を生む優れた決定をするための重要な情報としてフレーミングしているのである。
  • 失敗から学べるようになることは、とても重要になっている。そのため、スミス大学(をはじめとする全米のさまざまな大学)は、失敗や難題や挫折に学生がもっとうまく対応できるよう、新たな課程や取り組みを開始している。「失敗は、学習するうえでのバグ(誤り)ではなく、一つの特徴だ。それを、私たちは教えようとしている」。そう述べたのはレイチェル・シモンズだ。スミス大学ワーテル・センター・フォー・ワーク&ライフのリーダーシップ開発の専門家にして、学内の非公認「失敗王」である。「失敗は、学習経験から締め出すべきものではない。本学の多くの学生―スミス大学のような大学に入るためにほぼ何でも完璧にできなければならなかった学生たち―――は、失敗をあまり経験したことがない。そのため、失敗すると、深刻な影響を受けてしまいかねない」同大学では、インポスター・シンドローム(詐欺師症候群)に関するワークショップ、完璧主義についてのディスカッション、さらに学生の六四パーセントがBマイナス以下の成績であることを当の学生たちに思い出してもらうキャンペーンを含むプログラムを、彼らのレジリエンスを育てる取り組みの一環として実施している。
  • 失敗が果たす役割は、仕事によって異なることに注目しよう。仕事というスペクトルの一方の端には大量の反復作業を行う仕事、たとえば組立工場やファストフード店、さらには腎透析センターなどがある。患者を正しく透析装置につなげなかったり、自動車のエアバッグを正確に取り付けられなかったりしたら、大変な事態を招いてしまうかもしれない。そのため、このタイプの仕事では、ベスト・プラクティスからのズレにどんどん気づいて修正することがきわめて重要になる。つまり、ここでの「失敗を称賛する」とは、そういうズレを見つけたときに「よくぞ見つけた!」と褒め、ごく小さな間違いに気づく人を観察眼の鋭い人として評価する、の意味になる。
  • スペクトルのもう一端にあるのはイノベーションと研究、つまり、望ましい結果を得る方法がほとんどわからない仕事である。映画や、独創的な衣類や、海水を燃料に変える技術を生み出すことはすべて、この範疇に含まれる。これらの仕事においては、派手な失敗が求められ、称賛される必要がある。なぜなら、そういう失敗は成功への道の重要な部分だからである。スペクトルの真ん中に位置するのは、病院や金融機関のような複雑な業務だ(現代においては大半の仕事がこの領域に入る)。ここに含まれる仕事では、回避可能な失敗を避けるうえでも賢い失敗を褒め称えるうえでも、注意を怠らないこととチームワークがきわめて重要である。
  • 失敗のリフレーミングは、失敗のタイプによる基本的な分類を理解することから始まる。詳細は私の他書に委ねるが、失敗の典型は、回避可能な失敗(絶対に、よい知らせではない)、複雑な失敗(やはり、よい知らせではない)、そして賢い失敗(楽しくはないが、高い価値をもたらすので、よい知らせと考えられるべき失敗)である。回避可能な失敗は、望ましいプロセスから逸脱して悪い結果をもたらす。たとえば、誰かが工場で保護眼鏡をかけ忘れて目を損傷してしまった場合が、回避可能な失敗だ。複雑な失敗は、いくつかの要因がかつてない重なり方をしたときに起きる。二〇一二年、ハリケーン・サンディによってニューヨーク・ウォール街近くの地下鉄の駅が受けた深刻な浸水被害がまさにこれだ。注意を怠らずにいれば、複雑な失敗は、常にではないものの回避できる場合がある。ただ、回避可能な失敗も複雑な失敗も、称賛には値しない。
  • 一方、賢い失敗については、「賢い」のだから、称賛してより頻繁に失敗することを促す必要がある。もっとも、回避可能な失敗や複雑な失敗同様、賢い失敗もしたくてする人はいない。ただ、他の二つと違い、賢い失敗は熟慮して新たなことを始めた結果である。表7・2に、これらの違いを明確に表す定義およびコンテクストをまとめている。フレーミングで重要なのは、失敗は起きて然るべきものであることを人々に確実に理解してもらうことだ。失敗のなかには、正真正銘よい報告となるものもあれば、そうでないものもある。ただ、どのような失敗であれ、その失敗から学ぶことが、何より重要な目的である。

率直な発言の必要性を明確にする

  • 仕事をフレーミングすることは、失敗を当たり前のものにするだけでなく、別の側面(具体的にどのような側面かは仕事や環境ごとに異なる)へ注意を促すことでもある。わけても重要な側面は不確実性、相互依存、危機にさらされているものの三つであり、そのどれもが失敗にも大きな関わりがある(頻繁に失敗することへの期待、失敗の価値、失敗が及ぼす影響など)。不確実性に注意を向けると、次のよ
    うに人々に伝えることになる。好奇心を旺盛にし、アンテナを張りめぐらして、変化の兆し(新たな市場での顧客の好み、薬剤に対する患者の反応、新技術の出現など)に早く気づく必要がある、と。
  • 相互依存に注意を向ける場合は、自分の仕事と他者の仕事がどのように関係し合っているかを理解する責任が自分にあることを、皆に知ってもらうことになる。相互依存にスポットを当てることによって会話が頻繁になり、人々は自分の仕事が他者に与える影響を理解し、次いで他者の仕事が自分に及ぼす影響を知る。言い換えるなら、仕事をフレーミングするとき、リーダーは、アイデアや懸念を共有する必要性と同様、対人関係のリスクを取る必要性を強く伝えている。
  • 三つめの、危機にさらされているものに注意を向けることは、危機の大小にかかわらず重要である。(病院や鉱山やNASAでそうであるように)人命が懸かっていることを思い出すと、広い視野に立って対人関係のリスクを考えやすくなる。率直な発言の重要性をリーダーがフレーミングすれば、人々がそのように発言する可能性が高くなり、結果として、発言と沈黙の非対称性が克服される。