漫画202003

無声いいですね、新しい発見でした。デコピンはやりすぎ。4点

アニメも面白いと思うんですけど、あんまり評判がよくないですね。本編もマンネリにならないように工夫がされていて、悪くないと思うんですが・・・。いよいよ風呂敷を畳み始めたのでしょうか。30巻くらいを目標に頑張って欲しいです。こういうジャンルはやりっぱなしになりがちなので、しっかりと終わらせることがまず大事です。3点

オリジナリティがないと結局ギルドでダンジョン探索話になっちゃうのね。虚無。2点

トニカクカワイイ、アニメ化おめでとう!

websunday.net

いよいよ前半の前半の最大の山場ですね。かなりサクサク進めてると思うんですけど、フルに完結させるにはどのくらいかかるんでしょうね。ざっくり80巻くらい?個人的に藤崎版で気になるのって、マリーンドルフの存在感が(現段階では)やや薄いことです。「ついに自由な裁量で戦えることになるヤン提督」って、色々と示唆的ですよね。

話が進まない。テンポが悪くなってきた。

まじで終わる気配がない。そして救いもない。どうやって終わらせるのか検討もつかない。

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ファインマン流 物理がわかるコツ 増補版

  • 第二の原則は、理解できるはずのものと、それまでに教えたことからは理解できないはずのものとの区別をはっきりさせなければならないということ。というのは、いろんな本でよく見かけるのは、たとえば交流回路の周波数に関連した公式を突然、ポンと出す。この公式の話はもっと進んだ内容のもののはずだ。かれらはそれを今のレベルの話の中で導出することはできない。にもかかわらず、”君らが今まで習ってきた知識のレベルではこの公式を論理的に理解できないだろうから、ここでは天から与えられたものだと思うように”とは言わない。
  • 言い換えれば、何が天下りのもので、何がそうでないのか、そのことを断りつつ、それについてはここでは掘り下げないと、はっきり言うべきだ。僕はいつもこう言う。”これは、こんなことから導きだすことができるのだけど、ここではそこからやって見せることはしなかったよ”と。あるいは、”これはまったく別のことから出てくる話で、ここで君たちが導きだすことはできないんだ。だから心配しなくていいよ”とね。
  • 僕には考えがあった。僕には一種の信条のようなもの、すなわちいくつかの原則があったのだ。まず、後になってあれは間違っていたからと言って、教え直すようなことは、最初からこれは間違いだけどと断っておく。その場合以外は教えない。たとえば、ニュートンの法則は近似でしかなくて量子力学的には間違っているし、相対性理論にも合わないとなれば、僕はそれを最初に言うことから始める。そして、学生たちが一連の話のどこの部分を講義として聞いているのかがわかるようにする。言い換えれば一種の地図のようなものがなければならない。実際のところ僕は、物事の相関関係を表わしたある種の巨大な地図のようなものを作って、僕らが今どの位置にいるのかがわかるようにすることまで考えたことがある。
  • 物理を学習するコースにおけるトラブルの1つは、教えるほうがよく言うセリフにある、ともかくこれをよく勉強しなさい、それからあれもよく勉強しなさい、そういった勉強が全部終了したら、全体のつながりが見えてくるよ、というセリフだ。
  • しかし“何がなんだか訳がわからなくなっている者のために案内してくれる"地図はない。だから、僕は地図を作ってみようと思った。でも、それは不可能な計画だった。結局、そんな地図は作れなかったんだ。
  • もう1つ、僕はね、自分の講義は、講義の中に優秀な学生にはよく噛んで味わいたくなるような内容があり、一方、一般的な学生にはすぐわからなくても、できれば理解してほしい内容を含んだもの、そういうものにしたかった、そういうのをなんとか考え出そうとしたんだ。

漫画202002

本編終わったら、それぞれのキャラの過去を丹念に掘り下げてほしい。5点

飽きた。1点

ずっと可愛いな。4点

直線的なプロット、3点

ゲストキャラクターで多様性を確保、特有のエグさを維持していていいですね、4点

なかなか核心に迫らないけど、読者は核心に興味がない気がする、3点

ラインハルトは現場でもっとも実力を発揮するタイプなので、偉くなりすぎると逆に存在感が薄れますね。4点

相変わらず、絵が美しいです。3点

複線も丁寧に描いてますが、クライマックス待ちの読者はやきもき、3点

バトル長いよ、3点

面白くない、1点

定期告知

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漫画202001

ドラマは大成功、本編はしっかりと歳を重ね、哀愁を感じるストーリー展開。もしかして死ぬまでやるつもりなのか・・・。4点

スピンオフ作品というか、原作ネタをふんだんに使った公式悪ふざけ。三大スピンオフ(金田一利根川・ハンチョウ)の中で一番ふざけてる。3点

深夜ラジオのようにだらだらと続く作品。3点

前も書いたけど、短編が面白いのは分かったので、そろそろ中編シリーズが見てみたいです。3点

高木さんとともに可愛い成分を補給できる数少ない貴重な作品。4点

ぼちぼち新しい仲間かな。4点

面白いのかこれ?2点

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資本主義と闘った男

  • 稲田は大阪大学を定年退官してまもないころに雑誌で宇沢と対談した際、出会いの情景を懐かしそうに語っている。ふたりが出会ったのは敗戦から数ヵ月と経たないころで、宇沢は一高に入学したばかりの17歳、稲田は20歳の東大生だった。
  • 〈一高のラグビー部の部屋へ遊びに行ったら、不発の焼夷弾を拾ってきて、その中身を出して部屋のなかで暖房に焚いているんだよ。木の床が真っ黒焦げに焦げて いるんだ。そこで君とはじめて会ったんだ。可愛かったよ、クリクリした目してね(笑)。
  • その時に、「稲田さん、数学科ってどんなところですか」てなことを聞くわけ。そのときどんな答えをしたか覚えていないけどね。そのころ、ぼくは数学にはもう愛想づかしをしていたんだけど、君はそのあと数学科へ入ってきた。
  • ただ、ちがうのは、ぼくはビリッケツに近かったけど、君は非常に成績がよくてね……特別研究生というのだったんですよね。これは一番、二番のやつがなるんで〉(『エコノミスト』1988年1月7日号)

 

  • マルクス主義経済学の勉強会で出会ったマルクス主義者たちは、経済学の理論と数学のロジックはまったく相容れないものとみなしていた。宇沢も彼らにしたがって数学的思考は封印したまま、マルクス経済学を学んでいた。ところが小宮がとりあげた論文は体裁もまるで数学の論文で、おまけに小宮の解説には数学者だった宇沢でさえ知らない定理まで登場した。はじめて出席した近代経済学の研究会で、いきなり経済学に対する考えを根本から揺さぶられたのである。
  • 寒さの厳しい夜だったが気分が高揚したままの宇沢は、いっしょに帰路についた稲田におもわず声をかけた。
  • 「東大の経済学部にはできる人がいますね」
  • するとイナケンはいつ の上州なまりで素っ気なく応じた。
  • 「おめえ、あれひとりだよ」

 

  • じつをいうと、ラーナーは、サミュエルソンの功績として知られていた「要素価格均等化の法則」に関する論文とほぼ同じ内容の論文をサミュエルソンより1年以上も前に著していた。宇沢はその事実を知っていたので、1961年にサミュエルソンアメリカ経済学会で会長講演をした際、みずからの業績として「要素価格均等の法則」に触れたことが気にかかり、会長講演を聞き終えたあと、ラーナーと食事をしたおり直接たずねたという。対談で稲田につぎのように語っている。
  • 《ぼくはそういう経緯を知っていたので、食事の時にラーナーに、「あなたは一九三二年にすでにサミュエルソンが一生でいちばん偉大な仕事だと思うことをやっていて、なぜ論文にしなかったか」と聞いたら、ラーナーは笑って「あれは経済学じゃない。ああいうトリビュアリビュアルな(瑣末な)ことを自分は論文にしたくなかった」という。そこがサミュエルソンとラーナーの違いです。ラーナーがゴミみたいだと思っているものを、サミュエルソンは自分の一生でいちばん大きな仕事と思っている。
  • それは論文を読むとわかりますが、サミュエルソンの論文はゴタゴタ計算していてほんとうにむずかしいんですよ。ところが、ラーナーは幾何学的にグラフをうまく使って、みごとにその命題を証明して、しかも前提条件の限界を非常にはっきり出している》

 

  • それで、サミュエルソンのことですが、彼は経済学の新しい考え方とか深い洞察とかを与えるような仕事をしてきた人ではないように思うのですが、非常に頭脳明晰で、器用にいろいろなどとをやるけど、なんか新しい見方とか、あるいは分析的な視点とかを、ほとんど出していないという感じを持ちます》(「エコノミスト』1988年1月7日号)
  • なぜこれほどサミュエルソンに厳しい のだろうか。理由のひとつは世代の違いにあるだろう。サミュエルソンは宇沢より3歳上、アローより6歳上である(アローの妹とサミュエルソンの弟が結婚したので、アローとサミュエルソンは親戚同士でもあった。アローの妹とサミュエルソンの弟のあいだに生まれたのが、クリントン政権で財務長官をつとめた経済学者のローレンス・サマーズである)。

 

  • クープマンスは、全米経済研究所(NBER)のアーサー・バーンズとウェスリー・ミッチェルの共著『景気循環の測定』を手厳しく批判した。バーンズやミッチェルには景気循環を分析するための理論がなく、そのためにどのような仮説を検証するのかが明確でない。統計データから経済の法則性や傾向を帰納的に読み取ろうとするバーンズらの手法を、クープマンスは「理論なき計測」と断じ、斬り捨てたのである。
  • クープマンスの念頭には、コウルズ委員会が手がけていた連立方程式体系を用いた分析モデルによる推計という新たな手法があった。「経済分析はまず経済理論ありき」と主張することで計量経済学の拠点となったコウルズ委員会の立場を前面に打ち出すとともに、方法論が異なるバーンズらを批判したわけである。ミッチェルは統計データを用いた景気分析で知られる経済学者で、NBER の創始者だった。ミッチェルの薫陶を受けたバーンズは、のちに連邦準備制度理事会(FRB)の議長(在任1970年—1978年)をつとめた。
  • ミッチェルとバーンズを批判したクープマンスに対して、激しい怒りを抱いたのがフリードマンだった。クープマンスの「理論なき計測」について、フリードマンが回顧している。
  • クープマンスはまったく馬鹿げていました。彼との論争では、もちろん、私はバーンズ、ミッチェルに完全に賛同していた。「理論なき計測」は、私からすると、気取っては い るけれども未熟な論文であり、有効な批判でも現実的な内容を伴うものでもありませんでした

 

  • 興味深いことに、フリードマンシカゴ大学で最初に本格的に取り組んだ研究は経済学の方法をめぐる問題だった。その成果は『実証的経済学の方法と展開』(富士書房・原著『Essays inPositive Economics』は1953年刊)に結実する。
  • フリードマンが展開した独自の方法論はきわめて特異である。経済理論にとってもっとも重要なのは「予測の正確性」であり、理論を構築する際の前提や仮定が「現実」に即したものになっているかどうかは理論を評価するうえでなんら考慮する必要はないというのである。まったく非現実的な前提を置いた経済理論であっても、予測能力さえ高ければ、その理論は受け入れられるということである。

yamanatan.hatenablog.com

 

  • ペンローズ効果」を定式化した投資理論を、理論経済学者としての宇沢の最高傑作と評価する経済学者は少なくない。宇沢の教えを受けた理論経済学者の大瀧雅之が解説してくれた。
  • 宇沢弘文が理論家として高く評価された理由のひとつは、モデリング(モデル分析)のテクニックにあるとおもいます。経済学の理論では、個人は効用(満足度)を、企業は利潤を最大化するように行動すると仮定する。個人や企業の行動から、個人の消費行動をあらわす消費関数、企業の投資行動をあらわす投資関数を導き出します。個人や企業といった経済主体の行動に関する計算は、『主体的均衡』の記述と呼ばれています。
  • 理論経済学では、主体的均衡からさまざまな需要関数、供給関数を導き出します。そして、需要曲線と供給曲線の交点が、市場均衡です。経済学の理論的な課題は、主体均衡と市場均衡が矛盾することがないように理論を構築していくことです。いいかえると、個人の選択と、市場での需要と供給の均衡が、矛盾することがないように理論を組み立てないといけない。
  • じつは、経済学者のなかで誰よりも早くそのフォーマットをつくったのが宇沢弘文なのです。少なくとも、非常に明確な形でわかりやすく示したのは、宇沢先生が世界ではじめてだったとおもいます。ペンローズ効果の研究のなかで成し遂げています」
  • 大瀧の解説を要約すれば、マクロ経済の理論は、ミクロ経済の理論と整合性をもつように構築しなければならないということになる。ケインズの『一般理論』は、マクロの集計量の関係を分析した理論であり、はじめての本格的なマクロ経済理論だった。しかしながら、それ以前に新古典派経済学が蓄積してきたミクロ経済学とどのような関係にあるのかがはっきりしなかった。要するに、マクロ経済理論にミクロ経済理論の基礎づけがなされていなかったのである。
  • 宇沢はペンローズ効果を考慮した投資理論で、理論的に投資関数を導き出すことに成功した。世界のなかで誰よりも早く、「ミクロ的な基礎をもつマクロ理論」の構築に向けて一歩を踏み出したのが宇沢だったのである。
  • ジョージ・アカロフにインタビューした際、宇沢の偉大な業績として称賛したのがやはり投資理論だった。「経済学の大きな課題、アルフレッド・マーシャル以来の難問にはじめて解答を与えたのがヒロだったんですよ」と興奮気味に話していたのが印象的だった。

 

  • 吉川が大学院生だった1977年、ルーカスの合理的期待形成学説はすでにアメリカの主要大学に浸透していた。イエール大学にはアメリカ・ケインジアンの大物トービンが いたため、かろうじてケインズの経済学が生き残っているという状態だった。
  • イエール大学でルーカスがセミナーを開催した際、ある助教授が「非自発的失業」についてたずねると、ルーカスはこう言い放ったという。
  • 「イエールでは未だに非自発的失業などとわけのわからぬ言葉を使う人が、教授の中にすら居るのか。シカゴではそんな馬鹿な言葉を使う者は学部の学生の中にも居ない」
  • 最悪時には5%もの失業率を記録した1930年代の大不況に話がおよんでもルーカスは、人びとは職探しに「投資」していたのであって、当時も「非自発的失業者」はまったく存在しなかったと持論を展開した。聞いていたトービンは少し興奮した口調でルーカスに反論した。「なるほどあなたは非常に鋭い理論家だが、一つだけ私にかなわないことがある。若いあなたは大不況を見ていない。しかし私は大不況をこの目で見たことがある。大不況の悲惨さはあなた方の理論では説明できない」

 

  • 「たとえば、大学院生が宇沢先生に共鳴して刺激を受けたとしても、いつまでたっても社会的共通資本では論文が書けないから、 いつまでも大学院を修了できない ということになってしまう。社会的共通資本で論文を書くのはむずかしすぎて、とてもじゃないとできないんですよ。だから、その若い研究者のまわりにいる先生が『(社会的共通資本からは)ちょっと離れろ』ということになる。そうしな い と食っていけないから。そういわざるを得ないんですよ」
  • 要するに、「若い経済学者」を集めることができなかったということである。申しわけなさそうな顔で篠原が解説をつづけた。
  • 「一度はセミナーにつれていくんですけど、やっぱりダメなんですよね。ひとつには、宇沢先生の考えていることとレベルがちがいすぎる。はっきりいうと、若い研究者は、誰かが著した論文のなかの条件を少し変えたりして、自分の論文を書く。宇沢先生はそんなこと関係なしに、ワーッときますからね。それと、若い研究者からすると、宇沢先生がいっているとおりにやっていて自分の論文が書けるのだろうかと不安におもっちゃうんじゃないでしょうかね。だから、かなり余裕のある若い人でないと……」

FACTFULNESS

  • 次に、「どんな証拠を見せられたら、わたしの考えが変わるだろう?」と自分に聞いてみよう。「どんな証拠を見せられても、ワクチンに対する考え方は変わらない」と思うだろうか? もしそうだとしたら、それは批判的思考とは言えない。証拠を無視したら、批判的思考は成り立たないからだ。ワクチンを疑う際に役立った批判的思考が、いつの間にか役立たずになっていないだろうか?
  • それでも考えを変えないと言うのであれば、わたしにいい案がある。せっかくなので、科学をとことん信じないでほしい。たとえば、もしあなたが手術をすることになったら、担当する外科医に「手は洗わないでください」と伝えよう。
  • 誰の命も奪わなかった放射線から避難したせいで、1000人以上の高齢者が亡くなった。同じように、DDTは有害だが、DDTが直接誰かの命を奪ったことはなかった。少なくとも、そういったデータをわたしは見つけていない。
  • DDTによる悪影響の調査は、1940年代には実施されなかったが、最近になって行われるようになった。2002年には、アメリカ疾病予防管理センターが「DDT・DDE・DDDの毒性学的な分析」という、全497ページの調書を公開した。 2006年にはついに、世界保健機関DDTに関するすべての調査を検証し終えた。アメリカ疾病予防管理センター世界保健機関は、DDTを「人体にとって、やや有害」だと位置付けた。そして多くの場面で、DDTのメリットはデメリットを上回ると指摘した。
  • DDTの取り扱いには十分注意すべきだが、場合によっては役立つこともある。たとえば、難民キャンプで蚊が大量発生したときは、DDTを使うのが最もコストがかからず手っ取り早い。しかし、アメリカ人やヨーロッパ人、恐怖本能を糧にする政治団体にとっては、そんなことはどうでもいいようだ。彼らは、アメリカ疾病予防管理センター世界保健機関による膨大な調査報告や、それに基づく短い勧告すら読もうとしない。だから、DDTの限定的な使用についての議論が進まない。そんな世論のせいで、DDTは確実に命を救えるという証拠があるのに、支援団体は使えなくなってしまう。
  • 規制が厳しくなる理由の多くは、死亡率ではなく恐怖によるものだ。福島の原発事故やDDTについて言えば、目に見えない物質への恐怖が暴走し、物質そのものよりも規制のほうが多くの被害を及ぼしている。たしかに、環境破壊は世界中で起きている。だが、「巨大地震」のほうが「下痢」よりもニュースになりやすいことを思い出してほしい。それと同じように、「目に見えないほど小さいが、恐ろしい化学物質汚染」のほうが「あまり恐ろしくは聞こえないが、環境に大きな悪影響を及ぼしていること」よりもニュースになりやすい。たとえば海底の破壊や、魚の乱獲などのほうが、よっぽど急を要する問題だ。
  • 化学物質恐怖症が流行りだすと、たとえば半年ごとに、「よく見かける食べ物に、合成化学物質が混入している」という「新事実」が見つかったりする。しかしあまりにも微量なので、その食べ物を貨物船一隻分、3年間毎日食べ続けない限り、命を落とすことはない。にもかかわらず、このような化学物質の話は、エリ
    ートたちの酒の肴にされるようだ。その食べ物のせいで亡くなった人はいないのに、赤ワイン片手に「怖いねえ」と語ったりする。「化学」は得体の知れないものだから、目に見えない化学物質を怖いと感じてしまうのかもしれない。

その道のプロー専門家と活動家

  • わたしは「その道のプロ」を心から尊敬している。専門家の知識に頼らなければ世界を理解できないし、みんなが専門家に話を聞くべきだと思っている。たとえば、人口調査のプロは例外なく、世界人口が100億人から120億人のあいだで天井を打つと言っている。わたしはそのデータを信頼している。歴史家と先史人口学者と考古学者が口を揃えて、1800年まで女性ひとりあたりの子供の数は平均5人以上で、そのうち2人しか生き延びられなかったと言えば、そのデータも信じる。経済成長の要因について、経済学者の中でも意見が食い違っていたら、ここは注意したほうがいいとわかる。 役に立つデータが十分に揃っていないか、単純な説明がつかないのだろうと考えられるからだ。
  • とはいえ、その道のプロにも限界はある。まずあたりまえだが、その道のプロは自分の専門分野以外のことについてはプロではない。本物のプロでも自称プロでも、なかなかそう自覚できないものだ。誰でも自分を物知りだと思いたいし、人から頼りにされたい。何かに飛びぬけて優れていれば、「だいたいのことは普通の人よりできるだろう」と考えてしまう。その気持ちはわかる。
  • ものすごく数字に強い人たち(科学好きの集まる「アメージング・ミーティング」に参加した超頭のいい人たち)でも、わたしのクイズには普通の人並みに間違っていた。
  • 教育レベルの高い(世界有数の科学専門誌「ネイチャー」を講読しているような)人でも、普通の人並みか、普通の人より間違いが多い。
  • ひとつの分野を深く極めた専門家たちもまた、みんなと同じようにクイズに間違っている。リンダウ・ノーベル賞受賞者会議というノーベル賞受賞者と研究者との交流の場が、ドイツのリンダウ島で毎年開かれている。わたしは2014年にこの会議に招かれて、大勢の若手研究者やノーベル物理学賞と医学賞受賞者を前に講演することになった。参加者はそれぞれの分野で名の知れた学者ばかりだったが、子供の予防接種についてのクイズは、それまでで最悪の正解率だった。正解したのはわずか8%。この結果を見てからは、頭のいい専門家でも自分の研究領域から一歩外に出ると何も知らないのだと心するようになった。
  • 頭がいいからと言って、世界の事実を知っているわけではない。数字に強くても、教育レベルが高くても、たとえノーベル賞受賞者でも、例外ではない。その道のプロは、その道のことしか知らない。
  • それに、「プロ」とは言っても、自分の専門領域のことさえ知らない人もいる。活動家の多くはその道のプロを自称する。わたしはこれまでにありとあらゆる活動家の会合で講演してきた。世界をよくするには、正しい知識を備えた活動家の存在が欠かせないと思っているからだ。たとえば、わたしは女性の権利を熱烈
    に支援している。このあいだ、女性の権利についての会議に招かれて講演した。ストックホルムで行われたこの会議には、292人の勇敢な若いフェミニストが世界中から集まった。みな、女性がもっといい教育を受けられるようにと考える人たちばかりだ。それなのに、世界の30歳女性が受けている学校教育の期間は、同じ歳の男性より1年短いだけだと知っていたのは、わずか8%だった。
  • 女子の教育がいまのままでいいなどと言うつもりはまったくない。レベル1の国、特にいくつかの国では、小学校に通えない女の子は多いし、中等教育と高等教育になると女子には手が届かない。とはいえ、60億人が生活するレベル2と3と4の国では、女子の就学率は男子並みか、男子より高い。すごいじゃないか!女性の教育を支援する活動家ならこのことを知っておくべきだし、盛大に喜んでいいはずだ。
  • そんな例はほかにもたくさんある。女性の権利を支援する活動家だけの話じゃない。わたしがこれまでに出会った活動家はほとんどみんな、自分が力を注いできた社会問題を、実際より大げさに語っていた。わざとやっている人もいるかもしれないが、おそらくほとんどは自分でも気づかずに大げさに語っているのだろう。
ビジネスマン
  • わたしはいつも事実を見るように心がけてはいるけれど、それでも先入観に負けてしまうことがある。ある日ユニセフから依頼を受けて、アンゴラに送るマラリアの薬の入札者について調べることになった。わたしはこの製薬会社をあたまから疑ってかかっていた。価格は妙だったし、詐欺に違いないと意気込んだ。悪徳企業がユニセフから甘い汁を吸うつもりだな。よし、いっちょ化けの皮を剥いでやるか。
  • いま思えば、なぜそんな先入観を持ってしまったのか不思議だ。子供の頃にドナルドダックのマンガばかり読んでいたから、強欲なおじさんのスクルージ・マックダックのことが刷り込まれてしまったのかもしれない。さっき話した学生たちと同じで、わたしも昔は製薬会社について深く考えていなかったのかもしれない。
  • 話を戻すと、ユニセフは製薬会社と10年契約を結んで薬品を買い入れる。どの製薬会社にするかは競争入札で決めている。長期にわたって大量に買い入れてもらえば製薬会社にとってはありがたいので、入札価格はかなり割安になる。とはいえ今回は、スイスのルガーノにあるリボファームという小さな家族経営の会社が、ありえないほど安い価格で入札していた。1錠あたりの値段が、原料価格よりも安かったのだ。わたしは現地に飛んで、内実を調べることになった。まずチューリッヒに行き、そこから小型機でルガーノの小さな空港に降り立った。安物の服を着た出迎えの人が待っているだろうくらいに思っていたら、リムジンに乗せられて敷居の高そうな超豪華ホテルに連れて行かれた。つい、妻に電話して、「シーツが絹だそ、と言ってしまったほどだ。
  • 翌朝迎えが来て、わたしは工場に向かった。工場長と握手を交わしたあと、すぐに本題に入った。「ブダペストから原料を買って錠剤をつくり、それを包装して箱に入れてコンテナ船に積んで、ジェノバに送り届けるんですよね。どうしたら原料価格より安い値段で、そんなことができるんですか? ハンガリー人から何か特別な割引でももらってるんですか?」
  • 「原料の仕入れ価格はみなさんと同じですよ」と工場長。
  • 「でも、リムジンで迎えてくれたじゃないですか? どこからそんなカネが出るんですか?」工場長はにっこりした。
  • 「あぁ、こういうことなんです。わたしたちは数年前に、ロボット化によって製薬業界が変わると気づきました。そこで、世界最速の錠剤製造機を自分たちで開発して、ここに小さな工場を建てたんです。製造以外のプロセスも隅々まで自動化しています。大企業の工場も、うちと比べたら手工芸店みたいなものですよ。
    まず、ブダペストに原料を注文します。月曜に電車で原料が届きます。水曜の午後にはアンゴラ行きの1年分のマラリアの薬が箱づめされ発送できるようになっています。木曜の朝には薬がジェノバに到着します。ユニセフが薬をチェックして受領書にサインしたら、その日のうちに代金がわたしたちのチューリッヒの口
    座に振り込まれます」
  • 「でも、おかしいじゃありませんか。売り値のほうが原価より安いんでしょう?」
  • 「おっしゃるとおり。でも、原料の仕入先への支払いは3日後で、ユニセフは4日後に代金を支払ってくれます。だからおカネが口座に眠っている8日間は金利が稼げるんです」
  • そうだったのか。言葉が見つからなかった。そんなやり方があるなんて思いもしなかった。わたしの頭の中はすっかり、ユニセフは正義の味方で、製薬会社は悪どいことを考えている敵役ってことになっていた。小さな企業にそんな革新的な力があるなんて、まったく想像がつかなかった。安上がりなやり方を実現できる、すごい力を持った企業だったのだ。彼らもまた正義の味方だった。
ジャーナリスト
  • 知識人や政治家はもっともらしくメディアを責めるし、真実を報道してないと訴える。わたしも前の章ではメディアを批判しているように聞こえたかもしれない。でも、ジャーナリストを責めるより、 こう問いかけてみるべきだろう。メディアはなぜ、世界を歪んだ見方で報道するのか、と。ジャーナリストは本当に歪んだ見方を押し付けたいのだろうか? それとも、ほかに理由があるのだろうか?(断っておくが、意図的に流されるフェイクニュースについてここで話すつもりはない。それはまったく別の話で、ジャーナリズムとはなんの関係もない。それに、わたしたちが世界を歪んだ目で見てしまうのは、フェイクニュースのせいだけじゃない。間違った世界の見方はいまに始まったことではなく、ずっと前からそうだった)。
  • 2013年に、例のチンパンジークイズの結果をネット上で発表した。すると、その話題がすぐにBBCとCNNでトップニュースになった。どちらの局も例のクイズを自社のウェブサイトに上げて、視聴者が自分でテストを受けられるようにした。そこには何千というコメントが寄せられて、どうしてランダムな回答よりも正解率が低いのかについて視聴者がいろんな理由を披露してくれていた。
  • その中で、気になったコメントがあった。「メディアの人間はぜったいに誰も正解できないと思う」
  • こりゃ面白いと思って、実際にメディアの人に試してみようと思ったが、調査会社はジャーナリストたちにクイズを受けさせるのは無理だと言った。雇い主であるメディア企業が許してくれないらしい。もちろん、それは仕方がなかった。権威を脅かされたらいやだろうし、大手メディア企業のジャーナリストがチンパンジー以下だと知られたらみっともないのだろう。
  • でも、無理と言われるとますますやりたくなるのがわたしの性分だ。その年、わたしはメディアが主催する2つの会合で講演する予定が入っていたので、そこにクイズを持って行った。持ち時間が20分しかなかったので、全部は質問できなかったが、いくつかはできた。・・・有名なドキュメンタリー映画の制作者が集まる会合での結果もここに入れてある。このときは、BBCPBSナショナルジオグラフィックディスカバリーチャンネルなどのプロデューサーが集まっていた。
  • 講演を聞いていたジャーナリストと映画制作者は、一般の人たちよりも世界を知っていて、チンパンジーよりも知らないようだ。
  • ほかの分野のジャーナリストたちがもっと正解できるとは思えないし、別の質問をしても正解率は低いままだろう。だからといって、ジャーナリストが悪いというわけではない。先ほどのクイズの結果はほとんどのジャーナリストやドキュメンタリー映画制作者に当てはまるはずだ。ということは、彼らは知識不足なだけで、悪気があるわけではない。嘘をついているわけでもない。わざとわたしたちを間違った方向に導こうとして、分断された世界をドラマチックに報道しているのではない。「自然の逆襲」なんてタイトルをつけるのも、意味ありげなピアノのメロディに重々しいナレーションをかぶせるのも、悪企みがあってやっているわけではないのだ。ジャーナリストに悪意はないし、彼らを責めても意味がない。世界のことを教えてくれるジャーナリストや映画制作者たちもまた、世界を誤解している。メディアを悪者にしても仕方がない。彼らもわたしたちと同じで、とんでもない勘違いをしているのだから。
  • 西洋のメディアは自由で、プロらしく、真実を追求しているかもしれないが、権力から独立しているからといって世界を正しくとらえているとは限らない。一つひとつの報道は正しくても、ジャーナリストがどの話題を選ぶかによって、全体像が違って見えることもある。メディアは中立的ではないし、中立的でありえない。わたしたちも中立性を期待すべきではない。
  • ジャーナリストのクイズの結果は悲惨なものだった。悲惨さの度合いでいくと、飛行機事故といい勝負だ。でも、睡眠不足のパイロットを責めても意味がないのと同じで、ジャーナリストを責めてもどうにもならない。むしろ、ジャーナリストの世界の見方がどうして歪んでいるのかを理解しよう(正解 : 人間には誰しもドラマチックな本能があるから)。そして、歪んだニュースやドラマチックな報道をしてしまう背景にはどんな組織的な要因があるのかを知るよう努力すべきだろう(部分的な答え : 視聴者の目を引きつけられなければクビになってしまうから)。
  • それが理解できたら、メディアにああしろこうしろと要求するのは現実的でも適切でもないとわかるだろう。メディアは現実を映し出す鏡にはなれない。事実に基づいた世界の見方をメディアに教えてもらおうなどと考えるのは、友達の撮った写真をGPSの代わりにして外国を観光するようなものだ。

宇宙は何でできているのか

太陽光を分析すると太陽の組成がわかる
  • そんなわけですから、人間であれ探査機であれ、宇宙に「行く」のは大変なことです。しかし「見る」だけなら、もっと簡単にできます。こちらから行かなくても、向こうから地球まで届く「光」さえあれば、望遠鏡の性能をどんどん高めることで、どんなに遠くの星でも観察できるのです。
  • もちろん、「見る」だけでは、宇宙空間に存在する物質に触れることはできませ
    ん。実物が手に入らないのでは、それが「何でできているか」を知ることはでき
    ないと思う人もいるでしょう。
  • しかし実は、現物のサンプルが手に入らなくても、見ることさえできれば、それさえできれば、その物質が何かを調べることができます。たとえば太陽に行ったことのある人はいませんし、探査機も近づいていませんが、私たちは、それが地球と同じ「原子」のかたまりだと知ることができました。
  • 太陽だけではありません。何万光年も離れた遠くの星も、すべて原子でできていることがわかっています。だから学校でも、「万物は原子でできている」と教えることができるのです。これは、20世紀の天文学におけるもっとも偉大な発見だと言えるでしょう。では、なぜ「見る」だけでそれが原子だとわかるのでしょうか。
  • それを教えてくれるのが、地球に届く「光」です。みなさんは小学校の理科の授業で、太陽の光をプリズムに通して「虹」をつくったことがありますよね? そこには、赤から紫まですべての色が含まれています。でも、実はそれだけではありません。もっと精密な機械で分光すると、ところどころに黒い線が入っているのです。
  • 黒いとは、その色の部分だけ「光がない」ということ。正確に言うと、あるものに光が「吸収」されてしまうため、地球まで届きません。
  • その光を吸収しているのが「原子」です。原子の種類によって吸収する波長が異なるので、ある色の波長が黒くなっていれば、その原子が「ある」とわかる。そして、太陽から来た光のどの波長が吸収されているかを分析したところ、間違いなく地球上と同じ種類の原子が存在することがわかりました。まさに光を「見る」だけで、太陽という星が何でできているかが判明したわけです。
  • 光さえあればいいのですから、遠くの星についても同じように調べられることはおわかりでしょう。黒い線の濃さを分析すれば、その星にある原子の量もわかります。ある原子が多いほど、その原子に対応する波長の光をたくさん吸収するので、その部分の線が濃くなるのです。

 

  • 原子の中の電子の波長はおよそ1億分の1センチメートルですから、原子の大きさとほぼ同じです。 FMラジオの電波が建物に「気づく」のと同じように、電子の波が原子の存在に気づくには、波長をもっと短くしなければなりません。
  • 波長は振動数に反比例するので、振動数を上げるほど短くなります。では、波の振動数を上げるにはどうすればいいでしょうか。
  • 答えは「エネルギーを高める」です。電子の運動エネルギーを高めれば高めるほど振動数が上がり、その波長は短くなる。電子を加速することでエネルギーを高め、観察する対象にぶつけるのが、電子顕微鏡の仕組みなのです。
  • たとえばアメリカのバークレー国立研究所にある電子顕微鏡が電子にかける電圧は、30万ボルト。『ポケットモンスター』のピカチュウ君が備えている攻撃力の3倍ですから、相当なエネルギーですね。
  • これほどエネルギーを加えて加速すると、電子の波長は原子の20分の1程度まで短くなります。そのため、原子を回り込んで向こうに抜けることはありません。
  • 原子にぶつかった電子はあちこちに弾き飛ばされますが、その方向や距離は衝突した相手の形で決まります。ですから、電子の弾き飛ばされ方を調べれば、観察対象の形がわかる(=見える)わけです。 

 

  • 電子が3つの世代を繰り返すなら、クォークにも3世代がありそうです。ほとんどの人はノーベル賞をもらうまで知らなかったと思いますが、1970年代後半の物理学界は、小林・益川理論が証明されるかどうかで、かなり盛り上がっていたんですね。
  • 3世代目のクォークが初めて見つかったのは、1977年のことでした。性質はダウンクォークと同じで、ストレンジクォークよりも質量の重い「ボトムクォーク」です。ここまで来れば、あとは時間の問題。加速器のエネルギーを高めていけば、いずれアップクォーク、チャームクォークに対応する 3世代目が見つかるはずです。
  • でも、それには予想以上に時間がかかりました。 1970年代には次々と新粒子が出てきたのに、1980年代に入ると見つかりません。日本でも、高エネルギー物理学研究所が大型加速器を使った「トリスタン計画」を進めましたが、新クォークは発見できませんでした。小林・益川のお2人も、さぞやヤキモキされたのではないでしょうか。
  • しかし、ボトムクォーク発見から7年後の1995年、アメリカのフェルミ国立加速器研究所が、ついに「トップ クォーク」の存在を確認しました。ちなみにその質量は、アップクォークのおよそ5万倍。金の原子に匹敵する重さです。同じ世代のボトムクォークと比較しても2倍近い質量があるので、発見まで時間がかかりました。加速器の高エネルギー化によって、小林・益川理論の予言どおり、素粒子は3つの世代を繰り返すことがわかったのです。

 

  • 何のことだかわからないかもしれませんが、たとえば、ここにリンゴが1個あるとしましょう。ごく当たり前の話ですが、そのリンゴが存在する空間に、もう 1個別のリンゴは置けませんよね? 物質とは、そういうものです。
  • フェルミオンに分類される2種類の素粒子は、すべてそういう性質を持っています(これを「パウリの排他原理」と言います)。電子のあるところに別の電子は置けませんし、複数のクォークが同じ空間に重なって存在することもできません。
  • 一方、排他原理に従わず、同じ場所にいくらでも詰め込めるのがボソンです。 不思議な話ですが、たとえば「光子」がボソンの一種だと聞けば、それも納得できるのではないでしょうか。DVDや光通信で使うレーザーがそうであるように、光はいくらでも重ねて強くすることができます。「それは波だからだろう」という
    人は、私の話をよく聞いていなかったことになるので、反省しましょう(笑)。光は「波」であると同時に、「粒子」でもあるのです。
  • 光子のほかにどんなボソンがあるのかは追々お話ししますが、この粒子は排他原理に従わないので、当然、物質を構成できません。では、何のためにそんな粒子が存在するのでしょうか。
  • そこで思い出してほしいのが、前に名前の出た「パイ中間子」です。陽子と中性子のあいだで「力」を伝達し、両者をくっつけている粒子です。ただしパイ中間子そのものは「素粒子」ではありませんでした。クォークと反クォーク(クォーク反粒子)から成る複合粒 子だということがわかっています。したがって、「標
    準模型」の素粒子リストには含まれていません。
  • では、なぜパイ中間子が陽子と中性子をくっつけられるのか。それは、パイ中間子を構成するクォークが、「力」を伝達する素粒子を持っているからです。この「力を伝達する素粒子」こそが、ボソンにほかなりません。

 

  • 標準模型では、電磁気力、強い力、弱い力をすべて「粒子(ボソン)のキャッチボール」で説明します。とりあえず、力を伝達する粒子の名前だけ挙げておくと、電磁気力は光子(フォトン)、強い力はグルーオン、弱い力はWボソンと Zボソン。それだけではありません。まだ見つかっていませんが、重力も「グラビトン」と名付けられた粒子が運んでいると予想されています。
  • 一般的な感覚では、なかなかイメージしにくい話でしょう。ここでのポイントは、離れた物質が引き合ったり反発し合ったりするのですから、(念力のような超能力を使っていないかぎり)そこでは何かがやりとりされているはずだと考えるところにあります。

 

  • 相対性理論が登場するまで、物体の速度は無限に上げられると思われていました。しかしアインシュタインによれば、毎秒 3億メートルという光の速度を超えて物体を加速させることはできません。誰も光を追い抜くことはできないのです。
  • では、光速に近づいた物体を加速させるためにエネルギーを加え続けると、どうなるのでしょう。実は、その物体は加速せず、質量が増えていきます。質量とは物体の「動かしにくさ」のことですから、エネルギーを加えれば加えるほど逆に加速しにくくなる。不思議な話ですが、だから物体は光速を超えられないのです。

月とTGVまで発見してしまった大型加速器

  • 弱い力を伝えるボソン(ウィークボソン)を初めて検出したのは、CERN(欧州原子核研究機関)にあった大型加速器です。陽子と反陽子を衝突させる円形加速器で、全周は7キロメートルでした。反陽子は自然界にないので、まず加速器を使ってつくってからきれいにまとめて改めて加速器に入れるというたいへん手のこんだ装置が必要でした。
  • その後CERNに建設されたLEPという加速器では、さらに精密にウィークボソンを観測できるようになりました。LEPは電子と陽電子を衝突させるタイプの加速器で、全周は27キロメートルです。
  • これだけ巨大な装置だと、実験には思いもかけない苦労が伴います。
  • まず関係者が頭を悩ませたのは、実験中になぜかエネルギーにズレが生じてしまうことでした。あらゆる条件を考慮に入れて計算しているはずなのに、電圧が正しくコントロールできない。精度は加速器実験の最重要ポイントですから、これは大問題です。
  • さんざん考えた挙げ句にわかった原因は、「月」でした。潮の満ち引きを見ればわかるとおり、地球上には月の重力が影響を及ぼしています。 CERN加速器はあまりにも大きいため、月に引っ張られてわずかに形が歪んでいました。そのために精度が落ち、エネルギーがズレてしまったのです。ある意味で、この加速器は月を「見つけた」とも言えるでしょう。
  • この加速器が「見つけた」のは、月だけではありません。
  • 月の重力を踏まえて計算を補正した後も、ある時間帯だけ電圧がフラついてしまい、関係者は再び頭を抱えました。なぜうまくいかないのか、まったくわかりません。しかし、ヒントはその「時間帯」にありました。真夜中から朝5時まではエネルギーが安定しているのに、朝5時から真夜中まではブレていたのです。これは、人間の活動と何か関係しているに違いありません。
  • 終電や始発の世話になることの多い人は、ピンと来るでしょう。そう。朝5時から真夜中までと言えば、電車が走っている時間帯です。そして、この実験施設の近くには、パリとジュネーブを結ぶ TGVという高速鉄道が走っていました。日本の新幹線みたいなものです。これが走ればレールに電気が通ります。それが近くの川に漏れていたのですが、その川の水は加速器の冷却に使われていました。
  • これが、不具合の原因です。実際、エネルギーのブレる時間は、TGVの通るタイミングとぴったり一致していました。 大型加速器は、TGVも「発見」したわけです。

 

  • 物理学でも、昔はそう考えられていました。どんな物理現象も、左右を逆にした
    ときに法則が変わることはありません。自然界は左右を区別しないのです。重力や電磁気力や強い力も同様です。そこには左右という概念がないので、空間を反転させても物理法則は変わりません。
  • 量子力学では、この空間反転のことを「パリティ変換」と呼び、左右を入れ替え
    てもパリティは不変だとされてきました。これが「パリティの保存則」です。
  • まともに説明すると波動関数などが出てきて難解になるので簡単にお話ししますが、とにかく、粒子には「パリティ」という属性があると思ってください。そのパリティにはプラスとマイナスがあって、これは粒子が崩壊した後も変わりません。たとえばベータ崩壊の前後でエネルギーが保存されているのと同じように、パリティも保存されるのです。
  • ところがあるとき、この保存則にしたがわない現象が見つかりました。宇宙線
    中から発見され、多くの物理学者の頭を悩 ませたのは、「タウ」と「シータ」という粒子です。
  • 2つの粒子は、それぞれ弱い力によって複数のパイオンに崩壊しました。タウ粒子のほうはパイオン3つに崩壊。パイオンパリティはマイナスで、パリティはかけ算で合算するので、トータルはマイナス×マイナス×マイナスでマイナスになります。したがって、崩壊前のタウ粒子パリティはマイナスのはずです。
  • 一方のシータ粒子は、パリティがマイナスのパイオン2つに崩壊しました。 マイ
    ナス × マイナスですから、こちらはトータルでプラスになります。したがって崩壊前のパリティもプラス。パリティという性質が逆なのですから、タウとシータは別の粒子だと誰もが思いました。
  • しかし不思議なことに、両者をよく調べてみると、質量と寿命がまったく同じ。
    この2つは別々に見つかった粒子ですから、こんな偶然はちょっと考えられません。物理学者としては、どうにかして理論的に説明したい。これが「タウ=シータの謎」です。
「右」と「左」には本質的な違いがあった!
  • この謎に対して、アメリカで研究していた2人の中国人物理学者ヤンとリーが、
    1956年に大胆なアイデアを発表しました。その仮説によれば、タウとシータは
    同じ粒子です。ならば、質量と寿命が同じなのは不思議でも何でもありません。ごく当たり前のことです。
  • でも、そうなると不思議なのは、パリティの違いです。ヤンとリーは、そもそも
    タウとシータのパリティに違いはないと考えました。それなのに崩壊後のプラスとマイナスが逆になるのは、パリティが保存されないからだというのです。
  • つまり、弱い力はパリティの保存則を破る―それが彼らの基本的な主張でした。保存則にしたがわないなら、弱い力に反応した粒子のパリティは、プラスにもマイナスにもなり得るわけです。それはたしかにそうですが、ほかのどの力も破れないパリティを弱い力だけが破るというのは、にわかには信じられません。
  • しかしその翌年には、同じくアメリカで活動していた中国人のウー女史が、彼ら
    の仮説を裏付ける実験を行いました。非常に精密な実験を得意としていた学者です
  • 彼女が行ったのは、コバルト60の原子核の回転方向を揃えて、ベータ崩壊で飛び
    出す電子の方向を調べる実験でした。磁石で強力な磁場をつくって原子核の向きを
    揃えるのですが、当時の技術ではかなり難しい作業だったと思います。エネルギーが高いと反対に回転する原子核が出てきたりするので、温度もかなり下げなければいけません。
  • そうやって原子核の向きを揃えた状態で、電子の飛び出す方向を調べたところ、鏡に映した世界と「こちら側」の世界を区別できることがわかりました。「こちら側」の世界では、原子核左巻きにスピンするとき、電子は下向きに多く出ます。鏡の中では「スピン」は右巻きですが、電子はやはり下向きに多く出ます。もしパリティが保存されているなら、スピンの向きに関係なく電子は上にも下にも同じように出るので、ここではパリティが保存されていません。これは、ヤンとリーの理論とも合致していました。彼らの仮説を突き詰めていくと、弱い力に反応するのは「左巻き」の粒子だけだという結論になるのです。
  • これは実に衝撃的な結果でした。自然界の法則が右左を区別する、つまり「右」
    と「左」には本質的な違いがあるということを意味しているからです。
  • そうなると、先ほどのパラレルワール ドも話が違ってきます。弱い力は、地球上
    だけで働くものではありません。 その法則は、宇宙全体に共通です。それなのに、もし地球とは左右反対の惑星でベータ崩壊も「右」に偏っていたら、「それは弱い力の法則に反しているからおかしい」と言えるわけです。右と左は「どちらでもいい」ものではありません。弱い力が働くほうが「左」。それが宇宙のルールなのです。