FACTFULNESS

  • 次に、「どんな証拠を見せられたら、わたしの考えが変わるだろう?」と自分に聞いてみよう。「どんな証拠を見せられても、ワクチンに対する考え方は変わらない」と思うだろうか? もしそうだとしたら、それは批判的思考とは言えない。証拠を無視したら、批判的思考は成り立たないからだ。ワクチンを疑う際に役立った批判的思考が、いつの間にか役立たずになっていないだろうか?
  • それでも考えを変えないと言うのであれば、わたしにいい案がある。せっかくなので、科学をとことん信じないでほしい。たとえば、もしあなたが手術をすることになったら、担当する外科医に「手は洗わないでください」と伝えよう。
  • 誰の命も奪わなかった放射線から避難したせいで、1000人以上の高齢者が亡くなった。同じように、DDTは有害だが、DDTが直接誰かの命を奪ったことはなかった。少なくとも、そういったデータをわたしは見つけていない。
  • DDTによる悪影響の調査は、1940年代には実施されなかったが、最近になって行われるようになった。2002年には、アメリカ疾病予防管理センターが「DDT・DDE・DDDの毒性学的な分析」という、全497ページの調書を公開した。 2006年にはついに、世界保健機関DDTに関するすべての調査を検証し終えた。アメリカ疾病予防管理センター世界保健機関は、DDTを「人体にとって、やや有害」だと位置付けた。そして多くの場面で、DDTのメリットはデメリットを上回ると指摘した。
  • DDTの取り扱いには十分注意すべきだが、場合によっては役立つこともある。たとえば、難民キャンプで蚊が大量発生したときは、DDTを使うのが最もコストがかからず手っ取り早い。しかし、アメリカ人やヨーロッパ人、恐怖本能を糧にする政治団体にとっては、そんなことはどうでもいいようだ。彼らは、アメリカ疾病予防管理センター世界保健機関による膨大な調査報告や、それに基づく短い勧告すら読もうとしない。だから、DDTの限定的な使用についての議論が進まない。そんな世論のせいで、DDTは確実に命を救えるという証拠があるのに、支援団体は使えなくなってしまう。
  • 規制が厳しくなる理由の多くは、死亡率ではなく恐怖によるものだ。福島の原発事故やDDTについて言えば、目に見えない物質への恐怖が暴走し、物質そのものよりも規制のほうが多くの被害を及ぼしている。たしかに、環境破壊は世界中で起きている。だが、「巨大地震」のほうが「下痢」よりもニュースになりやすいことを思い出してほしい。それと同じように、「目に見えないほど小さいが、恐ろしい化学物質汚染」のほうが「あまり恐ろしくは聞こえないが、環境に大きな悪影響を及ぼしていること」よりもニュースになりやすい。たとえば海底の破壊や、魚の乱獲などのほうが、よっぽど急を要する問題だ。
  • 化学物質恐怖症が流行りだすと、たとえば半年ごとに、「よく見かける食べ物に、合成化学物質が混入している」という「新事実」が見つかったりする。しかしあまりにも微量なので、その食べ物を貨物船一隻分、3年間毎日食べ続けない限り、命を落とすことはない。にもかかわらず、このような化学物質の話は、エリ
    ートたちの酒の肴にされるようだ。その食べ物のせいで亡くなった人はいないのに、赤ワイン片手に「怖いねえ」と語ったりする。「化学」は得体の知れないものだから、目に見えない化学物質を怖いと感じてしまうのかもしれない。

その道のプロー専門家と活動家

  • わたしは「その道のプロ」を心から尊敬している。専門家の知識に頼らなければ世界を理解できないし、みんなが専門家に話を聞くべきだと思っている。たとえば、人口調査のプロは例外なく、世界人口が100億人から120億人のあいだで天井を打つと言っている。わたしはそのデータを信頼している。歴史家と先史人口学者と考古学者が口を揃えて、1800年まで女性ひとりあたりの子供の数は平均5人以上で、そのうち2人しか生き延びられなかったと言えば、そのデータも信じる。経済成長の要因について、経済学者の中でも意見が食い違っていたら、ここは注意したほうがいいとわかる。 役に立つデータが十分に揃っていないか、単純な説明がつかないのだろうと考えられるからだ。
  • とはいえ、その道のプロにも限界はある。まずあたりまえだが、その道のプロは自分の専門分野以外のことについてはプロではない。本物のプロでも自称プロでも、なかなかそう自覚できないものだ。誰でも自分を物知りだと思いたいし、人から頼りにされたい。何かに飛びぬけて優れていれば、「だいたいのことは普通の人よりできるだろう」と考えてしまう。その気持ちはわかる。
  • ものすごく数字に強い人たち(科学好きの集まる「アメージング・ミーティング」に参加した超頭のいい人たち)でも、わたしのクイズには普通の人並みに間違っていた。
  • 教育レベルの高い(世界有数の科学専門誌「ネイチャー」を講読しているような)人でも、普通の人並みか、普通の人より間違いが多い。
  • ひとつの分野を深く極めた専門家たちもまた、みんなと同じようにクイズに間違っている。リンダウ・ノーベル賞受賞者会議というノーベル賞受賞者と研究者との交流の場が、ドイツのリンダウ島で毎年開かれている。わたしは2014年にこの会議に招かれて、大勢の若手研究者やノーベル物理学賞と医学賞受賞者を前に講演することになった。参加者はそれぞれの分野で名の知れた学者ばかりだったが、子供の予防接種についてのクイズは、それまでで最悪の正解率だった。正解したのはわずか8%。この結果を見てからは、頭のいい専門家でも自分の研究領域から一歩外に出ると何も知らないのだと心するようになった。
  • 頭がいいからと言って、世界の事実を知っているわけではない。数字に強くても、教育レベルが高くても、たとえノーベル賞受賞者でも、例外ではない。その道のプロは、その道のことしか知らない。
  • それに、「プロ」とは言っても、自分の専門領域のことさえ知らない人もいる。活動家の多くはその道のプロを自称する。わたしはこれまでにありとあらゆる活動家の会合で講演してきた。世界をよくするには、正しい知識を備えた活動家の存在が欠かせないと思っているからだ。たとえば、わたしは女性の権利を熱烈
    に支援している。このあいだ、女性の権利についての会議に招かれて講演した。ストックホルムで行われたこの会議には、292人の勇敢な若いフェミニストが世界中から集まった。みな、女性がもっといい教育を受けられるようにと考える人たちばかりだ。それなのに、世界の30歳女性が受けている学校教育の期間は、同じ歳の男性より1年短いだけだと知っていたのは、わずか8%だった。
  • 女子の教育がいまのままでいいなどと言うつもりはまったくない。レベル1の国、特にいくつかの国では、小学校に通えない女の子は多いし、中等教育と高等教育になると女子には手が届かない。とはいえ、60億人が生活するレベル2と3と4の国では、女子の就学率は男子並みか、男子より高い。すごいじゃないか!女性の教育を支援する活動家ならこのことを知っておくべきだし、盛大に喜んでいいはずだ。
  • そんな例はほかにもたくさんある。女性の権利を支援する活動家だけの話じゃない。わたしがこれまでに出会った活動家はほとんどみんな、自分が力を注いできた社会問題を、実際より大げさに語っていた。わざとやっている人もいるかもしれないが、おそらくほとんどは自分でも気づかずに大げさに語っているのだろう。
ビジネスマン
  • わたしはいつも事実を見るように心がけてはいるけれど、それでも先入観に負けてしまうことがある。ある日ユニセフから依頼を受けて、アンゴラに送るマラリアの薬の入札者について調べることになった。わたしはこの製薬会社をあたまから疑ってかかっていた。価格は妙だったし、詐欺に違いないと意気込んだ。悪徳企業がユニセフから甘い汁を吸うつもりだな。よし、いっちょ化けの皮を剥いでやるか。
  • いま思えば、なぜそんな先入観を持ってしまったのか不思議だ。子供の頃にドナルドダックのマンガばかり読んでいたから、強欲なおじさんのスクルージ・マックダックのことが刷り込まれてしまったのかもしれない。さっき話した学生たちと同じで、わたしも昔は製薬会社について深く考えていなかったのかもしれない。
  • 話を戻すと、ユニセフは製薬会社と10年契約を結んで薬品を買い入れる。どの製薬会社にするかは競争入札で決めている。長期にわたって大量に買い入れてもらえば製薬会社にとってはありがたいので、入札価格はかなり割安になる。とはいえ今回は、スイスのルガーノにあるリボファームという小さな家族経営の会社が、ありえないほど安い価格で入札していた。1錠あたりの値段が、原料価格よりも安かったのだ。わたしは現地に飛んで、内実を調べることになった。まずチューリッヒに行き、そこから小型機でルガーノの小さな空港に降り立った。安物の服を着た出迎えの人が待っているだろうくらいに思っていたら、リムジンに乗せられて敷居の高そうな超豪華ホテルに連れて行かれた。つい、妻に電話して、「シーツが絹だそ、と言ってしまったほどだ。
  • 翌朝迎えが来て、わたしは工場に向かった。工場長と握手を交わしたあと、すぐに本題に入った。「ブダペストから原料を買って錠剤をつくり、それを包装して箱に入れてコンテナ船に積んで、ジェノバに送り届けるんですよね。どうしたら原料価格より安い値段で、そんなことができるんですか? ハンガリー人から何か特別な割引でももらってるんですか?」
  • 「原料の仕入れ価格はみなさんと同じですよ」と工場長。
  • 「でも、リムジンで迎えてくれたじゃないですか? どこからそんなカネが出るんですか?」工場長はにっこりした。
  • 「あぁ、こういうことなんです。わたしたちは数年前に、ロボット化によって製薬業界が変わると気づきました。そこで、世界最速の錠剤製造機を自分たちで開発して、ここに小さな工場を建てたんです。製造以外のプロセスも隅々まで自動化しています。大企業の工場も、うちと比べたら手工芸店みたいなものですよ。
    まず、ブダペストに原料を注文します。月曜に電車で原料が届きます。水曜の午後にはアンゴラ行きの1年分のマラリアの薬が箱づめされ発送できるようになっています。木曜の朝には薬がジェノバに到着します。ユニセフが薬をチェックして受領書にサインしたら、その日のうちに代金がわたしたちのチューリッヒの口
    座に振り込まれます」
  • 「でも、おかしいじゃありませんか。売り値のほうが原価より安いんでしょう?」
  • 「おっしゃるとおり。でも、原料の仕入先への支払いは3日後で、ユニセフは4日後に代金を支払ってくれます。だからおカネが口座に眠っている8日間は金利が稼げるんです」
  • そうだったのか。言葉が見つからなかった。そんなやり方があるなんて思いもしなかった。わたしの頭の中はすっかり、ユニセフは正義の味方で、製薬会社は悪どいことを考えている敵役ってことになっていた。小さな企業にそんな革新的な力があるなんて、まったく想像がつかなかった。安上がりなやり方を実現できる、すごい力を持った企業だったのだ。彼らもまた正義の味方だった。
ジャーナリスト
  • 知識人や政治家はもっともらしくメディアを責めるし、真実を報道してないと訴える。わたしも前の章ではメディアを批判しているように聞こえたかもしれない。でも、ジャーナリストを責めるより、 こう問いかけてみるべきだろう。メディアはなぜ、世界を歪んだ見方で報道するのか、と。ジャーナリストは本当に歪んだ見方を押し付けたいのだろうか? それとも、ほかに理由があるのだろうか?(断っておくが、意図的に流されるフェイクニュースについてここで話すつもりはない。それはまったく別の話で、ジャーナリズムとはなんの関係もない。それに、わたしたちが世界を歪んだ目で見てしまうのは、フェイクニュースのせいだけじゃない。間違った世界の見方はいまに始まったことではなく、ずっと前からそうだった)。
  • 2013年に、例のチンパンジークイズの結果をネット上で発表した。すると、その話題がすぐにBBCとCNNでトップニュースになった。どちらの局も例のクイズを自社のウェブサイトに上げて、視聴者が自分でテストを受けられるようにした。そこには何千というコメントが寄せられて、どうしてランダムな回答よりも正解率が低いのかについて視聴者がいろんな理由を披露してくれていた。
  • その中で、気になったコメントがあった。「メディアの人間はぜったいに誰も正解できないと思う」
  • こりゃ面白いと思って、実際にメディアの人に試してみようと思ったが、調査会社はジャーナリストたちにクイズを受けさせるのは無理だと言った。雇い主であるメディア企業が許してくれないらしい。もちろん、それは仕方がなかった。権威を脅かされたらいやだろうし、大手メディア企業のジャーナリストがチンパンジー以下だと知られたらみっともないのだろう。
  • でも、無理と言われるとますますやりたくなるのがわたしの性分だ。その年、わたしはメディアが主催する2つの会合で講演する予定が入っていたので、そこにクイズを持って行った。持ち時間が20分しかなかったので、全部は質問できなかったが、いくつかはできた。・・・有名なドキュメンタリー映画の制作者が集まる会合での結果もここに入れてある。このときは、BBCPBSナショナルジオグラフィックディスカバリーチャンネルなどのプロデューサーが集まっていた。
  • 講演を聞いていたジャーナリストと映画制作者は、一般の人たちよりも世界を知っていて、チンパンジーよりも知らないようだ。
  • ほかの分野のジャーナリストたちがもっと正解できるとは思えないし、別の質問をしても正解率は低いままだろう。だからといって、ジャーナリストが悪いというわけではない。先ほどのクイズの結果はほとんどのジャーナリストやドキュメンタリー映画制作者に当てはまるはずだ。ということは、彼らは知識不足なだけで、悪気があるわけではない。嘘をついているわけでもない。わざとわたしたちを間違った方向に導こうとして、分断された世界をドラマチックに報道しているのではない。「自然の逆襲」なんてタイトルをつけるのも、意味ありげなピアノのメロディに重々しいナレーションをかぶせるのも、悪企みがあってやっているわけではないのだ。ジャーナリストに悪意はないし、彼らを責めても意味がない。世界のことを教えてくれるジャーナリストや映画制作者たちもまた、世界を誤解している。メディアを悪者にしても仕方がない。彼らもわたしたちと同じで、とんでもない勘違いをしているのだから。
  • 西洋のメディアは自由で、プロらしく、真実を追求しているかもしれないが、権力から独立しているからといって世界を正しくとらえているとは限らない。一つひとつの報道は正しくても、ジャーナリストがどの話題を選ぶかによって、全体像が違って見えることもある。メディアは中立的ではないし、中立的でありえない。わたしたちも中立性を期待すべきではない。
  • ジャーナリストのクイズの結果は悲惨なものだった。悲惨さの度合いでいくと、飛行機事故といい勝負だ。でも、睡眠不足のパイロットを責めても意味がないのと同じで、ジャーナリストを責めてもどうにもならない。むしろ、ジャーナリストの世界の見方がどうして歪んでいるのかを理解しよう(正解 : 人間には誰しもドラマチックな本能があるから)。そして、歪んだニュースやドラマチックな報道をしてしまう背景にはどんな組織的な要因があるのかを知るよう努力すべきだろう(部分的な答え : 視聴者の目を引きつけられなければクビになってしまうから)。
  • それが理解できたら、メディアにああしろこうしろと要求するのは現実的でも適切でもないとわかるだろう。メディアは現実を映し出す鏡にはなれない。事実に基づいた世界の見方をメディアに教えてもらおうなどと考えるのは、友達の撮った写真をGPSの代わりにして外国を観光するようなものだ。