ファインマン流 物理がわかるコツ 増補版

  • 第二の原則は、理解できるはずのものと、それまでに教えたことからは理解できないはずのものとの区別をはっきりさせなければならないということ。というのは、いろんな本でよく見かけるのは、たとえば交流回路の周波数に関連した公式を突然、ポンと出す。この公式の話はもっと進んだ内容のもののはずだ。かれらはそれを今のレベルの話の中で導出することはできない。にもかかわらず、”君らが今まで習ってきた知識のレベルではこの公式を論理的に理解できないだろうから、ここでは天から与えられたものだと思うように”とは言わない。
  • 言い換えれば、何が天下りのもので、何がそうでないのか、そのことを断りつつ、それについてはここでは掘り下げないと、はっきり言うべきだ。僕はいつもこう言う。”これは、こんなことから導きだすことができるのだけど、ここではそこからやって見せることはしなかったよ”と。あるいは、”これはまったく別のことから出てくる話で、ここで君たちが導きだすことはできないんだ。だから心配しなくていいよ”とね。
  • 僕には考えがあった。僕には一種の信条のようなもの、すなわちいくつかの原則があったのだ。まず、後になってあれは間違っていたからと言って、教え直すようなことは、最初からこれは間違いだけどと断っておく。その場合以外は教えない。たとえば、ニュートンの法則は近似でしかなくて量子力学的には間違っているし、相対性理論にも合わないとなれば、僕はそれを最初に言うことから始める。そして、学生たちが一連の話のどこの部分を講義として聞いているのかがわかるようにする。言い換えれば一種の地図のようなものがなければならない。実際のところ僕は、物事の相関関係を表わしたある種の巨大な地図のようなものを作って、僕らが今どの位置にいるのかがわかるようにすることまで考えたことがある。
  • 物理を学習するコースにおけるトラブルの1つは、教えるほうがよく言うセリフにある、ともかくこれをよく勉強しなさい、それからあれもよく勉強しなさい、そういった勉強が全部終了したら、全体のつながりが見えてくるよ、というセリフだ。
  • しかし“何がなんだか訳がわからなくなっている者のために案内してくれる"地図はない。だから、僕は地図を作ってみようと思った。でも、それは不可能な計画だった。結局、そんな地図は作れなかったんだ。
  • もう1つ、僕はね、自分の講義は、講義の中に優秀な学生にはよく噛んで味わいたくなるような内容があり、一方、一般的な学生にはすぐわからなくても、できれば理解してほしい内容を含んだもの、そういうものにしたかった、そういうのをなんとか考え出そうとしたんだ。