天才たちの日課 女性編

  • どれくらいの時間、いつごろの時間帯にやっているのか?週末も仕事をしているのか? 創作活動をしながら、どうやって生活費を稼いだり、十分な睡眠を取ったり、家族や知人と向き合ったりしているのか? 時間や金銭のやりくりがうまくできたとしても、もっとやっかいな問題、たとえば自信を失ったり自己管理ができなくなったりしたときにどう対処しているのか?
  • 前作では、天才たちの日常のごく平凡な事柄を紹介することによって、たとえ遠回しにでも、そういった疑問に答えたいと思っていた。しかし、取り上げた対象が有名な男性に偏っていたために、そのもくろみはあまり成功しなかった。なぜなら、そういう人々が問題に直面したとき、それを解消してくれたのは、献身的な妻や、使用人や、巨額の遺産や、何世紀も前から受け継がれてきた特権などである場合が多かったからだ。そういう例は、現代の読者にとって役に立つお手本にはなりにくいだろう。多くの天才たちの日常は、仕事、散歩、昼寝などにきちんと配分され、金を稼ぐことや食事のしたくをすること、愛する人との時間を確保することといった下世話な心配事とは無縁の、妙に現実離れしたものにみえた。
  • しかし今回、対象を女性に絞ったことによって、フラストレーションや妥協に満ちたドラマチックな景色が開けた。もちろん、本書に登場する女性は特権階級の出身者が多く、みんながみんな日常的にトラブルに遭遇し、それを乗り越えてきたわけではない。 しかし、そういう経験をした人は多い。

 

  • シャネルは二階の自分のオフィスに入ると、ただちにデザインの仕事にとりかかった。型紙や木製のマネキンなどを使うことは拒否し、何時間も、 モデルたちに直接、布をまとわせたり、ピンで留め付けたりして服を作った。その間、ひっきりなしにタバコを吸ったが、すわることはめったになかった。 ガレリックによると、「飲まず食わずで九時間立ちっぱなしでいることができ、トイレに行くことすらなかった」という。夜は遅くまで店にいて、仕事が終わったあとも従業員にいっしに残るよう強要し、ワインを飲みながら間断なくしゃべり続けた。リッツの部屋に帰っても待っているのは退屈で孤独な時間だけなので、できるだけそれを先延ばししたいからだ。 シャネルは週に六日働き、日曜や祝日を恐れていた。ある親友にこう打ち明けている。「休み」という言葉をきくと、不安になるの」

 

アイリーン・グレイ

  • グレイはアイルランド生まれでフランスを拠点に活躍した建築家でインテリアデザイナーだ。近代の住宅の様相を一変させるのに貢献したにもかかわらず、家事を切り盛りする能力はないこと堂々と認めていた。「家事は大嫌いなの」と彼女はいっている。そして、家事その他の家庭内の義務をまぬがれるために、信頼のおける家政婦、ルイーズ・ダニーを雇った。ダニーは1927年からほぼ50年間、グレイが死去するまで彼女の世話を続けた。グレイはまた、どこへ行くにも車での送り迎えを要求した(1910年代の彼女のお気に入りの運転手は歌手のダミアで、ダミアの飼っていたヒョウもふたりがパリ市内をドライブするときに同乗していた)。「アーティストは車の運転なんかしちゃいけないの」グレィは姪への手紙にそう書いている。「なぜかというと、まずアーティストはとても貴重な存在だから。それと、とりとめない思考にふける必要があるのに、運転をするとそれができなくなるから。それに、運転をすると目が疲れてしまうから」。実際、グレイは仕事のために視力を維持する必要があった。仕事は彼女の人生で唯一の関心事だった。九十代になったとき、グレイはこう書いている。「なんであれ仕事だけが人生に意味を与えてくれる。その仕事が実際はなんの役にも立ってなくてもいいの」

 

  • グレイス・ペイリー
  • ペイリーは政治活動家で、教師で、作家だった。作家としては、詩やエッセイを書くとともに、アメリカ文学のなかで他に類をみないひじょうに簡潔で生き生きした短編小説を書いて、三冊の短編集を出している。一九七六年、あるインタビュアーがペイリーに、政治活動をして、教師として働き、妻として母としての役割も担いながら、いったいどうやってあんなにすばらしい作品が書けるのかとたずねた。するとペイリーはこう答えた。「以前にも誰かに同じことをきかれて、そのときはいつものように気取って、単なる責任放棄ね、と答えたわ」
  • でもほんとうは、どんな人生でも、おもしろい人生のなかには、たくさんの誘惑があると思うの。私にはそういうふうにいろいろなことに誘惑されるのが自然なことに思える。たとえば、子どもができたら、その子を誰かに手渡しておしまいにしたくない。子どもが成長する様子を見るのはおもしろいのに、子育てをほとんどしなかったら、その楽しみを自ら断ってしまうことになるから。それは自由になりたくないということではない。自由にはなりたい。

 

  • ペイリーによると、短編小説はたいてい、「とても響きがよくて」、ある人物やある場面を思い起こさせるようなひとつの文から生まれるという。しかし、そこから先へ書き進めるには時間がかかった。「ほとんどいつも、一ページか一段落書いたところで行き詰まってしまう。その時点で初めて、その物語はなにについての話なのか、考え始めなければならなくなるから。最初に書く数段落は、全体の筋とは直接関係がない。物語の音が先にくる」。そして、そこから先へ進ませるものはプ レッシャーだ。それは締め切りのプレッシャーではなく、物語を書きたいと最初に感じたときの衝動にきちんと応えなければなければならないという、自分の内側からくるプレッシャーだ。「芸術はつねに精神的に追い詰められることから生まれる。いらいらするわよ」

 

  • 「ばかばかしい!週末に休む?休暇をとる? 引退する? ぜんぶノーよ。この仕事は休みなく続くの」。事務仕事と猫の世話以外で、 シュニーマン から創作の時間を奪っているのは家事だ。大アトリエは散らかっていても平気だが、自宅のほうはしっかりときれいにしておきたいという。「私って仕事をする前に食器洗いをしなくちゃいられないアーティストなの。すごくうっとおしいけど、しかたがないわね」 

 

  • ジオヴァニは毎日、いつもメモをとるようにしている。彼女の作品はよくそのメモから生まれる。
  • 「書かなきゃいけないというプレッシャーを感じることはないの。興味を持つだけ」。パソコンの前にすわったときに彼女が感じるのは、「あら、これってすてきじゃない、ちょっとこの先どうなるかみてみましょう」という感じらしい。ただ注意しないといけないのは、追及する価値があるものとないものを見極め、価値がないものは苦労して書こうとしないことだ。「うまくいかなかったら、それ以上追及しない」
  • どの時間帯でも書くことはできるが、いちばんよく書けるのは夜だと感じている。「条件が同じなら、私は夜型の人間ね。夜は静かだし、ほかになにも活動しているものがない。犬も寝ている。