専業主婦は2億円損をする

非婚化や少子化というのは、日本の社会が「結婚して子どもを産んでもロクなこと がない」という強烈なメッセージを、若い女性に送っているということです。

高齢社会とは 、高齢者の数が(ものすごく)増えて、若者の数が(ものすごく)少ない社会です。「若くてはたらける」女の子の価値はどんどん上がっていくのです。

専業主婦がカッコ悪いということは、「妻を専業主婦にしている男もカッコ悪い」ということです。こうして欧米では、夫が積極的に家事に参加するようになりました。ここ でのポイントは、彼らはべつにフェミニストではなく、”意識高い”系でもないことです。

女性の高学歴化と社会進出が当たり前になった先進国では、「はたらきながら子育てできる」環境を充実させないかぎり、 女性は子どもを産まないことをはっきりと示して います。せっかく大学まで出たのに、好きなことはなにもできず、子どもの世話をする だけの人生では、「そんなのバカバカしい」と思うのは当然ですよね。

日本はなぜ「男女格差の大きな国」に成り下がってしまったのでしょうか。それは、子どもを産んだとたんに女性を取り巻く環境が大きく変わるからです。

一見男女平等に見えても、「女性が子どもを産むと”差別”を実感する社会」なのです。

対等だったはずの夫との関係も、出産を機に変わってしまいます。日本の会社は長時間労働サービス残業によって社員を評価するので、子どもができたからといって、夫が育児休暇をとって「イクメン」になるのはかんたんではありません。その結果、「夫は外で働き、妻は家事をしながら子どもの面倒を見る」という古いタイプの夫婦関係にあっという間に戻ってしまうのです。

「幸福とは自由(自己決定権)のことであり、そのためには経済的に独立していなければならない」というのは、いまや〝世界の常識〟です。経済的独立を自分から捨ててしまう専業主婦は、「自由と幸福」からもっとも遠い生き方なのです。

日本はどうか知りませんが、世界のひとたちは、ほんとうの愛情や信頼は対等な関係からしか生まれないと考えているのです。

幸福についての調査では、「お金がない」と意識すると幸福感が大きく下がることがわかっています。貧しいひとが(一般に)不幸なのは、お金のことが気になっているからなのです。

たくさんのひとにお金について聞いてみて、「これ以上収入が増えてもうれしさはそんなに変わらないよ」という金額はいくらでしょうか。アメリカでは、それは7万5000ドル、日本では800万円とされています。・・・ようするに、「ひとなみの幸福」とされていることを、お金を気にせずにできる、ということです。そしていったんこの水準に達すると、近所のビストロをミシュランの星つきレストランに変えても、箱根への家族旅行をハワイにしても、幸福感はそれほど変わらないのです。ちなみに、収入と同じく資産にも慣れていくことがわかっています。日本の場合、その金額は1億円とされていますが、これは「老後の不安がなくなる金額」と考えると理解できます。

専業主婦志向の女子は婚活に必死になります。お金持ちの夫を手に入れるのは、いまや宝くじに当たるようなものなのです。というか、これは宝くじよりずっと確率の低いギャンブルです。高収入の男性はいくらでも若くてかわいい(専業主婦願望の)女の子がやってくるのですから、そもそも一人の女性と結婚する必要などありません。そのことがだんだんわかってきたので、いまや婚活は「当たりくじのない宝くじ」のようなものになってしまいました。

だとしたら、世帯年収1500万円を実現するためにはどうすればいいのでしょうか。じつは、ものすごくかんたんな方法があります。年収800万円の男女がカップルになって、共働きすればいいのです。・・・「お金と幸福の法則」から幸福な家庭をつくろうとすると、夫が一人で1500万円稼ぐ「専業主婦モデル」よりも、夫婦がちからを合わせて世帯収入1500万円を目指す「共働きモデル」のほうが、ずっと成功確率が高い。

就職したばかりで年収300万円だったとします。これを、「人的資本から(はたらくことで)300万円の利益が得られる」と考えます。これと同じことを「金融資本」(預金)でやろうとすると、いくらの元金が必要でしょうか。現在の普通預金金利0・001%で計算すると3000億円になります。

いまのような超低金利時代では、お金にはたらいてもらう(運用する)よりも、自分ではたらいたほうがはるかに有利です。金融資本を使って稼ぐことがむずかしくなればなるほど、人的資本の価値は大きくなっていきます。

ざっくりいうと、生涯年収2億円の場合、新卒で就職する時点で時価1億円以上の人的資本をもっていることはまちがいありません。

1億円の人的資本と比べれば金融資本(貯金)の額は象とノミくらいのちがいがあります。ノミをいくらはたらかせても、象のようなことはできません。「お金持ちになるのにもっとも重要なのは人的資本」なのです。

金融資本、人的資本のほかに、人生にはもうひとつ大切な「資本」があります。それが「社会資本」で、家族や恋人、友だちとの〝絆〟のことです。社会資本をたくさんもっていると、好きなひとから愛されたり、みんなから必要とされたりします。すなわち、「幸福は社会資本からやってくる」のです。

金融資本は「自由(経済的独立)」、人的資本は「自己実現(やりがい)」、社会資本は「愛情・友情」と結びついています。

金融資本がなく貯金はゼロで、人的資本がないのでパートやバイトなど時給の安い仕事をしていても、「人生には愛情と友情しかいらない!」というひとがいます。こういうひとは「プア充」で、家族や友だちに囲まれているので、プアでもその人生はけっこう充実しています。プア充の典型は、〝ジモティー〟や〝マイルドヤンキー〟と呼ばれる地方の若者たちで、中学・高校の同級生5~6人を「イツメン(いつものメンバー)」として、先輩・後輩などを加えた20~30人くらいの「仲間」で行動しています。

「仕事はできるけれど異性との交際にはあまり興味がない。友だちづきあいも苦手」というひとは「ソロ充」です。

まだ若いソロ充は金融資本(貯金)はそれほどもっておらず、田舎の友だちとは縁が切れて濃い人間関係もありませんが、大きな人的資本をもっているので仕事は充実しています。

「お金はもっているけれど、はたらいてもいないし友だちもいない」というタイプは、高齢者にはたくさんいます。それが、家族や友人のいない「孤独な年金生活者」です。このひとたちは、はたらいてお金を稼ぐことができないので人的資本はゼロで、一日じゅうだれとも会話しないので社会資本もありません。年金という「金融資本」だけをたよりに生活しています。若者だと特殊なケースですが、「裕福な引きこもり」がこのパターンです。

リア充のイメージは、東京生まれで私立の中高一貫校から有名大学に入り、一流企業に勤めているバリキャリの女性でしょうか。彼女たちは、まだ若いので大きな金融資本はもっていませんが、人的資本で仕事が充実すると同時に、学生時代の友だちとも縁が切れていないので、そのネットワークからいろいろな出会いのチャンスが生まれるのです。

大きな人的資本をもっていると高い給料(収入)を得ることができますから、だんだんと貯金(金融資本)もできてきます。こうして、社会資本(恋人や友だち)がないまま人的資本と金融資本の充実したひとが「ソロリッチ」です。

幸福な専業主婦は、夫の稼ぎを金融資本に、「ママ友」を社会資本にして充実した生活をしています。とはいえ、これが「宝くじに当たるような」幸運だというのは、先に説明したとおりです。

貧困」を定義するならば、「金融資本、人的資本、社会資本のすべてを失った状態」ということになります。

「貧困」とは逆に、「金融資本、人的資本、社会資本のすべてをもっている状態」を考えてみましょう。こういうひとの人生は超充実しているでしょうから、これを「超充」と名づけます。超充はすべてのひとの目標でしょうが、これはものすごくむずかしいので、実現しているケースはあまりありません。でも2人でちからを合わせれば、超充にちかい「ニューリッチ」になれるという話をあとでしましょう。

同じ創造的な仕事に従事するクリエイティブクラスのなかでも、クリエイターとスペシャリストはどこがちがうのでしょうか。それは”拡張性”があるかどうかです。

どれだけ人気のある劇団でも、出演者の収入は、劇場の大きさ、1年間の公演回数、観客が支払える料金などによって決まってきます。こうした要素には明らかな上限があり、それが役者の仕事の富の限界になっています(拡張性がない)。映画は、大ヒットすれば世界じゅうの映画館で上映され、DVDで販売・レンタルされ、テレビで放映されます。映画スターにはそのたびに利益が分配されますから、その仕事には富の限界がありません(拡張性がある)。

成功した映画俳優が大富豪の仲間入りをするのは、テクノロジーの進歩によって、きわめて安価に(ほぼゼロコストで)コンテンツを複製できるようになったからです。いまやいったん映画が大ヒットすれば世界じゅうで販売されて、巨額の富を生み出すようになりました。映画と同様に、本(ハリー・ポッター)や音楽(ジャスティン・ビーバー)、ファッション(シャネル、グッチ)やプログラム(マイクロソフト)も同じです。クリエイターは「拡張性のある仕事」にチャレンジするひとたちで、一攫千金と世界的な名声を目指しているのです。

スペシャリストとマックジョブ(バックオフィス)はどちらも「拡張性のない仕事」ですが、このふたつはなにがちがうのでしょう。それは、責任の所在です。

  • マックジョブはマニュアル化された拡張不可能な仕事で、達成感はないが責任もない
  • スペシャリストは、クリエイティブクラスのなかで拡張不可能な仕事に従事するひとたちで、大きな責任を担うかわりに平均して高い収入を期待できる
  • クリエイターはクリエイティブクラスのなかで拡張可能な仕事に挑戦するひとたちで、いちど大当たりすれば信じられないような富を手にすることができるが、ほとんどは名前を知られないまま消えていく

日本でも海外でも、クリエイターはサラリーマンにならないことです。「拡張性のある仕事」のいちばんの魅力は成功したときに青天井の報酬が支払われることですから、すこしぐらいボーナスを増やしてもらってもぜんぜん割に合いません。会社としても、クリエイターのほとんどは泣かず飛ばずなのですから、全員に給料を払うわけにはいきません。

スペシャリストには、自営業者と会社に所属するひとがいます。医者の場合なら開業医は自営業者で、勤務医は会社(病院)に所属しています。そして、開業医はともかく、勤務医のはたらき方は日本と世界でまったく異なります。欧米では勤務医は病院の設備・看護師・事務などの機能と看板を借りた自営業者で、患者は病院ではなく医者を指名し、病院は医者に支払われた報酬から“家賃(テナント料)”を徴収します。医者が病院のサービスに不満だったり、家賃が高すぎたりすると別の病院に移りますが、そのときは患者もいっしょについていきます。患者は自分が選んだ医師から治療を受けているのですから、これは当然のことです。
ところが日本の病院では、医者は出身大学の医局の都合で病院を変わり、患者はそのまま同じ病院に残るので、患者の意思とは無関係に主治医が変わってしまいます。日本人は「病院にかかる」のを当たり前と思っていますが、欧米の患者がこのことを知ったら腰を抜かすでしょう。自分の病気の治療にベストと考えて医者を選んだのに、なんの相談もなく勝手に治療を放棄するのでは、医療倫理にもとるばかりか人権侵害にもなりかねません。

欧米ではスペシャリストは「会社の看板を借りた自営業者」で、日本では「会社に所属するサラリーマン」なのです。

バックオフィスは「オフィス(会社)」の仕事なのですから、全員が「会社員」のはずです。ところが日本では、ここに「正規(正社員)」と「非正規」という区別が入ってきます。「非正規」のはたらき方は、次の3つのいずれかに該当します。(1)パートタイムではたらいている(2)契約期間が定められている(3)派遣社員のように、会社に直接雇用されていない

日本の正社員はこのどれにも属さない、「フルタイムの無期雇用で、会社に直接雇用された労働者」ということになります。

日本では、「正規」と「非正規」ははたらき方のちがいではなく、「身分」のちがいです。「正社員」というのはその名のとおり、会社という共同体の「正メンバー」で、「非正規」は会社共同体のよそ者(二級社員)なのです。

海外では日本のような「身分」のちがいがないので、パートタイムからフルタイムになったり、出産や親の介護のためにフルタイムからパートタイムに変わったりすることがよくあります。

なぜ「非正規」が日本で大きな社会問題になるかがわかります。「正規」か「非正規」かで人間を区別するのは、世界では日本にしか存在しない〝身分差別〟なのです。

日本の会社のいちばんの問題は、サラリーマン(正社員)のなかにスペシャリストとバックオフィスという異なる種類の仕事をするひとが混在していて、それを無理矢理平等に扱おうとすることにあります。

混乱を収拾するには、「サラリーマン」のなかからスペシャリストを切り離さなくてはなりません。これが「高度プロフェッショナル制度」で、会社に所属するスペシャリストを欧米のように「会社の看板を借りた自営業者」にしようとしていますが、”残業代ゼロ”のレッテルを貼ってこの法案に大反対するひとたちがいます。

その理由は、「高度プロフェッショナル(スペシャリスト)」ではないサラリーマンはバックオフィスになってしまうからです。この制度が導入されると、なにひとつ”スペシャルなもの”がないのに「正社員」というだけで優遇されていたひとたちが、「同一労働同一賃金」の原則で非正規と統合されてしまいます

バックオフィスの仕事をしていた「正社員」は、この”改革”をぜったいに認めません。自分たちがこれまでバカにしていた「非正規」になってしまうのですから。

現実には、経営者は正社員の既得権に手をつけることを恐れ、バックオフィスの仕事をすこしずつ非正規で代替させようとしています。こうして日本では正社員が減って非正規が増えていくのですが、彼らの労働条件は先進国では考えられないほど劣悪です。日本では正社員は終身雇用で、よほどのことがなければ定年まではたらきつづけることが保証されています。それに対して非正規は有期雇用なので、契約期間が終了すれば問答無用で解雇されてしまいます。それ以外でも、正社員は社宅を提供されたり、家族手当などを受け取れますが、同じ仕事をしていても非正規にはなにもありません。これほどまで極端な〝差別〟は、世界のなかで日本にしか見られません

正社員と非正規が一体化すれば、正社員の法外な既得権が非正規に分配され、賃金格差もなくなり、フルタイムとパートタイムを自由に行き来できる〝グローバルスタンダード〟のはたらき方が日本でもようやく可能になるでしょう。それとともに、会社のなかで専門的な仕事をしているひとは、「高度プロフェッショナル」として時給仕事から成果報酬に移行していくはずです。

これまで「日本人(男性)は会社が大好き」といわれてきましたが、最近になって、社員の会社への忠誠心を示す「従業員エンゲイジメント」指数が日本は先進国中もっとも低く、「サラリーマンの3人に1人が会社に反感をもっている」とか、「日本人は世界でもっとも自分のはたらく会社を信用していない」などの調査結果が続々と出てきました。仕事にやりがいもなく、安定も期待できないとすれば、そうなるのは当たり前です。それ以外の調査でも、世界的にみても日本のサラリーマンの幸福度が低いことがわかっています。年功序列・終身雇用」の日本的なはたらき方を「世界でいちばん幸せ」と主張するひとがかつてはたくさんいましたが、それはすべてウソだったのです。
ベストセラーになった『置かれた場所で咲きなさい』という本は、サラリーマン人生を見事に象徴しています。新卒でたまたま入った会社で、たまたま天職に出合って「自己実現」できる可能性は宝くじに当たるようなものです。40代になれば転職もかなわず、ひたすら会社にしがみついて「置かれた場所」で苦行に耐えるのが日本人の労働観なのです。

「クリエイターで成功を目指すのは無理だけど、やりがいのない仕事もイヤだ」というひとは、医者や弁護士などのスペシャリストを目指します。これらの仕事に人気があるのは、高い収入とやりがいを両立できるからです(かならず、というわけではありませんが)。しかしそのためには、むずかしい試験に合格しなければなりません。

女性には、医者や弁護士ほど難易度が高くなく、やりがいと収入、おまけに安定も兼ね備えたスペシャリストの仕事があります。それが看護師です。

転職を繰り返せば自分に向いた仕事に出合う確率が上がり、スペシャリストとしての経験値も高くなっていきます。これもアメリカの調査ですが、15年以上のキャリアがある管理職で、転職2回のひとが役員になる確率は2%ですが、転職が5回以上だと18%に上がるそうです。転職は〝天職〟へとつながっているのです。

日本人の労働生産性(仕事で利益を稼ぐちから)はOECD34カ国中21位、先進7カ国のなかではずっと最下位です。日本のサラリーマンは過労死するほどはたらいていますが、一人あたりの労働者が生み出す富(付加価値)は7万2994ドル(約800万円)で、アメリカの労働者(11万6817ドル/約1280万円)の7割以下しかありません(2014年)。これは、日本人の能力がアメリカ人より3割も劣っているか、そうでなければ「はたらき方」の仕組みがまちがっているのです。

少子化の影響がはっきりしてきたことで、いまや新卒の就職率は98%になりました。大学を出たらほぼ全員が仕事に就けるような国は、先進国のなかでは日本くらいしかありません。15~24歳の失業率はスペインで53・2%、イタリアが35・3%、フランスでも23・8%もあり(2015年)、ドロップアウトしたまま社会復帰できない若者たちが大きな社会問題になっています。そんな国と比べれば、日本の若者はものすごく恵まれています。

「すこししかいない若者は価値が高い」という市場原理です。超高齢社会では、(優秀な)若者の値段が高騰するのです。

いろんな仕事を経験しながら「好き」を見つけたら、あとはそこに全力投球して、できれば20代で、おそくとも30代のうちに”スペシャルなもの”がもてるようにがんばります。そうしたら、あとは転職してもキャリアを切らさず、「生涯現役」で好きな仕事をやりつづける、というのが新しい時代のはたらき方なのです。

「好き」と「できる」を一致させていくのです。「自分のことは自分ではわからない」を前提とすれば、まわりのひとたちからできるだけ多くの評価=フィードバックを集め、自分に向いた仕事を探していくのが(おそらくは)唯一の方法です。

キャリアアップというのは、「好き」のなかから「できる」を絞り込んでいくことです。面接で大事なのは、その過程をきちんと説明できることです。中途採用では必要な人材をスポット的にさがしているのですから、適性と能力をはっきり伝えられる候補者のなかから選ぶしかありません。

  1. 男性の正社員はどの業種でもまんべんなく結婚している
  2. 女性の正社員のうち、マスコミ、広告、IT系は生涯未婚率が高い。電力・ガスなど給与が高く安定している会社の女性も3人に1人は結婚しない
  3. 男性の非正規社員は、4割が結婚していない
  4. 女性の非正規社員は、ほとんどの業種で10人のうち9人以上が結婚している

「貧乏な女」の多くはじつは主婦だとわかります。夫の収入だけで生活できても、最近は子育てが一段落すればパートや非正規ではたらくことも多いので、彼女たちの世帯年収は高いかもしれません。「非正規の女性は結婚している」というのも原因と結果が逆で、これは「主婦が非正規の仕事ではたらいている」からでしょう。

女性の未婚率は年収1000万円以上でいきなり跳ね上がりますが、ここから「ハイスペック女子は結婚できない」ということもできません。独身のまま仕事をつづけることを選び、がんばったからこそ年収が高くなったと考えるのが自然です。

興味深いのは年収600万円を境に女性の未婚率が下がっていることで、年収900万円代では未婚率16%と、年収200万円代の女性と変わりません。いまの日本では、10世帯に1世帯は世帯年収1000万円以上、100世帯に3~4世帯は1500万円以上です。サラリーマンの給与そのものは上がっていないのですから、これは高収入の共働き家庭が増えているからでしょう。こうしたデータを見ると、「年収の高い女は結婚できない」というのが事実ではないことがわかります。ハイスペック女子の多くは結婚して、経済的にも恵まれた家庭をつくっているのです。

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女性が自分より学歴が高く、収入も多い男性を好む「上方婚」志向で、男性は自分より学歴が低く、収入の少ない女性を好む「下方婚」志向なのはさまざまな調査で報告されています。

しかし荒川和久さんは『超ソロ社会』で、「年収の低い男は結婚できない」説は根拠のない都市伝説の類だと述べています。年収200万円以下の男性が結婚しないのは、自分ひとりが食べていくのに精いっぱいだからです。しかし、男性の年代別年収分布で既婚か未婚かを見ると、30代以上では年収300万円を超えると既婚者が一気に増えています。そして既婚者の割合は、年収が増えてもほとんど変わらないのです。荒川さんはこの理由を、「経済的な余裕ができれば結婚したい男は結婚するし、経済的な余裕があっても結婚しない男は結婚しない」からだと説明します。

「年収の低い男は結婚できない」説は、彼女のいない男性の自己正当化らしいことが見えてきます。「モテないのは自分に魅力がないからだ」という現実を直視するよりも、「世の中の女がカネにしか興味がないからだ」と決めつけたほうが、ずっと気が楽でしょうから。

女性にとっての結婚(およびそれにつづく出産)とは、

  1. 自由を失い、
  2. 友人と疎遠になり、
  3. 家族とのつき合いが減り、
  4. 仕事ができなくなる、

という「四重の損失」なのです。そしてこの損失は、たんに「家族がもてる」ということだけで埋め合わせることができません。そこで、「経済的余裕」が結婚の条件として浮上してくるのです。これで、高収入でやりがいのある仕事をしている女性が結婚しない理由もわかります。いまの時代は「自由」や「自己実現」がとても大切な価値になったので、経済的な不安のない”ハイスペック女子”にとっては、結婚・出産による損失が大きすぎてとうてい割が合わないのです。

男性にとっての「結婚の利点」は、「社会的な信用や対等な関係が得られる」と「生活上便利になる」の2つが主ですが、これが時代とともに大きく減っているのが目立ちます。・・・これに「精神的安らぎの場が得られる」「性的な充足感が得られる」を加えた4つが、男性が結婚に期待することです。

それに対して、独身男性の利点は「家族扶養の責任がなく気楽」「金銭的に裕福」の2つがダントツで、「金銭的に裕福」は時代とともに大きく伸びています。「異性との交際が自由」というのもありますが、こちらはその重要度が下がっています。ここから、男性がなぜ結婚に躊躇するのか、その理由がわかります。それは、「妻や子どもを扶養する経済的な責任が重く、自分のお金が自由に使えなくなるから」なのです。

なぜ未婚率が急上昇しているか、その理由は明らかでしょう。独身女性は、結婚によって失うもの(自由、キャリア、友だちなど)が大きすぎるため、経済的な安定という代償がなければ割が合わないと考えています。独身男性は、家族を扶養する重い責任を負って、わずかなこづかいで暮らすようになるのなら、このまま独身生活をつづけたほうがいいと思っています。男と女の利害がこれほどまでに食いちがっているのですから、そもそも結婚する男女がいるほうが不思議なくらいです。時代とともに、結婚はますます「コスパ」が悪くなっているのです。

男子と結婚するためには、「共働きでわたしの収入も加えれば、いまよりずっと楽しく暮らせるよ!」と提案しなければなりません。

憧れの女の子と結婚したい男性は、「仕事だってつづけられるし、家事もちゃんと分担するから、結婚や出産で失うものよりも楽しいことのほうがぜったい多いよ!」と提案しなくてはなりません。これからは、こういう賢い男女がカップルになって、幸福な家庭をつくっていくのでしょう。

男性が、自分よりも学歴や収入の低い女性との「下方婚」を好むのはまちがいありません。しかしこれは、「バカでかわいい女がモテる」ということではありません。「賢い」というのは「ずる賢い」ということでもあります(もっともこれは、女性も同じでしょうけど)。「賢い男子」は、自分がはたらいて2億円よぶんに稼ぐよりも、「2億円のお金持ちチケット」をもった女性と結婚したほうが、はるかに手っ取り早く“お金持ち”になれることをちゃんとわかっていますから、「バカでかわいいだけの女」をセフレとして使い倒すことはあっても、結婚しようとは思わないのです。しかし、「おバカな女子」が選ばれない理由はこれだけではありません。いちばんは「話が合わなくてつまらない」ことです。

高学歴で一流企業に勤める〝ハイスペック男子〟は、家に帰って、ワイドショーでやっていた芸能人の不倫騒動について妻と話したいなんてぜんぜん思っていません。政治や経済の高尚な議論をしたいわけではないでしょうが、自分が興味や関心のある話題で、お互いの意見が一致していることを確認したり、「えっ、そんな考え方をするんだ」と驚いたりするやりとりが楽しいのです。──これを「同類婚」といいます。

そんな相手として相応しいのは、自分と同じ学歴か、ちょっと低いくらいの女性です。学歴の高い女性を避けることはあるでしょうが(男はプライドの生き物なのです)、それよりもっと避けるのは、趣味も興味もぜんぜんちがう「おバカな女」です。ついでにいっておくと、「エリートの夫が会社のキャリアウーマンと不倫する」という定番のパターンは、これが理由です。家に帰っても子どもとママ友と芸能人の話ではぜんぜん楽しくありませんが、会社のハイスペック女子とは共通の話題がいろいろあるのでずっと面白いのです(これはエリートの妻と男性の同僚でも同じでしょう)。

大卒の白人男性は高卒の白人女性とは結婚しません(たとえ元チアガールでも)。それよりも、自分と同じくらいの大学を出た、黒人やアジア系の女性と結婚しているのです。これは女性も同じで、人種より学歴を優先するのは、「これからずっといっしょに暮らすことを考えれば、趣味や話が合うのがいちばん」と思っているからです。

脳には右半球と左半球があって、「右脳型」は直感的(感覚的)、「左脳型」は論理的という話は聞いたことがあるでしょう。実際にはそう単純ではありませんが、右脳と左脳に役割のちがいがあるのはたしかです。

脳卒中は脳の血管がつまる病気で、それによって脳の機能の一部が壊れてしまいます。脳の左半球に卒中を起こした男性は言葉がうまくしゃべれなくなりますが、右半球に卒中を起こした場合は言語能力にほとんど変化はありません。これは、左脳が言語能力を担当しているからです。

ここまではよく知られていましたが、脳科学者が女性の脳卒中患者を調べてみると奇妙なことに気づきました。脳の左半球に卒中を起こした女性は、やはり言葉をうまくしゃべることができなくなりますが、その程度は男性よりひどくありません。ところが右半球に卒中を起こしても、(男性の場合はなんの変化もないのに)やはり同じくらいうまく話せなくなってしまうのです。

なぜこんなことになるのでしょうか。それは、男性の場合、言葉を話す能力が左脳に偏っているのに対して、女性は両方の脳に分散しているからです。男と女で脳の仕組みがちがっているのなら、考え方や感じ方がちがっているのは当たり前ですよね。

愛し合うというのは、お互いにわかりあえないという前提で、それでもわかりあおうとすることなのでしょう。

ドラマチックなカップルは、高い確率で破綻していました。だったらどういうカップルがうまくいくかというと、「親や友だちに紹介された」ケースです。これは、適職を探すのと同じ話です。そのポイントは、「自分では自分のことはわからない」でした。適職(天職)というのは、まわりのひとたちが「スゴいね」とか「君がいてくれて助かったよ」とほめてくれる仕事で、だからこそ好きになるのです。恋愛もそれと同じで、あなたひとりが「運命のひとと出会った」と盛り上がっていても、まわりのみんなは「なんであんなダメ男に引っかかったの?」と思っているかもしれません。そしてほとんど場合、友人たちの評価のほうが正しいのです。

アメリカなど欧米の企業では、役職と学歴はリンクしているといいます。移民国家であるアメリカでは、人種や宗教、年齢や性別でひとを差別してはいけないというルールが徹底していますから、会社が採用や昇進・昇給を決める基準は①仕事の成果、②学歴や資格、③仕事の経験、の3つしか認められていません。「能力」というのは、この3つで評価できるものです。

当然、管理職の比率は大卒が多く、高卒が少なくなります。これはアメリカだけでなく、世界じゅうがそうなっています。学歴社会なのだから当たり前だと思うでしょうが、山口さんは世界にひとつだけ、この原則が通用しない国があることを発見しました。それが日本です。

日本の会社の特徴は、次の3つです。

  1. 大卒の男性と、高卒の男性が課長になる割合は、40代半ばまではほとんど変わらない
  2. 大卒の女性は高卒の女性より早く課長になるが、最終的にはその割合はあまり変わらない
  3. 高卒の男性は、大卒の女性よりも、はるかに高い割合で課長になる

問題なのは、大卒(総合職)の女性よりも、高卒の男性のほうがはるかに早く課長に昇進することです。60歳時点では高卒男性の7割が課長以上になっているのに、大卒女性は2割強と半分にも満たないのです。身分や性別のような生まれもった属性ではなく、学歴や資格、業績など個人の努力によって収入が決まる社会が「近代」です。そして近代的な社会では、このようなことが起こるはずはないと山口さんはいいます

日本の会社ではずっと長時間の残業やサービス残業が問題になっていますが、一向にあらたまりません。なぜこんなかんたんなことができないのでしょうか。それは、「日本の会社は残業時間で社員の昇進を決めている」からです。

「そんなバカな!」と思うかもしれません。でも就業時間を揃えると、大卒女性は男性社員と同じように昇進しているのです。これは、「日本の会社は社員に〝滅私奉公〟を求めていて、社員は忠誠の証として残業している」ということです。

近代社会では、労働者は会社と契約を結び、労働を提供するのと引き換えに報酬を受け取ります。日本の会社も形式的にはそうなっていますが、実態は江戸時代の「イエ」にちかい組織で、いったん正社員になれば人生のすべてを会社に捧げ、会社はそれにこたえて、生涯にわたって社員と家族の生活の面倒をみる、という関係になっているのです。正社員(イエの一員)はかつては男性だけでしたが、いまでは女性も加わることができるようになりました。これはたしかに進歩ですが、しかし女性がイエの一員として認められるには、無制限の残業によって滅私奉公し、僻地や海外への転勤も喜んで受け入れ、会社への忠誠を示さなければならないのです。そしてこれが、「子どもが生まれてもはたらきたい」と思っていた女性が、出産を機に退職していく理由になっています。

出産を機に会社を辞めた女性に理由を訊くと、第一位は「子育てに専念したいから」ではありません。「仕事への不満」や「行き詰まり感」です。なぜそうなるかというと、日本の会社は、形式的には男女平等でも、滅私奉公できない女性社員を「差別」しているからです。彼女たちは、望んで専業主婦になったわけではないのです。

彼氏とラブホテルに行って、セックスのあとに「これ、プレゼント」といっておしゃれな指輪をもらったらものすごくうれしいでしょう。そのかわりに、「はい」と1万円札を3枚差し出されたら、ものすごく怒りますよね。しかし、よく考えるとこれはヘンです。3万円の指輪と3万円の現金は同じ価値ですし、好きなものをなんでも買える現金のほうが使い勝手がいいともいえます。だとしたら、1万円札3枚差し出されたときも、指輪をもらったのと同じくらい喜ばないとおかしい……。経済学者というのはこういうことばかり考えているひとたちで、それで評判が悪いのですが、この理屈はまちがっているわけではありません。だったらなぜ、指輪はうれしくて、現金はものすごく腹が立つのか?それは、「プライスレス」なものを「プライサブル」にしているからです。値段のわからない指輪は、(あまりに安物でないかぎり)プライスレスな愛情を象徴しています。ところがそれに3万円という値段をつけると、「お金のためにセックスする女」つまりは売春婦になってしまうのです。

家事を「ワーク」としてお金に換算することは、夫婦関係に破壊的な結果をもたらします。「プライスレス」だったはずのものを、「プライサブル」にしてしまうからです。夫の給料の半分が妻の貢献だとして、それを計算したら時給2000円になったとしましょう。こうして、妻のシャドーワークを「見える化」することができました。でもそれを聞いた夫は、これからは妻との関係を平等にしようと思うでしょうか。そんなことはありません。「だったら、時給1000円の家政婦を雇えば自分の取り分が多くなるじゃないか」と考えるのです。シャドーワークは専業主婦を「奴隷」の立場から解放するかもしれませんが、その代わり「家政婦」にしてしまったのです。このようにして欧米では、夫婦が対等になるには妻もはたらくべきだ、ということになりました。妻に収入がないと、プライスレスなはずの関係が、プライサブルになってしまうのです。

世界的にも日本の主婦の幸福度が低いのは、出産にともなって家庭に「プライス」が入り込んでくるからです。

「わたしは子育てをがんばってやっている」というでしょうが、これは「シャドーワーク」の主張なので、夫にますます「プライス」を意識させるだけです。

はたらく主婦は「時間の奪い合い」でも夫を優先しなければならず、ますます自分の時間がなくなっていきます。このようにして、「プライスレス」だったはずの2人の関係は、「プライス」だらけになってしまうのです。

日本の女性の人生を大きく変えるのは「結婚」ではなく、「出産」だということがわかります。妻の役割を放棄してもたんなる笑い話ですみますが、母親の役割を放棄することはぜったいに許されないのです。

日本では、核家族化がすすむなかで、「賢母」への圧力がますます強くなっています。そしてこれが、子どもへの責任を一身に担わされる母親を追い詰めるのです。

子育ては「失敗の許されないプロジェクト」になりました。しかし問題は、がんばったからといって、むくわれるとはかぎらないことにあります。なぜなら、「子どもは親のいうことをきくようになっていない」のですから。これはカナダの発達心理学者ジュディス・リッチ・ハリスの『子育ての大誤解』(ハヤカワ文庫NF)を読んでもらうのがいちばん

子育ての大誤解〔新版〕上――重要なのは親じゃない (ハヤカワ文庫NF)

子育ての大誤解〔新版〕上――重要なのは親じゃない (ハヤカワ文庫NF)

 
子育ての大誤解〔新版〕下――重要なのは親じゃない (ハヤカワ文庫NF)

子育ての大誤解〔新版〕下――重要なのは親じゃない (ハヤカワ文庫NF)

 

 両親は、母語を話そうが話すまいが、食事や寝る場所などを提供してくれます。子どもにとってほんとうに大事なのは、親との会話ではなく、(自分の面倒を見てくれる)年上の子どもたちとのつき合いなのです。なぜなら、友だちグループからのけ者にされると「死んでしまう」のですから。

ほとんどの場合、両親の言葉と子どもたちの言葉は同じですから問題は起きませんが、移民のような環境では家庭の内と外で言葉が異なるということが生じます。そのとき移民の子どもは、なんの躊躇もなく、生き延びるために、親の言葉を捨てて子ども集団の言葉を選択するのです。

子どものいる家庭には、リセットボタンがないのです。

そもそも、母親と子どもが一対一で、閉鎖された空間に長時間いっしょにいるというのは、人類の子育ての歴史のなかではものすごく「異常」なことです。子どもはそんな子育てに適応するように「プログラム」されていませんから、”愛情たっぷり”に育てても、それにこたえてくれるかどうかはわかりません。

だったらどうすればいいの?この問いに対するもっともシンプルな回答は、「子どもを産まなければいい」でしょう。

この「ソロ充」→「ソロリッチ」が、大きな人的資本をもつ女性にとって(もちろん男性にとっても)日本の社会で幸福になる有力な人生戦略であることはまちがいありません。これから、「ソロ」で「お金持ち」というひとはどんどん増えていくでしょう。欧米や日本のようなゆたかな社会で、ソロリッチが「親友」や「パートナー」という社会資本をもつことができれば、人類の歴史上もっとも幸福な人生が手に入ります。しかしそこには、たったひとつ足りないものがあります。それは「子ども」です。

優等生の回答は、日本を「女性が活躍できる社会」にすればいい、というものでしょう。これはとても大切なことですが、しかし、日本の「男女格差」がアメリカ並み(45位)になったり、アイスランド(1位)、フィンランド(2位)、ノルウェー(3位)といった北欧の国と肩を並べるようになるまでには、まだまだ時間がかかりそうです。

この問題は「子育てを外注する」ことで解決します。

「ルールどおりやっていてはヒドい目にあうだけ」ということです。だとすれば、自分にとっていちばん都合のいいようにルール(制度)を使うのは当然のことです。

日本の社会では、子どもを育てながらはたらこうすると、女性は「罠」にはまってしまいます。それは日本の会社が、人生すべてを仕事に捧げる「滅私奉公」を社員に求めるからでした。その結果、優秀な女性たちが仕事に行き詰まって、専業主婦というもうひとつの「罠」にはまってしまうのです。

この「罠」から逃れる方法はものすごくかんたんです。問題の根源が「会社」なら、会社ではたらかなければいいのです。これが、「フリーエージェント戦略」です。

人間関係のストレスはうつ病の最大の原因ですが、そうならないためのもっとも効果的な方法は、「人間関係を選択可能にする」ことです。といっても、これは「好きなひととしかつき合わない」ということではありません。「イヤなひととのつき合いを断る」選択ができるだけで、気分はものすごくちがいます。

こうした人間関係では「ハラスメント」は起こりません。いじめっ子は、なにをしても相手が逃げられないと知っているからこそ、いじめるのです。

日本の会社では「伝染病」のようにうつが蔓延しています。その原因が長時間労働だとして、官民あげて「時短」の掛け声をあげていますが、なかなか残業時間は減りません。その理由は残業代が生活給になっているからで、時短で給料が減ると生活が苦しくなるので、サラリーマンの多くが残業代がつくかぎり会社にいようとするからだといいます。これはたしかに歪んだはたらき方ですが、それを無理矢理やめさせれば、うつ病は減るのでしょうか。

多くのサラリーマンを診察してきたメンズヘルスの専門医は、そうは考えていません。サラリーマンが出社拒否になる理由は、長時間労働で燃え尽きるからではなく、仕事が要求するレベルに自分のスキル(専門性)が届かず、行き詰まってしまうからだというのです。

なぜこんなことになるかというと、日本の会社がスペシャリストを養成せず、いろんな部門をそこそこ任せられるゼネラリストばかりを揃えようとしてきたからです。その結果、それぞれの分野が専門化するにつれて、自分のスキルが追いつかなくなってしまったのです。

それに対してフリーエージェントは、ひとつのこと(好きなこと/得意なこと)にすべての時間を投入することができますから、専門化する分野にもついていくことができます。こうしてあちこちで、仕事を発注する会社と、下請けであるフリーエージェントの関係が逆転するという現象が起こるようになりました。

フリーエージェントは、「好きなこと」に人的資本のすべてを投資するクリエイティブクラスです。彼ら/彼女たちは大きな人的資本をもっているので、「ソロ充」からやがて「ソロリッチ」になっていきます。もちろんこのままずっと「ソロ」でもいいのですが、「ソロリッチ」同士がカップルになると「ニューリッチ」になります。ニューリッチは経済的に恵まれていますが、高級ブランドや高級車、豪邸や別荘には興味がありません。アルマーニを着て三ツ星レストランに行くよりも、ユニクロで近所のビストロに行って夫婦でおいしいワインを飲むとか、豪華クルーズよりも子どもたちと山に登って自然に触れるほうがいい、というひとたちです。

ニューリッチのライフスタイルが、アメリカではいまいちばんカッコいいとされています。──ブルジョア(Bourgeois)とボヘミアン(Bohemian)を組み合わせて「BOBOS(ボボズ)」と呼ばれます。〝リベラルでカジュアルなお金持ち〟という感じの言葉です。クリエイターやスペシャリストの仕事は定年がありませんから、ニューリッチはいつまでもはたらこうと思っています。お金が貯まったら悠々自適の生活を楽しむのではなく、好きな仕事を通じてずっと社会にかかわっているほうがカッコいいのです。

 人生100年時代の人生戦略は、いかに人的資本を長く維持するかにかかっています。そのためには、「好きを仕事にする」ことが唯一の選択肢なのです。

テクノロジーが進歩すればするほど、共感能力が高く、真面目で優秀な女性の価値はどんどん上がっていくはずです。そんな未来が待っているのに、専業主婦になってせっかくの「人的資本(2億円のお金持ちチケット)」を捨ててしまうのは、あまりにももったいないと思いませんか。

  • これからは、専業主婦はなにひとついいことがなくなる
  • 好きな仕事を見つけて、それを”スペシャルな仕事”にする
  • スペシャルな仕事をずっとつづけて「生涯現役」になる
  • 独身ならソロリッチ、結婚するならダブルインカムの「ニューリッチ」を目指す
  • フリーエージェント戦略で、カッコいいファミリーをつくる

夫が生命保険に加入していれば、死亡によって保険金が支払われます。生命保険金の平均額は2000万円程度です。しかし、妻にとって夫が死ぬことのメリットはこれだけではありません。まず、夫がサラリーマンで18歳以下の子どもがいる場合、遺族基礎年金と遺族厚生年金が支給されます。子どもが2人いる場合は基礎年金で年120万円、厚生年金を加えれば年200万円ちかくになります。それに加えて、住宅ローンを借りてマイホームを購入していた場合、自動的に団体信用保険に加入することになるので、夫が死亡してローンの返済ができなくなったときは、保険会社が代わりにローン残高を全額払ってくれます。これをかんたんにいうと、夫が死ぬことによって①住宅ローンのないマイホームが自分のものになる、②子ども2人なら年200万円の年金が受け取れる、③平均して2000万円程度の生命保険金が下りる、ということになります。

日本の会社は子育て中のシングルマザーを正社員として採用しませんから、パートや非正規といった条件の悪い仕事に就くしかありません。「だったら生活保護を受ければいいじゃないか」と思うでしょうが、日本は生活保護の利用率が人口比で1・6%ときわだって低い国でもあります。ドイツやイギリスの生活保護利用率は約10%、スウェーデンでも4・5%ですから、こうした国では(いいか悪いかは別にして)生活保護で暮らすのは特別なことではありません。ところが日本では、「あそこは生活保護だ」という噂がたつと子どもがいじめられるので、たとえ生活保護の受給資格があってもシングルマザーははたらこうとします。これが、高い就業率と低い収入の理由になっています。

母子家庭になるのは離婚したからで、貧困に陥るのは別れた夫(父親)が養育費を払わないからです。責任は男にありますが、なぜか日本では、養育費の不払いはほとんど問題にならず(収入がないのだからしかたがない、と思われている)、母子家庭の生活保護不正受給だけがバッシングされます。こうした日本社会の現状を見れば、賢い女子が出す結論はひとつです。「結婚して子どもを産むと、なにひとついいことがない

逆境の経験がもっとも多いひとたちは、うつ状態になることが多く、健康上の問題を抱え、人生に対する満足度も低いことがわかりました。これは当たり前ですが、しかし、同じように幸福度の低いグループがもうひとつありました。それは、「逆境を経験していない」恵まれたひとたちだったのです。うつ病のリスクが低く、健康上の問題が少なく、人生に対する満足度がもっとも高いのは、逆境を経験した数が中程度のひとたちでした。幸福になるには、つらい体験が必要なのです。

専業主婦は2億円損をする

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