この本に登場する人々のほとんどはその中間ー日々仕事に励みながら、その進み具合に途切れるのではないかと、つねに不安に思っている。そして、誰もが時間をやりくりして仕事をやり遂げている。
W・H・オーデン
その日のうちにやりたいこと、やらねばならないことを決め、それを混日必ず決まった時間にやる。そうすれば欲望に煩わされることはない
本質的に習慣の奴隷で、生涯を通じてほとんど変化のないスケジュールに従っていた。
動物が好きで、とくにネコとカタツムリには特別に強い愛着を感じ家で飼って繁殖させていた。
フランスに引っ越すときは、生きたカタツムリの持ち込みが禁止されていたため、六匹から十匹のカタツムリを左右の乳房の下に隠して何度も国境を往復したという。
作曲のための時間がじゅうぶんにできた時、フェルドマンはジョン・ケージに教わった方法を採用した。・・・ケージは、少し書くたびに中断して、書いたものをもう一度書き写すといい、と言ったんだ。なぜかというと、書き写している間はその曲のことを考えているから、また新しいアイデアが浮かんでくるんだよ、と。そこで僕もそのやり方でやるようになった。作曲することと書き写すこと。その関係はすばらしい、ほんとに驚いてしまう。
周囲の環境ーよい筆記具やよい椅子などーも大切だ。・・・私はときどき、仕事をしやすくするためにどうしたら良いか、具体的にいろいろ考えることに夢中になってしまう。何年ものあいだ、私はこういっていた。座り心地のいい椅子さえ見つかれば、モーツァルトにも匹敵する音楽家になれるのに、と。
新しい作品を作る時間は日に二、三時間しかなかった。・・・とにかく、あまりにもたくさんやるべきことがあって、なにがなんだかわからなくなってしまうことがよくあります。
少なくとも五十種類のコーヒーカップをもっていたが、どれも一客ずつしかなかった。コーヒーを出す前に、その日はどのカップを使えばよいかレヴィン(秘書)が決めるのだが、おかしなことに、なぜそのカップを選んだかをキルケゴールにきちんと説明させられたという。
アンソニー・トロロープ
毎朝五時半に机にむかうこと、そして自分を厳しく律することが私の習慣だった。年老いた下男が、私を起こす役目を務めてくれた。そのために私は彼に年間5ポンド余分に払っていたのだが、この下男も自分に厳しい男だった。・・・私が成功を収めたのは、誰よりもこの下男のおかげといっても過言ではない。
ショパンの曲は、奇跡のように自然に湧きおこった。自ら求めるのではなく、何の前触れもなく、発見するのだ。それはピアノの鍵盤の上に、完璧な形で突然現れることもあれば、散歩中に頭のなかにひらめいて、一刻も早くピアノで弾いてみたくなることもある。しかし、そこから悲痛な生みの苦しみが始まる。それは私がかつて見たこともないような苦しみだ。頭のなかで聞いた旋律を細部まで再現しようと、迷い苦しみ、いらだちながら、もがきつづけるのだ。
結局、仕事はいつまでも人生から逃避する最高の方法なのだ!
金についての本を書いたもので、こんなに金のない者は、今までいなかったと思う
妻アルマはマーラーより十九歳も年下だった。・・・マーラーの別荘での生活は、アルマによれば、「あらゆる不純物を取り除いた、超人的といえるほど純粋なものだった」。・・・アルマの仕事は、マーラーが作曲をしているあいだ、小屋を騒音や雑音から守ることだった。自分はピアノを引くのを控え、近所の住人にはオペラのチケットを配って、犬を外に出さないでほしいとたのんだ。
昼食は空腹を満たすためのもので、あまり食欲をそそったり、胃がもたれたりするものはいけない・・・アルマには病人食のように見えたといっている。
浮かんできた音楽に満足すると、彼は私の方を見て、ほほえみかけた・・・話たちにとって、それは最高の喜びだと知っていたのだ。だがアルマは、気まぐれで孤独な芸術家の妻という新しい役目を手放しで喜んでいたわけではない(結婚前はアルマ自身、前途有望な作曲家だったのだが、マーラーは彼女に作曲をやめさせた。作曲家は一家に一人で十分だというのが彼の言い分だった)。
「私の中で大変な葛藤が渦巻いている!私のことを考えてくれるだれか、わたし自身を見つけ出すのを助けてくれる誰かを熱望するみじめさ!わたしは家政婦になってしまった!」
いっぽうマーラーは妻の心の葛藤には気づかなかったか、あるいは気づかないふりをしていた。・・・わたしが人生でのぞみ、必要とするのは、仕事をしたいという衝動を感じることだけだ!
次がどうなるか分かっているところまで書いてやめる。そのあと、がんばって生きのびて、翌日になったらまた書きはじめる。
ヘミングウェイは立って書いた。胸の高さまである本棚の上にタイプライターを起き、その上に木製の書見台を置いて、それに向かうのだ。
持っているものを全部吐き出してしまうのはよくないだろ?まだ書きたいことが残っているうちにタイプライターの前から離れる方がいいんだ。
優れた洞察力が働く瞬間瞬間を維持するには、厳しく自己管理をして、規律ある生活を送らなければならない。
繰り返すこと自体が重要になってくるんです。一種の催眠状態というか、自分に催眠術をかけて、より深い精神状態にもっていく。
体力が、芸術的感性と同じくらい必要です。
自ら作り上げたこの習慣の唯一の欠点は、2008年に本人があるエッセイの中で認めているように、人づきあいが悪くなることだ。「何度も誘いを断っていると、人は気を悪くする」・・・しかし、自分の人生で欠かすことの出来ない関係は、読者との関係だと彼は考えた。「読者は僕がどんなライフスタイルを選ぼうが気にしない。僕の新しい作品が前の作品より良くなっているかぎりは。だったらそれが、作家としての僕の義務であり、最も優先すべき課題だろう」
僕の経験から言うと、本当に創造的な人々の仕事の習慣はきわめて平凡で、とくにおもしろいところはない
なぜなら、創造的な仕事、とくに僕がやっているような交響曲やオペラ音楽のような大作を作る仕事は、かなりの重労働なんだ。それに、誰かに手伝ってもらうわけにもいかない。ぜんぶ自分でやらないとだめだ。
日常生活においては、行き当たりばったりの自由を維持して、アイデアが生まれたらすぐ対応できるようにしている。
マーガレット・ミード
ダラダラしていると、時間はどんどん過ぎていく・・・そんなのがまんできないわ。
怠惰は病で、この病とは闘わねばならない。・・・しかし自分は元来その闘いには向いていない、と付け加えている。「私自身はいままで、なにを始めても2日と続いたためしがない」
イマニュエル・カント
ハインリヒ・ハイネ「カントの人生を物語にするのは難しい。カントには人生も物語もなかったからだ。機械のように規則正しい、ほとんど超然とした独身生活を、ケーニヒスベルクのへんぴな一画で送った」
カントは明らかに、生活における「ある種の画一性」を、単なる習慣から道徳的な規範に変えようとしていた。
忘れるな。規則正しい生活習慣がついて初めて、人は真に興味深い活動分野に進むことが出来、その結果、意図的な選択を一つ一つ、まるで守銭奴のように蓄積していけるー一つの輪が抜けると、無数の輪が外れてしまうことを、決して忘れるな。
われわれの神経系を敵ではなく味方にすること
日常のこまごました事柄を、努力せずに無意識に行えるようにしてしまえば、その分、頭脳に余裕ができ、よりレベルの高い仕事ができるようになる。なにひとつ習慣として無意識に処理することができず、いちいち躊躇してしまう人間ほどみじめなものはない。
ジェイムズは規則正しい習慣を守るということがなく、つねに優柔不断で、だらしのない不安定な生活を送っていた。
ロバート・D・リチャードソン「習慣についてのジェイムズの意見は、規律正しい人間のえらそうな助言ではない。正反対の、まったく何の習慣も身についていない人間による助言だ。自分こそ一番習慣を必要としている人間、習慣をもたないという習慣しかもっていない人間が、苦労してやっと手に入れた、本人にとってはもう手遅れの、自分のことは棚に上げた、哀れなほど真摯で、実践的なアドバイスなのだ。ジェイムズ自身の生活はあちこちで混乱が芽を吹き暴れまわって収集がつかない状態だった」
文芸作品がどれほどの高みを極めるかは、苦しみが作家の心をどれほど深く削ったかによる。それは井戸を深く掘れば掘るほど、水面が上昇するのと同じだ。
作曲するときは、ぜったいだれにもきかれていないようにしないとだめなんだ。
行き詰まるとしばらく三角倒立をする。それは頭を休め、脳をすっきりさせるためだったらしい。
アルクイユへ引っ越した年、サティはささやかな遺産を相続し、それでスーツと山高帽を一ダースずつ買った。どれも栗色のビロード地を使った、まったく同じデザインのものだ。毎日その格好で歩いて行くサティを見た地元の人々は、間もなく彼のことをビロードの紳士と呼ぶようになった。
研究者のロジャー・シャタックによると、サティの音楽の独特のリズム感や、反復の中の変化の可能性を尊重するところなどは、毎日同じ景色の中を延々と歩いて往復したことに由来するのではないかという。
病的に健康に気を使っていたピカソは、当時、飲み物はミネラル・ウォーターか牛乳だけ、食べ物は野菜と魚とライスプディング、ブドウに限ると決めたところだった。
娯楽に関しては複雑な思いがあり、集中的に仕事をして、その合間に気晴らしをするのは好きだったが、遊びほうけることは嫌った。
絵を描くことに関しては、飽きることも疲れることもなかった。・・・画家が長生きする理由はそれだ。アトリエに入る時、僕は自分の体をドアの外に置いてくるんだ。イスラム教徒がモスクへ入る時に靴を脱ぐのといっしょだよ。
銀行員になる前は、批評やエッセイを書いたり、学校で教鞭をとったり、意欲的な集中講義を行ったりしていた。それは全精力を注がねばならない大変な仕事で、詩を書く時間はほとんどなかった。それより問題だったのは、なんとか食べていくだけの金も稼げないことだ。それにくらべると、ロイズ銀行の仕事は天の恵みのようだった。
理想的な職場だったが、時間が経つにつれ、決まりきった事の繰り返しが退屈になってきた。・・・ここに死ぬまでいるかと思うとぞっとする
いつもびっくりさせられたんですが、兄は作曲する時に、ピアノで弾いて見る必要がまったくなかったんです。ただ椅子にすわって、頭のなかできいたものを書き出す。その後、完成したものをピアノで弾くんです。
アレクセイ・イコニコフ「彼の手は絶えず動き、まるで話しているようで、決してじっとしていなかった」
どう考えても、これはよくない。僕みたいに短時間に作曲してはいけないんだ。作曲は厳粛な作業で、バレリーナの友人の言葉によると、「全力で走り続けることはできない」んだ。僕はむちゃくちゃなスピードで作曲し、自分を止めることができない・・・おかげで心身を消耗するというか、不快な気分になるし、一日の終りに、その日の成果にまったく自身がもてない。でも、この悪い癖をなおすことはできないんだ。
彼は頭のなかで全体像が仕上がってから出ないと、スケッチさえ描こうとしなかったからだ。・・・落水荘はおそらく二十世紀の最も有名な住宅建築だが、ライトがその図面を書き始めたのは、クライアントが今から来るまでに時間ちょっとでそちらに着くと電話をしてきてからだった。ライトはこのように追いつめられた状態で一気に創造性を発揮し、それで疲れることもなかった。
三番目の妻はやがて心配し始めた。彼女によると、ライトは八十五歳になっても一日に二、三回セックスができたという。「たぶん、神様の思し召しだったのだろうが、彼の欲望があまりにも激しいので、わたしは心配になった」「彼を弱らせて、あの素晴らしい喜びを奪ったりすることは、わたしにはとてもできなかった」
カーンは非常にエネルギッシュだったので、他の人間が自分ほどエネルギッシュだとは限らないことに思いが至らなかった。
https://www.houzz.jp/ideabooks/61454935/list
ジョージはいつもちょっと悲しそうに見えた。仕事をしなければいけないという強迫観念に駆られていたからだと思う。
インスピレーションは信じなかった。そんなものがくるのを待っていたら、年にせいぜい三曲しか作れないと言って、毎日こつこつ仕事をするのを好んだ。「プロボクサーと同じで、作曲家はつねにトレーニングを続けないといけない」
自分のことをカナダで「最も経験を積んだ世捨て人」と読んでいた。
きわめて非社交的で、感情的な交わりを避け、誰かと親しくなりすぎると急に関係を断った。
生活と仕事の二つがひとつになっている。それを異常というなら、たしかに僕は異常だ。
僕はきわめて夜型の生活を送っている。・・・用事はできるだけ遅い時間に設定して、夕暮れにコウモリやアライグマと一緒に活動を始めるようにしている。
彼は作曲においては並外れて勤勉で創造性にあふれていたが、それ以外の仕事と名のつくものに関しては、まったくの役立たずだった。
毎日を生きるだけでじゅうぶんつらいのに、なぜそれを書きとめる必要がある?日記なんて、拷問部屋の目録みたいになってしまう
わたしは生きているのではない。自分自身を、恐ろしいやり方で消耗させているーだが、どうせ死ぬなら、仕事で死のうと他のことで死のうと同じだ。
アレグザンダー・グレアム・ベル
僕にはどうしても落ち着かない期間が定期的にやってきて、そんなときは頭のなかにアイデアがいっぱいに詰まって、指先までうずうずしてくるんだ。そうなるともう興奮して、だれになにをいわれようと仕事をやめることはできない。
毎日は、仕事、仕事で過ぎていく。夜にはへとへとになってカフェへ行き、その後はさっさと寝る!人生はそんなものだ。
いつも一日のはじめには、書斎にある美しい古風な書見台の前に立って書くんだ。その後、ふくらはぎにちくちく重力を感じるようになったら、座り心地のいい肘掛け椅子にすわって、普通の書きもの机で書く。そしてついに重力が背筋をはいのぼりはじめたら、小さな書斎のすみにあるソファに横になる。
エドワード・アビー
作家は同居人としてはやっかいな相手だと思う。仕事をしていないときはみじめで、仕事しているときはそれに夢中になるからだ。少なくとも僕はそうだ。
義務とか、責任とか、強制されて働くとかいうのが嫌いなんだ。・・・でも、前払いしてもらうのは好きだよ。そしたら強制的に働くしかなくなる。
自分が書いておもしろいと思うことを書いて、その報酬として編集者に金を払わせるのは離れ業だ。綿密な計算と豊かな独創性が必要になる。
L・フランク・ボーム
わたしの本の登場人物たちは、なかなか思いどおりに動いてくれないんだ。
漫画を描くことができないと、ひどく不安になるんだ。もし、こういうことをするのが許されなかったら、とてもむなしく感じるだろう。
キングは小説の執筆を創造的な眠りにたとえ、自分の執筆週間を、毎晩寝るための準備のようなものだと述べている。
寝室と同じように、執筆する部屋はプライベートな空間でなくてはならない。・・・毎晩同じ時刻にベッドに入ったり、毎晩決まったことをしたりして、寝る準備をするのと同じだ。執筆でも睡眠でも、我々は物理的にはじっとしていながら、昼間の平凡で合理的な考えから精神を解放させることを学んでいく。頭と体が毎晩、一定量ー六、七時間かできれば八時間ーの睡眠に慣れていくのと同様に、起きている時の頭も訓練によって創造的に眠り、空想による鮮やかな白昼夢を作り上げることができるようになる。その白昼夢がすなわち、よくできた小説なのだ。
スティーブン・ジェイ・グールド
私はつねに仕事をしている