最強の経済学者 ミルトン・フリードマン

 一時期、極端なまでに宗教を重んじたという逸話は、几帳面な性格をよくあらわしている。いいかげんなことができない。論理的に考えるなら、徹底して理詰めで考える。理路整然とした世界を求めるタイプだ。だからこそ、食事規定をはじめとする正統派ユダヤ教の細々とした教えに一貫した論理を見いだせなくなると、宗教とはあっさり縁を切った生まれながらの合理主義者、実証主義者だ。宗教に意味はないと悟り、バルミツバーを迎える13歳の頃には、「完全な不可知論者」になっていた。

 

人生を左右した「幸運な偶然」の存在をつくづく感じる。一つは、アメリカに生まれたこと。「もう一つの幸運な偶然は高校で幾何学好きの先生」に教わったことだ。ユークリッド幾何学の授業を受けて「数学の奥深さ、面白さを知り、数学好きになった」。

 

「(今では)貧しい学生向けの選抜奨学金制度で、最優秀の生徒ではなく、成績の劣る生徒が選ばれるようになった。社会がいかに堕落したかを示す好例だ」と批判している。

 

「四人に一人が失業していた1932年に、一番の緊急課題はなにかと考えれば、経済学を選ぶに決まっている。自分自身、経済学を研究することに全く戸惑いはなかった」

 

ヴァイナーの授業が厳しく、ある意味で冷酷だったという逸話は数知れず、いまだに語り継がれている。フリードマンが院生の頃、学部生としてシカゴ大学に在籍していたポール・サミュエルソンは、ヴァイナーの「あの有名な」経済理論講座201の授業を今も憶えている。301講座では、学生が「緊張した面もちで机のまわりに座る」。ヴァイナーに3回当てられて、満足のゆく解答を出来なかった学生は落第したという。

 ジェイコブ・ヴァイナー - Wikipedia

 

ケインズの『貨幣改革論』は、フリードマンケインズの最高傑作と考える論文だ。フリードマンによると、ケインズは元々マネタリストで、景気対策で金融政策より財政政策を重視したのは後になってからだ。ケインズ派貨幣数量説の交換方程式MV=PTを一貫して支持している。・・・ケインズは、後に流通速度(V)が大きく変化すると主張し、フリードマンはそれに反論した。

フリードマン)・・・ケインズが、貨幣数量説を支持していることを忘れてはならない。貨幣改革論を読めば、それが貨幣数量説であることは明白だ。ケインズ流動性選好説と貨幣数量説の違いは流動性の罠(流通速度の低下)があるかどうか、それだけだ。本質的な違いは、その一点に尽きる。私の理論に流動性のわなは存在しない。

 

サイモンズは、人の学説を鵜呑みにして繰り返すのではなく、客観的・批判的に検証することが、本当の意味で敬意を払うことになるということを私たちに教えてくれた

ヘンリー・サイモンズ - Wikipedia

 

「経済学者の卵にとって理想的な組み合わせは、理論を重視するシカゴで一年学び、その後、制度主義の視点と実証研究を重んじるコロンビアで一年過ごすこと。それが私の結論だ」。両大学で学んだアレン・ウォリスも同じことを言っている。

 

いわゆる静学理論と、時間を通じた動きを考慮する動学理論の根本的な違いは、動学理論が不確実性を持ちこみ、結果的に予測を知識に変えることだ。動学理論は、予測の分析を基に構築しなければならず、予測に対して、相対的に一定した行動パターンの分析と発見を志す必要がある。こうした作業を通じて、理論が扱わなければならない完全な不確実性を減らしていくことができる。

 

フリードマンが主要論文の多くで使った数学的なアプローチは、統計学を駆使したデータ分析であり、コールズ委員会が好んだ経済理論の定式化ではない。次に、フリードマンは、経済理論を実証的に検証し、現実世界で起きることを予測する必要があると考えたが、コールズ委員会は、理論の妥当性を判断する基準として、この点をそれほど重視しなかった

 

フリードマンを中心とする新しいグループがコールズ委員会と学内の主導権を争う1940年代後半から1950年代前半にかけては、いやが上にも大学の水準が高まった。フリードマンが教壇に立ったばかりの頃、経済学部とコールズ委員会の研究室があった社会科学研究等の四階では、後のノーベル経済学賞受賞者13人と未来や現役のアメリカ経済学会会長12人が、普通に廊下を行き交っていた。

 レスター・テルサ―によれば、あれほどの学者が集結した場所は、ほかではコペンハーゲンニールス・ボーア理論物理学研究所くらいだった。シカゴ大学でコールズ委員会の研究員となり、後にノーベル経済学賞を受賞したケネス・アローも「1940年代後半のシカゴ大学には、とてつもない学者がそろっていた。経済学の分野であのような学者集団が出現することはもう二度と無いのではないか」と語る。フリードマンから見れば、アローの言う「経済学」は、ほんとうの意味での経済学ではなかった。

 

シカゴ大学の伝統を守るには、学問の能力、ただ学問の能力のみに基づいて教授を選ばねばならない。政治的・社会的な見解や人柄・性別・人種などは関係ない。助成金や教員のバランスなども考えてはならない。これまで、能力だけで研究者を選ぶという方針を貫くことで、バランスと多様性という基調な副産物が生まれてきた。それは、これからも変わらないだろう。バランスや多様性は直接追い求めてはならない」。シカゴ大学が名声を確立できた理由のひとつが、「多様性の容認と科学性の重視を採用の絶対基準として、学問の未来を背負って立つ人材を見極め、大学に引き寄せてきた」ことだ。「客観的に知識を追い求めること、それが、最も広い意味での科学の目的でなければならない」

 

 「実証経済学の方法論」は、経済学を「実証科学」として確立する上での問題点を論じている。自然科学の世界では一応誰もが認める正解と不正解が存在する。経済学も同じような「実証科学となり得るし、実証科学としての側面がある」というのが、フリードマンの主張だ。

 経済理論とは言いながら、フリードマンが「無邪気な実証主義」と呼ぶいい加減な事実認識を基に、やみくもに自分の価値観を押し付け、あまり意味のない数式でお茶を濁すということになりかねない。事実とは現実世界の問題であり、価値観とは考え方の選択の問題だ。実証経済学は事実に着目する。

「実証的経済学の方法論」が拠って立つ基盤が予測だ。フリードマンにとって、科学を科学たらしめているのは予測であり、科学の意義は予測にある。・・・科学と非科学を分けるのが予測だ。「実証科学の最終目標は、まだ観測されていない現象を有効かつ有意義に予測できる理論を展開することだ

 経済学は予測を抜きに語れない。そもそも政策の効果を予測できなければ、政策を提言することもできない。・・・「政策決定に際しては、必然的に政策効果の予測に頼らざるをえない。その予測のもとになるのが実証経済学だ」。

 理論は仮定の現実性ではなく、予測の正確性のみで評価すべきだ。理論の良し悪しを決める基準はただひとつ、正しい予測ができるかどうかだ。

現実世界で仮説を『証明』することはできない。仮説を否定できない状況があるだけだ。・・・これが真理だと断言することはできない。真理の探求とは、新旧の仮説を新しい現実に照らし合わせて検証していく永遠のプロセスだ。現実世界を観察する過程で、少しずつ真理の姿が見えてくる。真理がいかに崇高でも、それはいつかたどり着く山頂ではない。新たな発見が、新たな謎と新たな研究分野を生む。知れば知るほど自分の無知を痛感し、世界の奥深さを実感する。真理とは、どこまでも続く道をゆく終わりない旅の仮の宿にすぎない。今ごく当たり前とされている知識も、とりあえずの一時的な知識でしかない。フリードマンは、ソクラテスとヒュームの伝統を受け継ぐ懐疑主義者だ。

「実際に起こり得る事実で反証できない理論は、予測の役に立たない」。経済学に限らず、事実に即した理論以外は認めなかった。現実を無視すれば理論は空論になる。現実に起きることを予測できない理論は無用の長物であり、架空の世界の予測など論外だ。現実世界の予測でなければ、予測とはいえない。科学の方法論で大切なのは、事実を完全に把握することができないということではなく、事実がなければ予測が成り立たず、予測があってこそ初めて科学的な理論を構築できるという点だ。

現実世界の具体的な事実に立脚しない理論、将来起きることを具体的に予測できない理論は、不毛な数式の羅列に過ぎず、知識の蓄積にはつながらない。これは、20世紀の経済理論の大半に共通していえることだ。

経済学の方法論で重要なのは、数学的・幾何学的にいかに複雑で精緻なモデルを作るかではない。予測がどこまで正確なのか、その一点に尽きる。

 

サミュエルソン

  • 科学のできる人々は,その方法論についてペチャクチャしゃべることができない
  • 「定義,トートロジー,論理的含意,経験的仮説,事実的反駁の関係に関して根本的に混乱している経済学者は,現実をシャドウ・ボクシングをして一生を過ごすかもしれない.したがって,ある意味では,知識に対する実り豊かな貢献者として毎日の糧を稼ぐためには,経済学のような中途半端なハード・サイエンスの実践者は,方法論的問題と折り合いをつけなければならない」(Samuelson, 1965) とも言っている

http://www2.tamacc.chuo-u.ac.jp/keizaiken/discussno167.pdf

 

ドン・パティンキンは、コールズ委員会のセミナーでフリードマンの発した一言が忘れられない。「フリードマンは計量経済モデルの予測能力は、最低でも未来が過去と同じになると想定する『ナイーブモデル』より精度が高くなければならないと言い放った。単純だが強烈な指摘だった」

ドン・パティンキン - Wikipedia

 

論争の対象になっている問題については、冷静に理性的な議論をすすめることが肝心だ。冷徹な目で事実を追い求め、進んで自説を修正する。それが科学であり、人類に大きな進歩をもたらす。西洋文明の長所の一つでもある。古典的自由主義と科学に共通するのは、好奇心を絶やさない姿勢だ。それはいろいろな意味で子供の視点に似ている。予断を持たず、大きく目を見開いて世界を見つめる。予測を重視する理論がなぜ理論のあり方として正しいのか。フリードマンはこう説明する。「人間の理解力は完全ではない。限られた頭脳を効率よく利用するには、問題の核心に狙いを定めることが重要だ

 

リベラル派の問題は、心が温かいことではない。頭脳が冷徹さを欠いていることだ。

 

ジェームズ・ブキャナン「講義や分析で見せた頭のきれは圧倒的」で、「学生の私など、フリードマンの真似事をするだけで終わってしまう可能性もあった。しかも、自分よりうまく真似る人が三人いた」。「あの並外れた分析力は、学生には刺激が強すぎたが、シカゴ大学を卒業後、ある事件がきっかけでフリードマンの呪縛から逃れることができた。比較的無名の学者が、フリードマンの論文に論理的な誤りを見つけ、指摘したのだ。フリードマンは潔く誤りを認めた」

ジェームズ・M・ブキャナン - Wikipedia

 

経済学は希少性の学問だ。「経済の問題は、希少な資源を利用して複数の問題を解決しようとする際に生じる。資源が希少でなければ、何も問題はない。天国だ」。経済学とは社会科学であり、個人の協力と相互作用に関する問題を扱う。実証経済学は大きく貨幣理論と価格理論に分けられる。貨幣理論は、物価水準や総産出量・総雇用量などの循環的・非循環的な変動を、価格理論は、資源配分や相対価格を研究する。専門用語では、貨幣理論をマクロ経済学、価格理論をミクロ経済学と呼ぶ。

 

ヴァイナーとナイトの二人の授業を受けた大物経済学者はベッカーが最後だ。もっともヴァイナーの授業はシカゴ大学ではなく、プリンストン大学の学部生の頃に受けたものだ。ベッカーはフリードマンについてこう書いている。「自分が学んだ人の中で一番強い影響を受けた」「優れた教育者」で、「頭脳は他を寄せつけず」「あそこまで刺激を受けた人はいない」。「まさに討論の名手」で、「頭の回転が速く」「発想が斬新」で、当時の経済学部の「中心的な存在だったことはまちがいない」。

 

フリードマンの価格理論講座では、たくさんのイラストや具体例を使い、「学生は、理論の遊びのような空論ではなく、現実世界を理解する道具として、フリードマンの経済学を体得することができた」。フリードマンにとって、「理論それ自体は目的ではなく、これみよがしにひけらかすものでもなかった。現実世界の様々な現象を説明できなければ、理論の意味はないと考えていた」。

 

授業は準備万端で臨み、テストでは選択式の問題は出さなかった。採点は大変になるが、選択式が教育法として優れているとは思えなかった。どうすれば、学生のやる気を最大限引き出し、学生を納得させられるかを心得ていた。学生を批判しても悪意や冷酷さとは無縁だった。世界をもっと性格に、あますところなく理解してほしい。自分自身の考えや人の考え方への理解を深めてほしい。それがフリードマンの願いだった。

 

論文の執筆に取り掛かった学生は、基本的には自分ひとりの世界に放り出される。いつもアドバイスが貰えるわけではなく、系統だった指導設けられない。それでも学生は、絶対的な水準、『知識への貢献』を求められる。混乱して、無駄な作業に時間を費やし、いたずらに論文の質を低めてしまうのも無理はない。・・・研究法というものは、教えることができない。適切な環境の中で、実際に研究をすすめることによってしか学ぶことができない。だからこそ研究会の意義がある。・・・論文は、研究が全て終わってから書くものだという世間一般の認識ほど誤ったものはない。物を書くという作業を通じて、自分が何をしているか、何をすべきかがみえてくる徹底的に考え抜くことを自分に強いるには、文章にしてみるのが一番だ。・・・学生は自分の興味のあることを研究し、自分の考えやアイデアを突き詰めるべきだ。そんなことは研究するなとは、絶対に言いたくない。学生には、過去の研究成果を土台とすることも勧めた。現在当たり前と考えられている知識は、全て暫定的なとりあえずの知識であり、全く新しいことをゼロから始めること自体にそれほど大きな意味があるとは思えない。むしろ、自分たちが分かっているつもりになっていることから、多くを学ぶことができる。分かったつもりになっている現実世界にしても、細部を突き詰めようと思えば、どこまでも突き詰めることができる。

 

ポール・サミュエルソンミルトン・フリードマンは、教師として、Aプラスの成績を収めた。ひとつ例を挙げよう。1951年、プリンストン大学で成績抜群だった学部生が、燃え尽きたようになってしまった。この学生は、フリードマンシカゴ大学で初めて受け持った講座を受講して、息を吹き返した。文字通り『次の授業が待ちきれない』といった状態だった。誰のことを言っているのかは想像がつくと思う(ゲーリー・ベッカーのことだ)。こういう学生が他にもたくさんいる」。

 

 ケインズは流通速度が大きく変動すると主張した。ケインズによれば、マネーサプライを増やしても、単に流通速度が低下し、右辺の物価と取引量にはなにも起こらない。同様に、何かの原因で、マネーサプライの増加を伴わずに右辺が増加した場合は、流通速度が上昇する。つまり、流通速度は幻のようにコントロールできず、マネーサプライや所得の変化に伴って上下する。従って、マネーサプライはあまり重要ではないという論理である。

 

経済はケインズが考えるよりも安定している。赤字財政支出も含め、投資額の何倍も国民所得が増加するというケインズの「投資の乗数効果」は実際にはあまり期待できず、景気が変動してもケインズの主張するほど消費への影響はない。市場の魔法に委ねれば、公共投資よりもはるかに効果的に所得を増やすことができる。企業の結託で市場の機能が妨げられるという独占的競争の理論にも反対した。政府による経済への介入、政府の経済運営は、ケインズが考えるほど経済学的な根拠はない。物価と景気の動向を決めるうえでは、財政政策よりも金融政策のほうがはるかに大きな役割を果たす。

経済の分析では、他の学問同様、事実がなによりも重要だ。ケインズの致命的な誤りは、理論ではなく実証面にあった。ケインズは、優れた経済学者だ。最高の経済学者の一人に数えられる。世界はどのように動いているのか、『一般理論』はその仮説を示した。科学的な仮説はすべてそうだが、どれほど想像力に富んだ考え抜かれた仮説でも、まちがっている可能性がある。ケインズの仮説は、理論として反論するところはない。ただ、理論の提示する予測が現実にそぐわず、現実世界で否定された。だからこそ反論しているのだ

 

 フリードマンはその後、好況と不況が規則的に繰り返すという意味での景気循環は存在しないと考えるようになる。「景気循環が存在するとは思わない。景気循環とは、経済内部のメカニズムによって規則的に繰り返し発生する現象と定義されるが、そのような意味での景気循環があるとは思わない。経済には一定の反応機構があり、外部のランダムな力に時間を欠けて反応する」。景気はランダムな要因で変動するというエヴゲニー・スルツキーの「ランダムショック説」を支持していたことになる。・・・スルツキーが1927年の有名な論文で指摘したように、一連のランダムなショックへの反応にすぎないのではないか。景気循環ではなく、景気変動だ。

 

 合衆国の貨幣史。この物語を貫くキーワードは、冒頭にある「アメリカの貨幣ストック」だ。「それまで金融政策の威力に気づかなかった一つの理由は、フリードマンとシュワルツがM1(現金通貨+要求払い預金)とM2(M1+定期性預金)を開発するまで、連邦準備理事会(FRB)がマネーサプライの統計を公表していなかったからだ」(経済史研究科、マーク・スコーセン)。「FRBが1929年から33年にかけてマネーサプライ統計を発表していれば、大恐慌があのような経緯をたどったとは思えない」(フリードマン)。

 

シカゴ大学は、経済学を数学の一部門としてではなく、経済の問題として真剣に研究していた。例えば、ハーバード大学と当時のシカゴ大学の根本的な違いを挙げると、シカゴでは、経済学を現実の問題を扱う学問として真剣に活用していたが、ハーバードの経済学は、数学と同列の頭の体操だった。現実問題の解決にはまったく役に立たない」。ゲーリー・ベッカーも口をそろえる。「(ヴァイナーは)ミクロ経済理論を現実世界から遊離させてはいけないと力説していた。過去のデータなど、客観的な事実で理論を検証することが必要だと強調していた」。ただ、ヴァイナーは、フリードマンのような統計学を使った実証研究には踏み込まなかった。経済史研究者のマーク・スコーセンによると、ベッカーは「理論と実証データを厳密に検証したこと、これが経済学者としてのフリードマンの最大の貢献だ」と指摘している。

 

MITは、戦後ほぼ一貫して経済学の先頭集団を走ってきたが、フリードマンはMITの数学を駆使した方法論には批判的だった。1988年、経済学を「数学の一部門、知的なゲーム頭の体操」と考えるのがMIT、私はマーシャルにならって経済学を「分析の道具」と考える、と比較している。

 

「論文であれば適切といえるような回りくどい言い回しでは、一般読者を失う。論文をかく時は、知識の蓄積という現在進行系のプロセスに参加しているが、一般向けの文章は、あるものの見方を伝えるものであり、余計な但し書きなどを付けて読者を混乱させるべきではない」。・・・データの分析で重要なのは、データはないよりもある方がよいということだ。

 

 晩年のアダム・スミスは、学者として研究を続けるのではなく、地味な役人として過ごすという大きなまちがいを犯した。

 

 ハイエクは、フリードマンは統計を重視する「論理実証主義者」だと批判している。

フリードマンは、大の実証主義者で、実証的に証明できないものは、科学的な主張とはなりえないと考えているが、わたしは、経済に関する細かな情報は山ほどあり、そうした知識を整理することが私達の仕事だと考えている。新しい情報はもうほとんど必要がない。すでにある情報を消化することが非常に難しいのであり、統計データを集めても、あまり意味はない。ある特定の時期の特定の状態について情報を得たい場合は別だが、理論を構築するうえで、統計的な研究は役に立たないと考えている」

ハイエクは、フリードマンが、検証不可能な形而上学の命題は科学的に無意味だと主張する「論理実証主義」にくみしているとも批判した。「実証経済学の重要性を説いたフリードマンは、すべての関連事実について完全な知識が得られることを前提にしている」。これは的外れな批判だ。フリードマンは、自分の方法論を「実証主義」と呼んだが、科学的な判断基準は、論理実証主義を標榜したウィーン学団のような厳密なものではなかった。単に経済の事実と価値観を区別するために「実証的」という言葉を使うことが多く、ハイエクのよく知っていたウィーン学団論理実証主義とはまったく関係がない。

 

オーストリア学派のなかで(ハイエク以外に)本一冊を費やして論じる必要があるのは、フォン・ミーゼスだ。常に刺激的で、共感できる主張が多い。ただ、その方法論と狭量な姿勢はまったく受け入れられない。

 

世論を説得するというよりも、選択肢を確保しておく、つまり変化が必要になった際に選択できる政策を用意しておくという意味で、思想は重要だ。・・・思想は重要だが、長い時間を必要とするものであり、思想それ自体よりも、思想を生み出す肥沃な土地が重要だ。

 

市場経済は、誰からも矯正されずに経済活動を行うことができる洗練された制度だ。個々の情報を基に資源を最大限有効に活用し、各資源を最も効率の良い方法で結びつけることができる」

「もちろん、これは抽象的で理想化された概念だ。世界は理想的ではない。完全な市場から逸脱する例は無数にある。その多くは、政府の介入が原因だ。」

 

高齢化社会であっても、現役時代に蓄えをしておけば、いくら高齢者が多くても国は繁栄できる。アメリカや日欧では年金制度が危機に瀕しているが、その理由は一つしかない。ねずみ講はいずれ破綻するのだ。年金制度は、今の現役世代の負担で今の高齢者の生活を支えている。未来の若者が保険料を負担することが大前提だ。出生率が死亡率を上回っているうちは問題ないが、出生率が頭打ちになれば制度は崩壊する。こんなことなら、一人ひとりが退職に備えて貯蓄していたほうがずっとよかった。

高齢化社会が進んでも、民間の保険会社は破綻していない。保険会社も政府と同じように高齢化社会の影響を受けているはずだ。違いは、保険会社が資金を積み立てている点にある。右から左に資金を流しているわけではない。

 

実証経済学の発展には、既存の仮説を検証し練り直すだけでなく、新しい仮説をつくることが必要だ。仮説の構築に決まり事はない。直感と創意工夫を要する創造的な行為であり、身近な材料からなにか新しいものを見つけることが肝心だ。論理ではなく心理的な要素が重要になる。これは科学の方法論に関する論文ではなく、自伝や伝記で研究する問題だ。

最強の経済学者 ミルトン・フリードマン

最強の経済学者 ミルトン・フリードマン