Learn better

教育に携わる人(もちろん子育てを含む)は読むべき一冊。エピローグの後にあるツールキットが実践的で素晴らしい。結論だけを知りたい人は、ツールキットから読み始め、本文に読む「価値があるか」を見定めるのも悪くない。
  • 例えば私に都市計画の能力を伸ばせと言われても無理だ。そもそもそのテーマをよく知らないからだ。あるいは鳥類の専門家には300種類のハトの違いが見分けられるという例を考えてみるとよい。素人の私には正直どれも同じハトに見える。当然ながら素人ゆえに、ミドリマダラバトとシラコバトの見分け方を身につけるのは難しい。
  • 本人だけの責任ではないが、私たちはスキルを向上させ、自分を改善する方法を探さないことが多い。手書き文字が良い例だ。小学校を卒業してからは真剣に字の練習をすることはないものだ。そのため「g」と「s」の見分けがつかず、文章は虎の爪痕のように見えてしまう。医療の世界では字の汚さが原因で年間7000人の死者が出ているというのに、事態は改善されていない
  • スキルを伸ばすには評価も重要だ。目標を絞り込んだフィードバックが必要となる。トレーニングの専門家、アンダース・エリクソンは、それに特化したモニタリングと、的を絞ったフィードバックが不十分であるために無駄に終わっている練習が多い、と言う。スキルを試したり伸ばしたりする際、「何を向上させるべきか明確にわかっていないために、時間を無駄にしているだけ」の人がほとんどである、とエリクソンは私に語った。

 

  • このような体系立ったフィードバックが学習プロセスの初期には重要で、配慮の行き届いた批評と指導は初心者にきわめて大きな影響を与える可能性がある。しかし時間の経過につれフィードバックを次第に控え、学習者が頭を働かせ、理解を形成し、自分で答えを考え出すためにやることを増やすべきである。「ミスの後のフィードバックであろうとなかろうと、単に事実や概念を繰り返し提示するのは、学習者に情報を『創出』させるのと比べるとはるかに効果が低いのです」と認知心理学者のボブ・ビョークは言う。
  • フィードバックの役割を考えると、なぜカリキュラムが重要なのか、教科書やワークシートなどの練習手段が学習に大きな影響を与えるのかがわかる。これは共同研究者のマット・チンゴスおよびチェルシー・ストラウスと行った調査で私自身がまのあたりにしてきたことだが、質の高いカリキュラムには質の高い教師と同等の効果がある。質の高いカリキュラムのほうが安価に提供しやすいいにもかかわらずだ。別の言い方をすれば、もしあなたが生徒で、先生にもカリキュラムにも恵まれなかったとしたら、カリキュラムの改善を求めて戦うほうが得である。結果はほぼ同じで、しかもコストは安くつく。それに率直に言って、新しい先生を見つけるより新しい教科書を手に入れるほうがずっと簡単だ。
  • では質の悪いカリキュラムとはどんなものか。フィードバックがお粗末で、練習問題と教科書は生徒に単純に答えを与えてしまい、思考を組み立てることを促さない。質の低い教科書はテーマの扱いが広く浅くになりがちで、一つのテーマでみっちりと練習を積むことができない
  • フィードバックの効果についてはエビデンスがあるのに、概して人は自力でフィードバックの必要性に気づかなければならないようだ。外部からのアドバイスがほしいと自分で気づかなければならない。先日、医師で『ニューヨーカー』にも寄稿する作家のアトゥール・ガワンデが、外科医としての腕を上げるためにコーチを雇った。最初のうちは葛藤があった。医師も聖職者と同様、仕事ぶりが他人の評価にさらされにくい職業なので、心理的な抵抗を感じた。もう10年近く、手術室での執刀を他人に監視されたことなどなかった。「なぜ他人の目にさらされて粗探しされなければならないのだろう」と思うこともあった。

 

  • 学習における才能の役割は、人目を引くし、言い訳になるからでもあるだろうが、大げさに語られすぎている。努力と集中、練習と学習戦略、といった大事なものと、才能は同列にとらえられがちだ。私たちは子どものような単純さで、成功の要因をたった一つのことに求めたがる。生まれ持った能力が成功を左右するという固定観念があるのはそのためだ。
  • しかも私たちは学習そのものが知能を形成することを忘れてしまう。学習と知能は深く結びついている。過去数十年間でIQ値の平均は右肩上がりに上昇しており、その要因は学校教育にあると多くの専門家が考えている。「かねてから私は、IQテストは生来の能力と学習成果の両方の尺度だと考えています」と経済学者のルドガー・ウーズマンは話してくれた。
  • さらに、地頭より学び方のほうが重要だと示唆する研究がまだわずかだが増えてきている。それについては本書ですでに紹介したが、しっかりした学習メソッドには高い学習成果を確実に期待できることが証明されている。メタ認知のようなスキルは生まれつきの知能と同じくらい重要だ。
  • しかしもちろん時として、ジョーダン・エレンバーグのような、知能の正規分布曲線から逸脱した、突出した天才は現れる。だがここには裏がある。天才とて苦労しなければならないのだ。天才たちもスキルを伸ばすために間違いをおかし、悩み、手探りする時間を過ごす。
  • エレンバーグは子どものとき、この学習の厳しい側面に懐疑的だった。間違うのは知能が足りないからだと考えていた。「努力家」という言葉は、あからさまに軽蔑的ではないにせよ残酷だと思っていた。父の色や身長と同じように天才は生まれつきの個性であり、神童と呼ばれることを彼はおおむね楽しんだ。彼にとって才能とは贈り物のようなもので、学習を難なくこなせるようにしてくれる特殊な力だった。
  • 「コーヒーショップで落ち合った今のエレンバーグは、スキルを伸ばすとはどういうことかについて、明らかにまったく異なる考えを持っていた。最先端の数学に長年取り組んできた彼は、学習には間違いが必要だと考え方を変えていた。知識の習得にミスは欠かせない。解決の手がかりすらつかめない失敗はつきものだ。「失敗に対してとてつもなく寛容でなければやっていけません」と彼は言った。「九五パーセントの時間は手さぐりの状態なんですから」
  • 「エレンバーグが知識の習得の本質についてこのように言うのを聞いて私は安心した。今までに会った中で彼はいちばん頭のいい人物かもしれない。少なくともパイを分け合って食べたことのある相手の中でいちばん頭のいい人物であるのはたしかだ。結局、ミスは必ず起こるものと観念すべきなのだ。か・な・ら・ず。学習中であろうとなかろうと、人がいずれへまをすることに変わりはない。エレンバーグのような天才数学者でさえミスや失敗をする。
  • だがそれ以上に、間違いは思考の本質である。間違いは概念形成の核心だ。学び、専門知識を育てる際に間違いをおかすのは、それが理解するために必要だからだ。作家のキャスリン・シュルツは著書『まちがっている――エラーの心理学、誤りのパラドックス』(青土社)で、間違いを禁じることは疑うことを禁じるのに等しく、深い思考を奪うと説いている。ミスは真剣な思考に欠かせない、まさに人の常だと彼女は言う。

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  • 美術評論家クレメント・グリーンバーグとともに、ポロックはジャネット・ソーベルらドリッピングの手法で実験を行う他の画家たちの研究を始めた。絵の具を撒き散らす描法をよく用いたピカソシュールレアリスト画家たちの作品も検証した。ポロックはドリッピング描法を情動を表現する手段と考えるようになり、『タイム』誌から「混乱している」と評されたときは「混乱なんかしてねえよバカ」と短い手紙で応酬している。
  • 「常識にとらわれた一般大衆の目には、ポロックのドリッピング描法は突然のひらめき、ポストモグンの神からの贈り物に見えた。実際、ポロックの名声はそんな形で始まった。『ライフ』誌は四ページにわたって作品を掲載し、彼を唯一無二の美術界の天才、「アメリカ美術界の輝かしき新星」と紹介した。くわえタバコで壁に寄りかかるジェームズ・ディーン風のポロックの写真まで添えられていた。美術界の若きマーロン・ブランドというわけだ。
  • 世の中はよくできた生まれながらの天才の物語を愛し、ポロックのカルト的人気は今も続いている。最近出たポロックの主要な伝記は、彼を「典型的な苦悩する天才」として描き、最近オークションに出たポロックの主要作品は史上最高額の1000万ドルで落札された。スポーツのプロチームの時価総額とほぼ同等の値段である。

 

  • 「なぜ」を問う質問の難易度が上がるのは知らないことを聞かれた場合だ。すると私たちは答えを出す方法を考える。説明のために、「なぜ波が生じるのか」という質問を取り上げてみよう。少なくとも五歳の子どもにこの質問をされたら、きっと初歩的な答えをひねりだす人はいるだろう。「ええと、波は風のせいで起こるんだよ。海の上を風が吹くと水面に波が立つんだ」という具合に。
  • しかし子どもは当然ながら質問をたたみかけてくる。「なぜ海の上に風が吹くの?」、「なぜ風で波が立つの?」、「なぜ風がないときにも波が寄せるの?」。こうなるとお手上げだ。少なくとも私にはわからない。そこでインターネットを駆使してなにがしかの答えを探し始める。海の中をどのようにエネルギーが移動するかについて熟読し、しまいに多くの知識を得る。
  • 「なぜ」を問う質問は自分の思考について考えさせてくれる点も重要だ。自分が何を理解しているかを明らかにしてくれるし、テーマについてのさらに精緻な理解を促してくれる。「なぜ」を問う質問がとりわけ役に立つのは何かを読んでいるときだ。テキストからの学びを豊かにするために、「なぜ」を問う質問を頻繁に自分に投げかけるべきだ。なぜ著者はこのように主張しているのか?なぜ著者の話を信じるべきなのか? これが大事なのはなぜか?
  • マイルス・デイヴィスが「なぜ」を問う質問を愛していたのは明らかだ。彼はミュージシャンとしてたえず自分の知識を発展させ、少なくとも三度にわたってジャズの変革を果たした。ジャクソン・ポロックが絵画の世界で行ったこともそれに通じる。ポロックはシケイロスのワークショップで学んだことについてのリフを創造した。彼のドリッピング描法の作品は、明らかに何年も前に学んでいた技法の発展形だった。具体的に言えば、ポロックは「なぜ絵画を絵の具の滴りや飛沫だけで制作してはいけないのか」と自問したのだ。

 

  • 知識を応用する方法は他にもある。人に教えることだ。例えばかつて、カリフォルニア工科大学副学長で物理学教授のデヴィッド・グッドステインはある量子統計学の問題を抱えていた。グッドステインは特定の亜原子の動きを量子物理学で予測する方法がないかと考えていた。
  • そこでグッドステインはリチャード・ファインマンを訪ねた。ファインマン原子爆弾の開発に貢献し、新しい光子モデルを考案し、後年ノーベル賞を受賞した高名なアメリカ人科学者である。「なぜスピン1/2粒子がフェルミディラック統計に従うのか、私にわかるように説明していただけませんか」とグッドステインは質問した。
  • 質問を聞き、ファインマンはしばし沈黙してから、この概念を説明するにはこのテーマで学部生向けの授業を作るのがいちばんよいと言った。「一年生向けの講義を準備しよう」とファインマンはグッドステインに伝えた。
  • それからファインマンはしばらくの間この問題を熟考した。だがやがて壁に突き当たってしまう。量子物理学のこの部分にはどうにも歯が立たないように思えた。ファインマンはうなだれてグッドステインにこう伝えた。「だめだったよ。一年生レベルにかみ砕くことが私にはできなかった」とファインマンは說明した。「つまり、本当には理解していないのだ」
  • あるテーマについて深い洞察を得るには他人に教えるとよい、とは奇妙に―皮肉にさえー思える。だがこの考え方には多大な研究の裏づけがある。だがこの考え方には多大な研究の裏づけがある。教える人数の規模には関係なく、教えるこ
    とによってその専門知識の理解は深まる。
  • 研究者の世界では「プロテジェ効果」と呼ばれるが、これも実は知識応用の一形態である。あるテーマについて人に教えることで、私たちはその概念に自分なりの解釈を加える。そのテーマの何が重要かを明確にし、自分の言葉に直すことによって、専門知識を深めるのである。
  • 学習メソッドとして考えると、人に教えるには一種のメタ認知も必要となる。説明するためには、教える相手の思考法について考えなければならない。つまり他人を教育するとき、人はさまざまな大事な問いを自分に問いかけるのだ。この概念をどう説明するのがいちばんよいだろう。相手はこの概念をどのように理解するだろう。伝えるべき最大の要点は何だろう。
  • こうした問いが教える側の学びを促す。頭の中で問題を吟味せざるをえないからだ。意味を考えながら対象に取り組まなければならない。そう考えると、実際に人に教えなくてもよいことが分かる。例えば心理学者のジョン・ネストイコが行った実験では、これから人に教えると信じ込まされた被験者グループのほうが、これから試験を受けると思った被験者グループよりも学習成果が高かった。ネストイコによると、この利点は人に教えるつもりだった被験者のほうが教材により豊かな形で取り組んだところにある。実際に教える経験をしたかどうかは関係ない。
  • 教えることのもう一つ大事な点は、教えるという行為の社会性である。教えるとは情動に訴える活動だ。人に教えるとき、私たちは価値や意味、情熱や喜びについて考える。

 

  • ごく基礎的な算数の問題も実はそう変わらない。そのような問題でもあいまいさの入る余地はいくらでもあり、頭脳を駆使しなければならない難解な問題になりうる。七五足す九六二という問題を考えてみよう。一見するとあきれるほど基礎的な問題だ。だがこの問題には複数の解き方がある。そのどれ一つとして唯一絶対に正しいわけではない。
  • このような姿勢は単なる習熟の手段というだけではない。実は目的なのだ、と物理学教育に携わるアンドリュー・エルビーは私に語ってくれた。専門知識を学ぶとは究極的には世界と対峙し、複雑さを理解し、思考パターンを変化させることなのだ。それは名を知られた専門家でも初心者でも同じである。「学習とは単に正解を知ることではなく、推論し説明することなのです」とエルビーは言う。
  • さらにこの考え方には私たちが生きている世界も反映されている。「知識経済」は「思考経済」に変わった。つまり、成功するには従来よりもつかみどころのない形の知識が必要になっている。決まりきっているように見えるかもしれない学問分野も、実はそれほど決まりきった世界ではない。
  • 軍隊を例にとろう。軍隊の仕事が規則を学び、命令に従い、指示を実行することだったのはそれほど昔の話ではない。アメリカ合衆国第二次世界大戦に勝利したのは、まさにこのやり方によってだった。陸軍元帥が多数の兵士をベルギーの海岸に送り込み、戦闘を繰り返しながらベルリンに向かわせた。
  • だが世の中の変化に従って軍隊も変わりつつある。アメリカは第二次世界大戦に勝ったときと同じやり方ではもう戦争に勝てないだろう。戦闘や進軍の方法が決まっていた時代は終わった。ある軍事学の教授が説明してくれた。「我々が決別しようとしているのは「正解』があるタイプの訓練です
  • 「学習学の世界でこれを誰よりも真剣に考えているのは心理学者のマーク・ランコのようだ。私が取材した学習の専門家の誰よりも、ランコは専門知識に「正解」を求めるアプローチを忌避しようとしている。ジョージア大学の研究室を訪ねた私にランコは、職場に行くとき絶対に同じ道を走らない、常に通勤経路を変えていると話してくれた。
  • 不確実性を受け入れて新しい思考を促すために、ランコは毎日ひげの剃り方も変えている。左手を使うこともあれば右手で剃ることもある。顔のどこから剃り始めるかも常に変える。靴紐の結び方まで毎日変化させている。「実のところだんだん難しくなってきました」とランコは語った。「靴紐の結び方のパターンには限りがあるようですね」
  • このアプローチによって頭がやわらかくなるとランコは主張する。小さな違いを意識するようになるのだという。加えて、人が様々な違いに敏感になるには多少の後押しが必要だとも言う。例えばランコの研究室で行った実験では、被験者はもっと型にとらわれない学習をするように言われると、もっと型にとらわれない学習をするようになる。「『あなた独自のアイデアを考えなさい』と言うだけで変わることが多いのです」とランコは言う。

 

  • テクノロジーの利用に関する最後の要点は、学びを求めよ、意味を見いだせ、ということだ。常にスキルおよび知識の開発と内省をめざしてほしい。一流の成功者は必ずこの志向を持っている。例えば政治家なら、大半のアメリカ人が一年間に読む本の数が五冊前後であるのに対して、バラク・オバマ元大統領はその倍以上を読む。スポーツ界では、レブロン・ジェームズ選手が二〇一六年のNBAファイナルで大事な試合を落とした直後から試合の録画を見直し始めた。「表彰台を降りたらすぐ、自分の技術を向上させる方法を考えるつもりです」とジェームズは言った。
  • ビジネス界も同様だ。AT&TのCEO、ランドール・スティーブンソンは先日ある記者に、週に最低でも数時間、新しいことの学習に充てなければ「時代から取り残される」と語った。スティーブンソンは継続的な学習をタイピングや基礎数学の知識と同じ最低条件とみなしているのだ。「自分を一新させなければならない。その努力に終わりがあると思ってはならない」

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  • ここでもう一度、学習を学ぶ過程の各段階をおさらいしよう。目標設定が知覚、関係づけが理解にほぼ相当するのがわかるだろう。いずれの概念も習熟をめざすためのものだ。
  • 価値を見いだす:学びたいと思わなければ学ぶことはできない。専門知識を習得するには、そのスキルや知識に価値があるとみなさなければならない。さらに、意味づけを行わなければならない。学習とはすなわち対象の意味を知ることである。
  • 目標を設定する:知識を習得する初期の段階においては、集中が重要だ。何を学びたいのかを厳密に見きわめて、目的と目標を設定しなければならない。
  • 能力を伸ばす:練習にも、他人と差がつく力をつけられるようなものがある。学習のこの段階では、スキルを磨き、パフォーマンスを向上させるためにそのことに特化した手段を講じる必要がある。
  • 発展させる:この段階では、基本から踏み出して、知識を応用したい。スキルと知識に肉付けして、より意味のある形の理解を形成したい。
  • 関係づける:すべてがどう噛み合うかがわかるフェーズである。私たちは結局、個別の事実や手順だけを知りたいのではなく、その事実や手順が他の事実や手順とどう関わり合うかを知りたいのだ。
  • 再考する:学習には間違いや過信がつきものだから、自分の知識を見直し、自分の理解を振り返って、自分の学習したことから学ぶ必要がある。