シャーロック・ホームズの思考術

  • だが、エネルギーとは何なのか? なぜ動くのか? どうやって動くのか? そういった疑問は認めてもらえないばかりか、答えてももらえないのだ。「これでは何も意味していない。ただの言葉の羅列だ」とファインマン は指摘している。「ここに書かれるべきだったのは、ぜんまい仕掛けのおもちゃを見て、中にばねが入っていることを確認することだ。そして、ばねや車輪について学ぶことだ。エネルギーのことなど気にかける必要はない。のちに、子供たちがこのおもちゃが動く仕組みについて知ったときには、もっと一般的なエネルギーの原理について話し合うことだろう」
  • ファインマンは、自身の基礎知識を当然のものとみなしたりしない、数少ない人物のひとりだ。彼はそれぞれの問題や原理の下に隠れている構成要素を、つねに気に留めている。実は、それこそがホームズのせりふに含まれていること、つまり、つい気づかずに見過ごしてしまうようなありふれた問題について基礎から始めよ、ということなのである。何をどう観察すべきかを知らず、目の前にある問題の基本的性質が何なのかを理解していなかったら、仮説を立てることも、検証可能な理論を考えつくこともできない。このあとの二つの章で解説するが、平易でわかりやすいことこそ、見かけによらないのである。
  • 科学的思考法は、幅広い基礎知識、事実に対する理解、これから取り組もうとする問題の概略を把握することから始まる。 「問題」は、『緋色の研究』の場合ならローリストン・ガーデンの空き家で起きた殺人事件にまつわる謎であるし、あなたの場合なら、今の仕事を変えるかどうするかという決断かもしれない。それがどんな問題であれ、頭の中でできるだけ具体的に明確にしなければならない その後、 過去の体験と現在の観察により、それを埋めていかねばならないのだ。

 

  • だが、ホームズは説得に取り合わない。「ぼくは問題がほしい。仕事がほしい。おそろしく難解な暗号とか、複雑きわまる分析とか、そういう仕事がほしいんだ。そういう仕事をあたえられれば、たちまちぼくは生き返ったように元気になるだろう。そうなれば、人工的な刺激剤なんか必要なくなるわけだ。ただのんびりと暮らすのは、どうにもやりきれない」ワトスン博士が医者の立場から最善の主張をしても、どうにもなりそうもないのだ(少なくともこのときは)。

 

  • 想像力が正当な科学的役割を果たしているという考えをばかにしたのは、何もレストレイドが初めてではないし、また、逆にそうだと主張したのはホームズだけでもない。二〇世紀の偉大な科学思想家のひとり、ノーベル賞を受賞した物理学者リチャード・ファインマンは、彼が思考と科学の両方における中核的な特性と考えているものが評価されていないことに、よく驚きを表明していた。彼は「人々が、科学に想像力があるということを信じないのは驚きだ」と、聴衆に向かって言ったことがある。科学には明らかに想像力があるし、しかも「それは芸術家のものとは違う、きわめて興味深い種類の想像力だ。非常に難しいのは、今まで見たことのない何か、しかもすでに知っていることと完全に矛盾せず、今まで考えられていたことと異なる何かを想像することだ。さらに言えば、それは曖昧ではなく明確な主張でなければならない。これはほんとうに難しい」。
    思考の科学的プロセスにおける想像力の役割を、うまく要約し定義するのは困難だ。

yamanatan.hatenablog.com

  • 「得るところは何もないというのか? いうならば芸術のための芸術だよ、ワトスン。きみだって、患者を治療するときには、医療費のことなんか忘れて症状を研究するだろう?」「それは勉強になるからだ」「そうだ、勉強に終わりはない。勉強というものは、最後まで研究の連続で、最後に最大のものが待っているのだ。これは勉強になる事件だ。金にも名誉にもならないが、なんとか解決してみたい事件だ。日が暮れたら、捜査は一歩進んでいるだろう」
  • 初期の目的がすでに達成し終わっていようと、ホームズはかまわない。事件をそれ以上追及すれば極度の危険を伴うとしても、かまわない。もともとの目的が果たされたとき、何かが当初思っていた以上に複雑だと判明したら、その何かをあっさり手放してしまうことはない。その事件はためになる。ほかに何もなくとも、さらに学ぶべきことがもっとある。勉強に終わりはないとホームズが言うとき、彼が私たちに伝えようとするのは、見かけほど表面的なことではない。もちろん、つねに学びつづけるのはいいことだ。頭を鋭く機敏な状態に保ち、 ひとりよがりに陥るのを防いでくれる。

 

  • 安易な道をとりたいという衝動に駆られるたびに、『恐怖の谷』におけるホームズの、錆びた剃刀のイメージを思い起こしたほうがいい。「何週間もの長いあいだ退屈な日々が続いたが、ようやくここに非凡な才能にふさわしい対象が出現したのだ。このような才能は、あらゆる特殊な能力と同じで、使わないでいると、その持ち主は耐えがたいほどいらいらしてくるものらしい。剃刀のように鋭い頭脳は、活動しないでいると、鈍くなって錆びついてしまうのだ」錆びてなまくらになった剃刀、剣がれ落ちる不快なオレンジ色の染み、わざわざこすり落とすのもめんどうになるような汚れ。すべてが順調に見え、大きな選択も思考も必要でないように思えるときも、その剃刀を使いつづける必要があることを思い出すのだ。重要ではないことに対しても心をはたらかせることで、重要なことに対して心を研ぎ澄ましつづけることができるのである。