経済学をまる裸にする

ベッカー教授やバロー教授、フランクの啓蒙本と並んで、非常によくできた古典的な経済学の啓蒙本。最近は行動経済学やレヴィットのやばい経済学のように、標準的な経済学とはややずれた啓蒙本が流行っているが、やはりこういう正統派経済学の威力を感じられる本はいいなと実感。 

ベッカー教授の経済学ではこう考える―教育・結婚から税金・通貨問題まで

ベッカー教授の経済学ではこう考える―教育・結婚から税金・通貨問題まで

 
バロー教授の経済学でここまでできる!

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日常の疑問を経済学で考える (日経ビジネス人文庫)

日常の疑問を経済学で考える (日経ビジネス人文庫)

 
ヤバい経済学 [増補改訂版]

ヤバい経済学 [増補改訂版]

 

 

物理は太陽の周りを回る惑星や、原子のまわりをまわる電子といった単純で閉じた系ならエレガントに説明できる。だが物理科学ですら、自然界で起こることを理解するのには苦労する。天気予報がその一例だ。

気象予報士地球温暖化といった話の長期予測を頼まれると、その予測の幅は経済予想のほうがずっと高精度に思えるほどのものだ。

経済学が物理科学よりも難しいのは、研究室で対照実験を実施できないのが普通なのと、人々が必ずしも予想通りには動かないことがある。行動経済学の大きな一分野は、心理学者と経済学者の洞察を組み合わせることで大いに注目されたが、それでも個人の行動はあまり正確には予想できない。だが、すべてを理解するにはほど遠いからと言って、何もわかっていないことにはならない。個人の行動がインセンティブに強く左右されるのはわかっている。論理的な規則性もたくさんある。すべての売上は購入を伴い、利益の機械が明らかならば、それが見過ごされることは少ないのもわかっているーこれは証券市場がきわめて効率的だという理論の背後にある基本的なアイデアだ。

経済学者のように考えるには、演繹的な推論の連鎖を必要とするし、それを需要と供給といった単純化したモデルと組み合わせて使わねばならない。制約のもとでのトレードオフも見つける必要がある。ある選択の費用を、別の選択から得られたはずの逸失利益として考えることもしなくてはならない。効率性ーつまり限られた資源から最大のものを得ることーという目標も考えねばならない。限界主義的、あるいは段階主義的なアプローチも必要だ。追加の便益を得るのにどれだけ追加費用がかかるかという問題も尋ねる。資源には多様な使いみちがあって、望んだ結果を得るために各種の違う資源で代替できることも考慮する。そして最後に、経済学者たちは個人が独自の選択をすれば厚生が高まり、競争市場が個人の選択を表現するのにきわめて効率の良い仕組みだと考える傾向がある。(マルキールの序文より)

 

航空会社はこれがかなり上手だ。なぜ土曜の夜を現地で過ごすと運賃が急落するのか? 土曜の夜は、いとこの結婚式でみんなが踊っているときだ。娯楽客は通常、目的地で週末を過ごすがビジネス客は週末はほとんど過ごさない。チケットを2週間前に買うと、離陸11分前に買うよりずっと安い。休暇の客は前から予定を立てるが、ビジネス客はギリギリになってから買うからだ。航空券は価格差別の最もわかりやすい例だが、あたりを見ればどんどん目につくようになる。アル・ゴアは2000年の大統領選で、自分の母親とイヌとが同じ関節炎の薬を飲んでいるのに、母親のほうがずっと高い値段を払っていると文句を言った。実はこの話は、ゴアがイヌと人との薬価格差について読んでねつ造した話だったのだが、それはどうでもいい。例としては完璧だ。一部の薬が人とイヌとでちがう値段になっているのは、まったく当然のことだ。人々はペットにやる薬より自分の薬のほうに高値を支払う。だから利潤最大化の戦略は、二本足の患者には高めに、四つ足の患者には安めに売るということだ。
を当然のことだ。

価格差別は、企業が技術によって顧客に関する情報を集められるようになると、もっと広まるだろう。たとえば、オンラインで注文する客と電話注文の客とで価格を変えることもできる。あるいは過去の購買パターンに応じて顧客ごとにちがう価格を提示することもできる。プライスライン(消費者が旅行サービスをめぐって競りをするサイト)のような企業の背後にある論理・・・

財の配分に価格を使うので、ほとんどの市場は自己矯正的となる

石油輸出国機構OPEC)加盟国の石油相たちは定期的に外国のどこかに集まって、石油の世界的な生産制限に合意しようとする。その直後にいくつかのことが起こる。

  1. 原油天然ガスの価格が上がり始める
  2. 政治家たちは、石油市場に介入する各種のアイデアをやたらに繰り出し始める(その大半はろくでもないアイデアだ)。

だが高価格は熱と同じだ。それは症状でもあり、潜在的な治療手段でもある。政治家たちが議会でつばを飛ばして激論している間に、重要なことが起こり始めるのだ。人々は運転を控える。暖房の請求書が届いて、屋根裏の断熱を改善する。フォードのショールームに行っても、高燃費のエクスぺディションの前は通過して低燃費のエスコートに向かうようになる。

ガソリン価格がリッター1ドルを超えたとき、アメリカ消費者のすばやい対応には経済学者たちでさえ驚いた。アメリカ人たちは小さな車を買うようになった(四駆の売上は激減し、小型車の売上は増えた)。乗車距離も減った(30年で初めて月間走行距離が減った)。公共バスや列車に、これまで乗ったことのない人まで乗った。公共交通の乗客は、50年前の州間高速道路網整備以来のどの時期に比べても高くなった。

そうした行動変化のすべてが健全というわけではなかった。多くの消費者は自動車からバイクに切り替えた。これは、燃費はよいが危険性は高い。何年にもわたり二輪車の死者数は着実に減っていたが、ガソリン価格が上昇を始めた1990年半ば以来、上昇に転じた。『アメリカ公衆衛生ジャーナル』の研究によれば、ガソリン価格が1ドル上がると、年間のバイク死者数は1500人ずつ増えるという。

市場システムで価格を固定したら民間市場は他に競争するやり方を見つける

消費者はしばしば、飛行機旅行の「古き日々」について郷愁を込めて振り返る。機内食はおいしかったし、シートはもっと大きかったし、みんな飛行機に乗るときには着飾っていた、と。これは単なる郷愁ではない。エコノミークラスの旅行の質は大幅に下がっている。だが、航空券の価格はそれ以上に急落している。1978年まで、航空運賃は政府が固定していた。デンバーからシカゴへのフライトはすべて同じ値段だった。それでもアメリカン航空ユナイテッド航空は、顧客をめぐって競争していた。その差別化要因は品質だ。業界が規制緩和されると、競争の主要な部分は価格となった。おそらく消費者が価格を最も気にするからだろう。それ以来、航空機に乗ったり近づいたりするのに関係するものはすべて快適さが下がっているが、平均運賃はインフレ分を除けば、ほぼ半額になった。

1995年に南アフリカを旅していたが、途中のガソリンスタンドのサービスがすばらしいのに感激したものだ。店員たちはぱりっとした制服にしばしば蝶ネクタイをしていて、飛び出してきてはガソリンをタンクに入れ、オイルを調べ、窓を拭いてくれる。トイレもぴかぴかだった。

アメリカを運転していて出くわす恐ろしい代物とは雲泥の差だ。南アフリカにはなにか特別なサービス精神があるのだろうか?いや。ガソリン価格は政府に決められている。だから民間企業であるガソリンスタンドは、顧客を引きつけるのに蝶ネクタイと綺麗なトイレに頼っているのだ。

どの市場取引も参加者すべてにとって得となる

企業は自分の利益を最大化するように行動し、消費者も同様だ。これは単純な発想 がすさまじい力を持つ。人を怒らせるような例を考えてみよう。アジアのタコ部屋工場の問題点は、それが不足しているということだ。成人の労働者は、こうした不快で低賃金の製造工場で自発的に働く(ここで言っているのは強制労働や児童労働の話ではない。それは話が別だ)。だから、次の二つのどちらかが正しいことになる。

  1. 労働者がタコ部屋工場で働くのは就業の選択肢としてそれが最善のものだから。あるいは、
  2. アジアのタコ部屋工場労働者たちは頭が悪くて他にいろいろ魅力的な職場があるのに、わざわざタコ部屋工場で働いている。

グローバリゼーションに反対するほとんどの議論は、暗黙のうちに2を想定している。シアトルでWTOに反対して店舗のウィンドウをたたき割っていたデモ隊は、発展途上国の労働者は国際貿易を減らし、先進国のために靴やハンドバッグを作っている工場を閉鎖すれば、途上国の労働者のためになるのだ、と主張しようとしていた。だが、それで
ずばりどのように途上国の労働者のためになるのだろうか?工場を閉鎖しても新しい機会が生まれるわけではない。それが社会厚生を改善し得る唯の方法は、クビになったタコ部屋工場の労働者たちが新しくもっと条件のよい仕事に就ける場合だけだ

 

 民間部門のすごいところは、インセンティブが魔法のように整って、万人が得になるようにしてくれる点だ。そうなんだよね?うーん、必ずしもそうとは限らない。アメリカの企業はてっぺんから底辺まで、整合しない競合インセンティブのゴミ溜めとなっている。ファストフード店のレジ近くに、こんな貼り紙がしてあるのを見たことはないだろうか?「レシートが提供されなければ食事は無料です。店長をお呼びください」。バーガーキングがこうやって熱心にレシートを渡すのは、家計簿をつけるのを楽にしてあげようと思ってのことだろうか?もちろんちがう。バーガーキングは従業員の猫ばばを防ぎたいのだ。そして従業員が猫ばばするには、取引があってもそれをレジに打たず、バーガーやフライが売れたときにレシートを出さないようにして、その代金を懐に入れてしまうことだ。これは経済学者がプリンシパルエージェント問題と呼ぶものだ。プリンシパル(バーガーキング)はエージェント(レジ係)を雇うが、レジ係は会社にとって必ずしも最善の利益にならないことをやるインセンティブがある。バーガーキングは、従業員が猫ばばしないよう監視するために多くの手間暇をかけることもできるし、お客にそれを肩代わりさせるようなインセンティブを提供することもできる。あのレジ横の小さな貼り紙は見事な管理ツールなのだ。

税金が個人に損をさせつつ他に得をする人もまったくいない状況を「死荷重損失」と呼ぶ。

むしろ、すべてのスポーツカーに課税するとか、車すべてに課税するとかしたほうがいい。というのも、ずっと少額の税金でずっと多くの歳入が得られるからだ。だが、ガソリン税は、新車への課税と同じくドライバーから歳入を集めるが、燃料節約のインセンティブもできる。たくさん運転する人はたくさん税金を払う。これで、わずかな税金によりかなりの歳入をあげつつ、環境にも少し貢献しているわけだ。多くの経済学者は、もう一歩踏み出したがるだろう。石炭、石油、ガソリンなど、あらゆる炭素燃料の使用に課税をすべきだ。こうした税は歳入を広い範囲から集めつつ、非再生資源を節約するインセンティブをもたらし、地球温暖化を引き起こすCO2排出を減らす。

悲しいかな、こうした考え方では最適な税は実現できない。単に一つの問題が別の問題に置き換わっただけだ。赤いスポーツカーへの税金を払うのはお金持ちだけだ。炭素税は、貧富問わず支払うが、おそらく貧困者のほうが所得に占める割合は高いだろう。お金持ちより貧困者に重くのしかかる税金は、逆進性のある税金と言われるが、人々の正義感を逆なですることが多い(所得税のような累進税は、貧乏人よりお金持ちのほうが負担が重い)。ここでも他の場合と同様に、経済学は「正しい答え」を与えてはくれない。与えてくれるのは重要な問題を考えるための分析の枠組みだけだ。実際'あらゆるものの中で最も効率的なものー完璧に広範で単純で公平なもの(公平といっても、狭い税金面だけで見た場合の公平だ)ーは一括税で、これはその区域内にいるあらゆる個人に対し均等に課せられる税金だ。かつてのイギリス首相マーガレット·サッチャーは、コミュニティ課金または「人頭税」としてこれを1989年に導入しようとした。何が起きたか?あらゆる大人が、所得や資産とまったく関係なしに、地元のコミュニティサービスに対して同じ金額を支払うことに対し、イギリス人たちは街頭で暴動を起こした(ただし学生、貧困者、失業者は少し割引があったのだが)。つまり経済学でよいことが、必ずしも政治的によいとは限らないわけだ。

 

何年も前に大学院に出願したとき、人を月に送り込める国に、なぜいまだにホームレスがいるのかを不思議に思うという論説を書いた。この問題の一部は、政治的なやる気の問題だ。ホームレスをなくすのが国の優先課題になれば、たぶんかなりのホームレスは明日にでもいなくなる。でも私は次第に、NASAの仕事のほうが実に楽なのだと気づき始めた。ロケットは、不変の物理法則にしたがう。任意の時点に月がどこにいるかはわかる。宇宙船が地球の軌道にどれだけの速度で出入りするかも厳密にわかる。方程式さえきちんとすれば、ロケットは意図した通りの場所に着陸するー必ず。

人間はこれよりもっと複雑だ。回復中の麻薬中毒者は、軌道上のロケットほど予想しやすくはない。16歳の高校生に、ちゃんと卒業するよう促す方程式もない。でも、強力なツールはある。人々は自分の状態がよくなるよう行動することはわかっている。ただし、何がよい状態かの定義は人それぞれだが人間の状態を改善する最高の希望は、なぜ人々が今のように行動するかを理解して、それに応じた計画をすることだ。プログラム、組織、システムは、インセンティブをうまく使うほうが機能する。ボートを下流に漕ぐように。


エコノミスト』誌はいささか意地悪く、小さな子供連れの乗客は飛行機の後方にまとめるよう義務づけ、その他の乗客が「禁子供ゾーン」を享受できるようにすべきた、と示唆した。同誌の論説は「子供はタバコや携帯電話と同じく、近くの人々に明らかに負の外部性を課す。ギャン泣きする赤ん坊が前の列にいる中で12時間フライトした人や、真後ろから退屈した子供にシートの背をやたらに蹴飛ばされ続けた人は、そのガキの首を締め上げたくなるのと同じくらいすぐに、この主張をご理解いただけるだろう。ここには明らかに市場の失敗の一例がある。両親はその費用をすべて負担しない(それどころか赤ん坊は無料だ)ので、平気で騒々しいガキどもを連れてくるのだ。見えざる手がガキどもに、きついお灸をすえてしかるべきではないか?」

シカゴでリチャード・デイリー市長は、テイクアウトの食品購入2ドルにつき1セントの税金をかけようとした。この「ゴミ税」は、ファストフードの容器が大半を占めるゴミを集める費用の穴埋めに使われるという。市長の経済学はしっかりしていたーポイ捨てゴミは古典的な外部性だ。だがある判事がこの条例を憲法違反だとした。各種のファストフード容器への対応という点で「曖昧であり均等性を欠く」というのが理由だった。いまや、連邦レベルでジャンクフード税(+またはソーダ税)が検討されているが、これは別種の食料関連外部性に対処するためのものだ。その外部性は、肥満だ。肥満に関連したヘルスケア費用は、おおむね喫煙関連のものと同じくらい高い社会は政府の保健プログラムや高い保険料という形で、そうした肥満医療費の一部は負担しているーだから私は、あなたが昼にビッグマックを食べたかどうか気にする理由があるのだ。

 

 公共財には二つ重要な特徴がある。まず、その財を追加の利用者ーそれが何千、何百万人でもーに提供する追加費用は、とても低いかときにはゼロだ。今のミサイル防衛システムを考えてほしい。私がテロリストのミサイルを撃墜する費用を負担したら、シカゴ都市圏で私の近所に住む何百万の人々は、その恩恵を無料で受けられる。これは無線や灯台や大きな公園でもそうだ。いったん一人のためにそれが機能するようになったら、追加で何千人もの役に立つには一切追加費用がかからない。第二に、支払いをしない人物がいても、その人がそれを利用しないよう排除するのは難しいか、ほぼ不可能だ。船長さんに、灯台を使ってはいけないと言えるだろうか? 近くを航行するときには目を閉じるように要求しようか? (「アメリカ戦艦ブリタニカ号に告ぐ!のぞき見してるだろう!」)。あるプリンストン大学の教授は、公共財についての講義をこんなふうに始めた。「よーし、公共ラジオ放送にお金を寄付しているウスラバカどもってのは、どこ
のどいつなんだ?」

フリーライダーは事業を台無しにできる。作家スティーブン・キングはかつて、新作長編をインターネットで直接読者に届けるという実験を試みた。毎月、続きがアップロードされ、読者たちは自己申告で月額1ドルずつ支払う方式だ。キングは、読者のうち自主的に支払う読者が75パーセント以下ならばこの仕組みをやめる、と警告していた。「支払えば、話は続く。支払わないと、止まる」とキングはウェブサイトに書いた。結果はこの手の問題を研究した経済学者たちにとって、悲しいほど予想がつくものだった。物語は止まった。『ザ・プラント』が止まったとき、最後の章をダウンロードして支払った読者はたった46%だった。

公共財を民間事業に任せた場合の基本的な問題がこれだ。企業は消費者に対し、こうした材に支払いを行うよう強制できない。それがどれだけの効用をもたらすか、どれだけ頻繁にそれを使うかは関係ないのだ(灯台を思い出そう)。そして自発的支払いのしくみはすべてフリーライダーに食い物にされる。

 

 経済学にできるのはせいぜい、それなりに筋の通った見方に枠組みを与えることくらいだ。一方の極には、個人は合理的だ(少なくとも政府よりは合理的だという信念がある。つまり自分にとって何がいいかは他の誰よりも、個々の市民がいちばんよくわかっているという見方だ。シンナー遊びをして階段を後ろ向きに転げ落ちるるのが好きなら、それはそれで結構なことです。ただ、自分の医療費は自分で負担できるようにして、あとシンナーでふらふらしているときには車は運転しないでくださいね。

行動経済学者たちは、この対極にある証拠をたくさん提供している。社会は、悪い結果になりそうなことを人々がするのを止められるし、止めるべきだというまっとうな人がたくさんいるのだ。人間の意思決定はある種のまちがいを犯しやすいという証拠は山ほどある。たとえばリスクを過小評価したり、将来の計画が下手だったりという具合だ。現実問題として、こうしたまちがいは、たしかに他人にも影響を与えることが多い。これは不動産市場の崩壊とそれに伴うサブプライム危機からもわかる。

よい政府は重要なのだ。経済がますます高度になるにつれて、政府制度もますます高度になる必要がある。インターネットはその見事な実例だ。民間部門こそがウェブ経済の成長推進力だが、詐欺を取り締まり、オンライン取引に法的拘束力を持たせ、財産権(たとえばドメイン名}を整理し、紛争を解決し、まだ思いついてもいないような問題に対処するのは政府なのだ。

9・11世界同時多発テロの悲しい皮肉は、「自分のお金の使い道は政府よりも納税者のほうがよく知っている」という、政府に対する単細胞的な見方がいかに空疎なものかを露わにしてしまったことだった。個々の納税者は、情報を集め、アフガニスタンの山中にいる逃亡者を追い詰め、バイオテロについて研究し、飛行機や空港を守ったりはできない。たしかに、政府が給料から税金を差し引けば、私に効用を与えてくれるものが買えなくなる。でも、自分では買えないようなものでも、あったほうがよいものがあるのもまちがいない。私は自前ではミサイル防衛システムを建設できないし、絶滅寸前の生物も保護できず、地球温暖化も止められないし、信号機も設置できないし、ニューヨーク証券取引所を規制したりもできないし、中国と貿易障壁削減の交渉をすることもできない。政府はわれわれが集合的に、こうした活動をできるようにしてくれるのだ。

政府は富の再分配を行う。一部の市民から税金を集め、他の市民に補助を与える。世間一般に思われているのとはちがい、政府による便益の大半は貧困者にいくわけではない。メディケア(医療補助)や社会保障(公的年金)の形で中産階級にいくのだ。それでも政府はロビン・フッド役を果たす合法的な権限を持っている。ヨーロッパをはじめとする世界の他の政府は、アメリカ政府ほど積極的には動かない。この点について経済学者は何が言えるだろうか? 残念ながら、大したことは言えない。所得分配に関する最も重要な問題で求められているのは哲学的、イデオロギー的な答えであって、経済学的な答えではないのだ。

経済学は、所得分配に関わる哲学的な問題に答えるためのツールは与えてくれない。たとえば経済学者は、スティーブ・ジョブズから1ドルを無理矢理むしり取って、飢えた子供にあげたほうが全体としての社会的厚生が改善されるのだと証明はできない。ほとんどの人は当然そうなると直感的に思っているが、理論的には、スティーブ・ジョブズが1ドル取られて失う効用のほうが、飢えた子供の得る効用よりも高いということはあり得る。これは一般的な問題の中の極端な例だ。われわれは厚生の状態を効用なるもので計測する。これは理論的な概念であって、定量的に計測したり、人々同士で比べたり、国全体で集計したりできるものではない。たとえば、A候補の税制改革は国全体に効用120単位をもたらし、B候補の税制改革はたった111単位しかもたらさないとは言えない。

 

政府は大きな外部性に対処できるー一方で規制しすぎて経済をつぶしてしまえる。政府は重要な公共財を提供できるーあるいは無駄な計画やお気に入りプロジェクトのために税収を山ほど浪費できる。政府は金持ちから不遇な人々に所得移転できるーあるいは一般人からコネのある連中に所得を移転することもできる。要するに、政府は活発な市場経済の基盤を作るのにも使えるが、きわめて生産的な行動を締め上げるのにも使えるのだ。そのちがいを見分けるのが知恵の出しどころとなる。

もし政府が財やサービスの単独提供者になるのであれば、民間企業では失敗すると考えるべき納得のいく理由が必要ということだ。こうした理由があるからこそ、政府のやることはいろいろある。公衆保健から国防まで、そうした理由がある活動はさまざまだ。免許試験場の悪口を並べたばかりで恐縮だが、それでも運転免許発行は政府が引き続き実施すべき活動と認めざるを得ない。民間企業が運転免許を発行するようになると、値段とサービスの質以外で競争を始める可能性がある。能力のないドライバーにまで免許を出してお客を集めようとする強いインセンティブができてしまうのだ。

そうは言いつつも、政府がやってはいけないことも、これでいろいろわかる。郵便配達もその一つだ。1世紀前なら、政府は郵便事業をやる正当な理由があったかもしれない。アメリカの郵政公社は、補助金つきの料金で配達を保証することにより、低開発地域を間接的に支援していた(というのも遠隔地に郵便を届けるのは、都市部に配達するよりもお金がかかるが、料金は同じだからだ)。当時は技術もちがっていた。1820年には、複数の民間企業が全国どこへでも郵便を配達するシステムを構築するのに必要な大規模投資をするとは考えにくかっただろう(民間独占は政府独占と同じくらい、いや場合によってはもっとひどい)。でも時代は変わった。フェデックスUPSは、民間企業だって世界的な配達インフラを十分構築できることを証明してみせた。

郵便サービスがろくでもないことで、巨大な経済的費用が生じているだろうか?たぶんないだろう。だがアメリ郵政公社が、経済の他の重要セクターを支配していたらどうだろう。世界には、政府が製鉄所や炭鉱、銀行、ホテル、航空会社などを運営している国もある。こうした事業に競争がもたらす便益はすべて失われており、結果として市民が損をしている(ちょっと考えてほしい。アメリカに残る最大の政府独占は公共教育だ)。

政府が経済の中で、道路や橋の建設といった重要な役割を果たせるからといって、政府自身がその作業をしなくてはならないわけではない。実際にコンクリートを混ぜるのは役人でなくてもいいのだ。むしろ政府は新しい高速道路の計画を作り、資金を用意して、民間建設会社にその工事の入札をさせればいい。入札が正直で談合がなければ(多くの場合、ここはかなりの問題となる)、プロジェクトは最高の仕事を最低の費用でできる企業にいく。つまり公共財が、市場の便益をすべて活用した形で実現するわけだ。

ときどきアメリカの納税者はこのちがいを忘れてしまう。この点について、ヘルスケア改革に関するタウンホールミーティングの一つでバラク・オバマも指摘している。「ある日、女性からこんな手紙をもらい圭した。『政府運営のヘルスケアなんかいらない。社会化された薬も不要。メディケアもいじるな』」。これが皮肉なのは、メディケアというのがまさに政府運営のヘルスケアだからだ。メディケアでは、65歳以上のアメリカ人は民間医師の治療を受けて、医師はその費用を連邦政府に請求できるのだ。

 

経済が政治に任される部分は、少なければ少ないほどいい。たとえば誰が銀行融資を受けられるかを決めるのは、強力な政治家でないほうがいい。でも、中国のような専制国家や、民主国でもインドネシアのように政治家たちが「縁故資本主義」を行う場合には、まさにそれが起こる。潜在的にとても利益のあるプロジェクトには資金がつかず大統領の義弟がやっているいかがわしい事業には大量の政府資金が投じられる。消費者たちは二つの面で損をしている 。まず、そもそも資金などつくベきではないプロジェクトがつぶれると、税金が無駄遣いされる(あるいは劣悪な政治的融資だらけの銀行システムを丸ごと救済しなければならないとそうなる)。第二に、融資(有限の資源だ)が無価値なプロジェクトに向けられてしまうため、経済の発展が本来よりも遅くなり、効率も落ちる。自動車工場は建設されない。起業家にお金がつかない。結果として、資源が抱え込まれて経済は潜在力よりはるかに低いところでしか可動しない。

 

政府が経済のある一部を支配するとき、希少な資源は市場ではなく、専制支配者や官僚や政治家によって配分される。旧ソ連では、巨大製鉄所が何トンもの鋼鉄を生産したが、一般市民は石けんも、まともなタバコも買えなかった。今にして思えば、ロケットを公転軌道に乗せるのにソ連がいちばん乗りしたのは当然ではあった(そしてソ連マルガリータ・スペースパックが発明されなかったのも)。政府は単に、資源を宇宙プログラムに割くよう命じることができる。人々が本当は新鮮な野菜やチューブソックスをほしがっていてもそれは無視できる。こうした資源配分の決定は悲劇的なものだった。たとえばソ連中央計画者たちは、避妊が経済的な優先事項になるとは思わなかった。ソ連政府は万人に避妊薬を行き渡らせることもできた。大陸間弾道ミサイルの作り方を知っている国なら、避妊ピルか、少なくともコンドームの作り方くらいはわかる。だが避妊は、中央の計画者たちが国の資源を振り向けようとは思わない分野だったので、唯一の家族計画手法は中絶となった。共産主義時代には、新生児1人につき2件の妊娠中絶があったという。ソ連の崩壊以降、西側の避妊法が広く普及して、中絶率は半減した。

 

ミルトン・フリードマンはすばらしい著述家で、政府介入の削減に関するスポークスマンとして雄弁だった(そしてその遺髪を告ぐと称して最近、新聞などの論説欄にのさばる物書きの多くよりも、はるかに繊細な思想家だった)。彼はこの点について述べるのに、ある弁護士の大規模集会で、経済学者とアメリカ弁護士連合会代表とが展開したやりとりを、『資本主義と自由』で描いている。その経済学者は会場に対して、弁護士業界はあまり制約を多くすべきではないと論じていた。この分野で活動する弁護士をもっと増やし、あまり出来がよくない人でも活動できるようにすれば、法曹サービスの費用は下がると経済学者は言う。なんといっても一部の法律手続きは、遺書の作成や不動産取引のとりまとめなど、バリバリの憲法学者などが出るまでもないものだ。そしてたと
えとして、政府がすべての車はキャデラックでなければならないなどと決めるのはばかげているでしょう、と述べた。このとき、会場にいた弁護士が立ち上がってこう言った。「アメリカにはキャデラック級弁護士以外はふさわしくないんだ!」

実は「キャデラック級弁護士」だけにしろと論じるのは、経済学がトレードオフについて教えてくれるものをすべて無視することになる(これは別に、キャデラックを作るゼネラル・モーターズが問題だらけだという話はまったく関係ない)。キャデラックだけの世界では、ほとんどの人はまったく移動手段がなくなってしまう。ときには、人々がトヨタカローラを運転してもいけないことはまったくないのだ。

 

規制にもいろいろある。重要な問題は 政府が経済に関与すべきかどうかということで
はない。介入するとして、その規制をどう構築すべきかという問題のほうが重要かもしれない。シカゴ大学の経済学者でノーベル経済学賞を受賞したゲーリー・ベッカーは、夏をケープコッドで過ごすが、そこで捕れるストライブドバスが大好物だ。この魚のストックは減少しつつあるので、政府はシーズンごとに認められるストライプドバスの商用水揚げ高を制限した。ベッカー氏は、それについては何も文句はない。10年後にもストライブドバスを食べたいと思っているからだ。

ただし、『ビジネスウィーク』のコラムでベッカー氏は、総水揚げを制限するために政府が使った方法について問題にした。その執筆時点で、政府はシーズンごとに水揚げできるストライプドパスの総量に規制をかけていた。ベッカー氏はこう書いている。「残念ながら、これは漁業を抑える方法としてきわめて不適切だ。というのも各漁船はこれで、シーズンの早い時期になるべく多くの魚を捕まえようとするからだ。そうしないと他の船がやってきて水揚げしてしてしまい、全員にかかる総量規制の上限がきてしまう」。そうなるとみんなが損をする。漁師たちは、シーズン初旬にやたらにストライブドバスが市場に出回るために単価が下がってしまう。そしてシーズンの早い時期に総量規制の上限がきてしまうと、その後は消費者たちはまったくストライプドバスを食べられなくなる。数年後、マサチューセッツ州はストライブドバスの水揚げ量が個別の漁師の間で山分けされるような方式に変えた。これで総量は相変わらず制限されているが、
個々の漁師はその割り当てをシーズン中、いつ使ってもかまわない。

経済学者的な考え方で重要なのは、市場をいじる際に必ず発生するトレードオフを認識することだ。規制は資本と労働の流れを妨害しかねないし、財やサービスの値段を上げ、イノベーションを抑え、その他各種の方法で経済に足枷をはめてしまう(たとえば蚊が生き延びられるようにしてしまうとか)。善意から生じた規制ですらそうなのだ。最悪の場合、規制は企業が政治制度を自分に有利に使うことで、利己性の強力なツールになりかねない。競争相手に勝てないのであれば、政府に競争相手の足を引っ張ってもらえばいいじゃないかというわけだ。シカゴ大学教授ジョージ・スティグラーは、企業や業界団体が自分の利益のために規制を求めるという鋭い観察と、それを支持する証拠によって、1982年にノーベル賞を受賞した。

私のいるイリノイ州で行われた規制キャンペーンを見てほしい。州の立法府は、ネイリストのライセンス要件をもっと厳しくする規制の施行を求めて圧力がかけられていた。これはペディキュアでひどい目にあった被害者たちによる草の根のロビイングキャンペーンだっただろうか?(苦痛に顔をしかめて議事堂の階段を上る被害者たちの姿が目に浮かぶようだ)それが、そうでもないのだ。ロビイングを行ったのはイリノイ化粧業協会で、すでにあるスパやサロンを代弁して行われたものだった。これらの企業は、大量の移民による新規参入のネイリストと競争したくなかったのだ。1990年代末にはネイルサロンの数が年に23パーセントも増え、フルサービスのサロンでは25ドルかかるのに、ディスカウントサロンではたった6ドルだった。厳しいライセンス要件ーこれはほぼ常に既存サービス提供者は適用除外となるーがあれば、新設のサロン開店が高価になり、厳しい競争が制限される。

 

経済学者たちが考えたがる関連した問題がある。ハーバード大学の卒業生は人生で大いに成功するが、それはハーバードで成功につながるようなことを学んだからなのか、
それともハーバードが、どのみち人生ですごく成功しそうな有能な学生だけを選んで入学させるからなのか?言い換えると、ハーバードは生徒に大量の付加価値をもたらすのか、それともハーバードに入学できたということで賢い生徒が才能を宣伝するための入念な「シグナリング」を提供するだけなのか?プリンストン大学の経済学者アラン・クルーガーと、メロン財団の経済学者ステイシー・デールは、この問題に取り組むおもしろい研究を行った。トップ大学の卒業生は、卒業後にそれほどでもない大学の卒業生より高い給料をもらっている。たとえば、1976年にイエール、スワスモア、ペンシルベニア大学に入学した平均的な学生は、1995年には年収9万2000ドルだった。そこそこいい大学、たとえばペンシルベニア州立、デニソン、テュレーン大学に入った平均的な学生は年収がそれより2万2000ドル低かった。これは特に驚くべき発見ではないし、イエールやプリンストンなどの学生が、4年にわたりビールの一気飲みとテレビ三昧で過ごしても、レベルの低い大学に比べてたくさん稼げるか、という問題には答えていない。

そこでクルーガーとデールは分析をもう一歩進めた。トップ大学とそこそこの大学両方に合格した学生の収入を見たのだ。そうした生徒の一部はアイビーリーグ校などトップ大学に向かい、一部は二番手を選んだ。クルーガーとデールの主要な発見は、その論文の題名にうまくまとめられている。「エリート校に行けるくらい賢い生徒は、わざわざ行くまでもない」。トップ校と準トップ校の両方に受かった学生の平均的な稼ぎは、どっちの大学に行こうとあまり変わらなかった(唯一の例外は、低所得世帯出身の学生で、こちらだとトップ校に行くことで稼ぎは大幅に増えた)。全体として、人生で後に影響するのはどの大学に行ったかではなく、その生徒自身の質らしい。

アイビーリーグ校に通うのに15万ドル以上もかけるのは不合理なのだろうか? 必ずしもそうではない。最低でも、プリンストンやイエールの学位は経歴書において、ロジャー・エバートの「いいね!」マークに匹敵するものだ。その人が非常に有能であることを示すので、人生で出会う人々ー雇い主、伴侶、親戚ーにとっての疑問の余地は減る。それに、世界最高の頭脳と4年も付き合うことで、本当に何かを学べる可能性はまちがいなくある。それでも、クルーガー氏は大学を選ぶ学生に以下のアドバイスを提供している。「通う価値のある大学が自分の入れなかった大学なのだとは思わないこと。(中略)自分自身の動機や野心、才能こそが、経歴書に書かれた大学名よりも成功を左右するのだというのを忘れないこと」

賢いやる気のある個人(そして同じくらいやる気のある両親を持つ人)はどんな学校に行こうとも成功するという発想は、アメリカの学校改革論者がしばしば忘れるものだ。イリノイ州では、秋ごとに州の学校採点表が発表される。州の学校はすべて、各種の標準学力試験で生徒たちがどのくらいの成績をあげたかに基づいて評価されるのだ。メディアはすぐにそうした学校採点表を使って州の「最高の」学校を発表するが、それは通常は豊かな郊外部にある学校となる。だがこのプロセスは、どの学校が最も有効かを少しでも表しているのだろうか? 必ずしもそうは言えない。「多くの郊外コミュニティでは、学生は登校して4年間ずっと倉庫に閉じこもっているだけでも、標準学力試験での成績はよい」とロチェスター大学の経済学者エリック・ハヌシェクは指摘する。彼は、学校による入力と生徒の成績とのいささか面倒な関係に関する専門家だ。ここには根本的な情報が欠如している。「好成績校」ではどのくらいの価値が本当に追加されているのだろうか?そこに傑出した教師や学校運営者がいるのか、それともどこの学校に行こうとも標準学力試験で好成績をおさめる優秀な生徒がそもそも集まっているだけなのか?

 

市場経済の他の側面と同じく、ある技能の価格は、その社会的価値とは何ら本質的な相関はなく、希少性に反応するだけだ。あるとき、1987年ノーベル経済学賞受賞者で、野球ファンとして名高いロバート・ソローにインタビューした。そのとき、ノーベル賞を受賞したのに受け取れるお金がロジャー・クレメンスの1シーズンの稼ぎより少ないというのは気にならないかと尋ねた。ロジャー·クレメンスは、当時ボストンのレッドソックスでピッチャーを務めていたのだ。「いいや、よい経済学者はたくさんいるが、ロジャー・クレメンスは1人しかいないからね」とソローは答えた。これが経済学者の発想だ。

さてここで、公共政策における最も有害な概念を取り上げるときがきた。労働量一定の誤謬だ。これは、経済の中でやるべき仕事の量は固定しており、したがって新しい職が生み出されたら、必ずその分だけどこかで職が失われるというまちがった信念を指す。この議論によれば、私が失業していた場合、職にありつくためには誰かがもっと少なく働くか、失職してくれねばならない。フランス政府はかつて、これが世界の仕組みだと信じていた。そしてこれはまちがっている。職は個人が新しい財やサービスを提供するときにはいつでも作り出されるのだ。あるいは古いサービスを提供するもっとよい(またはもっと安い)方法を見つけることでもいい。

経済学者ゲーリー・ベッカーは人的資本の分野での研究でノーベル賞を受賞したが、教育や訓練、技能、人々の健康ですら含めたストックは、現代経済における富のおよそ75パーセントを構成すると見ている。ダイヤでも建物でも、原油、きれいなハンドバッグなどでもないー頭の中に人々が持っているものだ。ベッカー氏はある演説でこう述べている。「私たちの経済は本当は、『人的資本主義経済』と呼ぶべきなんです。というのも、それは実際にほとんどがそうだからなのです。各種の資本ー機械や工場といった物理資本、金融資本、人的資本ーはどれも重要ですが、最も重要なのは人的資本です。実際、現代経済では富と成長を作り出すにあたり、人的資本こそが最も重要な資本形態なのです」。

 

1982年にノーベル賞を受賞したシカゴ大学の経済学者、故ジョージ·スティグラーが
打ち出した考え方は、直観に反している。企業や産業はしばしば規制の恩恵を受けるというのだ。どの州も

ありそうもないことのように聞こえるだろうか?教員免許を例に考えてみよう。どの州も、公立学校の教員には免許取得のために特定のことを行ったり、習得したりするよう義務づけている。ほとんどの人は、これをきわめて理にかなったことと捉えている。イリノイ州では、時とともに免許取得の要件が着実に増加している。公立高校改革が重視されていることを考えると、やはりこれも理にかなっているように見受けられる。だが検定の政治をよく調べてみると、どうも怪しくなってくる。 アメリカで最も有力な政治的勢力の一つ、教職員組合は、教員により厳しい研修と試験を義務づける改革を一貫して支持している。だが但し書きに注目。どんな要件が新たに課されようと、すでに教員になっている人たちはほぼ例外なく、これらの規定の対象外とされるのだ。つまり、教員になりたい人は、追加講習を受けたり、新しい試験に合格したりしなければならない。既存の教員は、その必要がない。教員検定法が生徒の利益のために作られているなら、あまりつじつまが合わない。教えるために何かをすべきなら、教壇に立つ誰もがやらなければならないはずだ。

教員検定法には、他にも筋が通らない点がある。私立学校の教員の多くは、数十年間の経験があっても、ほぼ確実に不要な数々の手順(教育実習を含む)を踏まない限り、公立学校の教壇には立てないのだ。大学教授も然り。

この話で何より最も特筆すべき(かつ苛立たしいの)は、認可要件と教師としての能力とはまったく無関係だと研究で実証されている点だ。これについてもってこいの(私が目にした他のあらゆる証拠とも一致する)証拠が見受けられるのが、ロサンゼルスだ。カリフォルニア州では1990年代後半に、州全域で1学級当たりの人数を減らす法が制定され、ロサンゼルスでは教員を新しく大量に雇う羽目になり、その多くは資格を満たしていなかった。ロサンゼルスでは、個々の先生が受け持つ生徒の成績について、学級レベルでデータをとった。公共政策シンクタンク、ハミルトンプロジェクトは、生徒15万人の学業成績を3年間調べて、二つの結果にたどりついた。

  1. 教員の優秀さは重要。上位4分の1の教員に割り当てられた生徒たちは、下位4分の1の教員についた生徒たちより10パーセンタイル点上位で3年間を終えた(調査開始時点の成績水準については調整済)。
  2. 資格は重要でない。調査では「有資格の教員に割り当てられた生徒たちと、無資格の教員に割り当てられた生徒たちの学業成績に、統計上、有意な差は見られなかった」

この結果を踏まえて、研究者たちは才能ある人間が公立学校の教員になるのを阻む、あらゆる参入障壁を排除するよう勧めている。ほとんどの州がやっているのは、その反対だ。スティグラーなら、すべて容易に説明がつくと主張しただろう。

 

では、いったい何が悪いのか。問題は、政治家が古い経済構造を守ると決めたら、市民が新しい経済構造の恩恵を得ることができない点だ。元FRB副議長のロジャー・ファーガソン・ジュニアは、こう説明している。「絶え間なく動き続ける競争環境と富の創造の関係を認識できない政策立案者たちは、衰退しつつある方法や技能に注力してしまう。そうして弱く、時代遅れの技術を守ることを目的とした政策を打ち立て、結局は経済の歩みを遅らせてしまうのだ」

クリントン政権で財務長官を務めていたロバート・ルービンはこう述べている。「過去8年間にわたって協議してきた関税率削減による経済効果は、世界史上最大の減税となる」

こちらではよい靴、あちらではよりよいテレビーそれでも平均的な一般市民がどこかへ飛行機ででかけて世界貿易機関WTO)支持のデモをするには至らない。一方、グローバリゼーションの影響を最も直接的に受ける人々には、もっと強力な動機がある。記憶に残る例では、1999年にアメリカ労働総同盟産別会議(AFL-CIO)をはじめとする複数の団体が、およそ3万人をシアトルに派遣して、WTOの拡大に抗議した。発展途上国の賃金と労働条件を懸念する、というのがその見え透いた言い訳だった。でたらめだ。アメリカ労働総同盟産業別組合会議が心配していたのは、アメリカの仕事の口だ。貿易が増えるというのは、無数のアメリカの消費者に、安価な物品とともに、失業と工場閉鎖がもたらされることを意味する。これは過去の歴史を見ても、労働者たちがデモに繰り出す動機になってきた。かつてラッダイトと呼ばれたイギリスの織物工たちは、織機を破壊して、機械化が招く低賃金と解雇に抗議した。彼らの思い通りになっていたらどうなっただろうか。

ポール・クルーグマン曰く「グローバリゼーションは、人間の善意ではなく利潤動機で動かされているが、善意の政府や国際機関によるあらゆる外国援助やソフトローンよりも、はるかに多くの善をはるかに多くの人々に対して行ったと言えるーそしてぼくもそう主張する。そしてさらに悲しそうにこう付け加えている。「でもこう言うと、罵倒メールが山ほど届くのは確実だということを経験からぼくは熟知しているのだ」


「ほとんどの西洋人と同じく、この地域にやってきた私たちはタコ部屋工場に怒り心頭だった。だがやがて、アジア人のほとんどが支持する見方を受け入れるようになった。
タコ部屋工場に反対する運動は、それが助けようとしている当の人々に被害を与えかねないのだというものだ。というのも、うわべはいかに陰惨でも、タコ部屋工場はアジアを一変させつつある産業革命の明らかな徴だからだ」。その劣悪な条件ートイレ休憩も取れず、危険な薬物にさらされ、土日も働かされるーを挙げてから、二人はこう結論する。「アジアの労働者たちは、アメリカの消費者たちが抗議のために一部のおもちゃや衣服をボイコットするという発想に怖気をふるうことだろう。最貧のアジア人を助ける最も簡単な方法は、タコ部屋工場からの購入を増やすことで、減らすことではない」


ポール・クルーグマンは、善意が裏目に出た悲しい例を挙げている。
1993年に、バングラデシュで児童労働がウォルマート向けの衣料を作っているのがわ
かり、トム・ ハーキン上院議員は未成年労働者を雇う国からの輸入品を禁止する法案を提出した。その直接の結果として、バングラデシュの衣料工場は子供を雇うのをやめた。でも子供たちは学校に戻っただろうか? 幸せな家庭に戻っただろうか? オックスファムの調査では、そうはなっていない。クビになった児童労働者たちは、もっとひどい仕事に就くか、浮浪児になったーそしてその相当数は売春婦になるしかなかったという。おっと、これは失敗、ですな。

過剰な規制は、汚職と裏腹だ。政府官僚は各種のハードルを設けて、それを乗り越えようとしたり、迂回しようとしたりする人々から賄賂をゆすり取る。モスクワで自販機を設置する場合、ある適切な「警備会社」を雇うとずいぶんお手軽になるのだ。他の途上国で事業を始めようとしたらどうだろう。またもやペルーの経済学者ヘルナンド・デ=ソトがすばらしい研究をしている。デ=ソトは仲間とともに、リマの郊外で合法的に登記された事業所として店員1人の洋服屋を開店しようとしたときの苦労を記録しているのだ。研究者たちは、賄賂は支払わないと誓った。これにより、法に準拠するコストの総額が反映されるようにしたのだ(最終的に、一同は10回にわたり賄賂を要求され、プロジェクトが完全に頓挫するのを防ぐために2回はそれに応じた)。一同は1日6時間、42週にわたって働き続け、7つの政府機関から11種類の許可証を手に入れることになった。所要時間抜きでかかった費用は1231ドル、あるいはペルーの月額最低賃金の31倍だーたった1人の店舗を開くだけでこれだけかかるのだ。

ハーバード大学の経済学者ロバート・バローによる経済成長の古典的な研究は、およそ100カ国について30年以上を検討しているが、政府支出ー教育と国防以外の総政府支出ーは1人当たりGDP成長と負の相関を持っているそうだ。こうした支出(およびそのための課税)は生産性を高める見込みが低く、したがって、有害無益になりがちなのだとバローは結論している。アジアの虎は、経済開発の中でもオールスターチームと言える諸国だが、経済発展を実現したのは政府支出がGDPの2割くらいのときだった。世界の他の地域だと、高い税率が不均衡に適用されているため経済が歪み、汚職や腐敗の余地を生み出している。多くの貧困政府は、もっと税率を下げてそれを単純で集めやすくすれば、かえって税収は増えるかもしれない。

インターネットはあらゆるところで透明性を高める大きな可能性を持つ。そしてこれは貧困国で特にあてはまる。ある地元プロジェクト(たとえば道路やヘルスクリニック)のために中央政府がいくら予算をつけているかオンライン上で公開するだけで、市民たちは得られるはずだったものと実際に実現したものとを比べられる。「コミュニティセンターに5000ドルの予算がついたって? あのコミュニティセンター、とても5000ドルには見えないぞ。市長と話をしなくては」

技能労働者たちが新しい職を作ったり古い職をもっとうまくやったりして、経済成長を生み出す経済を描いた。技能こそが重要だー個人にとっても経済全体にとっても。これは今でも正しいのだが、発展途上国に行くと、ここにもう一つひねりが加わる。技能労働者が成功するには、他の技能労働者が必要となる場合が多いのだ。心臓外科医として訓練を受けた人物が成功するには、設備の整った病院や熟練看護師、医薬品や医療
器具を売る企業、心臓手術の費用を支払えるだけのリソースを持った人々が必要となる。貧困国は、人的資本の罠に捕らわれてしまうこともある。技能労働者が少ないと、他の人々も技能を得るために投資するインセンティブが下がってしまう。技能を得た人々は、技能労働者の比率がもっと高い地域や国に行ったほうが、自分の能力の価値が高いことを発見し、お馴染みの「人材流出」が生じてし圭う。世界銀行エコノミストであるウィリアム・イースタリーが述べるように、その結果は悪循環となる。「ある国が当初から高技能なら、技能はさらに高まる。低技能から出発すると低技能のままだ」

 

経済学者たちは、豊富な天然資源がもたらすマイナス効果を「オランダ病」と呼ぶようになっている。これは1950年代に北海でオランダが莫大な天然ガスを発見した影響を見たことによるものだ。天然ガス輸出の激増はオランダギルダーの価値を引き上げ(というのも他の国々はオランダの天然ガスを買うためにギルダーを要求したからだ)、他の輸出品はつらい思いをすることになった。政府はまた天然ガスの売却益で社会福祉支出を拡大したので、企業の社会保障支出も引き上げられ、したがって製造費用も上がった。オランダは昔から貿易商の国であり、GDPの半分以上は輸出からのものだった。だが1970年代になると、他の輸出産業、つよりそれ土でオランダ経済の屋台骨となってきた産業は、競争力がガタ落ちになっていた。あるビジネス誌はこう述べている。「天然ガスは経済の仕組みを極度に拡大し歪めたので、貿易国にとってはよいことだったか判断がつけがたい」

最後に最も重要かもしれない点として、各国は天然資源からの収入を使って国を豊かにすることもできる・・・・が、実際にはそうしないのだ。莫大な見返りをもたらす公共投資ー教育、保健、公衆衛生、予防接種、インフラーに使えたお金は、むしろ無駄遣いされることのほうが多い。世界銀行の援助で、チャドから出てカメルーンを通り海に出る石油パイプラインが建設されると、チャドの大統領イドリス・デビーは石油で真っ先に入ってきた450万ドルを、反乱軍と戦う兵器の購入に使ったのだった。

経済学をまる裸にする  本当はこんなに面白い

経済学をまる裸にする 本当はこんなに面白い

 

 

10万円以上20万円以下腕時計

はじめに

後輩の頼みで3月に(戯れに)書いた5万円以下腕時計、さらにその記事を見た友達から依頼されて5月に書いた10万円以下腕時計の2つの記事がおかげさまで好評いただいており、私のブログはめでたく雑記ブログから腕時計ブログへと変貌を遂げました(アクセス数上は)。一般人向けの記事なので、10万円以下で打ち止めにしようと思っていた(コスパ的には10万円以下が最強)のですが、続き書かないの?と知り合いからよく聞かれるので、運悪く(よく?)風邪をひいたタイミングで書いてみることにします。基本的な方針はこれまでと同様、コスパに優れていて、シンプルで使いやすい腕時計ですが、少し遊んだものも選んでいます。

時計の分類

いつも通りですが、時計は駆動方式に応じてクオーツ、機械式(手巻き、自動巻き)に分かれています。時計ヲタや世界の富豪が好む○○○万円の時計はすべて機械式ですが、時計の精度ではクオーツの進化系である電波ソーラーや、さらにその上位進化系であるGPS電波ソーラーの方が上です(時刻を自動修正するので)。クオーツと機械式のどちらを選ぶかは、実用性やコスパを重視するのか、時計の機構を楽しむ「遊び」も欲しいのか、で決めればいいと思います。

クオーツ部門

クオーツ時計というのは、そもそも機械式に比べると圧倒的に単純な機構で高い精度を実現できるコストパフォーマンスに優れた時計なので、5万円も出せば実用上は十分すぎる性能のクオーツ時計が手に入ります。そこに付加価値をつけようということで生まれたのが、

  1. 電池交換不要の「ソーラー」
  2. 正確性を極限まで高めるための「電波による修正」
  3. 衛星電波を利用することで、電波を受け取れるエリアを極限まで広げた「GPS電波による修正」

の3要素です。10万円以下では流石にGPS電波ソーラーは射程圏外だったので、ここを狙っていくのが、この価格帯では王道の戦略になります。また、無印クオーツとしては最高峰のグランドセイコーも射程圏内になります。

SEIKO

 まずは鉄板のグランドセイコー(GS)からSBGX261、無印クオーツでは最高レベルの9F62という機械(キャリバー)を積んでいます。ステンレスの磨き、サファイアガラスの透明感とコーティングによる視認性、均整の取れたシンプルなデザインとまったく隙がありません。ビジネス用途で機械にこだわりがなければ、一押しです。

 前にも書きましたが、SEIKOのソーラー電波時計ブランドであるASTRONは全体的にアグレッシブなデザイン(非フォーマル)が多く、基本的には高級カジュアルラインという位置づけです。GPS電波ソーラーのExecutive Lineは比較的デザインは大人し目でつけやすいと思いますが、ケース直径が46.1 mmで存在感あるというより、やや大きすぎるきらいがありますが、各社ともチタンを使っているので、重さはあまり感じません。この軽さは実用上の強みである一方、機械式時計ユーザーからは安っぽさを感じる要素になります。

CASIO

CASIOに高級無印クオーツは存在しません。買うなら高級電波ソーラーの雄ことオシアナスになります。オシアナスは高級ラインになるほど、オシアナスブルーが強調されて派手になっていくので、G1100TがGPS電波ソーラーの中では一番(というか唯一の)大人しいデザインになると思います。定価こそ20万円オーバーですが、実勢価格はかなり落ちているので、コストパフォーマンスに優れています。オシアナスは耐磁性でSEIKOのアストロンCITIZENのATTESAに劣ると言われていますが、よほど変な使い方をしない限り、問題はありません。ASTRONと同じく、ケース直径が46.1mmでやや大きく感じますが、付けている分にはそこまで気になりません。

派手でもよければG1100TGも有力候補です。個人的な感想ですが、実物はブルーのベゼルがかなりキラキラしてしまうので、やや付けにく印象があります。眺めている分には綺麗です。

CITIZEN 

ブランディングに失敗したせいなのか、あまり一般知名度は高くないですが、シチズンにはグランドシチズンとでも言うべき高級ラインであるTHE CITIZEN(ザ・シチズン)が存在します。GSよりもさらにシンプルなデザインで、仕上げも悪くないので、試着できる環境の人は、候補に入れるべきです。機能的にはGSにない永久カレンダーを搭載しており、質実剛健の四字熟語が当てはまる一本です。知名度が低い割に実勢価格が強気なのは判断が分かれそうなポイントです。

こちらはエコドライブ版のザ・シチズン、下記のATTESAに比べておとなしいデザインです。フォーマルなデザインで電波ソーラーの時計が欲しいなら、エコドライブ版のザ・シチズンを選ぶのが正解ではないかと思います。

スーパーチタニウム版もありますが、貫禄の30万円オーバーなので、今回は射程圏外ですね。

とはいえ、やはりCITIZEN主力はエコドライブの主力ブランドATTESAです。ASTRONと同じくフォーマルよりは高級カジュアルラインを志向しているのでアグレッシブなデザインになります。CC4000-59Eが一番大人しいデザインで、他社に比べるとケース直径が44mmとやや小ぶりなのが素敵なポイントです。

ブラックチタンモデルはかなり格好いいです。個人的な意見ですが、ROLEXのデイトナっぽいデザインGPS)電波ソーラーが欲しいなら、CITIZENのATTESAを選ぶのが一番近いように思います(結構よく聞かれるので追記)。

まとめ

フォーマルならグランドセイコーのクオーツかザ・シチズン、カジュアルならGPS電波ソーラーの中から好きなデザインを選ぼうという感じでしょうか。

機械式(自動巻き)部門

予算を20万円にすることで一番恩恵を受けるのがこの部門でしょう。5万円以内ならSEIKO一択、10万円以内ならSEIKOとORIENTでしたが、20万円まで予算を増やせば、ようやく様々な海外ブランドも射程圏内に入ってきます。

SEIKO

前回も紹介しましたが、20万円以下ベストバイのひとつはSARX055です。予算を20万円に増やしたところで、GSのメカニカル(機械式)には手が届きません。そこでBaby GSとして名高いこのモデルの出番になるわけです。

SEIKOは2018年、新しく6L35という機械を開発して、その第一弾として限定1881本でSARA015という時計を発売しました。ここで採用されているデザインも、SARX055をベースにしていることから、このデザインの完成度がいかに高いかを実感できるとともに、「今後は中の機械を替えていくから、バーゲンプライスでこのクラスの時計を買えるのは今だけだよ」というSEIKOのメッセージも感じるわけです(新型の6L35は薄型になった一方で、駆動時間(タイムリザーブ)が50時間から45時間と短くなった点・シースルーバックから見える機構の作り込みが大きく変わっていない点が不満です)。

こちらがSARA015、実勢価格で倍近いです。

少し変わり種として、琺瑯ダイヤルが美しいこちらのモデルもデザインがハマればおすすめです。

ORIENT

こちらも前回紹介したオリエントスターのメカニカルムーンフェイズです。20万円以内なら間違いなくベストバイの一本になります。ややデザインがごちゃごちゃしているなぁと感じる人は、廉価ラインを検討してください。

 

TAG HERUER

現在はLVMHグループ傘下、スイスの高級時計ブランドとして有名なタグホイヤーのエントリーライン、カレラのキャリバー5は一本目の高級時計として定番の一本です。タグホイヤーは戦略的に価格付けしているので、RolexやOmegaといったブランドに比べると、比較的コスパに優れた高級ブランドということができます。

国内定価は約30万円であるのに対して、並行輸入価格は20万円以下です。海外の高級時計を並行で買う際は、並行差別(国内定価で買わない場合、定期的なメンテナンス(オーバーホール)費用を高くするぞ、というもの)に気を付けてください(Rolex、Omegaが所属するスウォッチグループIWCを擁するリシュモングループのように、並行差別がないメーカーもあります)。長く使い続け、公式のオーバーホールに出し続ける場合は、割高な国内定価で買うほうが、長期的にお得になることがあります。ただ、キャリバー5について言えば、後述するように汎用ムーブメントが使われており、公式のオーバーホールに出す必要があまりないので、並行で買っていいと思います。

心臓部の機械には汎用ムーブメントであるETA2824のジェネリックであるSellita(セリタ)のSW200が使われています。時計ヲタ的にこの点は物足りなく、SW200を載せていてもっと安い時計があるのだから、コスパもいまいちという結論になりがちです(前回説明したエタポン)が、逆にSW200を載せていてもっと高い時計も存在するわけで、デザインが好きなら、買って後悔するほどコスパやクオリティが低いわけではありません。安定して売れ続けているので、少なくともベンチマークとしては知っておくべき時計と言えます。

Longines

時計界の良心として名高いロンジンです。かつては高級ラインも作っていましたが、現在はスウォッチグループの一員として、Omegaと棲み分けるため、比較的廉価なラインを担当しているブランドです(ロンジンと同格にラドー、その下にはティソやミドー、ハミルトンといったブランドがあります)。

ロンジンはブランド力が相対的に弱く、スウォッチグループ傘下で並行差別がないので、総合的に見てタグホイヤーよりも買いやすいです。

マスターコレクションのシンプルな3針モデルは、クラシカルな雰囲気。コスパに優れますが、やや決め手に欠けます。

そこでおすすめなのが、ロンジンらしい堅実さと(並行輸入価格を考慮した)コスパの良さが存分に発揮されたConquest Classicのムーンフェイズです。デザインがごちゃごちゃしていて使い手こそ選びますが、機能性の高さと素性の良さは魅力的です。

また、サンティミエにはムーンフェイズに加えて、時計機構の一つであるレトログラードが搭載されています。折角高いお金を払うので、人とは違うものを・ちょっと変わった機構が欲しい人にはおすすめです。逆行する針の動きは必見。

ロンジンは海外ブランドでは珍しく、クオーツにも力を入れています。

NOMOS

時計というとスイスが有名ですが、ドイツも負けていません。(前回紹介した)ユンハンスと並んで、バウハウス由来のミニマルデザインを採用しているだけでなく、自社オリジナルのムーブメントも設計することから、新興企業ながらそのデザインと技術力の高さが評価されているのがNOMOS(ノモス)です。

NOMOSは並行差別がありますが、そこまで価格差があるわけではないので、並行輸入で買っていいブランドです。TangentはNOMOSを代表するライン、美しいミニマルデザインと裏から見えるムーブメントの華麗さが素晴らしいです。自動巻きではなく手巻きである点は注意してください(手巻きなので、機構は鑑賞しやすいです)。

 Louis Erard

結局似たようなデザインばっかりだなぁと思ったあなた、海外ブランドはデザインの幅広さも魅力の一つです。ルイ・エラールは3針が独立に表示されるレギュレーターのモデルを廉価で提供してくれています。レギュレーターは技術的に難しく、この価格で見られるのは稀です(たとえばレギュレーターで有名なJAQUET DROZは200万円オーバーです)。時計としての精度はやや甘めですが、デザインの独自性や美しさには目を見張るものがあります。ムーブはETA(プゾー)7001がベースになっています。この7001はNOMOSやOmegaが使っていることでも有名なムーブです。

まとめ

前回も書きましたが、30万円以内であれば、日本メーカーがコスパで優位です。ただ、予算20万円であれば、NOMOSやLouis Erardなど、日本にない魅力的なデザインの時計を提供してくれるメーカーが射程圏内に入ってきますので、お気に入りの一本を探す楽しみが出てくると思います(裏から見えるムーブメントの仕上げの美しさにも注目です)。一般に、中価格帯(時計だとアンダー50万円くらいが目安)で海外有名ブランドの時計を国内定価で買おうとすると、(時計マニア的には)やや割高な時計を買わされる可能性がある点は注意してください(たとえば、記事内で紹介した高級時計最初の一本の定番、キャリバー5の国内定価は割高だと思います。)。

追記:なぜ時計マニア的に割高かというと、時計マニアは自社で作った自社ムーブメントのオリジナリティに価値を見出すからで、汎用ムーブは、たとえそれがいくら高性能であっても、オリジナリティがない=致命的な欠点になるからです。

おわりに

私はオーディオやインテリア・デザイン雑貨のブログも運営しているのですが、時計と同じく1. 比較的高級で2. 専門性が高いので敷居が高い趣味であり、3. 技術とデザインという二つの要素が商品の価値を構成しているため、「プロによる玄人のための記事(技術的な側面を重視する傾向)」と「アマチュアによる素人向けの質の低い小遣い稼ぎ記事(商品のスペックや見た目など、知識や経験がなくても分かることを適当に並べているだけ)」という両極端な記事はネット上に散見される一方、「プロによる素人向けの記事(技術を考慮した上で、満足できるデザインの時計をチョイス)」はほとんど存在しません。そこで始めたのがオーディオブログだったわけですが、腕時計の記事も、腕時計市場で似たような役割を果たしてくれたらいいなと思っています。

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宝石の国(9)特装版 (プレミアムKC)

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賢者の孫(8) (角川コミックス・エース)

 

波よ聞いてくれ

 積読していた新刊を読了。噂には聞いていたが、おかしな方向に。面白いからいいんだけど、やや今後が不安。

波よ聞いてくれ(5) (アフタヌーンKC)

波よ聞いてくれ(5) (アフタヌーンKC)

 

 異世界居酒屋のぶ

 実家のような安心感、これといって印象に残るエピソードは特になし。

異世界居酒屋「のぶ」(7) (角川コミックス・エース)

異世界居酒屋「のぶ」(7) (角川コミックス・エース)

 

  

統計学をまる裸にする

アメリカの統計学啓蒙本を読んだことがない人・初学者にはおすすめ。一冊以上読んだことがあるなら、そこまで目新しい話が多いわけではない(いい本だとは思う)。

 

私は高校で物理学が大好きだった。でも物理学はスミス先生の講義で私が拒否してきたのとまったく同じ微積分に依存しているのに。なぜか?それは物理学には明確な目的があるからだ。高校の物理の先生が、ワールドシリーズの間に加速度の基本公式を使い、ホームランがどこまで遠くに飛んだかを計算する方法を教えてくれたのは忘れられない。これはクールだーそして同じ公式が、もっと社会的に重要な数々の形で使える。
大学に入ると、私は確率が心底おもしろいと思った。それが現実生活のおもしろい状況について洞察を与えてくれるからだ。今にして思えば、微積分で私がつまずいたのは、 数学のせいではない。それが何のためのものか、だれも説明してくれなかったせいだったのだ。数式のエレガンスだけで夢中になる人でなければーそして私は絶対にちがうー微積分は単に面倒で機械的な数式の固まりでしかない。少なくとも私はそういう教わり方をした。

 

 テスト得点統計のごまかしも、同じくらいまったくみごとなものだった。(ヒューストンであろうと、どこであろうと)テスト得点を向上させる方法のひとつは、教育の質を改善して、生徒がもっと学習し、テストでもっと良い成績を出すようにすることだ。テスト得点を向上させるもうひとつの(あ まり高潔でない)方法は、成績が最も低い生徒たちにテストを受けさせないようにすることだ。成績が最も悪い生徒たちの得点を排除すると、たとえ他の生徒全員にまったく向上がみられなくても、学校・地区の平均得点は上がる。テキサス州では、州全体の学力テストを10年生でおこなう。ヒューストン学区では、最も学力の劣る生徒たちをなるべく10年生に進級させないようにしていたようだ。特にひどい例では、3年間9年生として過ごして、そのよま11年生に進級させられた生徒がいるー学力が劣る生徒を退学させることなく、10年生の標準テストを受けさせない、ずる賢いやり方だ(退学させると別の統計に表れてしまう)。

ロッド・ペイジがヒューストンの教育委員長在任中に、この統計のごまかしに加担していたかどうかは明らかではない。しかしかれは、退学およびテスト得点の目標を達成した校長に現金賞与を与え、目標を達成できなかった校長を解雇あるいは降格する、綿密な成績責任プログラムを実践した。校長たちは例外なくインセンティブに反応した。これがさらに大きな教訓だ。評価対象の人たちが、本来の目標に一致しない方法で自分たちを(統計上)良く見せかけることが絶対にできないようにしておくこと。

ニューヨーク州は、苦い経験を通してこれを学んだ。 ニューヨーク州は、冠動脈血管形成手術(心臓病の一般的な治療法)をおこなう心臓専門医の患者の死亡率を評価する「スコアカード」を導入したのだ。これはまったく合理的で有用な、記述統計の使い方のように見受けられた。心臓専門医の執刀中に死亡した患者の比率は、知っておくべき重要事項だし、政府がそのデータを収集、公表するのも理にかなっている。そうでなければ、個人はこのようなデータにアクセスできないからだ。これは良い政策か?イエス。ただし、それがおそらく人を死なせる結果になったことを除いては。

心臓外科医は、当然ながら「スコアカード」を気にする。しかし執刀医が死亡率を改善する最も容易な方法は、死なせる人を減らすことではない。おそらくほとんどの医師たちは、患者を死なせないようにすでに懸命に努力している。医師が患者死亡率を改善する最も容易な方法は、重篤な患者の手術を拒むことだ。ロチェスター大学医科歯科大学院の調査によると、一見すると患者のために役立つスコアカードが、患者の不利益にもなり得るという:調査した心臓専門医の83%によると、公的死亡率統計のせいで、血管形成術が有効かもしれない患者が、それを受けられない場合があるというのだ。そして医師の79パーセントによると、個人的な医学的判断の一部が、死亡率データが収集、公表されることに影響を受けたという。この一見有用な記述統計学の悲しい矛盾は、心臓専門医たちが合理的な反応をして、治療を最も必要とする患者たちへの治療を差し控えたという点だ。
統計指標は、

 

『USNW』誌によると、「最も重要なのはどの性質に関する指標かというわれわれの判断にもとづいて、各指標には加重がかけられています」。判断と、恣意性とは別ものだ。国立大学および短大のランキングにおいて、最も大きな加重がかけられている変数は「教育的評判」だ。この評価の基盤となっているのは、他の短大\大学の職員たちが記入した「相互評価調査」と、高校の進路指導員たちを対象にした調査だ。マルコム・グラッドウェルは相互評価方式について、痛烈(だがユーモラス)な批判をしている。かれが引用したのはミシガン最高裁判所の首席判事が約100人の法律家たちに送付したアンケートで、このアンケートでは,法科大学院を質の順に10位まで選択するように求められていた。ペンシルバニア州立大学の名前も、法科大学院のリストの中にあった法律家たちはこれを中程に位置づけた。当時、ペンシルバニア州立大学に法科大学院はなかったのだ。
『USNWR』誌はたくさんデータを収集してはいるが、有望な学生たちの注目すべきことをこのランキングが示しているかどうかはわからない:その学校ではどれだけの学習がおこなわれるかということだ。フットボールファンは、パスレーティングの計算方法についてとやかく言うかもしれないが、その構成要素ーパス完了、ヤード、タッチダウンインターセプトーがクォーターバックの総合的能力に重要であることは、否定しようがない。『USNWR』誌の基準だと、そうとは限らない。『USNWR』誌の基準のほとんどは、教育実績よりも、どんな資源を学校が投入しているか(例:どんな学生が入学しているか、教員陣の給料、常勤教員の比率はどれくらいか)に注目している。

マイケル・マクファーソンが指摘している通り、「在学中の4年間に受けた教育が生徒の才能を伸ばしたか、知識を豊かにしたかどうかについては,『USニュース』誌からは
まったくうかがい知ることはできません」

これらはすべて、どうでもいいことのようにも思える。だがこれが、かならずしも学生や高等教育の益にならないことを奨励してしまっているらしいのだ。たとえば、ランキングの計算に用いられていた統計のひとつは、その学校の学生1人当たりの資金力だ。問題は、その資金がどれだけうまく用いられているか、示す指標がないことだ。少ない資金で高い効果を上げる学校が、順位付けのプロセスで不利になってしまう。また、短大と大学には多くの学生たちの出願を奨励するインセンティブがあり、現実的には入学できる見込みがない学生も数の内に含まれる。そうすることで、見かけ上は選択される可能性が高い学校になれるのだ。あやしげな出願に対応するのは、学校にとっても、そして実際に受け入れられる機会がないのに出願する学生にとっても、リソースの浪費だ。
筆者は『USニュース&ワールドリポート』誌のランキングが当分なくならないほうに賭けよう。バードカレッジの学長レオン·ボットスタインが指摘しているように、「人は簡単な答を愛する。最高なのはどこか?1位のところだ、と」。

1981年、ジョセフ·シュリッツ醸造会社は、低迷しつつあったブランド「シュリッツ」のため、おそろしく大胆で危険ともいえるマーケティング活動に170万ドルを投じた。スーパーボウルのハーフタイムに,世界の1億人が見守るなか、おもな競争相手である「ミケロブ」との試飲対決を生中継したのだ。さらに大胆なことには、この2種類のビールを飲む人を無作為に選ばず、ミケロブ愛飲家を100人選んだNFLプレーオフ期間、シュリッツ社がずっと続けてきたキャンペーンの集大成だった。試飲は5回にわたってテレビで生中継され、毎回競合プランド(バドワイザー、ミラー、ミケロブ)の消費者100人が、愛飲しているビールとシュリッツの飲み比べをおこなった。この試飲はプレーオフ期間の試合の宣伝さながらに、毎回さかんに宣伝された(「シュリッツ対バドワイザーAFCプレーオフ中に生中継」など)。

マーケティングメッセージは明白だった:別のブランドが好きだと思いこんでいる
ビール愛飲家も、飲み比べではシュリッツを選ぶ。

雇って、飲み比べを見守らせた。大観衆を前に生中継で飲み比べをさせるのはかなりリスクが高いことから考えて、シュリッツ社はよほどすばらしくおいしいビールを造ったんですよねえ?

かならずしもそうとは言えない。この策略ーこの言葉は、たとえビールの宣伝の話であっても軽々しく使ってはいないーがほぼ確実に良い結果をもたらすためには、シュリッツ社には凡庸なビールと、統計学に対するしっかりとした理解さえあればよかったのだ。実はシュリッツ社のビールと同じ価格帯のビールは、どれもほぼ似たり寄ったりなのだ。皮肉なことに宣伝活動はまさにその点を利用している。世間の典型的なビール愛飲家には、シュリッツ、バドワイザー、ミケロブ、ミラーの区別がつかないとしよう。その場合、どの2種類の目隠し飲み比べも基本的にはコイン投げに等しい。平均的には試飲した人の半数がシュリッツを選び、半数がシュリッツの「対戦相手」を選ぶだろう。この事実のみでは、たぶんあより効果的な宣伝にはならない(「ちがいがわからない人のための、シュリッツ」)。そしてシュリッツはまちがいなく、自社の忠実な顧客を相手には、この飲み比べをやりたくないはずだ。およそ半分が競合ブランドを選んでしまう。最も肩入れしてくれているはずの愛飲家が、飲み比べでライバルブランドを選んで
しまうと、見た目によろしくないーだがシュリッツ社はこれを、競合相手にやろうとしていたのだ。
シュリッツはもっと賢明なやり方に出た。この宣伝の賢いところは、飲み比べの参加者をライバルブランドが好きだと主張したビール好きに絞ったところだ。飲み比べがコイン投げにすぎないとしたら、バドワイザー\ミラー\ミケロブ愛飲家のおよそ半数がシュリッツを選ぶ結果になる。シュリッツがとても引き立つわけだ。バドワイザー愛飲家の半数がシュリッツを選びました!

飲み比べ参加者100人のうち、少なくとも40人がシュリッツを選べば、シュリッツ者は満足だとしよう。生中継での見比べに参加する100人全員がミケロ分愛飲者だと告白していることを考えれば、立派な数字だ。そしてこれ以上の結果が出る可能性が非常に高い。飲み比べが本当にコイン投げ同様なら、基本確率から、少なくとも40人がシュリッツを選ぶ確率は98%、少なくとも45人がシュリッツを選ぶ確率は86%わかる。

さてシュリッツはどうなったか?1981年のスーパーボウルのハーフタイムに行われたの見比べでは、ミケロ分愛飲家のちょうど50%がシュリッツを選んだ。

ここから得られる重要な教訓は2つ:確率が非常に強力なツールであること。そして1980年代の主なビールの多くは、全く差がなかったこと。

 

この種の情報を得て、正しく理解するだけで、意思決定もしやすくなり、リスクも明確になることが多い。たとえばオーストラリア運輸安全委員会は、交通手段ごとの死亡リスクを定量化した報告を発表している。飛行機は広くおそれられているが、民間航空機の利用に伴うリスクはわずかだ。オーストラリアでは1960年代以降、民間航空機の利用による死亡者は出ていないため、移動距離1億キロメートル当たりの致死率は、ほぼゼロ。自動車運転については、1億キロメートル当たりの致死率は0.5。非常に印象的なのが、バイクの数値だー臓器提供者をめざす人にはすばらしい。バイクの致死率は、自動車の35倍だ。

 

リソースに制約がある場合や、入手できるDNAサンプルがごくわずかの場合、あるいは汚染がひどく13の座を調べられない場合、事態はもっと興味深く、議論を招くものとなる。『ロサンゼルスタイムズ」は2008年に、DNAの証拠採用を検証する記事を連載した。特に『ロサンゼルスタイムズ」が疑問を呈したのは、当局が一般的に用いる確率は、偶然の一致の可能性を軽視していないかという点だった(全人口の遺伝子データは解明されていないため、FBIなどの搜查当局が法廷で提示する確率は、推定値といえる)。学問的な反動が生じたのは、アリゾナ州のある鑑識官が州のDNAデータベースで照合をおこなっていて、無関係の重罪犯2人のDNAが9個の遺伝子座で一致するのを発見したときのことだ。FBIによると、2人の無関係な人間で9個の座が一致する率は、1\1130億。その後ほかのDNAデータベースを調べたところ、1000組を超える組み合わせで、9個以上の座における一致がみられた。この件については当局と被告側弁護士たちに任せよう。ここでの教訓は、あのみごとなDNA分析の科学は、裏付けに用いられる確率次第ということ

 

ほとんどの統計本は、すぐれたデータが用いられることを前提にしている。料理本が、いたんだ肉や腐った野菜など材料として買ってこないことを前提にしているように。だが最高のレシピですら、傷んだ材料でつくった料理は救えない。統計においても然り。どんなに手の込んだ分析をしたところで、根本的に欠陥のあるデータの埋め合わせはできない。「入力がゴミなら結果もゴミ」と言われる所以だ。データは尊重されるべきだ。

 

統計学の教科書には、標本抽出法についてもっと詳細が盛り込まれている。調査会社や市場調査会社は、さまざまな母集団を代表するすぐれたデータを、最も費用対効果の高い方法で手に入れるために何日も費やす。さしあたって理解しておくべき重要なことはつぎの通り:

  1. 代表的標本はすばらしく重要。統計学が持つ最も強力なツールへの扉を開くからだ。
  2. 良い標本の入手は、思ったより困難。
  3. すぐれた統計手法を悪い標本に適用すると、実にとんでもない統計的主張が出てくる。よいデータに悪い統計手法の場合よりひどい。
  4. 規模は重要で、大きいほど良い。

 

標本がいくら大きくても、標本構成のエラー、すなわち「偏り」を埋め合わせることはできない。悪い標本は悪い標本だ。スーパーコンピュータや、複雑な手法を使っても、ワシントンDCの住民を対象とした電話調査のみで回答者を抽出した大統領選全国世論調査の妥当性は救えない。ワシントンDCの住民は、投票行動が他の州の住民と異なるので、ワシントンDCの住民1000人でなく10万人に電話調査をしても、根本的問題は解決しない。実際のところ偏りのある大きな標本は、ほぼまちがいなく、偏りのある小さな標本より悪い。結果について、間違った自信をもたらすからだ。

ニューヨークタイムズ』紙が、うつの治療に用いられる薬に関する出版バイアスについて掲載した記事の冒頭はこうだ:「プロザックパキシルなどの抗うつ剤のメーカーは、政府の認可を得るためにおこなった治験の約1\3については、結果をまったく公表しておらず、これらの薬の実際の有効性について、医師および消費者の誤解を招いている」。これらの薬の有効性について、肯定的な結果が出た研究の94パーセントが公表されている一方、肯定的でない結果が出た研究のうち、公表されているのは14パーセントのみであることがわかった。うつに苦しむ患者にとっては重要な問題だ。すべての研究を考慮に入れると、抗うつ剤は偽薬より「ほんのわずか」すぐれているにすぎない。

この問題と戦うために、いまや医学誌では、後に研究を公表する場合は、開始時に登録するよう求めることが一般的になっている。これで編集者たちは、肯定的結果と否定的結果の率についての証拠を入手できる。スケートボードが心疾患に及ぼす効果を調べる研究が100件登録されて、最終的に肯定的結果を発表するために提出されたのが1件のみであれば、編集者たちは、他の研究が否定的結果であったと推測できる(あるいは、少なくとも他の研究が否定的結果であった可能性を調査できる)。

 

ニューヨークタイムズ·マガジン』は、この思い出しバイアスの油断ならない性質について、こう述べている:乳ガンの診断は、女性の現在と将来を変えただけでなかった。過去も変えていた。乳ガンを発症した女性は(無意識のうちに)脂肪分の高い食事が素因だった可能性があると考えて、(無意識のうちに)脂肪分の高い食事を思い出す。このいわくつきの病気にかかったことが、ある人には、痛いほど覚えがあるパターンだ:彼女たちは、過去にこの病気にかかった無数の女性と同様に、記憶をたどって原因を探し、その原因を記憶に刻んだのだ。

思い出しバイアスは、縦断的研究が横断的研究より好まれることが多い理由のひとつだ。縦断的研究では、データはタイムラグなしに収集される。研究参加者には、5歳の時点で学業への取り組みについて尋ねる。そして13年後、同じ人物のもとをふたたび訪れて、高校を退学したかどうか調べる。横断的研究では、すべてのデータをある時点で収集する。18歳の高校退学者に、5歳の頃の学業への取り組みについて尋ねなければならない。本質的に信頼性が低いのだ。

 

慣行としては、帰無仮説が正しい場合に20回に帰無仮説は棄却する。もちろん、研究を20回やれば、あるいは単一の回帰式にクズ変数を20個入れれば、平均ではひとつ、統計的に有意だがデタラメな発見があるはずだ。『ニューヨークタイムズ·マガジン』は、医療統計家で気鋭の学者リチャード·ペトロからの引用で、この緊張関係を見事にとらえている。「疫学は実に美しくて、人間の生死に実に重要な視点を与えてくれるが、驚くほどのゴミ論文が刊行されている」。

2011年に、『ウォールストリート·ジャーナル」は1面で「医学研究の不都合なちょっとした秘密」という記事を載せた。「ほとんどの結果は、最高の査読雑誌に掲載されるものですら、再現できないのだ」(査読誌というのは、研究や論文が刊行を認められる前に、同じ分野の他の専門家が手法的な問題点がないかを査読する雑誌だ。

この「秘密」の原因のひとつは、第7章で述べた「出版バイアス」だ。研究者たちや医学雑誌が、「影響がある」という結果にばかり注目して、「影響がない」という結果は無視するのであれば、その薬が効果を持つという1本の研究を掲載して、それが効果を持たなかったという19本の論文はボツにすることになる。一部の臨床試験はまた、標本
サイズが小さく(めずらしい病気ではそうなりがちだ)、おかげでデータの無作為な変動が必要以上に注目されてしまう可能性はさらに増大する。加えて、研究者たちは、意識的にか無意識のうちにか、強いバイアスを持っているかもしれない。何か事前に強い思いこみがあったり、影響があるという発見のほうがキャリアにとって有利だという事実があったりするためだ(ガンに効かないものを見つけたところで、有名にも金持ちにもなれない)。

こうした各種の理由から、専門的な研究のうち驚くほどの比率が実はまちがっているのだ。ギリシャの医師で疫学者であるジョン·イオアニディスは、有力な医学雑誌3つに掲載された論文49本を検討した。どの調査も、医学文献で1000回は参照されているものだ。だがそうした研究のおよそ3分の1は、後の研究で否定されている(たとえば、検討された論文の中にはエストロゲン代替療法を推奨したものもある)。イオアニディス医師は、刊行された科学論文のうちおよそ半分は後にまちがいだと証明されると推計している。この研究は、『アメリカ医学会ジャーナル』に刊行されたが、これは研究対象となった論文が掲載された雑誌のひとつだ。これは確かに、頭の痛い皮肉を作り出す。イオアニディス医師の研究が正しいなら、かれの研究がまちがっている可能性も高いことになるのだから。

 

若いやる気のある教官たちは、 高齢の古臭い教授たちに比べ、もっと教育熱心なのだ。多分年寄り連中は、1978年に使った黄ばんだ講義ノートをいまだに使っているのだろう。パワーポイントなんて、エナジードリンクの一種とでも思っているはずだーいや、エナジードリンクの何たるかさえ知らないかも。明らかにこのデータを見ると、古い頑固教師どもは首にするか、少なくとも潔く引退していただくべきだ、ということになりますよね?

キャレルとウェストは、入門講義で経験の豊かな教官に教わった数学や科学の学生たちは、入門講義で経験の浅い教授に教わった学生たちに比べ、必修の追加講義でも成績が高いことを発見した。・・・経験の浅い教師は入門講義で「試験にあわせた講義」をする可能性が高いということだ。

統計学をまる裸にする データはもう怖くない

統計学をまる裸にする データはもう怖くない

 

 

Begin201811

定番オールタイム・ベスト100、やっぱり定番モノの特集が一番好きです。

 

GMW-B5000GD-1JFのフルメタルブラックは間違いなく入手困難になりそうですね。

 

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casio.jp

光学15倍ズーム、1インチセンサーの廉価Leica。持っているだけでテンション上がりそうではある。税込み15万で買えるのは嬉しい。

photo.yodobashi.com

コンランオリジナルのDURALEXピカルディ、ブルーリム。プレーンは味気ないので、ブルーリムはたしかにいい。

www.conranshop.jp

 ワイングラスは場所を取ると思いがちだが、バカラのシャトーバカラタンブラーなら大丈夫。もっともバカラらしい重厚感や綺羅びやかさはないので、らしさではベルーガが上。

www.baccarat.jp

 スチールシェルフは色々あれど、信頼性ではメタルシステムのシェルフが定番中の定番。耐荷重150kgは素晴らしいの一言。デザインも最高です。

Metalsistem.com

 久しぶりにLAMYを買おうと思った2018限定のオールブラック。定番ブラックはブラウンが入っており、シャイニーブラックはメタルがシルバーなので、マットなオールブラックが欲しければ今年の内にポチるしかありません(ということでポチりました)。

 ソロテックスは気になりますね。

www2.teijin-frontier.com

Begin(ビギン) 2018年 11 月号 (雑誌)

Begin(ビギン) 2018年 11 月号 (雑誌)

 

 

ローマ旅行覚書

仕事でイタリアのローマに行ったので覚書(情報はネットにたくさんあるので、細かいところを中心に)

yamanatan.hatenablog.com

  •  ホテルはテルミニ駅からすぐのWelcome Piram Hotelを利用。MetroからはVia Cavour / Piazza della Repubblica口を利用すると、雨が降っていてもほとんど濡れないでホテルに帰れるなので便利。テルミニ駅は治安が悪いらしいので、可能な限り近づかないという観点からもよい。ドライヤーは期待できない。壁が薄いのでいろんな音が丸聞こえなのは諦めが重要。
  • テルミニ近辺のホテルは避けるべき、みたいな記事も色々と見たが、1週間程度滞在して危ないと思ったことは一度もなかったので、最低限度の注意が払える人は利便性重視でテルミニ近辺のホテルありだと思った(空港直通は心理的にも楽)。女子一人旅とかだと話は変わってきそう。
  • オンラインで必ず予約しておきたいのはヴァチカン美術館(+システィナ礼拝堂)とボルギーゼ美術館のみで問題なかった(どちらも印刷せずにスマホの画面を見せるだけでOK)。あとレストランのArmando al Pantheonは行きたいなら予約がほぼ必要みたいなテンションでした(行けなくて残念)。
  • 水曜日のヴァチカンは避けろ!みたいなのが一般的だったので、ハックできるかも兼ねて特攻してみた。結論から言えば、そこまで悪くないと思う。ヴァチカン美術館は10:30を予約して、システィナ礼拝堂を12:30に発てるようなスケジュールを組む(美術館を堪能したければ9:00や9:30、それほど興味なければ11:00とかでも)。12:30(時間は多少前後するかも、12:45には空いていた)になったらシスティナ礼拝堂の「右奥のドア」(左手前のドアは美術館に戻るドアなので流されないように)が開くので、ドアから続く通路を通って、サン・ピエトロ寺院へ(ツアコンがいないと拒否されるかも!とか煽って有料ツアーを勧めているブログがあるけど、ちゃんとした通路なので問題ないはず)。そのままクーポラ列に並ぶ(クーポラは13:00から)。このプランなら、そこまで待たずに行けると思うので参考に(もちろん水曜以外の早朝からサン・ピエトロに行くプランには負ける。)。
  • あくまでも個人的な意見ですが、遺跡や建物は古い・汚いものが少なくないため、夜に見たほうがいいものも数多くあるように感じました。もちろん中に入りたい人は、日中に行くべきですが、時間に限りがある人は、夜に外側の写真を撮りに行くだけでも(むしろそのほうが)満足できるものもあると思う。
  • サン・ピエトロ:夜もきれいだが中に入るべきなので日中推奨。できれば2回行くべき。
  • サンタンジェロ城:夜のほうがライトアップされていて格好いい。ただ橋からの写真は青空が似合う&天使の表情が読み取りやすい。
  • ナヴォーナ広場:ライトアップされているので夜でも楽しめる。
  • トレビの泉:ほとんどライトアップされていないので、日中がおすすめ(スリとかも多いらしいし・・・)。
  • スペイン広場:ほとんどライトアップされていないので、日中がおすすめ。買い物の観点からも日中推奨。
  • コロッセオ:日中というか夕方推奨(日中はローマパスがあっても並ぶと書いてあったので、夕方に行ったところほぼノータイムで入れました)
  • ヴィットリオ・エマヌエーレ・・・:夜のほうが格好いいです。白いので昼間はやや浮いてます。
  • アーラ・パチス:夜はライトアップされていてきれいですが、昼は何もないような気がします(未確認)。
  • サンタ・マリーア・マッジョーレ教会:中が美しいので昼も行くべきだが、夜のライトアップも素晴らしい。Simply marketに夜の買い出しに行くついでに是非。
  • 真実の口:夜は閉まって見れないので、必ず日中に。

夏のイタリア前提ですが、日中は日本ばりに太陽光が激しいので、サングラス着用&日中は美術館など屋内で過ごす、を徹底するべきと感じました。

  • ローマパスは王道のコロッセオカピトリーノ美術館にしました。ボルゲーゼはローマパス利用可能ですが、一手間必要なのでおとなしくweb予約のほうがいいと思います(ちなみに17:30-のディスカウントチケットを買いましたが、普通に17:00から入れてもらえました。たまたま客が少なかっただけかもしれないけど)。ブログを見る限り、以前はFiscal codeの入力なしで予約可能だったみたいですが、今回(2018/9)は無理でした。デフォルトで入力されるEE1でOKです。
  • ローマ博物館は、ローマパスのディスカウントを使って6ユーロだったので、40%ディスカウント?くらいだと思います。内容は正直微妙だったので、21世紀美術館に行けばよかったです(`;ω;´)
  • カードだけで現金は必要ないと思っていましたが、意外に色んな所でOnly cashと言われたので、100ユーロくらいは用意しておいたほうがいいかもしれません(TivoliやOrvietoなど田舎の施設、市内の飲食店、有名どころだとティラミスのPompiはカードだめ。市内ピザ屋のIl Brigantinoもだめ。)。
  • パスタは色々と食べましたが、Orvieto(イノシシ肉が名産らしい)にあるAntica Bottega al Duomoのイノシシ肉パスタが最高でした。食後に出た白ワインも美味しすぎるので、銘柄教えてくれと頼んだら、まさかのシェフお手製だそうで買えませんでした。ジェラートも一通り食べ歩きましたが、Gelateria La Romanaが一番美味しかったです。
  • 夜は危ない危ない、と色んなところに書かれていましたが、出歩いて見た感じ、大通りであればほとんど声もかけられませんでした。ヤバそうだなと感じたのは、夜の11時頃にEaterlyからMetroのRoma Ostienseに一人でトボトボと歩いているときくらいだったように思います。
  • カステルロマーノに行くときが、個人的に一番焦った瞬間でした。なぜなら、チケットを結局どこで買えばいいのか、だれも明確に書いてくれてないから&テルミニ駅に到着したのが14:10で、最終バスが出る14:30まで時間がなかったからです。ということで、テルミニ駅の調剤薬局の前らへんをウロウロ(どこかのブログでここがバスの到着地点と書いてあったので)してみたが誰も現れず、仕方がないので対面(Hotel Vienneseとかある側)を探したらチケット屋を発見、カステルロマーノのチケットある?と聞いたら「あるよ、すぐにバスが来るから早くし支度しな!」みたいな感じのおばちゃんがバス乗り場まで送っていってくれました(間違っていたけどw)。最新の位置はGoogleマップにCastel Romano Designer Outlet Bus Station(00185 Roma RM)とあるところです。チケットもそこでお姉さんから買えるみたいです。
  • SIMは、安定のThree。コスパが秀逸。

 

  • ネックピローはWow-Pillowがオススメ
  • ヨックションもあると心強い。
ヨックション(グレー)

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yamanatan.hatenablog.com

 

デンマーク旅行覚書

仕事でデンマークコペンハーゲンに行ったので、覚書(日本語の情報が少なく、ちょっと苦労したので)。

  • アメニティは最低限未満を想定し、歯ブラシ・スポンジ(タオル派の人は不要)・スリッパ(ビーチサンダル)は揃えておきたい(デンマークに限らないけど)。
  • 基本的にカード決済可能なので、現金は不要(お城のコインロッカーで物理コインが必要なケースが存在するが、貸してもらえる)
  • 水は飲めるが、怖ければミネラルウォーターを買う。ただしコンビニの水は高い(400円くらい)ので、後述の安いスーパーで2リットル買って小分けがコスパよし。ペットボトルはデポジット込の値段なので、店にリサイクルで持っていくと一部返金してもらうことができる。
  • 空港からコペンハーゲン中央駅に行くには、必ずDSB(デンマーク国鉄)に乗ること!地下鉄は中央駅を通っていません。
  • 公共交通機関乗り放題&観光スポット入場料無料のコペンハーゲンカードは高価なので、予定を凝縮できない人はCityPass(Zone1-4の交通機関乗り放題チケット)+個別に入場料支払いの方がお得な場合もあり。

コペンハーゲンの地下鉄、市バス、鉄道の乗り放題切符CityPass 徹底攻略【デンマーク】

  • はじめのうちは何に乗ればいいかわからないと思うので、とりあえずDSBの職員に聞くことをオススメ(そのうち、分かってくる)
  • SIMはセブンイレブンでLebaraを買うのが王道。自動更新型の可能性があるので、SMSで5010宛にgetall*stopを送っておくとよい(あくまでも自動更新stopなので、利用停止されるわけではない)。自分は買った瞬間にやりました。

デンマークでSIMカードを購入してみた記録:雑記帳:So-netブログ

  • 外食は場所にもよるが日本の1.5倍から3倍くらいのイメージ(VATがやばい(25%))。
  • 日本でも名前が知られている高級スーパーのIrmaは質が高いが値段も高い(成城石井みたいなイメージ)。ばらまき用のお土産や自分が食べる・飲むものを買うなら、地元の人が利用するような安いスーパーも知っておいたほうがいい(REMA 1000やLidl、Nettoなど)。もちろんIrmaちゃんグッズがほしければ、Irmaで買うこと。Irmaは空港にはないので注意!(逆にIllums Bolighusは空港の免税ゾーンにあるので、手続きが面倒くさければこちらを使う方が楽)
  • ロスキレ大聖堂のあるロスキレ、フレデリクス城のあるヒレレズ、クロンボー城のあるヘルシングエーアはいずれも往復半日コースを覚悟すること。この内の2箇所以上のはしごはかなり厳しいので、おとなしく市内のスポットと組み合わせたほうが吉。
  • クロンボー城に行く日は、M/S The Maritime Museum、ルイジアナ近代美術館、オードロップゴー美術館あたりを予定に組み込むことをオススメ(ただし、自分が行ったときはオードロップゴー美術館は閉鎖中でした泣)。クロンボーの近くにあるSankt Olafs kyrkaもキレイでした。
  • ローゼンボー、フレデリクス、クロンボーのお城御三家だと、フレデリクスがサイズが一番、ローゼンボーはリッチさが一番、クロンボーはそれに比べると・・・という感想。ただ、フレデリクス城はクロンボー城と違って、市内との行き帰りの間に組み込める観光スポットが少なく、また最寄り駅からバスに乗らないといけないのがややネック(自分はたまたま近くに住んでいる老夫婦の車で駅まで送ってもらったが、バス待ちも結構しんどい)。
  • チボリ公園に一度は行くことになると思うが、どうせなら他にやることがない夜がオススメ。とくに土曜の夜はライブと花火があるので、満足度が高い。
  • もう一つ、やることのない夜にオススメはクリスチャニアへの訪問(ただし、夕方ですら独特の雰囲気でやや怖かったので、女性一人とかは非推奨)。
  • 人魚姫、カステレット要塞、ゲフィオンの噴水は数少ない「朝から空いているスポット」なので、朝に訪問するのがオススメ。
  • 1日だけ滞在で月曜日でないならこんなコースが考えられる(ただし、かなり頑張る必要あり)。朝にOsterportから人魚姫~クロンボー城ルイジアナ近代~(オードロップゴー)~デザインミュージアムデンマーク~アマリエンボー~Nyhavn(デンマークの風景といえばここ)~市内で買い物~(クリスチャニア)~夜にチボリ公園
  • 服装は夏(8月)なら半袖+{7分丈・夜用に長袖のパーカー}が1枚あれば十分(雨が降った日の夜はさすがに寒かったので、夜に出歩きたければ薄手のウインドブレーカーも追加で)。
  • ネックピローはWow-Pillowがオススメ
  • ヨックションもあると心強い。
ヨックション(グレー)

ヨックション(グレー)

 

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