残酷すぎる成功法則

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これまでに2人の参加選手の命を奪った危険なレースがある。

自転車によるアメリカ大陸横断…レース・アクロス・アメリカ(RAAM)の事だ。約4,800kmを12日間で走破しなければならない過酷なレースだ。休息日などない。スタートすればゴールまでノンストップ、睡眠や食事の為に走るのをやめれば、その間に競争相手に抜かれてしまうかもしれない。・・・平均3時間の睡眠で長距離レースに耐え抜くしかなくなる。

世界一過酷なレースで、・・・前人未踏の5回の優勝を誇るその男、ジュア・ロビック・・・無敵の王者・・・たとえば2004年の大会では2位を11時間引き離して圧巻の優勝を飾っている。2位がゴールするまで半日待たされるレースなんて想像できるだろうか?

作家のダニエル・コイルはニューヨークタイムズ紙に寄せた記事の中で、・・・彼の狂気だという。

レース中の彼は半泣き状態で、偏執的な神経症に陥り、足元の道路のひび割れにさえ何か意味が隠されていると思い込む。ふいに自転車を投げ出したかと思うと、血走った眼で拳を振りかざし、スタッフが乗る後続車に拳を振りかざして向かってくることもしばしばだ。郵便ポストを相手に殴りかかったこともある。・・・ロビックは自身の狂気について、『無様でみっともないが、これなくしては生きられない』。

Jure Robič - Wikipedia

1880年代にすでにフィリップ・ティシやオーガスト・ビールと言った科学者は、精神がやんでいるものは痛みをものともせず、人体のリミッターを超えた驚異的な力を発揮できると述べている。

少なくとも私の高校の教師は、そんなことは教えてくれなかった。ときには幻覚や郵便ポストとの格闘や錯乱状態が世界的栄誉を勝ち取るのに役立つなんてことは。ただ宿題をちゃんとやり、規則を守り、いつもいい子でいなさいと言われただけだ。

 

本当のところ、実社会で成功を生み出す要素は一体何なのか。

成功とは、テレビで華々しく取り上げられるものとは限らない。パーフェクトであることより、自分の強みをよく知り、それを最大限生かせるような状況に身をおくことが何より重要だ。

なぜ高校の首席は億万長者になれないのか


ボストン·カレッジの研究者であるカレン・アーノルドは、1980年代、90年代に

イリノイ州の高校を首席で卒業した八一人のその後を追跡調査した。彼らの九五%が大学に進学し、学部での成績平均はGPA3.6で(3.5以上は非常に優秀とされ、2,5が平均、2以下は標準以下)、さらに60%が1994年までに大学院の学位を取得。高校で学業優秀だった者が大学でも成績良好なことは想像に難くない。その90%が専門的キャリアを積み、40%が弁護士、医師、エンジニアなど、社会的評価の高い専門職に就いた。彼らは堅実で信頼され、社会への順応性も高く、多くの者が総じて恵まれた暮らしをしていた。
しかし彼らのなかに、世界を変革したり、動かしたり、あるいは世界中の人々に感銘を与えるまでになる者が何人いただろう?
「首席たちの多くは仕事で順調に業績を重ねるが、彼らの圧倒的多数は、それぞれの職能分野を第一線で率いるほうではない」
「優等生たちは、先見の明をもってシステムを変革するというより、むしろシステム内におさまるタイプだ」
この八一人がたまたま第一線に立たなかったわけではない。調査によれば、学校で優秀な成績をおさめる資質そのものが、一般社会でホームランヒッターになる資質と相反するのだという。

 

高校でのナンバーワンがめったに実社会でのナンバーワンにならないのはなぜか?
理由は二つある。
第一に、学校とは、言われたことをきちんとする能力に報いる場所だからだ。学力と知的能力の相関関係は必ずしも高くない(IQの測定には、全国的な統一テストのほうが向いている)。学校での成績は、むしろ自己規律、真面目さ、従順さを示すのに最適な指標である。
アーノルドはインタビューで、「学校は基本的に、規則に従い、システムに順応していこうとする者に報奨を与える」と語った。八一人の首席たちの多くも、自分はクラスで一番勤勉だっただけで、一番賢い子はほかにいたと認めている。また、良い成績を取るには、深く理解することより、教師が求める答えを出すことのほうが大事だと言う者もいた。首席だった被験者の大半は、学ぶことではなく、良い点を取ることを自分の仕事と考える「出世第一主義者」に分類される。
第二の理由は、すべての科目で良い点を取るゼネラリストに報いる学校のカリキュラムにある。学生の情熱や専門的知識はあまり評価しない。ところが、実社会ではその逆だ。高校で首席を務めた被験者たちについてアーノルドはこう語る。
「彼らは仕事でも私生活でも万事そつなくこなすが、一つの領域に全身全霊で打ち込むほうではないので、特定分野で抜きんでることは難しい
どんなに数学が好きでも、優等生になりたければ、歴史でもAを取るために数学の勉強を切りあげなければならない。専門知識を磨くには残念な仕組みだ。だがひと度社会に出れば、大多数の者は、特定分野でのスキルが高く評価され、ほかの分野での能力はあまり問われないという仕事に就くのだ。

 
皮肉なことに、アーノルドは、純粋に学ぶことが好きな学生は学校で苦労するという事実を見いだした。情熱を注ぎたい対象があり、その分野に精通することに関心がある彼らにとって、学校というシステムは息が詰まる。その点、首席たちは徹底的に実用本位だ。彼らはただ規則に従い、専門的知識や深い理解よりひたすらAを取ることを重んじる。
学校には明確なルールがあるが、人生となるとそうでもない。だから定められた道筋がない社会に出ると、優等生たちはしばしば勢いを失う。ハーバード大学のショーン· エイカーの研究でも、大学での成績とその後の人生での成功は関係がないことが裏づけられた。700人以上のアメリカの富豪の大学時代のGPAはなんと「中の上」程度の2.9だった。
ルールに従う生き方は、成功を生まない。良くも悪くも両極端を排除するからだ。おおむね安泰で負のリスクを排除するかわりに、目覚ましい功績の芽も摘んでしょう。ちょうど車のエンジンにガバナー(調速機)をつけて、制限速度を超えないようにするのと同じだ。致死的な事故に遭う可能性は大幅に減るが、最速記録を更新することもなくなる。

 

「ふるいにかけられていない」リーダーはなぜインパクトが大きいのか?とムクンダに尋ねたところ、ほかのリーダーと決定的に異なるユニークな資質を持つからだと答えてくれた。ただし、「並外れて賢い」とか、「政治的に抜け目ない」わけではない、とも。
ユニークな資質とは、日ごろはネガティブな性質、欠点だと捉えられていながら、ある特殊な状況下で強みになるものだ。そうした資質は、たとえばチャーチルの偏執的な国防意識のように、本来は毒でありながら、ある状況下では本人の仕事ぶりを飛躍的に高めてくれるカンフル剤になる。
ムクンダはそれを「増強銺置一インテンシファイア」と名づけた。この概念こそが、あなたの最大の弱点を最大の強みに変えてくれる秘訣なのだ。


ハーバード大学ビジネススクールのムクンダは、それまでの研究結果に一貫性がなかった理由は、リーダーが根本的に異なる二つのタイプに分かれるからだと分析した。
第一のタイプは、チェンバレンのように政治家になる正規のコースで昇進を重ね、定石を踏んでものごとに対応し、周囲の期待に応える「ふるいにかけられた」リーダーだ。
第二のタイプは、正規のコースを経ずに指導者になった「ふるいにかけられていない」リーダーで、たとえば,会社員を経ずに起業した企業家、前大統領の辞任や暗殺により突然大統領職に就いた元副大統領 、あるいはリンカーンのように予想外の状況下でリーダーになった者などを指す。
「ふるいにかけられた」リーダーは、トップの座に就くまでに十分に審査されてきているので、常識的で伝統的に承認されてきた決定をくだす。手法が常套的なので、個々のリーダー間に大きな差異は見られない。リーダーが及ぼす影響力はさほど大きくないとした研究結果が多く見られた理由はここにある。
しかし「ふるいにかけられていない」リーダーは、システムによる審査を経てきていないので、過去に”承認済みの”決定をくだすとは限らないー多くの者は、そもそも過去に承認された決定すら知らない。バックグラウンドが異なるので、予測不可能なことをする場合もある。
その反面、彼らは変化や変革をもたらす。ルールを度外視して行動するので、自ら率いる組織自体を壊す場合もある。だがなかには、少数派だが、組織の悪しき信念体系や硬直性を打破し、大改革を成し遂げる偉大なリーダーもいる。

蘭は、劣悪な環境では萎れ、適正な環境で開花することを見てきた。なぜ怪物の一部は有望となり、ほかの怪物は望みなしに終わるのか。なぜ一部の人は才能ある変人となり、ほかの者はただの変人で終わるのか。

カリフォルニア大心理学教授のディーン·キース·サイモントンによれば、「創造性に富んだ天才が性格検査を受けると、精神病質(サイコパシー) の数値が中間域を示す。つまり、創造的天才たちは通常の人よりサイコパス的な傾向を示すが、その度合いは精神障害者よりは軽度である。彼らは適度な変人度を持つようだ」

私たちは、とかくものごとに「良い」「悪い」のレッテルを貼る。実際には、それらはたんに「異なる」だけなのに。

たとえば大多数の人は、正常なドーパミン受容体遺伝子DRD4-7Rを持つ。これは、ADHDアルコール依存症、暴力性と関連がある悪い遺伝子とされている。しかし、社会心理学の研究者のアリエル·クナフォが子どもを対象に行った実験では、別の可能性が示された。クナフォは、どちらの遺伝子の子どもが、自分から進んでほかの子とキャンディを分け合うかを調査した。通常三歳児は、必要に迫られなければお菓子を諦めたりしない。ところが、キャンディを分け与える傾向がより強かったのは、なんと7R遺伝子を持つ子たちだったのだ。「悪い遺伝子」を持つ子どもたちは、頼まれもしないのに、なぜほかの子にキャンディをあげたいと思ったのだろうか?
なぜなら7Rは、「悪い遺伝子」ではないからだ。
ナイフと同様に、7Rの良し悪しは状況次第で決まる。7Rを持つ子が虐待や育児放棄など、過酷な環境で育つとアルコール依存症やいじめっ子になる。しかし良い環境で育った7R遺伝子の子たちは,通常のDRD4遺伝子を持つ子たち以上に親切になる。つまり同一の遺伝子が、状況次第でその特性を変えるというわけだ。

 

 神経心理学者のデビッド·ウィークス博士によれば、「変わり者の人びとは社会的進化の変異種であり、自然選択に関して理論的な資料を提供している」という。すなわち、グールドのような蘭、そしてフェルプスのような有望な怪物のことである。

私たちは「最良」になろうとしてあまりに多くの時間を費やすが、多くの場合「最良」とはたんに世間並みということだ。卓越した人になるには、一風変わった人間になるべきだ。そのためには、世間一般の尺度に従っていてはいけない。世間は、自分たちが求めるものを必ずしも知らないからだ。むしろ、あなたなりの一番の個性こそが真の「最良」を意味する。

ジョン·スチュアート·ミルはかつて「変わり者になることを厭わない者があまりにも少ないこと、それこそがわれらの時代の根本的な危機なのだ」と嘆いた。適した環境さえ与えられれば、悪い遺伝子が良い遺伝子になり、変わり者が美しい花を咲かせる。

「専門家」や「専門的技能」といった言葉から、私たちは即「専心」や「情熱」といった肯定的な概念を連想する。だが、本質的に重要でないことにそこまで時間をかけて打ち込む行為には、必ず強迫観念の要素が含まれている。高校の首席たちが学業を仕事と見なし、ひたすら規則を守り、全科目でAを取ることに励んだように、強迫観念にとり憑かれた創造的人間は、ある種宗教的な熱意を持って目標に取り組み、成功するのだ。

 

数学の知識があれば明らかなように、平均値はくせものだ。高名な広告代理店のBBDOのCEOであるアンドリュー・ロビンソンもかつてこう言った。

「頭を冷蔵庫につっこんで、足先をバーナーにかざしていれば、平均体温は正常だ。私は、平均値にはいつも用心している」

統計学的にも、並外れた能力について考えるとき、平均値は何の意味もなさない。重要なのは分散で、標準からの散らばり具合だ。人間社会ではほぼ普遍的に、最悪のものをふるいにかけて取り除き、平均値を上げようとする。だがそれと同時に、分散も減らしている。釣鐘曲線の左端を切り捨てることは、たしかに平均値を改善するが、同時に、左端と思われながら、じつは右端の素晴らしい資質と不可分一体の特性を切り捨てることになりかねない。

 

二つのステップがある、と彼は答えた。
まず第一に、自分自身を知ること。古代デルポイの神殿の石に「汝自身を知れ」と刻まれていたのをはじめとして、この言葉は歴史に何度となく登場する。

あなたがもし、ルールに従って行動するのが得意な人、首席だったり成績優秀で表彰されたことがある人、「ふるいにかけられた」リーダーなら、その強みに倍賭けするといい。
自分を成功に導いてくれる道筋があることをしっかり確認しよう。実直な人びとは学校、あるいは、明らかな答えや既定のコースがある場所で功績をあげられるが、決まった道がないところでは、かなり苦戦することになる。調査によると、失業したとき、彼らの幸福度は、そこまで実直でない人びとに比べ、120%低下するという。道筋がないと迷子になってしぼうからだ。
どちらかというと規格外で、アーティストなど「ふるいにかけられていない」タイプだったら?その場合、既存の体制に従おうとしても、成果が限られるかもしれない、それよりは、自分自身で道を切り開こう。リスクをともなうが、それがあなたの人生だ。
自分を改善することは大切な心がけだが、私たちの根本的な個性はそれほど変化しないことが研究でも示されている。たとえば話すときの流暢さ、適応性、衝動性、謙虚さなどは、幼少期から成人期を通してほぼ変わらない。

 

著名な投資家、マーク・アンドリーセンは、スタンフォード大学での講演で次のように語った。

 ベンチャーキャピタルの仕事は100%「外れ値」、それも極端な外れ値への投資です。
「弱点がない企業ではなく、強みがある企業に投資しろ」というのが私たちのコンセプト。最初は当然のことに思えますが、これがなかなか微妙な判断を要するものでしてね。ベンチャーキャピタルとして標準的なやり方は、チェックボックスを埋めていくことです。「創立者良し、アイデア良し、製品良し、初期顧客良し 」と次々チェックを入れていった挙句に「オーケー、投資しよう」と決断します。その結果探しだした投資先はーーー注目すべき魅力が何もない会社だったりするのです。それらには、外れ値になるような圧倒的な強みがありません。裏を返せば、本当に素晴らしい強みがある会社には、たいてい深刻な欠点もあるということです。だからベンチャーキャピタルに警告したいのは、ヤバい欠陥があるからと投資先から外していたら、大勝利者になる企業に投資しないことになるということ。探すべきは、弱点なんか目じゃなくなるほど、かけがえのない強みがある新興企業です。

 

世界で最も裕福な人びとについて考えてみよう。彼らは皆、まじめに規則を守り、「外れ値」のようなマイナスの特性とは無縁な人間だろうか? いや、そんなことはない。
『フォーブス』誌が発表した「フォーブス400 (アメリカの富豪上位400人)」のうち、五八人は大学に行かなかったか、あるいは中途退学をしていたが、その58人(メンバーの15%)の平均資産額は48億ドルで、全メンバーの平均資産額(18億ドル)より167%も高く、これは、アイビーリーグの大学を卒業したメンバーの平均資産額の2倍以上に相当した。積極的に攻めまくるシリコンバレーの起業家といえば、現代を象徴する成功者というイメージだろう。思いつくままにそのイメージを並べればこんな感じだろうか? エネルギーの塊、リスクを冒す、短時間睡眠者、ばかげた行為を容認しない、自信とカリスマ性がある、果てしなく野心的、衝動に突き動かされ、片時もじっとしていない・・・。
まさにこれらの特性は、軽躁病の症状としても知られている。しかもジョンズ·ホプキンス大学の心理学者ジョン·ガートナーによる研究は、これがたんなる偶然でないことを示した。本格的な躁病患者は,社会で働くことが難しい。しかし軽躁病は、ゆるくでも現実と結びつきながら、目標に向かって片時も休まず、興奮状態で、衝動のままに突き進む仕事人をつくり出す。

 

お世辞は強力で、「たとえ見え透いていても」効果な発揮するとの調査結果もある。カリフォルニア大学バークレー校のジェニファー チャットマン教授は、調査でお世辞が逆効果になる限界点を探ろうとしたが、なんと限界点は見つからなかった。
フェファーは、この世界がフェアだという考えは捨てるべきだとし、次のように言い切る。
仕事を順調に維持している者、仕事を失った者の双方を調査した結果、次の教訓が得られた。上司を機嫌よくさせておければ、実際の仕事ぶりはあまり重要ではない。また逆に上司の機嫌を損ねたら、どんなに仕事で業績をあげても事態は好転しない
フェアプレーの精神で長時間頑張って働けば報われると思っている人には、胃に障るような結果ではないか。しかも、出世するのはゴマすりだけではないーいわゆる嫌なヤツもだ。

yamanatan.hatenablog.com


昇給の相談をするとき、あなたは双方が満足のいくウィンウィンの態度でのぞむだろうか? あろうことか、自分本位に昇給を要求する人のほうが結果が得られるという。『ハード・ビジネスレビュー』誌によると、同調性(人と仲良くつき合っていくことを重んじる性格)の低い人間のほうが、同調性が高い人間より年収が約1万ドル多いことが明らかになった。ちなみに財政面の信用度(クレジット·スコア)も同調性が低い人間のほうが高い。悲しいことに、人間には、親切は弱さの表れだと勘違いする傾向があるようだ。

 

”幸福学研究のゴッドフアーザー”として知られるオランダの社会学者、ルート·フェーンホーヴェンは「世界幸福データベース」を主宰している。同氏が幸福度の見地からすべての国を精査したところ、最も幸せからほど遠い国になったのがモルドバだった。
ソ連に属していたほとんど無名の国が、この疑わしくも不名誉な地位を得た根拠は何か?
モルドバ人はたがいをまったく信用しないということだ。モルドバ人の生活のほぼすべての面で信頼が欠如している。作家のエリック·ワイナーによると、あまりに多くの学生が教師に賄賂を渡して試験に合格するので、国民は、35歳以下の医者にはかかろうとしない。医師免許も金で買っていると考えられるからだ。
ワイナーは、モルドバ人の意識を一言で表したー「私の知ったことではない」。
この国で、集団の利益のために人びとを一致団結させることはとうてい不可能だ。誰も、他者の利益になるようなことをしようとしない。

 

 ミシガン大学政治学教授のロバート・アクセルロッドがいみじくも説明している。
利己的な人は、初めは成功しそうに見える。しかし長い目でみれば、彼らが成功するために必要とする環境そのものを破壊しかねないのだ

マキャベリ的に策略に長けて利己的になり始めれば、いずれは他者もそれに気づく。あなたが権力の座に就く前に彼らに報復されれば、形なしだ。またたとえ成功しても、問題を抱えることになる。あなたは、成功への道はルールを破ることだと示してしまったので、周囲も同じことをする。そうして、自分と同じような捕食者、他人を利用する者をつくり出すことになる。
一方で、善良な人びとはあなたの下から去っていく。波及効果が広がり、職場はあっという間に働きたくない場所になってしまう。そう、ちょうどモルドバのように。ひとたび信頼が失われると、何もかもが失われる。ある調査で、職場、運動チーム、家族等、さまざまな関係で周囲の人に最も望む特性は何かと尋ねたところ、答えは一貫して「信頼性」だった。
長い目で見ると組織内で利己主義はうまくいかないのだ。努力を極めて成功を成し遂げることは、じつは利己主義を超越し、周囲と信頼し合い、協力関係を築くことを意味する。

 

秩序、信頼、ルールの適用により、刑務所ギャングは、しまいにはどんどん会社に似てくる。「ショット・コーラー」(決定権のあるボス)が新入りに対して「新来者用アンケート」を配布することさえあるという。新入社員の意見を知るのは良いことだ。

そんなばかなと思うかもしれないが、これらすべてが効果をあげている。じつはマフィア型ギャングが蔓延っている腐敗した国々は、犯罪集団が分散している国々より経済的にうまくいき、経済成長率も高めだ。それらの国では、犯罪者は組織化され、組織犯罪に動員される。極悪非道な集団はたしかに社会にさまざまな悪影響を及ぼすが、それらが徹底している秩序は、「正の外部性」をもたらす。日本におけるヤクザの存在も、民事訴訟数と負の相関関係にある。研究によると、刑務所ギャングがいるアメリカの刑務所は、ギャング不在の刑務所より円滑に機能しているという。


なぜ、海賊は極悪非道な野蛮人だというイメージがあるのか。それはいわゆる「マーケティング」だ。いちいち交戦するより、人びとを震えあがらせて即降参させるほうが手っ取り早く、経費もかからず、安全にことを運べる。そこで彼らは聡明にも、野蛮で残忍なイメージをつくり出したというわけだ。
とはいえ、海賊が皆心やさしかったはずはなく、黒髭もロビン・フッドだったわけではない。たがいに協力し合ったのも利他主義からではなく、そのほうが稼業の理にかなっていたからだ。成功するにはルールと信頼が必要だと心得ており、イギリス王室海軍や、最大利益をあげるために船員を搾取する商業船での暮らしより魅力的でより公平なシステムを築くにいたった。

ピーター・リーソンが著書『海賊の経済学』(NTT出版)で述べているように、「世間一般の見方と異なり、海賊の生活は規律正しく、真面目だった」

 

刑務所ギャングと同様に、海賊も元々悪事を働くために結成されたわけではない。むしろ悪に対処するために作られたと言ってもいい。当時の商業船のオーナーは独裁者で、船長は日常的に職権を乱用していた。船員から戦利品の分け前を奪い、逆らえば処刑した。こうした略奪への対応と、上層部に痛めつけられずに航海したいという船員たちの思いから海賊は誕生したのだ。
海賊船はすこぶる民主的なところだった。すべての規則は全員一致で承認されなければならない。船長は、何か理由があればその地位から下ろされるので、暴君からしもべのような存在に近づいた。唯一、船長が全権を掌握できたのは、生死に関わる即断を強いられる交戦中のみだった。
要するに海賊は、人びとが喜んで働きたくなるような"会社"を形成するまでになっていた。船長が受け取る金額がほかの船員より著しく多いということもなく、ピーター・リーソンが述べているように、「最高賃金と最低賃金の差は、せいぜい一人分の賃金ほどだった」。また、船長に途方もない役得があるわけでもなく、寝床の大きさも、食事の量も、ほかの船員と変わらなかった。

しかも”海賊社”は、船員に数々の利点を与えた。勇敢に戦ったり、標的船を最初に見つけたりすると報奨金がもらえた。戦闘中に怪我した者は、被害届を出せば、補償制度によって一定額の手当てがもらえた。こうした人事制度は非常に好評で、史料によると、海賊は人材の補充にまったく苦労しなかったようだ。片や、英国海軍は兵士を確保するために強制的な徴兵に踏み切らざるを得なかった。

 

人びとを平等に扱ったほうが商売がうまくいく、ただそれだけの理由だった。
だがこの進歩的な取り組みは、人材を発掘し、また優秀な人材を維持するうえで大きな強みとなった。平均的な海賊船で、船員の25%が黒人だったと推定されている。さらに、人種に関係なく、すべての船員が船のさまざまな問題に関して投票権を持ち、賃金も均等に分配されていた。18世紀の初頭で、アメリカが奴隷制を廃止するじつに150年も前のことである。

経済学者たちは、海賊のビジネス手腕に舌を巻く。ピーター・リーソンは論文『海賊組織の法と経済』のなかで、「海賊の統治法は、船員に十分な秩序と協力関係を行き渡らせ、それにより海賊は、史上最も洗練され、成功した犯罪組織になった」と述べている。

ペンシルバニア大学ウォートン・スクール教授のアダム·グラントは、「成功」という尺度で見たとき、最下位のほうにいるのはどんなタイプの人なのかを解析した。するとじつに多くの「ギバー(受けとる以上に、人に与えようとするタイプ)」がいることがわかった。

技術者、医学生、営業担当者、いずれの調査でも、ギバーたちは、締め切りに遅れる、
低い点数を取る、売り上げが伸びないなど、捗々しい(はかばかしい)結果を残せずにいた。
倫理的なビジネスや、利他的な行動は成功につながるかというテーマで研究を重ねてきたグラントにとって、この結果は人一倍こたえるものだった。もしグラントがここで分析を終えていれば、まさに悲惨な日になっただろう。しかしそうはならなかった。インタビューの際に、彼は私に次のように語ってくれた。

それから、「ギバー」が敗者のほうにいるなら、最も成功している勝者には誰がいるのだろうと、スペクトラムの反対の端を見てみました。すると心底驚いたことに、トップのほうにいるのもまた「ギバー」たちだったのです。いつも他者を助けることを優先している人びとは、敗者ばかりでなく、勝者のほうにも多く登場していました。

 

短期的な状況の多くで、ちょっとしたごまかしや横暴さは人をだし抜き、利益をもたらすかもしれない。しかし、時間が経っとそうした行為は社会的環境を害し、じきに人びとはたがいの意図を見抜き、誰も公益のために働こうとしなくなる。

イカーが長期的に得をしないことはわかった。ここで最下位に終わるギバーについても触れるべきだろう。勝者になるギバーと、敗者になるギバーの違いは、決して偶然によるものではない。グラントによれば、あまりにも利他的なギバーは人を助けるために自らを消耗し、テイカーにつけ込まれ、成功からほど遠い業績しかあげられない。

この手のギバーに朗報。人に与えすぎないように自制するために、実行できることがある。たとえば、ボランティア活動は週に二時間と決め、それ以上はやらない。ソンジャ・ライウボマースキーの研究によると、のべつ幕なしに人を助けるより、時間数を決めて助けるほうが幸福感が増し、ストレスも軽減されるという。

  

スタンフォード大学ビジネススクールのボブ・サットンにあなたが教え子の学生に伝える一番のアドバイスは何かと尋ねたところ、それは次のようなものだと答えてくれた。
仕事を選ぶときには、一緒に働くことになる人びとをよく見ることですね。というのは、あなたが彼らのようになる可能性が高いからで、
その逆はない。あなたが彼らを変えることはできないのです。何となく自分と合わないと思うなら、その仕事はうまくきません。
 
ハーバード大学の心理嫫ハワード・ガードナーは、最も成功した人びとを研究して発見したことを著書『心をつくる』(未邦訳、原題Creating Minds)のなかで述べている。
創造的な人びとは、骨組みを組むように経験を積みあげていく。この種の人々は非常に野心的で、つねに成功をおさめるわけではない。しかし失敗したときに、彼らは嘆いたり、責めたり、極端な場合、断念したりして時間を無駄にするようなことはしない。そのかわり、失敗を一つの学習経験と捉え、そこから学んだ教訓を将来の試みに活かしていこうとする。
 
良い営業マンになる秘訣は、人と接するのが得意なこととか、外向的なことだと思うかもしれないが、調査によると、「楽観的傾向で上位10%に入った外交員は、悲観的傾向で上位10%だった者より売り上げが88%多い」ことを発見した。
 
良いゲームは、プレーヤーが勝てるデザインになっている。デザイナーたちは、勝てないゲームをつくらない。ゲームには明確なルールがあり、私たちは本能的にそれがわかり、粘り強くやれば勝算が見込めると判断できる。つまり、楽観的になれる正当な根拠が得られるわけだ。
この「正当な楽観主義」は、困難なことを面白くしてくれる。ゲームは時として実生活より難しい。しかし、ゲームは難しいからこそ面白く、易しければつまらない。ゲームコンサルタント会社社長、ニコール・ラザロの調査によれば、プレーヤーはゲーム中の約80%は失敗しているという。研究者で、オンラインゲーム・デザイナーでもあるジェーン・マクゴニガルは次のように説明する。
プレーヤーは、だいたい五回中四回はミッションをクリアできず、時間切れになる、パズルを解けない、戦闘に勝てない、得点をあげられない、衝突して炎上する、死亡する、といった結果を迎える。そこではたと疑問が湧く。果たしてプレーヤーは、失敗しても楽しんでいるのだろうか? じつはそうなのだ。良くデザインされたゲームで遊んでいれば、失敗してもプレーヤーは失望しない。むしろ一種独特の幸福感を得る。彼らはワクワクし、興味をかき立てられ、なにより楽観的な気分になる。
 
ここでちょっとふり返って、あなたの仕事の初日を思い出してみよう。決して退屈な日ではなかったはずだ。覚えることが山ほどあり、耳慣れない難しい事柄をたくさん吸収するのに精一杯。少し圧倒されそうに思いながらも,とにかく斬新で、やりがいのある経験だったにちがいない。半年後、おそらく状況は変わっただろう。その後は同じステージでのゲームを毎日10時間、週に5日、何年もくり返すようなものだ。面白いゲームではない。
職場は、従業員が仕事に熟達することを望んでいる。当然のことだ。しかしそれはいわば、プレーヤーが飽和状態になっているゲームで、退屈このうえない。良いゲームは失敗率80%で、それがプレーヤーの情熱を掻きたて、ゲームを続けさせる。ところが職場は失敗を嫌う。失敗がゼロなら、面白味もゼロだ。そして世の中には課題がなく、
およそ魅力的とはいえない。ただただ忙しいという仕事が溢れている。およそ魅力的とはいえない。
 
人を最もやる気にさせるのは、やりがいのある作業で進展が感じられるときだと、調査でも示されている。感じられる進歩は、ささやかなものでいい。ハーバード·ビジネススクールテレサ・アマビールは言う。「各企業内での調査によると、社員に意欲を起こさせる最善の方法は、毎日の仕事で、容易に進歩が得られるようにすることでした」。
実際、たえずささやかな成功が得られるほうが、ときどき大きな成功を手にするより、幸福感につながることがデータによって示されている。「大きな功績にしか関心を示さない者より、小さな成果を途切れなく感じている者のほうが、人生に対する満足感が22%高い」という。
ナポレオンはこう言った。
「兵士は、わずかばかりの色つきリボンのために、延々と命がけで戦うようになる」
ゲームがプレーヤーに与える戦利品も、たいていは格好いいバッジかご褒美動画くらいのものだ。でも、そんな他愛ない物を目当てに人びとはゲームをし続ける。
 
要するに、すぐれたゲームはたえず直接的なフィードバックを与えることにより、人びとにプレーを続けさせる。では、仕事はどうだろう? 勤務評価を受けるのは年に一度だけ。ジェーン・マクゴニガルの著書によると、三流レベルの会社幹部の多くが職場でコンピュータ・ゲームに興じているという。その理由は、「生産性を感じられるから」だそうだ。なんとも皮肉な話だ。
第2章でジェフリー·フェファーが言っていたように、上司へのゴマすりは効果がある。
しかし、もっと誠実に得点できる方法がある。私の働きぶりはどうか? もっと成果をあげるにはどうすれば良いか? と上司に定期的に尋ねることだ。もしあなたが上司で、部下から定期的に「どうしたらもっとお役に立てるでしょう?」と言われたら、どんな反応を示すだろう? そう、決して悪い気はしないはずだ。

ゲームには中毒性がある。だから、もしあなたが仕事をゲーム仕立てにできれば、ポジティブなフィードバックループ(フィードバックを繰り返すことで、結果が増幅されていくこと)を形成し、成功と幸福感を同時に見いだすことができる。マクゴニガルが言うように、「これは明らかに、たとえ負けても勝てるゲーム」なのだ。

病気と折り合いをつけながら生きる日々は、私達が見過ごしている事実をスペンサーに気づかせた。人が一生のあいだに行うことはすべてトレードオフだという事実を。一つを選びとることは、ほかの何かをしないことを意味する。スペンサーにとって、「これがやりたい」と「そのかわりあれを諦めてもかまわない」は必ずワンセットだった。
経済学で博士号を取得した彼が、身をもって「機会費用」を深く学んでいたのは少なからぬ皮肉である。森の中で自給自足の生活を送ったことで知られる作家のヘンリー·デヴィッド・ソローは言った。「あらゆるものの価格は、人がそれと交換する人生の総量である」。
オリンピック選手に関するある研究に、次のような選手の言葉が引用されていた。
「すべてのものは機会費用です。もし私が、余暇にハイキングではなく映画を観に行ったら、その場合の機会費用は? それはボート競技にプラスになるのか、マイナスになるのか。そこを判断しなければならないのです」
見切りをつけることは、グリットの反対を意味するとはかぎらない。「戦略的放棄」というものもある。あなたがひとたび夢中になれることを見つけたら、二番目のものを諦めることは、利益をもたらす。
 
グリットに足を引っ張られている人を山ほど知っています。それは彼ら自身や周りの人を惨めにするだけで、長期的な良い目標につながらない事柄に執着させるからです。かわりに選択すべきなのは、自分が最もやりたいこと、自分、あるいは周囲の人にも、最も喜びをもたらすこと、そして最も生産的なことなのです。
 
ハートフォードシャー大学の心理学教授のリチャード・ワイズマンは「運のいい人」と「運の悪い人」を対象に調査を行い、両者の人生に異なる成果をもたらすのはまったくの偶然か、不気味なカか、それとも何か本質的な違いなのかを検証した。その結果、運は単なる幸運でも超常現象でもなく、その人の選択によるところが大きいことが明らかになった。
1000人以上の被験者を調査したところ、ワイズマンは、運のいい人の性質を発見した。彼らは、新しい経験を積極的に受けいれ、外向的で、あまり神経質でないことが示されたのだ。つまり彼らは直感に従い、何より前向きにものごとを試し、それがさらに直感を研ぎ澄ます。家に閉じこもっていたら、新しいことやワクワクさせてくれること、素敵なものにどれほどめぐり合えるだろうか?きっとチャンスは少ないだろう。
 
つねに新しいことにチャレンジしよう。そうすれば運に恵まれる。いつも同じことばかりしていると、これまでと同じものしか手に入らない。もし成功への明確な道筋がなく、あなたが達成したいことに関する手本も存在しない場合には、途方もないことをやってみるのが唯一の打開策かもしれない。
そのことを示す話をしょう。「マシュマロ·チャレンジ」(またマシュマロだが ウォルター・ミシェルのマシュマロテストとはまったく別だ)と呼ばれる簡単なゲームがある。次の材料を使って、四人のチームで18分以内に、マシュマロを頂点とした自立したタワーをつくり、その高さを競う。
  • スパゲティ 110本
  • マスキングテープ 1メートル
  • 紐 90センチ
  • マシュマロ 1個
ピーター・スキルマン (マイクロソフト社スマートシングス、ゼネラルマネージャーという仰々しい役職に就いているが、創造性を鍛える課題として考案したものだ。スキルマンはこのゲームを、五年以上にわたってエンジニア、CEO, MBAの学生など700人以上の人びとを対象に実施してきた。
一番成績が良かったのは誰だろう?なんと、幼稚園に通う六歳児が勝利した(一番成績が奮わなかったのはMBAの学生たちだった)。園児たちは計画性に優れていたのだろうか? いや、違う。彼らはスパゲティの特性やマシュマロの硬さについて特別な知識を持っていたのだろうか?それも違う。では、園児たちが成功した秘訣は何だったのか? ただがむしゃらに飛びついたのだ。ワイズマンの言う運がいい人のように、たくさんのことを次々と試した。彼らは何度試してもたちまち失敗したが、そのたびに、めきめき習得していった。
つまり、見本をつくっては試す、つくっては試す、つくっては試す…と時間切れになるまでひたすらこれをくり返すのが、園児たちのシステムだった。定められた道筋がない場合には、このシステムが勝利をおさめる。シリコンバレーでも昔から「早く失敗して、損害を小さくしよう」と言われてきた。
 
プロボクサーで30勝1敗といえば凄い記録だが、相手が闇の戦士(ダークナイト)の
場合にはその一敗が死を意味する。ゴッサムシティの悪党たちは、レフリーが止めに入ることなど許さない。だから、バットマンであり続けるには、ただの一度も負けられない。失敗は許されないのだ。そこで、もし万全を期して体を鍛えあげてバットマンになったとしたら、あなたはどのくらいのあいだ連勝記録を維持できるだろうか?
ヴィクトリア大学のE.ポール・ゼーアは、大まかな目安を得るために、トップクラスのボクサー、総合格闘技のファイター、プロフットボール選手のランニングバックなど、バットマン級のアスリートを対象に調査した。あなたはどのくらいの期間、バットマンでいられますか?
答えは三年だった。そう、それだけ。
ゴッサムシティの犯罪のほとんどは信号無視くらいで、邪悪な黒幕はめったにいないことを願おう。10年以上武術を極めたところで、この地域の悪を一掃する時間はあまりないからだ。
幸い、あなたはバットマンになろうとしているわけではない。だが、あたかもそうであるかのように行動する人びとが少なくない。私たちはつねに、落ち度があって 思っている。一度失敗したら終わりだと。しかし私たちはバットマンではない。何度でも失敗し、断念し、学ぶことができる。というより、それが学ぶための唯一の方法なのだ。
 
ピーター・シムズは言う。「最も成功する企業は、最初から卓越したアイデアに賭けているわけではない。彼らは、それを発見する。自分たちがすベきことを発見するために、たくさんの小さな賭けをするのだ」。
コメディアンや幼稚園児のやり方が正しいことは、研究結果でも示されている。発明者で作家のスティーブン・ジョンソンは、特許記録の歴史を研究した結果、「単純に量の多さが質の高さにっながる」と指摘する。ひたすら多くのことを試そう。しくじったものは棄て、脈アリなものにはグリットを発揮すべきだ。
 
 多くの人が、「ソウルメイト」という一言葉に惹かれる。自分にとって理想通りのピッタリな人で優しくて、完璧で、思いやりがあって、寛容で、いつも親切で、プレゼントもたくさんくれて、おまけにゴミ出しも忘れない。だが、ソウルメイトなるものが存在するとして、あなたがその人に会える確率は実際どのくらいなのか? ウェブコミックXKCDのクリエイターで、元NASAのロボット研究家のランドール·マンローが数字をはじきだした。それによると、ただ一人の完璧な人に出会える確率は、1万回の生涯でたった一回だという。
 
 
この人と私は「最高に相性がいい」と思ったら、その後、関係を維持するための努力は特に必要ないと思い込みがちだ。
コロンビア大学ビジネススクール教授のシーナ・アイエンガーの研究によると、結婚後一年以内では、恋愛結婚は見合い結婚より満足度が強かった(91点満点中70点対58点)。これはもっともだ。しかし結婚後10年を超えると、これが逆転する。見合い結婚での満足度は91点満点中68点と健闘するのに対し、恋愛結婚では40点に下がっていた。
うまくやっていくにはそれなりの努力を要するのだ。
 
私たちは認めたがらないが、ときどき、自分でも何をやりたいのかわからないことがある。調査によれば、子どものころからなりたかった職業に就いている人はわずか六%だという。また、三分の一の人は、大学で専攻した内容と関係のない職に就いている。だから、リチャード·ワイズマンが言う「運のいい人」のように、積極的に出かけて、多くのことを試そう。なにもプリンストン大学をやめて中国へ行く必要はないが、それさえ、愚かな試みとは言えない。
 
あるとき、エルデシュは出会った数学者に住まい を聞いた。「バンクーバーです」との返事に「おお、それなら私の良き友人のエリオット・メンデルソンをご存知ですか?」と尋ねると、「私があなたの良き友人のエリオット・メンデルソンです」と相手が答えたという。
 
エルデシュの例を見ると、成功の一つの要素は人とのつながりにあるように思える。「何を知っているか」ではなく、「誰を知っているか」。そこで疑問が湧いてくる。もし本当に成功が人脈で決まるとしたら、あなたはエルデシュのようになるべきだろうか? 外向的な人間のほうが、成功するのだろうか?その答えを探そう。・・・
作家でオリンピックの金メダリストであるデビッド·ヘメリーによれば、トップ·アスリートのほぼ10人中9人が自分のことを内向型だと認識している。
「何より顕著な特徴は、トップ·アスリートの大部分、じつに89%が自分のことを内向的だと思っている点だー自分は外向的だと感じている者はわずか6%に過ぎず、残りの5%は自分は"中間"だと思っていた」・・・
精鋭の音楽家たちにも同じことが言える。フロリダ州立大学教授のアンダース·エリクソンが、超一流のバイオリニストに、日常の活動で技量を磨くために最も大切なことは何かと尋ねたところ、「独りで練習すること」と90%の演奏家が答えている。
では、トップクラスのチェスプレーヤーの今後を予測する材料は何か?これもまた、「独りで真剣に練習」しているかどうかだ。実際、古参のトーナメント·プレーヤーのあいだでは、独りでの練習時間のみが統計的に重要な予測因子だった。
では、学校で優秀な成績をおさめる者や、博学になる者を予測する材料は? IQではない。じつは知能より判断材料となるのは内向性である。スーザン·ケインは著書『内向型人間の時代』(講談社)で次のように述べている。
内向型人間のすごい力 静かな人が世界を変える (講談社+α文庫)

内向型人間のすごい力 静かな人が世界を変える (講談社+α文庫)

 
大学レベルで学業成績の予測因子として優れているのは、認知能力より内向性だ。ある調査で141人の大学生を対象に、美術から天文学統計学にいたる科目の知識をテストしたところ、すべての科目で内向的な学生のほうが多くの知識があった。大学院の学位取得者でも、ナジョナル·メリット·スカラシップの奨学生でも、ファイ·ベータ·カッパ の会員でも、内向型人間の比率が圧倒的に高い。
 
アダム・グラントがリーダーシップについて研究したとき、じつに興味深い傾向を発見した。外向的な人と内向的な人のどちらがすぐれたリーダーになるかは、彼らが統率する人びとのタイプによるというのだ。従業員が受け身の場合には、社交的でエネルギッシュな外向型の人間が本領を発揮する。しかしながら、目的意識のある人々を率いる場合には、内向型のリーダーのほうが望ましい。彼らはよく耳を傾け、後ろ盾となりながらも部下の自主性を重んじるからだ。

外向的な人は、最初こそ饒舌さや、主導権を握りやすい性格からリーダーとして有望視されるのだが、ともすれば支持が長続きしないと調査で示されている。彼らはリーダーの役割を担ってから、傾聴する能力の不足を露呈し、チーム内での支持を失う。
私たちの社会は外向的な人を買いかぶり過ぎる場合があるのだ。じつは、あまり耳にする機会はないものの、外向性にも多くのマイナス面がある。息子も娘も外向的な子に育つようにと祈る前に、外向性が犯罪や不義、自動車事故、自信過剰、金融的リスクを厭わない性格などと結びついている事実を考えてみたほうがいい。
外向性の欠点について、あ泩り聞かされてこなかったのはなぜだろう?率直に言って、
これは「宣伝能力」の違いだろう。外向的な人のほうが内向的な人より多く、しかも外向的な人のほうが内向的な人より多く、しかも外交的な人のほうが友人が多く、話す機会も多いことは明白だ。スーザン·ケインが指摘したように、外向性を評価するバイアスが私たちの職場、学校、文化、とりわけアメリカという国に浸透している。

レーダー開発の舞台裏にあったドラマに学ぶ

ついにイギリスが突破口となる大発明をした。それは、「空洞マグネトロン」と呼ばれ
るものだった。なんだか仰々しい響きだが、じつは今日どこのキッチンにもある電子レンジのマイクロ波のことだ。マイクロ波レーダーの実用化により、イギリスは、レーダーの劇的な小型化に成功した。巨大な鉄塔に収納されていた物が、すべての英国空軍機に搭載されるようになったのだ。
ところが、主だ問題は残っていた。製造できるようにはなったものの、国を救える早さで十分に量産することができなかった。ナチス·ドイツによる執拗な空襲にさらされ、何千万台ものマイクロ波レーダーを続々と、しかも迅速に生産する余力がなかったのだ。
機器でドイツ空軍の攻撃を阻止。
方法が一つあった。同盟国間の協力だ。1940年、イギリス軍の上層部が空洞マグネトロンをアメリカへ運び、その実力を披露した。アメリカ側はその性能に目を見張り、時刻の資源を投入して、マイクロ波レーダーを大規模に製造し、夢を現実にすることを引き受けた。
MIT (マサチューセッツ工科大学)の「放射線研究所(The Radiation Lab)」がプロジェクトを立ちあげた(漠然としたこの名前が故意に用いられたのはその使命を隠すためで、のちに「ラッド·ラボ」と略したニックネームで呼ばれるようになった)。
3500名の人員が集結し、当時最高の頭脳の持ち主とされた人物も含まれていた。そのなかの九人は、後年、ほかの功績によりノーベル賞を受賞した。
同プロジェクトの研究成果は目覚ましかった。開発されたレーダーの一つは、イギリスの対空砲火を誘導するもので、ロンドンを猛襲していたドイツのV-1号爆弾の85%を撃ち落とせるというものだった。もう一つのレーダーは、非情に精度が高く、海上戦を連合軍の有利に導けるというものだった。
ところが、これらの機器が戦場で素晴らしい成果をあげる前に、ラッド·ラボは深刻な問題に直面した。完成したマイクロ波レーダーが期待通りに機能しなかったのだ。あるいは、機能してもムラがあった。チャールズ川で試験してみると、失敗の連続だった。科学的原理を何度も調べなおし、あらゆる不具合や問題を洗いなおしても、レーダーの実験は成功しなかった。不可解というほかはなく、あたかも神がその成功を望んでいないかのようだった。
実際、恐るべき力は働いていた。が、それは神ではなく、ハーバード大学だった。ハーバード大学のターマン電波研究所はアメリカ政府から巨額の資金を提供され、MITのあずかり知らないところで、極秘裏に妨害電波の技術を開発していた。しかもその技術をチャールズ川の対岸で試験していたのだ。ハーバードの取り組みは素晴らしい成果をあげていて、誤って市内全域のパトカーの無線を妨害し、ボストン警察の無線交信を停止させてしまったほどだいう。
幸いにも、MITの研究者が正気を失う前に、川向うにいる悪気のない"敵"の正体がわかった。そして、新たに強力なコラボレーションが始まったー「健全な競争」である。
MITはハーバード大学の妨害技術に打ち勝つために、さらなる努力を重ねた。一方、ハーバド側も、MITのレーダーを撃退 するためにいっそうの改善に努めた。世界最高峰とされる二大学がしのぎを削った結果生まれた技術は、驚異的なものだった。ハーバード大学の"助け“により、MITのレーダーは秀逸な物に仕上がったというわけだ。
一九四二年二月、ドイツの潜水艦は連合軍の船舶を117隻撃沈した。しかし、それから1年も経たない一九四三年九月から10月の11か月間に撃沈された連合軍の船舶はわずか九隻だったのに対し、同じ間に、対艦レーダー(ASVレーダー)を搭載した連合軍機によって撃沈されたドイツのUボートは二五隻にのぼった。
また、MITの"力添え“によって完成したハーバード大学の電波妨害技術は、ナチスをパニック状態に陥れた。連合軍の電波妨害システムの性能があまりに素晴らしかった(ドイツ軍の対空効率を七五%減らした)ので、ドイツの高周波無線の専門家のほぼ九〇%に当たる約7000人が、終戦時までそれぞれの緊急の業務を離れ、自国のレーダーへの妨害電波を防ぐ方法を見つけだすというただ一つの任務に専念させられた。
今なお、あの戦争の勝因はレーダーだったと信じる人は多い。

大切なのは自分のメンターを非公式に見つけることなのだ。

  1. メンターに聞いてからやるのではなく、やれることは全部やってからメンターの目に留まろうとする 
  2. メンターについて知る。いや、徹底的に調べる
  3. メンターの時間を浪費するのは大罪である
  4. フォローアップをする
  5. メンターに誇らしい気持ちになってもらう

 

成功する人は同業者に比べて、自己を買いかぶる傾向が強い。私(マーシャル・ゴールドスミス)が主催する研修プログラムに参加した五万名以上を対象に、仕事ぶりをどう自己評価しているか調査したところ、80~85%の人は、自分が同業者の上位20%に位置すると回答。また、70%の人は上位10%に位置すると回答した。回答者が外科医、パイロット、投資銀行家など、社会的認知度の高い職業についていると、自己評価はさらに高まる傾向にあった。

自信度は少なくとも賢さと同程度に、最終的にその人がどれほどの収入を得るかを左右する重要な要素だという。

魅力的でない女性は収入が3%ほど低く、魅力的でない男性は22%も低いという。ただし、見ばえのいい人のほうが稼ぐのは、その外見が好まれるからではない。調査によると、容姿がいいものは自身を持つようになるからだという。

成功者は、良い意味で妄想状態にある。彼らには、自らの経歴を、自分が何もので、何を成し遂げてきたかの証明としてとらえる傾向がある。こうした過去の肯定的解釈は未来に対する楽観主義を増幅させ、ひいいては将来の成功の確率を高める。

『自分を欺くことは、ストレスの軽減、ポジティブな自己バイアス、苦痛への耐性強化と関連し、これらすべてが、競争的な仕事において意欲と業績を向上させる』

「人々は別にナルシストを雇いたいわけではないのだが、結果としてそうなりやすい。なぜなら、彼らは自信にあふれ、有能な印象を与えるからだ」

自分は成功できると信じているものは、他のものなら驚異とみなすところにチャンスを見いだす。彼らは、不確実性や曖昧さを恐れず、喜んで受け入れる。彼らは、より多くのリスクをおい、より大きな利益を達成する。選択肢がいくつかあれば、自分自身に賭ける。成功する人は、「内部要因思考」をする傾向が高い。すなわち、自分は運命の被害者だと考えない。

 

小説家のナサニエルホーソンは次のような言葉を遺した。

「どんな人でも、自分に対する顔と、世間に対する顔を長らく使い分けていたら、しまいには必ず、どちらが本当の自分かわからなくなってしまうだろう」

作家で神経科学者のサム・ハリス・・・柳龍拳の誤った思い込みがどのような経緯で生じたのかはわからないが、一度誰もがこぞって転びだすと、彼の妄想がどのように維持されたかは容易に想像できる。

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自身は、能力を向上させ、成功を引き寄せる。また、他社にあなたを信用させる。その一方で、自身には極めて危険な面もあり、妄想や傲慢さにつながる恐れがある。 そしてあなたの過剰な自信が現実に直面すると、柳龍拳のように手痛い思いをするだろう。

 

ダニング=クルーガー効果とは、経験が浅い者ほど、ものごとがどれほど困難なのかを評価する尺度を持たないので自信満々でいられる、という奇妙な現象のことをいう。

 

ビジネス心理学者のトーマス・チャモロ・プレムジック ・・・自信を押さえれば、傲慢な印象を減らせるばかりか、現実離れの妄想にはまる可能性も減らすことができる。確かに、自身が控えめな人物のほうが、他者を責めずに、自身の誤りを認める可能性が高い。また、人の手柄を横取りすることも稀である。こうした点は間違いなく、自身が控えめなことの最も重要な利点である。控えめな自身は、個人だけでなく、組織や社会全体を成功へ向かわせることを示しているからだ。

マーシャル・ゴールドスミス『自身に満ちた妄想は、何かを達成するのに役立つが、何かを変革するのを困難にする』

 

私たちは、リーダーにはナルシシズムの傾向があると思いがちだ。また、すでに見てきたように、たしかにナルシストや自信家がリーダーに選ばれやすい面もある。だが彼らは結局リーダーとして成功しない。ナルシストの仕事ぶりは、彼らがかっこよく見える機会がどれくらいあるかに左右さ
れる。これは、リーダーとして致命的だ。事態が悪化し、今こそリーダーが求められるというときに、彼らが熱心に仕事をする可能性は低いからだ。
じつのところ、人格に問題があってもCEOとして業績をあげる者を選ぶなら、ナルシストより依存症の人を選ぶほうが適切だ。ジョンズ・ホプキンス大学医学部教授で神経科学者のデイヴィッド・J・リンデンによると、常習性のある人間は、ここぞというとき、とことん仕事に打ち込む。

依存症の人に多く見られる、リスクを厭わず、新奇なものを求める特性や強迫的な性格は、職場で業績をあげるのに役立つことがある。多くのリーダーの場合、依存症があるにもかかわらず成功しているという見方は間違いだ。むしろ彼らを中毒者にしている脳の回路や化学反応自体が、彼らに、仕事で秀でる行動特性を与えているのだ。

ここまで自信過剰と自信があまりないことの双方を見てきた。自信過剰はあなたの気分を良くし、グリットを与えてくれ、他者に強い印象を残せる。しかし反面、傲慢になりやすく、人びとから疎外され、自己を改善できず、また現実を見ないためにすべてを失うかもしれない。一方、自信が不足気味なほうが、道を究めるのに必要な意欲と手段を得られ、人びとから好感を持たれる。だが、気分は沈みがちで、他者から能力を低く見られるようなシグナルを送ってしまいがちだ。

 

なんともすっきりしない!どうすれば人生での成功や幸せにつながるのか、
はっきりした答えが見つからない。自信のレベルが高ければ人びとを強く印象づけられるが、ひんしゅくを買う。自信のレベルが低ければ好感を持たれるが、敬意は得られない。矛盾しているように思える。ということで、いっそこうするのはどうだろう?

自信に関する理論は、きれいさっぱり忘れてしまおう。

教育心理学者でテキサス大学准教授のクリスティン・ネフは、それは「自分への思いやり(セルフ·コンパッション)」だという。自分自身への思いやりを持てば、失敗したときに、成功の妄想を追う必要もなければ、改善の見込みがないと落ち込む必要もない。

実際、『セルフ·コンパッションと自己に関連する不快な出来事に対する反応ー自己を思いやることの意義』と題する研究では、自分への思いやりのレベルが高い人は、現状認識も正確であることが明らかになった。彼らは自分自身や世界を正確に把握していたが、だからといって失敗したときに、自己を責めることもない。一方、自尊心に重きを置く人びとは、ときどき自分を欺いたり、否定的だが有益なフィードバックを退けたりする。現実を受けいれるより、自己の価値を証明することに執着するのだ。これは傲慢さやナルシシズムにつながりかねない。統計的に調べると、自尊心とナルシシズムのあいだには確かな相関関係があったのに対し、セルフ·コンパッションとナル
シジズムの相関関係はほぼゼロだった。

自信の効果の一つは、あなたを幸せにすることだ。ところがセルフ・コンパッションも同じ効果をはたす。しかも、自信がもたらすような弊害はいっさいない。調査によると、自分への思いやりは、幸福感、楽天主義、個人の主体性、他者とのつながりによる充足感と強く結びついている。さらに、不安感や抑うつ感、神経症的な完璧主義、反芻思考などの緩和とも大いに関連している。

自尊心だとうまくいかない場面でもセルフ・コンパッションならうまくいくのはなぜだろう?自尊心は妄想的か不確かかのどちらかで、いずれにせよ良い結果につながらないからだ。自分は素晴らしいとつねに感じているために、現実から自分を切り離すか、自分の価値を証明するためにルームランナーで走り続けなければならない。いつかは自分の期待値に届かず、ひどく落ち込むことになる。また、執拗に自分を証明し続けるので心身が疲れ、不安で落ち着かないのは言うまでもない。

一方、自分への思いやりは、事実に目を向け、あなたが完璧でないことを受けいれる。著名な臨床心理学者、アルバート・エリスがかつて言ったように、「自尊心は、男女を問わず厄介な病である。つねに条件付き」だからだ。片や、自分への思いやりがある人は、たえず自分を証明する必要にも駆られず、また、調査によれば、「敗北者」だと感じることも少ない。
読者のなかにはこう考える人もいるだろう。
ところがセルフ·コンパッションはあなたに問題を直視させ、それを解決するための手立てを実行させる。調査によると、この自分に寛容なアプローチなら、問題に取り組んだ結果落ち込むことも少ないので、問題に対してより積極的に向かうことができる。つまりセルフ·コンパッションがある人々は自分を責めないので、失敗をそれほど恐れず、ひいては先延ばしを減らし、グリットを高めることにつながる。

自分を許すことはまた、自信を保ち続けるより簡単だ。自分自身に語る手柄話を更新する必要もなく、自分の価値を証明するために毎日ドラゴンを退治する必要もない。調査によると、私たちは自分の良い評判を聞くのが好きだが(これは当然として、じつは本当のことを聞くのも好きだ。だが本当の話は自尊心と相いれないことが多いので、なおざりにされることがある。しかし自分への思いやりがある人なら、真実を聞くことも厭わないのだ。

研究者のクリスティン・ネフはこう述べている。「生涯でただ一人、四六時中あなたに寄り添い、優しくケアしてくれるのは誰だろう?そう、あなた自身だ」。

 

最後に、自分の失敗とフラストレーションを認めよう。否定したり、この世の終わりのように嘆かないこと。正当化するのも、悲劇の主人公になるのもいけない。そうして、何らかの対処をしよう。研究によると、時間を取って、自分への語りかけを書きとめると、気分が晴れて、自分を思いやる気持ちが高まるという。たとえば、自分も誤りを犯す人間の一人だということ、どうすれば問題 を悲劇としてとらえず、その本質を見きわめられるかなどだ。瞑想やマインドフルネスも効果がある。それらを併用するとさらに良い成果が得られるだろう。

 

自分を信じることは素晴らしいが、自分を許せることはもっと素晴らしい

自分を実態以上に大きく見る必要はないし、そうしないほうが望ましい。現実拒否に陥ったり、嫌なヤツになったりしたくない。つねに学び続けたいが、目標に届かないときに自己嫌悪に陥りたくもない。妄想に翻弄される自尊心や、たえず自己の価値を証明する行為とはおさらばしよう。
自分に思いやりを持つ。

 

あなたは日ごろ自信があるほうだろうか? それなら、自信の恩恵に服しながらも妄想に陥らないようにし、また、共感できる心を失わないようにしよう。能力が試されるような状況に自分を置き、謙虚さを失わないように心がけよう。つねに開かれた心を持ち、答えを知っていると思い込まないようにしよう。人に優しくなろう。自分の頭のなかだけの皇帝にならないようにしよう。

それともあなたは自信がないほうだろうか? 何も問題ない。知ったかぶりの人より早くものごとを吸収し、友だちもたくさんできるだろう。そして、能力評価が周囲の認識に左右されないような分野に力を注ぐことだ。

自信は、成功の結果であって、原因ではない。だから、私の熱心な反対にもかかわらず、まだ自信に焦点を合わせたいなら、最も確かな方法は、あなたが取り組んでいることに熟達することだ。

社会学者のダニエル・チャンブリスが、トップクラスの競泳選手たちを調べたところ、毎日「小さな勝利」をあげることに集中することで、彼らの技術が進歩し、また自身の能力についての自信も高まることが明らかになった。

 

ノーベル賞物理学者リチャード・ファインマンの次の言葉はよく知られている。「第一の原則は、自分を騙してはいけないということだ。自分というのは、最も騙しやすい人間なのだ」。

たしかに、周囲に良い印象を与える必要があり、インチキをするのが最良の選択肢に思えるほど危機的なときもある。しかし最善の策は、自分でない者を装うのではなく、自分の一番いいところを見せることに集中することだ。

 

『ストレスに直面したときの自分への親切』と題した研究によると、自分に思いやりを持つことは、じつは賢さと関連し合っているという。知能指数 、知識でもなく、賢明さである(毎日行っていることのなかで、あなたを賢くしていると本当に言えるものが、はたしていくつあるだろう)。
「成功している」か「成功していない」と厳しく判断することは、シロかクロかの偏狭な見方だ。賢明さを身につけるには、もう少し柔軟性と、受容と、それから成長とともにもたらされる学びを必要とする。

 

野球のオールドファンならテッド・ウィリアムズを知っているだろうか。1939~60年にメジャーリーグで活躍した名打者で、ベーブ・ルースとトップの座を争った。
だが、あなたがテッドを知ろうと、知らなかろうと、注目すべきことがある。テッド・ウィリアムズが決して野球をプレーしなかったことだ。
問題は動詞にある。ウィリアムズは野球を「プレー」していなかったのだ。彼にとって、ポールを打つことは、ゲームではなかった。とにかく真剣に取り組んだのだ。強迫的で完璧主義の労働意欲と言ってもいいだろう。ウィリアムズは取材にこう答えている。

「私は物理的な資質に恵まれていたが、それでも、ひたすら根気よく打撃練習を続け、四六時中野球のことしか頭にない日々を過ごさなかったら、ヒットを打って一面大見出しに載ることはなかっただろう。私は、次の打席に入るためだけに生きていた」

エキスパートになるために必要な1万時間?おそらくウィリアムズは、それを何回もやったはずだ。彼はとり憑かれていた。放課後は近所のグラウンドへ行き、照明が消える九時までぶっ通しで打撃練習を続けた。それから帰宅し、両親にせかされてしぶしぶ床につくまで、家の裏庭でなおも練習に励んだ。朝は早く登校し、授業が始まる前に寸暇を惜しんでまた練習。そのままバットを携えて教室へ行った。宿題が少なめなクラスを選んで取ったが、それは怠け者だからではなく、少しでもバッティング練習 をしたかったからだ。

彼は守備をまったくと言っていいほど無視した。外野で本塁に背を向けていることもあった。なんと、バットに見立てたグローブを振ってバッティングの練習をしていたのだ。チームメイトにはイライラの種だった。
女の子とデート?そんな暇はなかった。メジャーリーグ2年目になるまで、彼は童貞だった。しかもメジャーリーグに入ったとき、本当は八月が誕生日なのに、10月だと偽った。野球シーズン中の誕生日は気が散る、というのがその理由。

「偉大な野球選手になる才能を持った子どもは何百人といるが、それを引きだすには、一にも二にも練習あるのみだ」

 

第二次世界大戦が始まり、ウィリアムズも従軍した。キャリアから外れることを余儀なくされたとき、いったい彼はどうしたか?そこは彼のこと、海軍のパイロットになることを求められれば、その道でも一流を極めた。友人のジョン・グレンはその自伝でこう述べている。「彼は、バッティングのときと同じように、戦闘機の操縦でも、完璧に神経が行き届いていた」。ウィリアムズは、高校までの教育しか受けていなかったが、目の前の仕事をものにする情熱に支配されていたので、どんな任務でもたちまち達人の域に達した。

何かを達成した傑出した人びとの研究で知られるディーン・キース・サイモントンは、卓越した人になるための驚愕すべき公式を導きだした。
「何かを達成したい人は、その目標に向けて人生全体を体系化する必要がある。追求するものに関して、偏執的、さらには誇大妄想的に没頭する必要がある。早いうちに取り組み始め、たゆまず努力し、決して目標を諦めてはならない。怠け者や優柔不断な者、移り気な者に成功は訪れない」

カリフォルニア大学サンタクルーズ校名誉教授のフランク・バロンはかつてこう言った。「目覚ましい貢献をした人びとにあって、膨大な生産力はむしろ標準的なことであり、例外的なことではない」

早い話が、何ごとかを成すには、ばかみたいに夢中になって努力する必要がある。

 

では違いをもたらすのはなにか?運ではない。投入された時間数だ。たとえば、IQ180の物理学者はたしかに素晴らしいが、120を超えた60ポイントがが発揮する効果は、時間数がもたらす効果には及ばないのだ。

 

「その分野に従事する者の上位10%は、同分野の標準的な就業者より生産性が80%も高く、下位10%の就業者より生産性が700%も高い」。これだけの差は効率だけでは片付かず、当然長時間働いていることにもなる。
また、ハーバード・ビジネススクール教授のジョン・コッターが、さまざまな業種のトップ経営陣について調べたところ、週60時間以上の労働時間が珍しくないことがわかった。 そして、スタンフォード大学ビジネススクール教授のジェフリー・フェファー(第2章で紹介した)が、企業で成功する秘訣の一番に挙げたものは何だったかというと、「活力とスタ ナ」だった。是が非でもそれが必要だからだ。

あなたは、膨大な時間を費やすことなく、生産性を高めることができるだろうか?もちろんある程度よでは可能だろう。しかし、才能と効率が同等なら、より多くの時間を費やす者が勝つ。しかも、優秀で傑出した人びとのあいだでさえ、時間数の問題は顕著な要素である。

 

ミケランジェロは言った。「これほど熟練した技を身につけるまで、どれほど血のにじむような努力をしたかを人びとが知ったら、さほど感嘆しなくなるだろう」。
教育学者、ベンジャミン・ブルームが行った国際的アスリート、科学者、芸術家を対象にした調査によると、すぐれたメンターの重要な要素は、とっておきの知識を授け、心の支えになるだけでなく、弟子が努力するように拍車をかけることだった。すぐれたメンターからの要求は、「弟子が人間として可能なほぼすべてのことを期待される段階に達するまで、たえず高まった」という。その後の成功を予測できる。そして意欲は、その人の仕事での成功を、知能や能力、給与より正確に予測する。

 

有意義な仕事が長寿につながるとしたら、あなたの寿命を短くするものは何か?失業だ。マクギル大学教授のエラン・ショアによると、職がない状態は、若死にするリスクをじつに63%も高めるという。持病の有無では違いが見られなかったことから、失業と若年死の関係は、相関関係ではなく、因果関係である可能性が非常に高い。これは小規模の調査ではなく、40年間にわたって、一五か国の2000万人を対象に行われた大がかりなものだ。しかもこの63%という数字は、どの国でも変わらなかった。

 

エネルギーの問題も重大だ。創造的な労働者が、配偶者と過ごす時間は量的に少ないだけでなく、経営学の学術誌『アカデミー・オブ・マネージメント・ジャーナル』によると、その質も劣るという。家に帰るころ、彼らの脳はへとへとに疲れている。気遣いのあるパートナーになりたくても、
ガス欠なのだ。また、完璧主義の傾向が強い人びとは、配偶者と満足な関係を持てる可能性が33%低いとの研究結果もある。

なかには、時間の質を無理して上げる者もいる。定評ある雑誌『ネイチャー』は、1400人の読者を対象に非公式な調査を行った。20%の人びとは集中力を増すために薬を使っていた。最も使われていたのは興奮剤のリタリンだった。メイソン・キュレイが天才の常用癖を調べたところ、かなり多くの人がポール・エルデシュと同様に、中枢神経興奮薬のアンフェタミンを使っていることを発見した。また、ミシガン大学のショーン・エステバン・マッケイブアメリカの学部生を分析し、4.1%がやはりアンフェタミンを常用していると報告した。

 

研究の結果わかったことは、創造的天才たちはその類まれな才能の維持に万全を期するために、何らかのファウスト的な契約に組み込まれていたことだ。一般的に、並はずれて創造的な人びとは、自分の使命の追求に没頭するあより、ほかのすべて、とりわけ、個人としての円熟した人生の可能
性を犠牲にしていた。

伝説のチェスマスター、ボビー·フィッシャーは、インタビューでまさに同じことを語っている。もしチェスに没頭していなかったら、どんな人生を送っていたと思うか? と記者から尋ねられ、「そりゃあ、もっといい人生だったでしょう。もう少しバランスが取れていて いろいろな意味でもっと豊かだったと思う」と答えた。

フランツ·カフカはもっと踏み込んで言っている。「作家としての私の定めは単純明快だ。幻想のような精神生活を表現する私の才能は、ほかのすべ
てのものごとを遠景に追いやった。その結果私の人生は恐ろしく貧弱になり、今もやせ衰えていく一方だ。しかし、これ以外のどんな人生にも、私は満足できないだろう」

 

ロンドンスクール·オブ·エコノミクスの進化心理学者、金沢聡の論文『なぜ生産性は年齢とともに衰えるのかー犯罪と天才に見られる共通性』では、少なくとも男性の場合、結婚は、科学者、作家、ジャズミュージシャン、画家、さらには犯罪者の生産活動に著しいマイナス効果を及ぼすという結果が報告された。金沢によれば、「科学者は結婚後、ただちに研究活動が衰えるが、未婚の科学者は、晩年まで偉大な科学的貢献を続ける」。
これらはすべて、あなたに「究極の夢の職業」があった場合の話だ。では、そうした仕事がなかったら(大半の人がそうだが) ? 別に理想の仕事がなくても驚くにあたらないが、もしあなたが夢中になれる仕事でもないのに、死にもの狂いで働いていたら、深刻な弊害がもたらされる。

 

数多くの研究で、ストレスや残業を減らし、リラックスしてこそ創造性が発揮されることが証明されている。
事実、あなたが最も創造性に富む時間帯は、じつは職場に着く前に訪れている。大半の人はシャワーを浴びているときに妙案が浮かぶという。ペンシルバニア大学のスコット・バリー・カウフマンは、72%の人はシャワーでアイデアがひらめいた経験があり、職場でアイデアが浮かぶ経験よ
りはるかに頻度が高いことを発見した。なぜシャワー中? 単純にリラックスできるからだ。そういえば、アルキメデスが「ユリーカ!(われ発見せり!)」と叫んだのは仕事場ではなく、のんびりと温かい風呂につかっていたときだ。

今日多く見られるつねにハイペースな職場は、創造的思考に適した環境と対極にある。ハーバード大学テレサ・アマビールは研究の結果、過度な時間的プレッシャーの下では、創造的な解決策を思いつく可能性が45%減少することを発見した。あらゆるストレスは、創造性のかわりに、「プレッシャーによる二日酔い」とアマビールが名づけたマイナス効果を生みだすという。しかも、何日か創造性が低下する現象だ。
 

全科目でクラスの上位10%の成績を取っていた優等生がいた。ある調査結果によれば、彼女が平日に7時間未満の睡眠を取り、週末には平日より40分だけ多く眠ったところ、睡眠を充分取っている学生の下位9%の成績になってしまったという。

脳の力は、回復するのに思った以上に時間がかかる。2008年にストックホルムで行われた研究では、5時間睡眠を数日続けた人びとの脳は、通常睡眠に戻して1週間経った後でも、まだ100%正常な状態に回復していなかった。

 

失礼だが睡眠不足かどうかという自分の判断も、疑ってかかったほうがいい。『ニューヨーク・タイムズ』紙に掲載されたペンシルバニア大学の睡眠研究者、デービッド・ディンジスの研究によると、4時間睡眠が2週間続いた被験者は、疲れているがとくに問題ないと回答していた。そこで
一連の試験を実施すると、彼らの脳機能はゼリーに近かった。六時間睡眠が二週間続いた被験者の脳は、事実上酩酊状態だった。平均的アメリカ人は何時間眠っているのだろう?ギャロップ調査によると、6.8時間だという。
なかには、毎晩、短時間の睡眠で平気だという人もいるが、あなたはほぼ確実にその部類ではないだろう。なぜなら、「短時間睡眠者(ショートスリーパー)は人工のわずか1~3%だからだ」
朝型人間には、病的なまでに元気で動きが速い人がいるが、短時間睡眠者は四六時中そんな感じだ。そうした状態を研究者は「行動活性化している」と言う。短時間睡眠者は、おそらく潜在性軽躁病(第1章で述べた疾患)、つほり軽度の躁うつではないかと考えられている。異常ではなく、ただ楽天的で、エネルギーがみなぎっており、感情的に立ち直りが早い。この "障害"は遺伝性で、hDEC2遺伝子の突然変異が関係している。すなわち遺伝子異常がなければ、あなたは短時間睡眠者ではない。ただ疲れすぎて、自分がどれほど疲れているかわからなくなっているだけだ。

 

地球では1日に1度、太陽が上る。それと同じ二四時間に、宇宙飛行士は日の出を12回も経験する。そこで、NASAは睡眠に関して、膨大な実験をしなければならなかった。もし彼らが疲れて職務を正しく遂行できないと、命にかかわるからだ。NASAは「疲労対策プログラム」を開発した。それは、莫大な予算規模の政府機関が「昼寝」と呼ぶものだった。

NASAの研究により、昼寝が飛行士の活力をよみがえらせることがわかったのだ。「研究結果は、フライト中に計画的に設けられた40分の仮眠が、長期任務における宇宙飛行士たちの仕事ぶりと生理的覚醒を顕著に改善することを証明した」
睡眠不足の状態では、不機嫌になりやすいことはすでに述べた。90分の仮眠を取ると、その状態をリセットできる。昼寝は、脳の嫌なことに対する過剰反応を鎮めるだけでなく、善いことに対する反応を高めてくれる。

 

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