WHAT IS LIFE?(ホワット・イズ・ライフ?)生命とは何か

  • あらゆる形で存在する生命に圧倒されることがある。われわれはこの世界を、数え切れないほどの動物、鳥、魚、昆虫、植物、菌類、さらにもっと多くの名が連なる微生物たちと分かちあっており、各々が自分特有のライフスタイルにうまく適応しているように見える。何千年にもわたって、こうした多様性はすべて、創造主である神の努力のたまものに違いないと、人々が考えてきたのも不思議ではない。
  • 創世の神話は、ほとんどの文化にあふれている。ユダヤ教キリスト教に共通する創世記は、文字通りに読めば、「生命がほんの数日間で創造された」と主張している。すべての種は一つひとつ創造主によって形作られたという考えは、広く行き渡っていたが、あまりにも多様な甲虫をどう説明するのだろう。二〇世紀の遺伝学者 J・B・S・ホールデンは「神様ってえのは、とてつもなく甲虫が好きだったんだな」というジョークを飛ばした。

パスツール の 偉大な貢献

  • 発酵の科学的研究は、現代化学の始祖の一人である、一八世紀のフランス貴族で科学者のアントワーヌ・ラヴォアジエから始まった。彼にとっても、科学全体にとっても不幸なことに、非常勤で収税官をしていたせいで、フランス革命中の一七九四年五月に、ラヴォアジエは断頭台の露と消えた。その政治的な吊し上げ裁判で彼に判決を下した裁判官は、こう宣言した。「共和国には学者も化学者も必要ない」。
  • われわれ科学者は政治家によくよく気をつけねばならない! 残念ながら政治家、特に大衆に迎合しがちな政治家は、裏づけに乏しい自分の見解に専門知識が真っ向から対立する場合、「専門家」をないがしろにする傾向がある。
  • ギロチンと不慮の出合いをする前、ラヴォアジエは発酵のプロセスに夢中になっていた。彼は「発酵は初めのブドウジュースに含まれる糖が、できあがったワインのエタノールに変換される化学反応である」と結論づけた。発酵をこんなふうに考えた人は、それまで誰もいなかった。その後、ラヴォアジエはさらに踏み込んで、「発酵素」と呼ばれるものがあって、それはブドウそのものに由来し、化学反応で中心的な役割を果たしているようだと提案した。とはいえ、ラヴォアジエは、発酵素の正体をつかむことはできなかった。
  • およそ半世紀後、工業用アルコールの製造者たちが、自分たちの製品を台無しにしてしまう現象の謎を解明してくれないかと、フランスの生物学者で化学者のルイ・パスツールに依頼し、すべてが明らかになった。
  • 甜菜のビートパルプ(=甜菜から糖分を絞ったあとの残りかす)を発酵させるとき、うまくいかずに、エタノールではなく酸っぱくて不快な酸ができてしまうことがある。それがいったいなぜなのか、彼らは知りたがった。パスツールは探偵顔負けのやり方で、この謎に挑んだ。
  • 彼は顕微鏡を使って決定的な証拠を手に入れた。首尾よくアルコールができた発酵用の大樽の沈殿物には、酵母細胞が含まれていた。酵母は明らかに生きていた。酵母のいくつかには芽が出ており、活発に増殖していることを示したからだ。
  • 一方、酸っぱくなった大樽を調べると、酵母細胞が一つも見当たらなかった。この単純な観測結果から、微生物の酵母こそが、あの得体の知れない「発酵素」、つまりエタノールを作り出す鍵となる物質にちがいないと、パスツールは提案した。酸っぱくなった大樽の方は、他のなんらかの微生物、おそらくもっと小さな細菌が、酸を作ってダメにしてしまったのだ。
  • ここで重要なのは、生きている細胞の成長が、特定の化学反応の直接的な原因である点だ。この例では、酵母細胞がブドウ糖エタノールへ変えている。パスツールの偉大な貢献は、個別の事柄から一般的な事柄へと歩みを進め、重大な新しい結論にたどり着いたことだ。彼は、化学反応が単なる細胞レベルの興味深い特徴ではなく、生命の決定的な特徴だと見抜いた。パスツールはこのことを鮮やかに「化学反応は細胞の命のあらわれだ」という言葉でまとめた。
  • 現在では、あらゆる生物の細胞内で、何百何千もの化学反応が同時進行していることが分かっている。こうした化学反応が生命を司る分子を作り出し、それが細胞の成分や構造を形作る。化学反応はまた、分子の分解も行う。細胞成分を「リサイクル」してエネルギーを得るためだ。
  • これらを合わせた、生命体で発生する膨大な化学反応のことを「代謝」と呼ぶ。それは生きているものが行うすべての基礎だ。維持、成長、組織化、生殖、そしてこうしたプロセスを促進させるのに必要なすべてのエネルギーの源。代謝は生命の化学反応なのだ。

 

「合成生物学」のインパク

  • 今後10年で、遺伝子工学的手法を利用する必要性がさらに出てくると私は思う。「合成生物学」として知られる、比較的新しい科学分野のインパクトは大きい。合成生物学者は、遺伝子工学がこれまで用いていた、的を絞り、少しずつ進歩するやり方ではなく、生き物の遺伝子プログラムを根本から書き換えようとしている。
  • ここに立ちはだかる技術的なハードルは高く、そうした新しい種をどのように制御し、環境に流出させないか、という問題もある。しかし、実現した際の見返りは膨大だ。生命の化学的性質は、人間が実験室や工場で行ってきたような化学プロセスよりも、はるかに適応性があり効率的だからだ。
  • 遺伝子組み換えと合成生物学により、生命の輝きを再編成し、別の目的に向かわせることができる。合成生物学を使って栄養の強化された作物や家畜を作り出すことは可能なはずだが、それよりも、もっと幅広い応用も考えられる。再設計された動植物や微生物を作り出して、そこからまったく新しいタイプの薬剤、燃料、生地、建築材料を生産しているわれわれの姿が目に浮かぶ。
  • 遺伝子工学的に操作された新たな生物システムは、気候変動を解決に導くかもしれない。科学者の大半は、地球温暖化が加速段階に入ったと考えている。これは、人類だけでなく、(人類もその一部である)生物圏への深刻な脅威だ。
  • 差し迫る緊急課題は、われわれが発生させている温室効果ガスの量を削減し、温暖化の広がりを縮小することだ。本来の状態よりも効率的に光合成をする植物を再設計したり、生体細胞という枠を超え、それを工業規模で活かすことができれば、カーボンニュートラルな生物燃料や工業用の材料を作ることが可能だ。
  • 科学者は、頻繁に干ばつに襲われたりして、それまで開墾されたことがなかった、劣化した土壌や地域など、いわゆる耕作限界の環境で繁茂できる新種の植物も、遺伝操作で作ることができる。そうした植物は、世界中の人々に食物を供給するだけでなく、二酸化炭素を引き下げて、気候変動に対処するためにも利用できる。
  • また、持続可能な方法で稼働する「生きた工場」の基礎とすることもできる。化石燃料に依存する代わりに、廃棄物や副産物や太陽光から効率的にエネルギーを得る生物システムも作り出せるかもしれない。
  • こうした遺伝子工学による生命体と並行して、もう一つの目標は、自然に光合成をする生き物が地表に占める総面積を増やすことだ。これは見かけほど単純な提案ではない。大きな効果を得るためには、大規模に実施する必要があり、さらに、植物が枯れたり収穫された際の、長期にわたる炭素貯蔵の問題も検討する必要がある。これには、森林を増やしたり、海での藻や海草の培養や、泥炭湿原の形成を促すことも関わってくる。
  • しかし、こうした介入を迅速かつ効率よく行うことで、生態動力学に関するわれわれの理解は、限界まで広がってゆくだろう。現在、広い範囲で進行中の、ほとんど説明がつかない昆虫の数の減少の謎も、解明されるかもしれない。われわれの未来は、昆虫と切っても切れない縁がある。昆虫は、多くの食用作物を授粉させたり、土壌を作ったり、その他多くのことをしているのだから。
  • こうした応用が発展するためには、生命の仕組みについて、さらに深く理解する必要がある。分子生物学者、細胞生物学者、遺伝学者、植物学者、動物学者、生態学者、 その他、あらゆる領域の生物学者が一丸となって働く必要がある。
  • 人類の文明が、生物圏の他の生き物たちを犠牲にすることがあってはならない。これを成功させるためには、自分たちが「いかに何も知らないか」を直視する必要がある。われわれは、生命の働きへの理解を大きく進歩させてきた。
  • だが、現在の理解は部分的で不完全だ。われわれの野心的で実用的な目標を達成するために、生物系に建設的かつ安全に干渉することを望む、まだまだ学ぶべきことがたくさんある。
  • 新しい応用にとりかかる場合、生命の働きのさらなる基礎理解と手を取りあって、前進すべきだ。ノーベル賞を受賞した化学者のジョージ・ポーターは、かつてこう警鐘を鳴らした。「応用科学を養うために基礎科学を飢えさせることは、建物をもっと高くするために建物の基礎を節約するのと似ている。大建造物が崩れ落ちるのは時間の問題だ」。
  • しかし、科学者の側だって、好きなことだけやって胡座をかいていてはいけない。役に立つ応用は、可能な限り実現すべきだと、肝に銘ずる必要がある。自分の知識を公共の利益のために使う好機が巡ってきたら、科学者は、それをなすべきなのだ。

生命を理解して世界を変える

  • だが、これは別の疑問とさらなる問題を生じさせる。何をもって「公共の利益」とするか、意見は一致するだろうか? 新しいがんの治療がきわめて高額な場合、治療を受ける優先順位はどうやって決めるのか? 充分な証拠なしにワクチン拒否を推奨したり、抗生物質を誤用したりすることは、犯罪行為なのか? 個人の遺伝子に強い影響を受けて起きた犯罪を罰するのは正しいのか? 生殖細胞遺伝子の編集で、ハンチントン病の家系の人々を病から解放できるとしたら、彼らにはゲノム編集を自由に選ぶ権利があるだろうか? 成人のクローンを作ることは、いつか許されるようになるのか?
  • そして、気候変動への取り組みが、何十億もの「遺伝子組み換え藻」を海に植え付けることを意味する場合、実行すべきだろうか?
  • これらは、生命について深まりゆく理解により、われわれが自問自答すべき、差し迫った、多くの場合、きわめて個人的な疑問の一握りにすぎない。納得のいく答えを見つける唯一の方法は、開かれた本音の議論を続けることだ。
  • 科学者はこのような議論で特別な役割を果たす。前進する度に、恩恵と危険性と起こりうる障害をはっきり説明しなければいけないのは科学者なのだから。
  • しかし、議論の主導権を握るのは社会全体であるべきだ。政治指導者たちも、全面的にこうした問題に関与すべきだ。今のところ、科学技術がわれわれの生活や経済に与える多大な影響に、充分に気づいている政治指導者はほとんどいない。
    だが、政治の出番は、科学より「後」であって「前」ではない。 この順番が逆に
    なったとき、どれだけ悲惨なことになるか、世界は幾度となく目撃してきた。
  • 冷戦中、ソビエト連邦原子爆弾を作り、初めて人類を宇宙に送った。しかし、遺伝学と作物の改良は、思想的な理由によって深刻な被害を受けた。スターリンは、メンデル遺伝学を否定するペテン師ルイセンコの説を信望した。その結果、人々は飢えに苦しむこととなった。
  • 最近では、科学的な理解を無視したり、積極的に攻撃したりする気候変動「否定」論者たちが、対応の遅れをもたらすのを、われわれは目のあたりにしてきた。公共の利益に関する議論は、知識と証拠と合理的な思考によって牽引されるべきで、イデオロギーや根拠のない信念や欲や過激な政治思想によってではない。
  • 科学の価値自体に議論の余地がないことは確かだ。世界は科学と、それが提供する進歩を必要としている。自我を持ち、独創性があり、好奇心にかられて行動する人類であるわれわれは、生命についての理解を利用して世界を変えられる、 またとないチャンスを手にしているのだ。
  • 人生をもっと良いものにするために、自分たちにできることをするかどうかは、われわれ次第だ。それは、われわれの家族や地域社会のためだけでなく、来たるべきすべての世代のため、そして、(われわれが切っても切り離せない一部である)生態系のためでもある。
  • われわれを取り巻く生き物の世界は、尽きることのない驚きを人間にもたらす源であり、われわれの存在そのものを支えてくれている。