数学の大統一に挑む【後半】

数学と理論物理学は自由のオアシスだった。共産党首脳部は学問のあらゆる面を支配しようとしたが、これらの分野はあまりにも抽象的で難しすぎて、彼らには理解できなかったのだ。あのスターリンでさえ、数学について、 あえて意見を述べたことはただの一度もない。またソ連の指導部は、これら自分たちの理解の及ばない分野が、核兵器を開発するためには重要であることを理解していた。そのため数学と理論物理学の研究には手出しできなかったのである。

数学者が医師の役に立つのは、統計プログラムの知識があるからではなく(つまるところ、そんな物は大して難しいわけではなく、その気になれば誰にでも理解できる)、正しく問題を立てる能力、そして偏りのない分析をして答えを導き出す能力のためであることが解ってきた。数学者のような考え方をするよう訓練を受けていない人たちにとって一番役に立ちそうなのは、この「数学的な思考様式」だった。

 彼(ドリンフェルド)が何かを説明するときには、「お前たちが自力では決して理解できない大きな謎の一端を見せてやるからありがたく思え」というようなところは、これっぽっちもなかった(残念ながら、誰とは言わないが、わたしの同僚にはそういう言い方をする人達がいるのだ。)彼はいつだって、これ以上はないほどシンプルで明瞭に表現し、彼に新しいことを説明してもらうと、まるでずっと前から知っていたかのような気持ちにさせられるのだ。

幾何学的な理論において保型関数とのアナロジーが成り立つのものは、関数ではなく、数学者が「層」と呼ぶものだったのである。・・・自然数がベクトル空間で置き換えられた世界を想像してみよう つまり、1の代わりに直線、2の代わりに平面を考えるのだ。この新しい世界では、数の足し算は、数学者が「ベクトル空間の直和」と呼ぶもので置き換えられる。・・・自然数の掛け算は、ベクトル空間に対する別の操作で置き換えられる。2つのベクトル空間が与えられた時、それらのテンソル積と呼ばれる第三のベクトル空間を作る。・・・ベクトル空間というパラレルワールドは、自然数の世界よりもはるかに豊かなのだ。数には内部構造がない。例えば3という数には、いかなる対称性もない。しかし、3次元空間には対称性があり、様々な対称変換をほどこすことが出来る。・・・3は、3次元空間の次元の数という、一つの特徴を表しているだけなのだ。3という数には、このベクトル空間のそれ以外の側面ー例えばこの空間の対称性ーを表すことは出来ない。

自然数は集合を作るが、ベクトル空間は、もっと洗練された構造を作る。その構造のことを数学者は圏(カテゴリー)とよんでいる。与えられた圏は、例えばベクトル空間のような「対象」をもっている。それに加えて、どれかの対象を別の対象に移す「射」がある。・・・次世代コンピュータは、集合論ではなく、むしろ圏論に立脚するものになると見てまず間違いないだろう。・・・集合論から圏へのパラダイムシフトは、現代数学の駆動力のひとつになっている。その動きのことを「圏論化」と言う。・・・数はベクトル空間に置き換えられる。・・・関数は何になるのだろうか?・・・・

多様体Sの各点sに数を割り当てるルール(関数)の代わりに、ベクトル空間を割り当てるルールが必要になる。そのような規則のことを「層」と呼ぶ。層をFで表すと、点sに割り振られたベクトル空間は、F(s)となる。つまり、関数と層との違いは、多様体Sの各点に割り当てるものの違いなのだ。

関数と層との間に、深いアナロジーがあるということだ。・・・それを発見したのが、偉大なフランスの数学者アレクサンドル・グロタンディークである。・・・ラングランズプログラムを幾何学的に再定式化するために我々は、関数と層との間で言葉を翻訳するための辞書を利用したが、その辞書こそは、グロタンディークの仕事を特徴づける深い洞察の見事な一例なのである。

関数は数学全体を通じて重要な概念の一つであり・・・有限体乗の多様体と言う文脈に身をおくなら、我々は関数を超えて、層を相手にできるということだ。・・・古き良き関数たちは、層の影にすぎないのである。・・一つの層が幾つもの対称変換を持つこともある。関数を層に格上げすれば、それらの対称変換を利用して、関数を扱った場合よりも、はるかに多くの情報を得ることが出来るのだ。

誰かが一つの定理を証明すると、他の人達がその証明が正しいことを確かめ、その成果の上に立って、その分野はさらに発展するが、その証明の意味が本当に理解されるまでには、それから何年も、何十年もかかる場合があるのだ。たとえわたしがその意味を見出すことが出来なかったとしても、松明は新しい世代の数学者たちに引き継がれ、いずれはその意味が理解されるだろう。しかしもちろん、わたしは自分自身の手で、それを理解したいと思っている。

ロバート・ウィルソン(フェルミ国立加速器研究所

「つまり、この加速器によってもたらされる新しい知識は、名誉ある国家という観点からは、大いに貢献しうるということです。この加速器は、国家の防衛に直接役に立つものではありません。しかし我が国を、守るに値するものにするためには役立つでしょう。」

 素粒子には、フェルミ粒子とボース粒子という2つのタイプがある。・・フェルミ粒子(電子やクォーク)は物質を作り上げている粒子であり、ボース粒子(光子、ヒッグス粒子など)は、力を運ぶ粒子である。・・・2個のフェルミ粒子は、同じ状態を同時に占めることが出来ないのに対し、ボース粒子は、同じ状態を同時に何個でも占めることが出来るのだ。両者の振る舞いはあまりにも異なっているため、物理学者は長きにわたり、場の量子論の対称変換は、これら二種類の粒子の垣根を壊すようなものではありま得ないと決めてかかっていたーつまり、フェルミ粒子とボース粒子を交換するような変換は、自然によって禁じられていると信じ込んでいたのである。・・・交換するような対称変換があっても構わないというのである。そのような変換のことを超対称変換といい、この変換を施しても変換しないことを超対称性という。・・・普通の場の量子論を悩ませていた幾つもの問題が、超対称性を導入することによって解消されるからである。・・・最大限の超対称性を持つように電磁気の理論を拡張し、・・・実際に電気と磁気の双対性ー電磁双対性ーが確かに成り立っていることを示した。

自然界には、電気と磁気の力以外に、さらに3つの力がある。・・・重力、あと2つは強い力と弱い力という二種類の核力である。強い力は、陽子や中性子などの粒子の内部にクォークを閉じ込めておく力であり、弱い力は、原子や素粒子を転換させる力である。例えば、原子のベータ崩壊(電子やニュートリノが放出される)や、星のエネルギーを生んでいる水素核融合などを引き起こしているのは、この弱い力だ。・・・電磁力、弱い力、そして強い力には、共通点がある。これら3つの力はどれも、物理学者が「ゲージ理論」と呼んでいる理論で記述されるということだ(チェンニン・ヤンとロバート・ミルズという二人の物理学者を称えて、「ヤン・ミルズ理論」と呼ぶこともある)・・・ゲージ理論には一つの対称群が伴っており、それをゲージ群と呼ぶ。ゲージ群はリー群である。

重力は難攻不落の力であることが分かっている。アインシュタイン一般相対性理論は、古典的な理論としてはーつまり、大きな距離を隔てて作用するときにはー重力を上手く記述するのだが、非常にも短い距離での重力の振る舞いを説明する説明する量子的な理論で、実験で検証可能なものがまだ得られていないのだ。

究極の交響曲が完成した時、その総譜は数学の言葉で書かれているだろうということだ。・・・ノーベル賞を受賞したヤンは、畏敬の念を込めて次のように述べた。『物理世界の構造が、突き詰めれば、深い数学的概念に結びついている。そしてその数学的概念は、論理と形式の美しさだけに基づく考察によって生み出されたのです。』

 ジャンーピエール・セール「量子物理学をヴェイユロゼッタストーンの4番目のコラムに据えるという、君の考えは興味深い。アンドレ・ヴェイユは物理学をあまり好きではなかった。しかし、もしも今日彼がこの場にいたとしたら、この物語の中で量子物理学が重要な役割を演じているという、君の意見に賛成したと思うよ」

 ヘンリー・デーヴィッド・ソロー「どんな真理についてであれ、最も明快で美しい命題は、ともかくも数学的な形式を取るはずだ。算術のルールと道徳哲学のルールを究極的にシンプルにしていけば、一つの数式が両方の真理を表すことになるかもしれない。」

ハインリヒ・ヘルツ「これらの数式は、それ自体として存在し、独自の知能を持っている。そして我々よりも賢いー実際、それらの数式を発見したものよりも賢いーという感覚から逃れることはできないのである」

ロバート・ラングランズ「しばしば、まるで天の声のように降りてくる。そのことは、数学の基本概念のみならず、数学そのものが、我々の生きるこの世界とは切り離された別の世界に存在していることをほのめかすのである。信じがたいことではあるが、そう考えずにプロの数学者としてやっていくのは難しい。」

 ユーリ・マニン「数学はプラトン的な概念世界のどこかにそびえ立つ、壮麗な白である。数学者たちは献身的な努力によって、恐れ多くもその城を発見するのである(発明するのではなく)」

 ロジャー・ペンローズ「数学のプラトン的世界に属する数学の命題は、紛れも無い客観的真理である。数学的命題はプラトン的な実在性を持つと述べることは、その命題は客観的真理であると述べることにほかならない。数学的な概念がプラトン的実在性を持つのは、それらが客観的概念だからである。」

ゲーデル「数学的な概念は、それ自体として客観的実在性を構成するものであり、それを作り出したり、あるいは変更したりすることは出来ない。我々に出来るのは、単にそれらを見て理解したり、記述したりすることだけである。」

数学の大統一に挑む

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圏論は数学をするための「高級言語

東大 理学部情報科学科/大学院情報理工学系研究科|情報科学科NAVIgation

圏論の基礎

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