評伝小室直樹

評伝 小室直樹(上):学問と酒と猫を愛した過激な天才

評伝 小室直樹(上):学問と酒と猫を愛した過激な天才

 
  •  理科の基礎教養があった上で、芸術家になり、政治家になり、官吏にならなければ日本はダメです。政治家志望の者がまっすぐに政治学科へ入るようでは、真の政治家にはなれません。科学的・理科的・数学的学習はすべてのものが共通に通過すべき基礎学習です。それを学んだ上で立法・司法・行政・教育・芸術など各々の方面に進むべきで、そうでないと何をやっても幅の狭い、底の浅い考え方しかできません。だから私は政治家になるための入門段階として理学部を選んだんです。
  • 「京都から奈良までは歩いてもしれたものだし、奈良には数え切れないくらい鹿がいるし。一頭捕まえてくれば、しばらくは食べ物に困らねいと思いやす」呆れた。ザ・不器用の小室が、生きた鹿をどうやって捕まえるというのか。
  • うすうす自覚していたことであるが、小室の数学の力は、数学的なセンス、あるいは天才的なひらめきに基づくものではなかった。非凡な記憶力に頼る、記憶による数学なのだ。
  • 小室は、このジェネラル・イグザミネーションの筆記試験で失敗をする。いや、失敗させられたのである。・・・小室を嫌う、その教授の試験問題は、英文で長文の解答を書かないといけない問題ばかりであった。
  • 法社会学は、法解釈学ではなく、社会科学だ。ものすごく面白いんだ。
  • 黒猫は、化け猫の血を引き継ぐといわれる。小室は、クロをなんとか化け猫にしようと数々の実験を行った。
  • ところで、一万円というと世間では何が買えるの?
  • なんと床の間には最新のカラーテレビがどんと鎮座していたのだ。生活保護家庭の生活水準のほうが、東京都を指導する小室のそれよりもずっと高かった。小室は一年間100万円で生活していたのだから、当然といえば当然。
  • 科学であるかないかの規準は、研究対象ではなく研究方法にある。科学であることの必要十分条件は、
  1. 理論と実証が分化され、統合がされていること。
  2. 理論とは完全理論であること(公理論的理論である)
  3. 実証とは完全な実証計画法を伴った実証であること。(検証法が計画化され、特定の理論の検証を目指すものでなければならない)
  • 小室は「世界はできる限りシンプルに、理論的に集約できればできるほどいい」という物理学的な考え方である。
  • 小室先生の部屋の掃除の場合、第一種過誤は、捨てるべきでないものを捨ててしまう失敗。第二種過誤は、捨てていいものを捨てなかった失敗。「第一種と第二種、どちらを最小化しましょう?」「第二種過誤を最小にしましょう」簡単にいうと、「基本、全部捨ててしまいましょう」ということになったのだ。
  • 二人の手元を見ると、部屋に産卵していたポルノ雑誌を集めて、ヒモで縛ってまとめ上げているようだった。さすがの小室も、これらをゼミ生らに見られるのは恥ずかしかった。知人の協力を仰いで、掃除が開始される前にポルノ雑誌を自分で処分しようと抜け出してきたのだった。
  • 小西克哉は、机が3つあるのに気がついた。そういえば、小室先生が以前「気分を変えるため机を変えて書くんだ」というのを聞いたことがあった。・・・机の引き出しを開けると、黒いホッチキスのたまのようなものがたくさん転がっている。なんだろうと思ってよく見ると、ゴキブリの卵だった。
評伝 小室直樹(下):現実はやがて私に追いつくであろう

評伝 小室直樹(下):現実はやがて私に追いつくであろう

 
  • 和田が感じたのは、小室が単なる「物知り」、知識秀才ではないこと。「この人は、知っていることを使って考えられる人だ」とわかった。・・・肩書を目指すのではなく、自分の言論や思考で勝負できるような人間になりたい。それで人に影響力を与えられるのが理想だ。そう考えるきっかけになったのであった。
  • 本ゼミは、小室直樹の主催による研究者集団であり、社会科学の再建を目的とする。
  • 自動制御の哲学・・・予定調和説・・・予定調和説の反対はなにか。それは、単純因果律
  • ローマンカトリック教会は、救済財を持っている。そして、パウロ始め、多くの成人は、救済剤をカトリック教会に遺産として残した。この遺産を、「サクラメント」(救済儀礼)を通じてカトリックの信徒に分配してやる。だから、十分な言行を行わなくても神が救済してくれる。・・・・これは論理から言えば、因果律でしょう。
  • 免罪符・・・ルターやカルヴァンが怒ったのは、そんな単純なことではない。「ローマ法王庁に救済財がある」、この考え方に反対した。救済するかどうかは神が一方的に決める。人間の行為によって決められるものではない。・・・人間がなにをしようと、なにをしなくても、滅びるやつは滅びる。救済されるやつは救済される。まことに自動制御の考え方とピタリと一致。だから、ここには因果律が働く余地がない。マックス・ヴェーバーがいうとおり、カルヴァニズムこそが終始一貫して論理的な神義論(神の義(正義)を論じる議論)である。
  • ヘーゲル・・・世界史とは神の計画の実現過程だ・・・まったく制御理論、機能主義的考え方。
  • 神が初めに「オイディプスは、父を殺し、母を娶る」と伝えた。これ、制御目標。本人がどんなにあがいても、制御目標に収束する。・・・だから、悲劇になる。
  • 純粋理論的にいえば、仮設構成体は勝手に作っていい。ところが、科学者の立場からスルと、仮設構成体はなるべく測定可能、実際に測定できて外部的(overt)、外側にあって、誰でも見られるのがよい。
  • 効用関数なんて測定可能でもないし、人間の外にもないでしょう。だから非常に嫌われて、顕示選好の理論が作られた。そこへの中間段階として、無差別曲線の理論が出てきたわけですな。無差別曲線だったらちゃんと見られるでしょう。測定もできるでしょう。だから、経済学は方法論的に非常に強くなった。
  • 学問のアイデンティティーは『対象』によって決まるのではなく『方法』によって決まるのである。
  • いい本は、最低限10回は読みなさい。君らがいつまでたっても頭がよくならないのは、だからだ