数学の大統一に挑む【前半】

もしも学校の美術の時間に、壁にペンキを塗る方法しか教えて守らなかったとしたらどうだろう?Leonardo da Vinciやピカソの作品を、ただの一度も見せてもらえなかったら? あなたは絵画を楽しめるようになるだろうか?とてもそうは思えない。あなたはきっと、こんなふうに言うだろう。「学校で美術を習ったのは時間の無駄だった。壁にペンキを塗る必要が生じたら、人を雇ってやってもらうさ。」もちろんこれは馬鹿馬鹿しい喩え話だが、数学はまさしくそんなふうに教えられているのだ。

数学についてのありがちな誤解に、数学は所詮「工具セット」に過ぎないというものがある。例えば、生物学者がフィールドワークをしてデータを集め、そのデータに合うような数学的なモデルを組み立てようとする場合は、数学が工具セットとして使われているようなケースだ。たしかにそれは、数学の使い方として重要なものの一つではあるが、それが全てではない。数学は、それなしには考えることさえ出来ない、パラダイムが変わるような大躍進を引き起こすこともあるのだ。

たとえばアルベルト・アインシュタインは、物質が存在すれば空間が湾曲するということ、そしてその湾曲こそが重力であることを発見したが、その事実に気づいた時、彼はデータに合う数式を探していたわけではなかった。それどころか、そもそもそんなデータはまだ存在していなかったのである。それまでは誰ひとりとして、空間が曲がるなどとは考えもしなかった。誰もが当然のこととして、宇宙空間は平坦だと思い込んでいたのだ。ところがアインシュタインは、重力と加速度とは等価だという洞察を組み込むことにより、自分の作った特殊相対性理論を一般化しようとする過程で、空間は曲がると考えざるをえないと判断するに至った。それは数学の領分に属する、極めて高度な判断である。アインシュタインは、そこに至るまでの道のりで、それより五十年ほど前に、ベルンハルト・リーマンという数学者が成し遂げた仕事を利用した。人間の脳は、二次元よりも高い次元の空間が曲がるのをイメージできるようには配線されていないため、高い時限の曲がった空間を調べようとすれば、数学を使わざるを得ない。

チャールズ・ダーウィンの仕事は、最初は数学を利用していなかったが、彼は後に自伝の中で次のように述べた。「数学の見事な指導原理を、多少とも理解できるぐらいに勉強しておかなかったことを、私は深く悔いている。なぜなら数学の素養のある人達は、あたかも第六感のようなものを身につけているかに見えるからである。」私はこれを、数学の大きな可能性を利用しなさいという、ダーウィンが後世に残した忠告と受け取りたい。

イズライル・ゲルファントはよくこんなふうに語ったものだった。「数学は難しくて分からないと人は言うが、それは君の説明の仕方による。飲んだくれを前にして、2/3と3/5のどっちが大きいかを尋ねれば、わからないという答が返ってくるのだろう。しかし、それをこう言い換えてみたまえ。二本のウォッカを三人で飲むのと、三本のウォッカを五人で飲むのとではどっちがいいか、とね。飲んだくれはすぐに、二本を三人で飲む方がいいに決まっていると答えるだろう。」

それまで経験したことのなかった何かが、私の心に触れた。音楽を聞いたり、絵画を見たりして、忘れられない印象を受けた時の、言葉には出来ないあのエネルギー、あの感情の高まりを感じたのである。その時の私の頭に浮かんだのは、「すごい!」のひとことだった。・・・量子物理学を本当に理解したいのなら、まずこれをやらなくては。ゲルマンは美しい数学理論を使ってクォークを予言したんだよ。彼の発見は、数学的な発見だったんだ。

 数学的な対称変換の理論にとって重要なのは、美しいかどうかではない。数学的な理論にとって重要なのは、直観的な対称性を出来る限り一般化して、そしてできるかぎり抽象的にして、対称変換という概念として定式化することにより、幾何学、数論、物理学、化学、生物学など、幅広い分野で統一的に利用できるようにすることなのだ。いったん一般的な理論を作ってしまえば、お好みならば対称性を創発的現象とみなし、対称性の破れのメカニズムについて語ることも出来る。例えば素粒子は、いわゆるゲージ対称性が破れることによって質量を獲得する。その対称性の破れを引き起こしているのがヒッグス粒子だ。この粒子は、長年に渡り探索の手を逃れてきたが、最近ついに、ジュネーブの地下にあるLHC(大型ハドロン衝突型加速器)で発見された。こうして対称性の破れのメカニズムを調べることにより、自然界の基本構成要素の振る舞いについて、極めて重要な洞察が得られるのである。

突如として、まるで黒魔術でも使ったかのように、すべてが明らかになった。一挙にジグソーパズルが組み上がり、美しくエレガントな絵の全貌が現れたのだ。あの瞬間のことを、私は決して忘れないだろう。あの経験は永遠に、私の宝物であり続けるだろう。突如として、信じられないほどの高見に立ったような感覚だった。・・・わたしはそれまでの人生で初めて、「世界中の誰ひとりとして、まだ手に入れていないもの」を手に入れたのだ。この宇宙について、なにか新しいことが言えるようになったのである。それはがんの治療法ではないかもしれないが、やはり価値ある知識のひとかけらであり、その知識をわたしから奪うことは何者にも出来ないのだ。

わたしはそれまで数学の論文を書いたことがなかった。実際にやってみると、論文を書くという作業は、研究そのものよりも辛いことが多く、楽しいことは少なかった。知識の最先端に立ち、そこになにか新しいパターンを見つけ出そうという作業は魅力的で胸躍る経験だったが、机に向かって頭を整理し、それを紙に書いていくのは、それとは全く別の作業だった。誰かが言っていたように、論文を書くというのは、新しい数学を発見するというスリルを味わってしまったがゆえに受けなければならない罰なのだ。これほど厳しい罰を受けたのは、これが初めてだった。

ゲルファントは若い物理学者のヴラディミール・カザコフに、いわゆる「行列モデル」に関する彼の仕事について一連の話をさせていた。カザコフは量子物理学の手法であるこのモデルを新しいやり方で使うことにより、数学者が、より一般的な方法では得ることのできなかった深い数学的結果を得ていたのだ。・・・この一連の講義が行われていた時、ジョン・ハーラーとドン・ザギアーの論文が出た。その論文の中でハーラーとザギアーは、組合せ論の非常に難しい問題に、美しい答を与えていた。ザギアーは一見して難攻不落のように思われる問題を解決することで名を馳せた人物で、仕事も早かった。噂によれば、ザギアーはその問題を六ヶ月で解き、そのことをとても誇りに思っているとのことだった。・・・ゲルファントは彼に、ハーラーザギアー問題を、行列モデルに関する彼の仕事を使って解いて見るように言った。カザコフの方法は、このタイプの問題を解くために使えるということを、ゲルファントは直感的に理解したのだ。そしてゲルファントは正しかった。カザコフはハーラーザギアー論文のことを知らず、それについて聞くのはこれが初めてだった。カザコフは黒板の前で二、三分ほどそれについて考えると、彼の方法を使って答えを導くために必要な、場の量子論ラグランジアンを書き下したのである。聴衆はひとり残らず仰天した。だがゲルファントは違った。

「ヴォロージャ、君は何年ぐらいこのトピックについて仕事をしてきたのかね?」

「さあどうでしょう、六年ぐらいでしょうか」

「じゃあ君は、この問題を解くのに六年と二分かかったわけだ。それに対してドン・ザギアーは、六ヶ月で解いた。ザギアーの優秀さがわかろうというものだな。」

とはいえこれぐらいは、他のケースに比べれば穏やかなジョークだった。こんな環境を生き抜くためには、人は図太くならなくてはいけない。

 ゲルファントは自分のことを、数学におけるモーツアルトだと思っていると言った。「大概の作曲家は、作曲した作品によって記憶されている」と彼は言った。「しかしモーツアルトは違う。彼を天才たらしめているのは、仕事の総体なのだ。同じことがわたしの数学上の仕事についても言える。」

ゲルファントは、長きにわたり未証明のままだった有名な予想を、何一つ証明していない。だが、総体として彼のアイディアが数学に及ぼした影響には、驚くべき物がある。さらに重要なことには、ゲルファントは数学のどの分野が最も面白いのか、そしてこの先発展が見込めるかについて、鋭い直感を持っていた。また、美しい数学を見ぬくセンスに恵まれていた。数学がどの方向に進んでいくかを言い当てる能力において、彼は予言者のようだった。

「興味深い、しかし、なぜこれが重要なのかね?」

相異なる根を持つn次多項式の判別式を考えると、その判別式のファイバーのトポロジーを記述するためにわたしの結果を使うことが出来て・・・

「ミーチャ、この雑誌を購読している人の数を知っているかね?」

「いいえ、知りません」

「千人以上はいるんだよ。毎号、雑誌が出るたびに、君は購読者のところに出向いて行って、この論文が何の役に立つのかを説明するのかね?それは無理だろう?論文にそれをはっきり書くことだ、いいね?その点を別にすれば、この論文はなかなか良さそうだ。」

谷山に関する試作に満ちたエッセーの中で、志村は次のような意外な発言をしている。

 『彼は決してずさんというわけではなかったが、たくさんの間違いを犯す、それもたいていは正しい方向に間違うという特別な才能に恵まれていた。わたしにはそれが羨ましく、真似しようとしてみたが無駄だった。そうして分かったのは、良い間違いを犯すのは非常に難しいということだ。』

この経験が、わたしの勉強スタイルを形作った。それ以来わたしは、一つの資料だけですませるのではなく、手に入る限りの資料を探しだして、片っ端から読むようになったのだ。

 教師になるとは、なんと難しいことなのだろう。いろいろな意味で、それは子供を持つことに似ている。もちろん、その経験から途方も無く大きいものが得られることもあるだろう。しかし、学生たちをどちらの方向に導くかを、どうやって決断すればよいのだろう?助け舟を出すのか?どの時点で、深い溝に突き落として、自力で泳ぐことを学ばせるべきなのか?教育は、一つの芸術である。人に教える方法を、あなたに教えられる者はいない。・・・ボーリャはどういうわけか、わたしが次に何をしたいのかを、自分自身で理解していると感じさせてくれた。そして彼がそばに居てくれたおかげで、わたしはいつも自分が正しい路線にあると感じることが出来た。彼を先生に得ることが出来て、わたしはとても幸運だった。 

数学の大統一に挑む

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