経済学は悲しみを分かち合うために――私の原点

経済学は悲しみを分かち合うために――私の原点

経済学は悲しみを分かち合うために――私の原点

 

私は社会科学では、研究者は茫漠としてではあれ、自己の人間観なり、社会観なりを選び取らざるを得ないでのはないかと考えるようになった。というよりも、研究者が自己の自由な選択で、自己の人間観を選び取るからこそ、研究者は自己の学問に対する歴史的責任を引き受けなければならないのだと自覚するにいたったのである。

 

いかなる演技をしていても、その人間をその人間たらしめている「点」があり、それには変わることがない。人間は妥協することなしには生きてはいけない。しかし、妥協は人間の「点」を失わない限りのものであって、人間の「点」を失うような妥協は、もはや妥協ではないのである。

 

研究者は知的技術者ではない。知的技術者は自分の習得した知識を売り歩くことを職業としている。これに対して研究者は、真理に忠実に生きる殉教者でなかればならないのである。