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経済数学の直観的方法 マクロ経済学編

 日本の経済学部を眺めると、筆者にはどうも経済学部の学生が置かれている状況が、江戸期の和算家と似ているように見えなくもない。つまり天体力学こそいわば微積分の魂だったのだが、経済学部では、天体力学の話は文系には馴染みがないとして下手にそれを省略することで、これが魂のないテクニックにしか見えず、かえって話の理解を難しくしているように思えるのである。

ワルラスなどの体系はあまりにもニュートンの力学を経済学に移し替えただけの一種の単なる翻訳に過ぎず、どこにもオリジナリティが感じられない、という意見が多い。そしてもう一つ重要なことがあり、それらは実は天体力学と違って、本格的に微積分を使えてはいないのである。特に、・・・「微分方程式」を駆使することがほとんどできておらず、この点で一挙に評価が下がってしまっている。

ケインズ経済学・・・彼には古典派のようなミクロ的な均衡原理を基礎に、あらゆる時代、あらゆる局面で使える経済の統一理論を作り上げようという意思自体が最初から希薄である。・・・彼の言葉に「経済学には、モデルに即して考えるサイエンスの部分と、現在の経済状態にはどのモデルが適合するのかを見抜く「アート=術」の部分がある。そして全社の部分に関しては人材を量産できるが、後者は希少な才能によるしかない」・・・ケインズの場合、とにかく今現在、国や社会が抱いている経済問題を解決するために、いわば一回限りの理論を作れればそれで良い、というスタンスが根底にある。・・・一回限りで使い捨てにするには惜しいほど、深く経済メカニズムの本質をついたものが相当含まれていたため、結果的に理論全体が一種の普遍的な体系として残り、それがケインズ経済学と呼ばれるようになったと言える。

 理系側の人間には先程のルーカス批判での「理論の結論が政策トッして公表されてしまうと、それが理論の前提となるデータを変えてしまう」という話が、量子力学不確定性原理での観測が実験対象を変えてしまうという話に何か似ているという印象がある。

生成装置であるラグランジュアンの式は、できるだけ冗長であるほうが望ましい。実際それが冗長であるほど、それをいろいろな角度からいじって何個もの式を生み出すことが出来るからである。

ラグランジュアンは何かを最小化するという思想からスタートしているのに対し、ハミルトニアンは何かを常に一定不変にするという思想がベースとなっている。

 西洋代数学ならそれ1個を覚えればよいのだが、和算の場合、鶴亀算や植木残などをそれぞれ別の理論としていちいち覚えねばならず、簡略化ということが不十分にしか行われていなかったのである。

思考経済・・・最小の知識で最大限の事象を理解する・・・記号の簡略化は、時に難しい方程式を解くより大きく数学を発展させることがある。・・・クラウゼヴィッツ「知識を単純化した人を天才と言う」

経済数学の直観的方法 マクロ経済学編 (ブルーバックス)

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