史上最大のボロ儲け

  • 「処世術は教えてくれる。誰もが知らない方法で成功するよりも、誰もが知っている方法で失敗するほうが、周りからとやかく言われないことを」ジョン・メイナード・ケインズ

 

  • ポールソンはシャンパンのボトルをスタッフに回し、自分の分をグラスに注ぐと、それをスタッフの前に高々と掲げた。その顔は光り輝いていた。あるスタッフによれば、こんなにうれしそうなポールソンの姿を見たことはなかったという。ポールソンはスタッフを称えて乾杯すると、事務職員など普段光の当たらない従業員を激励した。「みんなに感謝したいんだ」ポールソンは部屋を眺め渡すと、会社の幹部や管理職の視線をとらえて言った。「最高の年だったな」
  • 拍手喝采にオフィスがどよめいた。スタッフはさらに金を稼ごうとすぐに仕事に戻っていった。
  • 数日後、ペレグリーニは妻を連れてアンギラに旅行に出かけた。大晦日、妻は現金を下ろそうとホテルのロビーにあるATMに立ち寄り、口座の残高を確認した。
  • 妻は思わずぎょっとした。目の前の画面にはこれまで見たこともないような数字が表示されていた。少なくともATMで目にする数字ではなかった。ほかの人でもそうそうお目にかかれる数字ではない。夫婦の共同口座に新たに4500万ドルもの振り込みがあったのだ。一部の繰延給与を含め、それがこの年のペレグリーニのボーナスだった。ポールソンにとって、ペレグリーニはいまだに特別な存在だったというわけだ。
  • いや、実を言えばそれだけではない。ペレグリーニは、その年の税金を支払うために必要以上の額をボーナスから天引きしてもらっていた。そのため、口座に振り込まれていた額は、実際のボーナスよりも少なかった。実のところポールソンは、2007年のペレグリーニの仕事に対し、およそ1億7500万ドルを支払っていたのだ。これでペレグリーニは、職の維持や職探しに神経を使う必要がなくなったばかりか、生活費の心配が一切なくなった。
  • 「ワオ」妻は静かにそう言うと、しばらくATMを見つめていた。やがて夫婦はその場を去り、手に手を組んで、近くのサン・バルテルミー島まで連れて行ってくれる貸し切りパートへと向かった。
  • 一方ポールソン自身もかなりの報酬を手にした。会社は、すべてのファンドの利益およそ150億ドルの20パーセントを取得できることになっていた。それにポールソン自身、クレジットファンドに多額の出資をしていた。その結果、2007年にポールソンが手にした額はおよそ40億ドルに達した。一年間に支払われた額としては金融史上最大である。