幸福の「資本」論

幸福の条件 

  1. 自由
  2. 自己実現
  3. 共同体=絆

3つのインフラに対応

  1. 金融資産
  2. 人的資本
  3. 社会資本

地方のマイルドヤンキーたちは友達を社会資本にしていること

 

日本社会は(おそらく)人類史上はじめて、若い女性が体を売りたくても売れない時代を迎えたのです。

金融資産と社会資本をほとんど持たずに地方から都会にやってきた若い女性の中に、唯一の人的資本であるセックスすらマネタイズできない層が現れました。

最貧困女子の誕生です。

最貧困女子を生み出す原因となったのが風俗嬢の大量供給

風俗の仕事が若い女性たちに認知されたのは、獲得した顧客に応じて収入が増える実力主義・成果報酬の給与体系で、出退勤や労働時間、休日を自由に決められる完全フレックスタイムだからです。これはグローバルスタンダードにおける最先端の働き方

最貧困女子・・・彼女たちのセイフティネットは福祉団体やNGOではなく、ヤクザやブローカー、売春業者などが提供しています。なぜなら、搾取するためには生かしておかなければならないのですから。

 

 マイナス金利の世界では、賢い人は利得を最大化するために金融資本よりも人的資本を有効活用する、すなわち働くのです。

 

 大手企業の採用責任者が見ているのは、その学生が「興味の持てない仕事、裁量権のない仕事、希望していない地域での勤務」を命じられても、組織の中で縁の下の力持ちの役割を果たせるかどうかなのです。・・・有能だが個性的な人材は真っ先に選考から外されるのです。

 

学歴には基礎的な知能を証明する以上の価値はなく、大学での成績は入社後は一切考慮されず、すべての新入社員が同期として横一線に並ぶのはこれが理由です。大学院の修士を出ても学部卒と同じ扱いで、博士は年齢が高いのと扱いを別にしなければならないことで嫌われ、そもそも入社できません。

そんな新入社員が、メンバーシップ型の組織の中で、それぞれの伽藍に最適化されたゼネラリストになることを要請されるのですから、こうした仕事環境からプロフェッショナルが生まれてこないのは当たり前です。

知識社会化が進むにしたがって、当然のことながら、仕事に要求されるプロフェッションのレベルは上がっていきます。しかし日本の会社はゼネラリストで構成されており、プロフェッショナルを養成する仕組みを持っていません。

年功序列・終身雇用の日本企業では、プロジェクトの責任者を外部から招聘したり、中途入社のスタッフだけでチームを作るようなことができないからです。そのため社内の乏しい人材プールから適任者を探そうとするのですが、そんな都合のいい話があるわけがなく、スキルや経験、知識のない人間が集まる「不適材不適所」の現場の混乱を長時間労働マンパワーでなんとか切り抜けようとし、パワハラとセクハラが蔓延することになるのです。

 

高度プロフェッショナル労働制

多くのサラリーマンが、「スペシャリストもバックオフィスも正社員ならみな平等」というこれまでのぬるま湯が破壊されることを嫌っているからです。

これまで正社員の既得権に安住してきたバックオフィスのサラリーマンがこの法案に反対するのは当然です。

スペシャリストのサラリーマンまで法案に反対しているのはなぜでしょうか。

そもそも日本の会社には、スペシャリストなどいないのです。そんな彼らにとって、「スペシャリスト的な仕事が優遇される法案」など何の意味もないばかりか、自分になにひとつ「スペシャル」なものなどないことが暴露されるだけなので、彼らが必死に反対するのもやはり極めて合理的なのです。

 

疫病のように蔓延するブラック企業は例外ではなく、低成長に苦しむ日本経済が発見した経営イノベーションであり、日本的雇用の歪んだ構造が生んだ直系の子どもたちなのです。

 

日本の会社の終身雇用は、その実態を見れば、超長期雇用の強制解雇制度です。退職金とは、定年後のまともな仕事を放棄する代償でもあるのです。

 

ひとは「好きなことしか熱中できない」

嫌いなことはどんなに努力してもやれるようにはならないのです。

私たちが自分にあったプロフェッションを獲得する戦略はたった一つしかありません。それは仕事の中で自分の好きなことを見つけ、そこにすべての時間とエネルギーを投入することです。

 

 画期的な商品やサービスを生み出そうとすれば失敗する可能性も高くなりますが、雇用の流動性がない(伽藍の)会社では、いったん失敗した社員は生涯に渡って昇進の可能性を奪われてしまうのです。

大きなリスクを取ってイノベーションに成功したとしても、成果にふさわしい報酬を与えられないことです。「正社員の互助会」である日本の会社では、一部の社員に役員や社長を上回る高給を支払うことができません(この矛盾は発行ダイオードの発明を巡る訴訟で明らかになりました)。

このように日本的雇用制度は、「リスクを取るのはバカバカしい」という強烈なインセンティブを社員に与えています。

経営者自らが大きなリスクを取ってイノベーションを目指すことです。

カリスマが去って官僚化した企業からはイノベーションは生まれません。

 組織の取引コストを教区台化させた大企業はイノベーションを放棄して、ベンチャー企業に投資し、成果が出れば買収しようとします。

 

35歳までにやらなければならないのは、試行錯誤によって自分のプロフェッション(好きなこと)を実現できるニッチを見つけることです。

 

老後とは人的資本をすべて失った状態のことです。

 

個人の人生においても金融資産(貨幣空間)と社会資本(政治空間)は原理的に料率不可能です。富(金融資産)が大きくなると、全ての人間関係に金銭が介在するようになって友情は壊れていきます。地方のマイルドヤンキーが友情を維持できるのは、全員が平等に貧しいからです。

 

日本の社会は、ムラ的な間人主義に最適化され、そこから「やりがい」を生み出すようになっています。会社に滅私奉公することを「幸福」と感じるサラリーマンの感覚はその典型です。

しかしリベラル化する世界でこうした「間人の幸福」は古臭いものになり、自己決定権を持つ「個人の幸福」へと価値観は変わりました。それにもかかわらず、日本の社会は複雑なコンテキストで覆われたベタな政治空間のままで、「自由」な人生を生きることはできず、旧態依然とした「間人の幸福=伽藍の中でのやりがい」を強要されています。

これが、サラリーマンが会社を憎悪する理由であり、現代日本の「閉塞感」の正体なのでしょう。

 

アマゾノミクス

 かつて「情報に基づく意思決定」という言葉がよく使われたが、今ではデータ量があまりに膨大すぎて、人生において何らかの意思決定をするとき、すべての情報に目を通すことはできない。われわれの抱える問題やニーズの解決に役立つデータを活用するには、ツールが必要だ。

われわれが自らの意思決定にまつわるトレードオフをこれまで以上に理解できるうように、データを収集、結合、分析することには合意してもいいだろう。

トレードオフを評価するには、人間の判断が欠かせない。

 

データの対称性の原則に基づけば、おカネを支払った顧客側にも通話記録を確認できるようにすべきである。

 

 精製された石油は、産業を支える機械の燃料になり、また現代経済を支えるほとんどの製品の製造で使われてきた。同じように生データ自体はあまり役に立たない。データに価値を付与するのは、データを統合、分析、比較、選別し、新たなデータ製品やサービスとして流通させるデータ精製会社である。石油が産業革命以後の社会を支えた装置の燃料となったように、精製されたデータはソーシャルデータ革命を支えるインフラの燃料となる。

 

ニューヨーク・タイムズ記者のチャールズ・デュヒッグは、ある若い女性が大手小売チェーンのターゲットで買い物したところ、その履歴をもとにターゲットのアルゴリズムがマタニティグッズの案内を自宅に送りつけた、という興味深いエピソードを書いている。女性の父親は激怒した。だがその数日後、女性は父親に妊娠している事実を打ち明けたと言う。ターゲットのアルゴリズムの判断が正しかったわけだ。

 

現在の法律や社会規範は、データが足りないという前提に基づいてつくられている。たとえば保険は、十分な情報がないために作られた。

生成されるデータ量が増えるに連れて、今後は個人レベルんでリスクを予測できるようになり、個人別に保険料を変えられるようになる。

目をつぶってデータなど存在しないと頑なに言い張るのも一つの選択肢だ。その一方、データが存在することを認め、それによってわれわれの生活をどう変えていくべきか考えるという選択肢もある。我々は情報という新たな資源を使って、どのような世界を創りたいのか。

 

個人データの金銭的価値は、あなたがそれに付与する感情的価値とはまったく違う。・・・何百万という人々のデータを統合し、分析することによって初めて、有益な相関性やパターンが見つかるのだ。そこから一人分の個人データがなくなったとしても、データ企業は残りのデータから同じ結論を導き出せるだろう。個人の方はサービスを享受する機会を完全に失う一方、データ企業の方は失うものは実質的にゼロだ。

 

データ・リテラシーを身につけるというのは、データ会社による推奨はあくまで確率論であり、あらゆる意思決定にはリスクとリターンのトレードオフがつきものだと理解することだ。膨大なデータがあり、不確実性はきわめて少ないと思われるときですら、それは変わらない。データ会社はあなたに変わって意思決定をするのではなく、誤りのリスクを排除し、あなたが膨大なデータの恩恵を享受できるようにするべきだ。

 

私がアマゾンにいた頃、顧客が商品を閲覧してから、実際に購入するまでのタイムラグに注目したことがある。・・・タイムラグがマイナスというケースだ。

結局アマゾンのコンピュータの内一部がアメリカ太平洋標準時に、他のものはグリニッジ標準時に設定されていたことが明らかになり、ようやく八時間のタイムラグはさまざまなクリックに異なる標準時が適用されていたために人為的に生じたものであることがわかった。

 

ユーザーが最も重視するのは、(レビュアーが実名を使用しているかどうかではなく)、レビュアーがレビュー対象の商品を実際に買ったか否かをアマゾンが示すことだとわかった。

 

 Netflixは、特定のカテゴリーの映画に対するユーザーの興味を示すもっと正直なシグナルは、視聴を中断するまでの時間であることに気づいた。つまり何を推奨するか決めるうえでは、作品の評価データより視聴データのほうが参考になる。これはリチャード・ニスベットが指摘した現象だ。人は自らの行動や意思決定の背後で、どのような認知プロセスが働いているかを分かっていないことが多い。つまり、われわれの自己認識や内省能力は限られている。

 

人間は主に自分の失敗や成功を基に学習し、それを自らのソーシャル・ネットワークに所属する人々の失敗や成功で補強する。専門家のアドバイスからも学習する。それとは対照的に、機械は自らの失敗から直接学ぶだけでなく、ネットワークにつながったすべてのマシンの失敗から学んでいく。

 

ケン・ロビンソン・・・TEDトーク『学校が創造性を殺す』

www.ted.com

これは工場労働者を育成するためのシステムだ。工場ではルールを破り、、リスクを取ることは高くついた。

ソクラテスにとっては、生徒に答えを教えることより、優れた問いの立て方を教えるほうが重要であった。検索エンジンがたいていの質問に答えを導き出せるようになった今日、ソクラテスの考えはますます妥当性を持つようになった。

ハーバード大学の物理学教授、エリック・マズール「事実を忘れることがあっても、考え方を忘れることはない

アマゾノミクス データ・サイエンティストはこう考える

アマゾノミクス データ・サイエンティストはこう考える

 

 

ちょっと今から仕事やめてくる

 一方俺は、その人間力とやらが自分には備わっていると思っていた、ただの阿呆だ。社会というものを完全になめていた。

 

いいか、この世界は数字の取り合い、蹴落とし合いなんだよ。入って半年の新人に大型契約なんて取られたらなあ、俺はその倍の数字を期待されるんだ。お前には緊張感が足りないんだよ。誰でもすぐ信用して、綺麗事並べて。それでやっていけるような世界じゃないんだよ。

 

漫画201804

銀河英雄伝説

9巻で書いた年表の8がメイン、次巻はいよいよ連戦連勝のラインハルトにとっての転機となるリップシュタットですね。

  1. 第六次イゼルローン(794/485)
  2. 第六次イゼルローン
  3. 第六次イゼルローン、第三次ティアマト(795/486)
  4. 第四次ティアマト(795/486)、アスターテ(796/487)
  5. 第七次イゼルローン(796/487)
  6. カストロプ動乱(796/487)
  7. 帝国領侵攻(796/487)
  8. アムリッツァ星域会戦(796/487)
  9. リップシュタット戦役

 約束のネバーランド☆☆☆☆

 こういう話の展開なんですね、いい意味で意表を突かれました。焦点ぼやけてくるとか言ってごめんなさい、面白いっす。

 斉木楠雄のサイ難☆☆☆

 次巻で完結ですね。最後に佐藤くんの使い道を発明したのは流石でした。

斉木楠雄のサイ難 25 (ジャンプコミックス)

斉木楠雄のサイ難 25 (ジャンプコミックス)

 

 転スラ☆☆☆

ストーリー的に大きな盛り上がりはないですが。

転生したらスライムだった件(7) (シリウスコミックス)

転生したらスライムだった件(7) (シリウスコミックス)

 

Dr.STONE☆☆☆

 相変わらず面白いけど、文明進んでいくとどんどん読者の知性が試される展開になりそうですね。今回もかなりスキップしちゃってるし。副読本や解説動画なんかもセットで展開しそうな笑

Dr.STONE 5 (ジャンプコミックス)

Dr.STONE 5 (ジャンプコミックス)

 

宇宙兄弟

 漫画なので波乱がないといけないのは分かるんですが、たまには穏便に終わってもいいのでは笑。

ダンジョン飯☆☆

 数巻前あたりから当初のコンセプトとは打って変わり、ダンジョン探訪みたいになってますね。作者の関心が変わっていっているようにも感じます。面白くないわけではないわけですが、この路線は外伝でやってほしかったです。

 東京カリニク鉄砲隊☆☆☆☆

 山賊~とはまた違って、より現実味がある狩り漫画(山賊の作者は野性味溢れすぎていて都会っ子には参考にならない)、キャラも色々出てきて楽しめました。というか嫁が可愛すぎる。

東京カリニク鉄砲隊 (角川コミックス・エース)

東京カリニク鉄砲隊 (角川コミックス・エース)

 

鬼灯の冷徹

 

ファミリアクロニクル☆☆☆

 過去編突入、あっという間に読み終わりました。ストーリーに意外性はないですが、スピンオフなのでこんなもんで充分じゃないでしょうか。

無職転生☆☆

 新展開と飲酒回

異世界でカフェを開店しました☆☆

女子向け異世界もの、個人的には少し辛くなってきた。

異世界でカフェを開店しました。5 (レジーナCOMICS)

異世界でカフェを開店しました。5 (レジーナCOMICS)

 

ハイスコアガール☆☆☆☆

 相変わらず悔しいほど面白い秀逸なラブコメ、ギャグパートも最高

君に届け☆☆

無事完結、おめでとうございました。

不滅のあなたへ☆☆

 1巻だけ読んで合わないなーと思ったので敬遠していましたが、評判がいいので最新刊までまとめ読み。アルジャーノンに~を想起させる凝ったプロットだなとは思うものの、ちょっとまだハマれていない。

 

 

 

 

デジタルエコノミーはいかにして道を誤るか

全体的に広く浅くの議論で、いかにもジャーナリストの人が書いたような本、第二部まで読んでストップしました。

 

いまだ果たされていないのは、労働時間をまんべんなく引き下げられるように生産の成果を均等に分配することだ。それが実現できていないのは、政治的に非常に難しいからである。労働と再分配の持続可能なバランスを編み出すのは想像を絶するほど難しい。特権を享受する富裕層は貧困層を支えるための金銭的負担をしたがらない。

現代の富裕層は自力で財産を築いたものが多く、所得階層の最底辺の人々より長時間働く傾向が強い。その大半が努力してスキルを磨き、リスクを取って、キャリア形成をし、仕事に長時間捧げてきた。どれが欠けても高所得は得られなかったはずだ。

個人の努力に意味がないと言うつもりはない。個人の努力はとても大事だ。だが、個人の努力によって生み出された富は100%、その努力を発揮できた社会のおかげである。 

世の中に富を生み出す側と享受する側がいるという考えは、富が築かれる社会的基盤を無視している。

 

免許が参入障壁となってその分野のプロの希少性を守り、免許がなかった場合よりも報酬を高く保つことにつながっている。しかし免許は濫用されるきらいがある。2012年にルイジアナ州の修道士グループが収入の足しにと手作りした木製の棺を販売しようとしたところ、葬儀施設の免許がないという理由で許可されなかった。

 

アセモグルとロビンソンの著作は、投票権の拡大は社会不安や革命といった更に危険な結果が生じる可能性を深く憂慮した政治階級による理性的判断だったと結論付けている。

  

 Vox・・・複数のウェブメディアを所有するもっと大きなメディア企業、Voxメディアの傘下で運営されている。Voxには創業時にいくつかの戦略資産があった。1つ目はChorusという同社のよくできたコンテンツマネジメントシステムで、このおかげでVoxは革新的な新しい形で記事を見せることができた。

今後長きにわたって生き残れるかどうかにはそれ以上のものが関わってくる。生き残るには文化が必要だ。成功する起業家は事業の成功を助けてくれる文化を築く。

デジタルエコノミーはいかにして道を誤るか

デジタルエコノミーはいかにして道を誤るか

 

 

Do Academic Journals Favor Researchers from Their Own Institutions?

  • In a recent study, we find that two international relations (IR) journals favor articles written by authors who share the journal’s institutional affiliation. We term this phenomenon “academic in-group bias.”
  • In academia, citations are considered a marker of quality — the more citations a paper receives, the higher quality it is assumed to be. If papers written by researchers from Blue University and published in the Blue Journal get fewer citations than papers written by researchers from Red University and published by the Blue Journal, this could signal that the Blue Journal was willing to lower its standards for its own researchers; this could then indicate in-group bias.
  • Our results confirm the existence of academic in-group bias. When published in Harvard- or MIT-related journals, articles published by graduates of Harvard and MIT receive roughly 60% fewer citations than papers written by out-group scholars. This difference is statistically significant and very large in magnitude. It’s also in contrast to what we see when we look at the control group journals. In these journals, Princeton authors get roughly the same citations as the out-group authors, while Harvard and MIT get more citations.
  • What harm can academic in-group bias create? First, it can tilt tenure decisions and other promotions based on an academic’s publications. Some competent scholars might lose while others who are less competent might benefit. This adverse effect can be minimized if the field incorporates this bias into its decision-making process, putting less weight on publications of in-group members in the home journals and assigning more weight to publications of out-group members.

hbr.org

 

References

Editorial Bias in Legal Academia | Journal of Legal Analysis | Oxford Academic

Favoritism versus Search for Good Papers: Empirical Evidence Regarding the Behavior of Journal Editors

https://www.journals.uchicago.edu/doi/abs/10.1086/261927?journalCode=jpe

 

競争社会の歩き方 - 自分の「強み」を見つけるには

競争のそれほど激しくないアマチュアレベルなら、一人の強者が全てにおいてトップを独占することができる。しかし、プロレベルの熾烈な競争のもとでは、自分のもっとも得意なものに特化し集中しないかぎりトップを取ることはできない。

競争の促進は、それぞれの長所を見出し、それを活かす方向へと人々を導き、結果として独占を阻止する契機となるということだ。

 

競争のメリットを享受するのは、競争している本人ではなく、競争の結果より良いサービスや商品を手にできる消費者である。競争している当事者には直接的なメリットは少ない。関税撤廃による生産物の品質向上と価格低下というメリットを受けるのは、日本の消費者一人一人である。メリットの総額は、競争のデメリットの総額を上回るので、損をした人に所得補償をしてもお釣りがでる。これが経済学の常識である。

 

激しい競争に身を置けば、自らの強みを発見できる可能性が高まることだ。競争は勝者と敗者を生み、厳しく辛い面もあるが、競争が繰り返された結果、自分が真に活躍できる場を見つけられる確率が高まるのであればそれは喜びとなるはずだ。誰でにでも得手不得手がある。不得意な分野で消耗戦を続けるのは、本人にとっても社会全体にとっても不利益でしかない。

誰が一番優れているか、誰が一番私たちの要求に答えてくれるかあらかじめわからない場合、それを見つけ出すための装置としての役割が競争にはある。・・・ハイエクは競争をそのようにとらえた。

日本の労働市場では、大学卒の高学歴者も競争を避けて保身に回るという傾向がますます強まっている。・・・IT化の進展で、中間層のホワイトカラーの仕事はどんどん少なくなっている。二重の意味で日本人の従来型ホワイトカラーは供給過剰である。人口減少の進む日本の国内市場で、国際競争力の薄れた日本人高学歴層の雇用を支え続けられなくなるのは、時間の問題であろう。

個人も企業も、競争のプレッシャーから自分だけが逃げ切ろうとしていては、社会は衰退するばかりである。

 

チケット転売は、価値を生み出す正当な行為だからだ。チケットが高額であっても、売り買いする人は、その取引でどちらも便益を受けている。

チケットがどのくらいほしいのか、的確に表す一つの指標は、そのチケットを手に入れるために、最大いくらの金額を払ってもいいか、という数字だと経済学者は考える。

本当にチケットがほしいファンに、チケットが行き渡らないのは、チケット転売がない抽選制なのである。

行動経済学・・・多くの人は売り手が需要超過であることを理由に価格を引き上げることをフェアだと考えないのだ。

転売市場での価格は、所有効果のために、供給過小になって価格が高くなりすぎる可能性がある。

抽選によるチケット配分は非効率であることは間違いない。

 

他店価格対抗広告・・・暗黙の共謀

広告の狙いは、ライバル店の価格戦略を変更させることにある。

顧客に対して必要以上に値下げせずに済むよう、ライバル店に対して価格競争をするなというものであり、もし価格競争をしかけたら、お互い損をするように罰を与えるというものなのだ。

 

くまモンの戦略は、キャラクターの使用料を無料にしたという点である。

熊本県の関連商品や宣伝にしか使えないという制限を加えたのである。

二部料金制に近いものである。・・・固定料金と従量料金で成り立っているような価格体系

熊本県の戦略は、熊本の宣伝をするという固定費用を企業に払ってもらって、くまモンのキャラクター使用料という従量料金を無料にしているというものだと解釈できる。

キャラクターを普及させるということと、、熊本県の宣伝をするということを両立させる戦略だ。

現状維持バイアス・・・一度利用すると、そのキャラクターの利用を中止することは案外難しかったりする。

 

 アメリカ、ドイツ、フランスの憲法には、納税が国民の義務だとは書かれていない。

アメリカ合衆国憲法・・・国債の返済、防衛、福祉のために国が徴税する権限をもっていると税の存在理由が明記されている。・・・防衛に代表されるものはいわゆる公共財と呼ばれるものだ。公共財とは、誰かがその費用を負担すれば他の人はそれにタダノリできるので、強制的に税金で費用を徴収しないと過小にしか供給されないタイプの財でである。福祉は所得再分配であり、民間ではうまく機能しない。

民間では成り立たないサービスなので、国が税金をもとに提供する必要があるのだ。

 国が全員加入の貧困保険を強制保険として行っているのが、福祉制度だと解釈することができる。その国営保険料が、税金である。国民の全員加入でないとこうした保険は成り立たないので、支払い義務がある税金を原資として保険制度を組み立てているのである。

 

日本では、土地公有は失敗し、荘園という私有地が発生した。武士という名の開梱地主も発生した。「要するに、競争の原理が、日本の仮想ではつねに作動し続けていたということであり、いかに中国・朝鮮式の先生を輸入してもその原理を圧殺することはできなかったということである」と指摘している。

競争を全て悪として停止せしめた江戸体制時代にあっても、開梱と干拓ばかりは諸藩が競争してそれをやった。たとえば長州藩のごときは三六万九千石高でありながら、江戸初期以来瀬戸内海岸の干拓を続けてきたために幕末にあっては実収百万石といわれた。

 

独占というのは、独占されると価格が高くなること(だけ)が問題なのではなく、独占された市場では財やサービスの質が低下したり、供給量が低下したりすることが問題なのだ。「一組だけしかおらんかったら、絶対にそんな面白くなってない」という一言で独占の弊害を説明するのは流石だ。

 

 経済学的には、金銭的・非金銭的な負担をともなわない謝罪はチープトークと言われ、関係者にもともと利害が一致する部分があるような場合を除いて、相手に信頼されないと考えられている。言葉だけの謝罪そのものが有効ではないはずなのに、有効な場合があるのはどうしてだろうか。

丁寧な謝罪文のほうが、少ない金額でまともな謝罪がないよりも人々は許してくれるのだ。

 

謝罪法(sorry law)

医療事故が起きた場合、ごめんなさいと謝ってもそれが訴訟における証拠とはならない、後で訴訟となっても誤ったことから不利にはならない、という法律だ。

アイムソーリー法が通った州では、医療過誤の訴訟は、19-20%早く和解して、訴訟数自体も16-18%も低下したとのことだ。従って、謝罪するということは、社会的なコストを下げることにつながっているので、経済学的に見ても合理的だといえそうだ。

  

ストレスが高くなり、ストレスホルモンが高い状況が続くと、私たちのリスク回避度が高くなることによって、新しいことに挑戦したり、リスクの大きな投資が抑制されたりする可能性がある。そうであれば、自然災害や経済変動リスクにさらされるということは、技術革新を抑制し、生産性の伸びを小さくしてしまうということだ。

日本人がリスクを取らない傾向があるとすれば、こうした自然環境にも一因があるのかもしれない。

 

 ゴルフで損失といえば、パーを取れなかったことが当てはまる。プロゴルファーは、パーを取れなくなることを極端に嫌うため、パーパットに集中する度合いが、バーディパットに集中する度合いよりも高い。・・・バーディパットの成功率はパーパットの成功率よりも低いことが統計分析で明らかにされているのだ。

 バーディパットでは、パーパットに比べて、ホールまでの距離より長いパットではなく、短いパット(ショート)を打ってしまうというミスをしがちであるということだ。通常、短めのパットを打つというのは、安全策だと考えられている。・・・利得局面ではギャンブルをしたくないけれど、損失局面ではギャンブルをしがちになるという損失回避行動と整合的である。

損失回避傾向は賞金ランクの上位の選手にも下位の選手にも同じように観察されるということだ。

 

自分たちのほうが中高年よりも技術革新に対応できるのに、どうして就職できないのか。

MITのオーターらの研究によれば、米国で増えている仕事は、対人能力、非定型的な分析的能力といったコンピューターが苦手とするものである。中でも、新しいビジネスのアイデアを考えたり、データを解析してビジネスに活かしたりする非定型的で分析的な仕事が増えている。 日本でも同様の傾向が観察されているが、アメリカほどではない。これは、新しい技術に対応するように日本では組織や仕事を変えていないことが一因だろう。

 

法学はすでに存在する法律をどう解釈するか、それをどう世の中に合わせるかという問いに解を見つける学問だ。ただ、法や制度を解釈するだけでなく、新たに設計する場合には、経済学の思考法、発想が必要になる。法律を作るというと、一般の人にはあまり縁がないように思われるかもしれないが、会社の中で新しいルールを作るということなら身近な話だ。

作られたルールが意図したことと違う結果を生んでしまうことはよくあることだ。・・・経済学は一つの制度を作ることによってそれがどういう影響を及ぼすか、を考える学問であり、あらゆる側面でそればかりを考えている。

 

明治25年(1892)以前の東京の地図には、国分寺から西が東京に入ってない。現在、東京都に含まれている三多摩地域は、明治25年以前は神奈川県に属していたのだ。もし、当時のままなら国立市にある一橋大学は、神奈川県の大学になる。一橋大学の全身である東京商科大学はもともと神田の一橋にあったものが関東大震災で被災し、くにたちに移転した。もし国立市が神奈川県の所属だったとすれば、別の場所に移転していたかもしれない。

三多摩地域が東京府に編入された経緯・・・外部性

明治19年に関東地方でこれらが大流行したこと

横浜で発生したこれらは、東京でも大流行した。東京府内だけで死者数は9879人のも上ったという。この時、これら罹患者が出ていた多摩川上流の神奈川県西多摩郡長淵村(現東京都青梅市)で、住民が多摩川に流したというニュースが流れた。それに花瓶に反応したのが宮内省だった。

多摩川の水は、玉川上水を通じて不眠や、当時の御所(赤坂仮御所)の水道として使われていたからだ。宮内省は直ちに内務省に申し入れをし、内務省の指揮命令系統にあった東京府と警視庁に厳重な取締りを指示した。ところが、水源部の三多摩地域は神奈川県に属していたので、東京府の行政権や警察犬は三多摩地域には直接及ばなかった。大事な東京の水源で不衛生なことが生じても、どうにもできなかったのである。

この出来事をきっかけに、明治26年、三多摩地域は東京に編入された。・・・東京府の面積は倍増したそうだ。つまり、環境汚染という外部不経済を、三多摩地域を東京に編入して管轄下に置くことで解決したのだ。

外部性の肝は、金銭的なやり取りがないという点だ。

 

教育にも外部性はある。しかし、教育を受けた人は、そうでない人よりも、所得が高くなることが多いため、教育を受けることは私的利益のためだと多くの人は思っているのではないだろうか。また、教育を受ける理由は、所得を高くするだけではなく、人生をよくするからだ、と言われることが多い。

教育が私的利益だけを高めるためのものなら、税金から個人の教育費を賄う必要はない。教区が義務化されていたり、公的な支援が行われたりするのは、教育に外部性が存在する体。ある人が教育を受けると、その効果は教育を受けていない人にもプラスの効果を与える。例えば、文字を読める人が多くなると、経済取引が効率的になるだけではなく、企業は従業員の訓練も簡単にできる。高度な教育を受けている人なら、新しい技術を導入することも容易で、自らの創意工夫も業務改善のアイデアも、書類にして全社的に広めていくこともできる。さらに専門的な教育を植えている人達が多いと、全く新しい技術開発をすることもできる。そうしたことの恩恵は、教育を受けた本人だけではなく、社会全体の所得を上げることになるので、本人以外の人たちも便益を受けるのだ。

製の外部性に相当するだけ税金で教育費が賄われれば、教育の投資収益率は高くなり、教育投資は社会的に望ましい水準になる。税金から教育費が賄われる理由は、教育の外部性の内部化によって、教育投資を増やすことにある。

 

日本だと、2012年では上位10%は年収580万円以上、上位5%が年収750万円以上、上位1%が年収1270万円以上になる。

格差が拡大しているから金持ちからもっと税金を取るべきだと思っていた人でも、トップ10%で580万円以上だと聞くと、にわかには信じられないかもしれない。

 

日本の具体的な例を挙げると、医師では、一般の名前の出現率と比べ、旧士族の出現率は5倍、旧華族の出現率は3倍ぐらいとなっている。また、出現率の推移を見ても、医師の場合は1965年から66年で5.9倍だったものが、1989年から90年でも4.69倍で、人世代ほど経過してもほとんど下がっていない。この数値を基にどのくらいの確率で親子の相関が残っているかを計算すると、旧士族で0.8、旧華族で0.6と高い相関が残っているのだ。流動性が高く、平等社会であると思われてきた日本は、意外にも明治時代の格差をいまだに残している。私たちは再分配政策の重要性を再認識すべきではないだろうか。