5万円以下腕時計7選

はじめに

後輩から新社会人の就職祝いに時計をプレゼントしたい、との相談を受けたので、予算5万円以下(実勢価格@2018/3)・メタルバンド・三針を中心に鉄板腕時計7本を時計ヲタが厳選してみました。ぜひ参考にして下さい(お店で試着してからの購入を強くオススメします)。見た目倒しで中身(機構)のいい加減な安っぽい時計ではなく、コストパフォーマンスに優れた中身重視の時計を厳選しています

要望があったので、こちらも書きました。

電波ソーラー部門

時計は駆動方式に応じてクオーツ、機械式(手巻き、自動巻き)に分かれており、電波ソーラーはクオーツの最新進化系となります。電池の交換が不要(寿命はあるが)、サイズが小さく軽い、時間を電波受信で修正してくれるので、遅刻絶対不可の新社会人にはお勧めできる一方、手巻き・自動巻きのように時計の機構を楽しめるわけではありません(時計沼に入りたくなければ関係ないですが)。

SEIKOのBRIGHTZ

こちらがベンチマーク、ややサイズ小さめ・薄めでとにかく軽くて使いやすいです。文字盤の余計な文字がなければ完璧なのですが。

サイズ:縦46mm x 横39mm x 厚さ8.8mm

重さ:76g

 

 

 CASIOのオシアナス

電波ソーラーの代名詞、オシアナスのエントリーモデルです。こちらもTOUGH MVTの文字は余計です。耐磁性では他社に一段劣ると言われているオシアナスですが、僕の観測範囲内で被害にあった人を見たことは無いので、そこまで気にする必要はないと思います。

 サイズ: 45.7×41.5×10.5mm

 重さ:90g

 追記:価格が下がってきたので、追加しました。

個人的にはT150のデザインのほうが、オシアナスらしくエッジが利いていていいと思います。

 サイズ: 45.8×41.3×10mm

 重さ:88g

CITIZENのATTESA

 こちらも定番のATTESA、非常にコスパが高いモデルです。AT6040はこのクラスで一般的なデイトだけでなく、デイデイト表示になっており、機能性も文句なし。文字盤に余計な文字が無いのも嬉しいところ。AT3050はこれだけ詰め込んで5万円切るとは!と驚いたのでご紹介。

 サイズ: -×40×9.4mm

 重さ:90g

 サイズ: -×42.3×12mm

 重さ:95g

 

 

 自動巻き部門

 続いて自動巻きです。電波ソーラーと同じく電池の交換が不要(オーバーホール(OH)が必要;電波ソーラーもOHが必要ないわけではないが、頻度が違う)、サイズが相対的に大きく・厚く・重たい(機構を組み込んでいるので;このズッシリ感がいいんだ!って考え方もできます)、時間を電波受信で修正してくれないので精度は相対的に低い(実用上は問題ない)、そして最大の魅力は時計の機構を楽しめる!ことです。

 SEIKO

こちらがベンチマークSARB033は自動巻き時計導入機の大定番モデルなので、迷ったらとりあえず買っておいて間違いのないモデルです。所有欲を刺激してくれる一本です。

サイズ:縦44.8mm x 横38.4mm x 厚さ11.2mm

重さ:136g

プレザージュはヨーロピアンテイスト溢れるモデル、どちらもキャリバーは定評のある6R15なので間違いなしです。後者の方がややデカ厚で存在感があります。

サイズ:縦43.0mm x 横40.0mm x 厚さ12.9mm

重さ:147-9g

 CITIZEN

近年、高級腕時計の世界で流行している表スケルトンを取り入れながら(買収したFCっぽい?)、落ち着いたデザインで好印象です。今回の中ではやや変化球気味の一本になります。

サイズ:-mm x 横39.6mm x 厚さ11.2mm

重さ:144g

 ORIENT

かつては独立ブランド、現在はセイコーエプソンの子会社であるオリエント、技術力には定評があるブランドなので、信頼できる機械式時計です。このモデルは比較的軽いので取り扱いやすいのも魅力です。

サイズ:縦46.5mm x 横39mm x 厚さ11.0mm

重さ:128g

クオーツ部門
 HAMILTON

 ハミルトンはアメリカ発祥のブランドで現在はスウォッチグループ傘下のブランドです。同グループ内の上位ブランドにはLONGINESやOMEGA、さらにVCがあるので、グループ内でどんどんランクアップさせていく楽しみもあります(時計沼)。視認性が高いパイロットウォッチなので、デザインが好きなら買いでしょう。キャリバーはスウォッチグループ傘下の強みを最大限に活かしたETAのG10.211、2020年のETA問題も安心です。

おまけ

スマートウォッチがよければ、やはりアップルウォッチでしょうか。

機能性はそこまで求めないので、とにかく変わったデザインを(デザイナーさんとかアート系のお仕事)、ということであればイッセイミヤケなんかおすすめです。クオーツはSEIKO製なので、実は中身もしっかりしています。

 

 

 

 

最後の一本は、君と100回目の恋で坂口健太郎くんが付けてたやつです。

異見交論40「国立大学法人化は失敗だ」山極寿一氏(京都大学学長)

  • グローバル時代を迎え、企業は安い人材、また高度な人材を求めて海外へ出口を求めた。日本の大学との連携は全然、進まなかった。いまだに一括採用が横行し、見ているのは大学入学時の偏差値と大学のブランドだけ。

  • 国が大学に求めているものは、前のめり型の国際競争で企業に資する人材育成だ。だから「大学はなっていない」とか「大学の研究力が落ちている」と言っている。研究力といっても、国は論文数しか見ていない。

  • 法人化以来、運営費交付金を削減し、一方で競争的資金を打ち立てるから、研究者はその獲得競争に邁進して、実際の研究時間を減らしている。現状では、明らかに研究者の数と研究時間が減っているのに、企業はますます躍起になって「高度人材育成」「社会に役立つ人材」を求める。政府と企業のミスマッチ、企業と大学のミスマッチが起きているのだ。

  • 研究成果をあげれば、地位の上昇につながる。自分が大きな外部資金を得ることにもつながる。となれば、いきおい研究不正も増える。
  • 一律の指標をもとに財務省から文科省が一生懸命お金を取って、それを実現するという方向になっている。旧ソ連がやっていた計画経済、その失敗例と同じことしているわけだ。こんなことをやって、一体何になるのか。
  • 研究型大学が研究だけに特化することは、公共財であることに反する。総合大学としての大きなミッションは、幅広い教養と幅広い出口を保証することだろう。

kyoiku.yomiuri.co.jp

アルゴリズム思考術

最良の物件に入居できる可能性を最大にしたければ、部屋探しに充てる時間の37%(1ヶ月かけるつもりなら最初の11日間)までは結論を出さずにただ物件を見て回る。・・・37%以降は、それまでに見たどの物件よりも良い部屋に出会ったらすぐさま保証金を払って契約するのだ。これは「見る」と「跳ぶ」を直感的に満足のいく形で折り合わせた答えであるばかりでなく、最適であることが証明可能な解となる。

「最適停止」問題・・・交際相手を選ぶときだ。

 

カール・セーガン「科学は一つの知識体系である以上に、考え方そのものである」

 

 ターキー・ドロップ(感謝祭の別れ)・・・高校時代からつきあっていたカップルが別々の大学に入り、最初の年の感謝祭に帰省すると、四日後に大学へ戻るときには別れているというのだ。・・・自分たちはどのくらいよい関係なのかという、もっと奇妙でもっと哲学的な問いとも闘っていた。

 

最適停止問題として最も有名な秘書問題・・・数学者なら、応募者どうしの相対的な順位を表す序数はわかっても、何らかの一般的な尺度による量的評価を表す基数まではわからないものだ、という言い方をするかもしれない。

最適解は見てから跳べ(Look then leap, Look before you leap(石橋を叩いて渡る)のアナグラム)ルールというものなのだ。

最適戦略に従うと、最良の応募者を採用できる確率が最終的に37%となる。この戦略自体と成功の確率がぴったり同じ数字になるというのは、この問題の示す興味深い数学的対称性の一つである。

応募者が100万人いてもやはり成功率は37%なのだ。つまり、応募者が多ければ多いほど、最適アルゴリズムを知っていることの価値が高くなる。

断られる確率が半々の場合、37%ルールを導き出したのと同様の数理解析によれば、探索をちょうど四分の一まで終えたらアタックを開始する。断られたら次に現れる「今までで最良」の相手にアタックを続け、OKがもらえるのを待つ。

すぐさまアタックすれば確実に受け入れてもらえるが、あとからアタックした場合には二分の一の確率で拒否されるとしよう。この場合、数学的には、候補者の61%に会うまでは様子見を続け、残りが39%を切ってから「今までで最良」の人がいたらそこで決断を下すべきだ。

完全情報のゲームからは意外でいくらか不思議な結果が得られる。恋愛と比べれば金鉱を探し当てるほうがはるかに成功の見込みが高いのだ。つかみどころのない情動反応(すなわち恋愛)を追い求めている人には、経験と比較基準が必要かもしれない。それよりも、収入のパーセント順位と言った客観的な基準で相手を判断している人のほうが、利用できる情報がはるかに多い。

住宅の売却・・・オファーされる価格の範囲がはっきりわかっていて、その範囲内ではどのオファーも等しい確率で生じるというケースだ。・・・この問題で大事なのは、閾値が探索のコストのみで決まるということだ。次によいオファーが来る確率(および探索のコスト)はまったく変化しないので、運や不運は関係がなく、探索の続行に伴って停止価格を下げるべき理由はない。探索をはじめる前に基準を定めたら、後はひたすらそれに従うだけだ。

最適化の専門家であるウィスコンシン・マディソン大学のローラ・アルバート・マクレイ・・・多くの売り手にとって、好条件のオファーを一つか二つ断るというのは気が狂いそうな話だ。・・・本当にとてもきつかったでしょうねー数学が味方をしてくれるということを知らなかったら。

ケプラーの配偶者探しでは見送ったチャンスを呼び戻すことができた点が重要だった。しかし住宅の売却や職探しでは、一度断ったオファーを再検討することが可能だとしても、そしてそのオファーがまだ確実に有効だとしても、決して戻るべきではない。

 

私が思うに、大学の運営上の三大問題は、学生にとってのセックス、同窓生にとっての運動部、教職員にとっての駐車です。カリフォルニア大学学長クラーク・カー

UCLAのドナルド・シャウプ・・・需要に応じて料金の変更が可能なデジタル式のパーキングメーターを設置し(これはすでにサンフランシスコの中心部で採用されている)、目標とする使用率を念頭に置いて料金を設定する。

私たちはシャウプに、車の多いロサンゼルスでUCLAへの通勤を自身の研究で最適化できているのかと尋ねた。世界随一の駐車問題専門家ともなれば、ひょっとして秘密兵器のようなものをおもちでは?やはりもっていた。「自転車で通勤しています」。

 

泥棒問題・・・泥棒が繰り返し盗みを働く機会を与えられる。盗みに成功するたびに稼ぎが手に入り、逃げ切れる可能性は常にある。しかし現場を押さえられたら逮捕され、蓄えた財産をすべて失ってしまう。稼ぎの期待値を最大にするには、どんなアルゴリズムに従えばよいだろう。

逃げ切れる確率を捕まる確率で割った数にほぼ等しい回数に達したら、足を洗うべきである。腕利きの泥棒がいつも90%の確率で逃げおおせるとすれば、90/10=9回やったところでやめるのだ。

 

われわれがー進化や教育や直感によってー実際に最良の戦略に従っているのかということである。一見したところ、答えはノーである。・・・もっとよい選択肢に出会わぬまま、早々と探索をやめてしまう傾向があるらしい。

 ほとんどの被験者は見てから跳べルールに合致した振る舞いを見せたが、全体の五分の四で飛ぶのが早すぎた。

ラパポートは、実生活で最適停止問題の答えを出す際にはこれを念頭に置いていると話してくれた・・・「私はもともとひどくせっかちで、最初に見つけたアパートに決めてしまいたくなるのですが、なんとか気持ちを抑えようと努めるのです!」。

応募者一人の面接にかかるコストが最良の秘書を見つける価値の1%に相当すると考えられる場合、最適戦略は二人の実験で被験者が実際に見るから跳ぶに切り替えたタイミングと完璧に合致することを明らかにした。

不思議なのは、シールとラパポートの実験では探索のコストが設定されていなかったにもかかわらず、被験者があたかもコストが存在するかのように振る舞ったのはなぜかということだ。それは、人には時間のコストというものが常に存在するからだ。これは実験の設計によって生じるのではなく、人の生活に伴うものである。

 

 探索(explore)と活用(exploit)・・・探索とは情報を集めることであり、活用とは既知のよい結果を得るために手元の情報を使うことだ。

多腕バンディット問題・・・賞金の総額を最大にすること・・・いくつかのスロットマシンのアームを引き(探索)、その中で最も良さそうなマシンを選ぶ(活用)必要がある

ピーター・ホイットル 「あらゆる人間の行動にはっきりと現れる葛藤を本質的な形で体現する」

お気に入りの行動と新たな行動を秤にかける場合、それらを実行する時間がどのくらい残っているかという点が何よりも重要となる。

活用の価値は時間とともに上がる一方・・・得た知識を後で活用する時間がありそうな場合には探索し、活用すべき状況になったら活用するのがよい。残り時間がどのくらいあるかによって戦略が決まる。

(映画の)製作会社にしてみれば、シリーズものには固定ファンが約束されている。・・・このような安全策だらけの状況は、・・・短期主義の姿勢の表れである。シリーズものは完全な新作よりもとりあえずヒットする可能性が高い。しかしこんなやり方ばかりしていては、将来の人気シリーズが生まれなくなってしまう。・・・ほぼ完全に活用だけを狙う段階に入ったことによって、映画産業が時代の終焉に近づいているということをほのめかしているようにも感じられるのだ。

コストの増大と収入の下落のはざまで、大手制作会社はヒットすると思われる映画をもっとつくろうとしてきた。それはたいてい、続編、前編、あるいは知名度の高いキャラクターが登場する作品となる。要するに、カジノから追い出される前に、分かっている中で最良のマシンのアームを引いているのだ。

多腕バンディット問題に対処する方法をはっきりと教えてくれる最適アルゴリズムを見つけるのは信じがたいくらい難しいということがわかっている。実際、ピーター・ホイットルによれば、第二次世界大戦中にこの問題の解決を目指す取り組みが「連合軍の分析担当官の体力と気力をひどく奪ったので・・・究極の知的妨害行為の手段として、この問題をドイツ国内に投下したらどうかという声まで上がっていた」らしい。

ロビンズ・・・勝てばキープ、負ければスイッチアルゴリズム・・・最適化を行うべき期間がいつ終わるのかがまったく考慮されないことだ。

ランド研究所の数学者リチャード・ベルマンは、選択肢と機会が全部でいくつあるかがあらかじめ正確にわかっている場合の厳密解を突き止めた。

カジノに長く滞在して選択肢がたくさんある場合には、めまいのするようなーあるいは実行不可能なー量の作業が必要となるかもしれない。・・・プレイする機会が何回あるかは必ずしも正確にわかるわけではない。これらの理由から、多腕バンディット問題は実質的に未解決のままとなっている。ホイットルの言葉を借りれば、すぐさま古典となり、難攻不落の代名詞となったのだった。

ジョン・ギッティンズ・・・幾何級数的割引の想定を用いて、ギッティンズは「少なくともかなりすぐれた近似」と思われる戦略について考えた。多腕バンディットのアームを一本ずつ別々に考えて、それぞれの価値を割り出そうとしたのだ。・・・次にもう一度プレイした場合に勝つ確率がこのくらいならもうプレイを止めてよいと思える、そんな率が存在する。・・・ギッティンズ指数・・・が最も高いマシンで常にプレイするのだ。

隣の芝は青いという古いことわざがあるが、数学はその理由を教えてくれる。既知のものと未知のものとで違いはないと予想されている場合、あるいは未知のもののほうが不利かもしれないと思われている場合でも、未知のもののほうが有利な可能性があるのだ。試されていないルーキーは、実力が拮抗していると思われるベテランよりも価値が高い(少なくともシーズン開幕直後は)が、それはルーキーについての情報のほうが少ないからにほかならない。

ギッティンズ指数は将来の利得に対する幾何級数的割引にもとづいており、各プレイの価値が直前のプレイから一定の割合で下がると想定している。しかし行動経済学や心理学の様々な実験によって、現実の人間はそんな想定をしないということが示されている。それに、選択肢の切り替えに伴ってコストが生じるなら、ギッティンズ戦略はもはや最適でもない。・・・すぐに計算できるものではない。

後悔に着目するのだ。・・・経営学者のチェスター・バーナード・・・「やってみれば、失敗してもなにか少しは得るところがあるが、やってみもしないのは、やればあったかもしれない測りしれない可能性を失うだけだ」

ジェフ・ベゾス「後悔最小化の枠組み・・・私は80歳になった自分を想像して、「オーケー。今、私は自分の人生を振り返っているところだ。後悔の数が最小限になっていればいいのだが」と言えたらよいと思いました。・・・失敗しても後悔しませんが、挑戦しなかったら後悔するとわかっていました。来る日も来る日も後悔にさいなまれるとわかっていたのです。だからそう考えたとき、驚くほどたやすく決断できたのです。」

後悔の最小化を保証してくれるアルゴリズム・・・信頼上限(UCB; Upper Confidence Bound)アルゴリズムと呼ばれるものである。・・・多腕バンディット問題では信頼区間の上端が最も高い選択肢を選べというきわめて単純な方針が得られる。

不確実性に立ち向かう楽観主義・・・信頼上限アルゴリズムは楽観主義とは完璧に合理的なものだということを示す。今までに得られた証拠を基に、ある選択肢が最良の場合どのくらいよいものとなり得るかに着目することにより、このアルゴリズムは情報の少ない様々な選択肢を底上げする。その結果、意思決定プロセスに探索の要素がおのずと加わり、どの選択肢も大成功をもたらす可能性を持つことから、新たな選択肢に対して積極的に向かっていくようになる。同じ原理を、未知なる領域の価値を高めることによって周囲の空間を探索する「楽観ロボット」との製作に当たる、MITのレスリー・ケルブリングらも用いている。・・・長い目で見れば、楽観主義は後悔に対する最善の防止策となる。

治療法の選択は多腕バンディット問題として扱うべきであり、試験の途中であってもよりよい治療を患者に受けさせる努力をすべきと考えているのだ。・・・1969年、ニューヨーク州立大学の生物統計学者のマーヴィン・ゼレンは、適応的な臨床試験の実施を提案した。・・・ある治療法が成功すれば次にそれが使われる確率を上げ、失敗したら使われる確率を下げていくというやり方である。・・・・実際の臨床試験で使われたのは、体外模型人工肺治療(ECMO)・・・ハーヴァード大学公衆衛生学部の生物統計学教授ジム・ウェアらはECMO使用の政党制を確信し、「これ以上の無作為割付を養護するのは倫理的に難しい」と結論した。

試験の実施者らは、ECMOの有用性には「利用できるエビデンスの解釈にばらつきがあるので議論の余地がある」と述べて試験を正当化した。・・・ECMOを支持する方針を取れば死亡リスクが抑制できるという先行する予備的知見と合致すると結論された。

人は概して探索に重きを置きすぎる傾向があるらしい。最良のものよりも新しいものを過度に高く評価しがちなのだ。

われわれは秘書選びでは早まってしまいがちだが、航空会社選びでは探索をやめるのが遅すぎる傾向があるらしい。

 

 人間が自立までにこれほど長くかかる理由・・・成長の過程で探索と活用のトレードオフの解決法を習得するためです。多腕バンディットをプレイするための優れたアルゴリズムでは、早いうちに探索をたくさんして、得た情報をあとで活用する傾向がある。しかしゴプニックは「このパターンには、探索段階にいる間は良い利得が得られないという欠点があります」と指摘する。だから幼児期が存在するのだ。「幼児期には可能性の探索だけすれば良く、利得の心配をする必要はないのです。利得のことは、ママやパパやおばあちゃんやベビーシッターが面倒を見てくれますから」。

0歳児の「脳力」はここまで伸びる

0歳児の「脳力」はここまで伸びる

 

読書をしてきた人なら知っている岐路に私も到達した。この世で与えられた時間に限りがある中で、新しい本をもっと読むべきか、あるいはあのむなしい消費ーむなしいというのは終わりがないからだーをやめて、かつて最も強烈な楽しみを与えてくれた本を読み返すべきかーリディア・デイヴィス

リディア・デイヴィス - Wikipedia

 

カーステンセンの研究グループは、年齢とともに社会的ネットワークが縮小するのは、重として抹消的な関係を切り捨てて、親しい友人や家族からなる中核的な関係に気持ちを集中するからだということを見出した。

 

 対象のソートに労力を注ぐことは、あとで検索に労力を費やさねばならないことに備える、先制攻撃にほかならない。細かいバランスをどうすべきかはその場の具体的なパラメーターによって決まるが、ソートというのは将来の検索を助ける場合のみ価値がある。・・・無秩序は必ずしも悪くない。

無秩序の害と秩序の害が定量化可能であり、それらに伴うコストは「時間」という共通の通貨で計れる。

 

チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン・・・数学者だったことを知っている人のほうがまれだ。今ではルイス・キャロルとして最もよく知られている。

テニス大会ー順位の正しい決め方および現行方式の誤りを示す証拠

勝ち残りトーナメント方式・・・勝ち残り方式では二位を決めるのに十分な情報も得られない。それどころか、優勝者以外については何もわからないのだ。

数学的事実として、二番目に強い選手が実力に見合った順位となる確率は三十一分の十六にすぎない。実力で上位の四選手が適正な順位となる確率は非常に低く、実際にそうなる確率は一対十二なのだ。

総当たり戦方式・・・もっとも包括的なやり方と言えるが、ひどく手間がかかる。

トリックの指摘によれば、スポーツのリーグが重視するのはなるべく迅速かつ能率的に順位を決定することではない。・・・ソート理論でこれが関心事となることはまずない。

完全なソートをしたいなら、比較はn log n回するのが正しいということは分かっています。これならすべての順位が決められます。

例えば野球では、チームの実力とはほぼ無関係に、一つのチームは全試合の30%では負けて、全試合の30%では勝つものなのです。・・・勝ち残り方式・・・最強のチームでも優勝する確率は0.7の6乗、すなわち12%にも満たない。

サッカー・・・六対一で圧勝しても、その勝利が統計学的な偶然である可能性は7%残っている。

 

 当時の野口悠紀雄は知らなかったが、彼の書類整理方法は最長未使用時間の原理を発展させたものと言える。最長未使用時間法では、キャッシュに新しいアイテムを加えるときにはもっとも古いアイテムを捨てることになっているが、新しいアイテムをどこに置くかは決まっていない。・・・自己組織化リスト・・・あらかじめその順番がわかっていれば、全体を探索するのにかかる時間が最短となるようにデータ構造を最適化することができます。・・・これはオフラインの最適アルゴリズムです。神のアルゴリズムと言ってもいいし、天のアルゴリズムと言ってもいい。もちろん未来のことは誰にもわかりません。だから問題は、未来がわからないなら、この天上の最適アルゴリズムにどれほど近づくことができるか、となります。

最長未使用時間の原理に従ってただアイテムをつねにリストの先頭に戻せば、探索にかかる時間全体は、未来が分かっている場合の二倍以上には決してならないはずだということだ。こんな保証ができるアルゴリズムはほかにない。

 

別のタスクが完了しないと着手できないタスクがある状況を、スケジューリング理論の研究者は「先行制約」と呼ぶ。

 

 メディアによる事象の取り上げ方は、現実世界で実際に起きる頻度に対応していない。社会学者のバリー・グラスナーの指摘によれば、アメリカでは1990年代の間に殺人事件の発生率が20%下がったが、同じ期間にアメリカのニュース番組で銃による暴力事件が使われた回数は600%増加した。

 

オーバーフィッティングがどこよりも強力で厄介なのはビジネスの世界だろう。スティーブ・ジョブズ「インセンティブという仕組みは有効です。だから、人に何かをさせるためにどんなインセンティブを与えるかについては、よく考えなくてはいけません。様々なインセンティブの仕組みから、予想を超えたありとあらゆる結果が生じるのですから。」

Yコンビネーターのサム・オルトマン会長「CEOが何かを評価すると決めたら、それがどんなものであっても会社はそれを実現しようとする。まさにそれが現実なのです」。

面談の実施回数によって評価・・・短時間で面談を終わらせたがり、クライアントの就職を実際に助けることにはあまり時間をかけなくなってしまった。ある連邦執行機関では、捜査官に月間ノルマを与えると、月末には緊急性の高い事件には手を出さず、簡単な事件を選ぶことが判明した。ある工場では生産量の評価を実施したところ、監督者たちが設備の保守や修繕をないがしろにするようになり、その後の大事故につながった。・・・不適切な事柄が巧妙かつ容赦なく最適化されているのだ。

教育の場で、学習内容に対して本当に優れた能力を持つ学生たちのクラスと、「試験対策を教え込まれた」だけのクラスを見分けるにはどうすればよいのか。ビジネスの世界で、本物のスター社員と、会社で重視される成績指標や上司の意向に自分の仕事を抜け目なくオーバーフィットさせただけの社員を、どうしたら区別できるのか。

 とりわけ重要な戦略の一つがクロス確認(注:クロスバリデーションのこと、これは「確認」と訳すのは誤りで交差検証法と訳すべき)である。

未知のデータにどのくらい適合するかという「汎化性能」も評価することである。逆説的だが、この時使用データを減らす場合もある。

 コンピューター科学者は、モデルの複雑さにペナルティを与えるというこの方針を正則化と呼ぶ。・・・1996年、生物統計学者のロバート・ティプシラニがLASSOというアルゴリズムを発見した。

各項の重みに対してこのように縮小する圧力を加えることにより、ラッソは可能な限り多くの重みを完全にゼロとする。そして、結果に対して大きな影響を与える項だけを方程式に残す。

複雑さにペナルティを与えるという原理は自然界でも見られる。次巻、記憶力、エネルギー、注意力には限界があるので、生物はほぼ自動的に単純さへ向かう圧力を受ける。例えば代謝の負担が生物の複雑さを抑えるブレーキの役割を果たし、過度に精巧な機構には熱量のペナルティーを科す。 人間の脳が一日の総摂取熱量のおよそ五分の一を消費するという事実は、人間の知的能力が我々に与えてくれる進化上の利点の証拠となる。

 

加える処理が少ないと精度が下がるという見方が世間では広く支持されているが、ヒューリスティック研究によれば、情報や計算や時間が少ないほうが実は精度が上がることがわかる・・・より少ない因子とより少ない計算を用いてより単純な答えに達することを好むヒューリスティックは、まさにこの「少ないほうが有効」という効果をもたらす。

 

制約緩和・・・問題から制約の一部を取り除き、解決したい問題を解き始める。いくらか前進したところで、取り除いていた制約を問題に戻す。つまり、問題を一時的に扱いやすくして、後で本来の問題に戻すというやり方をするのだ。

 

正直に言って、長年この分野で研究してきた私にとって、これほど多くのアルゴリズム問題でランダム性が有効であることはまさに謎です。効率的で有効なのは確かですが、そのような働きをする理由や仕組みは、まったくもって謎なのです。マイケル・ラビン

偶然を利用することは、最も困難なたぐいの問題に取り組む際に周到で効果的な手段となりえることがわかる。それどころか、他に有効な手がない場合の唯一の手段ということもある。

ある種の問題では最良の決定論的アプローチよりも乱択アプローチのほうがうまくいく。この事実には重大な意味がある。完全に論理的に答えを導くのではなく偶然に頼ることが、問題に対する最良の解法となることもあるのだ。

素粒子の相互作用やソリティアで勝つ確率を計算するような問題の多くは、それ自体が元々確率論的なので、モンテカルロ法のような乱択アプローチで解くのはかなり理にかなっている。しかしランダム製の威力についての最も驚くべき発見は、一見すると偶然などまったく関与しないと思われる状況でもランダム性が利用できるということかもしれない。

 

ミラー=ラビン素数判定法と呼ばれ、これを使うと任意の精度で巨大な数でも素数であるかどうかすばやく判定できる。ここで、「である」とはどういう意味かという哲学的な問題が気になってくるかもしれない。我々は数字が確実性を備えた領域であることにすっかりなれきっているので、数が「おそらく素数」だとか「ほぼ確実に素数」だとか言われると抵抗を覚える。どのくらい確実なら十分に確実と言えるのか。実際には、インターネット接続や電子商取引を暗号化する現代の暗号化システムは、偽陽性率が100万分の10億分の10億分の一未満となるように調整されている。これは小数で表せば頭にゼロが24個並ぶ数であり、地球上に存在する砂粒の総数と同じ回数だけ判定を行った場合に誤って素数と判定される回数が1回未満ということである。ミラー=ラビンの判定法をわずか40回適用すれば、この水準に到達できる。

ミラー=ラビン素数判定法という名前は聞いたことがないかもしれないが、ノートパソコンやタブレット端末、携帯電話ではこれが大活躍している。発見されてから数十年が経ったが、今でも幅広い領域で素数を見つけて確認するのに使われる標準的な方法である。オンラインでクレジットカードを使えば必ず、見えないところでこの判定法が実行されているし、無線や有線で安全に通信するためにもたいていこれが実行されている。

 

ジッターを投入するにせよ、ランダム再出発を用いるにせよ、あるいは時には質の低下も受け入れるにせよ(Ex. メトロポリス法)、ランダム性は極大値を避けるのにものすごく役立つ。偶然とは、手ごわい最適化問題に対処するのに実行可能な方法であるばかりではない。多くの場合、必要不可欠なのだ。・・・ランダム性をどのくらい利用すべきか。どんな時に利用すべきか。・・・旅行計画の作成が完了したかどうか、どうしたらわかるのか。・・・焼きなまし法

 

 パケット交換・・・一つの接続に一つのチャンネルを占有させるのではなく、発信者と受診者がそれぞれのメッセージをパケットと呼ばれる小さな断片に分割し、共有のデータの流れに合流させる。はがきが光速で運ばれるようなものと考えればよい。

接続と呼ばれるものは、二つの終末点の間で合意によって成立する幻想です。・・・インターネットには接続というものが存在しません。・・・ただ手紙を配達するだけです。

 

世界で最も翻訳しにくい単語は、コンゴ民主共和国の南東部で使われているチルバ語の「ilunga」であることがわかりました。・・・この言葉は、「どんなひどい仕打ちも一度目は喜んで許し、二度目は我慢するが、三度目には決して許さない人」を表します。

発信者がまずすべきことは「対称性を破る」ことだ。・・・向こうから近づいてきた歩行者を避けようと右に動いたら相手も同じ方向へ動き、今度は二人共同時に反対方向へ動くということを繰り返していては、何も解決しない。

単純な解決策の一つは、両方の基地にコイン投げをさせることだ。・・・競合相手がさらに増えていくと、ネットワークのスループットは崖から落ちるように一気に下るおそれがある。

突破口は、連続して失敗した後の平均待機時間を伸ばすという手だった。具体的には、再送信を試みるまでの最長待機時間を二倍にしていくのだ。・・・指数バックオフと呼ばれる。

競合する通信の数が不明で不可知で絶えず変動し、構造が不明なネットワークに埋め込まれた伝送終端にとって、有効性が期待できるスキームは一つしかない。指数バックオフである。

指数バックオフは、ネットワークのセキュリティーでも重要な役割を果たす。

人間社会では、一定の回数だけチャンスを続けて与え、それ以降はまったく与えないというやり方をすることが多い。三振したらアウトというわけだ。寛容、慈悲、忍耐が求められるほぼすべての状況で、このパターンが通常は支配的である。しかし端的に言って、このやり方は間違っているかもしれない。

付き合いの約束を守らないという迷惑なくせのある幼なじみ・・・誘いの頻度に対する指数バックオフだ。

 

現在TCP(伝送制御プロトコル)の渋滞制御の中核に位置するのは、加法的増加・乗法的減少というアルゴリズムである。・・・1つ目のパケットが上手く受信されたらパケットをさらに2つ伝送し、これもうまく届いたら今度は一度に4つ伝送する、といった具合に送るパケットを増やしていく。しかしいずれかのパケットの確認応答が発信者側に戻ってこなければ、直ちに加法的増加・乗法的減少アルゴリズムがあとを引き継ぐ。・・・一度に複数のパケットを伝送してそれが全て受信されたとしても、伝送するパケットの個数を二倍にするのではなく、一つだけ増やす。パケットが行方不明になったら、伝送速度を半分に下げる。・・・TCPののこぎり波形と呼ばれる特徴的な帯域幅の波形が生じる。

ピーターの法則(すべての人は昇進を重ね、各々の無能レベルに到達する)・・・階層的組織では、仕事をうまくこなす人間にはその報いとして昇進が与えられるが、その新しい仕事には今までよりも複雑な課題や難しい課題が伴うかもしれない。従業員が昇進を重ねた末に仕事がうまくこなせない地位に達したら、出世の道はそこで行き止まりとなり、後は退職するまでその身分のままだ。そうだとすれば、やがて組織全体が仕事をうまくこなせない人間で埋めつくされるのは当然だ。

一流法律事務所のクラヴァス・スウェイン・アンド・ムーアが考案したクラヴァス方式では、ほぼ新卒者のみを採用して最下級の地位に就かせ、それからは昇進させるか解雇するかのいずれかを何年も続ける。

ピーターの法則が指摘するような組織の停滞と「昇進か解雇か」方式の容赦ない厳しさとの中間に当たる別の方法はないのだろうか。加法的増加・乗法的減少アルゴリズムはまさにそんな方法だ。

TCPののこぎり波形から得られる教えでは、変動して予想のつかない環境では、とりあえず物事をそのまま推し進めることがじつは、資源を最大限に利用する最善の(または唯一の)方法となる場合もあるということだ。大事なのは、失敗への対応を的確かつ柔軟に行うことである。

 

 停止問題・・・アラン・チューリングが1936年に証明したとおり、コンピュータープログラムは別のプログラムが果てしなく永久に計算を続ける可能性があるかどうかを明らかにすることが絶対にできない

ロジャー・マイヤーソン「ナッシュ均衡は経済学や社会科学に根本的で広範な影響をもたらしている。生物学におけるDNAの二重らせん構造の発見に匹敵するほどの影響を」

数学の研究対象は真理であり、コンピューター科学の研究対象は計算量である。・・手に負えない問題に関する限りは、解が存在するだけでは十分とは言えない。

カリフォルニア大学バークリー校のコンピューター科学者クリストス・パパディミトリウは、ゲーム理論は「行為者の取る均衡行動を予想するが、均衡状態に到達する過程ーこれこそコンピューター科学者にとって最大の関心事であろうにーについては感知しないのが常である」

スタンフォード大学のティム・ラフガーデン「なるほど。しかし、われわれはコンピューター科学者ですよね?われわれに使えるものがほしい。存在するというだけではなく、どうしたら見つけられるか教えてほしい」

アルゴリズムゲーム理論が生まれた。

2005年から2008年にかけてパパディミトリウと共同研究者らは、ナッシュ均衡を見出すだけでも手に負えない問題であるということを証明した。・・・「均衡という概念が効率的に計算できないなら、合理的行為者の行動に関する予想としての信頼性の多くが失われる。」

MITのスコット・アーロンソン「私の見解としては、ナッシュ均衡が存在するという公理が(たとえば)自由市場と政府の介入との拮抗に関する議論と関係があるとみなされるなら、その近郊を見出すことが[手に負えない]という公理もまた関係があると見なすべきである」

eベイの元リサーチディレクター、カマル・ジャイン「ノートパソコンに発見できないなら、市場にも発見できない」

 

囚人のジレンマ・・・無秩序の代償を定量化することによって、この分野では分散型システムのメリットとデメリットを評価するための具体的で厳密な方法が得られた。・・・無秩序の代償が小さいということは、よかれ悪しかれ、システムにとくに手を加えなくても、身長に管理された場合と抱いた同程度に良好な状態を保てるということを意味する。これに対し、無秩序の代償が大きい場合には、うまく調整すれば状態が改善される可能性があると考えられる。

 

 共有地の悲劇・・・平均的な労働者は認められている休暇日数の半分しか使わず、驚くべきことに労働者の15%は休暇をまったく取っていないことが判明した。・・・社員は一番たくさん休んでいるやつと思われたくないので、休暇の取得を躊躇するだろう。結局、最低日数を競うレースになる。

ケン・ビンモア「囚人のジレンマが人間の強力の本質を捉えていると考えるのは明らかに誤りである。そうではなく、囚人のジレンマは、協力が生じにくいように設定された状況を表現しているのだ」

ゲームのルールのせいで悪い戦略を選ばざるを得ない場合には、戦略の変更を目指すべきではないかもしれない。むしろゲーム自体の変更を目指すべきだろう。

メカニズムデザイン・・・どんなルールなら、相手がこちらの望む行動をしてくれるか

 を問う。

エバーノートのCEO、フィル・リービンは、全社員を対象として休暇を取得したら1000ドル支給するという方針を打ち出して話題を呼んだ。・・・ゲーム理論の観点から見るとじつは方向を誤っている。・・・100万ドルを盗んだ犯人が二人共捕まるなら、1000万ドルを盗んでも同じことだ。・・・最低限の(休暇の)取得を義務化すればよい。レースを変えることが出来なくても、ゴールは変えられる。・・・安息日を守れといった宗教的戒律は、全能の神から課されたにせよ、もっと身近な宗教コミュニティのメンバーから課されるにせよ、商店主が直面する問題を手際よく解決してくれる。

 

顕示原理・・・ロジャー・マイヤーソンは、戦略的に真実を隠すことが必要とされるどんなゲームも、単純な正直さ以外に何も必要としないゲームに変換できることを証明した。

ポール・ミルグロム「自分の見ているものは自分に見ることのできる最良のものの一つだということが確信できるのです」

 

 合理的な意思決定の方法として直感的に納得の行く標準的なやり方は、利用できるすべての選択肢を入念に検討し、その中で最良のものを選ぶことだ。・・・それはコンピューターがする仕事についての時代遅れな見方に過ぎない。そんなやり方は、簡単な問題だけに許されるぜいたくなのだ。難しい問題を扱う場合には、最短の時間でもっとも合理的な答えを出せる方法こそ最良のアルゴリズムであり、この場合にはすべての要素をじっくり検討したり全ての計算を完遂したりすることは決してない。

アルゴリズム思考術:問題解決の最強ツール

アルゴリズム思考術:問題解決の最強ツール

 

 

漫画201803

 アド・アストラ☆☆☆

 遂に完結、思っていたよりもザマの戦い以後をちゃんと描いてくれ、二人の死でまとめてくれたので、歴史ファンとしては安心。201709で書いていた内、スキピオの尽力はそれほど描かれず、駆け足でおじいさんになってしまったのはやや残念でしたが、プロット的には大満足でした。あとがきも面白かったです。

Re:Monster☆☆☆☆

本巻も文句なしに面白いです。話が凝縮されていてテンポが非常によく飽きがきません。 

Re:Monster 4 (アルファポリスCOMICS)

Re:Monster 4 (アルファポリスCOMICS)

 

ヒナまつり☆☆☆

登場人物がどんどん(悪い方向に)成長していく・・・。今回の表紙は素敵だけど、中身知らないで表紙買いした人が万一いたら(14巻だしあり得ないけど)、色々と絶望しそうではある笑。

ヒナまつり 14 (HARTA COMIX)
 

将棋の渡辺くん☆☆☆☆

 まさに奥様のめぐみさんにしか書けない漫画ということで、圧倒的なコンテンツ力ながら、いい感じの脱力感と「ぬい」がもたらす不思議な世界観がなんとも面白く、将棋ファンでなくても楽しめる作品。

 ダーウィンズゲーム☆☆☆

 ブームが一段落した後もしっかりと続いていて、それなりに面白いという良作。ちょっと自陣営が強くなりすぎたので、18~20くらいで一度まとめてしまって、ダーウィン2に持っていったほうが面白いかも!?

ダーウィンズゲーム 14 (少年チャンピオン・コミックス)

ダーウィンズゲーム 14 (少年チャンピオン・コミックス)

 

くーねるまるた☆☆☆

やや飽きが来ていましたが、今作は別れがテーマなのか、新鮮な気持ちで楽しめました。第一部完結するのかと思いきや、普通に続けるんですね。

狭い世界のアイデンティティ☆☆☆

相変わらず頭オカシイ(褒め言葉

CITY

読んでて面白いと言うより、読んでて楽しい。

今夜は月が綺麗ですが、とりあえず死ね

 着想面白かったんですが、話広げすぎ、中身スカスカで完全に飽きてしまいました。

THE NEW GATE☆☆☆

 強いのはわかるけど、あまり感情移入していないキャラにド派手に死なれてもなぁ・・・とやや困惑。

THE NEW GATE5 (アルファポリスCOMICS)

THE NEW GATE5 (アルファポリスCOMICS)

 

失格紋の最強賢者☆☆☆

 ビッグプロットはあっさり伏線回収でがっかり、もう少し複雑にしてほしかった。後半は完全にハンターハンターのグリードアイランド編

ゴブリンスレイヤー☆☆☆

相変わらずゴブリンしか倒してない。パーティ組んだ恩恵で戦闘描写に派手さが出たのはよかった。

ゴブリンスレイヤー 4巻 (デジタル版ビッグガンガンコミックス)
 

ゴブリンスレイヤー外伝☆☆☆

 スレイヤーの若かりし頃を描く外伝ですが、ゴブリンしか倒してないので、拙い戦闘技術くらいしか本編との違いがないのがやや残念笑。

ぐらんぶる☆☆☆

 さすがに序盤の勢いは無くなったけど相変わらず面白いですね。それにしてもダイビングしねーな。

1日外出録ハンチョウ☆☆☆

 一発ネタかと思ったら意外に引き出しが多くて面白いですね。

1日外出録ハンチョウ(3) (ヤングマガジンコミックス)

1日外出録ハンチョウ(3) (ヤングマガジンコミックス)

 

 星と旅する☆☆☆☆

 2巻で一気に面白くなりました。のんびり続けてほしいです。

 ソード・オラトリア☆☆☆☆

 久しぶりに激アツ回、相変わらずフィンがいいなぁ。

Sレア装備の似合う彼女☆☆☆

 微エロ、プロットはありそうでなかった感じで課金ネタは上手く使っています。絵柄が綺麗だし、ちゃんとストーリーテリングもできているので安心して楽しめる作品。ただ大きくハネることもなさそう?

Sレア装備の似合う彼女(6) (裏少年サンデーコミックス)

Sレア装備の似合う彼女(6) (裏少年サンデーコミックス)

 

ブラッククローバー☆☆☆

 ジャンプバトル漫画が陥りがちなインフレの罠に陥っちゃったな。ビッグプロット(魔法帝になる?海賊王になる的な??)がいまいちなので新しい軸が欲しい。

 ちはやふる

 話ができすぎだけど、流れ上仕方ないわな。ここまで来ると変な終わり方しないでね、だけが読者の希望。

王様の仕立て屋

 相変わらずレベル高すぎて意味不明で勉強になります。

鬼滅の刃☆☆☆

相変わらず面白い少年漫画 

書店員さんの部屋に聖騎士が住んでます。☆☆

はたらく~みたいな逆転生もの、逆転生ものはうまく料理したらまだ色々できそうで狙い目だと思いますが、これは乗り切れませんでした。

失格紋の最強賢者☆☆☆

異世界チート、背後にある大プロットをうまく導入していて、いい作り。価値観の刷り込みという観点から社会システム・教育制度を描いてくれると面白いんだけど。小プロットは月並み。

現実主義勇者の王国再建記☆☆☆

異世界転生の変形でまおゆう系、路線はいいと思うけど、専門知識が中途半端なせいで賢い高校生が考えたプロットにしかなっていないような印象も。一般読者的にはこれでいいのかもしれないが。

現実主義勇者の王国再建記I (ガルドコミックス)

現実主義勇者の王国再建記I (ガルドコミックス)

 

骸骨騎士様、只今異世界へお出掛け中☆☆☆

トレンドの異世界転生もの、チート控えめでしっかりファンタジーやっている。

骸骨騎士様、只今異世界へお出掛け中 II (ガルドコミックス)

骸骨騎士様、只今異世界へお出掛け中 II (ガルドコミックス)

 
骸骨騎士様、只今異世界へお出掛け中 I (ガルドコミックス)

骸骨騎士様、只今異世界へお出掛け中 I (ガルドコミックス)

 

エルフさんは痩せられない。 ☆☆☆

最近の流行をしっかりと抑えつつ、オリジナリティもあるし、画力もあってレベルが高かった。構造的には長く続けやすいけど、どのように読者の飽きに対処するのか気になる。

 魔王などがブラック企業の社長になる漫画☆☆

 Webで人気を博した同名作品を含むアンサンブル、魔王~は面白かったが、それ以外は似たような内容・展開で飽きてしまい、ちょっと残念。

魔王などがブラック企業の社長になる漫画

魔王などがブラック企業の社長になる漫画

 

 

天才たちの日課

この本に登場する人々のほとんどはその中間ー日々仕事に励みながら、その進み具合に途切れるのではないかと、つねに不安に思っている。そして、誰もが時間をやりくりして仕事をやり遂げている。

 

W・H・オーデン

その日のうちにやりたいこと、やらねばならないことを決め、それを混日必ず決まった時間にやる。そうすれば欲望に煩わされることはない

 

フランシス・ベーコン

本質的に習慣の奴隷で、生涯を通じてほとんど変化のないスケジュールに従っていた。

 

パトリシア・ハイスミス

動物が好きで、とくにネコとカタツムリには特別に強い愛着を感じ家で飼って繁殖させていた。

フランスに引っ越すときは、生きたカタツムリの持ち込みが禁止されていたため、六匹から十匹のカタツムリを左右の乳房の下に隠して何度も国境を往復したという。

 

 モートン・フェルドマン

作曲のための時間がじゅうぶんにできた時、フェルドマンはジョン・ケージに教わった方法を採用した。・・・ケージは、少し書くたびに中断して、書いたものをもう一度書き写すといい、と言ったんだ。なぜかというと、書き写している間はその曲のことを考えているから、また新しいアイデアが浮かんでくるんだよ、と。そこで僕もそのやり方でやるようになった。作曲することと書き写すこと。その関係はすばらしい、ほんとに驚いてしまう。

周囲の環境ーよい筆記具やよい椅子などーも大切だ。・・・私はときどき、仕事をしやすくするためにどうしたら良いか、具体的にいろいろ考えることに夢中になってしまう。何年ものあいだ、私はこういっていた。座り心地のいい椅子さえ見つかれば、モーツァルトにも匹敵する音楽家になれるのに、と。

 

ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト

新しい作品を作る時間は日に二、三時間しかなかった。・・・とにかく、あまりにもたくさんやるべきことがあって、なにがなんだかわからなくなってしまうことがよくあります。

 

セーレン・キルケゴール

少なくとも五十種類のコーヒーカップをもっていたが、どれも一客ずつしかなかった。コーヒーを出す前に、その日はどのカップを使えばよいかレヴィン(秘書)が決めるのだが、おかしなことに、なぜそのカップを選んだかをキルケゴールにきちんと説明させられたという。

 

アンソニー・トロロープ

毎朝五時半に机にむかうこと、そして自分を厳しく律することが私の習慣だった。年老いた下男が、私を起こす役目を務めてくれた。そのために私は彼に年間5ポンド余分に払っていたのだが、この下男も自分に厳しい男だった。・・・私が成功を収めたのは、誰よりもこの下男のおかげといっても過言ではない。

 

フレデリック・ショパン

ショパンの曲は、奇跡のように自然に湧きおこった。自ら求めるのではなく、何の前触れもなく、発見するのだ。それはピアノの鍵盤の上に、完璧な形で突然現れることもあれば、散歩中に頭のなかにひらめいて、一刻も早くピアノで弾いてみたくなることもある。しかし、そこから悲痛な生みの苦しみが始まる。それは私がかつて見たこともないような苦しみだ。頭のなかで聞いた旋律を細部まで再現しようと、迷い苦しみ、いらだちながら、もがきつづけるのだ。

 

ギュスターヴ・フローベール

結局、仕事はいつまでも人生から逃避する最高の方法なのだ!

 

カール・マルクス

金についての本を書いたもので、こんなに金のない者は、今までいなかったと思う

 

グスタフ・マーラー

妻アルマはマーラーより十九歳も年下だった。・・・マーラーの別荘での生活は、アルマによれば、「あらゆる不純物を取り除いた、超人的といえるほど純粋なものだった」。・・・アルマの仕事は、マーラーが作曲をしているあいだ、小屋を騒音や雑音から守ることだった。自分はピアノを引くのを控え、近所の住人にはオペラのチケットを配って、犬を外に出さないでほしいとたのんだ。

昼食は空腹を満たすためのもので、あまり食欲をそそったり、胃がもたれたりするものはいけない・・・アルマには病人食のように見えたといっている。

浮かんできた音楽に満足すると、彼は私の方を見て、ほほえみかけた・・・話たちにとって、それは最高の喜びだと知っていたのだ。だがアルマは、気まぐれで孤独な芸術家の妻という新しい役目を手放しで喜んでいたわけではない(結婚前はアルマ自身、前途有望な作曲家だったのだが、マーラーは彼女に作曲をやめさせた。作曲家は一家に一人で十分だというのが彼の言い分だった)。

「私の中で大変な葛藤が渦巻いている!私のことを考えてくれるだれか、わたし自身を見つけ出すのを助けてくれる誰かを熱望するみじめさ!わたしは家政婦になってしまった!」

いっぽうマーラーは妻の心の葛藤には気づかなかったか、あるいは気づかないふりをしていた。・・・わたしが人生でのぞみ、必要とするのは、仕事をしたいという衝動を感じることだけだ!

 

アーネスト・ヘミングウェイ

次がどうなるか分かっているところまで書いてやめる。そのあと、がんばって生きのびて、翌日になったらまた書きはじめる。

ヘミングウェイは立って書いた。胸の高さまである本棚の上にタイプライターを起き、その上に木製の書見台を置いて、それに向かうのだ。

 

ヘンリー・ミラー

持っているものを全部吐き出してしまうのはよくないだろ?まだ書きたいことが残っているうちにタイプライターの前から離れる方がいいんだ。

優れた洞察力が働く瞬間瞬間を維持するには、厳しく自己管理をして、規律ある生活を送らなければならない。

 

村上春樹

繰り返すこと自体が重要になってくるんです。一種の催眠状態というか、自分に催眠術をかけて、より深い精神状態にもっていく。

体力が、芸術的感性と同じくらい必要です。

自ら作り上げたこの習慣の唯一の欠点は、2008年に本人があるエッセイの中で認めているように、人づきあいが悪くなることだ。「何度も誘いを断っていると、人は気を悪くする」・・・しかし、自分の人生で欠かすことの出来ない関係は、読者との関係だと彼は考えた。「読者は僕がどんなライフスタイルを選ぼうが気にしない。僕の新しい作品が前の作品より良くなっているかぎりは。だったらそれが、作家としての僕の義務であり、最も優先すべき課題だろう」

 

ジョン・アダムズ

僕の経験から言うと、本当に創造的な人々の仕事の習慣はきわめて平凡で、とくにおもしろいところはない

なぜなら、創造的な仕事、とくに僕がやっているような交響曲やオペラ音楽のような大作を作る仕事は、かなりの重労働なんだ。それに、誰かに手伝ってもらうわけにもいかない。ぜんぶ自分でやらないとだめだ。

日常生活においては、行き当たりばったりの自由を維持して、アイデアが生まれたらすぐ対応できるようにしている。

 

マーガレット・ミード

ダラダラしていると、時間はどんどん過ぎていく・・・そんなのがまんできないわ。

 

サミュエル・ジョンソン

怠惰は病で、この病とは闘わねばならない。・・・しかし自分は元来その闘いには向いていない、と付け加えている。「私自身はいままで、なにを始めても2日と続いたためしがない」

 

 イマニュエル・カント

ハインリヒ・ハイネ「カントの人生を物語にするのは難しい。カントには人生も物語もなかったからだ。機械のように規則正しい、ほとんど超然とした独身生活を、ケーニヒスベルクのへんぴな一画で送った」

カントは明らかに、生活における「ある種の画一性」を、単なる習慣から道徳的な規範に変えようとしていた。

 

ウィリアム・ジェイムズ

忘れるな。規則正しい生活習慣がついて初めて、人は真に興味深い活動分野に進むことが出来、その結果、意図的な選択を一つ一つ、まるで守銭奴のように蓄積していけるー一つの輪が抜けると、無数の輪が外れてしまうことを、決して忘れるな。

われわれの神経系を敵ではなく味方にすること

日常のこまごました事柄を、努力せずに無意識に行えるようにしてしまえば、その分、頭脳に余裕ができ、よりレベルの高い仕事ができるようになる。なにひとつ習慣として無意識に処理することができず、いちいち躊躇してしまう人間ほどみじめなものはない。

ジェイムズは規則正しい習慣を守るということがなく、つねに優柔不断で、だらしのない不安定な生活を送っていた。

ロバート・D・リチャードソン「習慣についてのジェイムズの意見は、規律正しい人間のえらそうな助言ではない。正反対の、まったく何の習慣も身についていない人間による助言だ。自分こそ一番習慣を必要としている人間、習慣をもたないという習慣しかもっていない人間が、苦労してやっと手に入れた、本人にとってはもう手遅れの、自分のことは棚に上げた、哀れなほど真摯で、実践的なアドバイスなのだ。ジェイムズ自身の生活はあちこちで混乱が芽を吹き暴れまわって収集がつかない状態だった」

ウィリアム・ジェームズ - Wikipedia

プラグマティズム

 

マルセル・プルースト

文芸作品がどれほどの高みを極めるかは、苦しみが作家の心をどれほど深く削ったかによる。それは井戸を深く掘れば掘るほど、水面が上昇するのと同じだ。

 

イーゴリ・ストラヴィンスキー

作曲するときは、ぜったいだれにもきかれていないようにしないとだめなんだ。

行き詰まるとしばらく三角倒立をする。それは頭を休め、脳をすっきりさせるためだったらしい。

 

エリック・サティ

アルクイユへ引っ越した年、サティはささやかな遺産を相続し、それでスーツと山高帽を一ダースずつ買った。どれも栗色のビロード地を使った、まったく同じデザインのものだ。毎日その格好で歩いて行くサティを見た地元の人々は、間もなく彼のことをビロードの紳士と呼ぶようになった。

研究者のロジャー・シャタックによると、サティの音楽の独特のリズム感や、反復の中の変化の可能性を尊重するところなどは、毎日同じ景色の中を延々と歩いて往復したことに由来するのではないかという。

 

パブロ・ピカソ

病的に健康に気を使っていたピカソは、当時、飲み物はミネラル・ウォーターか牛乳だけ、食べ物は野菜と魚とライスプディング、ブドウに限ると決めたところだった。

娯楽に関しては複雑な思いがあり、集中的に仕事をして、その合間に気晴らしをするのは好きだったが、遊びほうけることは嫌った。

絵を描くことに関しては、飽きることも疲れることもなかった。・・・画家が長生きする理由はそれだ。アトリエに入る時、僕は自分の体をドアの外に置いてくるんだ。イスラム教徒がモスクへ入る時に靴を脱ぐのといっしょだよ。

 

T・S・エリオット

銀行員になる前は、批評やエッセイを書いたり、学校で教鞭をとったり、意欲的な集中講義を行ったりしていた。それは全精力を注がねばならない大変な仕事で、詩を書く時間はほとんどなかった。それより問題だったのは、なんとか食べていくだけの金も稼げないことだ。それにくらべると、ロイズ銀行の仕事は天の恵みのようだった。

理想的な職場だったが、時間が経つにつれ、決まりきった事の繰り返しが退屈になってきた。・・・ここに死ぬまでいるかと思うとぞっとする

 

ドミートリイ・ショスタコーヴィチ

いつもびっくりさせられたんですが、兄は作曲する時に、ピアノで弾いて見る必要がまったくなかったんです。ただ椅子にすわって、頭のなかできいたものを書き出す。その後、完成したものをピアノで弾くんです。

アレクセイ・イコニコフ「彼の手は絶えず動き、まるで話しているようで、決してじっとしていなかった」

どう考えても、これはよくない。僕みたいに短時間に作曲してはいけないんだ。作曲は厳粛な作業で、バレリーナの友人の言葉によると、「全力で走り続けることはできない」んだ。僕はむちゃくちゃなスピードで作曲し、自分を止めることができない・・・おかげで心身を消耗するというか、不快な気分になるし、一日の終りに、その日の成果にまったく自身がもてない。でも、この悪い癖をなおすことはできないんだ。

 

 フランク・ロイド・ライト

彼は頭のなかで全体像が仕上がってから出ないと、スケッチさえ描こうとしなかったからだ。・・・落水荘はおそらく二十世紀の最も有名な住宅建築だが、ライトがその図面を書き始めたのは、クライアントが今から来るまでに時間ちょっとでそちらに着くと電話をしてきてからだった。ライトはこのように追いつめられた状態で一気に創造性を発揮し、それで疲れることもなかった。

三番目の妻はやがて心配し始めた。彼女によると、ライトは八十五歳になっても一日に二、三回セックスができたという。「たぶん、神様の思し召しだったのだろうが、彼の欲望があまりにも激しいので、わたしは心配になった」「彼を弱らせて、あの素晴らしい喜びを奪ったりすることは、わたしにはとてもできなかった」

 

ルイス・I・カーン

カーンは非常にエネルギッシュだったので、他の人間が自分ほどエネルギッシュだとは限らないことに思いが至らなかった。

https://www.houzz.jp/ideabooks/61454935/list

 

ジョージ・ガーシュウィン

ジョージはいつもちょっと悲しそうに見えた。仕事をしなければいけないという強迫観念に駆られていたからだと思う。 

インスピレーションは信じなかった。そんなものがくるのを待っていたら、年にせいぜい三曲しか作れないと言って、毎日こつこつ仕事をするのを好んだ。「プロボクサーと同じで、作曲家はつねにトレーニングを続けないといけない」

 

 グレン・グールド

自分のことをカナダで「最も経験を積んだ世捨て人」と読んでいた。

きわめて非社交的で、感情的な交わりを避け、誰かと親しくなりすぎると急に関係を断った。

生活と仕事の二つがひとつになっている。それを異常というなら、たしかに僕は異常だ。

僕はきわめて夜型の生活を送っている。・・・用事はできるだけ遅い時間に設定して、夕暮れにコウモリやアライグマと一緒に活動を始めるようにしている。

 

フランツ・シューベルト

彼は作曲においては並外れて勤勉で創造性にあふれていたが、それ以外の仕事と名のつくものに関しては、まったくの役立たずだった。

 

フランツ・リスト

毎日を生きるだけでじゅうぶんつらいのに、なぜそれを書きとめる必要がある?日記なんて、拷問部屋の目録みたいになってしまう

 

オノレ・ド・バルザック

わたしは生きているのではない。自分自身を、恐ろしいやり方で消耗させているーだが、どうせ死ぬなら、仕事で死のうと他のことで死のうと同じだ。

 

アレグザンダー・グレアム・ベル

僕にはどうしても落ち着かない期間が定期的にやってきて、そんなときは頭のなかにアイデアがいっぱいに詰まって、指先までうずうずしてくるんだ。そうなるともう興奮して、だれになにをいわれようと仕事をやめることはできない。

 

ヴィンセント・ファン・ゴッホ

毎日は、仕事、仕事で過ぎていく。夜にはへとへとになってカフェへ行き、その後はさっさと寝る!人生はそんなものだ。

 

ウラジミール・ナボコフ

いつも一日のはじめには、書斎にある美しい古風な書見台の前に立って書くんだ。その後、ふくらはぎにちくちく重力を感じるようになったら、座り心地のいい肘掛け椅子にすわって、普通の書きもの机で書く。そしてついに重力が背筋をはいのぼりはじめたら、小さな書斎のすみにあるソファに横になる。

 

 エドワード・アビー

 作家は同居人としてはやっかいな相手だと思う。仕事をしていないときはみじめで、仕事しているときはそれに夢中になるからだ。少なくとも僕はそうだ。

義務とか、責任とか、強制されて働くとかいうのが嫌いなんだ。・・・でも、前払いしてもらうのは好きだよ。そしたら強制的に働くしかなくなる。

 

エドマンド・ウィルソン

自分が書いておもしろいと思うことを書いて、その報酬として編集者に金を払わせるのは離れ業だ。綿密な計算と豊かな独創性が必要になる。

 

L・フランク・ボーム

わたしの本の登場人物たちは、なかなか思いどおりに動いてくれないんだ。

 

チャールズ・シュルツ

漫画を描くことができないと、ひどく不安になるんだ。もし、こういうことをするのが許されなかったら、とてもむなしく感じるだろう。 

 

スティーブン・キング

キングは小説の執筆を創造的な眠りにたとえ、自分の執筆週間を、毎晩寝るための準備のようなものだと述べている。

寝室と同じように、執筆する部屋はプライベートな空間でなくてはならない。・・・毎晩同じ時刻にベッドに入ったり、毎晩決まったことをしたりして、寝る準備をするのと同じだ。執筆でも睡眠でも、我々は物理的にはじっとしていながら、昼間の平凡で合理的な考えから精神を解放させることを学んでいく。頭と体が毎晩、一定量ー六、七時間かできれば八時間ーの睡眠に慣れていくのと同様に、起きている時の頭も訓練によって創造的に眠り、空想による鮮やかな白昼夢を作り上げることができるようになる。その白昼夢がすなわち、よくできた小説なのだ。

 

スティーブン・ジェイ・グールド

私はつねに仕事をしている

 

天才たちの日課

天才たちの日課

 

 

論文査読制度(ピアレビュー)の信頼性の揺らぎ

査読者は質の高い科学知識の集積に奉仕するために存在する。その誠実な助言が投稿論文の改善、科学誌の健全性維持に寄与してきたことが、査読制度継続の根拠である。しかし、科学の飛躍的進歩はしばしば非凡な研究者の発想によってもたらされ、見識ある査読者にとっても即座に理解できる論文ばかりとは限らない。かのマックス・プランクは「新しい科学の真実というものは、反対者を説き伏せ、光の輝きを見せることによって勝利するのではない。むしろ、彼らはやがて死んでいき、変わってそれに精通した新たな世代が成長するからである」と言っている。

実際、将来のノーベル賞受賞の対象となる研究論文の多くが、科学社会の抵抗、科学誌編集者や査読者による却下の憂き目にあってきた(J. M. Campanario, 2009)。1960年代のJ. ポラニーのレーザーによる振動エネルギー研究、最近ではR. ファーチゴットのNOの生理活性、T. チェックのRNAの触媒作用、C. マリスのPCR法の発見等々にかかわる論文も、高水準の審査基準を誇るNature誌、Science誌はじめ有力誌から厳しい批判を受け却下されてきた。もちろん確固たる根拠に基づくこれらの主張は、いずれ何処かで公表、認知されたが、既成のパラダイムの罠にとらわれた編集責任者たちの胸中は如何であったであろうか

論文記述の客観的正確さにとどまらず、科学的な価値を相対化して見通して適切に判断するには、相当の見識が求められる。現代でも、格別の創造者が少なからず潜在しているはずであり、彼らの思い入れにこそ真摯に正対すべきである。現代の主流である多数決民主主義者にも責任を果たしてほしい。たとえ保守的知識体系の眼鏡をかけるとしても、図抜けた独創性をもつ、しかし、しばしば世慣れない若者を見逃すことがあってはならない。

この状況に呼応して、煩雑な査読を経ない自己責任の未公表論文(プレプリント)のオンライン公開が始まった。1960年代から出版社の抵抗、多くの研究者の反対意見もあり紆余曲折を経てきたが、1991年に物理学分野でarXivプラットフォームが創設された。生物学分野でも2013年コールド・スプリング・ハーバー研究所が主体となりbioRxivが始まり、チャン・ザッカーバーグ財団が巨額の財政援助をして盛んになりつつある。消極的であった化学分野も2017年にChemRxivを立ち上げた。そして、論文掲載にいたらずとも、自らの意思でオンライン投稿したこれらの内容は、人事考課や研究資金の配分審査などに際して勘案される方向にある。科学的評価は、のちほど論文を受け付けた科学誌により適正になされるべきとする。

この方法は明らかに知識の伝達、循環を著しく加速する。オープンサイエンスに向けて、大勢の投稿者の中から無名の若者を見出す効果もある。発表内容の品質の信頼性、未発表(未確定)データの盗用可能性、同業者間の論文発表や研究費獲得の時間的競争の観点からの反対意見もあるが、これは現在の国際学会における発表と同様ではないか。これらの負の効果はいずれも、旧来の情報技術水準にもとづく学界における権利手続きや、個々の研究者の倫理の問題である。一般社会や行政は、科学の円滑な進展と一日も早い成果の社会還元を願っている。この方式の成否は、新たな環境下における指導的立場にある研究者たちの振る舞いにかかっている。

www.jst.go.jp

最強の経済学者 ミルトン・フリードマン

 一時期、極端なまでに宗教を重んじたという逸話は、几帳面な性格をよくあらわしている。いいかげんなことができない。論理的に考えるなら、徹底して理詰めで考える。理路整然とした世界を求めるタイプだ。だからこそ、食事規定をはじめとする正統派ユダヤ教の細々とした教えに一貫した論理を見いだせなくなると、宗教とはあっさり縁を切った生まれながらの合理主義者、実証主義者だ。宗教に意味はないと悟り、バルミツバーを迎える13歳の頃には、「完全な不可知論者」になっていた。

 

人生を左右した「幸運な偶然」の存在をつくづく感じる。一つは、アメリカに生まれたこと。「もう一つの幸運な偶然は高校で幾何学好きの先生」に教わったことだ。ユークリッド幾何学の授業を受けて「数学の奥深さ、面白さを知り、数学好きになった」。

 

「(今では)貧しい学生向けの選抜奨学金制度で、最優秀の生徒ではなく、成績の劣る生徒が選ばれるようになった。社会がいかに堕落したかを示す好例だ」と批判している。

 

「四人に一人が失業していた1932年に、一番の緊急課題はなにかと考えれば、経済学を選ぶに決まっている。自分自身、経済学を研究することに全く戸惑いはなかった」

 

ヴァイナーの授業が厳しく、ある意味で冷酷だったという逸話は数知れず、いまだに語り継がれている。フリードマンが院生の頃、学部生としてシカゴ大学に在籍していたポール・サミュエルソンは、ヴァイナーの「あの有名な」経済理論講座201の授業を今も憶えている。301講座では、学生が「緊張した面もちで机のまわりに座る」。ヴァイナーに3回当てられて、満足のゆく解答を出来なかった学生は落第したという。

 ジェイコブ・ヴァイナー - Wikipedia

 

ケインズの『貨幣改革論』は、フリードマンケインズの最高傑作と考える論文だ。フリードマンによると、ケインズは元々マネタリストで、景気対策で金融政策より財政政策を重視したのは後になってからだ。ケインズ派貨幣数量説の交換方程式MV=PTを一貫して支持している。・・・ケインズは、後に流通速度(V)が大きく変化すると主張し、フリードマンはそれに反論した。

フリードマン)・・・ケインズが、貨幣数量説を支持していることを忘れてはならない。貨幣改革論を読めば、それが貨幣数量説であることは明白だ。ケインズ流動性選好説と貨幣数量説の違いは流動性の罠(流通速度の低下)があるかどうか、それだけだ。本質的な違いは、その一点に尽きる。私の理論に流動性のわなは存在しない。

 

サイモンズは、人の学説を鵜呑みにして繰り返すのではなく、客観的・批判的に検証することが、本当の意味で敬意を払うことになるということを私たちに教えてくれた

ヘンリー・サイモンズ - Wikipedia

 

「経済学者の卵にとって理想的な組み合わせは、理論を重視するシカゴで一年学び、その後、制度主義の視点と実証研究を重んじるコロンビアで一年過ごすこと。それが私の結論だ」。両大学で学んだアレン・ウォリスも同じことを言っている。

 

いわゆる静学理論と、時間を通じた動きを考慮する動学理論の根本的な違いは、動学理論が不確実性を持ちこみ、結果的に予測を知識に変えることだ。動学理論は、予測の分析を基に構築しなければならず、予測に対して、相対的に一定した行動パターンの分析と発見を志す必要がある。こうした作業を通じて、理論が扱わなければならない完全な不確実性を減らしていくことができる。

 

フリードマンが主要論文の多くで使った数学的なアプローチは、統計学を駆使したデータ分析であり、コールズ委員会が好んだ経済理論の定式化ではない。次に、フリードマンは、経済理論を実証的に検証し、現実世界で起きることを予測する必要があると考えたが、コールズ委員会は、理論の妥当性を判断する基準として、この点をそれほど重視しなかった

 

フリードマンを中心とする新しいグループがコールズ委員会と学内の主導権を争う1940年代後半から1950年代前半にかけては、いやが上にも大学の水準が高まった。フリードマンが教壇に立ったばかりの頃、経済学部とコールズ委員会の研究室があった社会科学研究等の四階では、後のノーベル経済学賞受賞者13人と未来や現役のアメリカ経済学会会長12人が、普通に廊下を行き交っていた。

 レスター・テルサ―によれば、あれほどの学者が集結した場所は、ほかではコペンハーゲンニールス・ボーア理論物理学研究所くらいだった。シカゴ大学でコールズ委員会の研究員となり、後にノーベル経済学賞を受賞したケネス・アローも「1940年代後半のシカゴ大学には、とてつもない学者がそろっていた。経済学の分野であのような学者集団が出現することはもう二度と無いのではないか」と語る。フリードマンから見れば、アローの言う「経済学」は、ほんとうの意味での経済学ではなかった。

 

シカゴ大学の伝統を守るには、学問の能力、ただ学問の能力のみに基づいて教授を選ばねばならない。政治的・社会的な見解や人柄・性別・人種などは関係ない。助成金や教員のバランスなども考えてはならない。これまで、能力だけで研究者を選ぶという方針を貫くことで、バランスと多様性という基調な副産物が生まれてきた。それは、これからも変わらないだろう。バランスや多様性は直接追い求めてはならない」。シカゴ大学が名声を確立できた理由のひとつが、「多様性の容認と科学性の重視を採用の絶対基準として、学問の未来を背負って立つ人材を見極め、大学に引き寄せてきた」ことだ。「客観的に知識を追い求めること、それが、最も広い意味での科学の目的でなければならない」

 

 「実証経済学の方法論」は、経済学を「実証科学」として確立する上での問題点を論じている。自然科学の世界では一応誰もが認める正解と不正解が存在する。経済学も同じような「実証科学となり得るし、実証科学としての側面がある」というのが、フリードマンの主張だ。

 経済理論とは言いながら、フリードマンが「無邪気な実証主義」と呼ぶいい加減な事実認識を基に、やみくもに自分の価値観を押し付け、あまり意味のない数式でお茶を濁すということになりかねない。事実とは現実世界の問題であり、価値観とは考え方の選択の問題だ。実証経済学は事実に着目する。

「実証的経済学の方法論」が拠って立つ基盤が予測だ。フリードマンにとって、科学を科学たらしめているのは予測であり、科学の意義は予測にある。・・・科学と非科学を分けるのが予測だ。「実証科学の最終目標は、まだ観測されていない現象を有効かつ有意義に予測できる理論を展開することだ

 経済学は予測を抜きに語れない。そもそも政策の効果を予測できなければ、政策を提言することもできない。・・・「政策決定に際しては、必然的に政策効果の予測に頼らざるをえない。その予測のもとになるのが実証経済学だ」。

 理論は仮定の現実性ではなく、予測の正確性のみで評価すべきだ。理論の良し悪しを決める基準はただひとつ、正しい予測ができるかどうかだ。

現実世界で仮説を『証明』することはできない。仮説を否定できない状況があるだけだ。・・・これが真理だと断言することはできない。真理の探求とは、新旧の仮説を新しい現実に照らし合わせて検証していく永遠のプロセスだ。現実世界を観察する過程で、少しずつ真理の姿が見えてくる。真理がいかに崇高でも、それはいつかたどり着く山頂ではない。新たな発見が、新たな謎と新たな研究分野を生む。知れば知るほど自分の無知を痛感し、世界の奥深さを実感する。真理とは、どこまでも続く道をゆく終わりない旅の仮の宿にすぎない。今ごく当たり前とされている知識も、とりあえずの一時的な知識でしかない。フリードマンは、ソクラテスとヒュームの伝統を受け継ぐ懐疑主義者だ。

「実際に起こり得る事実で反証できない理論は、予測の役に立たない」。経済学に限らず、事実に即した理論以外は認めなかった。現実を無視すれば理論は空論になる。現実に起きることを予測できない理論は無用の長物であり、架空の世界の予測など論外だ。現実世界の予測でなければ、予測とはいえない。科学の方法論で大切なのは、事実を完全に把握することができないということではなく、事実がなければ予測が成り立たず、予測があってこそ初めて科学的な理論を構築できるという点だ。

現実世界の具体的な事実に立脚しない理論、将来起きることを具体的に予測できない理論は、不毛な数式の羅列に過ぎず、知識の蓄積にはつながらない。これは、20世紀の経済理論の大半に共通していえることだ。

経済学の方法論で重要なのは、数学的・幾何学的にいかに複雑で精緻なモデルを作るかではない。予測がどこまで正確なのか、その一点に尽きる。

 

サミュエルソン

  • 科学のできる人々は,その方法論についてペチャクチャしゃべることができない
  • 「定義,トートロジー,論理的含意,経験的仮説,事実的反駁の関係に関して根本的に混乱している経済学者は,現実をシャドウ・ボクシングをして一生を過ごすかもしれない.したがって,ある意味では,知識に対する実り豊かな貢献者として毎日の糧を稼ぐためには,経済学のような中途半端なハード・サイエンスの実践者は,方法論的問題と折り合いをつけなければならない」(Samuelson, 1965) とも言っている

http://www2.tamacc.chuo-u.ac.jp/keizaiken/discussno167.pdf

 

ドン・パティンキンは、コールズ委員会のセミナーでフリードマンの発した一言が忘れられない。「フリードマンは計量経済モデルの予測能力は、最低でも未来が過去と同じになると想定する『ナイーブモデル』より精度が高くなければならないと言い放った。単純だが強烈な指摘だった」

ドン・パティンキン - Wikipedia

 

論争の対象になっている問題については、冷静に理性的な議論をすすめることが肝心だ。冷徹な目で事実を追い求め、進んで自説を修正する。それが科学であり、人類に大きな進歩をもたらす。西洋文明の長所の一つでもある。古典的自由主義と科学に共通するのは、好奇心を絶やさない姿勢だ。それはいろいろな意味で子供の視点に似ている。予断を持たず、大きく目を見開いて世界を見つめる。予測を重視する理論がなぜ理論のあり方として正しいのか。フリードマンはこう説明する。「人間の理解力は完全ではない。限られた頭脳を効率よく利用するには、問題の核心に狙いを定めることが重要だ

 

リベラル派の問題は、心が温かいことではない。頭脳が冷徹さを欠いていることだ。

 

ジェームズ・ブキャナン「講義や分析で見せた頭のきれは圧倒的」で、「学生の私など、フリードマンの真似事をするだけで終わってしまう可能性もあった。しかも、自分よりうまく真似る人が三人いた」。「あの並外れた分析力は、学生には刺激が強すぎたが、シカゴ大学を卒業後、ある事件がきっかけでフリードマンの呪縛から逃れることができた。比較的無名の学者が、フリードマンの論文に論理的な誤りを見つけ、指摘したのだ。フリードマンは潔く誤りを認めた」

ジェームズ・M・ブキャナン - Wikipedia

 

経済学は希少性の学問だ。「経済の問題は、希少な資源を利用して複数の問題を解決しようとする際に生じる。資源が希少でなければ、何も問題はない。天国だ」。経済学とは社会科学であり、個人の協力と相互作用に関する問題を扱う。実証経済学は大きく貨幣理論と価格理論に分けられる。貨幣理論は、物価水準や総産出量・総雇用量などの循環的・非循環的な変動を、価格理論は、資源配分や相対価格を研究する。専門用語では、貨幣理論をマクロ経済学、価格理論をミクロ経済学と呼ぶ。

 

ヴァイナーとナイトの二人の授業を受けた大物経済学者はベッカーが最後だ。もっともヴァイナーの授業はシカゴ大学ではなく、プリンストン大学の学部生の頃に受けたものだ。ベッカーはフリードマンについてこう書いている。「自分が学んだ人の中で一番強い影響を受けた」「優れた教育者」で、「頭脳は他を寄せつけず」「あそこまで刺激を受けた人はいない」。「まさに討論の名手」で、「頭の回転が速く」「発想が斬新」で、当時の経済学部の「中心的な存在だったことはまちがいない」。

 

フリードマンの価格理論講座では、たくさんのイラストや具体例を使い、「学生は、理論の遊びのような空論ではなく、現実世界を理解する道具として、フリードマンの経済学を体得することができた」。フリードマンにとって、「理論それ自体は目的ではなく、これみよがしにひけらかすものでもなかった。現実世界の様々な現象を説明できなければ、理論の意味はないと考えていた」。

 

授業は準備万端で臨み、テストでは選択式の問題は出さなかった。採点は大変になるが、選択式が教育法として優れているとは思えなかった。どうすれば、学生のやる気を最大限引き出し、学生を納得させられるかを心得ていた。学生を批判しても悪意や冷酷さとは無縁だった。世界をもっと性格に、あますところなく理解してほしい。自分自身の考えや人の考え方への理解を深めてほしい。それがフリードマンの願いだった。

 

論文の執筆に取り掛かった学生は、基本的には自分ひとりの世界に放り出される。いつもアドバイスが貰えるわけではなく、系統だった指導設けられない。それでも学生は、絶対的な水準、『知識への貢献』を求められる。混乱して、無駄な作業に時間を費やし、いたずらに論文の質を低めてしまうのも無理はない。・・・研究法というものは、教えることができない。適切な環境の中で、実際に研究をすすめることによってしか学ぶことができない。だからこそ研究会の意義がある。・・・論文は、研究が全て終わってから書くものだという世間一般の認識ほど誤ったものはない。物を書くという作業を通じて、自分が何をしているか、何をすべきかがみえてくる徹底的に考え抜くことを自分に強いるには、文章にしてみるのが一番だ。・・・学生は自分の興味のあることを研究し、自分の考えやアイデアを突き詰めるべきだ。そんなことは研究するなとは、絶対に言いたくない。学生には、過去の研究成果を土台とすることも勧めた。現在当たり前と考えられている知識は、全て暫定的なとりあえずの知識であり、全く新しいことをゼロから始めること自体にそれほど大きな意味があるとは思えない。むしろ、自分たちが分かっているつもりになっていることから、多くを学ぶことができる。分かったつもりになっている現実世界にしても、細部を突き詰めようと思えば、どこまでも突き詰めることができる。

 

ポール・サミュエルソンミルトン・フリードマンは、教師として、Aプラスの成績を収めた。ひとつ例を挙げよう。1951年、プリンストン大学で成績抜群だった学部生が、燃え尽きたようになってしまった。この学生は、フリードマンシカゴ大学で初めて受け持った講座を受講して、息を吹き返した。文字通り『次の授業が待ちきれない』といった状態だった。誰のことを言っているのかは想像がつくと思う(ゲーリー・ベッカーのことだ)。こういう学生が他にもたくさんいる」。

 

 ケインズは流通速度が大きく変動すると主張した。ケインズによれば、マネーサプライを増やしても、単に流通速度が低下し、右辺の物価と取引量にはなにも起こらない。同様に、何かの原因で、マネーサプライの増加を伴わずに右辺が増加した場合は、流通速度が上昇する。つまり、流通速度は幻のようにコントロールできず、マネーサプライや所得の変化に伴って上下する。従って、マネーサプライはあまり重要ではないという論理である。

 

経済はケインズが考えるよりも安定している。赤字財政支出も含め、投資額の何倍も国民所得が増加するというケインズの「投資の乗数効果」は実際にはあまり期待できず、景気が変動してもケインズの主張するほど消費への影響はない。市場の魔法に委ねれば、公共投資よりもはるかに効果的に所得を増やすことができる。企業の結託で市場の機能が妨げられるという独占的競争の理論にも反対した。政府による経済への介入、政府の経済運営は、ケインズが考えるほど経済学的な根拠はない。物価と景気の動向を決めるうえでは、財政政策よりも金融政策のほうがはるかに大きな役割を果たす。

経済の分析では、他の学問同様、事実がなによりも重要だ。ケインズの致命的な誤りは、理論ではなく実証面にあった。ケインズは、優れた経済学者だ。最高の経済学者の一人に数えられる。世界はどのように動いているのか、『一般理論』はその仮説を示した。科学的な仮説はすべてそうだが、どれほど想像力に富んだ考え抜かれた仮説でも、まちがっている可能性がある。ケインズの仮説は、理論として反論するところはない。ただ、理論の提示する予測が現実にそぐわず、現実世界で否定された。だからこそ反論しているのだ

 

 フリードマンはその後、好況と不況が規則的に繰り返すという意味での景気循環は存在しないと考えるようになる。「景気循環が存在するとは思わない。景気循環とは、経済内部のメカニズムによって規則的に繰り返し発生する現象と定義されるが、そのような意味での景気循環があるとは思わない。経済には一定の反応機構があり、外部のランダムな力に時間を欠けて反応する」。景気はランダムな要因で変動するというエヴゲニー・スルツキーの「ランダムショック説」を支持していたことになる。・・・スルツキーが1927年の有名な論文で指摘したように、一連のランダムなショックへの反応にすぎないのではないか。景気循環ではなく、景気変動だ。

 

 合衆国の貨幣史。この物語を貫くキーワードは、冒頭にある「アメリカの貨幣ストック」だ。「それまで金融政策の威力に気づかなかった一つの理由は、フリードマンとシュワルツがM1(現金通貨+要求払い預金)とM2(M1+定期性預金)を開発するまで、連邦準備理事会(FRB)がマネーサプライの統計を公表していなかったからだ」(経済史研究科、マーク・スコーセン)。「FRBが1929年から33年にかけてマネーサプライ統計を発表していれば、大恐慌があのような経緯をたどったとは思えない」(フリードマン)。

 

シカゴ大学は、経済学を数学の一部門としてではなく、経済の問題として真剣に研究していた。例えば、ハーバード大学と当時のシカゴ大学の根本的な違いを挙げると、シカゴでは、経済学を現実の問題を扱う学問として真剣に活用していたが、ハーバードの経済学は、数学と同列の頭の体操だった。現実問題の解決にはまったく役に立たない」。ゲーリー・ベッカーも口をそろえる。「(ヴァイナーは)ミクロ経済理論を現実世界から遊離させてはいけないと力説していた。過去のデータなど、客観的な事実で理論を検証することが必要だと強調していた」。ただ、ヴァイナーは、フリードマンのような統計学を使った実証研究には踏み込まなかった。経済史研究者のマーク・スコーセンによると、ベッカーは「理論と実証データを厳密に検証したこと、これが経済学者としてのフリードマンの最大の貢献だ」と指摘している。

 

MITは、戦後ほぼ一貫して経済学の先頭集団を走ってきたが、フリードマンはMITの数学を駆使した方法論には批判的だった。1988年、経済学を「数学の一部門、知的なゲーム頭の体操」と考えるのがMIT、私はマーシャルにならって経済学を「分析の道具」と考える、と比較している。

 

「論文であれば適切といえるような回りくどい言い回しでは、一般読者を失う。論文をかく時は、知識の蓄積という現在進行系のプロセスに参加しているが、一般向けの文章は、あるものの見方を伝えるものであり、余計な但し書きなどを付けて読者を混乱させるべきではない」。・・・データの分析で重要なのは、データはないよりもある方がよいということだ。

 

 晩年のアダム・スミスは、学者として研究を続けるのではなく、地味な役人として過ごすという大きなまちがいを犯した。

 

 ハイエクは、フリードマンは統計を重視する「論理実証主義者」だと批判している。

フリードマンは、大の実証主義者で、実証的に証明できないものは、科学的な主張とはなりえないと考えているが、わたしは、経済に関する細かな情報は山ほどあり、そうした知識を整理することが私達の仕事だと考えている。新しい情報はもうほとんど必要がない。すでにある情報を消化することが非常に難しいのであり、統計データを集めても、あまり意味はない。ある特定の時期の特定の状態について情報を得たい場合は別だが、理論を構築するうえで、統計的な研究は役に立たないと考えている」

ハイエクは、フリードマンが、検証不可能な形而上学の命題は科学的に無意味だと主張する「論理実証主義」にくみしているとも批判した。「実証経済学の重要性を説いたフリードマンは、すべての関連事実について完全な知識が得られることを前提にしている」。これは的外れな批判だ。フリードマンは、自分の方法論を「実証主義」と呼んだが、科学的な判断基準は、論理実証主義を標榜したウィーン学団のような厳密なものではなかった。単に経済の事実と価値観を区別するために「実証的」という言葉を使うことが多く、ハイエクのよく知っていたウィーン学団論理実証主義とはまったく関係がない。

 

オーストリア学派のなかで(ハイエク以外に)本一冊を費やして論じる必要があるのは、フォン・ミーゼスだ。常に刺激的で、共感できる主張が多い。ただ、その方法論と狭量な姿勢はまったく受け入れられない。

 

世論を説得するというよりも、選択肢を確保しておく、つまり変化が必要になった際に選択できる政策を用意しておくという意味で、思想は重要だ。・・・思想は重要だが、長い時間を必要とするものであり、思想それ自体よりも、思想を生み出す肥沃な土地が重要だ。

 

市場経済は、誰からも矯正されずに経済活動を行うことができる洗練された制度だ。個々の情報を基に資源を最大限有効に活用し、各資源を最も効率の良い方法で結びつけることができる」

「もちろん、これは抽象的で理想化された概念だ。世界は理想的ではない。完全な市場から逸脱する例は無数にある。その多くは、政府の介入が原因だ。」

 

高齢化社会であっても、現役時代に蓄えをしておけば、いくら高齢者が多くても国は繁栄できる。アメリカや日欧では年金制度が危機に瀕しているが、その理由は一つしかない。ねずみ講はいずれ破綻するのだ。年金制度は、今の現役世代の負担で今の高齢者の生活を支えている。未来の若者が保険料を負担することが大前提だ。出生率が死亡率を上回っているうちは問題ないが、出生率が頭打ちになれば制度は崩壊する。こんなことなら、一人ひとりが退職に備えて貯蓄していたほうがずっとよかった。

高齢化社会が進んでも、民間の保険会社は破綻していない。保険会社も政府と同じように高齢化社会の影響を受けているはずだ。違いは、保険会社が資金を積み立てている点にある。右から左に資金を流しているわけではない。

 

実証経済学の発展には、既存の仮説を検証し練り直すだけでなく、新しい仮説をつくることが必要だ。仮説の構築に決まり事はない。直感と創意工夫を要する創造的な行為であり、身近な材料からなにか新しいものを見つけることが肝心だ。論理ではなく心理的な要素が重要になる。これは科学の方法論に関する論文ではなく、自伝や伝記で研究する問題だ。

最強の経済学者 ミルトン・フリードマン

最強の経済学者 ミルトン・フリードマン