SHOE DOG

あるトラック運転手が、大胆にもバウワーマンの山の平穏を乱していた。猛スピードで道路を曲がるために何度もバウワーマン家の郵便受けをひっくり返していた。バウワーマンは運転手を叱って鼻にパンチをお見舞いするぞ、などと脅したが運転手はどこ吹く風で、来る日も来る日も好きなようにトラックを飛ばしていた。そこでバウワーマンは郵便受けに爆弾を仕掛けた。トラックがそれをひっくり返したら、バーン。煙が立ち上り、トラックは粉々になってタイヤは平たいリボンのようになった。運転手は、それから2度とバウワーマンの郵便受けに触れることはなかった。
 
1972年以前、円とドルの交換比率は一定で変わることはなかった。1ドルは常に360円
だ。毎日太陽が昇るように、この比率は当然のように存在していた。だがニクソン大統領は円が過小評価されていると感じた。アメリカが金をすべて日本に送っているのではと懸念し、彼が円を解放し変動させたせいで、円とドルの比率は天気のようにコロコロ変わった。毎日のように変わる。このため日本でビジネスをする際には翌日の計画が立てられなかった。ソニーの社長がこうこぼしたのは有名な話だ。「ゴルフをしていて、各ホールでハンディが変わるみたいだ」
同時に、日本の人件費も上昇したため、円の変動とあわせて、日本で多くの製品を作っていた会社は先行きが不安定になった。シューズの大半を日本で作るという私のビジョンも崩れた。至急、新たな工場と新たな国を探す必要が生じた。
 
これまで雇ったほとんどの者が基本的な能力を示してくれた。会計士を雇うのは、計算ができるからだ。弁護士を雇うのは話が達者だからだ。だが、マーケティングの専門家や製品の開発者を雇ったところで、何が期待できるだろう。何もない。彼らに何ができるのか、できることがあるのかすら予想できない。ではそこらのビジネススクールの卒業生はどうか。誰も好き好んでいきなり靴を売ろうとは思わないだろう。しかもみんな経験はゼロだから、雇う側は面接での感触に賭けてサイコロを振るしかない。一か八かでサイコロを振っていられる余裕など、こっちにはないのだ。
 
もちろん、賃金の問題は常について回る。途上国の工場労働者の給料はアメリカに比べるとあり得ないほど低いし、それは私もわかっている。それぞれの国、経済の上限や制度の枠内で活動しなければならない。単に好きなだけ賃金を払えば済むという問題ではないのだ。ある国で、国名は伏せておくが、賃金を上げようとしたら、政府高官に呼び出され、止められた。その国の経済制度を破綻させてしまうというのだ。靴の製造者が医者より稼ぐのは正しくないというか、ふさわしくないというだけの理由だ。変化は、私たちが望むほどすぐには決して訪れない。