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調理場という戦場―「コート・ドール」斉須政雄の仕事論

「常識はしょせん人間の作ったものだから、自分の常識を作ればいいじゃない?」常識に迎合している若い子と言うか、年寄りじみた言動をする子をみると、腹が立ちますね。


僕には資質がないのだから、やりすぎぐらいが当たり前のはずだ。「やりすぎを自分の常識にしなけりゃ、人と同じ水準は保てまい。」


料理の世界に、クリエイターは多くはいないのです。人がやったことがなくて、今まで以上のアイデアとなると、これはもう過去のデータからでは、まったく出てこないものですから。過去のデータは平均値だから新しいものではありません。創造するための役にはあまり役に立たないと思います。チームメイトと相談して新しいものを生み出すということは、もしかしたら出来ることではないかもしれません。相談しているその相手も、結果の平均値でしかものを言わないことが多いからです。(略)創造するためには、過去から逸脱するような、料理のうまさとはまた別なところの能力が必要になります。(略)アレンジに長けている人は割といますが、クリエイターはなかなかいない。
独創的なものは、それほど「遠く離れた尊いもの」ではないように思います。(略)それまでにあるモノと、どこかで接点を見つけながら、少しずつ独創性を出していく。(略)独創性とありふれたものとの境界線にある商品こそが、求められ、受け入れられるのですから。


「料理人と仕事」より
「料理人は天性や才能によって創造的な仕事をするように思われています。だけど本当の料理人の素晴らしさと言うものは、どれだけ努力をしてどれだけ実地の経験を積んだかで決まります。」
「若い人がトレーニングの結果で得るレベルは、上司のレベルにかなり左右されるものです。誰に習ったらいいのかを自分で選択して決めるということも、若い人にとっての大切な仕事でしょう。」
やりたいことを躊躇していても、命には限りがある。やらないで後悔するよりも、やってダメでもやってみたい。やるということが大事なんじゃないか。

調理場という戦場―「コート・ドール」斉須政雄の仕事論 (幻冬舎文庫)

調理場という戦場―「コート・ドール」斉須政雄の仕事論 (幻冬舎文庫)

 

 私はいつも思うのですが、教科書というのは一冊あればいいと思うのです。その教科書を完全にマスターすれば、必ず他のことにも応用できる。このことはフランス料理の技術に言えることですが、人間も同じだと思うのです。