数学者たちの楽園: 「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち

 1951年、ニューズウィークはナードnerdとは、デトロイトで流行っている貶し(ちなみに読みはけなし、とぼしではない!)言葉であると報じた。1960年台には、レンセラー工科大学(ニューヨーク州トロイにある私立工科大学で、英語圏では最高の技術系大学。小規模ながら工学分野での評価が高い)の学生たちは、knurdと綴るのを好んでいたが、これはdrunkを逆から綴ったもの。knurdは、パーティやコンパに行っては酔っ払っている連中とは真逆のタイプという含みがある。

しかし過去十年間に、ナードとしての自尊心が芽生えるにつれ、この言葉は数学の徒やその同類達によって、好意的な意味で使われるようになった。同様にギークgeekもまた、今や褒め言葉だ。たとえば、

geek chic(ギークが好みそうなファッションの意味。具体的には黒いフレームのメガネや、スローガンの入ったTシャツなど)に人気が出ていることや、2005年にタイムに載ったThe Geek Shall Inherit the Earth(ギークが地球を継承する=世界を牛耳るのはギークだ)という見出しの記事などもそのことを示している。

アメリカの教育者チャールズ・J・サイクスは1995年に、ナードには親切にしよう。君たちは将来、ナードに雇ってもらうことになる可能性が高いのだからと先見の明のあるセリフを吐いたが、ナードいじめは今日なお、世界のいたるところで問題になっている。

ホーマーの発明熱が一つの頂点に達するのは、エバーグリーン・テラスの魔法使いの回だ。・・・ホ-マーが黒板に書いた数式や図・・・3987^12+4365^12=4472^12・・・実はホーマーの式は、フェルマーの方程式に対する、いわゆるニアミス解なのだ。・・・1998年にこのエピソードが放映された時点で、ワイルズの証明が発表されてから3年が経っており、フェルマーの最終定理が征服されたことをコーエンはよく知っていた。それどころか彼は、カリフォルニア大学バークレー校の大学院生だった時、フェルマーの最終定理に対するワイルズの証明において重要な役割を演じる仕事をした数学者、ケン・リベットの講義に出席してさえいたのである。・・・彼は普通の電卓をすり抜けるニアミス解を作ることにより、ピエール・ド・フェルマーアンドリュー・ワイルズにオマージュを捧げようとしたのだ。・・・「いい気分だよ。テレビ業界にいると、社会を腐敗させる片棒を担いていでるような気分になることもある。だから、話のレベルを上げる機会があると-特に数学のすばらしさを伝えられたときは-下品なジョークを書いているときの暗い気持ちが晴れるんだ」

J・スチュワート・バーンズ・・・アンハッピリー・エバー・アフターで仕事をしていたときには、バーンズは修士号なんか持っちゃってるギークというレッテルを貼られていた。ところが『ザ・シンプソンズ』の脚本家チームでは、数学の修士号など珍しくもない。ギークのレッテルを張られるどころか、バーンズはトイレ・ジョークの大黒柱として名を馳せるようになった。

ジェフ・ウェストブルック・・・「わたしはコンピュータ科学の理論的な研究をやっていたんだが、仲間たちとワイワイやりながら、たくさんの定理を証明したものだった。ここに来てみて驚いたのは、脚本家チームのミーティングルームで、それと全く同じことが行われていることだった。大きなテーブルを囲んで、みんなで色々なアイデアをキャッチボールする。そこにはクリエイティブな仕事に共通する要素があるーつまり、問題を解こうとしているんだ。数学研究における問題は、定理であり、脚本作りにおける問題は、ストーリーを組み立てることだ。我々はストーリーをバラバラにして分析したいんだ。このストーリーは、要するに何なんだ?ってね」・・・数学的な証明のプロセスは、コメディの脚本を書くプロセスと似たところがある。目的地にたどり着けるという保証がないところも似ているね。・・・目指すことのすべてを満足する-そして面白い-ジョークが存在するという保証はどこにもない。数学で何かを証明しようとするときも、そもそもそんな証明は存在しないのかもしれない。・・・ジョークを探しているときも、定理を証明しようとしているときもーそれが自分の時間を注ぎ込んでやるのに値することなのかどうかを教えてくれるのは、直感なんだ。・・・短い期間で複雑なストーリーを創らなければならないし、克服すべき論理的な障害も多い。物語を造るという作業は、大きなパズルを解くのに似ている。この作品を作るために、どれだけ頭を悩ませているか、分かってもらうのは難しいだろうね。・・・この作品の脚本は本質的にパズルであって、複雑なストーリーラインが『脳みそに負荷をかける』からだろうという点

実写ドラマは実験科学に似ている。役者たちは、それぞれの考えに沿って演技知る。そうやって撮影されたシーンを繋げて、どうにか作品にするしかないんだ。一方、アニメは純粋数学に似ている。あるセリフにどんなニュアンスを含めるか、台詞回しをどうするかまで、徹底的にコントロールできる。あらゆることがコントロール可能だ。アニメは数学者の宇宙なんだ。

 天文学者と物理学者と数学者が、休日にスコットランドに・・・天文学者「おや、スコットランドのヒツジは黒いのだ!」・・・物理学者「いやいや、そうじゃない!スコットランドのヒツジの中には、黒いものがいるということだよ」・・・数学者「スコットランドには、少なくとも1つの平原があって、そこには少なくとも一匹、少なくとも片面の黒い羊がいるということさ」

代数学の父の一人であるニュートンは、発明にも手を染めていた。伝えられるところでは、扉のついていないシンプルな猫の出入り口を最初に作ったのはニュートンだという。それは、部屋の扉の下の方に開けられた穴で、猫が自由に出入りできるようになっていた。しかもその猫穴のすぐそばには、子猫用の小さな穴が空けられていたというのだ!果たしてニュートンは、そこまでマヌケな変人だったのだろうか。・・・J・M・F・ライトの回想によれば、この逸話が事実かどうかはともかく、猫と子猫にちょうど良さそうな穴が2つ空いた扉が存在したことは事実らしい。

ウェストブルック・・・イェール大学の准教授を5年間勤めたのち、AT&Tベル研究所に移った。・・・AT&Tベル研究所を去る時に上司が言った最後の言葉を、彼は今も忘れない。「まぁ、君がそうしたいという理由はわかった。成功しないことを望むよ。ここに帰ってきて研究してほしいからね。」 

グレース・ホッパー・・・コンピュータの欠陥を言い表す言葉としてバグを広めた人物・・・ハーバード大学のMarkIIコンピュータの中に、蛾が入り込んでいるのを見つけたことだ。

 学校教師にわずかな、あるいは生半可な統計の知識を与えることは、赤ん坊の手にカミソリを握らせるようなものだ。カーター・アレクサンダー

デレク・ジーターは、ニューヨーク・ヤンキースでの打撃の成績から「キャプテン・クラッチ」の異名を取る選手だが、統計学者のこうした意見(クラッチヒッターは統計的に観察されない・存在しない)に敢然と異議を唱えた。・・・そんな統計野郎どもは、窓から放り出してやれ・・・しかし残念ながら、ジーターの成績そのものが、ジェームズの結論を支持していた。

オランダの3人の教授、G・リッダー、J・S・クラーマー、P・ホプスターケンは、1994年、「米国統計学会誌」に「10人に減らす:サッカーにおけるレッドカードの影響の評価」

Estimating the Effect of the Red Card in Soccer: When to Commit an Offense in Exchange for Preventing a Goal Opportunity : Journal of Quantitative Analysis in Sports

2つのチームの力が互角なら、そして攻撃側がほぼ確実に得点する状況では、90分の試合で16分以降はいつでも、防御側は違反するだけの価値がある。得点確率が60%の場合なら、攻撃者を潰すのは、48分以降にすべきである。 得点確率が30%しか無いなら、守りの選手が汚い手を使うのは71分経過してからにすべきだ。

リチャード・ファインマン・・・アーティストの友人「わたしはアーティストだから、この花の美しさが分かるけれど、君は科学者だから、やれやれ、これをバラバラに解体する。花をただの物体にしてしまうんだ」何をバカなことを言っているんだろう、とわたしは思う。まず第一に、彼に分かる美しさは、他の人達にも分かるし、わたしだって分かるつもりだ。彼ほど洗練された審美眼はないかもしれないけれど、わたしはその花を美しいと思う。そしてそれと同時にわたしは、彼がその目で見ている以上に、その花についてたくさんのことを見ている。花を構成している細胞がそこにあるのをイメージすることが出来るし、それら細胞の中で起こっている複雑な作用にも、ある種の美しさがある。わたしが言いたいのは、花は1センチメートルのスケールで見たときにだけ美しいのではないということだーもっと小さなスケールで見えてくる花の内部構造もまた、美しい。そこで起こっている反応も面白い・・・科学的知識は、新たに付け加えるものなのだ。・・・なぜ科学は減らすということになってしまうのか、わたしにはわからない。

ガウスがジェルマンに宛てた手紙・・・習慣と偏見とに従うなら、女性がこの苦難に満ちた研究に集中しようとすれば、男性よりも無限に多くの困難に遭遇しなければならないでしょう。それにもかかわらず、幾多の困難を克服し、その最も難解な領域に踏み入ることが出来たとすれば、その女性は、崇高な志と優れた天分を持っているに違いないのです。

ソフィ・ジェルマン - Wikipedia

 本日の観客数

  1. 8191
  2. 8128
  3. 8208
  4. No way to tell

 最初の8191は素数、それもメルセンヌ素数・・・2番めの数、8128は完全数として知られている数・・・デカルト完全数は完全な人間と同様、きわめて稀」・・・完全数メルセンヌ素数とは、同数存在することが証明されている・・・メルセンヌ素数は48個しか知られていないから、知られている完全数は全部で48個である。・・・8208は、ナルシシスト数・・・8208=8^4+2^4+0^4+8^4・・・自分自身に含まれる数字から、自分自身を生成するためである。・・・ナルシシスト数は有限個しか存在しないことがすでに証明されている。 


ジャンケンの研究から生まれた数学の中でも特に興味深いのが、「非推移的サイコロ」だろう。・・・ジャンケンのルールは、単純なトップダウン式のヒエラルキーではなく、普通とは違う巡回型のヒエラルキーに支配されている。

Problem 376 - PukiWiki

ウォール街の物理学者

ウォール街の物理学者

 

 バフェットは、非推移的な現象が大好きで、折に触れてサイコロゲームをしようと誘うことで知られている。彼は、何の説明もなく三種類の非推移的サイコロを相手に渡し、どうぞお先に好きなサイコロを一つ選んでくださいと言う。相手は先に選んだほうが有利だろうと考えて、どれか一つを選ぶ。そのほうが、最善のサイコロを選ぶ可能性が高いと思ってのことだ。しかしもちろん、「最善の」サイコロと言うものは存在せず、バフェットは熟慮の上、相手が選んだものより強いサイコロを選ぶ特権を手に入れるというわけだ。・・・バフェットはある時、マイクロソフトの創設者ビル・ゲイツをこのサイコロゲームに誘った。ゲイツはすぐに、これは何が裏があるとにらんだ。しばらくサイコロを調べたゲイツは、どうぞあなたがお先に選んで下さい、とバフェットに言った。

yamanatan.hatenablog.com

物理学者はどうしていつもいつも、実験室や装置にあれほど金がいるんだ?数学部のようにやればいいではないか。数学者は、鉛筆と紙と屑籠がありさえすれば研究できるんだぞ。いっそ哲学者のようにやってみてはどうだね。彼らは鉛筆と紙しかいらないんだからな。 ・・・数学のような厳密性のない哲学への皮肉・・・数学においては、新たに提唱されたものすべてを、徹底的に検証することが可能だからだ。そうして検証された結果として、既存の知識の体系に組み入れられるか、クズ箱に放り込まれるかが決まる。

デーヴィッド・S・コーエン「わたしはパンケーキ数に関するこの論文を、指導教授で著名なコンピュータ科学者であるマヌエル・ブルムの指導のもとで書き、離散応用数学という専門誌に投稿した」・・・見てくれ、離散応用数学に論文が載ったよ。・・・ケン・キーラーは別だった。そうかい、わたしは2ヶ月ほど前に、その雑誌に論文が載ったよ。・・・ザ・シンプソンズの脚本を書くようになってみたら、離散応用数学に論文が載った唯一の脚本家にもなれないとはね。

科学雑誌『ネイチャー』は「PTAが解散する」でのホーマーのセリフを賞賛した。永久機関を作ろうとする娘に向かって・・・「リサ、熱力学の法則に従うのが、我が家のルールだぞ!」

 アメリカの数学者エドワード・カスナーが・・・10^100と言うか図に名前があればいいのだが、と言った。すると9歳のミルトンが、グーゴルという名前はどうかといったのだ。・・・グーゴルプレックス・・・10^googol・・・ページとブリンが、よくある綴間違いの方を好んだため、そのサーチエンジンは、Googolではなく、Googleになっている。

スタンフォード大学の名誉教授で、コンピュータ科学の世界では神の如き存在であるドナルド・クヌースは、eの熱烈な愛好家である。クヌースは、フォント作成プログラムMetafontを作ったのち、アップデートを公開する際に、eに関係するバージョン・ナンバーを使うことにした。最初のバージョンはMetafont2, Metafont2.7, Metafont2.71........

 スーパーギークなグーグルの経営陣も、eの大ファンだ。彼らは2004年に自社株を売った時、2718281828ドルを調達する計画だと発言した。

 仮に天文学者たちが、観測可能な宇宙の直径を正確に測定しているとして、πの値が小数点以下38位までわかっていれば、宇宙の周の長さを水素原子1個のサイズの精度で弾き出すことが出来るのだ。

Utah teapot - Wikipedia

P=NPは、異なる性質を持つ2つの問題についての命題である。 一方のPはPolynomial(多項式)の頭文字。他方のNPは、Nondeterministic Polynomial(非決定性多項式)の頭文字である。大雑把に言うと、Pタイプの問題を解くのは簡単なのに対し、NPタイプの問題は、解くのは難しいけれどチェックするのは簡単だ。・・・428783を因数分解するのはNPタイプの問題、521と823という2つの因数を使って、521*823=428783が正しいかどうかをチェックするのは簡単・・・根本的な問いは、因数分解は本質的に難しいのか、それとも簡単な問題にするテクニックを見逃しているだけなのか、ということだ。それと同じことが、NPタイプの問題とみられる多くの問題についても言える。・・・NPタイプの問題を解くのは非常に難しいという仮定の上に、いくつか重要なテクノロジーが開発されているからだ。・・・暗号化アルゴリズム・・・

ミレニアム懸賞問題 - Wikipedia

 P≠NPとナビエ-ストークス方程式については、肯定的・否定的のいずれの解決に対しても賞金が与えられる

 ウィリアム・ガサーチが、2002年に、百人の研究者を対象に意見調査を行ったところ、P=NPだと考えるものはわずか9%にすぎず、・・・2010年にも・・・81%がP≠NP支持だった。

 ニンバス

Nimbus - Wikipedia

Arts and entertainment

  • Halo (religious iconography), also known as nimbus, a ring of light surrounding a person in a piece of art
  • Nimbus (literary magazine), published in London (1951–58)
  • Nimbus 2000, a flying broom from the Harry Potter series
  • Nimbus, a spaceship captained by Zapp Brannigan in the animated series Futurama
  • Nimbus III, a planet in the movie Star Trek V: The Final Frontier
  • Flying Nimbus, a magical cloud given to Goku by Master Roshi in the series Dragon Ball

 ニンバスの船体に書かれた数字・・・BP-1729・・・ゴドフリー・ハロルド・ハーディとスリニヴァーサ・ラマヌジャンとの間で交わされた会話・・・わたしが乗ったタクシーの番号が、1729だった。・・・いやいや、それはとても興味深い数ですよ。2通りの異なる方法で、2つの3乗の和として表される最小の数なのですから。・・・1729=1^3+12^3=9^3+10^3

フューチュラマの2Dブラックトップは・・・フラットランドへのオマージュなのである。

 テニュア起因性の知能停滞・・・デネットは、解明される意識の中で・・・・若いホヤは、岩や珊瑚の塊を探して海に乗り出していく良い場所を見つけると、そこにしがみついて一生の棲家にする。棲家探しをするために、若いホヤは神経の萌芽のようなものを持っている。一旦良い場所を見つけてそこに根を張れば、そんなものはいらなくなるので、なんと、ホヤは自分の頭脳を食べてしまうのだ!(一生の棲家を見つけるのは、終身在職権を得るのとよく似ている) 

解明される意識

解明される意識

 

 集団がどれほど大きくても、どれだけ複雑なマインド交換を行ったとしても、新しい人物を2人導入するだけで、すべての絡み合いを解くことが出来るのである。。。。フューチュラマの定理、あるいはキーラーの定理として知られるようになった。

Futurama theorem - The Infosphere, the Futurama Wiki

わたしはほんのイタズラのつもりで、スイート・クライドがファーンズワース教授を相手に、定理の詳細を説明するシーンを3ページほども書いたんだ。何人かの脚本家は、見るからにうんざりした顔で、どうにかそれを読み通したよ。そして4ページ目に入ったところで、ようやく本物の原稿が始まるというわけだ。・・・キーラーは、ただシットコムを面白くするという目的のために、全く新しい数学の定理を生み出した、テレビ史上初めての脚本家という栄誉に値するだろう。

我々の身に起こることは全て、何らかの影響を残すものだろう。大学院で過ごした期間は、自分がより良い脚本家になるために役立っていると思うんだ。全く後悔はしていないね。ベンダーのシリアルナンバーを、数学史上の重要な数である1729にできただけでも、博士号を取った甲斐はあると思えるんだ。博士論文の指導教授がどう思うかは知らないけどね。

数学者たちの楽園: 「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち

数学者たちの楽園: 「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち

 

 

このアニメにたくさんの「数学」が含まれていることに気づいたのは、十年ほども見続けた後のことでした。ある回(シーズン10/エピソード2 日本語版DVD『発明は反省のパパ』)に「フェルマーの最終定理」が出てきたのです。それで、ほかの回も注意して見たら、なんと、この作品、実は数学だらけだったんです。

まずデーヴィッド・S・コーエンに電話をかけてみました。その回の責任脚本家として彼の名前がクレジットされていたからです。そうしたら、コーエンはコンピュータ科学の修士号を持っていて、数学の論文も書いていたというじゃありませんか。そして彼は、『ザ・シンプソンズ』の脚本家チームには、強力な数学のバックグラウンドを持つ人がたくさんいるのだと教えてくれました。学士号、修士号、博士号、いろいろです。その内の一人、ジェフ・ウエストブルックにいたっては、コメディー脚本家になる前は、イェール大学の教授でした。

ハーバード大卒で数学の学士を持つアル・ジーンは本書が気に入って、お母さん用に一冊買ったと言ってくれましたし、先に話したデーヴィッド・S・コーエンは、こう書いてくれました。「サイモン・シンの好著、アニメの視聴者にひそかに数学を吹き込もうという、数十年来の陰謀を暴く」とね。


いつも「時間がない」あなたに:欠乏の行動経済学

 大規模なマーケティング実験で、一部の顧客には有効期限付きのクーポンを送り、他の顧客には同じような期限なしのクーポンを送った。すると、期限のないクーポンのほうが使える期間は長かったにも関わらず、使われる確率は低かった。・・・データ入力の作業員は給料日が近づくにつれて精を出すようになることがわかった。・・・「イギリス人の頭脳は土壇場で一番よく働く」・・・締切が有効なのは、まさに欠乏を作り出し、注意を集中させるからだ。・・・会議が終わろうとしているときに関係のない話に時間を費やさないし、卒業の直前には大学を最大限に活用することに集中する。仕事でも楽しみでも、時間があまりないときのほうが得るものは大きいのだ。私達はこれを「集中ボーナス」と呼ぶ。欠乏による心の占拠が生むプラスの成果だ。

欠乏は潜在意識レベルでも、人がもっと意識的に行動するときにも、心を占拠することがよく分かる。心理学者のダニエル・カーネマンなら言うだろう。早い思考でも遅い思考でも欠乏は心を占拠する、と。

消防士の死因として、心臓発作の次に交通事故が多いとする推定もある。1984年から2000年まで、自動車の衝突は消防士の死亡者数の20~25%を占めている。そのうち79%で、消防士はシートベルトを着用していなかった。確実なことはわからないが、ただシートベルトを締めることで、その生命の多くが助かったと言ってもおかしくない。消防士はこの統計を知っている。・・・家族にシートベルトをするように言わない消防士もいないと思う・・・なぜ、消防士は消防車から投げ出されて命を落とすのか?・・・集中する力は物事をシャットアウトする力でもある。欠乏は「集中」を生むと言う代わりに、欠乏は「トンネリング」を引き起こすということも出来る。つまり、目先の欠乏に対処することだけに、ひたすら集中するのだ。・・・スーザン・ソンタグ「写真を撮るというのはフレームに入れるということで、フレームに入れるということは締め出すということだ」

ある研究で被験者は、個人的な目標として獲得したいと思う特性を表現する語(たとえば人気や成功)を、書き出すように指示された。半数は自分にとって重要な目標を挙げるように言われ、残りの半数はなんでもいいから目標を挙げるように言われた。その後両グループとも・・・できるだけたくさん目標を挙げるように言われた。すると、重要な目標から始め人たちのほうが、列挙された目標が30%少なかった。・・・重要な目標が活性化されたことで、競合する目標が締め出されたのだ。

処理能力への負荷は、ダイエットが単に難しいだけではないことを示唆している。ダイエット中の人は何をしているときも、心の何処かが食べ物に占領されているので、心的資源が減っていると感じるはずだ。・・・様々な認知テストのすべてで、人はダイエット中だと成績が悪い。・・・ダイエット中の人達の心の一番上にはダイエットに関係する関心事があって、知力を邪魔している。

バックグラウンドで開いているプログラムのせいで、動きが遅くなったコンピュータのたとえを思い出してほしい。あなたはそのコンピュータに向かっていて、他のプログラムに気づいていないとしよう。ブラウザがノロノロとページを開くので、あなたは間違った結論を出すかもしれない。他のタスクで手一杯のプロセッサを、そもそも遅いものと勘違いし、なんて遅いコンピュータだと思うかもしれない。同じように、欠乏による負荷をかけられた頭脳は、元々無能な頭脳と勘違いされやすい。・・・私たちは、貧しい人たちの処理能力が劣っているのではないと、断固として言いたい。全く逆だ。誰しも貧しくなると、有効な処理能力が落ちるのだと言いたい。・・・人は自分の持っているもの(時間、お金、摂取できるカロリーなど)がごくわずかしか無いと考えるとき、欠乏の物理的な意味に重点を置く。・・・負荷をかけられると、少ない心的資源でなんとかやっていかなくてはならない。人は欠乏のせいで莫大な借金を抱えたり、投資しそこねたりするだけではない。生活の他の面でもハンディキャップを負うことになる。まぬけになる。衝動的になる。使える処理能力が減り、少ない流動性知能と実行制御力で、なんとかやっていかなくてはならない―生きるのはさらに大変になる。

ミツバチはぴったり120度の角度で接する壁を作り、見た目完璧な六角形が出来上がる。壁の厚みは0.1ミリ未満、狂いはプラスマイナスわずか0.002ミリ。これは許容誤差2%であり、建築基準として悪くない。ちなみに、米国標準技術局は建築用加工合版の幅に10%の誤差を許容している。ミツバチと同様、ドロバチモスを作るが、こちらはドロで作る。・・巣房はほぼ円筒形だが適当にくっつけられていてミツバチの巣のような精密さは微塵もない。なぜ、ミツバチはそんな精密な構造物を作り、ドロバチはそんな乱雑なものを作るのか?答えは欠乏だ。ドロバチが使う材料は豊富なもの、すなわちドロである。ミツバチが使う材料は乏しいもの、すなわちロウである。

 

3章まで読んだ。4章からはまた時間があるときに。

 

 

いつも「時間がない」あなたに:欠乏の行動経済学

いつも「時間がない」あなたに:欠乏の行動経済学

 

 

科学という考え方 - アインシュタインの宇宙

 それまで無関係だと思っていた複数の法則が、多様に見える自然現象の異なる表現であって、実は相互に関連しあっていることがわかれば、一段深いレベルでの理解に達したことになる。そうして法則相互の関係が説明できるようになった時、自然は全く新たな形で人々の前に現れるだろう。・・・運動に関する法則が「光」という電磁気の減少と結びつくところに、相対性理論が生まれたのだ。そうした組み合わせの妙は、創作やアイデアの源泉として、学問や芸術のあらゆるところで役立っている。

パウリの講義録を編纂したC・P・エンツ・・・「パウリの講義は歴史的発展を重視し、これは公理主義的なやり方とはよい対照をなしている現代物理学の創造者の中で最も理性の人であったパウリは、歴史上新しいアイデアが生まれてくる非合理的な背景に魅せられていたいのである。これが彼の講義が時代遅れにならない理由である。」

ヴォルフガング・パウリ - Wikipedia

実際、革命的なアイデアには「非合理的な背景」があり、常識を超えた「意外性」がそこにはある。

科学的な思考力を身につけるための確実な方法があるとすれば、「納得行くまで自分で考える」ということに尽きる。「どうせ考えても自分には無理だ」とか、「時間がかかって無駄だ」などと投げ出すことなく、自分がわかるまで考え続ける。そして研究者になるためには、十代のうちからそうした考える経験を積むことが大切である。

アインシュタイン「科学は法則のコレクションや、関係のない事実のカタログのようなものではない。科学は人間の知性による一つの産物であり、自由に作られた考え方や概念を伴うものだ。」

ファインマン「数学を知らない人に、自然の美、その最も深い美に対する本当の感動を分からせることは難しい。」

ディラック「基本的な物理法則が極めて美しく、そして強力な数学理論によっって記述されるのは、自然の基本的な性質の一つであろう」

「分かる」ための4段階

「初級者」は、自分でどこがわからないのかが分かっていない。・・・「困難の分割」である。難しいことをいくつかに分けて、その一つ一つが分かるかどうか検討することだ。そうすれば、どこまでが分かって、どこからわからないのかがはっきりしてくる。・・・デカルト「むずかしい問題の一つ一つを、できるだけ多くの、しかもいっそう上手く解決するために要求するだけの小部分に分けること」

「中級者」は、大方わかったつもりでいても、まだ分かっていない部分が相当あることには気づいていないものだ。・・・人に聞いたり検索したりして得られた知識は、基本的に受動的なものなのだ。分かるためには、納得行くまで自分で能動的に考えて、咀嚼し直すしかない。回り道を厭わず、繰り返し本を読んで考える以外に近道はないのだ。学問に王道はない。

「上級者」は、個別のことは分かっていても、それらの関係について分かっていないことが多い。一見異なるようなことの間に、それまで見えなかった関係性が分かると、一段と深い真理が垣間見えてくる。学問の魅力はそこにある。

「名人」の生きに達すると、分かることの中に、いくらでも奥深い理が含まれていることが分かっている。どんなに極めても、その先にさらに極めるべき世界が広がっていることが見えてくる。それでいて絶望もしなければ、深淵を覗き込んで慄然とすることもない。むしろ嬉々として底なし沼の冒険を楽しむというべきか。それは未知への渇望のなせる業なのかもしれない。

 

朝永振一郎「数学を勉強してほんとにわかったという気持ちは、おそらくその数学が作られたときの数学者の真理に少しでも近づかないと起こり得ないのであろうか、一つ一つの照明がわかったということは、丁度映画のフィルムの一コマ一コマを1つずつ見るようなもので、それでは映画のすじは何もわからない、そんなものではなかろうか。」

朝永振一郎「物理学者は法則を数学化しておき、後はもっぱら数学的操作だけで色々な結論を導くのですが、そう言っても、得られた数学的結論がすべて物理的に同じ価値の内容を持つという保証はないのです。ですからそれを確かめるために数学的操作の節々で数式から抽象の世界に立ち戻り、式の意味を思い出さねばならないのです。」

  • 仁科は理研に仁科研究室を立ち上げ、量子力学に基づいて原子核宇宙線の研究を始めた。1937年には理研で日本初の小型サイクロトロン原子核素粒子の加速装置)、2年後には大型サイクロトロン本体をそれぞれ完成させ、1944年1月から実験を始めて16メガ電子ボルトの重水素ビームを出すことに成功した。アメリカに次いで世界で2番目の快挙だった。しかし、仁科が心血を注いで完成させたこのサイクロトロン終戦後、占領軍による原子力研究禁止令によって破壊され、東京湾に沈められる。
  • 東京生まれの朝永は幼少時、西田幾多郎(1870~1945年)の同志で哲学者だった父・朝永三十郎(1871~1951年)の京都帝国大学教授就任に伴って京都に移り住む。
  • 1929年に京都帝大理学部物理学科を卒業。ちなみに同物理学科の3年先輩に西田幾多郎次男、外彦がいた。西田外彦もまた父親の助言を得ながら理論物理学を学んでおり、当時の京都では、哲学と物理学とは互いに新しい次元をめざして切磋琢磨する関係にあったことが分かる。

2-5-c6跡取り息子外彦の進路

幾多郎>長男の謙は大正9年、23歳で急病で夭折しました。あいつは少々ひっぱたたいても父親の言うことなど聞きませんでした。大正11年の夏、次男の外彦が急に哲学者になりたいと言ったので、私が必死で手紙で説得して諦めさせたことがあります。彼は大学で既に理学部で物理学を専攻していたんです。それが哲学や文学に興味を持ったので、哲学科に変わりたがったのです。母親は不治の病で寝込んでいて、3人の娘は病弱で学校を遅れている有り様で、外彦には将来西田の家を継ぐ者としての自覚を持って欲しかったのです。それが自分が主体的に選んだ筈の物理学に身が入らず、哲学や文学の方が面白そうだから、そっちに変わろうかなんて怠け者の科白です。学問はそれを真面目に長年積み重ねてこそ、興味も深まってくるものです。

琴>そうでしたか、私は何も聞いていませんよ。それにしても外彦さんはお父様を尊敬していらしたから、お父様の跡を継ぐのが親孝行とお考えになられたのではないですか。それに幾多郎さんの血を引いてらっしゃれば、哲学者として大成されるかもしれないじゃないですか。

幾多郎>それは甘い考えです。自然科学ならその学問をこつこつ積み上げていけば、それなりの水準に達して、一応業績も挙げられるでしょう。でも文芸や哲学というのは非凡の天賦と非常の努力が必要です。確かに万人が文芸や哲学に親しみ、読んで味わうべきですが、軽々しく専門とすべきじゃありません。100人に1人、1000人に1人も真に成功することはないでしょう。

DIJ - Deutsches Institut für Japanstudien

  • 大学卒業後、早々と自らの道を定めて才能を発揮する湯川に、朝永は焦りと劣等感を募らせる。朝永はのちに「湯川理論ができたときは、してやられたな、という感情をおさえることができなかったし、その成功に一種の羨望の念を禁じ得なかった」と述懐
  • 講義においても1つの数式を板書すると、次の行は必ず学生全員が理解できる書き方をしたという。その点、思考が次々に飛躍して学生たちにはちんぷんかんぷんだった湯川の講義とは対照的だった。
  • 物理学の歩みを総覧する『物理学とは何だろうか』の執筆に精魂を傾けた。彼がこの本で述べた「物理学の定義」は、私にとっての揺るぎない軸になっている。曰く物理学とは「われわれをとりかこむ自然界に生起するもろもろの現象――ただし主として無生物にかんするもの――の奥に存在する法則を、観察事実に拠 りどころを求めつつ追求すること 」
  • 朝永は「科学と科学者」と題した講演の中で、科学を進展させる本質は損得勘定ではなく、人間に内在する「知的好奇心を満足させること」であり、そのやむにやまれぬ要求は「人間の自由な精神活動にその根をもつ」と述べている。

  • まず朝永先生は、仁科芳雄博士の目に留まって東京の理化学研究所へ研究室を移すことになる。その後、湯川先生は、大阪大学の菊池正士博士のところの講師として就職した。しかし湯川先生はその後、四年たっても論文を書こうともしないので、当時の八木理学部長は「朝永君を採っておけばよかった」と聞こえよがしに小言をいったという。またずっとあとのことだが、仁科芳雄博士は湯川先生のノーベル賞受賞のニュースを聞いて「湯川君を採っておけばよかった」と朝永先生に聞こえるように嫌味を言ったという。こうしたことは、いやが上にもお二人の対抗意識を駆り立てたことと思われる。(中村誠太郎、『湯川秀樹朝永振一郎』、読売新聞社、pp.45-46)
  • 1937年にニールス・ボーアが来日したとき、中間子論を説く湯川にボーアは「君は、新粒子が好きなのか」と苦々しく言ったという。また、同じ頃に中間子論を思い付いたエルンスト・シュテュッケルベルク(Ernst Stückelberg、1905~1984年)という学生に対してヴォルフガング・パウリは「自分勝手に新粒子を仮定するべきでない」と、論文を却下したという。
  • シュトゥッケルベルクという理論物理学者がある。時々おもしろいアイディアを出す、すぐれた人であるが、論文は難解で、人柄も大分変わっている。彼はジュネーブ大学の教授をしているが、前述の昨年(1967年:筆者注)七月の国際会議のときに初めてあった。私が「あなたには、もっと早くお目にかかっておるべきはずだった」というと、「もしもパウリが私をやっつけなかったら、私もあなたと同じ頃に、中間子論を提唱していたはずだ」と答えた。(湯川秀樹、『創造の世界:湯川秀樹自選集4』、朝日新聞社、pp.420-421)
  • 朝永振一郎は、湯川がこの着想を自分に語ったときのことを覚えている。1933年、東北大学物理学会があったとき、湯川は運動場の地面に木切れで式を書きながら「強い力の説明はできたが、けったいな粒子が出てくるわ」と話した。その「けったいな粒子」が発見されたのは、それから14年ほど経ってから
  • 朝永は言っている。「『好奇心』は、少なくとも科学という、人間精神の重要な営みに対して、ひとつの大きな原動力になっている」(『好奇心について』)。これを湯川は「自分の内側にわざわざ達成できないような理想を温存しているということですね。理想と現実の矛盾を生きる糧にしている」(『私の生きがい論』)という言い方で表現している。すなわち科学と技術イノベーション推し進める原動力は「その謎を解きたい」「誰もできないと思っていることをできるようにしてみたい」と考える、真理を追い求める取り組みなのである。

デルブリュック「ある法則が限られた範囲でのみ成り立つと言うだけの理由で、物理学者がその法則を軽んじたくなることはないであろう。生物学ではそうではない」

マックス・デルブリュック - Wikipedia

物理学では対象を理想化することが多く、その限定された範囲内で厳密な法則を導こうとする。ところが生物学では、実際に地球上の生物が全て対象であり、理想化された「生物」を想定することはほとんどない。また、遺伝・発生や進化のように多くのシュで共通して見られる減少と、それらを支える遺伝子・タンパク質・細胞などの性質が重要視される。

ファインマン「生物の世界に見られるものは物理化学現象の振る舞いの結果であって、「それ以外の何物か」を伴うものではない。」

物理現象と比べて生物がなにか特別のものに見えるのは、生命現象が物理法則に従わないのではなく、「生命システム」という独特の系を成しているからである。その意味では、超伝導体が通常の物質には見られない性質を持つという事実と何ら変わらない。人間もまた、他の動物には見られない独特の性質を持つのであって、「それ以外の何物か」を伴うものではない。

進化は「連続」とは限らない。・・・人類の進化の系譜は、猿人→原人→旧人→新人という連続的で直列的なものではなかったことは、すでに人類学で明らかにされている。・・・木村資生による「中立説」・・・分子レベルでの進化は種の存続にとって得にも損にもならない中立的な変化が大部分であり、遺伝的な多様性を生む原因となっている。言語の誕生もまた、解くにも損にもならない中立的な変化に過ぎなかったのかもしれない。それが時を経て人間の知性や創造性の源泉になったということもありうる。

アインシュタイン「哲学に対する興味はいつも私にありましたが、副次的なものに過ぎませんでした。自然科学に対する興味は、いつもとりわけ原理的なことに限られていて、それから私のすること為すことが最もよく理解できます。私が発表してきたことがとても少ないのは、その同じ事情と関連しています。というのも、原理的なことの把握に対する渇望のため、結果的にほとんどの時間が虚しい努力に費やされたからです。」

 ファインマン「さて、科学のさらなる発展には、単なる公式以上のものが必要だ。まず、ある観察をして、次に測定した数値を得る。それから、その数値をすべてまとめるような1つの法則を得る。しかし、科学の真の栄光とは、その法則が明白だという考え方を見つけられるということなのだ。」この「法則が明白だという考え方」は、法則のさらに奥深い「真理」であり、・・・「原理」そのものである。

理論にデータを合わせるのではなく、データに理論を合わせるのが科学である。・・・ケプラー・・・「神学においては権威の重みを、哲学においては理性の重みを考慮すべきである。」

科学には、「There is no stupid question」という大原則がある。・・・17世紀に近代科学が誕生するまでの長い間、「ものが運動するのは、その自然な場所を探しているからだ」といった「説明」がなされてきた。現代においても、科学を学んだことがなかったら、そのような感覚的な世界だけで生きていくことになるのである。それはある意味恐ろしいことである。

現代の科学では、「本当に存在する」と主張することが科学的なのではなく、自然現象などによって実証あるいは反証が出来るような「命題」こそが科学的なのである。

アインシュタイン「数学が多くの特殊な部門に分かれており、そのどのひとつも我々に許された時間を奪ってしまう可能性があるということを知った。その結果、わたしは、どちらの干し草の束に向かったら良いのか決めかねているビュリダンのロバの」ような状態に陥った。・・・しかし、物理学の分野では、わたしはすぐに、基本的なものにつながり得るもの、他のすべてのものとは区別しなければならないもの、精神を見出し、本質的なものから逸してしまうものを嗅ぎ分けることを学んだ。」

 寺田寅彦怪我を恐れる人は大工にはなれない。失敗を怖がる人は科学者にはなれない。科学もやはり頭の悪い命知らずの死骸の山の上に築かれた殿堂であり、血の河の畔(ほとり)に咲いた花園である。

 等価原理から、光が重力で曲がることは明らかだった。しかし、その効果はどうしたら実測できるだろうか。強い重力の効果を観測するには、質量が大きいことが望ましい。しかし地上で出来る実験では、質量が限られている。・・・地球の周りにあって質量の大きな天体となると、太陽が一番だ。・・・ほかならぬ太陽が明るすぎて、昼間は星が見えないのだ。どうしたらよいだろうか?答えは皆既日食の観測である。

⇒自然実験アプローチ(社会科学)の自然科学版と解釈可能かなと。

チャンドラセカール

「45年にわたる私の全研究生活の中で、最も強烈な体験は何であったかと申しますと、ニュージーランドの数学者ロイ・カーによって見出されましたアインシュタインの一般相対論方程式の厳密解が、宇宙に散財している数知れぬ重いブラックホールの絶対的に正確な表現を与えてくれるということが分かったときであります。この「美しいものの前でおののき」、数学における日の追求をきっかけとした発見が<自然>の中にその正確な写しを見出すというこの信じられないような事実、こういうことがあるものですから、美とは人間の心がその奥底で、最深部で感応するところのものであると、私は言わざるをえないのです。」

 「自然界のブラックホールは、宇宙にある最も完全な、マクロスコピック(巨視的)無物体である。その構造における要素は、我々の時空という概念のみである。しかも、ブラックホールの記述に対して、一般相対性理論が唯一の一群の解を与えるのだから、ブラックホールは最も単純な物体でもあるのだ。」

量子力学の開拓に貢献したディラックも、物理学が決定論に回帰すると考えていたのは興味深い。「現在の量子力学に従えば、ボーアを首領とする確率解釈が正しい解釈だということになります。とは言うものの、やはりアインシュタインも良い点をついていました。アインシュタインは、彼の表現によれば、善良なる神はサイコロ遊びをしないと信じていました。つまり、彼は基本的に物理学は決定論的な性格を持つべきだと信じていたのです。私は、最終的にはアインシュタインが正しいことになると思います。量子力学の現在の形を最終的な形と考えるべきでないからです。」

 ポランニー「そうした知を保持するのは、発見されるべき何かが必ず存在するという信念に、心底打ち込むということだ。それは、その認識を保持する人間の個性を巻き込んでいるという意味合いにおいて、また、おしなべて孤独な営みであるという意味合いにおいて、個人的な行為である。」

マイケル・ポランニー - Wikipedia

アインシュタイン世界の構造の合理性に寄せる、なんという深い信頼、あくまで納得を求める、なんという憧れ、たとえこの世界に示現されている理性の一つのかすかな閃光にすぎないにしても、この種の感情がケプラーニュートンの体内では脈々と生きていたに違いない。その結果これらの人々は長年に渡る孤独な仕事において天体の力学のメカニズムを解き明かすことができたのである。懐疑的な同時代の人々に取り囲まれながら、地球上のいろいろな地域に渡って散在し歴史上の各世紀を通じて散見される同士の人達に道を指し示してきたこれらの人々の精神状態というものは、科学的研究の大筋をその実用上の成果を通じてのみ知っている人々によっては、全く間違った風に理解されるということになりがちなものである。その生涯を同様な目的に捧げている人だけが、これらの人々を鼓舞し彼らに数限りない失敗にもめげずその目的に終始忠実でありうる力を与えてきたものについての、生き生きとした観念を抱きうるのである。」

「私にとって十分なのは次のような思想である。すなわち、生命の永遠性の神秘と、存在するもののもつ驚くべき構造の意識と予感、さらに自然において自己を顕示している理性の一部―たとえ、極めて微小な部分に過ぎなくともーの理解を目指す献身的努力である。」

 

本当の失敗は

本当の失敗は挑戦しないことだ

 

 

一つの扉が閉じれば

一つの扉が閉じれば、もう一つの扉が開く。しかし閉ざされた扉ばかり、いつまでも未練がましく見つめていると、開かれている扉に気づかないことが多いのだ。

ヘレン・ケラー - Wikipedia