データサイエンティストが創る未来 これからの医療・農業・産業・経営・マーケティング

 ビッグデータは強力な手段になりうるが、実のところ、限界も抱えている。コンテンツに―測定内容と測定方法に―大きく左右されるのだ。データはいつでも集められる。パターンは探せば見つかる。だが、そのパターンに意味はあるのか?本当に知りたいものを測定できているのか?意味のあるものを測定する代わりに、図りやすいものを測定していないだろうか?測定すべきものと測定しやすいものは相容れない。・・・「測定できないものは管理できない」。これは、統計学者であり品質管理の専門家でもあるW・エドワーズ・デミングの言葉とも、マネジメント研究の第一人者ピーター・ドラッカーのコトバとも言われている。・・・「測定できるものがすべて重要とは限らず、重要なものがすべて測定できるとも限らない」。アルベルト・アインシュタインの言葉として引用されることも多いが、もとは社会学者ウィリアム・ブルース・キャメロンの言葉だ。・・・ビッグデータによる意思決定の恩恵を受けるには、二つ目の言葉が示す謙虚さを忘れないことが大切である。

「成果はいつも簡単に測れるとは限らない」というテーマで推薦文を書いたらしい。ジェフの才能は学校の成績にはなかなか反映されないが、自分は彼のことを「真の天才」だと思っている、と書いたそうだ。・・・ラチャナ・フィッシャーはジェフのその後を知らずにいたが、華々しいキャリアを積んでいると知って嬉しそうに皮肉を言った。「データと数字を駆使して人々を分析する仕事をしているくせに、彼自信は、きっとどの枠にも収まらないんでしょうね」

ジェフリー・ハマーバッカーは今もあまり変わらない。教室だろうと書物の中だろうと、知的権威と見るや懐疑的になり、ややもすると傲慢とも言える態度を取る。また、新しいテーマを探求するときには、「3冊ルール」を守っていた。著者の偏見を差し引くために、見解の異なる本を少なくとも3冊は読むようにしているそうだ。自己流の独学にこだわる姿勢―独自にデータを集め、興味の向くままに研究するスタイル―は、在学中も多くの衝突を生み、教師を苛立たせ、両親を当惑させた。・・・自分という「学習マシン」を最適化するためにそのようなアプローチをとっているに過ぎない。チュートリアルを自分でデザインするようなスタイルで学ぶのが好きらしい。「僕は、誰かの話を拝聴して学ぶなんてことはしない・・・文献を読み、人々と話、そのやり取りの中で学ぶんだ」・・・「抑えがたい好奇心がDNAレベルで組み込まれているのね。彼にとって、読書はあくまで学習手段なのです」

データサイエンティストのあるべき姿・・・卓越した技術を計算と数学の枠を超えた実世界へのいきいきとした興味に結び付けられる人物。技術が求められるのは当然として、データサイエンスは幅広い分野にまたがり、実験による発見の上に成り立つものなので、オープンマインドな知的好奇心は貴重な資質となる。IBMが推進する大学プログラムの主任であるジム・スポラーは、そのような人物を「T型人間」と呼ぶ。深い技術知識と浅く広い興味を合わせ持つからだ。T型人間は、技術の世界はもちろん、ビジネス、社会政策、学問の世界でもイノベーションをもたらす起業家として活躍できる。また、分野の異なる人々ともうまく意思疎通ができるので、チームワークにも長けている。

データ・パラドックスとでもいおうか、どこの世界でもデータは増える一方なのに、その恩恵を享受できている分野はほとんどない。供給ばかり増えて、活用力が追いついていないのだ。・・・「情報過多」という言葉は、1960年台には既に登場しており、1970年に、未来学者アルビン・トフラーがベストセラーFuture Shock(未来の衝撃)で用いたのをきっかけに、一気に世間に広まった。

 優れた教育者は大抵そうだが、バックマン医師も、例え話を用いて説明することが多い。彼に言わせれば、医療データは、未開拓の天然資源と同じである。「地中深くまで添削して汲み上げる原油のようなものです」。ただし、データという名の原油を資源として活用するには、まだこれから灯油やガソリンに精製しなければならない。しかも、データマイニングの場合は、掘削(くっさく)に必要な内燃エンジンや自動車、道路に相当するものがなく、精製品の査定法や使用法も定まらず―要するにエコシステムをこれから整える必要がある。

 IBM基礎研究所・・・保険研究センターのミッションは、人口統計学的に同じ層に分類されながらも他の人より保険リスクの低い人々について、データとアルゴリズムを駆使し、これまで認識されてこなかった属性を特定しようというものだった。ところが、このミッションは保険数理士たちの抵抗に遭う。保険のことなら外野からきた数学屋よりも自分たちのほうが知っている、というわけだ。しかしデータ第一主義の世界では、これまで知られていなかった新たな関連や相関が見つかれば、それがどんなに思いがけない事象であっても、素直に受け入れる必要がある。・・・長年培われてきた文化こそが最大の難関でした。結局、保険研究グループは解散になり、IBMの数学者たちは別の任務に回された。

アイパッドの市場調査はどれくらい行ったのですか?」と質問すると「まったくしていない」とジョブズは答えた。「消費者が何を求めているのかは、消費者に聞いたってわからない」。消費者の声ではなく、自分の直感に耳を澄ましたということだろう。ジョブズはハイテク製品の天才だったかもしれないが、彼の直観は魔法ではない。経験と知識に基づき、自分の中に世界観や世界モデルを築き、磨き上げてきた結果が直観となって現れる。経験に順応する世界モデルを自分の中に構築できる能力こそが、人間の知能の特徴である。人間が持つ認識力の強味と弱味をもっと綿密に調べれば、データサイエンスを人類のためにどう役立てていけばいいのか、手がかりが得られるだろう。それはつまり、人間と機械の意思決定プロセスに見られる明確な違いを問うことになる。

グーグル、フェイスブックツイッター・・・彼らは広告枠を売って稼いでいるため、コンピューターサイエンティストの優秀な頭脳が、ターゲット型オンライン広告にばかり費やされる。・・・同世代のトップクラスが、人々に広告をクリックさせることばかり考えているなんて、あんまりだ。この指摘は真理をついているように思う。だが同時に、新しいテクノロジーはまず一番簡単に稼げるところに導入され、そのあとで広く浸透していくのが世の常だ。印刷機が最初に世に出た時も、グーテンベルク聖書の他に、まず印刷されたのは、宗教冊子と政治的な論説と、ポルノだった。知識を民衆に広め、大衆を教育するための媒体となっていったのは、そのあとだ。

ウェブ業界でABテストとして知られる実験で、大抵は、単純な無作為化試験で最善策を調べる。例えば、デザイナーはユーザーのステータス更新アイコンの位置を変更した新しいページレイアウトを提案してきた場合、フェイスブックのユーザーをページデザインを変更しない群(A群)と、ページデザインにデザイナーの提案を反映させる群(B群)に無作為に割り付けて比較検討するのである。このようなABテストは、今ではウェブサイトの開発、オンライン広告、マーケティングなどのために定期的に行われている。だが、ハマーバッカーがデータチームを発足させる前は、フェイスブック社内でABテストは全く行われていなかった。

テューキーは「データ第一」の精神の生みの親であり、データ・ディスカバリと意思決定に関する考え方にコペルニクス的な変革をもたらした。「仮説を立ててからデータを見て学ぶのではなく、まずデータを見て、そこに何が見えるかを知ろうとする」のがデータ第一の精神だ。

ジョン・テューキー - Wikipedia

技術者を大学に呼び戻し、世界的に見てとくに重要となる科学的問題に取り組んでもらわなければなりません。人々に広告をクリックさせる方法ばかり考えさせておくわけには行かないのです。

ハマーバッカーも、個人的興味、個人的能力、社会のニーズ、問題の扱いやすさという4つの基準に従って仕事を選んでいる。要するに、エンジニアにとって仕事は「知的な楽しみであり、意義のあるものであり、実現の可能性のあるもの」でなければならないのだ。

2008年に同様にフェイスブックを退社したジェフ・ハマーバッカー 氏も「ずいぶんたくさんの難しい問題を解決したものだった」と同社で 働いた時期を振り返った上で、「5年たてばどうなるかは何となく分か っていた。それは新しいことではなくて、業務の回転と効率性が中心に なっていくということだった」と述べた。 

 ハマーバッカーは、「大丈夫、自分が本当に好きなことをしていれば、ライフワークバランスなんて気にならないよ」というなんとも無責任な言葉でゼイリガーを安心させた。

データは文脈(コンテクスト)の中に置かれてこそ力を発揮するのだ。データが蓄積されれば、より細部まで描き出せるようになり、描き出されたものは、知識となる。それが、データを理解するということだ。変化に富む大量データの供給源を新たに確保すること。それも役にはたつし、必要なことだ。しかし本当に大切なことは、重要な洞察や発見を生むような形で「点と点をつなぐこと」なのだとアダムスは言う。

相関の持つ威力がよく分かる輝かしい例として「インフルトレンド」というグーグルのサービス・・・インフルエンザの発生を公的機関の統計発表よりも2週間ほど早く予報・・・公衆衛生に役立つデータ駆動型の早期警告システム・・・グーグル検索による問い合わせ情報と医師から疾病対策センター(CDC)への報告に基づく行政の統計情報とを過去数年分について照合したところ、相関が見つかった。・・・2009年、このサービスは、実際にH1N1型インフルエンザウイルスの広まりを当局の報告より前に予測した。・・・失態を演じることに・・・インフルトレンドは流行のピークとなる1月の米国人の罹患率を約11%と予測したが、その後のCDCの発表は約6%で、2倍に近い開きがあった。・・・ニュース報道やソーシャルメディアの影響を受けてインフルエンザ関連の検索件数が急増したものの、蓋を開けてみたらそれほどでもなかった、ということのようだ。・・・グーグルの開発者らが作ろうとしたのは、あくまで「補完的なシグナル」として使えるツールであって、単独で使える予測ツールを目指していたわけではない。

人間は、現実世界を経験しながら物事を「理解」していくが、コンピュータは現実世界を経験できない。人工知能(AI)が進歩するということは、機械が機械なりの方法で-人間のやり方とは全く異なる方法で-ますます見たり、呼んだり、聞いたり、話したり出来るようになっていくということだ。IBM音声認識と自然原書処理の草分け的存在であるフレデリック・イェリネクは、かてつてこれを「飛行機は翼を羽ばたかせない」という例えで説明した。

ビクター・マイヤー=ショーンベルガーとケネス・クキエは、共著『ビッグデータの正体』の中で、相関のほうが優位となる場合もあると力強く述べている。「因果のメカニズムまで明らかにするのが理想だと考えるのは、自己満足にすぎない。そのような思い違いは、ビッグデータによって覆される」

バーナーはビッグデータを支持しているが、手放しで賛成しているわけではない。理論や世界モデルがなくても相関さえあれば十分だとする徹底したデータ・イズムには懐疑的だ。「そのような考えが、金融危機の際に私達をトラブルに陥れたのです」・・・「相関だけで十分だという人々には、是非考えなおしてもらいたい」

グーグルのリサーチ・ディレクター、ピーター・ノーヴィグも、『データの不合理な有効性』と題したグーグルのチーム共著論文の中で、・・・単純なモデルと大量のデータの組み合わせは、常に、わずかなデータに基づく精巧なモデルに勝る・・・だからこそ、データを追跡せよ・・・社会学は、簡潔な数学理論に対して物理学のようには屈しない、ということだ。「とはいえ」とフェルッチはブログの投稿で解説を加えている。「方法論にはやはりモデルが関係してきます。理論は終焉したのではなく、新たな形へと広がっていくのです」

http://static.googleusercontent.com/media/research.google.com/ja//pubs/archive/35179.pdf

ロバート・ゴードン・・・消費者向けエレクトロニクス分野の技術革新・・・より小さく、より賢く、より高性能になっているが、過去に屋内トイレ、電気照明、自動車が果たしてきたような労働生産性や生活基準を根本から変化させるようなものではない。・・・想像力が欠如していると行って非難する人もいるが、「しかし、わたしはイノベーションの終焉を予測しているのではなく、ただ、過去の偉大な発明に比べて、未来の発明は有用性の面で劣ると言っているだけだ」・・・ポール・クルーグマン・・・10年前、人工知能分野は失敗続きだった。だが、その後、何かが起きた-音声認識機械翻訳、自動走行車など、少し前まで冗談としか思えなかったことが、いつの間にか現実になろうとしている・・・人工知能は、ビッグデータや相関を駆使してアルゴリズムを実装します。


人間の学習について理解することと機械学習を開発することは、陰と陽の関係にあります。陰と陽が交差し、組み合わされた場所でわたしは生きているのです。


エマニュエル・ダーマン・・・物理学は神を相手にする学問であり、物理の法則はそう簡単に変更されることはない。一方、金融が相手にするのは神の創造物であり、市場の資産の価値は刹那の意見にもとづいて評価される。

物理学者、ウォール街を往く。―クオンツへの転進

物理学者、ウォール街を往く。―クオンツへの転進

 

 マッキンゼー・グローバル研究所は、米国内のみを対象に、ビッグデータ職の求人市場調査を実施した。同社の推定によれば、高度な解析技術を備えた技術者14万~19万人異常、データに精通した管理職150万人以上を社員の再教育や新規雇用で確保する必要がある。・・・データ職の求人市場に相当な拡大が見込まれることを論証している。と同時に、・・・データサイエンティスト(高度な解析スキルを備えた人々)は前衛部隊になりうるが、データ駆動型社会に向けた進撃の速度を決定づけるのは地上部隊、すなわちデータに精通した管理職たちであるという点だ。マッキンゼーの計算では、データに精通した管理職に対する需要はクオンツに対する需要の約10倍にもなる。ビジネス分野においても他分野においても、そのような「データ指向の人々」が大勢必要とされているのである。

データサイエンティストが創る未来 これからの医療・農業・産業・経営・マーケティング

データサイエンティストが創る未来 これからの医療・農業・産業・経営・マーケティング

 

 

ヤバすぎる経済学

グレン・ワイルの投票の仕組みでは、有権者は好きなだけ何度でも投票できる。でもアイデアのキモは、投票する度にお金を払わないといけなくて、払う金額は投票した回数の2乗の関数で決まることにある。その結果、もう1回投票すると費用は前回の投票より高くなる。ちょっと考えるために、1票目には1ドルかかるとしよう。2回目の投票には4ドル、3票目は9ドル・・・ ある候補がどれだけ気に入っていても、人が投票する回数は有限回になる。・・・批判といえば、まず、お金持ち優遇だ。・・・選挙活動への献金の仕組みが今どうなってるかを見れば、貧乏人よりお金持ちのほうが、既にずっと影響力を持っているのは疑いようもない。だから、この投票の仕組を導入し、合わせて選挙活動費を制限するほうが、今の投票の仕組みより、ずっと民主的かもしれない。

政治家のお給料を大幅に上げてやれば、ちっとはマシな政治家が出てくるかもしれない。・・・

  1. 本当は大事な仕事なのだよとメッセージを送れる
  2. もっと儲かる業界に行っていた有能な人達が政治の世界にやってくる
  3. 政治家の人達に、収入のことを心配せずに大事な職務に集中してもらえる
  4. 政治家たちが利権に惑わされにくくなる

クラウディオ・フェラスとフレデリコ・フィナンの研究論文によると、ブラジルの地方自治体ではちゃんと(仕事の質が)上がったそうだ。・・・より高い競争で政界の競争は強まり、教育、職歴、議員としての政治の経験で測った議員の質は向上している。・・・フィナン、エルネスト・ダル・ボウ、マーティン・ロッシの3人が書いたもっと最近の論文は、公僕の質もお給料を上げれば改善するのを発見した。・・・政治家にインセンティブを与え、彼らが議員としてやったことが社会にいい結果をもたらしたら、たっぷりお金を払うのはどうだろう?・・・政治家のインセンティブが有権者のインセンティブとあんまり一致していない。・・・誠意直の方は、自分自身の利益で動く強いインセンティブを抱えている。そして彼らの利益はだいたい目先のこと(再戦、資金調達、権力その他)ばかりだ。大体の政治家がやることなすことに、僕達は辟易しているけれど、でも、彼らは単に、政治の仕組みが自分たちの目の前にぶら下げたインセンティブに反応しているだけなのである。

シンガー・ソングライターのジェイン・シバリーは自分の曲を自己申告の仕組みを通じて公開・・・ファンに差し出す選択肢

  1. タダ:17%
  2. 自分で決める(まず払う):8%
  3. 自分で決める(後で払う):37%
  4. 普通に払う(相場で)

さらに巧妙なのは支払い法を決めようとプルダウンメニューを開けると、それぞれの曲の平均価格が現れるところだ。ねえねえ、この曲盗んでってくれて全然構わないけど、他の人縦ゃ最近、こんなふうに払ってるみたいだよ。・・・経済学者の大好きな変動価格方式を取り上げて、売り手ではなく買い手に値決めをゆだねている。

 一番中毒性のきついものは何だと思うか、ベッカーが自分の考えを聞かせてくれた時、僕は最初、びっくりしたし信じられなかった。・・・中毒性のあるものにはこんな特徴

  1. 一度それを消費し始めると、もっともっと消費したくなる。
  2. 時とともにそれに慣れてしまう。つまり、同じ量だけ消費しても嬉しさは減っていく。
  3. それ欲しさに人生のありとあらゆるものを犠牲にする様になり、それを手に入れるためにばかみたいなことまでやらかしたりする。
  4. それを消費するのをやめると、しばらく禁断症状に苦しむ。

 ベッカーの見方によると、そういうものよりもっと中毒性がきついものがある。人、だ。・・・恋に落ちるなんていうのは究極の中毒だろう。

 終末を語る連中は、経済学の基本原理がわかっていないのだ。つまり、人はインセンティブに反応する、である。物の値段が上がればそれを求める人からの需要は減るし、それを作る企業はそれをもっと作る方法を考え出すし、みんな、それの代わりになるものを作る方法を探しだす。加えて、技術革新も進む。で、行き着くところ:需要と供給に問題が起きても、市場が解決する方法を見つけてくれる。

アメリカの肥満率はどうしてこんなにも上がったんだろう?・・・経済学者であるシン=イ・チョウ、マイケル・グロスマン、ヘンリー・セイファーの3人が面白い論文を書いている。彼らはたくさんの要因を考慮したうえで、・・・デブが急にたくさん湧いて出たのは、大部分、とても安くてとても美味しい食べ物が幅広く行き渡ったからだ。タバコを吸う人が幅広く減少したのも肥満率の上昇に一役買っているという。これはすじが通っているような気がする。ニコチンには覚醒作用があるし、食欲を抑える作用もあるからだ。

デブにデブをやめさせるには?もちろんこれは難題で、だからこそダイエットとエクササイズ長年何十億ドル規模の業界であり続けている。

エリック・オリヴァー・・・デブに関する論争は嘘と間違いにあふれている。「一部の医者や政府の役人、保険研究者が製薬業界や減量業界から援助を受けて、6000万人を超えるアメリカ人を実際はそうでないのに『太りすぎ』に分類させるべく運動し、デブが健康に与えるリスクを膨らませて語り、デブは命にかかわる病だという見方をばらまいていることを世にしらしめるのが本書の目的である。オリヴァーは科学的な証拠を概観し、デブがそんなにもいろんな病気の原因であったり死んであったりする証拠も、あるいは体重を減らせばより健康になれるという証拠も、ほとんど無いと示している。」

今幸せだと感じることと、後から考えて満足だと感じることは同じでは人だ。人が幸せに感じる可能性をがとても高いのは、自分の好きな人と長い時間を過ごしている時で、一方、満足だと感じる可能性がとても高いのは、平凡な目標を成し遂げた時、例えば大きな収入や安定した結婚生活を手に入れた時だ。

人はだいたい、リスクを見積もるのが下手だ。劇的でまれに見る出来事のリスクを過大評価し、もっとよくある見飽きた出来事のリスクを過小評価する。テロ攻撃と狂牛病をこの世の何よりも怖がっている人が、実際には、むしろ心臓発作を怖がるとかサルモネラ菌を怖がるとかしたほうが身のため、なんてことがあったりする。

  1. 知っている相手に殺された人の、知らない相手に殺された人に対する割合は、だいたい3対1だ。
  2. レイプされた女の人の64%は、襲った男と知り合いだ。加重暴行の被害者の61%は、襲ってきたのが誰か知っている(一方、男性の場合、襲ってきたのは知らない相手であることのほうが多い)。
  3. 子供の誘拐はどうだろう?2007年にスレイト誌に載った記事によると、最近のある年に失踪した子供の内「20万3900人は家族による誘拐。5万8200人は家族以外による誘拐、そのうち『型どおりの』誘拐は115人だけだった。・・・家族以外による誘拐であって、わずかに知っている程度の関係であるか、または全く見知らぬ相手の手によるものであり、子供が夜間にわたって拘束されるか、50マイル以上にわたって移送されるか、身代金目的で拘束されるか恒久的に拘束し続ける意図を持って誘拐されるか、または殺されるかのいずれかに当てはまる場合を指す。」

 あるオーストラリアの医療調査によると、お医者さんたちは自己申告では73%が手を洗うと言っているが、その同じお医者さんたちを観察してみると、実際に洗っているのはほんの9%だった。

セサル・マリティネリとスーザン・W・パーカー「社会制度における詐欺と虚偽申告」・・・メキシコの福祉制度であるオポチュニダデスから得られた、実に豊富なデータを使っている。制度の適用を受けようと申請を行う人達が、どんな家財道具を持っていると申告したか・・・持っていた人の内持っていないと申告・・・車、トラック、ビデオデッキ・・・持ってもいないのに持ってると申告・・・トイレ、水道、ガスレンジ・・・僕らなり誰かなりが自己申告の危うさをどれだけ書いて囃し立てようと、マルティネリとパーカーの論文にはかなわない。・・・彼らの論文は自己申告の危うさの問題に、よって立つべき足場をしっかり固めて作ってくれた。僕達が何で嘘をつくのか、驚くような洞察を与えてくれただけでなく、同時に、自己申告によるデータは、端から当てにしない方がいいと冷水をぶっかけて思い知らせてくれた。

郵便局が切手を貼ってない郵便までちゃんと届けてくれるのはどうして・・・ある行動の利益が一番大きくなるのは、行動の限界費用が限界収入に一致する時だ。ほとんど全部の手紙に切手が貼ってあるなら、100%正確にすべての手紙をチェックしても得られるものは少ない。だから、切手を貼ってない手紙もある程度見逃すぐらいにしておいたほうがいいのである。

 ドイツでは売春は合法である。・・・メゾン・ダンヴィでは、7月に5ユーロの割引を始めてから業績が改善している。割引を受けるには、お客はフロントで自転車の鍵か、公共の交通機関を使ってやってきたことを示す証拠を見せればいい。たとえば密室で45分のサーヴィスの価格は、それで70ユーロから65ユーロに割り引いてもらえる。・・・そんな価格の差別化をするのは環境意識を高めたいからだと売春宿は言うけれど、昔ながらのステキな価格の差別化を環境にやさしいコスプレに包んだんだと僕には思える。バスや自転車でやって来るお客は車でやってくるお客に比べて収入が少なく、値段に敏感である可能性が高い。もしそうなら、売春宿はそういうお客にはお金持ちのお客より安い値段でサーヴィスを提供したい。難しいのは、なにかいい言い訳がないと、お金持ちのお客は高めのお勘定を突きつけられて怒ってしまうかもしれない。環境に優しくしようって運動で、売春宿は、ずっと前からどっちみちやりたかったことをやる、いい塩梅の大義名分を手に入れたのだ。

世界保全財団(WPF)の最近の報告が認めているように、気候変動との戦いで菜食主義に目を向けないのは、デブ問題との戦いでファストフードに目を向けないのと同じぐらいおかしい。汚い石炭だの天然ガスのパイプラインだのは放っといていい。WPFの報告書が言っているように、菜食主義こそグローバルな気候変動を抑えるために一番有効な道なのだ。・・・菜食は地元で育てられた動物を食べるのに比べて7倍も温暖化ガスの排出を減らせる。世界中が菜食に徹すれば、食べ物に関わる温暖化ガスの排出量を87%も減らせる。「持続可能な肉と乳製品の食事」で減らせるのがたったの8%であるのと比べてみればいい。・・・牛肉をやめて鶏肉にすれば・・・「環境に与える影響の純減」は5%から13%に過ぎない。・・・反芻動物の肉を食事から排除すれば気候変動との戦いにかかるコストは50%減らせる。・・・350ドットオーグ(国際的非営利組織で地球温暖化と戦う組織)は・・・「菜食主義などの問題について、私たちは公式にいずれの立場にも与してはいません」。・・・マッキベン(350ドットオーグの創設者)は最近ホワイトハウスの前までやってきて、天然ガスのパイプラインの建設計画に反対する座り込みに参加して逮捕された。・・・大きなパイプライン建設計画への抗議活動で牢屋に放り込まれる方が、家で青汁飲みつつ他の人たちに菜食主義を勧めるよりも、350ドットオーグの名をあげるにはずっといいってことだろう。・・・大事なのは見出し付きでマスコミに取り上げられるぐらい人目を引くことだ。

 地元チームってほんとに有利なんだろうか?そりゃもう断然。・・・トビー・モスコウィッツとジョン・ワーサイムは・・・地元チームが買った割合を計算している。

f:id:yamanatan:20160826101523p:plain

・・・スポーツ選手が地元で試合をする時、野球ではバッターがボールを打ちやすくなるわけではないみたいだし、ピッチャーも投げやすくなるわけではないみたいだ。地元の観客は、地元チームの後押しにもヴィジターチームの邪魔にもなっていない。・・・さて、よくある説では地元チームが有利なのをあんまり説明できない・・・一言で言うならこれだ:審判。・・・判定はちょっとだけ地元有利に偏っている。・・・サッカーは他のスポーツよりも審判が試合の結果を左右・・・どのプロスポーツと比べても、サッカーの地元チームはより有利になっていることが、それで説明できる。

オタクの行動経済学者、スポーツの裏側を読み解く

オタクの行動経済学者、スポーツの裏側を読み解く

 

 

NJ州で6回も銀行に押し入った男・・・いつも木曜日に押し入るのだ。「特にこの曜日を選ぶ理由は明かされていない」と記事は書いている。・・・地元の銀行に勤めていた人で、バーニス・ガイガーって人の話・・・1961年に逮捕・・・長年の間に200万ドルを超えるお金を使い込んでいたのだ。・・・逮捕される頃には、ガイガーは疲れきってしまっていた・・・彼女は一切休みを取らなかったのだ。彼女の手口にとって、これはとても大事なことだった。・・・ガイガーが休みを取らなかった理由は、彼女は二重帳簿を作っていて、代わりの人に使い込みがバレる危険を冒せなかったのだ。・・・刑務所を仮釈放された彼女は銀行を監督する役所に勤め、使い込みを見破る手助けをした。彼女が一番大きな力を発揮したのは、休みをとってない従業員を探すことだった。・・・アメリカでは1年にざっと5000件の銀行強盗・・・どれかの曜日が他に曜日に比べて成功しやすいという証拠は見られない・・・銀行に押し込むなら午後より午前のほうがずっとたくさん稼げる(5180ドル対3705ドル)。なのに、銀行が襲われるのは圧倒的に午後だ・・・平均で1回あたり4120ドルを稼いでいる。・・・100階に35回は捕まっている!・・・イギリスの銀行強盗・・・平均では大体3万ドル稼げる・・・全体で見ると、徒党を組んで銀行を襲えば稼ぎは大きく跳ね上がる。銀行強盗の稼ぎは強盗1人あたり平均で1万8000ドルだ。・・・「銀行強盗の平均収益は、正直に言って、しょぼい」。また「利益を追求する生業としての銀行強盗には大きな課題が残る」

 

僕みたいなノンフィクション系の物書きで、ジャーナリズムと文学の訓練を同じぐらい受けていると、取材の相手が語ってくれたことからはみ出したことは書けない。・・・自分のことを書かれると知ったら、ほとんどの人はできるだけ自分をよく見せようとする。・・・もっと手の込んだ人たちだと、自分のすばらしさを伝えるべく、自分を卑下したりもする。・・・ほんとかどうかもわからないし、語ってくれたので全部かどうかもわからない。しかも目的はというと真実を歪めた姿に描くことである、そんな逸話に頼らないといけない、そんな状況だ。経済学者はそこが違う。ホントの話を膨らませて逸話を語る代わりに、データを使って真実を語る。少なくとも彼らはそれを目指す。・・・物書きである僕にとって、この手の考え方は神様の贈り物・・・マスコミの人間ではまず手が届かない、長期的で偏りのない視点で世界を見ることがきでる。

 

見えざるフック・・・アダム・スミスに取って、個人がそれぞれ自分の利益を追求すると、結局お互い協力しあうことになり、それで富が創りだされ、他の人達も恩恵をうけることになる。海賊にとって、個人がそれぞれ自分の利益を追求すると、結局お互い協力しあうことになり、継続たちはもっと効果的に略奪が行えるようになり、それで富が破壊されることになる。

海賊は合理的で経済的な損得で動く連中がやってるもので、彼らにとって海賊は選んだ職業なんだとわからないといけない。・・海賊にとってのインセンティブを形作っている必要と便益を変形して、彼らが海賊人生を歩みたくなくなる解決策を考えないといけない。

海賊の経済学 ―見えざるフックの秘密

海賊の経済学 ―見えざるフックの秘密

 

 

ジェニファー・ドレアックとルーク・シュタインが行った研究・・・手頃なオンライン市場に何百件もの広告・・・iPodを売る広告で、持っている手は黒、白、白に大木は彫り物の3種類からランダムに選んで・・・様々な取引結果の指標で測って、黒人の売り手は白人の売り手よりも成績が悪かった。黒人の売り手が受け取った買い手からの反応は白人の売り手より13%、受け取った買い値の提示は17%少なかった。この効果は北東部が一番強く、手首に彫り物があるのを見せている売り手に見られる効果と同様の大きさだった。・・・一番はっきりしているのは、何かをオンラインで売りたいなら、あなたが黒人でも白人でも、誰か白人の人を見つけてきて写真に写らせというた方が良いってこと。思うに、広告を出す人たちはそんなことはずっと前から分かってて・・・写真に写ってる白人の人をブロンドの美人さんにしているのだ。
差別には代表的な仮説が2つ・・・悪意に基づく差別と情報に基づく差別・・・売り広告の品質をあれこれ変えるという作戦・・・広告の質が高ければ、それがシグナルになって、黒人の売り手からは買わない動機の内、情報に基づく差別の部分を圧倒するかもしれない。・・・広告の質は人種間での結果の差に、あまり影響していなかった。・・・黒人の売り手は、犯罪発生率の高い都市では特に成績が悪い。

ダントツでいい結果が得られたのは試験の前に生徒にお金を渡し、基準に達しなかったそのお金を取り上げる、というやり方をする場合だった。この結果は心理学者のいう「損失回避」と一致する。・・・中流家庭には成績に基づいて子供にお金を上げる家がたくさんある。それなら、家の人以外が子どもたちにお金をあげるのが、何でこんなに叩かれるんだろう?

僕達、何でこんなにエビをたくさん食べてるんだろう?(1980年から2005年の間にアメリカでは1人あたりのエビの消費量が3倍近くになった)
MITスローンスクールでマーケティングの教授をしているシェイン・フレデリックが面白い仮説を持って僕に連絡してきた・・・顕著な規則性・・・心理学者(というか、多分経済学者以外みんな)は需要曲線の位置の変化に焦点を当てた説明をする。つまり、選好や情報などの変化だ。たとえば

  1. 人々がより健康を意識するようになった。エビは赤身肉より健康に良い。
  2. レッドロブスターが広告代理店を変えた。で、新しい代理店の広告が効果を発揮している。

対照的に経済学者は、「供給」に焦点を当てた説明をする傾向がある。たとえばこう

  1. エビを捕まえる網の性能が良くなった。
  2. メキシコ湾の天候がエビの卵にとって良かった。

中級ミクロ経済学を教えていると、学生たちは、供給よりも需要のほうがずっと簡単に理解できるみたいだ。僕達の大部分は、生産者よりも消費者としての経験をずっと積んでいる。だからぼくたちは、物事を供給よりも需要のメガネを通して見がちなんだろう。
経済学者以外はだいたい、需要側の理由だと考えていた。・・・57%が需要側の理由だけ、24%が供給側の理由だけを挙げている。・・・仮説があんまりうまく行ってないのは経済学専攻の人たちで、全体の20%は経済学専攻だったんだけど、その他の人たちとあんまり変わらない応えをしている。経済学専攻の47%ぐらいが需要側の理由だけを挙げている。供給側だけなのは27%だ(両方の理由を挙げている人の割合は経済学専攻の方が大きい。)・・・実際のところ、経済学専攻の人たちとそれ以外の人たちがあまり違わないのは、ひょっとすると経済学の今の教え方がよくないってことなのかもしれない。・・・一番似ても似つかない考え方をするのはどんな人達だろう・・・(まあ驚かないけど)国語専攻の人たちと(結構驚きだけど)工学専攻の人たちが手にしている。両方合わせて49人いて、彼らの大部分は圧倒的に需要側の説明をしていた。面白いのは、女の人達全般で、供給側の説明をする割合は男の人達の半分ぐらいである点だ。・・・1つ大事なのは、価格が大きく下がっていることだ。ある論文によると、エビの実質価格は1980年から2002年の間に50%ほども下がっている

ヤバすぎる経済学

ヤバすぎる経済学

 

 

サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠

 ウォール街やロンドンのシティで評価されるのは、MBAあるいは経済や金融、天体物理学をはじめとする定量的科学の修士号や博士号だ。タジク人の結婚の風習というのは、世界経済や銀行システムについて執筆するのにおよそ相応しい予備知識とは思えなかった。

ブルームバーグ・・・筆頭は各組織がどのように情報の流れを管理しているのか(というより管理できていないのか)だ。「測定できないものは管理できない」はお気に入りのスローガンだった。もう一つのテーマは、市役所内のサイロを破壊することだった。ブルームバーグは従業員の交流を促すオープンプラン・オフィスこそ、オフィスを運営する最適な方法だと確信していた。普通の行政機関というのは、そうなっていない。・・・市役所の組合は本当に強く、全員の雇用を守ろうとした。市役所は巨大組織で、2500もの異なる職種がある。この2500ものサイロが本当に強固だった。

・・・求めたのは数理経済学の分かる、そして新たな見方を提供してくれるフレッシュな人材だった。・・・データは何十という異なるデータベースに分かれて保管されていなのだ異なる部局が互いに独立していただけでなく、各部局の内部は更に細かい部署に分かれていた。職員だけでなく、データも恐ろしく細分化されていた。・・・ガキンチョ達は危険な建物は1938年以前、すなわちNYの建築基準が強化される前に建ったものが多いことに気づいた。しかも大抵は貧困地区にあり、所有者が住宅ローンを滞納しており、過去に害獣・害虫の苦情が寄せられていた。・・・つまりファイアトラップとなる住宅を予測したければ、一番の手がかりは311の通報でも火災に関する具体的な苦情でもない。住宅ローンの不履行、建築基準法違反、建物の築年数を示すデータ、周辺の貧困度を示す様々な指標という多様なデータを組み合わせた結果が最も有効だった。・・・それまでは検査官が調べた建物の内、実際に問題を発見できたのは13%だった。それが新しい手法を使うと、検査官が訪れた物件の70%で問題が発見された。追加コストもかけずに、火災リスクの発見プロセスの効率は一気に5倍になったのだ。

ニューヨーク市の法律では、レストランは廃棄物処理会社と契約し、イエローグリース(黄色油脂)を廃棄することになっている。だが従来は法律を無視し、グリースをマンホールつまりは下水道に直接流す店が多かった。・・・廃棄物処理免許を申請していないレストランを抽出し、グリースを廃棄している可能性が高い店のリストを作った。・・・『不法投棄をせずに、バイオディーゼル会社に廃油を売ってお金にしろよ。世の中にはイエローグリースを買いたいっていう企業が山ほどあるんだぜ』

サイロを破壊するメリットはあまりに明白で、しかも効果は強力だった。・・・なぜデータベースを統合しようという試みがこれまで行われてこなかったのか。・・・NY市役所にはあまりにもサイロが蔓延していたため、目と鼻の先に転がっていた問題やチャンスに誰も気づかなかったのだ。・・・成功した本当の要因は、統計データの使い方にあったのではない。我々の職務、データ、部署、生き方や考え方がどのような仕組みになっているかの問題なのだ。

現代社会にはサイロが必要であるという認識から出発している。少なくともサイロがスペシャリストの集まった部署やチームや場所を意味するのなら、間違いなく必要なものだ。理由は明白である。我々はひどく複雑な世界に生きており、この複雑さに対処するには何らかの「体系化」が必要だ。・・・専門化はたいてい進歩につながる。18世紀の経済学者アダム・スミスが指摘したとおり、社会や経済は分業によって栄える。・・・しかし、サイロには弊害もある。専門家チームに分けられると互いに敵対し、リソースを浪費することもある。・・・組織の細分化は情報のボトルネックを生み出し、イノベーションを抑制しかねない。

オバマ政権がローンに苦しむ住宅保有者を支援するために施行した制度・・・一定の基準を満たした場合、銀行が月々のローン返済額を減らすという仕組み・・・金融機関の組織があまりにも細分化されており、ある部署が毎月の返済額を減らして住宅ローンの借り手を支援することにしても、その情報を差し押さえを担当する部署に伝えないことが多かったのだ。・・・差し押さえ担当チームが、借り手が債務不履行に陥ったものと判断し、家を差し押さえてしまったのである。・・・グールズビー「ひどい話だった。銀行の中があんなサイロ状態だとは、誰も思いもよらなかった。サイロは非常に強力で、我々が期待していたのと真逆な結果を招いた。」

 ブルデューは元々人類学者を志していたわけではない。若いころは、世界を理解する最も良い方法(ことによると唯一の方法)は哲学を学ぶことだと考えていた。・・・サルトルが圧倒的な支持を集めいていた戦後フランス社会で育ったことを考えれば、自然な発想かもしれない。「(当時は)哲学者という社会的地位の高いアイデンティティを確保することによって神聖な存在となるために、人は哲学者を志した」とブルデューは説明する。

クロード・レヴィ=ストロース・・・フランスの知識人の伝統にならい、言語学者兼哲学者としてキャリアをスタートさせたが、やがて(ブルデューと同じように)抽象的思考にふけることにうんざりした。「私は子供の頃から理屈に合わないことが嫌で、無秩序とされるものの背後に秩序を見出そうとした。私が人類学者になったのは、人類学に興味があったためではなく、哲学から足を洗いたかったからだ。

いずれにせよブルデューは、学問の境界やレッテルにこだわるのはくだらないと感じていた。どのような学問分野についても専門家の領域と考えることを拒み、学者を異なる部族に分けて競わせる大学の傾向を苦々しく思っていた。・・・マーガレット・ミード「人類学に必要なのは、自分が想像すらできなかったことを見聞きし、驚きと感嘆を持って記録するオープンマインドな姿勢である。」

企業戦略の常識に照らせば、やたらと端末の数が多いというのは決定的におかしかった。コンシューマー向け製品を扱う会社が新製品を発表するときには、顧客(あるいは自社の営業担当)を混乱させないように、できるだけプレゼンテーションをシンプルにしようとするものだ。通常は特定の分野ごとに一つの製品しか出さない。・・・1999年にソニーが1つではなく2つの全く異なるデジタルウォークマンを発表した理由は、社内が完全に分裂していたためである。巨大なソニー帝国の異なる部門が、それぞれ「ATRAC3」と呼ばれる、あまり互換性のない独自技術を使って全く異なるデジタル音楽プレーヤーを開発したのだ。異なる部門(サイロと呼んでもいいだろう)はどちらか一方の製品で合意することは愚か、アイデアを交換することも、共通の戦略を見出すことすら出来ない状態だった。・・・数年もしないうちにソニーはデジタル音楽市場から完全にドロップアウトし、「アイポッド」を擁するアップルの独走を許した。

News and Information "MZ-E95"

News and Information "VAIO GEAR"

「どれほど市場調査をしたって、ソニーウォークマンが成功はおろか、たくさんの模倣品が出まわるほどのセンセーショナルなヒット商品になることは見通せなかったはずだ。しかしこの小さな商品は、世界中で数百万人の音楽の聞き方を変えたのだ」と盛田は振り返る。

「アップルには独自の損益責任をもつ『事業部』は存在しない。会社全体で一つの損益があるだけだ。・・・ジョブズがこの時使ったのは真の協業やコンカレント・エンジニアリングといったフレーズだ。製品を技術、設計、製造、マーケティング、流通の各部門に順を追って引き継いでいくのではなく、様々な部門が同時並行的に協力するのだ」とアイザックソンは書いている。

 ソニーの文化は徹底した階層主義で、誰もが分をわきまえ、言われたことにしたがうように教育される。こうした文化では社員は特定の役割を任され、その役になりきる。そうして本当に薄っぺらになるんだ。・・・ストリンガー自身は、サイロ問題は日本に限った現象ではないと考えた。ソニーは極端なケースだったが、機能不全に陥ったサイロは数多くのヨーロッパやアメリカの大企業でも問題を引き起こしてきた。代表格の一つがマイクロソフトだ。ゼロックスも同じである。そこでストリンガーはこの問題に正面から向き合った大企業の事例を探した。その中でアメリカの巨大コンピュータ会社IBMの事例に惹きつけられた。・・・最終的にはガースナーのサイロ破壊の試みは勝利し、IBMアメリカ産業史上稀に見る復活劇に導いた。・・・企業におけるサイロとは、要するに組織内のサブカルチャーのことだ。孤島のようになり、水平的はおろか垂直的コミュニケーションすらしなくなる。・・・もちろんサイロの存在は必ずしも悪いこととは限らない。会社が大きくなれば、専門家は不可欠とは言わないまでも有益なことが多い。・・・他のチームと交流しなかったり、あるいは自らの垂直的ヒエラルキーの上下でコミュニケーションをしなかったりすると、透明性を失い、社内の他の部署や外界で起きている変化に乗じることができなくなる。西欧の企業でサイロの問題が話題になるのは、たいてい企業が大きくなりすぎた時だ。・・・日本語が話せなかったから、かつてのように廊下であった相手と気軽に会話するといったことも出来なかった・・・私がなにか言えば、みな分かりましたと答えるが、実際には何も起きない。・・・リーダーとして1000人の上に立ってはいるが、みな死んだように静かで、誰も口答えをしない。

ウルフのような立場にある人々がCDOについて語るとき、たいていそれを「移送業」と表現した。要するにCDOについて語るときは他の投資家に販売するためのものだというのだ。しかし現実には、銀行にはCDOをすべて売却するという動機付けは働かなかった。CDOには通常「トランシェ」(フランス語でスライス)と呼ばれる複数の階層がある。外部の投資家はCDOのうち高いリターンを支払うトランシェを欲しがった。その一方、安全でリターンの極めて低いスーパーシニア・トランシェへの需要は乏しかった。 ・・・CDOが銀行の帳簿に残ると、そこから生じる少額のリターンはトレーダーが「利益」として計上できる。リターンの割合は年利0.1%程度と極めて低かった。しかしそれが数十億ドルの0.1%となると、CDOチームにとっては魅力的な収入源に思えてきた。・・・2006年初期には自分たちが作ったCDOのスーパーシニア債だけでなく、補完権光が作るCDOのスーパーシニア債まで買い入れるようになっていた。CDOをめぐる建前と現実には大きな乖離があったわけだ。

社内には不動産証券や融資リスクを把握しようとした報告書を含めて、UBSが抱えるリスクを総合的に示そうとする正式な報告書がたくさんあった。しかしデータの取り方が不完全であったため、網羅的な視点が得られることはなかった。

 アプトン・シンクレア「何かを理解しないことで給料をもらっている人に、それを理解させるのは難しい。

 当時(1979年)は中央銀行で経済学博士号が必要、とは誰も思っていなかった。・・・20世紀半ばに、ロバート・ルーカスをはじめとするシカゴ大学の経済学者らが、人間は常に合理的期待によって動いており、それは正確にモデル化出来るという前提に基づく経済理論を打ち立ててた。そこから経済は物理学の「運動の法則」と同じように普遍的な法則によって動いているという考え方が生まれた。それから経済学者は経済トレンドを発見し、理解するためい一段と複雑な定量モデルを駆使するようになった。LSE教授のグッドハートはこう語る。「経済学では精緻で複雑な数学的アプローチを使うことが、実証性という要請に応える能力として高く評価される。最も大切なのは数学的モデルなのだ。」・・・アローとドブルーの数学モデルは、完全かつ効率的市場というユートピアへの道標として強い支持を受けた。

彼ら(経済学者)の社会構造はかなり複雑だ。成人男性の地位は、自らのフィールドに関する数学モデルを作る能力によって決定される。・・・こうしたツールを使いこなす能力を示さなければ大学で終身在職権を持った教授になることは不可能である、・・・数学にそれほど興味がなく、政治学者や社会学者など数学以外の「部族」と交わる経済学者は、低い地位にとどまる傾向がある、と。部族のヒエラルキーの頂点に位置するのは定量的経済学者だ。

20世紀末には経済学の学士号あるいは博士号は西欧諸国の中央銀行財務省に就職するための必須条件と見られうようになった。

 コロンビア大学ビジネススクール教授のチャールズ・カロミリスは「FRBには経済学と金融は全く別物だという強い認識があった。市場を見ているスタッフは、マクロ経済を研究しているチームと全く別の場所にいた」と語っている。同じような隔たりは大学にも見られた。「純粋な」経済分析は専門の経済学部で行われ、金融はビジネススクールの領域とされていた。

タッカーは部下になぜM4がこれほどの勢いで拡大しているのか調査するよう命じていた。調査チームは、統計上「その他金融機関(OFC)」のカテゴリーに含まれる企業群の借り入れと融資が急激に増えていることが主な原因である、と報告した。「OFC」というカテゴリーは感んたんんい言うと、通常の分類システムに当てはまらないものをすべて入れておく「その他もろもろ」のくくりだった。・・・OFCカテゴリーの中に・・・「その他金融仲介会社(OFI)」。。。。CDOSIVコンデュイット(媒介企業)など2002年に存在が確認された、金融ジャングルに潜む奇妙な新種であると判断した。・・・ここ2年というもの、これらの企業群は全体として年率40%以上の成長を遂げてきたのです。・・・ブロードマネーあるいはOFCマネーの拡大が、マクロ経済上どのような意味を持つかを判断するのは極めて困難です。OFCマネーのマネーのマクロ経済上の重要性に関しては、ほとんど研究されていないのですから

CDOという領域で起きていることとマクロ経済を結びつけようと努力したのかと問われれば、今となっては不十分だったと言わざるをえない。ただ重要なのは、それが何を意味するかだ。CDOを研究していた人々がいなかったわけではない。ただ木しか見ていない人が多すぎた。あまりにも大量の論文が書かれていたので森を見ることは不可能だったのだ。・・・マクロ経済学者は経済統計を見ていたが、金融の細部は無視していた。銀行を規制する機関は個別の銀行は見ていたものの、ノンバンクは見ていなかった。民間の銀行で働いていた金融関係者にはシャドーバンクの仕組みに精通していたものもいたが、中央銀行の中枢にいる経済学者とは交流がなかった、一方、「実体」経済で借金をしていた人々、例えば住宅保有者や企業は、金融というエコシステムそのものがどのような仕組みで動いているか全く理解していなかった。UBSという組織が縦割りで、ロンドンのトレーダーがニューヨークで何が起きているかを全く知らなかったように、政策立案車の間でも重要な情報の交換が行われず、経済が順調であるかのように思われたため、誰もが自らの狭い領域に閉じこもり、そこから敢えて外に踏み出そうとはしなかった。その結果、金融システムが過剰なレバレッジ(負債)を抱え込んだというもっとも重要な事実に誰も気づくことが出来なかった。

サイロを打破するのに大切なのは、いろいろな対策を打つことではなく心の持ち方だ。好奇心と他者の言葉に耳を傾ける寛容さを持てるかだ。・・・過去には規制機関の間に隙間があり、その裂け目の部分で様々な問題が起きていた。今ではサイロを防ぐために敢えて重複を作るようになった。重複があると様々な問題が絡み合ってくるので官僚にとっては厄介だが、社会にとっては重複より隙間のほうが危険だ。

スティーブ・ジョブズ「私が大学にあった唯一の週次のコースに顔を出していなかったら、マックが多様な書体や非固定ピッチフォントを持つこともなかった。未来を見ながら点と点を結びつけることは出来ない。つながりは過去を振り返った時初めて分かるものだ」。そして学生たちにリスクをとり、「点と点がいつか何処かで結びつくと信じるしかない」と訴えた。

ソニーやUBSといった企業の部門がそれぞれデータを抱え込もうとしたように、警察、FBI、CIAのお異なる部署も自己防衛本能と猜疑心と部族的ライバル意識から情報を抱え込んでいた。このため情報の流れは滞り、時にはそれが最悪の結果を招くこともあった。有名なのは、2001年にワールド・トレード・センターが攻撃される前にCIA。が犯した失策だ。様々な部署にアルカイダがテロを計画しているというシグナルが寄せられていたにもかかわらず、組織全体で連携して脅威に対応する動きには結びつかなかった。情報が巨大な官僚機構の異なる場所に散在していたからだ。・・・調査資料はトイレットペーパーに書いたほうがまだましなんじゃないか。そうすれば誰かが使うだろう。

アルゴリズムが人気上昇中のレストランを特定し、顧客に紹介するのに役立つなら、犯罪パターンを追跡するのにも役立つかもしれない。

フェイスブック幹部「僕らは非ソニー、非マイクロソフト的でありたい。彼らを見て、自分たちはこうはなりたくないというのを確認するんだ。」

何が起きたかを突き止めようと駆け寄ってきたフェイスブックの同僚たちは、彼女の失敗を責めたり、あるいはエクスチェンジチームとバグツールチームという2つの既存部署の縄張りを犯したことを咎めるよりも、なずタスクリーパーをつくったのかの方に興味があるようだった。どういうつもりだ!などという人は一人もいなかった。・・・他の大企業では、それぞれの部署が自分の縄張りを社外から、そしてお互いから守ろうとする。部門間の競争も激しく、領海侵犯は歓迎されない。・・・仕事のやり方がいささか無秩序に見えるだけではなく、同業他社と比べると社内対立や硬直性といった問題が目立たなかった。少なくともゴールドファインが見る限り、ソニーを蝕んだようなサイロや官僚組織は存在しないようだった。

 2008年夏、FBは・・・コンピュータ技術者の数が150人を突破したことに気づいた。・・・150という閾値を突破したことに不安を抱いた。理由はイギリスの進化生物学者で人類学者のロビン・ダンバーが提唱したダンバー数と呼ばれる理論だ。・・・150人までなら人間の脳は社会的グルーミングを通じて緊密な絆を維持できるが、それ以上は無理だから、と。集団がそれ以上の規模になると、直接的交流や社会的グルーミングを通じてつながりを維持することが出来なくなり、強制あるいは官僚機構に頼るしかなくなる。

 フェイスブック経営陣は、プロジェクトごとに専門性の高い専従のグループを作るのと同時に、そうしたチームが硬直的で競争意識の強いサイロに変貌するのを防ぐためにあらゆるソーシャルツールを活用していた。そうした手段の一つが建物の構造だ。

 フェイスブックの経営陣は、ハッカソンに参加する人々に他部門のメンバーと組み、普段の仕事とは無関係のプロジェクトに取り組むことを求めるようになった。

ウルスス・ウェールリ
物事をひっくり返してみたり、絵画や状況を違う角度から見るのが好きだ。そうやって視点を変えると、モノの見え方がどう変わるか確かめるんだ。

コスグローブはクリーブランド・クリニックを医者の専門分野に応じた部門に分けるのを辞め、患者の病気を中心とした組織にしようとしていた。それは「疾患」や「体組織」ごとに異なる専門分野を集めた組織を作り、外科医や内科医などさまざまな専門医が患者の治療に協力する仕組みを意味する。・・・頭痛に苦しむ患者はとにかくそれを治してもらいたいと思う。自分に必要なのが神経科の医者なのか、神経放射線科の医者なのか、彼らにはわからない。だからすべてまとめるのが理に適っている。この実験を担う人材探しは難航した。・・・トップレベルの外科医の多くは、内科医や精神科医と同等に扱われるのを嫌がる。それは医学会の慣習に反していた。

クリーブランドの改革の噂を聞きつけたアメリカ外科医師会とアメリカ内科専門医協議会は当惑し、警戒心を抱いた。どちらも国内の医学教育プロセスを承認する役割を担っており、それぞれ病院は内科と外科に分かれているという前提にもとづいて動いていた。こうした境界を崩そうとする病院など見たこともなく、この申請な区別を失くすことでクリーブランド・クリニックの医師教育に不都合が生じるのではないかと不満を伝えてきた。・・・複数の専門家をまとめた各センターの背後に。従来の専門家を非公式の組織構造としてのこうことにした。・・・保険会社も、保険料に支払いはセンター単位ではなく、従来通り専門科単位にするよう求めてきた。・・・二重構造の存在によって医師たちは仕事をする中で、医療行為を定義し分類する方法は一つとは限らないことを常に意識し、状況に応じて異なる分類法の間を行き来するようになった。・・・全てはどのような視点で世界を見るかで決まる。

アメリカの病院のほとんどが採用する成果報酬型のシステムでは、専門医のチームが1人の患者に対してできるだけ多くの治療を施そうとするので、治療費が膨らむ傾向がある。・・・クリーブランドの医師は固定給なので、過剰な治療をするインセンティブを抑える効果がある。・・・他の病院では、専門医が一番得意な治療法を勧めるだろう。。。。クリーブランドではさまざまな専門医が一つのチームであり、5つの選択肢は全て同等だ。

報酬制度の違いも大きい。我々がサイロを破壊できた一因は報酬制度にある。成果主義的モデルの下では同じことは出来ない。・・・長年続いてきた思考法や習性は変えざるを得なくなるまで変わらない。ハーバード大学が変わる必要が無いのは長い歴史がある上に、世界最大の基金に支えられているからだ。一方、われわれはエリー湖の辺りの人口減少の続く斜陽都市にある非営利組織だ。自らを改善し、クリエイティブになるしかなかった。

我々のシステムを金で買ったところでサイロを破壊することは出来ない。システムは自ら創らなければ意味がない。新しいシステムを構築するプロセスやそれについて議論することを通じて、組織は変わっていくのだ。

 フェルドシュタインのヘッジファンドは、ウォール街の大手銀行が業務を硬直的なチームやトレーディング・フローにどのように割り振っているかを研究し、そのような分類システムから生じる弱点を付く方法を見つけることに全力を傾けていた。・・・フェルドシュタインらは金融世界で硬直的なサイロが形成されれると、市場や価格の歪みにつながりやすいと考えていた

科学者で組織理論学者のジョン・シーリー・ブラウンはこう述べている。「イノベーションはたいてい境界で生まれる。新しいタイプのチャンスや課題の存在を示唆するパターンが見つかるのもそこだ。」ビジネスの世界で境界を超えてみると、人はクリエイティブになる。金融も同じで、トレーダーが市場、資産クラス、制度の境界を飛び越えたり、既存の境界に疑問を抱いたりすると大儲けに繋がることが多い。

フェルドシュタインは・・・JPモルガンでの経験を通じて、金融機関が大きくなると官僚主義や分断化が進むことをいやというほど見てきたからだ。・・・大手銀行内部のサイロは歪んだインセンティブを生み、トレーダーはミクロレベル(個別の部署の利益)では理にかなったように見えてく、マクロレベル(銀行全体の利益)ではとんでもなく愚かなことをしでかす。・・・大手金融機関で働く人々は金融市場の内自らが直接担当する部分(報酬の対象となる部分)だけに集中するように訓練やインセンティブを与えられる。・・・金融のエコシステム全体に目を向け、より大きな文脈の中でパターンを見出そうとした。ピエール・ブルデューの表現を借りれば、「踊る者」だけでなく「踊らない者」、メンタルマップの内一般の人々が話題にしない部分に目を向けたのだ。

IG9インデックスを買うと125社の信用度に一度に投資できる。・・・市場ではIG9の価格はインデックスに含まれるさまざまな信用デリバティブの平均値とほぼ同等と考えられていた。だが2011年夏、こうした認識は妥当性を失っていた。・・・CDO全体の価格が、それを構成するトランシェの総和と一致しなかったのと同じように、デリバティブ・インデックスの価格はそこに含まれるデリバティブと乖離することも珍しくなかった。・・・JPモルガンのCIOがIG9や他の信用商品で大規模なポジションをとっていることが分かった。・・・CIOは安全な取引しかしないことになっていたので、個別企業の信用デリバティブにまとまった額の投資をすることは禁じられていた。それはリスクの高い行為と見られていたからだ。一方インデックス商品は比較的安全とされていたため投資することが認められていたん。・・・・CIOはインデックスは書いながらもそれを構成する個々のデリバティブは買わなかったからで、それは価格の歪みにつながった。またしても人工的な境界やルールが市場を混乱させていたのだ。・・・監査人が調べたところ、CIOは保有していた信用デリバティブを、投資銀行部門とは違う方法で評価していたのだ。・・・ドナルド・マッケンジーが指摘したとおり、銀行内部の別のチームあるいはサイロは同じモデルを使っているはずが、複雑な商品を別々のやり方で評価していたのである。

協力を妨げていた最大の要因は、報酬制度だった。アナリストはそれぞれの担当領域のトレーディングを増やすようなインセンティブしか与えられていなかった。ボーナスは担当する商品グループのパフォーマンスによって決まっていた。年金基金メリルリンチの顧客企業の内部も同じように強固なサイロに分かれていた。要するにアセットクラス間の協力という発想は理屈の上では正しくても、現実には多くの社員が長期的にそれに取り組もうとするインセンティブが欠けていたのだ。

ブルーマウンテンがしているのは、まさにバケツ破壊なのです。・・・金融システムは細切れのバケツに分かれていますが、そうした分類は往々にして極めて人為的なものです。我々はそのような境界を打破していきたいと考えています。・・・当惑あるいは明らかな警戒感を浮かべている人々もいた・・・年金基金、小規模な基金、あるいは地方自治体など長い歴史を持つ資産運用団体・・・彼らも大手銀行と同じように、各部門の投資方法について毎核なルールが存在する官僚的世界に生きていた。取引にも投資会社にも、分かりやすく馴染みのあるラベルがついていて欲しいと思うタイプだ。明確な境界、あるいは馴染みのあるカテゴリーが存在しない世界では、どうやって性交を判断すればよいかわからない。ブルーマウンテンが主張するようなバケツ破壊戦略には全くついていけなかった。

見方を変えれば、ブルーマウンテンが成功したのは異端であったからにほかならない。金融システムにサイロがはびこっているほど、そうした人為的な境界を乗り越える意思を持った企業には多くの機会が生まれる。市場に価格の歪みが繰り返し発生するのは、異なる分野で働く人々におかしな形のインセンティブがある、あるいはお互いにコミュニエーションや情報共有をしないためである。組織内の境界は硬直的だが、マネーの流れは違う。

マルセル・プルースト真の発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。新しい目で見ることなのだ。

 予想もしない人や物との出会いを受け入れ、世界を旅し、インサイダー兼アウトサイダーの視点を獲得するには、時間と労力がかかるのだ。サイロの中にとどまること、継承した境界を無批判に受け入れることのほうが一見ずっと楽だ。我々が身をおく社会では合理的にキャリアを形成し、スペシャリストになることが良しとされる。学校や大学では早くから学生を特定のコースに振り分け、大学の学部も細分化されている。・・・細分化されたスペシャリスト的行動パターンが支配する世界では、往々にしてリスクやチャンスが見逃される。・・・サイロをコントロールする第一歩は、本当に簡単なことだ。自分が日々、無意識のうちに身の回りの世界をどのように区切っているのか、思いをめぐらせてみるのである。

サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠

サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠

 

 

データを正しく見るための数学的思考

「数学で最善のことは、課題として学ぶに値するだけでなく、日常的な思考の一部として消化し、常に意欲を新たにして何度も心の目の前に置くのにも値する」バートランド・ラッセル「数学の勉強」(1902)

数学を知るというのは、世界のごちゃごちゃしたカオスの表面の奥に隠れた構造を見せてくれる、X線眼鏡をかけるようなものだ。数学はものごとについて間違わないことの科学で、その手法や慣行は、何世紀にもわたる苦労と論証によって形を整えられている。

自分の乗った飛行機は敵戦闘機によって撃墜されたくない。しかし装甲を施すと機体が重くなり、重い飛行機は操縦性も燃費も悪い。機体に装甲を施しすぎるのは問題だが、装甲が貧弱過ぎるのも問題だ。中間のどこかに最適な状態がある。・・・将校たちは効率化の機会を見た。装甲が最も必要な、弾丸が一番当たるところに装甲を集中すれば、装甲が少なくても同じ防護が得られる。しかし飛行機のその部分の装甲を正確にはどれほど増やせばいいのだろう。・・・ヴァルトは、装甲は弾痕があるところにはつけず、弾痕があまりないところ、つまりエンジンにつけるといった。ヴァルトが見抜いたことは、見えない弾痕はどこにあるかと問うことだった。損傷が飛行機全体に均等に散らばるとしたら、エンジンの被覆全体にあったはずの弾痕はどうなったのか。ヴァルトは確実にそれを知っていた。見当たらない弾痕は失われた飛行機にあるのだ。帰還する飛行機のエンジンに弾痕が少ないのは、エンジンに弾丸が当たった飛行機は帰還しなかったからだった。・・・病院の回復室へいけば、胸に弾が当たった人よりも足に当たった人のほうがたくさんいるだろう。しかしそれは人は胸を撃たれることがないからではなく、胸を撃たれれば回復しないことによる。・・・投資ファンドも永遠ではない。あるものは栄え、ある者は滅びる。滅びるファンドはだいたい、儲けが出ないファンドだ。・・・サヴァン社の調査は、残っているファンドになくなったファンドの成績も含めれば、利回りは134.5%(生き残りを考慮しなければ178.4%)、年率にして8.9%(10.8%)というずっとありふれた率になることを明らかにした。

数学者同士が話す時の専用の言語は、複雑な観念を正確に、手早く伝えるための優れた道具なのだ。ところがそれが見慣れないものであるために、部外者の間では、通常の思考とは全く異質な思考の領域という印象を生む。それは全く正しくない。数学は常識に対する強力な補助で、常識の範囲と力を大きく増強する。・・・アイアンマンが煉瓦の壁に穴を開けるイメージを思い浮かべると役に立つ・・・実際の壁を破る力が供給されるのは、アイアンマンたるトニー・スタークの筋肉によるのではなく、超小型ベータ粒子発生装置を動力とする、精密に同期したサーボ機構が並んだものによっている。他方、トニー・スタークの視点からは、自分がしていることは壁に穴を開けることで、鎧がなくても同じようにするだろう。ただはるかに難しいだけだ。

 数学という学問領域が経験的なよりどころから遠く離れるにつれて、あるいはさらに、『現実』に由来するアイデアが間接的にしか浮かばない第2世代第3世代になると、非常に重大な危険が大きくなります。どんどん純粋に美しさを追うものになり、どんどん純粋な芸術のための芸術になるのです。これは必ずしも悪いことではありません。この分野が関連する分野で囲まれていて、それがまだ経験と近いつながりをもっていれば、あるいはこの分野が並外れて発達した趣味を持った人物の影響下にあればいいのですが、この分野は抵抗の弱いところで発達して、水源から遠く離れた流れが、幾つもの細かい枝に分かれてしまい、その分野は整理されていない大量の細かい複雑なことになるという重大な危険があります。言い換えますと、経験的な起源から遠く離れたところでは、あるいは『抽象的』な交配が進むと、数学の分野は劣化する危険があるということです。ジョン・フォン・ノイマン「数学者」(1947)『作用素環の数理』

飛行機の仕組みや、それを空に引き上げ推進する力の理論を理解することは、飛行機に乗って持ち上げられて運ばれるだけーあるいは操縦するーよりも難しいことで、もともと動かし方や使い方にとことん馴染んでおらず、それを直感的で経験的な形で同化してもいないことについて、ある過程の理解が得られるという経験はめったにありません。ジョン・フォン・ノイマン「数学者」(1947)『作用素環の数理』

言い換えれば、数学をしないで数学を理解するのはとても難しいということだ。

作用素環の数理: ノイマン・コレクション (ちくま学芸文庫)

作用素環の数理: ノイマン・コレクション (ちくま学芸文庫)

 

 非線形思考とは、「どちらへ進むべきかは、今どこにいるかによって決まる」ということを意味する。

自分がモデルを立てている現象が実際に線形に近いかどうかを考えなくても、線形回帰が計算できてしまうのだ。しかしその計算はしてはいけない。

積分を計算したり線形回帰を求めたりするのは、コンピュータがかなり効果的に行えることだ。結果が意味を成すかどうかを理解するーあるいはそもそもその方法が適切かを判断するーには、人が導いてやらなければならない。我々が数学を教えるときは、そういう導き方を解説するものだ。それが出来ていない数学の授業は、要するに、学生を超低速でバグだらけのマイクロソフト・エクセルにする訓練をしていることになる。・・・実際には、数学の授業の多くがそういうことをしている。・・・一方には、暗記してスラスラ解けること、伝統的なアルゴリズム、正解を重視する側の教師がいる。他方には、数学教育とは意味を学習させ、色々な考え方を育て、何かを発見するよう導くことで、答えはだいたいで良いという教師がいる。・・・アルゴリズムは人々がせっせとこしらえた便利な道具で、それを一からやり直さなければならないと考える理由は何もない。他方、現代世界では捨てても大丈夫と思えるアルゴリズムもある。

アルゴリズムや正確な計算に力を入れ過ぎることの危険は、アルゴリズムや正確な計算は評価がしやすいということだ。数学とは「正しい答えを得る」ことでそれ以上ではないという数学観に収まって、それをテストしていると、テストの成績は良いが、数学のことは何も知らない生徒を生み出す危険を冒すことになる。何よりテストの点だけを求めて動く人々は満足かもしれないが、私にとっては納得がいかない。

フィールズ賞を取ったデーヴィッド・マンフォードまでもが、我々は平面幾何学をすべてやめてしまい、かわりにプログラミングの初歩をしてもよいのではないかというほどで、状況は切迫している。なんといっても、コンピュータプログラムは幾何学の証明と共通するところが多い。どちらも生徒に、選択肢が入った袋からごく単純な成分を幾つか取り出して並べ、全体としての並びが何らかの意味のある作業を完成させるようにすることを求めている。

 出た回数そのものを得点とすれば、チーム・ビッグは乗り越えられないほど有利になるが、百分率を使うと、今度はチーム・スモールを不当に有利にする。硬貨の数ー統計学では標本の大きさ(サンプルサイズ)というーが小さいほど、表の比率のばらつきは大きくなる。・・・NBAで最もシュートが正確な選手は誰か。2011年から2012年のシーズン中のある月には、リーグで最高のシュート成功率で5人の選手が並んでいた。アーモン・ジョンソン、・・・誰?・・・上記の選手はNBAでシュートが上手いベスト5の選手ではなく、ほとんどプレーしていない選手だ。・・・小さな標本はばらつきが大きいので、NBAのシュート成功率でトップクラスになるのは、必ず、ほんの数回シュートして、運よく全て決めた人になる。・・・NBAの順位表は、一定のプレー時間に達した選手だけに制限している。しかし、順位付けの方式が全て、大数の法則を見込んだ定量的分別を踏まえているとは限らない。・・・標準化されたテスト・・・州の上位25校が、体育館に旗を掲げて近隣の学校に自慢する権利を与えられる。この種の競争に勝つのは誰か?・・・実は、ノースカロライナ州を制していたのは、一般に小規模校だった。・・・同州の小さい方の28%の学校が、二人が調べた7年の間の何処かでトップ25に入っていることが分かった。小規模校は、教師が生徒やその家族のことをよく知っていて、個人個人に合わせた支持をする時間があって、テストの得点を上げるのがうまいという感じもする。・・・小規模校のほうが優秀だからではなく、小規模校のほうが、テストの得点のばらつきが大きいというところにある。わずかでも神童がいれば、あるいはわずかでも怠けた三年生がいれば、小規模校の平均点は大きく変動する。大規模校では、少数の極端な得点の影響は、多数の平均付近の得点に紛れ込んでしまい、全体の数字を動かすことはない。

 平均の法則という名はあまり良い名ではない。法則なら正しいはずだが、これは間違っているからだ。・・・全体の比率を50%に落ち着かせる方法は、運命が裏(ウラ)を贔屓して既に出た表(オモテ)の埋め合わせをするというのではなく、もっと多くの回数を弾いて、最初の10回の表の重みを下げることである。・・・既に起きたことの釣り合いを取るのではなく、既に起きたことを新たなデータによって薄め、過去が比率的に無視できて、忘れても大丈夫なようにするのだ。

ある数を別の数で割るのはただの計算だが、何を何で割るべきかを明らかにするのが数学なのだ。

日中、一般家庭に預けられて保育される、あるいはベビーシッターに預けられて保育される幼児は、日中、保育施設で保育される幼児と比べて、死亡率が7倍であることが分かった。しかしベビーシッターを解雇する前に、少し考えてみよう。アメリカの幼児は、最近はほとんど死なないし、死ぬ場合も、保護者が死ぬほど揺さぶったからという場合はほとんんどない。一般家庭に預けられる保育での死亡率は年間で10万人あたり1.6人で、保育施設での保育の場合の10万人あたり0.23人に比べるとはるかに高い。しかしどちらの数も、ほとんどゼロであることに変わりはない。CUNYの研究では、日中の一般家庭に預けられた保育での事故で死亡した乳幼児の数は年間十数人で、2010年にアメリカ全体で事故で死亡した1110人(ほとんどは寝具での窒息)や、乳幼児突然死症候群で死亡した2063人に比べると、ごく僅かだった。・・・自宅から清潔で市の認可を受けている保育施設まで行くのに、僅かに問題のある一般家庭保育所まで行く距離の2倍あったらどうなるだろう。アメリカで2010年に自動車事故で死亡した乳幼児は79人。通園時間が長くなるおかげで一年間の乗車時間が20%増えることになれば、素敵な保育施設を選ぶことで得られる安全性の有利さは相殺されるかもしれない。・・・有意性検定は科学の道具で、他の道具と同様、精度には一定の範囲がある。・・・なされることすべては、がんを起こすか、防ぐかする。原理的には、十分に強力な調査を行えば、どちらであるかは分かるだろう。しかしそうした影響は大抵、無視しても大丈夫なほど微小なものだ。それを検出できるからというだけでは、必ずしもそれが重大だということにはならない。

統計学的な命名が始まることに戻って、フィッシャーの検定でp値が0.05未満になって合格とされる結果を、「統計学的に有意」ではなく、「統計学的に認識可能」あるいは「統計学的に検出可能」といっておけばよかったのにと思う。・・・それは何らかの作用が存在すると教えてくれているだけで、その規模や重要度については何も言っていないからだ。

アルブレットはバスケットファンのいう「勢いのある手(ホットハンド)」の持ち主だった・・・どんな距離からでも、どんな厳しいディフェンスを受けても、絶対シュートを外しっこないように見えるということだ。ただ、実際にはそんなことはないと考えられる。・・・ジュリアス・アーヴィングの全体としてのシュート成功率は52%だった。3連続でシュートを決めた後は、誰もがアーヴィングはホットだと思うだろうが、成功率は43%だった。また3連続で失敗した後は、フィールドゴールの成功率は下がらず、むしろ平均の52%にとどまっていた。・・・有意性検定は、次のような問いを取り上げるよう求める。帰無仮説が正しくて、ホットハンドが無いなら、実際に観測された結果は見られそうにないといえるか。結果として答えはそうは言えないということになった。・・・今回の結果が意外だとすれば、それはホットハンドへの間違った信仰が、経験や知識のある観察者から度外れて支持されているせいである。・・・このテーマで無数の論争をして、全てに勝ったが、誰も納得はさせられなかった。・・・ジョン・ホイジンガとサンディ・ウェイルによる2009年の研究は、ホットハンドが本当に存在するとしても、信じないでいる方が選手にとってはいいのではないかと説いている。・・・シュートに成功した選手は、次はもっと難しいシュートを選ぶ可能性が高まっていたのだ。・・・ゴール下でのジャンプシュートを決めた選手は、外した選手と比べて離れたところからのシュートをしやすくなることはない。ゴール下のシュートは易しく、選手がホットハンドになっているという感じは強く与えないはずだ。ところが、スリーポイントシュートを決めた選手は外した選手と比べて、長い距離のシュートを試みる可能性が大きく高まる。言い換えれば、ホットハンドは帳消しになるのかもしれないー選手は自分がホットハンドになっていると信じて自信過剰になり、採るべきではないシュートをしてしまう。

 十万の遺伝子(もっと正確には遺伝的多形)を調べて、どの遺伝子が統合失調症と連関しているかを見る。ヨアニディスは、そのうち十個ほどが実際に臨床的に関連がある効果を持つのではないかという。で、残りの9万9000はどうか。それは統合失調症と全く関係がない。しかし二十分の一、つまりおよそ5000は統計学的有意性のp値検定を合格することになる。言い換えれば、発表される「なんと、統合失調遺伝子を見つけた」という結果の中には、本物の五百倍もの数の偽物があるということである。・・・ある遺伝子の影響を正確に測定する研究は、統計的に優位ではないと避けられる可能性が高いが、ともかくp<0.05の検定を通った結果は、偽陽性か、真の陽性かということになり、遺伝子の影響を大きく過大評価する。検定力が低いことは、研究が一般に小規模で、影響のサイズが小さいのが当たり前の分野では、特に危険となる。最近、心理学の一流の学術誌サイコロジカルサイエンスに掲載された論文は、結婚している女性は、排卵周期の妊娠可能な時期にあるとき、共和党の大統領候補者ミット・ロムニーを支持する律が有意に高くなるという成果を示している。・・・標本は小さく、228人だけだったが、・・・研究の規模が比較的小さいということは、逆説的なことに、p値のフィルタによって、結果の強さについてのもっと現実的な評価が棄却されていることを意味する。・・・統計学的有意性はもたらしても、信頼性はほとんどもたらさない結果によって、我々は闇の中に残されるのだ。科学者はこの問題を「勝者の呪い」と呼び、鮮烈で声高に売り込まれる実験結果は、実験が繰り返されるとがっかりするような屑に溶け込んでしまうことが多い理由の一つがこれである。

あなたが分析を行って0.06のp値を得たとすると、結果は統計学的に有意ではないという結論を出すものと考えられる。ところが何年も掛けた成果を引き出しにしまいこむには、大いに精神力を必要とする。・・・自分で得た結果に自分で行う統計学的検定に手を加え、色をつける権限を自分に認めれば、先ほどの0.06が0.04に下がることも多いかもしれない。ペンシルヴァニア大学のユーリ・シモンゾーン教授は再現性の研究では第一人者で、こうした習慣を「pハッキング」と呼ぶ。・・・p=0.05の境界の発表されない側にある実験結果がたくさんあって、それがなだめすかされ、摘み取られ、あるいはあからさまに歪められ、最終的に、境界のすぐ左側に達するということだ。発表しなければならない科学者には有り難いことだが、科学にとってはありがたくない。・・・憎むべきはゲームの方であって、プレーヤーではない・・・掲載が境目の右か左かで全て決まるのは、プレーヤーのせいではないのだ。0.05によって生きるか死ぬかを決めるのは、基本的なカテゴリー錯誤で、連続変数(その薬が効く、その遺伝子がIQを予測する、受精可能な女性は共和党が好きとする証拠はどれだけあるか)を、それが二値的(真か偽か)であるかのように扱っている。科学者が統計学的に有意ではないデータを報告するのを認めるべきだろう。・・・0.05という値には特別なものはない。どこまでも勝手に決まった、フィッシャーが選んだ約束事なのだ。

1951年、フィッシャーはW・E・ヒックに宛ててこう書いている。「私は先生があの、ネイマンとピアソンの棄却域などによって代表される、不必要で尊大な有意性検定に対する姿勢をともかくも気にしておられるのが少々残念です。実際、私と世界中の弟子たちは、それを使おうとは思いません。そのことについて明示的な理由を求められるなら、それは問題を全く間違った側から取り扱っているというべきでしょう。」・・・科学的事実が実験的に確立したとみなされるべきなのは、適切に設計された実験がこの水準の有意性を示さないことがめったにない場合のみである。一度示すことに成功するではなく、示さないことがめったにないとなっている。

統計学的に有意な発見は、研究する力を注入すべき有望な場所を指し示す手がかりを与えてくれる。有意性検定は刑事であって、判事ではない。・・・ともあれフィッシャーは、何をすべきかを教える堅固(けんご)な規則は信じていなかった。純粋数学の形式論を信用していなかったのだ。・・・科学の仕事をする人は、毎年、どんな状況でも仮説を棄却する固定的な有意性水準を持っているわけではない。むしろ特定の場合に対して、自分が得ている証拠や思想に照らして、自分の判断を与えている。

 問える問題は、実は2つある。

  1. ある人物がテロリストでないとして、その人物がフェイスブックのリストに載る率はどれだけか?
  2. ある人物がフェイスブックのリストに載っているとして、その人物がテロリストではない率はどれだけか?

1に対する答えは2000分の1程度で、2に対しては99.99%であることを見ている。・・・条件付き確率・・・p値は次の問に対する答えだ。

「帰無仮説が正しいという前提で、観察された実験結果が起きる確率」

しかし我々が知りたいのは、もう一つの条件確率である。

「ある実験結果を観察したという前提で、帰無仮説が正しい率」 

 危険はまさしく、第二の数を第一の数と混同するときに生じる。検事が陪審員に向かってこう宣言する。「無実の人間が、現場で見つかったDNAサンプルと合致する率は五百万の一、無実なら、五百万分の1ですよ」。このとき検事は1に答えている。無実の人間が有罪に見える率はいくらか。しかし、陪審の仕事は2,つまり有罪に見える被告が無実である率はどれだけか、に答えることである。この問いについては検事は助けてくれない。

1から20までの数から1つ選べと言われると、17を選ぶ人が一番多い。0から9までなら、7を選ぶ人が一番多い。逆に0や5で終わる数は、偶然で選ばれたとした場合よりもはるかに選ばれる割合が少ない。・・・そういう数は、人の目にはランダムでないように見えるのだ。そこで皮肉な結果になる。

帰無仮説の有意性検定だけに依存するのは、根本的に非ベイズ的なことである。・・・ベイズ統計学者は、そもそも帰無仮説を考えないことも多い。

宝くじの魅力は新しいものではない。この商売は17世紀のジェノヴァにさかのぼり、選挙制度から偶然に発達したものらしい。この年の重役のうち2人が、半年ごとに、市議会の議員から抽選で選ばれる。ジェノヴァは、投票ではなく、くじによる選挙を行い、全部で120人の議員全員の名札が集められた山から二枚の札をひく。まもなく、この街のギャンブラーが、選挙結果について個人的に賭けを始めた。・・・ロトくじは急速にヨーロッパに広まり、さらには北米にも伝わった。独立戦争の時には、大陸議会と各州政府の両方が、対英戦の費用を調達するためにロトくじを催した。ハーヴァード大学は、現在蓄えているような9桁もの基金を享受する前の1794年と1810年にロトくじを催し、新たに2棟を建てる資金にした。

ヴォルテールパスカルのことを「至上の人間嫌い」と呼び、陰鬱なパンセの断章を一つ一つ否定するために長い文章を書いた。パスカルに対するその姿勢は、よくいる頭のいい子共が、辛辣で協調性のないオタクに対してとる姿勢だった。

曖昧さ回避 (経済学) - Wikipedia

意思決定論の文脈では、既知の未知のようなものは「リスク」と呼ばれ、未知の未知のようなものは「不確定部分」と呼ばれる。リスクが伴う戦略は数値的に分析できるが、不確実な戦略は、形式の整った数学が分析する範囲を超えているのではないかとエルズバーグは唱えた。

ベイズ的あるいはサヴェッジ的手法は、間違った予想と、その光による下手な助言を出す。被験者は何の子男と割もなく、意図的に公理に反する行動を取る。それが行動のためのわかりやすい方法に見えるからだ。こうした被験者は明らかに間違っているのだろうか。

リスクのある投資は、損をまかなう資金がなくても-バックアップの見通しがあるかぎり-筋が通る。市場で一定の手を打てば、100万ドルを稼ぐ可能性が99%、5000万ドルを損する可能性が1%という場合もあるかもしれない。その手を打つべきだろうか。期待値はプラスなので、良い方針に見える。しかし、そのような大きな損を吸収するリスクにためらうかもしれない-特に小さな確率は確信しにくいことでも有名だからだ-・・・ロードローラーの前で小銭を拾う・・・一つの手は、リスクのある手を打つために紙の上の資産が十分になるまでとんでもない借金をして、100倍ほど規模を拡大することだ。・・・ロードローラーにひっかかったらどうなるか。50億ドルほど損をする。ただしあなたではない・・・構造の一部が崩れると、全体を崩すという深刻なリスクを冒すことになる。連邦準備銀行はそんなことを起こさないために強硬な手を打つ。古いことわざにあるように、あなたが100万ドル存したら、それはあなたの問題だが、50億ドルを損したら、それは政府の問題となる。

19世紀のゲオルク・カントールによる成果以前は、無限の研究は科学というより神学だっったが、今や我々は、何種類もの無限があって、それぞれが前の無限より大きいというカントールの理論をよく理解しているので、数学専攻の学生には1年次から教えている(公正を期して言えば、学生の頭は吹き飛ぶ)。

経済学は物理学のようではないし、効用はエネルギーのようではない。それは保存されないし、2つの存在の間の相互作用は両者に最初よりも多くの効用を残すことがありうる。これは明るい自由市場論者の宝くじ観である。これは逆進的な税ではなく、ゲームであり、人は国に僅かな料金を払って、国が安価に提供できる数分の娯楽を書い、そのあがりで図書館を維持し、該当を灯すのだ。2つの国が交易する場合と同じく、当事者のそれぞれに利益がある。・・・パワーボールが楽しければ、買えばよい。数学は許可を与える。

 1929年の大暴落とその後の不況は、予測不可能な破局だったのか。それとも、アメリカ経済は組織的に欠陥があったのか。ホレース・セクリストは、誰にも増して、この問題に答えるにはうってつけの立場にあった。セクリストはノースウェスタン大学統計学の教授・・・定量的方法のビジネスへの応用が専門・・・「競争的ビジネスのふるまいでは、平凡が優勢になる傾向がある。それが、この何万という企業のコストと利益の研究が間違いようもなく指し示している結論である。産業の自由にはそのような対価がある」・・・まず1916年の売上と費用の日で順位をつけられ、それから「六区分」と呼ばれる、それぞれ20点からなる6つの群に分けられた。セクリストは、最上位のセクスタイルにある店は、時間を経ると利益を集め、すでに市場の上位にある技能を磨いてさらに優越するようになると予想した。ところが実際に見られた結果は正反対だった。・・・どんな天才が最上層のセクスタイルの店を卓越させたにせよ、その際はわずか6年でほとんど使い果たされてしまった。平凡が勝利していたのだ。セクリストはあらゆる種類のビジネスに同じ現象を見た。・・・バッファロー大学のロバート・リーゲル「この結果は実業家や経済学者に、恐慌で、ある程度は悲劇的でもある問題をつきつける。原則には例外はつきものだが、創業期に苦労し、有能で効率的な人々が成功して報われ、その後長く報酬を得るという捉え方は完全に消えてしまう」。

 

 ダーウィンは、自身の研究は定量的という点ではゴルトンの研究よりはるかに劣っていても、数学的方法が科学者に世界についての豊かな見方を提供すると本気で信じていた。・・・私は数学もやってみて、1828年の夏にバーマスへ行くときには個人教授(全然おもしろくない人物)を伴ったが、進み方ははかばかしくなかった。この勉強は私には不快だった。それは主に、私が代数の初歩にまったく意味を見ることができなかったことによる。この短期は非常におろかなことだった。何年も経ってから、私は数学の主要な原理をいクラカでも理解するところまで進まなかったことを深く公開している。この方面の能力がある人には余分に感覚があるように見えるからである。

ゴルトンはこんな顕著な発見をした。その子は親ほどセが高くなるわけではない。同じことは背の低い親についても同じことが逆方向で言える。その子は背が低い傾向があるが、両親ほどではない。ゴルトンは、「平均への回帰」と呼ばれる現象を発見していた。・・・『自然な遺伝』・・・「最初はどんなに逆説的に見えようと、子が成長したときの身長は、全体として、親の身長よりも普通にならざるをえないことは、理論的には必然的な事実であり、観察によって明瞭に確かめられる事実である」。・・・ゴルトンは、セクリストが企業経営で明らかにしたのと同じ現象を見ていたのだ。卓越は長続きしない。時間が経過すると平凡が自然に現れていくる。・・・ゴルトンは根っからのす学者だったが、セクリストはそうではなかった。そのため、ゴルトンはなぜ回帰が起きるかを理解していたが、、セクリストはその方面には暗かった。・・・平均への回帰をもたらすのはそれで、謎の平均を愛する力ではなく、単純に遺伝が偶然と混ぜ合わされることの作用だ。だからこそゴルトンは、平均への回帰は「理論的には必然の事実」であると書く。・・・これは商売についてもまったく同じことだ。・・・その部門で経営状態の良さでは最上層の会社にランクされる可能性は高い。しかし運もあったのだ。時を経ても、その経営が考え方でも判断でもやはり優れていたこともあったかもしれない。しかし1922年に幸運だった会社が、10年後に運が良い可能性は、他の会社と変わらない。

この問題を無作為抽出によって取り扱ってみるのも・・・被験者を200人選び出し、体重過剰な人を調べ、その体重過剰な人についてダイエットを試みる。しかしその場合には、セクリストと同じことをしていることになる。集団の中で体重が最大の区分は、商売の最上位セクスタイルとよく似ている。この人々はきっと、平均の人々よりも一貫して体重の問題を抱えている可能性が高い。しかしそういう人々は、たまたま体重を測った日に、その人の体重の幅の一番上にいた可能性も高い。セクリストの成績上位の会社が時間とともに平凡へと落ちたのと同じように、たまたま体重が基準を超えた人々も、ダイエットが効こうと効くまいと、体重は減るだろう。そのため、よくできたダイエット調査は、単純にダイエットの結果だけを調べるのではなく、候補となるダイエット法を2つ比べてどちらが体重減をもたらすかを調べる。平均への回帰は、どちらのダイエット集団にも影響するので、比較は公平になる。

アメリカン・フットボールNFLで高額の複数年契約を結ぶランニングバックは、 翌シーズンには、ボールを持って前進するヤード数が少なくなる傾向がある。ヤード 数を伸ばしてもそれで稼ぎが増えるという誘因がないからだと言う人もいるし、 そういう心理的因子はおそらく働いているだろう。しかしもっと重要なのは、高額の契約を結ぶのは、出来すぎなほど好成績をあげた結果だということだ。よくシーズンはもっと普通の水準に戻らないほうがおかしいかもしれない。

これを書いているのは四月のことで、野球シーズンが始まったところだ。毎年われわれは、選手が「この調子で行けば」とほうもない記録破りの成果を上げるという記事の花束で迎えられる。今日はスポー ツ専門チャンネルESPNで、「マット・ケンプが目覚ましいス タートをして、この調子で行けば、打率4割6分、ホームラン86本、 打煮2-0、得点172を上げる」ことが報じられる。こうした 目の玉が飛び出そうな数字(大リーグの野球でーシーズンに73本を超えるホームランを打った選手はいない)は、誤った線形性の典型例だ。 ケンプはドジャースの最初の17試合で9本のホームランを打った。・・・しかしすべての曲線が直線というわけにはいかない。・・・その理由を説明するのは平均への回帰だ。・・・デレク・ジーターは、この調子で行けばピート・ローズの生涯安打数を破ることになりますがとせっつかれて、ニューヨーク・タイムズ紙に、スポーツ界で嫌な言葉の一つは『この調子で行けば』ですね」と言った。懸命な台詞だ。

生物学者は回帰は生物学に由来すると思いたがるし、セクリストのような経営学者はそれが競争に由来していてほしいと思うし、文芸批評家は創造性の枯渇のせいにする―しかしそれはいずれもでもない、数学なのだ。

英国医学ジャーナル誌に掲載された、ブランによる憩室の病気の治療に関する論文・・・各患者のブラン処置前と処置後の「口から肛門までの移動時間」・・・を記録した。そうしてブランには顕著な整腸作用があることを発見した。「移動時間が短かった人々は48時間の方へ遅くなる。・・・中程度の人々は変化を示さない・・・つまりブランは当初の移動時間が早すぎても遅すぎてもどちらも平均の48時間の方へ修正する傾向があった」。これはもちろん、ブランに何の効果がなくても予想される通りのことだ。

ゴルトン「問題はひとかどの数学者には難しくないかもしれないが、自分の答えが出て、純粋に数学的な推理によって、自分のいろいろな手間のかかった統計学的結論が、データが少々粗く、もろい注意で均さなければならなかったことで望める程度以上に細かく確認されるときほど、数学的分析の崇高さと広い範囲の影響力に対して輝かしい忠誠と敬意を感じたことはない」。

 

変数が相関しているとき、変数同士が何らかの形で互いに関係しているのを見た。では相関していないときはどうなるだろう。それは変数同士がまったくの無関係で、いずれも他方に影響しないということだろうか。そんなことはまったくない。ゴルトンの相関の概念は重要な点で限界がある。それは、一方の変数が大きくなると、他方の変数がそれに比例して大きくなる(または小さくなる)傾向を示す、線型の関係(1次関数)を検出するということだ。しかし全ての曲線が直線ではないのと同じく、すべての関係が線形というわけではない。

単に相関があると断じることと説明(※因果関係の意)とはまったく違う。ドールとヒルの研究は、喫煙がガンを引き起こすことを示すのではない。「この相関は、ハイの腫瘍が人々に喫煙をさせるとしても生じるし、どちらの属性も共通の原因からもたらされる別々の結果だとしても生じる。」・・・R・A・フィッシャーはまさにそういう根拠で、タバコと肺がんのつながりについては強力な懐疑派だった。

本当に、絶対の確信のようなものをもって、タバコは肺がんの原因であることを知るためにしなければならないことを想像しよう。ティーンエージャーの大きな集団を集めて、ランダムに半分を選び、その半分にはその後の50年間、頻繁に喫煙させ、残りの半分には・・・「考えることは出来るが実行はできないもの(実験)」

思い出していただきたい。期待値は文字通りに起きることが期待されることを表すのではなく、同じ決定が何度も何度も繰り返されたときに起きることの平均として予想されることである。公衆保健衛生についての決断は、コインをはじくのとは違い、一度しか出来ないことだ。

バークソンの誤謬は、医療の世界でなくても成り立つ。実は、正確 に測定できる特徴の領域の外でも意味をなす。自分の「デートしても いいかもリスト」にいる男の中では、ハンサムな人は良い人では なく、良い人はハンサムではないという傾向に気づいたことがあるか もしれない。それは整った顔立ちをしていることが人をあこぎにする からだろうか。あるいは人に対して親切であることが人を不細工にす るからだろうか。そういうこともあるかもしれない。しかし必ずそうということではない。

f:id:yamanatan:20161028011227j:plain

 いい奴であることとイケメンであることには共通の結果がある。その人達を、あなたが認識する集団に入れるということだ。正直になろう―不細工で嫌なやつは、そもそも「デートしてもいいかもリスト」には入らないのだ。・・・ベストセラーはつまらないというのも同じようなことだ。(※ベストセラーでない本は余程面白くない限り、そもそも読むリストには入らない。)

CBSニュースの世論調査では、回答者のうち77%が、費用の削減は連邦の予算の赤字を処理する最善の方法であると答え、増税の方を選んだ人はわずか9%だった。・・・しかしどの事業を削ればいいか。・・・アメリカ人に政府の出費13区分について尋ねた・・・そのうち11区分は、赤字があろうとなかろうと、増額を望む人のほうが多かった。外国の援助と失業保険―2010年の費用のうち合わせて5%にもならない―がなたを振るわれる対象に選ばれた。それも何年ものあいだ一致している。 ・・・ブライアン・カプラン「このデータについて最も成り立ちそうな解釈は、公衆はタダ飯(フリーランチ)を求めているということである。みんな政府に、主要な機能にはまったく手をつけずに出費を少なくすることを望んでいる。」・・・ポール・クルーグマン「人々は費用削減を望んでいるが、外国支援以外の削減には反対している。・・・結論は他に考えられない。共和党支持者は算数の規則を廃止するよう命じているのだ。」・・・ハリス研究所による予算に関する世論調査の要約「多くの人々は、森を伐採してしまいたいが、木は残したいと思っているらしい。」・・・我々は、予算削減をすれbば自分が支持する施策の予算を減らさざるをえないことが把握できない赤ん坊か、算数は理解できてもそれを受け入れることは拒否する頑固で不合理な子どもであるか、いずれかなのだ。・・・それぞれの回答者は文句なく合理的で一貫した政治的立場を取っている。それでも全部をまとめると、その立場は意味をなさなくなる。・・・費用の削減は望むがそれぞれの施策は維持することを求める子供っぽい「平均的アメリカ人」は存在しないということだ。・・・問題はどの施策に価値がないかについて合意がないことだ。

 ボルダ式・・・即席決選投票(IRV)・・・の魅力は明らかだ。ラルフ・ネーダーに入れる人は、自分が一番嫌いな人に勝たせることになるのを心配せずにネーダーに入れることが出来る。・・・ずっと数学が大好きだったジョン・スチュアート・ミルは、このアイデアのことを聞いて、これは「政府の理論と実践についてこれまでになされた最大級の改善である」と言った。

 アントニン・スカリア判事「形式主義万歳。それこそ政府を人々ではなく法律による政府とするものである」。スカリアの見方では、判事が当該の法律の意図―精神―を理解しようとするとき、どうしても自分の先入観や欲求によって目をくらまされてしまう。憲法と条文の文言に執着して、それを、判断が一種の論理的演繹によって導ける公理とするほうがよい。・・・形式主義

 私はヒルベルトの役割を大きく取り上げたが、看板の一番上にある名に注目しすぎると、数学を、生まれながらに抜きん出た、他の凡人にとってはとことこ進むしかない道を疾走する、少数の孤独な天才たちのすることと誤解する危険がある。そのように語るのは易しい。・・・ヒルベルトは最初、非常に優秀ではあっても例外的な学生ではなく、ケーニヒスベルクで最も優秀な若手数学者ではなかった。最優秀だったのは、ヒルベルトより2つ年下のヘルマン・ミンコフスキーだった。

 数学教育で苦労する部分の一つは、天才教にやられた学生を見ることだ。天才教は学生に、自分が一番数学ができるのでなければ数学をするには値しないと教える。そういう特別な少数だけが重要な貢献をするからだという。我々は数学以外の科目はそのようには扱わない。・・・競技者は、チームメートの一人がほかと比べて抜きん出ているという理由だけで、その競技をやめたりはしない。ところが、有望な若い数学者が、数学が好きでも、見える範囲に自分たちの「上」を行くやつがいるからと、毎年抜けていくのを私は見ている。・・・天才今日は一生懸命勉強することも過小評価する。・・・勤勉はオブラートにくるんだ侮蔑のようなものと思っていた・・・懸命に勉強できるー注目とエネルギーを全て問題に集中して、筋道立てて何度もひねりまわし、表面に全身の兆しが見えなくても、割れ目と見えるところをすべて押してみるーということは、誰にでもできることではない。心理学者は最近、それを「やり抜く力(グリット)」と呼ぶようになっているが、それなしには数学はできない。

 人が長い時間数学を勉強して学ぶことは―その教訓はもっと広い範囲に当てはまると思うが―必ず自分より上のやつがいるということだ。・・・数学はたいてい共同体の営みで、それぞれの前進は、共通の目的に向かって作業する人々の巨大なネットワークの産物である。・・・マーク・トウェイン「電信でも蒸気機関でも蓄音機でも電話でもなんでも重要なものを発明するには千人の人が必要です―そして最後の人物が発明者の名を得て我々は他の人々を忘れてしまいます」

天才とは出来事であって、人の種類のことではない。

セオドア・ルーズヴェルト・・・「共和国の市民」・・・大事なのは批評家ではない。力のある人物がつまずくところを指摘する人でも、何かをする人について、ここがもっとうまく出来たのにと言う人でもない。功績は実際にその舞台にある人、その顔が埃と汗と血にまみれている人、雄々しく努力する人、間違いや不足のない努力はないのだから、間違う人、何度もあと一歩で及ばない人、それでも実際に何かしようとして努力する人である。偉大な熱意、偉大な専心を知る人、価値ある大義に身を投じ る人、うまく行けば最後には優れた成果と いう勝利を知る人、悪 くすれば失敗しても、少なくとも立派に務めていて失敗する人の ものであり、その位置は、勝利も敗北も知らない冷たく臆病な魂の持ち主のところには決してない。

 ベンジャミン・フランクリンは、・・トマス・ゴドフリーについて辛辣なことを書いている。「ゴドフリーは専門外のことはほとんど知らず、快適な仲間ではなかった。私が出会った立派な数学者のほとんどと同様、ゴドフリーは言われることすべてに普遍的な正確さを期待し、あるいは、すべての会話の妨げになるほど、細かいことを否定したり区別しようとした。」

 F・スコット・フィッツジェラルドが言ったように、「一流の知性の証は、2つの対立する概念を同時に頭に保持して、それでも機能を維持できる能力である。」・・・何かの定理について苦労しているなら、昼は証明しようとして夜は否定しようとするのがよいという(切り替えの頻度は重要ではない。位相幾何学者のR・H・ビンについては、毎月を2週間ずつに分けて一方ではポアンカレ予想を証明しようとして、他方では判例を見つけようとするのが習慣だったと言われる。)・・・何と言っても、自分が間違っているかもしれないから、自分が真と考えている命題が実は偽なら、それを証明しようとする努力は無駄になってしまう。夜は反証するというのは、巨大な無駄に対するヘッジのようなものだ。しかしもっと深い理由もある。何かが真であり、それを反証しようとするなら、それは失敗することになる。我々は失敗は悪と考えるようしつけられているが、全て悪いというわけではない。失敗から学ぶこともある。・・・父の善意の助言に逆らって、それ以前の多くの人々と同じように、平行光順がエウクレイデスの他の公理から導かれることを証明しようとしたボヤイ飲みの上に起きたのはそれである。他のみんなと同様、ボヤイも失敗した。しかし他の人々とは違い、ボヤイは自分の失敗の形を理解することができた。平行線公準のない幾何学はないことを証明しようとする試みを邪魔していたのは、そのような幾何学が存在することだったのだ。・・・私は、社会的、政治的、科学的、哲学的に信じていることすべてに圧力をかけるのは良い習慣だと思う。・・・自分が信じていることを信じる理由はもっと知ることになるだろう。

データを正しく見るための数学的思考

データを正しく見るための数学的思考