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GDP――〈小さくて大きな数字〉の歴史

アメリカの経済分析局がGDPを「20世紀でもっとも偉大な発明のひとつ」と称したのも、あながち誇張とはいいきれないだろう。・・・GDPは20世紀の経済における急速なイノベーションやデジタル化された無形サービスには対応しきれていない。

国の経済全体の大きさを測る、という試みが初めて本格的に行われたのは、17世紀の戦争の時だった。1665年、イギリスの学者で役人もあったウィリアム・ペティが、イングランド及びウェールズの収入、支出、土地、その他試算の推計を作成した。戦争に必要な資源が足りているか、そして徴税で戦費をまかなえるかどうかを見積もるためだ。・・・彼は、国全体の経済の記録に複式簿記を導入するという功績も残している。同じく初期の経済統計に着手していたチャールズ・ダヴナントは、1695年に『戦費調達論』というタイトルで研究結果を発表した。経済統計の目的をずばりと言い表したタイトルである。英語の「statistics」という単語は「state」と語源を同じくし、もともとは国に関する数値、特に税金関係のデータを指す言葉だった。・・・フランスが同様の情報を手に入れたのは1781年になってからである。財務長官のジャック・ネッケルがフランスの経済力についてまとめた『王への報告書』によって、フランスの王はようやく戦略的に重要な経済・財政データを手に入れることができ、新たな国債発行も可能になった(それでも結局、1789年のフランス革命を避けることはできなかったが)。

アダム・スミス

労働の中にはその対象に価値を付加するものもあれば、そのような効果を持たないものもある。価値を生み出すという観点から、全社を生産的労働と呼び、後者を非生産的労働と呼ぼう。例えば製造業者の仕事は一般に、その仕事の材料に価値を付加し、自分自身及び雇用主により大きな利益をもたらすものである。一方、屋敷の使用人の仕事は、何者にも価値を付加しない。・・・製造者を多数雇えば豊かになり、使用人を多数抱えれば貧しくなる。

・・・カール・マルクスもこの考え方に賛成しており、・・・ソ連の経済統計を見ると、形ある生産物については記録されているが、サービス業はほとんど無視されている。欧米の資本主義国では80年代末の時点でサービス業がGDPの3分の2を占めていたのだから、これはかなり大きな見落としである。

アルフレッド・マーシャルは、「富には物質的な富と、個人的あるいは非物質的な富がある」と明言した。つまり国民所得の定義には、サービスも含めなければならないということだ。・・・イギリスでは1920年代から30年台にかけて、コーリン・クラークが初めて年間ではなく四半期ベースで国の収支を計算した。・・・インフレに伴う数値の調整方法について検討し、様々なグループに属する人々の間での所得分配にも言及していた。

アメリカでは、サイモン・クズネッツが同様の任務についていた。フランクリン・ルーズベルト政権も、終わりの見えない不況の中で、より正確な経済の情報を必要としていたのだ。全米経済研究所(NBER)に政府から国民所得推計の依頼が舞い込み、クズネッツがクラークのやり方を応用してアメリカ版の国民所得計算を作成することになった(クズネッツはこの業績によって後にノーベル経済学賞を受賞している)。・・・彼が1934年1月に連邦議会に提出した最初のレポートは、アメリカの国民所得が1929年から1932年の間に半減していることを明らかにするものだった。この衝撃的なレポートは一分につき20セントで販売され、不況にも関わらずベストセラーとなった。初版4500部はあっという間に売り切れたそうだ。ルーズヴェルト大統領はこの数字をインっ要しながら新たな税制再建計画を発表し、1938年には最新版に更新されたデータを利用して補正予算案を議会に提出した。ある国民経済計算詩の研究でも指摘されているが、国民所得水系の包括的なデータは政策を推し進める上で大きな力となった。前任のハーバート・フーヴァー大統領は株価指数や貨物輸送量といった断片的な情報に頼るしか無く、充分に危機感を煽ることができなかった。

サイモン・クズネッツ

本当に価値のある国民所得計算とは、強欲な社会よりも先進的な社会の見地から見て益よりも害であるような要素を、合計の金額から差し引いたものであると思われる。軍事費や大部分の広告費、それに金融や投機に関する出費の大半は現在の金額から差し引かれるべきであり、また何よりも、我々の高度な経済に内在すると言うべき不便を解消するためのコストが差し引かれなくてはならない。都市文明特有の巨額の費用、例えば地下鉄や高価な住宅などの価格は、通常は市場で生み出された価値として扱われる。しかしそれらは実のところ、国を構成する人々の役に立つサービスではなく、都市生活を成り立たせるための必要悪としての出費でしか無い(つまり生活のための出費ではなく、事業のための出費が大半なのである)。そうした要素を国民所得計算から除外することは困難を伴うけれども、それによって国民所得計算におけるサービス生産量の把握は確実に精度を増し、時代と国の違いを超えて比較するに耐える尺度となるはずである。

Kuznets, Simon, (1937), National Income and Capital Formation, 1919-1935, National Bureau of Economic Research, Inc, http://EconPapers.repec.org/RePEc:nbr:nberbk:kuzn37-1.

・・・GDPは決して、福祉や豊かさのレベルを計測するものではないのだ。

商務省のミルトン・ギルバートらの目的は明白だった。政府が支障なく財政政策を運用できるようなデータを作成することだ。・・・アメリカ初のGNP統計は1942年に発表された。・・・「事業税および減価償却費を(市場価格で計算されたGNPに)含めたことによって、戦争の経済に対する影響をより正確に予測できるようになった」・・・クズネッツはこのやり方にかなり懐疑的だった。「商務省のやり方は、政府支出が経済成長の数字を増大させることを同語反復的に認めているに過ぎず、人々の豊かさが向上するかどうかは考慮されていない」・・・第二次大戦が始まり、現代のGDPの概念が生まれる頃には政府は以前よりもはるかに巨大な存在となっていた。政府にしてみれば、既存の国民所得の額から国防費を差し引くのは、戦争が民間の消費支出に大きな犠牲を強いるという誤った印象を与える行為だ。・・・政府支出を経済から差し引くのでは無く加えるという考え方には、こうした民主的な政府というイメージへの移行を助ける意味合いもあった。

1939年にドイツに宣戦布告したイギリスは、アメリカよりも早く同じ結論に達していた。コーリン・クラークによる初期のアプローチは、極めて優秀かつ有力な経済学者ジョン・メイナード・ケインズの手によって拡大され、塗り替えられることになった。1940年に発表した小冊子『戦費調達論』のなかで、ケインズは当時の経済統計のあり方を強く批判した。・・・戦争の計画には、何を使ってどれだけ生産できるのかというような、個々の産業に関する詳細なデータが不可欠になる。「先の戦争以来の政府はすべて非科学的で蒙昧であり、何よりも重要な一連の事柄をお金の無駄と見なしてきた。」

全米経済研究所の所長を務めたウェスリー・C・ミッチェルはいう。「20年間に渡る幾通りにも分類された国民所得の推計が、いかに多くのやり方でいかに大きく第二次世界大戦を支えてきたか。これは戦争の費用調達に関わってきた人にしか本当には理解できないでしょう。」

イギリス財務省の要職にあったオースティン・ロビンソンはケインズの戦費調達論に感銘を受け、若手経済学者のリチャード・ストーンとジェームズ・ミードに新たな統計データの作成を依頼した。・・・ケインズは政府の職に就いていなかったが、財務省内にオフィスを与えられて二人の仕事を監督し、続いて国の新たな統計機関である中央統計局の設立にも尽力した。後の1984年に、ストーンはGDP及び国民経済計算を開発した功績でノーベル経済学賞を受賞することになる(この時ミードは貿易理論で既にノーベル賞を受賞していた)。

壊滅的だったヨーロッパ諸国の存続と再建は、このマーシャル・プラン(欧州復興計画)に大きく依存していた。あらゆるものが不足していた時期であり、限られた資源の使われ方を追跡することは急務であった。まもなく国連が指揮をとり、国際的な経済測定の基準が作られることになった。これが現在、国民経済計算体系(SNA)と呼ばれるものである。

雇用・利子および貨幣の一般理論』・・・経済学の古典となったこのテキストの確信をなしているのは、様々な経済変数同士の関係性だ。・・・政府の動かせる数字が経済の大きさにどう影響するかをケインズは論じた。この理論が1940年代以降の介入主義的な経済政策の基礎となっていく。財政政策(税収・政府支出)と金融政策(金利・融資)を駆使して、より高く安定した経済成長を目指そうというやり方だ。・・・見逃してならないのは、GDPがなければケインズ派のマクロ経済理論は戦後経済政策の基本原則になり得なかったという点である。福祉を重視するクズネッツのやり方が廃れ、政府支出を組み込んだGDPが開発されたことによって、国の経済における政府の役割は大きく変化した。GDP統計とケインズ派のマクロ経済政策は車の両輪であり、1940年以降のGDPの歴史はそのままマクロ経済学の歴史だった。

国民経済統計を使って計量経済的「モデル」を作成するという手法が登場し、・・・米英に劣らない速さでGDPを取り入れていたオランダ出身の経済学者、ヤン・ティンバーゲン。世界初のノーベル経済学賞受賞者である。・・・財政乗数の値を見れば、政府支出や税収の変化に対してGDPがどれだけ変化するかを予測できるわけだ。ケインズ自身はその有効性をかなり疑問視していたのもかかわらず、計量経済学的モデルは介入主義的な経済政策に欠かせないツールとなっていった。

経済をピタリとコントロールするという40年代の幻想はその後の数十年間の出来事によって打ち砕かれたはずだが、マクロ計量経済モデルはいまだに広く活用されている。政府の介入や政策変更がどのような効果を生むのか、それを予測しないわけにはいかないからだ。

リチャード・ストーンが言うように、国民所得は「それ自身で存在する事実」ではなく「経験的に作られた概念」でしかない。「所得を突き止めるためには、所得という概念を導き出すための理論を仮定の上に組み立て、この概念を一連の事実と対応付ける必要がある」。

 GDPの大半を占めるようになったサービス部門のデータ収集の難しさである。事業所の情報を収集する標準的な調査では、サービス部門が十分にカバーされていない。それに、購買習慣の変化を把握し続けるのも難しい。人々の買い物は地元の商店から大規模なチェーン店へと移行し、業者が仕入れに使うような大型店での買い物も増加した。最近ではオンラインショップへの移行も進んでいる。さらなる問題は、人々の所得の価値が把握しづらくなったことだ。昔は総報酬に占めるストックオプション割合は小さかったが、最近ではかなり存在感を増している。つまりGDPとは実際のところ、数々の統計データの寄せ集めに複雑な一連の処理を施し、概念的枠組みにあるよう綿密に加工した数字なのだ。

最初にPPPレートの算出を試みたのは、イギリスのコーリン・クラークだった。1940年のことだ。戦後になると、国民経済計算の発展と並行して購買力陛下の研究もさらに勧められた。そして1954年、OEECは初めてPPPで調整されたGDPを発表した。・・・多くの経済学者が当然のように利用しているPPP換算レートだが、一方でこれを疑問視する声も少なくない。PPPレートを使ってGDPを換算すると、通常の為替レートを使ったときよりも、国内の財やサービスの値段が安い低所得国が相対的に高く評価される。それ自体はPPPという考え方の狙い通りなのだが、問題は貧しい国の所得が高く評価されすぎているのではないかという点だ。最近の研究でも、PPPによるアプローチは各国の生活水準の差を過小評価しているという考えを支持する結果が出ている。

Nicholas Oulton, 2011.
"The Wealth and Poverty of Nations: True PPPs for 141 Countries,"
CEP Discussion Papers dp1080, Centre for Economic Performance, LSE.

 低所得国の政府にしてみれば、GDPが高くなるような調整はそもそもうれしくない。経済の水準が(見た目で)高くなってしまうと、世界銀行からの援助や低利子融資を受けられなくなる恐れがあるからだ。PPPレートを使ってGDPや1人あたりGDPを換算した場合、通常の為替レートを使ったときよりも、援助の必要性が低く見えてしまう。それでは困るということで、例えば中国政府は2000年に世界銀行に働きかけ、自国の1人あたりGDPの値を無利子融資の対象範囲まで下げさせたと言われている。

 1968年に出版されたポール・エーリックの『人口爆弾』は、増え続ける人口と資源の浪費に対する痛烈な批判だった。絶望的な未来を描き、発売と同時に大きな話題を呼んだ。だがエーリックは、後にメリーランド大学の経済学者ジュリアン・サイモンと賭けをして負けている。1980年、サイモンはエーリックに対し、好きな金属を5種類選び、それらの10年後の価値が(インフレ調整後価格で)上がるか下がるかを当てようという賭けを持ち出した。サイモンは経済学の理論を使い、こう推論した。需要が高まって何かが足りなくなれば、その他のものに比べて価格が高くなるだろう。価格が上がると人々はそれの使用量を制限したり、代わりになるものを見つけたりする。そうした価格とイノベーションによる配分の結果、市場の自動機能が働いて、不足は調整されるだろう、というのだ。それに対してエーリックは、もっとも早く枯渇しそうな金属を5つ挙げ、それらの価格が上がる方に賭けた。だが、エーリックは間違っていた。10年後、5つの金属の価格は全て下がっていたのだ。この有名なエピソードは、経済成長が環境を壊すか否かという問題をめぐって今も続く多くの意見の対立を端的に描き出している。

もともとGDPは、非常に限られた物的資源をある時点でどれだけ利用したか・利用できるかを測るために生み出されたものだった。難しい点はあるにしても、モノを測るのだから合理的でシンプルだ。一方でサービス部門では、統計の基礎となるデータが集まりにくい。既に述べたように、アダム・スミスサービスというものを非生産的内と涙と考えていたので、そもそも測定する必要がなかった。30年台に初期のGDPデータを作成したコーリン・クラークは、サービス関連のデータが手に入りにくいことを嘆いている。産業革命後の世界には綿花や石炭の生産量データはあふれていたが、サービスの測定はほとんど手つかずだった。1937年時点ですでに、イギリスやアメリカではサービス部門が雇用の半分近くを占めていたにもかかわらずだ。

http://www2.warwick.ac.uk/fac/soc/economics/staff/sbroadberry/wp/labmkt5.pdf

現実に、サービス業はOECD加盟国のGDPの3分の2以上を占めている。しかもそこには、金融サービスというさらに厄介な問題まで存在するのだ。

GDPの測定方法ではイノベーションの効果をうまく把握できないという問題だ。・・・数十年、数百年の間に、1ルーメン(明るさの単位)あたりの価格は劇的に下がった。そして同時に、証明の質は素晴らしく上がった。ところがGDPの算出に使われる生データ―ろうそくが売れた数やランプ・電球が売れた数―を見ても、どれほど低価格で高品質のものが手に入る用になったかは決してわからない。

現代のGDP成長は、絶え間ないイノベーションと爆発的な多様化のプロセスだ。「増えすぎた」選択肢の弊害などと言われることも多いが、データは逆のことを示している。商品の多様化(例えばシリアルの味や本の種類)から消費者が受け取る価値を計量的に推計した結果、シリアルのアップルシナモン味といったような一見ささいなイノベーションからでも、消費者は大きな価値を受け取っていることがわかった。

Valuation of New Goods under Perfect and Imperfect Competition, Jerry A. Hausman. in The Economics of New Goods, Bresnahan and Gordon. 1997

ウィリアム・ノードハウス「インフレ調整後のドルあたり、あるいは労働単位あたりで見た場合のコンピュータのパフォーマンスは、1990年以降1兆から5兆倍の規模で増大した。これは年間30-35%の成長が1世紀にわたって続いた計算になる」。公式の統計はコンピュータの性能向上を充分に掴みきれておらず、そのため価格低下を過小評価している、と彼は主張する。

アメリカではこの点を調査するための専門家チームが結成された。ボスキン委員会である。・・・96年のレポート・・・コンピュータやカメラや電話といった製品の性能アップが考慮されていないためにアメリカのインフレ率が年間1.3%過大評価されており、そのせいで実質GDP成長率が過小評価されているというものだった。物価上昇(あるいは実際より緩やかな下落)と見えたものは、実際には品質と消費者体験の著しい向上を反映した数字だったのだ。・・・名目GDPを実質GDPに変換するための価格指数の計算に「ヘドニック物価指数」を採用しはじめた。

ヘドニックという名前は、ギリシャ語で快楽を意味する言葉から来ている。この指数では利用者にとっての価値を可視化して本当の価格を導き出すために、商品の質の変化を計算に入れる。・・・質の向上に応じた価格上昇はインフレに含まれないということだ。このやり方は多数のハイテク製品に適用されている。・・・企業によるソフトウェア購入の扱いが、中間財の購入から、一種の投資へと変更されたのだ。それまでソフトウェアは、機械部品や文房具と同じような企業間の売買として扱われ、最終販売としてGDPの数値に加算されることはなかった。しかし新しい基準では、機械や工場と同じように、長期的に少しずつ利用されて将来的に利益をもたらす投資として扱われるようになった。この変更には賛否両論あった。・・・10年どころではなく2年ほどのスパンで買い換えられる。同じ耐久財とみなすには短すぎる期間だ。

イノベーションを測るためには経済の大きさよりも、財やサービスの多様性に目を向けるべきだ。2001年に発表されたある研究によると、アメリカではここ40年の間年間1%というハイペースで多様性が増していて、そのペースはどんどん加速しているという。 

Mark Bils & Peter J. Klenow, 2001.
"The Acceleration of Variety Growth," American Economic Review, American Economic Association, vol. 91(2), pages 274-280, May.

 そして今でも、ヘドニック指数の対象となっている一部の製品以外は、その多様性を測ることが出来ずにいる。

 リチャード・ストーンは、経済統計に含めるものと含めないものの区別が恣意的であることを率直に認めている。「商品の価値を市場価格で測り、このような扱いは何らかの理論に基づくものではなく、実務上の便宜のためである。したがってその正当性は実務の面においてしか認められない」。

 1987年、イタリアはGDPが一夜のうちに急上昇したことを発表した。無届けの経済活動の推計をGDP統計に含めることにしたからだ。この変更でイタリアの経済の規模は約20%も拡大し、一気にイギリスを抜いて、4位のフランスに僅差で迫る世界第5位に躍り出た。イル・ソルパッソ(追い越し)と呼ばれる出来事である。「イタリアは歓喜に包まれた。経済学者が統計の見直しを行い、脱税者や不法就労者からなる厄介な地下経済を初めて国の経済に組み入れたのだ」とニューヨーク・タイムズ紙は報じた。

一部の国では政府の規制があまりに厳しいため―途上国では工業製品の輸入に高い税金が変えられていたり、先進国では棚や流し台の配置にまで細かなルールがあったり―仕方なく非合法でやるしかないこともある。あるいは貧しすぎて、まともな仕事を選ぶ余裕がない人々もいる。

先進国におけるインフォーマル経済の比率は様々で、アメリカの7%やスイスの8%から、イタリアの20%やギリシャの25%まで幅がある(2012年の推計値)。平均値はGDPの15%というところだ。また、元共産圏の国々ではGDPの21-30%が平均的で、より貧しい国では35-44%となっている。インフォーマル経済の規模は全世界で拡大している。フリードリヒ・シュナイダーはこう述べる。「いくつかの国のデータに基づいた研究から、裏の経済が規模と力を増している背景には、税負担や社会保障負担の増加、そして公的労働市場に対する規制強化という事情が存在していると考えられる。」

Economic Issues No. 30 -- Hiding in the Shadows : The Growth of the Underground Economy

 景気循環と経済成長の研究で名高いモーゼス・アブラモヴィッツは、1959年にこう述べている。「福祉の長期的な向上率が国内生産の成長率によって大まかにでも測れるという見方には極めて懐疑的にならざるを得ない」。だがそうした忠告にもかかわらず、経済学者や政治家を見ていると、GDPと福祉をあまり区別していないという印象を受けることが多い。「経済学者もそんなことは承知している」とウィリアム・ノードハウス、ジェームズ・トービンの両氏は言う。「しかし経済のパフォーマンスを表す指標として普段から国民総生産を使っているために、国民総生産を大々的に推進しているかのような印象を与えてしまうのだ」。

Nordhaus, William and Tobin, James, (1972), Is Growth Obsolete?, p. 1-80 in , Economic Research: Retrospect and Prospect, Volume 5, Economic Growth, National Bureau of Economic Research, Inc,

なぜ経済はどこかの時点で大きく見直されなくてはならないのか?その理由は既にいくつか述べたが、何より大きな理由は、経済が物質的なものから形のないものへと変化しているからだ。質の向上と選択肢の増加を考慮しつつGDPの数字を量と価格の要素に分解するのは、ただでさえ厄介な試みだった。質と多様化がサービスや製品の中心的な要素になった場合、そうした試みはもはや意味をなさないとも言える。

今のところ、私たちは統計の霧の中で手探りしている状態だ。将来の資源を食いつぶす持続不可能な成長というネガティブな側面についても、イノベーションや創造性というポジティブな側面についてもどちらも情報が足りていない。そしてGDPは、数々の欠陥はあれど、その霧を通して差し込む明るい光であり続けている。 

GDP――〈小さくて大きな数字〉の歴史

GDP――〈小さくて大きな数字〉の歴史

 

 

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