「超」独学法 AI時代の新しい働き方へ

 

「独学者だからこそ新しい発想ができた」とも言える。

常識にとらわれない無手勝流で、「常識的な考えにとらわれている人なら、やらないことを試みる」ということだ。

ライプニッツは、次のように言っている。「独学のおかげで、空虚でどのみち忘れてしまうような、また根拠ではなく教師の栄誉を意味するような事柄から免れ、どの学問でも熱心に諸原理に到るまで探求することができた」。

シュリーマンが伝説を信じてトロイアの発掘を行ったのも、彼が素人学者だったからだろう。

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私は、出身階層や門閥で決まる社会ではなく、勉強で獲得した能力によって上昇できる社会こそが健全だと思う。

貧しい社会では、本人が「勉強したい」と考えていても、それが必ずしも親に支持されるとはかぎらない。高度成長期以前の日本では、多くの子供たちが、親に隠れて勉強した(仕事の手伝いを逃げて)。

ところが、日本人が豊かになってから、「勉強をしたい」という意欲が失われた。ハングリー精神を失ったのである。「勉強しなさい」と言われ続けるいまの日本の子供たちは、あわれだ。

日本が勉強の必要ないユートピアになっているのなら話は別だが、長期的に経済地位が下落し、勉強の必要性が非常に高いにもかかわらず、勉強しない。これは悲劇である。

アメリカのような競争社会では、いまでも大学院生が死にもの狂いの勉強をしている。
それだけの意味があるからだ。そうしたインセンティブに乏しい日本の社会は問題だ。とはいえ、いまの日本が昔の貧しさに逆戻りすることはできない。勉強の成果が評価されるような社会になることを望みたい。

 

アメリカで経済学を学んだとき、大変印象的だったのは、 "crucial"という言葉である(「大変重要なという意味)。多くの教授が、「この点はcrucialだと連発していた。学習で重要なのは、crucialなこととtiribial (些細)なことを、はっきり区別することなのである。

何がcrucialかを教えてくれることが、学校教育の最も大きな利点だ。ところが、独学ではそれが分からない。したがって、重要でないところに力を入れて突っ込んでしまう危険がある。

逆に言えば、何が重要かを示してくれず、平板なことしか教えない教師は、無能教師である。

では、独学の際に、どうやって重要なことを見出せるか。これが大きな問題だ。

 

注意すべき第2点は、常に「外国語を聴き取ろう」と意識することだ。

映画を見ているとき、外国語の字幕を見ていてもよいが、それだけで満足するのでなく、聴くことを意識する。字幕を見れば、聴き取れない言葉が何かは分かるだろう。

「聴き取ろうとする意識がないかぎり、何度聞いても外国語の勉強にはならない。しかし、聴き取ろうとして聴いていれば、聴く能力が無意識のうちに向上していく。そして、長い時間の間には、大きな変化が生じるはずである。

 

ブロックチェーンに個人の学習履歴を記録する

ブロックチェーンを用いて、個人の生涯に渡る学習履歴を記録するプログラムがいくつか開発されている。

その1つであるLearning is Earningは、学校教育のみならず、コミュニティカレッジや個人から教えられたことも対象にする。

www.iftf.org

現在でも、就職の際に、学歴や学校の成績の他に、TOEICなどのテスト業者が行う試験結果が参照されることはある。ただし、それらは、アドホックに参照されているに過ぎない。それをもっとシステマティックに利用しようというものだ。

大学入試の際に高校の内申書は参照されるが、参考資料程度でしかない。ましてや、学校システム以外の教育は参照されない。それらは、信頼できるデータにはなっておらず、かつ簡単に処理できる電子的なデータとして統一されていないからである。

そして、日本の大学は、一旦入学してしまえば、成績が悪くても途中で振り落とされることはなく、卒業できる。したがって、有名大学に入学すれば、人生のパスポートを得たような錯覚に陥ってしまい、勉強しなくなる。

これでは、勉強する意欲はわかない。生涯学習の必要性が言われるが、勉強したことに対するリワードがなければ、インセンティブは生じない。だから、就職した後は、勉強するよりは、上司に取り入ったり職場の人間関係を円滑にすることのほうが重要と考えられるようになる。日本経済停滞の大きな原因は、勉強が大学入試までで終わってしまうことだ。しかし、それが変わりつつあるのだ。また、このシステムを奨学金に結びつけることもできる。将来有能と見込まれる学生に、投資家が投資をするのだ。奨学金制度を市場で運営するというアイデアは昔から経済学者が夢見ていたことである。しかし評価が難しいので、実現できなかった。それが原理的には可能になる。

「Learning is earning (学習は稼ぐことだ)」という言葉を聞くと、学習を収入に結びつ
ける実利主義のようで、反発する人がいるかもしれない。また、個人の能力が数字で赤裸々になってしまうことに対して、抵抗感を持つ人がいるかもしれない。

しかし、コネ、縁故,情実などで就職が決まることに比べればずっと透明でずっと公平だ。これまで、本当に能力のある人が評価されず、たまたま社会的地位の高い家庭に生まれただけの理由で多くの利益を受けるようなことが多かった。そうした不公平がなくなることは、採用側としても望ましいことに違いない。