ミクロ経済学入門の入門

  • 経済学は社会科学の諸学問のなかでは、数学を最もよく活用する。そうなった理由は単純で、経済学が扱う対象には、財の量、価格、費用など、数字で表されるものが多いからだ。これがたとえば政治哲学のように、社会のあり方を根本から模索したり、テクストを深く読み込む作業の比重が大きい学問だと、そのようにはいかない。
  • 数学は論理展開が明確であることに特化した、かなり特殊な言語だ。これを活用できると理展開がクリアーになり、ミスを避けやすくなるから便利だ。だから経済学には式を立てて問題を解くといった分析がたくさんある。19世紀前半にフランスのクールノーという数学者が寡占市場の研究を発表して、それが19世紀後半での経済学と、20世紀なかばでのゲーム理論の発展に大きな影響を与えた。そしてそれらの発展においては数学的な定式化が重要な役割をはたした。
  • そもそも数学を多用する経済学者も、最初は分析の対象を図でイメージして、そこから得られる直観を数式の形に表していくことが多い。通常の自然言語で分かった気になっていたことでも、作図をしていくなかで、案外分わかっていなかったと気づくことも多い。そしていったん作図に成功すると、その図を眺めているうちに、「こういうことか」と新たな発見に気づきもする。要するに作図は、議論の理解と進展に極めて有効なのだ。

狙い撃ち課税はなぜダメか

  • 従量税は、たばこをはじめ、お酒やガソリンなど、特定の財に狙い撃ち的にかけられるのが特徴だ。狙い撃ちされた側は、ときにそれをかわすべく、本来なら不要であるはずの技術を開発して対応する。
  • 酒税を例にあげてみよう。1990年代に、発泡酒という、ビール風のアルコール飲料が開発された。発泡酒はビールと比べると麦芽率が低く、酒税が定めるところのビールの定義を満たしていない。よって、生産者はビールにかかる酒税を逃れ、安価に販売できる。だが、政府としてはこの事態は見過ごせず、2003年には発泡酒にも一定の酒税がかかるようになった。それを受けメーカー側は、さらに原材料を変更した「第三のビール」を開発し、またもやビールや発泡酒への酒税を逃れるようになった。そして2006年には酒税法が変更され、第三のビールへも一定の酒税をかけるようになった。2016年の時点で、350mlの1缶あたりの酒税額は、ビールは77円、発泡酒は47円、第三のビールは28円となっている。なお、
    この年に政府は、今後は税額をすべて55円へ統一していく方針を発表した。
  • ビールへの従量税が与えた社会的損失は、死荷重だけではない。そもそも発泡酒第三のビールは、酒税法が定める「ビール」の定義に当てはまらぬよう、メーカーが技術開発して作製した劣化ビールのようなものだ。この技術開発にはもちろん費用がかかっている。税を逃れるための費用であり、これも従量税が与えた社会的損失の一種だ。この技術はそのときの日本の酒税法のもとでは有効だが、
    日本の酒税法が変われば、あるいは酒税法が違う他国では、そうではない。他の技術開発に使えたはずの投資費用が、徴税当局とのいたちごっこに費やされた
    ともいえる。特定の品目を狙い撃つ従量税は、死荷重以外にも、こうした社会的損失を生みやすい。

 

  • ある財がギッフェン財であるというときには、僕にとっての格安パスタのような個人レベルではなく、集団レベルでの需要についていう。ある財がギッフェン財だとデータから確認されることは非常に珍しい。ペンシルヴェニア大学のジェンセン教授とイリノイ大学のミー教授らは、中国の湖南省での米と、甘粛省での小麦がギッフェン財だとの調査結果を報告している。

 

  • 「優勝劣敗」という言葉がある。文字通り、優れているものが勝ち、劣っているから敗けるという意味だ。だがネットワーク外部性が強い市場においては、優勝劣敗が実現するとはかぎらない。優れていようが劣っていようが、先にナッシュ均衡の座をつかむことが勝ちだからだ。
  • 日本では「ものづくり」という言葉が好まれる。だがネットワーク外部性が高いサービスにおいて、製造業的な「ものづくり」は必ずしも重要ではない。サービスを人が人を呼ぶ軌道に乗せることこそが、あるいは標準規格の座を射止めることこそが、ライバルとの競争を勝ち抜く唯一にして最良の手段だからだ。機能の優れた商品が勝つとは限らないことをネットワーク外部性は教える。