特別研究員制度がなければ研究者にはなれなかった

https://www.jsps.go.jp/j-pdab/data/murayama.pdf

  • 村山:1986年に東京大学の大学院に進み、素粒子の理論を学び始めたのですが、とても戸惑いました。理論が現実から離れて積み重ねられていると感じたからです。ヒッグス粒子が理論の予言から半世紀後に発見されたように、素粒子物理学のタイムスケールは長く、面白い実験データがなかなか出ず理論先行になる時期があります。当時もそんな状況でした。超弦理論がブームで、これで全てが説明できる、もうすぐ物理学は終わる、という熱気に包まれていました。
  • 私も超弦理論の重要性は理解できましたが、興味を持てませんでした。素粒子物理学でもほかの分野と同じように、実験データを理論で説明し、理論が予言する現象を実験で確かめながら研究が進展していくものだと思っていたからです。実験と理論を結び付けるような研究がしたかったのですが、そのような研究は流行ではなく、周りでは誰もやっていませんでした。やりたい研究ができそうもないので、修士課程を終えたら研究はきっぱり諦めるつもりでした。
  • ──流行ではない分野の研究を進めることに、ためらいはなかったのですか。村山:私は現実を説明する理論にしか興味を持てませんでした。研究のほとんどはうまくいかず、つらいことの連続です。興味が持てない研究でつらい思いをすることは、私にはできませんでした。
  • ──その後、渡米され数々の業績を上げられました。独創的な研究をするには何が必要ですか。村山:私はいろいろなことに興味があり、一つのテーマだけを考え続けることができません。飽きてしまうのです(笑)。私はどのテーマについても専門家ではなく、のめり込まずに一歩下がって、いろいろなことを視野に入れて全体像を眺めてみます。すると、この現象とあちらの現象は実は関係している、この現象を説明するにはあの理論が役立つかもしれない、と気付くことがあります。
  • ──Kavli IPMUでは、どのような観点で研究者を採用しているのですか。村山:研究の提案書を重視しています。Kavli IPMUで自分がやりたい研究を学問の全体像の中に位置付け、それがなぜ今、重要なのかが明確に書かれた提案書に私は共感します。自分のやってきたこと、やりたいことの価値は、全体像をしっかりつかんでいないと説明できません。それを自分の言葉で説明できる人が大きく伸びると思います。