ブルーバックス通巻2000番小冊子

 大栗博司「私はアメリカの大学に勤務していて、職業は英語ではプロフェッサーといいます。これは本来はラテン語で、自らの信じることを公に述べるという意味でした。たとえば、カソリック教会でキリスト者になるときに行う信仰告白の「告白」は、プロフェスと言います。ところが、19世紀のドイツで近代の大学制度が整備されると、今まで誰も知らなかった真実を発見し、その新しい知識を次の世代に伝えるもののことを、プロフェッサーと呼ぶようになりました。ですから、自分の研究をこの本のような科学解説書にして公に述べ、人類の将来を担う若い世代に科学のすばらしさを伝えることは、私の職務の一部と考えています」

 

演繹的方法はどちらかと言えば数学的な思考などに用いられることが多いようです。1つの定理を基に新たな公式を導くようなことです。ですから、主に法則・理論の作成、検討などに用います。一方、帰納的方法は、厳密さを重んじる論理学ではあまり評価されません 。具体から抽象へ進めるときに必ず飛躍を伴うからです。しかし、論理的思考(科学の実証的思考)の多くはこの方法に依ります。現実世界の事柄との関わりを扱わねばならないからです。

研究者になろうと思ったら、今はだめでもいつかは、という研究の卵を3つか4つ抱え込んでおいて、それらについて絶えず考え続けていけよ

 大学入学時にすでに現代数学の基本的知識を全て身につけていたという、神童ドゥリーニュ(1978年にフィールズ賞受賞、当時34歳)・・・1989年度の京都賞を受賞した旧ソ連の数学者ゲルファントは、19歳のときに著名な数学者コルモゴルフに見いだされるまで、正規の高等教育を受けた経験がなかったことから苦学の人とも呼ばれています。そのゲルファントにしても、こう語っているくらいです。「数学者としての才能のほとんどは、13位から17歳までの時期に現れます。この時期に形成された数学の美的イメージは、今日に至るまで私の数学の基礎になっているのです」・・・デュドネ・・・「通説と逆に、創造的な時期が23歳から25歳以前であることはまれ」であり、ガロアやドゥリーニュやセールのようなケースは「きわめてまれである」と明言しています。

小平は天分も去ることながら、もっと大事なのは運であると述べています。つまり、「数学の才能があるかどうかは、実際に数学の道を歩んでみないと分かりません。数学者として成功するのに一番必要なのは運だと思います。新しい分野が開拓されたときに、その研究の中心となる場所にいて、刺激を受けながら研究するのは、ものすごくトクしますから」というわけです。

 

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