啓蒙とは何か

人間のあいだに存する不平等、それも自然が彼らに与えた資質や、たまたま幸福に巡り合ったために得たところの財物の不平等ではなくて、各人が等しく与うるべき人間の権利の不平等であろう。ルソーがこの種の不平等を痛感したのは、まことに尤もな次第である、しかしかかる不平等は、文化がいわば無計画的に進行する限り、文化から切り離し得るものでない。・・この不平等を定めたのは、決して自然ではない。自然は人間に自由と理性とを与えた。そして理性はこの自由を、理性が自ら制定した普遍的にしてしかも外的な合法則性、すなわち公民法と呼ばれるところの立法による以外には制限することがないのである。自然は人間が彼の自然的素質に基づく未開状態から自力で離脱することを欲した、だが彼はこの未開状態から抜け出るにあたって彼自身の自然的素質を傷けぬ様に注意せねばならない。・・人類は、自分の無経験のために自ら招くところの諸の害悪を追って苦しみ喘ぐのである。

モーゼス・メンデルスゾーンにとっては「人類が全体として、上下に小幅な振動を繰り返していることは、我々の知るとおりである。しかし人類はかつていささかの進歩をも遂げなかったといってよい。換言すれば、前方へ数歩進んだかと思うと、すぐそのあとでは倍の速度でするりと元の状態に戻ってしまうのである。人間は進歩する、しかし人類は、固定した仕切りの中で絶えず上下に振動するだけである。そして全体として考察すると、どの時間的周期についてみても、道徳においては大体同一の段階にとまっているし、宗教と無宗教、さらにまた幸福と悲惨については常に同一程度にとどまっているのである。」

しかし私の意見はこれとは違う。・・人類は文化に関して絶えず進歩しつつある。・・進歩の過程は断絶しないであろう。・・人類が道徳においていっそう高い段階に達すると、これよりもさらに遠くまで前方が見えるようになる。・・我々の自責の念はいよいよ厳しくなる。

啓蒙とは何か 他四篇 (岩波文庫 青625-2)

啓蒙とは何か 他四篇 (岩波文庫 青625-2)