恋する天才科学者

 晩年、デーヴィはこう呟いたそう。「私は科学上の発見を随分したが、私の生涯最大の発見は、ファラデーを発見したことだ。」

ハンフリー・デービー - Wikipedia

「演者としては、神業のように下手くそに話した」と言わせるくらいプレゼンテーションが下手だったこと。講演の最中であろうが考えにふけってしまうのはサッカーの時と同じ!・・・大きな会議でボーアが英語で話すときは、「英語」の同時通訳がついたくらい!ちなみにボーアの一番弟子だったL・ローゼンフェルトという物理学者は、多言語を操れたのですが、その中には「ボーア語」も入っていました。これぞ語学の天才?

ゾンマーフェルトはこの才能ある学生のパウリに、もう教えることがないにもかかわらず、大学の規則で博士号を授与するまで6学期間も大学においておかなければならない、ということに困っていました。そこで『数理科学百科事典』の一項である相対性理論の部分をパウリに任せることにしたのです。

博士学位審査会の試問で、実験物理学専門の教授、ヴィーンが問題を出したのですが、どれも(ハイゼンベルクは)答えることができません。しまいには、蓄電池の働きという今の高校生でも分かる質問をしたのですが、それもアウト。・・・「実験物理に関してここまで理解できていないのでは、学位を授与するのに相応しくない」と、ヴィーンと指導教官のゾンマーフェルトとの間で激論になってしまいました。

 ファインマン

「このMITからの応募者の数学と物理の得点は他の学生から程遠い完璧に近い点だけど、歴史と英語でこんなに悪い点をとっている」「こんな悪い点をとった応募者を入学させたことはない」

数学の天才児から理論物理学者に転身したF・ダイソン。彼にも、最初「ファインマン・ダイアグラム」という図形のことは意味不明でした。でも、ある時ファインマンとシュウィンガーの二人の理論が、「これは同じ思想を別の棚から見ているだけ」と閃くのです。そしてダイソンが、ファインマンの理論を多くの方程式型の人にも理解できるように翻訳してくれたおかげで、ファインマンの業績が広く理解されるようになったわけです。

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