巨匠(マエストロ)たちのラストコンサート

 カラヤンが継承したのは、ベルリン・フィルハーモニー音楽監督というフルトヴェングラーが握っていたポストだったが、「ドイツのトスカニーニ」と言われていた時期もあったくらい、音楽的にはトスカニーニの影響を強く受けていた。

指揮者が本番の演奏時に楽譜を見ないようになったのは、トスカニーニからだと言われている。・・・少なくとも、トスカニーニ以前は「見ない」人はいなかったようだ。トスカニーニに暗譜での指揮を可能とさせたのは、抜群の記憶力である。そして、彼に暗譜での指揮を強いたのは、極度の近眼だった。・・・それを真似したのか、近眼でもないのに、敢えて目をつぶって、暗譜で指揮をしていたのがカラヤンである。

作品への芸術的評価も高く営業的にも大成功した作品を、その作家活動の初期に生んでしまった作家は、それを超えるものが出来ないと悩むことになる。・・・手塚治虫が執拗なまでに、「アトムは僕の代表作ではありません」と言い続けたように、バーンスタインも「私はウエストサイドの作曲家だけではない」と言い続けた。

グールドはニューヨークにやってくると、バーンスタインの自宅に行き、自分がやろうとしている解釈で弾いてみせた(ブラームスのピアノ協奏曲第一番)。そのテンポがあまりにもゆっくりだったために、バーンスタインは驚き、「本当にこうやるつもりなのかい」と尋ねた。・・・「これからやることに覚悟しなければならない。でも、逃げ出してはならない。彼は天才なのだから、真剣に受け止めるべきなんだ。彼が間違っていたとしても、見事な演奏になるだろう。だから、彼に合わせなくてはならない。彼には冒険心があるし、私にもある。やってみようじゃないか。」

カラヤンにとってレコードはリハーサルの一部でしかない。あくまで、コンサートやオペラの本番こそが、真の演奏である。その点が、録音が好きで大量のレコードを遺しながらもコンサートを拒否したグレン・グールドと、カラヤンとの最大の相違点だった。・・・カラヤンのレコードは、他の指揮者の誰のレコードよりも完成度が高い。それがリハーサルだなどとは思えない。さらに、カラヤンが機械好きだというエピソードも加わり、レコードに記録されたものこそがカラヤンが望んだ完成された演奏だというイメージが固定した。だが、そうではないのだ。・・・ライブはどうしてもオーケストラにミスが生じたり、客が咳をしたりするので、完璧なものではない。完全主義者だから、そういった不完全なものが残るのを好まなかったというのが有力な説である。

人気のある演奏家のライブの音源は「何でもいいから聴きたい」という人が数百人から数千人いるので、マーケットとして充分に成り立つ。その海賊版市場で双璧をなすのが、カルロス・クライバーとセルジュ・チェリビダッケだった。ふたりとも録音が嫌いだった。クライバーはそれでもまだ何枚か正規に録音したレコードがあったが、チェリビダッケは録音を完全否定していたので、若いころの数枚を除けば正規のレコードは皆無だった。・・・クライバーというのは不思議な人で、レコードにするのは認めないのに、来日した時など、大手CD ショップに出掛けては、自分の海賊版を見つけて嬉しそうに買っていったという。

ロシュトロポーヴィチ「人柄」については、様々に語られている。・・・ヴィオラ奏者バシュメットの自伝的エッセイ『バシュメット・夢の駅』にある。バシュメットモスクワ音楽院に入学した時の話で、教授でもあった世界的演奏家たちとの出会いをユーモアをまじえて回想している。

まず、オイストラフとの出会いでは、彼が挨拶をすると、オイストラフは困惑して、「ええと・・・君は誰だったかな?」と言う。初めて会うのだから知らなくて当然である。バシュメットは自己紹介をした。すると、「頑張ってください。もし興味があるのなら私の授業を見学に来て下さい。いつでも歓迎ですよ。」

レオニード・コーガンにも、同じことをした。すると、「コーガンは歩みを止めることなく、振り返ってそこにいるのが見知らぬ学生ということを見て取るとそのまま歩き去った。」

そして、ロストロポーヴィチである。バシュメットはこれまでの二人と同じように、「こんにちは」と挨拶をした。すると、これまで一度も会ったことがないのに、ロストロポーヴィチは「おぉ君か!友よ!」と言ってバシュメットを抱きしめたという。まさに、「誰とでもすぐに友人になる」人間なのだ。

巨匠(マエストロ)たちのラストコンサート (文春新書)

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