日本経済学会75年史

 「経済理論は何を明らかにし、どこへ向かってゆくのだろうか」

ゲーム理論と情報の経済学がもたらした成果・・第一に、完全競争市場意外の幅広い社会経済問題を、合理的行動から統一的に捉える理論体系ができたこと・・第二の成果は、一度完全競争市場の世界を離れると、各個人の利益追求は、全体として非効率的な結果をもたらすこと・・適切なインセンティブを与える制度の設計が重要であるということが明確な形で理解されたということであろう。

実験を通じて得られた詳細なデータの蓄積により、・・現実の人間行動は、経済理論の予測から、ある特定の方向に、規則性のあるズレ方をする・・人間の認知・行動の癖を、主に心理学で蓄積されてきた知見を元に、経済理論に取り入れようとする動きが行動・心理経済学である。

個人の感想を述べると、市場の機能の70%くらいを新古典派理論が解明した感があるのに比べ、企業内部の活動のせいぜい20%くらいしかゲーム理論は明らかにしていないという感触を持っている。

行動経済学における一つの問題点と私が考えるのは、・・「なるべく簡単で使いやすい」(tractable and parsimonious)モデルを構築することを宣言することである。・・木の葉が揺らぎながら落ちてゆく軌跡をトレースする簡単な関数型を当てはめていることに対応しているようにも見える。・・木の葉のゆらぎを本当に深く理解するために必要なのは、無論サイン曲線によるニュートン法則の修正ではなく、空気抵抗を考慮した理論的考察である。・・伝統的な経済理論への代替案として提示したモデルは、現実のデータの表面を大雑把になぞるものに過ぎず、残念ながら未だ人間行動の真の構造を明らかにするものになっていないということになる。

ともすると実験結果をなぞるような関数型を探すことに偏りがちな現状の研究方法に対して、現状ではやや軽視されているきらいがある「なぜ?」という問を立て、これを検証する実験・計測を計画するというのが、今後の研究を発展させるための一つの方向性といえるであろう。

ルビンシュタインは、実験データによって利己的な合理性に基づいたモデルの妥当性が否定されたとする考えに対し、「理論モデルははっきりと検証できるものでもないし、現実について正確な予想や、真剣に受け止めることのできるようなアドバイスを与えるものではないにせよ、それでも意味がある」という見解を表明している。・・用はより理論モデルは現実について有用な洞察を与えるということ,そして、有用な洞察を与えることと現実にぴったり合致することは同じではない、ということらしい。

ある面で現実からはっきりとずれているような理論モデルは、「現実について有用な洞察を与える」どころか、「誤った洞察」を与えるとんでもないものである場合が圧倒的に多いためである。100個の現実離れしたモデルがあれば、その内の99個は誤った洞察を与えるものと思ってよいであろう。・・そのモデルが何故「残りの1個」なのかを、何らかの形できちんと説明する義務が理論家にはある。

実験・行動経済学の研究においては、ややもするとデータと伝統的な経済理論の予測の間のズレ(アノーマリー)を探すことに力点が置かれ、理論予測が当てはまるのはどういう時かをきっちりと把握することが、比較的おろそかになっているように見えることである。・・豊富に蓄積された伝統的な理論の持つ予測力をきっちりと検証してゆくことも、それと並んで重要なのではないだろうか。

理論の持つ予測力を評価する際に、実証のテストが時として厳しすぎるのではないか・・自然科学では通常そこまで厳格な統計的テストは行われていない・・究極の審判は、実験結果が再現性を持つかどうかということなのである。

現代景気循環論の展望

よくある批判は、集計的生産関数や代表的個人を想定するので、企業や家計の間の多様性を無視しているというものである。また市場の不完全性や人間の非合理性を無視しているので、失業や金融危機などの現象が分析できない。

リアルビジネスサイクル理論は、標準的な市場経済一般均衡理論であるアロー・ドブリューモデルを景気循環の分析に応用したものと考えられる。・・代表的家計ははじめから仮定されたのではなく、市場が完全の場合には不変である根岸のウェイトを用いて構成されたのである。同様に、集計的生産関数も、摩擦のない市場で効率的な生産が行われる結果、構成されたものである。したがって、RBC理論では企業や家計の多様性を無視しているのではなく、市場が非常にうまく機能している経済を想定するので、あたかも集計的生産関数や代表的個人が存在するかのように経済変動を分析できるのである。

RBC理論のどこが問題なのであろうか。・・第一の問題は、資本ストックがストック変数であるので、短期の投資の変動ではほとんど変動しないことにある。・・労働量も、代替効果と資産効果が相殺されるので、だいたい効果がよほど大きくないと、なかなか変動しない。・・小さなショックが経済全体に大きな変動をもたらす強力な増幅のメカニズムがかけているので、どうしても大きな外生的ショックが必要になるのである。

完全競争を前提にすると、各企業は一定の市場価格で好きなだけ生産物を売れるので、需要の変化の効果を捉えることが困難である。

(信用制約タイプのモデル)
生産性の高い企業の資産需要は、信用の制約のために過去の蓄積である純資産に依存するので、ショックを受けるとなかなか回復しない。一方で資産価格は将来の期待に依存するので、資産需要の長期停滞予想が現在の資産価格を下落させることになる。資産市場を舞台に過去の蓄積と将来の期待が現在という瞬間において出会うのである。

バーナード=イートン=ジャンセン=コータム(2003)によると、各企業の労働生産性はその企業が属する産業の平均労働生産性の25%以下から4倍以上まで幅広く分布しており、労働者の教育・訓練水準や資本量だけでは説明できない。・・有形資産だけではなく無形資産がどのように蓄積されるのか考えなくてはならない。

現代景気循環論も外生的なショックがどのように雇用、投資、総生産性に波及するかだけでなく、個々の企業の生産性の変動要因を改名し、ショックの源泉を追求する時期に来ているのかもしれない。

ミクロ実証分析の進展と今後の展望

ミクロ実証分析には大きく分けて4種類ある。1種類目は特定の経済モデルとは必ずしも直結しておらず、出来る限り現実をそのままに捉えようとするもの・・2種類目も特に特定の経済モデルとは直結しない形での政策効果(Program effect)の測定である。・・3種類目はある経済モデル、典型的には選択、あるいはある意思決定のモデルだが、その経済モデルに関するパラメータ、あるいはそれに関連するものの測定である。例えば需要関数の価格弾力性、所得弾力性、消費者余剰、市場での競争のあり方など測定がこれにあたる。・・このような実証分析は通常構造アプローチと言われる分析の枠組みで行われた、2種類目の実証分析とは実証分析の目的が異なることから補完的な関係にある。・・4種類目は3種類目とほぼ同じであるが、重点として推定よりはある経済モデルの検証あるいはある政策効果がどのような仕組みで効果を持つに至ったと考えることがデータと整合的か、といったことを解明することを課題とする。

政策効果の測定で効果が認められたものが、他の状況下でも同様の効果を期待できるかを考えるためにはこのような測定を通して効果がもたらされたメカニズムを解明することが必要となる。また、「ルーカス批判」で指摘されている点だが、ある政策を行った際にも変わらないパラメータ、いわゆる「構造パラメータ」を指定したモデルを特定する必要がある。

測定対象の識別問題(Identification problem)を考えることが計量経済学の一つの重要な主題である。・・古典的な例としては同時方程式モデル(Simultaneous Equations Model)・・Haavelmo(1943)が構造モデルと誘導型モデルを区別して以来、同時方程式でも識別問題が明確化した。・・操作変数法がこの識別問題を解決する手法として開発されたことも周知の通りである。

1990年代以降、計量経済学の分野では観察データ(Observational Data)と実験データ(Experimental Data)との違い、それぞれを用いて実証分析を行う際の前提条件、長所、欠点を意識することが重要だという認識が研究者の間で共有されるようになった。・・80年代後半までは様々な問題のある観察データを用いてもそれらの問題を克服すべく開発された計量経済学的手法を用いることで信頼できる実証分析が行える、という基本姿勢で実証分析が進められてきた。・・より懐疑的になってきたことが90年代以降のミクロ計量経済学の一つの特徴である。・・データに語らせること旨とする実証分析がミクロ計量分析の一つの主流となっている・・非構造推定アプローチ。

If you only have a hammer then you tret everything like a nail. (Abraham Maslow) 目的に即した分析手法を選ぶことが重要だ。

Lalonde(1986)の影響があげられる。・・JTPAによる社会実験データを用いて得られた職業訓練効果を計量経済学的手法が観察データを用いて再現できるか否かを検証し、それまで通常用いられていた計量経済学的手法では実験結果を再現できないことを示した。

ルーカス批判・・ルーカスはマクロ計量経済モデルの係数は政策プロセスの変更により変化する可能性があり、係数の安定性を仮定する従来の計量経済学の結果に信頼は置けないのではないか、と批判した。・・Sims(1982)は・・ルーカスの想定するような政策プロセスの変更が行われることは稀であり、従来のマクロ計量モデルの係数が変化する可能性を許しながら実証分析を行うならば、信頼のおける実証分析ができるという議論を展開した。・・ミクロ計量経済学では政策に依存しないパラメータをモデルの中で明示的に指定する事により、少なくとも実証分析の前提条件を明らかにするという方途を選んだ。・・構造推定(Structural Estimation)と呼ばれることになったアプローチの嚆矢である。

社会実験や自然実験の測定対象パラメータとなっているものは、ある事柄の効果であり、それは構造パラメータではないから、そのパラメータがいかに正確に測定されたとしても、得られた結果が他の場所、他の時点で同じように成立するという保証はない。・・非構造推定の手法ではこの点の理解を不問に付す代わりに、できるだけ特定の経済モデルや測定の際に置かれる関数形、分布などの過程を置かずに推定を行うことを目指している。

効用関数の形や、分析者からは直接には観察されないεの分布と違って・・・に対して一定の仮定を置く必要が(構造推定には)ある。・・こういった点が構造推定から得られる結果は信頼できないと言われる主たる原因となっている。

日本経済学会75年史 -- 回顧と展望

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