遥かなるケンブリッジ

 コーツ教授はアメリカの第一線の教授がみなそうであるように、大変な勉強家だった。まさに寸暇を惜しんで研究に明け暮れていた。近所に住むリチャードが彼の家を訪れても、5分後には必ず2階の書斎にあがってしまうらしい。日曜の朝早く、まだ暗いうちに私が研究室に入ろうとしたら、3階の彼の部屋に明々と明かりがついていて、思わず気合の入ったことを覚えている。

裕福な生活を送りかったのなら、官僚を辞めなかった。上司の機嫌を取ったり、ライバルの足を引っ張る必要もなく、政治家の欲するとおりの経済統計を巧妙に作り上げる必要もなく、好きな研究を好きなだけやっていられる今が最も幸せだ。」ウェイン・アンダーソン

ヒースブラウン博士を探したが見えなかった。バーチ教授によると、猛勉強家のヒースブラウン博士は、社交の場にはあまり顔を出さないらしい。さすがと感心した。これまでに幾度となく感じたことだが、天才とは天才的努力のことである、との思いを新たにした。

オクスバラ委員会が前年に打ち出した「集中化政策」は現在でもイギリス高等教育の屋台骨を揺るがしている。それはイギリスの大学を3つに分類するという案である。研究を積極的に進め学部大学院の教育も行う大学、特殊分野での研究を行う以外は修士までの教育に携わる大学、学部教育に徹する大学、の3種類に分けて予算を傾斜配分するというものである。