重力とは何か

  • ところが人間は、生活にほとんど関係のないことまで知る能力を得てしまいました。役に立たないことがわかっていても、好奇心には勝てません。そして私は、そんな人間の営みにはすばらしい価値があると思います。私自身、一度しかない人生のあいだに、この世界のことをできるだけ深いところまで知りたいと願って、研究を続けてきました。重力は、私たちの生活を支配する身近な力です。しかしその正体はまだ完全には明らかになっておらず、これを理解しなければ、自然界の最も奥深い真実に到達することができません。だからこそ重力研究はおもしろいし、その意義を広く伝えたいとも思うのです。
  • 万有引力の法則と相対論は、いずれも重力の働きに関する画期的な発見でした。そして現在、重力研究はニュートンアインシュタインの時代に次ぐ「第三の黄金時代」を迎えようとしています。重力にまつわる大規模な観測や実験プロジェクトが次々と始まり、それを支える理論も大きく進歩しつつあるのです。また、これによって私達の知らなかった宇宙の姿が明らかになってきました。
  • 光とは電場や地場の振動が波のようにして伝わっていくものです。アインシュタインは、重力も波のように伝わっていくことを予言し、これは重力波と呼ばれています。

 

  • どうして、万有引力を検証するのにそんなに時間がかかったのでしょうか。それは、重力が「弱い」からです。重力は地球上のほぼすべての物質を地面に縛りつけているのですから、「弱い」と言われて意外に感じる人も多いと思います。スペースシャトルディスカバリー」に搭乗した山崎直子宇宙飛行士も、地球に帰還したときに「重力の強さを非常に感じています」と語っていました。たしかに、無重力の世界から帰ってくれば、重力は「強い」と感じられるでしょう。
  • しかし、ここで重力が「弱い」というのは、別の「力」と比較しての話です。自然界で物質に働く力は、重力だけではありません。身近なところでは、「磁力」が挙げられます。磁気には引力のほかに反発する力(斥力)があるのに、重力には引力しかありません。そこで、引力同士を比較すると、磁力のほうが明らかに強い。それを確認するのは簡単です。
  • もし手元に磁石があったら、机の上に鉄製のクリップでも置いて、上から近づけてみてください。冷蔵庫にメモを貼りつけておくような小さい磁石で十分です。ある程度まで近づけると、クリップはピョンと跳び上がって磁石にくっつくでしょう。ごく当たり前の現象だと思われるかもしれませんが、そのクリップは、下から地球の重力でも引っ張られています。地球の重さは、60億×10億x10億グラム。重力は重い物体ほど強いのですが、それだけの重さを持つ地球の重力よりも、ほんの数グラムしかない小さな磁石の引力のほうが強いということです。ですから、もし地球と同じ重さの磁石が隣にあったら、地上の鉄はみんなそちらに吸い寄せられてしまうでしょう。
  • ところで、磁力は19世紀にジェームズ・クラーク・マクスウェルによって電気力と統一されて以降、「電磁気力」とひとまとめに呼ばれるようになりました。磁力は磁石でもないとその存在を感じられませんが、実は電磁気力も重力と同じくらい身近な力です。もし電磁気力が存在しなければ、物質はまとまっていられません。分子が電磁気力によってしっかりとくっついているから、物体は(もちろん私たちの体も)バラバラにならないのです。
  • そして、もし電磁気力が重力よりも弱かったとしたら、私たちは机の上で頬杖をつくこともできないでしょう。肘が机を通り抜けて、ガクンと下に落ちてしまうはずです。強い電磁気力が重力に打ち勝っているから、私たちは安心して頬杖をつくことができるし、椅子にも座ることができるわけです。

 

  • ただ、この実験によって物体間で重力が働くことはわかったものの、20分の1ミリメートル以下の距離での重力現象については、まだニュートンの理論が正しいかどうか検証されていません。たとえばニュートン理論には、重力の強さが物体間の距離の二乗に反比例するという法則(逆二乗法則)があります。これは巨大な天体の運動を見事に説明できる理論ですが、20分の1ミリメートル以下の短い距離(頭髪の太さぐらいですね)になると精密に測定できないため、この法則がこのような距離でも本当に成り立つかどうかはわかっていないのです。
  • これほど弱い重力が私たちの日常生活を支配していることを、不思議に思う人もいるでしょう。電磁気力のほうがはるかに強いなら、重力など無視できる程度にしか感じなくてもおかしくありません。たしかに、頬杖をついても肘が机を通り抜けないのは電磁気の力のためで、これは無視できません。しかし、たとえばリンゴと地球であるとか、月と地球、天体のあいだに働く力を考えると、これらはすべて重力によるものです。
  • 日常生活で電磁気力より重力を意識することが多いのは、重力には「引力」だけで、「斥力」がないからです。電磁気力には引力と斥力の両方があって、たとえばプラスとマイナスの電荷は引きつけ合いますが、プラス同士、マイナス同士は反発します。私たちのまわりにあるもののほとんどは、プラスとマイナスの電荷をほぼ同じだけ持って、中性になっているので、電磁気の引力と斥力は打ち消し合ってしまうのです。それに対して重力は引力だけなので、弱くてもすべて合わせれば大きな力になる。私たちが地球から受ける力のほとんどが重力なのはそのためです。

 

  • 『磁力と重力の発見』には、磁力の理解がニュートン万有引力の発見につながった背景が描かれていますので、興味のある方にはご一読をお薦めします。
  • しかし重力の性質を考えると、重いものと軽いものが同時に落ちるのはやはり不思議です。机の上の鉛筆と消しゴムはくっつこうとしないのに、地球にはあらゆる物体がくっついているのを見ればわかるとおり、重力は質量が大きいほど強く働きます。したがって、重い物体ほど「地球に引っ張られる力」が強い。もし同じ高さから同時にリンゴとスイカを落とせば、より質量の大きいスイカのほうが地球に強く引っ張られるので、先に着地するように思えます。
  • ところが実際には、そうはなりません。空気抵抗がない場所では、質量に関係なく、物体は同じ速さで落下します。これはなぜでしょうか。
  • そこで私たちが忘れがちなのは、ものは重いほど「動かしにくい」ということです。そもそも質量とは、物質の「動かしにくさ」にほかなりません。ダンプカーとリヤカーを引っ張ることを想像すればわかるとおり、質量が大きいほど、動かしにくいのです。
  • もっとも、地面の上で引っ張る場合は重いものほど摩擦による抵抗が強いので動かしにくくなる面もあるのですが、摩擦がなくても残る動かしにくさがあります。たとえば無重力の宇宙船の中で、体重200キログラムのお相撲さんと20キログラムの子どもが押し合ったとしましょう。プカプカ浮いているので、そこに摩擦はまったくありません。作用と反作用は一致するので、二人が受ける力の大きさも同じです。
  • しかし、押し合った点から遠ざかる速さは同じではありません。体重の軽い子どものほうが、遠くまで飛んでいきます。もし納得がいかなければ、お相撲さんが小さなノミを指で弾き飛ばしたと考えてみましょう。お相撲さんがノミと同じ速さで吹っ飛んでいくとは思えません。質量の大きいお相撲さんのほうが、「動かしにくい」のです。そして、この現象は重力や摩擦とはまったく関係がありません

 

  • しかし一方で、地球を引っ張る重力は スイカのほうが強い。「動かしにくい」物体のほうが、引力は強いわけです。つまり質量の大きい物体には「動かしにくい性質」と「重力に強く引かれる性質」の両面があるわけで、リンゴとスイカが同時に落ちるのは、この二つの性質がちょうどプラスマイナスゼロで相殺されているからだとしか考えられません。そのために、重力は質量が大きいほど強いにもかかわらず、重力が運動に与える影響は質量と関係がなくなるのです。
  • ここで、学校で習った「質量と重さの違い」を思い出す人も多いでしょう。学校の授業では、動かしにくさを表す質量と、重力の強さを表す重さを区別して教えます。実際、この二つはお互いに何の関係もないように思えます。どちらかが大きくて、リンゴかスイカのどちらかが先に落ちてもおかしくはないのです。
  • ところが現実には、なぜかぴったりとキャンセルされるので、同時に落ちる。これについては精密な実験が行われており、現在では10兆分の一の精度で「質量」と「重さ」が一致することがわかっています。「質量」と「重さ」は実質的に同じものであり、区別して考える必要はないのです。
  • では、どうして「動かしにくさ」と「重力の強さ」という二つの効果がぴったりキャンセルされるのか。これについては、ニュートン理論でも説明されていません。「自然はこうなっている」と、「WHY」ではなく「HOW」に答えただけです。そして、この「WHY」への答えを出したのが、アルベルト・アインシュタインでした。

 

  • 電磁気力と違って、重力は遮ることができないのです。ただし、電磁気のように遮って入り込ませないようにはできないものの、重力の効果を感じさせなくすることはできます。何か壁のようなもので遮っているわけでもないのに、重力が「消える」ことがあるのです。それに近い状態は、誰でも日常的に経験しているでしょう。たとえば乗っているエレベーターが下降するとき、ちょっと体が浮くように感じることがあるはずです。ジェットコースターで急降下するときは、それがもっと激しくなります。
  • このように、重力は感じなくする、すなわち消すことができるのですが、逆に増やすこともできます。エレベーターが上昇するときのことを考えれば、それは実感として理解できるでしょう。自由落下している人は重力を感じないという事実に気づいたところから、アインシュタインは自らの重力理論を大きく発展させました。本人はそれを「人生で最高のひらめき」だったと言っています。アインシュタインによれば、こうして重力が増えたり減ったり、場合によっては消えたりするのは、決して「見かけ上の重力」が変化したわけではありません。実際に、重力の強さが変わっているのです。

 

物理学者は急進的な保守主義

  • 物理学は、物質の成り立ちやそこに働く力の作用を理解することで、自然界の現象がどんな法則によって起きるのかを解明しようとする学問です。ガリレオニュートンの時代に生まれ、それ以来飛躍的に進歩してきました。
  • その進歩は、過去の理論を否定して新しい理論を作ることによって起きてきたわけではありません。もちろん、仮説の段階で否定されて消え去る理論もたくさんありますが、いったん実験や観測によって検証された理論は、次の理論の土台として残ります。古い理論では説明できない現象があれば、その理論を「拡張」する形で新しい理論を考えるのです。
  • たとえば私たちの使う体重計で地球の重さを量ることはできませんが、それは体重計が間違っているわけではありません。地球の重さを量るのに必要なのは、体重体重計を否定することではなく、それができるスケールまで道具を「拡張」することでしょう。
  • その意味で、物理学者は「保守的」です。確立した理論をそう簡単には手放しません。それを使えるかぎり使い続けます。しかし「守旧派」ではないので、その理論を後生大事に守るような使い方はしません。その理論が通用するかどうかギリギリの条件まで使ってみて、「使えない」とわかれば新しい理論を考えます。
  • マンハッタン計画にも関わったアメリカの理論物理学者 ジョン・ホイーラーは、それを「急進的保守主義」と呼びました。よくできた理論をできるだけ変えずに壊れるまで使う点では「保守主義」ですが、それを過激な極限状況に当てはめて試してみる点では「急進的」という意味です。
  • 体重計が人間の重さを計測することを想定して作られているように、物理学の理論もそれぞれ適用される範囲を想定して考えられています。しかし急進的保守主義者は、それが通用するとわかっている範囲だけでは満足しません。理論をあえて「想定外」の状況に置いて、その「実力」を試します。
  • 人間の世界でも、極限的な危機や想定外の事態にさらされたときに組織のリーダーや政治家の力量がわかることがありますが、それは科学の理論も同じことです。ある範囲では正しかった理論が、極限状況になると矛盾を生んだり、おかしな予言をしたりするケースは少なくありません。
  • 「政治家の力量不足が露呈するのは社会にとってあまりありがたいことではありませんが、理論がある状況で破綻するのは、物理学者にとって大きなチャンスと言えます。そこに「知らない世界」がある証拠だからです。その世界を知るためには、既存の理論を拡張して、新たな理論を構築しなければいけません。それによって、従来よりも普遍的な理論を手にすることができるのです。

 

  •  光の速さは有限ですから、地球からの距離が遠いほど届くまでに時間がかかります。たとえば地球から太陽までは光速で八分かかるので、私たちが見ている太陽は8分前の姿。9光年先にある恒星シリウスは九年前、250万光年先のアンドロメダ銀河は250万年前の光が地球に届いている。つまり宇宙では、遠くを見れば見るほど「過去」を見ていることになるわけです。だとすれば、理論上は137億年前の「宇宙の始まり」も見えるはずでしょう。
  • しかし、どんなに望遠鏡の性能を上げても、あるところから先は見ることができません。前章の「第六の不思議」でもお話ししたとおり、宇宙は誕生後40万年までは超高温のプラズマ状態でした。そこでは、電気を帯びた電子が自由に飛び回っています。
  • すると、光はそれに反応してしまい、まっすぐに進むことができません(私たちが目で光を見ることができるのは、空間が電気的に中性で、光を邪魔しないからです)。137億年前の宇宙がプラズマ状態にあったということは、いわば分厚い雲が宇宙を包んでいるようなものですから、その先の様子は光をキャッチする通常の望遠鏡では見ることができないのです。
  • ただし、それが「見える」ようになる可能性がないわけではありません。その手段が、重力波です。光は「プラズマの雲」に邪魔されてしまいますが、重力波は伝わります。「第五の不思議」でお話ししたように、重力は何物にも遮られないからです。実際、プラズマ状態以前にできた重力波重力波望遠鏡でキャッチして、宇宙が誕生した頃の様子を観測する計画もあります。
  • この重力波は、アインシュタインがその存在を予言したものです。その意味で、「10億×10億×10億メートル」より先の世界がアインシュタイン理論のおかげで明らかになると言えるかもしれません。しかし、そこからさらに過去にさかのぼり、宇宙の始まりという極限状況で起きた現象を理解しようとすると、ぼり、宇宙の始まりという極限状況で起きた現象を理解しようとすると、アインシュタイン理論も破綻してしまいます。それをきちんと物理的に説明するには、アインシュタイン理論を乗り越える新しい理論が必要なのです。

 

  • ところで、理論が矛盾を生じるのは、大きさの異なる世界に出会ったときだけではありません。 同じサイズの世界でも、二つの理論が齟齬を来すことがあります。実は、アインシュタインが登場する前まで、物理学の二本柱になっていた理論がそうでした。ニュートン力学と、マクスウェルの電磁気学です。
  • この二つは、同じ物理学の理論ではありますが、それぞれ別々に発展しました。ニュートンが「天界」と「地上」の法則を統一して物質の運動を説明したのに対して、マクスウェルは「電気」と「磁気」を統一し、その力の働き方を解き明かしたのです。
  • ところが、この二つの理論には、ある点で大きな矛盾がありました。「光の速さ」に関する問題です。この章では、この矛盾を解消したアインシュタインの「特殊相対論」について説明することにしましょう。
  • その電気と磁気を同じ方程式で記述したのが、マクスウェルでした。ここで初めて、電気と磁気の力は統一され、「電磁気力」という概念が生まれたわけです。いったい、それが「光」と何の関係があるのか――みなさんがそう思われるのも当然で、当時の研究者たちも、電磁気と光に関係があるとは思ってもみませんでした。マクスウェルの方程式は、あくまでも電場と磁場の時間的な変化を説明するものです。
  • ところがその方程式からは、ある「波」の存在を予言する解が出てきました。電場が磁場を誘起し、その磁場が変化して電場が生まれ……というように電場と磁場が絡み合いながら、一つの「波」を作ります。いわば、電場と磁場が馬とびをしながら進んでいくようなものです。
  • この「電磁波」の理論的予言は、1888年にドイツの物理学者ハインリッヒ・ヘルツによって検証されました。二十世紀初頭には大西洋を横断する電磁通信が行われ、それ以降、電磁波は私たちの生活になくてはならないものになっています。好奇心による科学的発見が後で大いに「役に立つ」ことの好例と言えるでしょう。
  • それはともかく、そこで研究者たちが驚いたのは、この電磁波が光の速さで伝わったことです。そのことから、電気や磁気と無関係だと思われていた光が、実は電磁波の一種であることがわかりました。ラジオやテレビに使う電波も光も、波長が違うだけで、本質的には同じ電磁波なのです。
  • 電磁波は、電波と光だけではありません。波長が長い(周波数が低い)ほうから順に、電波・赤外線・可視光線・紫外線・X線ガンマ線といった名前で区別されています。電波の中にも長波、中波、短波、マイクロ波……といった区別がありますし、可視光線も「赤」から「紫」まで波長によって色が変わるのです。
  • なぜ可視光線が「可視」なのかと言えば、私たちの目がその波長の電磁波に反応するようにできているからです。 赤外線より波長の長い電磁波も、紫外線より波長の短い電磁波も、人間の目で見ることはできません。しかし機械を使えば、可視光線以外の電磁波を「見る」ことができます。事実、天体観測には、電波望遠鏡X線望遠鏡などさまざまな電磁波をキャッチして可視化する道具が使われています。
どんなに足し算しても光の速さは変わらない
  • さて、このマクスウェルの理論は、先ほども言ったとおり「光の速さ」に関してニュートン理論と矛盾していました。マクスウェルの方程式によれば、光(電磁波)の速さは常に秒速30万キロメートルで一定になるからです。
  • ニュートン力学では、物体の速度が「足し算」で変わるとされていました。
  • では、電磁波はどうでしょうか。先ほど時速40キロメートルだった太郎さんの車が、こんどは時速9億キロメートルで走っているとします。この異様に速い車から、太郎さんはボールを投げるのではなく、懐中電灯で光を前方に発射しました。秒速30万キロメートルの光速 は、時速に換算すると約11億キロメートル。ニュートンの法則が当てはまるなら、止まって観察している花子さんには、その光が9億+11億=時速20億キロメートルで飛んでいくように見えるはずです。
  • ところがマクスウェルの方程式によると、光を含めた電磁波には、この法則が当てはまりません。時速九億キロメートルで走っている太郎さんにも、止まっている花子さんにも、光は時速11億キロメートルで飛んでいくように見えるというのです。
  • そこで、ニュートンとマクスウェルのどちらが正しいのかを決定するために、精密な実験が行われました。実験の方法を考え出したのは、アメリカの物理学者アルバート・マイケルソン。協力者のエドワード・モーリーの名と合わせて、「マイケルソン = モーリーの実験」と呼ばれています。
  • 彼らは、地球が太陽のまわりを公転していることを利用して、光の速さが変化するかどうかを調べました。地球の公転速度は秒速約30キロメートル。光速の一万分の一ですが、公転の進行方向に向かって地球から光を発射した場合、もし合成則が成り立つなら、精密な測定によって光速の変化が観測できるはずです。 マイケルソンは、その光と、それと直交する方向――地球の動いていない方向――に発射した光の速さを比較する方法を考案しました。
  • その結果、実験装置を回しても、干渉縞は変化しない。どちらの光も同じ速さで進むことがわかりました。秒速30キロメートルという地球の速度は、「足し算」されなかったのです。これは実に重大な発見でしたから、マイケルソンが1907年にノーベル物理学賞を受賞したのも当然でしょう。しかし、光速が移動速度に関係なく一定であるという事実がわかっただけで満足しているわけにはいきません。実験で新たな事実が判明したら、それを説明する理論を作るのが物理学者の使命です。
  • もちろん、光速が一定になることはすでにマクスウェルの理論で示されていたわけですが、ならばそれと矛盾するニュートンの理論をどう考えればいいのか。そちらはそちらで、光速以外の問題についてはきちんと説明できるのですから、簡単に「間違っている」と打ち捨てるわけにはいきません。
  • そのため、いろいろな研究者たちがニュートン理論の修正に取り組み始めました。 そこで考えられる仮説の一つは、こういうものです。
  • 物体の速さが光よりも十分に遅い場合は、ニュートンの合成則によってほぼ正しい「近似値」が計算できる。しかし速さが光速に近づくにつれて、もっと複雑な計算をしなければ正確な答えが出ないのではないか。つまり、光速という「極限状況」では、ニュートン理論より精密な物差しが必要になるということです。
  • 当時、そういう方向で理論を考えた人は少なくありません。次章に登場する ドイツのダフィット・ヒルベルトと共に、指導的数学者として並び称されていた、フランスのアンリ・ポアンカレもその一人です。2002年にようやく解決された「ポアンカレ予想」という難問でも知られています。しかし最終的に特殊相対論を確立したのは、アインシュタインでした。

 

  •  ニュートン力学は、時間や空間が不変であるという前提で、物体の動きについて考えました。いわば、絶対に大きさの変わらない「箱」の中で、太陽や月やリンゴなどの動きを観察したわけです。「箱」そのものは研究の対象になりません。
  • でも、その前提で光速が一定だと考えると、矛盾が生じてしまいます。時間や空間が一定なら、合成則によって速度は無限に増えなければいけません。そこでアインシュタインは、物理現象が起きている「箱」も変化するのだと考えました。光速が一定になるならば、時間や空間のほうが伸び縮みすればいいのです。
  • アインシュタインは、1905年の6月に、この発見を論文にまとめて投稿しました。しかしその直後にさらに驚くべき発見をして、同年九月にこの論文の補遺を書いています。そこで導き出されたのが「E=mc^2」です。
  • みなさんは「エネルギー保存の法則」という言葉を見聞きしたことがあるでしょうか。すべての物理現象の前後では、エネルギーの全体量が増えたり減ったりせずに保たれる。たとえば木の枝にくっついているリンゴには「位置エネルギー」があり、枝から離れて落下し始めると、それが「運動エネルギー」に変わります。地面に落ちれば、そのエネルギーがリンゴを潰すことに使われたり、「グシャッ」という音を出すことに使われたり、地面とのあいだに摩擦熱を起こすことなどに使われたりします。それを合計したエネルギー量は、最初の位置エネルギーと同じというのがこの法則です。
  • このように、ニュートン力学ではエネルギーの総和が保存されます。
  • これとは独立して、物質の質量も保存されると考えられてきました。18世紀の後半、近代化学の父と呼ばれるフランスのアントワーヌ・ラボアジエは精密な化学実験により、化学反応の前と後で質量の総和は変わらないことを発見しました。これは「質量保存の法則」と呼ばれています。
  • ところがアインシュタインは、エネルギーと質量は別々に保存されるものではないと主張しました。それまでまったく別のものだと考えられていた「エネル「ギー」と「質量」が、実は同じものであり、「E=mc^2」で換算できると言うのです。
  • たとえ話として、あなたが日本とアメリカで別々に預金口座を持っているとしましょう。現在では、変動相場制がとられているので円とドルの為替レートは刻々と変化しますが、一九七三年以前には、このレートは固定されていました。その時代のことを考えます。
  • 「あなたに収入や支出がなければ、日本とアメリカの二つの口座をあわせた預金全体の価値は変化しないはずです。しかし、為替レートで換算して、口座から口座へお金を移動させることができるので、各々の口座の預金額は変化するかもしれません。円がエネルギー、ドルが質量の比喩だと考えると、エネルギーと質量を換算できるのなら、両者は別々には保存されず、その総和だけが不変ということになります。「E=mc^2」はエネルギーと質量の為替レートを表しているのです(光速 cは定数なので、固定相場制です)。
  • もし質量が保存されるなら、リンゴが地面に落ちたとき、そのかけらをすべて集めて質量を量れば、潰れる前と同じになるでしょう。しかし実際には、位置エネルギーが「音」や「熱」に使われてしまったので、そのエネルギーを「E=mc^2」で質量に換算した分だけ、リンゴと地球の質量の和は減ることになります。ただし、そこで失われる質量はごく小さなものにすぎません。たとえば、地上1メートルの高さからものを落として失われる位置エネルギーを質量に換算すると、もとの質量の一京分の一(一京は一億 x 一億)です。なにしろ光速cは、秒速三億メートルという大きな数字だからです。
  • 水素原子と酸素原子が結合して水分子を作るときにも、反応の後で質量はほんの少し減っています。しかし、その減り方はとても小さいので、十八世紀のラボアジエの実験で測定できなかったのも無理はありません。
  • 逆に、少しの質量でも、cの二乗をかければきわめて大きなエネルギーに換算されます。たとえば、一円玉一個の質量を電気エネルギーに変えることができれば、八万世帯の一カ月分の消費電力をまかなうことができます。だからこそ、このアインシュタインの式から、原子爆弾原子力発電といった莫大なエネルギーを生む技術も可能になったのです。

 

  • ところで、特殊相対論と言えば、2011年9月に発表された「超光速ニュートリノ」のことを思い出す人もいるでしょう。 ニュートリノという素粒子を、スイスのジュネーブからイタリアのグランサッソまで飛ばしたところ、光よりも速く届いたとする実験結果が公表されたのです。「特殊相対論が修正されるかもしれない」、また「タイムマシンが可能になるかもしれない」などと報道されました。
  • 第五章で詳しく説明しますが、光より速い粒子があったとすると、粒子と同じ方向に走っている人からは、その粒子が過去に向かっているように見えることがあります。これを使えば、原理的には、過去に情報を送るタイムマシンができることになります。しかし、もしタイムマシンができるとしたら、科学の基礎の一つである因果律を破ってしまいます。たとえば、タイムマシンで過去に行って、自分が生まれる前の両親を殺してしまったらどうなるのかというパラドックスがありますが、これは因果律の破れをわかりやすく説明する例です。
  • 因果律は科学の基礎なので、これを破らないように、特殊相対論では光速を制限速度にしているのです。ですから、もし光より速い粒子があったら、特殊相対論を修正するか、もしくは、因果律の破れを受け入れることが必要になります。
  • 特殊相対論によって、ニュートンの力学とマクスウェルの電磁気学の矛盾を解いたアインシュタインには、まだ気になることがありました。 ニュートンの重力理論では、質量のあるものを動かすと、その影響は重力の変化として一瞬で伝わることになっています。そうすると、光より速く情報を伝えることができるので、特殊相対論と矛盾してしまうのです。 重力理論と特殊相対論はうまくかみ合っていなかった。この問題を考え続けたアインシュタインは、1915年にもう一つの相対論を完成します。 次の章では、アインシュタインが特殊相対論から10年かけて築き上げたこの「一般相対論」について説明していきます。 

 

まずは「次元の低い」話をしよう
  • アインシュタインの相対論には、「特殊」と「一般」の二つがあります。前者は1905年、後者は1915年に完成しました。この二つは、いったい何が違うのでしょうか。
  • 前章で説明した特殊相対論が「特殊」と呼ばれるのは、それが基本的に物体の等速直線運動を説明するものだったからです。第一章でも触れたとおり、物体の運動は「力」が働かないかぎり変わることがありません。同じ速度で、まっすぐに動く。これが等速直線運動です。
  • しかし自然界にはさまざまな「力」が働いていますから、これはかなり「特殊」な状態だと言えるでしょう。とくに重力は「万有」であり、すべての物体はそれと無縁ではいられません。それによって運動がどう変わるのかを説明しなければ、「一般的」な理論とは言えないわけです。
  • そして一般相対論は、まさに重力の働きを解き明かすものでした。ですから、重力理論をテーマに書いている本書も、実はここからが本番ということになります。
  • 一般相対論は難解だと言われますが、ここから話が難しくなるというわけではありません。 まず、「次元の低い」話から始めることにしましょう。 本来は四次元の時空を取り扱っている理論を、二次元空間の簡単な場合で説明するので、文字どおり「次元の低い」話です。
  • ちなみに、「本来は四次元」と聞いて、「空間は三次元では?」と首をひねった人もいると思いますが、この四次元は「空間三次元+時間一次元」のこと。相対論では時間と空間がどちらも伸び縮みするので、両方を合わせて「時空」という概念でとらえます。

 

  • ですから、このアインシュタイン理論で考えるかぎり、重力は「幻想」でしかありません。重力という力の作用があるように見えるだけで、その現象の正体は「欠損角」であり、それによって生じる「空間の歪み」なのです。
  • アインシュタインが一般相対論で示した方程式は、その欠損角と質量の関係を明らかにするものでした。その式によれば、質量が大きいほど、欠損角も大きくなります。 それだけ空間の歪み方も大きくなるので、重力が強く働いているように見える。それが、「二次元空間のアインシュタイン理論」のすべてだと思ってかまいません。

  • 空中で飛行機のエンジンを止めて自由落下させると、機内の人は「無重力状態」を経験できます。地面に向かって落下していながら、重力を感じずにフワフワと浮いている。アインシュタインの言うとおり「自分の重さを感じない」のです。
  • もっとも、これはニュートン力学でも説明できないわけではありません。前述したとおり、重力を感じる「重さ」と動かしにくさを表す「質量」が等しいと仮定すれば、両者の効果が相殺されて、重いものも軽いものも同じ速さで落下します。そのため、飛行機も乗客も同じように落ちる。だから自由落下している飛行機の中では重力が働いていないように感じられる――というわけです。しかし、そこでは「重さ」と「質量」がなぜ等しいか、つまり「重力」と「動かしにくさ」がなぜ関係しているのかが説明されていません。
  • アインシュタインの「最高のひらめき」とは、このニュートン以来の論理を逆転させることでした。「重さと質量が等しい」と仮定して、「落下中は重力を感じない」ことを説明しようとするのではなく、その逆に、「落下中は重力が消え、力が働かない」ことを仮定して、「重さと質量が等しい」ことを説明しようと提案したのです。
  • エレベーターが上方向に加速しているときには、乗っている人は下方向に押しつけられる力を感じます。この力は質量に比例するので、まるで重力が増えているかのようです。逆に、下方向に加速すると、上方向に引っ張られる力を感じるので、重力が減る。ニュートン力学では、エレベーターの加速運動で感じる力を「見かけの重力」と解釈します。しかし、アインシュタインは、これは「見かけの重力」や「重力に似たもの」などではなく、重力の本性にほかならないと主張しました。重力そのものが、実際に増えたり減ったりしているというのです。加速運動で生じる見かけの力が重力と同じものであるというアインシュタインのアイデアは、「等価原理」と呼ばれています。

 

  • 同じことは月の重力でも起きます。 月が地球に及ぼす重力は、地球を縦方向に引き伸ばし、横方向に押し潰そうとする。そのため、地球の表面にある海水は、月の方向に沿って膨らんで満ちてゆき、それと直行する方向からは退いていきます。これが潮の満ち引きが起きる仕組みです。
  • このため、一様でない重力による効果を、一般に「潮汐力」と呼びます。「潮汐力」はどの観測者から見ても消すことができない。ここが、重要なポイントです。このように消すことのできない力をどのように考えたらよいかが、アインシュタインが最も苦心したところでした。

数学者ヒルベルトアインシュタインのデッドヒート
  • 物体があると時間や空間が変化し、その時間や空間の変化が物体の運動に影響を与える。アインシュタインは、それが重力の正体だと考えました。しかし、その変化を方程式にまとめるのは容易ではありませんでした。そのためには、十九世紀後半に開発された、当時としては最新の幾何学が必要でした。単純な平面上の図形ではなく、複雑な歪み方をした空間の図形を扱う「リーマン幾何学」です。
  • アインシュタインは、たぐいまれな物理的洞察力に恵まれ、偉大な発見をしてきましたが、それを数学的に整備することは、これまではほかの研究者に任せてきました。しかし、今回にかぎっては、彼の物理的思考だけでは限界がありました。重力の理論を完成するには、本格的に数学の助けが必要だったのです。
  • 「若い頃は、物理学者として成功するためには、初等的な数学さえ知っていればよいものだと思っていた」。アインシュタインはこのように友人に語っています。「しかし、後年になって、この考え方はまったく間違っていたと後悔した」
  • 意外に思われるかもしれませんが、物理学と数学は同じ「理系」とはいえ違う学問分野ですから、いまでも物理学者はしばしば数学者の力を借ります。私が主任研究員をしている東京大学のカブリー PMUの日本語名称も「数物連携宇宙研究機構」で、この「数物」とは数学と物理学のこと。 宇宙の真理を解明するには、両者の連携が欠かせないのです。
  • そのためアインシュタインは親友の数学者マーセル・グロスマンからリーマン幾何学の手ほどきを受け、苦心して方程式を作りましたが、最初に発表したものは残念ながら間違っていました。「物体があると空間や時間がどのように変化するか」を求める方程式と、「変化した空間や時間の中で物体がどのように運動するか」を求める方程式のあいだに、矛盾があったのです。
  • 困り果てたアインシュタインは、ドイツのゲッチンゲン大学でその話をしました。当時、数学界の最重要拠点として知られていた大学で、そこには「当代最高の数学者」として名高かったダフィット・ヒルベルトもいます。アインシュタインの話を耳にしたヒルベルトは、「自分なら解ける」と考え、突然その問題にチャレンジし始めました。「ゲッチンゲンでは、そのへんの道端にいる子どもでもアインシュタインより幾何学を知っている」と豪語したという話もありますから、相当な自信です。
  • そこから、火花を散らすような先陣争いが始まりました。一〇年かけてそこまで重力理論を突き詰めてきたアインシュタインとしては、最後の最後に手柄を横取りされるのではないかと心穏やかではありません。
  • アインシュタインは一九一五年十一月の毎週木曜日に、ベルリンのプロイセン科学アカデミーで一般相対論についての連続講義をしていました。ところが、二回目の講義になっても、方程式は完成していません。そうしているうちに、ヒルベルトから、「方程式が導出できたので、ゲッチンゲンで講義をする。聞きに来てほしい」という手紙が届き ます。 アインシュタインは悩んだ末、招待を断ります。
  • その後数日間の集中した研究の末、次節でお話しする水星の軌道の謎を解き、三回目の講義でこの最新の結果を発表しました。しかし、ちょうどその日に、アインシュタインの手元にヒルベルトの論文が届きます。 翌週の講義で最終的な方程式を発表する予定だったアインシュタインは、あわててヒルベルトに手紙を書き、先取権を主張しました。
  • ヒルベルトの返事は、アインシュタインの水星軌道の計算の成功を祝し、一般相対論発見の功績を認める友好的なものでした。もともとアインシュタインの「最高のひらめき」がなければ生まれなかった理論なのですから、当然のことだと思います。 

 

  • ヒルベルトと先陣争いをしていた一九一五年の秋に、アインシュタインは、完成途上の方程式を使って水星の軌道を計算しました。 ニュートンの重力理論では、水星の内側(太陽寄り)にもう一つ未知の惑星がなければ、その動きを説明できなかったからです。
  • 太陽系の惑星は、太陽の重力だけを受けているわけではありません。惑星同士のあいだでも、無視できない強さの重力が働いています。したがって、その影響をすべて計算しなければ、正確な軌道は割り出せません。
  • 「その点で、ニュートン理論は一つ大成功を収めていました。 まだ海王星の存在が知られていない時点で、天王星の外側に未知の惑星があることを予言していたのです。その惑星があればニュートン理論が正しく、なければ天王星の動きを説明できないので理論が破綻していることになる。そして一八四六年、理論的に予測されたとおりの軌道上に、海王星が発見されました。ニュートン理論の大勝利です。
  • 人々は、水星の内側にも「二匹目のドジョウ」がいるだろうと考えました。海王星は見つかってから命名されましたが、こちらは「バルカン」という名前まで先に決まっていたのですから、気の早い話です。それぐらい、ニュートン理論が信用されていたということでしょう。
  • ところが、いくら探してもバルカンは見つかりません。そこに颯爽と登場したのが、アインシュタインの一般相対論です。その方程式で水星の軌道が説明できれば、「バルカン」がなくても困りません(むしろ、あると困ります)。
  • 結果は、アインシュタインの大勝利でした。バルカンがなくても、水星の動きは一般相対論の方程式にぴたりと当てはまっていたのです。つまり、ニュートンの重力理論では水星の動きを説明できないということ。太陽から遠い(=重力弱い)天王星海王星ニュートン理論の守備範囲でしたが、水星のように太陽の重力を強く受ける「極端な状況」は、想定外だったのです。「それから数日間は、われを忘れるほど嬉しかった」
  • 自分の理論で水星の運動が説明できることを確かめたアインシュタインは、そんな言葉を漏らしたといわれています。

 

重力レンズ効果が観測できたーアインシュタイン理論のテストその二
  • また、アインシュタイン理論は重力によって「光が曲がる」ことを予言していました。もっとも、これはニュートン理論にもなかったわけではありません。「万有引力」である以上、どんなに質量の軽い物質もその影響はゼロではないでしょう。したがって、かぎりなく質量ゼロに近い光も少しは曲がるはずだとする説はありました。
  • しかしアインシュタイン理論は空間と時間の歪みで重力を説明するので、「光が曲がる理由」がニュートン理論とは異なります。そのため、予測される曲がり方がニュートン理論のちょうど二倍になりました。
  • これを検証したのが、一九一九年にイギリスのアーサー・エディントンが行った皆既日食観測です。もし光が重力で曲がるならば、太陽の近くを通る星の光は本来の位置からズレて見えるはず。太陽は明るいので、ふだんはその光を観測することができませんが、皆既日食で暗くなれば、近くの星を見ることができます。その星の位置が夜間(つまり通り道に太陽がないとき)の観測から予想される位置とズレて見えれば、太陽の重力で光が曲がったことが証明されるわけです。
  • 観測の結果、星の光が曲がる角度は、アインシュタイン理論の予言とほぼ一致していました。ここでも、一般相対論はニュートン理論に勝ったのです。この画期的な発見は、大ニュースとして伝えられ、第一次世界大戦で疲れ切っていたヨーロッパの人々に久々の明るい話題として受け入れられました。 ドイツとイギリスは、戦争中の敵国同士です。ところがこのときは、ドイツ人のアインシュタインが築いた理論を、イギリス人のエディントンが証明しました。冷え切っていた独英の関係を修復したという意味でも、この観測には社会的に大きなインパクトがあったのです。
  • ところが、スウェーデン王立科学アカデミーノーベル賞選考委員会は、「水星の軌道の謎の解明」や「エディントンの光の曲がりの観測」を相対論の検証とはみなしませんでした。一九二一年のノーベル物理学賞は、アインシュタインの光量子仮説に対して与えられましたが、正式の授賞理由には、「今回の授賞は、貴君の相対論や重力理論が将来検証された場合に、これらの理論に与えられるであろう価値とは無関係である」との文言が付け加えられていました。
  • 選考委員会の判断はともかく、この「重力によって星の光が曲がる」という現象は、その後、天文学に大いに活用されるようになりました。とくに「暗黒物質」の研究には、これが欠かせません。数年前からマスコミにも取り上げられるようになったので、その言葉を見聞きしたことのある人は多いでしょう。暗黒物質とは、宇宙に大量に存在するとされる「謎の重力源」です。
  • その存在が最初に予想されたのは、一九三〇年代のことです。カリフォルニア工科大学天文学者フリッツ・ツビッキーが、たくさんの銀河が集まる銀河団の動きが、目に見える 天体の重力だけでは説明できないことを発見しました。銀河団全体の「光」の量から計算した質量よりも、銀河団の運動から計算した質量のほうが、はるかに大きかったのです。銀河団の中に、何か目に見えない重力源があるとしか考えられません。
  • ツビッキーは、光が曲がる効果を使えば、その見えない重力源を観測できるはずだと主張しました。たとえ暗黒物質そのものは見えなくても、その近くを通る光は強い重力によって曲がります。 したがって、大量の暗黒物質が存在すれば、その背後にある星や銀河の光が違う方向から地球に届くでしょう。
  • これが「重力レンズ効果」と呼ばれるもので、その後、宇宙ではそれが実際にたくさん観測されました。その見え方はさまざまで、一つの星の光が複数に分かれて地球に届くことも珍しくありません。重力で空間が歪むと、次ページ図Dで示したように、向こう側とこちら側の二点間に複数の「直線」が引けるのです。また、遠方の星や銀河からの光が、輪のように広がって見えることもあります。これを「アインシュタイン・リング」と呼びます。
  • しかし最近の重力レンズの観測では、未知の重力源――すなわち暗黒物質――がなければ説明できない現象がたくさん見つかっており、重力理論を長距離の場合に変更する説は旗色が悪くなっています。 重力レンズ効果は暗黒物質の存在を確かめるのに重要な役割を果たしているのです。

 

あてになるカーナビーアインシュタイン理論のテストその四
  • 最後に、私たちの身近なところでもアインシュタイン理論が役に立っている例を紹介しておきましょう。カーナビやスマートフォンの地図にも使われているGPSです。これはアメリカ空軍が運用する三〇個ほどの衛星を使うシステムで、少なくとも四つの衛星から信号を受け取ることによって、時間と位置を正確に割り出します(空間三次元+時間一次元の四次元時空では、縦・横・高さ・時間の四つの情報で位置が決まることは前にお話ししました)。
  • したがって、GPSの精度を上げるには「時計」が合っていなければいけません。そのためGPS衛星には三万年に一秒程度しか狂わない原子時計が搭載されています。しかし、どんなに正確な時計でも、相対論効果から逃れることはできません。それを考慮に入れて時計を補正しなければ、地上とのあいだに時差が生じてしまうのです。
  • まず特殊相対論によれば、人工衛星は動いているので地上から見ると時間がゆっくり進みます。 光速に比べれば人工衛星の飛行速度は遅いのでわずかな差ですが、人工衛星に搭載された時計は一日に七マイクロ秒、地上の時計よりも遅れるのです。
  • 一方、一般相対論によれば重力が強いほど時間はゆっくり進みます。「円周率=三・一四……が成り立たない世界」の節では、宇宙ステーションが速く回転するほど、つまり、その中での人工重力が大きいほど、時間の遅れが大きくなることを説明しました。逆に、重力が強いところから、重力の弱いところを観察すると、時間が進んで見えます。ですから、地球の表面から見ると、地球からの重力が弱い人工衛星に搭載された時計は進んで見えることになります。こちらは、一日に四六マイクロ秒。そこから特殊相対論効果で生じる人工衛星の遅れ(七マイクロ秒)を引くと、一日三九マイクロ秒だけ人工衛星の時計は進んでしまうのです。
  • マイクロ秒の誤差なんて大したことはないと思われるかもしれませんが、この時間差を放置するとGPSはまったく使いものになりません。距離の誤差は「時間の誤差 × 光速」に等しいので、たった三九マイクロ秒の誤差でも、距離の誤差は一二キロメートルにもなってしまいます。一日にこれだけ地図がズレるとしたら、誰もカーナビなど信用しないでしょう。危なくて運転できません。 GPSは、特殊相対論と一般相対論を使ってこの誤差を補正し、人工衛星と地上の時計が合うように設定してあるので、実用に堪えるものになっているのです。
  • ですから、もしほかの天体に知的生命体がいて、地球人のようにGPSを発明したとしても、その前にアインシュタイン級の天才が現れて相対論を築いていなければ、いくら衛星を打ち上げても無用の長物になるかもしれません。使い始めてから「どうして距離がこんなにズレるんだ!」と大騒ぎになるわけです。 私たちの星には、GPS発明の前にアインシュタインが生まれてくれて幸いでした。

 

  •  アインシュタインが方程式を間違えたりしながら苦労して重力理論を完成させた。直後に、その方程式を使って、ある計算をした人物がいました。ゲッチンゲン大学天文台長を務めたこともある天体物理学者カール・シュワルツシルトです。
  • 一九一四年に第一次世界大戦が勃発し、シュワルツシルトはドイツ軍の砲兵技術将校としてロシア戦線に従軍しました。このような悪条件にもかかわらず、一九一五年十一月に発表されたアインシュタインの論文を読み、ただちに重力の方程式を解いて、脱出速度が光速になる天体の半径を割り出しました。アインシュタインは自分の方程式がそんなに簡単に解けるとは思っていなかったので、戦場から論文を受け取って驚いたそうです。シュワルツシルトの論文は、翌年の一月にプロイセン科学アカデミーで、アインシュタインが代読しています。 彼は従軍中にかかった病気のためその五カ月後に亡くなり、その半径は「シュワルツシルト半径」と名づけられました。
  • その半径は、天体の質量によって決まります。たとえば地球の場合、シュワルツ
    シルト半径は九ミリメートル。地球の質量を維持したまま、サイコロ程度のサイズまで圧縮すると、光が脱出できなくなるのです。太陽のシュワルツシルト半径は、三キロメートル。常識では想像もしにくいほどの密度の高さです。
  • この半径は、その100年以上前にミッチェルとラプラスニュートン理論から計算したものと、ぴったり一致していました。シュワルツシルトの解を使って導くほうが厳密ではありましたが、ブラックホールの大きさについては、ニュートン理論とアインシュタイン理論は同じ答えを与えたのです。

 

  • ブラックホールの多くは、寿命を迎えた星が大爆発(超新星爆発)を起こした後にできるものです。その質量は、太陽の数十倍程度。
  • しかし、宇宙にあるブラックホールはそういうものばかりではありません。もっとスケールの大きな「超巨大ブラックホール」も存在します。
  • その一つが、「クェーサー」と呼ばれる天体です。「準星」とも呼ばれ、私が小学生時代に読んだ天文学の入門書では「謎の天体」とされていました。銀河全体に匹敵するほど強い光を発しているのに、銀河のような広がりがなく、一つの星のような点にしか見えないからです。当時、すでにそういう天体が数百個も発見
    されていました。入門書に「あなたが大きくなったら、勉強してその謎を解明しましょう」などと書いてあるのを見て、胸をときめかせた記憶があります。
  • でも、幸か不幸かその謎は私が大人になる前に解決しました。まず一九六三年に、カリフォルニア工科大学天文学者 マーティン・シュミットが、クェーサーが地球から二〇億光年も離れていることを突き止めます。そんなに離れているのに地球から観測できるのですから、その明るさは半端なものではありません。なんと、銀河全体の一〇〇倍もの明るさで輝いていることがわかったのです。ふつうの星だとは思えません。
  • その後の研究で、クェーサーは銀河の中心にある超巨大ブラックホールであることがわかりました。光を飲み込むブラックホールが明るく輝くのは不思議ですが、それはブラックホール自体の明るさではありません。ブラックホールは強い重力で周囲のガスを吸い込んでおり、それが猛烈な勢いで周囲をグルグル回っています。そのガスが、摩擦熱によって強い光を放っているのです。ブラックホールに飲み込まれる前の悲鳴のようなものだと言えるでしょう。

 

  • 金属には電気が通りますが、これは中に電子がたくさんあるからです。「電気が通る」とは、電子が行ったり来たりすることです。その金属内の電子が、光を当てると弾き飛ばされるように外に出る。しかし、フィリップ・レーナルトがこの現象をよく調べてみると、光が「波」だとするマクスウェル理論では説明できな
    いことが起きていました。
  • では、なぜ光が波だとすると光電効果が説明できないのでしょう。
  • まず、波には「波長」と「強さ」という性質があります。たとえば可視光線の色は波長で決まりますが、同じ色でも「強い赤」もあれば「弱い赤」もある。波長が同じなら、強い光のほうがエネルギーが高いのです。
  • ところで、金属の中の電子が簡単に外にこぼれ出ないのは、金属の中の原子核の正の電荷に引きつけられているからです。その引力に打ち勝つだけのエネルギーを与えないと、電子は飛び出せません。それなら、強い光を当てれば、電子が飛び出してきそうなものです。ところがレーナルトの実験では、そうはなりません
    でした。波長が長い光を使うと、いくら光を強くしても電子は飛び出しません。逆に、どんなに弱い光でも、波長が短ければ、数は少ないものの、ときどきは電子が飛び出してきます。このときに、波長をそのままにして、光の強さを変えても、一つひとつの電子のエネルギーはまったく同じままでした。 飛び出してくる電子の数が増減するだけです。
  • こうした実験結果を見ると、一つひとつの電子が受けるエネルギーは、光の強さではなく波長だけで決まっているとしか考えられません。いったいどうなっているのでしょうか。

 

放射線障害のメカニズムも「光は粒」で説明できる
  • 実はアインシュタインがこの論文を発表する五年前にも、別な理由から、光がミクロな粒からできていると考えた科学者はいました。 ドイツの物理学者 マックス・プランクが、溶鉱炉で熱した鉄の発する色を説明するために、光のエネルギーが連続的に変化せず、「とびとびの値」になると予想していたのです。アイン
    シュタインの光量子仮説は、圧倒的な説得力でプランクの説を裏づけるものでした。この功績によって、プランクは一九一八年、アインシュタインは一九二一年にノーベル賞を受賞しています。
  • 光は粒である―この驚くべき発見から、量子力学は始まりました。「量子」とは、「ミクロの粒々」のことだと思えばいいでしょう。光は粒々でできているから、マクロの視点では連続的に変化しているように見えるそのエネルギーが、ミクロの視点では「とびとびの値」になるのです。
  • これから量子力学の不思議な世界を説明しますが、その効果は私たちの日常生活とも無縁ではありません。たとえば、夏になると紫外線対策が気になる人も多いでしょう。紫外線は日焼けの原因になるからです。しかし「赤外線対策」というのは聞いたことがありません。赤外線をいくら浴びても日焼けはしないので当然
    でしょう。
  • なぜ紫外線が日焼けの原因になるかと言えば、波長が短い(つまりエネルギーが高い)からです。人間の皮膚に含まれているメラニンは、ある長さより短い波長に反応して黒くなる。赤外線の波長はその 閾 値よりも長い(エネルギーが低い)ので、いくら浴びてもメラニンは反応しません。しかし紫外線は閾値を超えたエネルギーを持っているので、浴びれば浴びるほど日焼けを起こすのです。
  • したがって、紫外線よりも波長の短い電磁波を浴びれば、人体の受けるダメージは日焼け程度では済みません。レントゲンをたくさん撮りすぎるとガンのリスクが高まると言われるのも、そのためです。レントゲンに使うX線は紫外線よりも波長が短いので、その強いエネルギーでDNAの分子結合を断ち切ってしまう可能性がある。逆に言うと、可視光線をいくら浴びてもガンにならないのは、エネルギーが低いからなのです。光の粒々を体で受け止めている点では、可視光線X線も変わりはありません。
  • X線よりもさらに波長が短いのが、放射性物質から出るガンマ線です。X線はDNAの結合エネルギーの一万倍のエネルギーを持っていますが、ガンマ線のエネルギーはそれよりも一桁多い。そのため、DNAを傷つける可能性もX線より高くなります。
  • 福島の原発事故以降、日本国内では放射線障害への関心が高まりました。そもそも原子力発電は「E=mc2」という特殊相対論の発見があってこその技術ですが、放射線障害のメカニズムにも「光は粒である」というアインシュタインの発見が関係しているのです。

 

  • 経路和を計算するファインマンの手法は、コペンハーゲンの面々が築いた量子力学とは異なるアプローチによるものでしたが、その結果はまったく同じでした。要するに、粒子の運動は確率的にしか予測できず、実際に観測するまで定まらないのです。

 

位置を決めると速度が測れない?―不確定性原理
  • ファインマンの経路和にしろ、シュレディンガーの思考実験にしろ、量子力学ではさまざまなことが「はっきり決まらない」ということがおわかりいただけたでしょう。そこが、マクロの世界を扱う古典力学との大きな違いです。 可能な経路をすべて足して計算されるような粒子を「量子力学的粒子」と呼びますが、なに
    しろこれは動きがはっきりしないので、ニュートン力学ではあり得ないことがいろいろと起きます。
  • その極端な例が、「不確定性原理」と呼ばれるものです。この原理によると、粒子の「速度」と「位置」を同時に定めることはできません。速度が正確に決まっている粒子の位置は「不確定」であり、逆に位置を決めようとすると速度がわからなくなります。「時間」と「エネルギー」にも同じことが言えます。 ニュートン力学では、粒子には決まった位置と速度がありますが、量子力学的粒子にはそれが成り立ちません。いったいなぜ、そんなことになってしまうのでしょう。
  • この原理は、粒子が「粒」と「波」の性質を併せ持っていることから理解できます。 光電効果のところで説明したとおり、粒子が持つエネルギーは波長が短いほど高く、長いほど低い。そして、粒子の速さはエネルギーの大きさで決まります。したがって、粒子の波長がわかればエネルギーの大きさがわかり、それによって速さもわかる。速さを計測するには、波長の長さを調べる必要があるのです。
  • しかし、波長は波の動きをある程度の長さにわたって見ないと測れません。波長は波がくり返す長さのことなので、それを観測するには最低一度はくり返しが起きるだけの距離が必要です。波の一点だけを見ても、それがどんな長さでくり返すのかはわかりません。つまり、速さを知るために波長を正確に測ろうとすると、どうしても「位置」に幅ができてしまい、粒子がどこにあるのかを正確に決めることができないのです。
  • 逆に、「位置」を正確に決めた場合、波の一点を見ているだけですから、波長はわかりません。したがって、速さもわからないのです。
  • 同じように、時間とエネルギーのあいだにも不確定性の関係があります。
  • ある年齢より上の人にしかわからないかもしれませんが、昔、テレビの音楽クイズ番組に、曲のイントロを聴いて曲名を答える名物コーナーがありました。イントロクイズ、ウルトライントロクイズ、超ウルトライントロクイズ …などと難度が上がるごとに、流れるイントロが短くなります。最後は、出だしのほんの一瞬だけ聴いて答えなければいけません。
  • これは、不確定性原理によく似ていると言えるでしょう。曲の一部分だけを聴いても、何の曲かを正確に答えるのは難しい。聴く時間が長いほど、曲のリズムやテンポやメロディがわかりやすくなるわけです。
  • 時間とエネルギーの不確定性も、そう考えると理解しやすいのではないでしょうか。粒子のエネルギーは波長の長さで決まりますが、これは音が周波数で決まるのと似ています。それがどんな音かを知るには、時間の幅が必要でしょう。一瞬だけ聴いても、音の周波数はわからない。それと同じように、粒子のエネルギー
    を正確に測定しようとすると時間が不確定になり、時間を正確に決めればエネルギーが不確定になってしまうのです。
  • ちなみに、ここで説明した「不確定性原理」は、一つの量子状態は固有の位置と速度を同時に持つことはないという原理です。これに対し、いわゆる「ハイゼンベルク不確定性原理」とは、位置を測定しようとすると、その行為が測定対象の速度を変化させるので、速度の測定値に不確定性を生んでしまうという、測定
    精度の限界(量子限界)に関する主張です。この二つはよく似ているので、しばしば混同されますが、違う話です。
  • 一九七〇年代後半から八〇年代前半にかけて、重力波検出計画のために測定精度の理論を突き詰めていくうちに、ハイゼンベルク不確定性原理に基づいた「量子限界」に疑問が持たれるようになってきました。量子限界を超える精度の測定方法があることが明らかになったのです。そこで、ハイゼンベルクの不確定性原
    理を拡張し、どのような測定にも当てはまるような不等式として表現したのが、小澤正直でした。小澤の不等式は、二〇一二年一月にウィーン工科大学の実験グループによって検証され、話題になりました。
  • 小澤の不等式も、ここで説明した「不確定性原理」も、いずれも量子力学から数学的に導出できるものであり、矛盾するものではありません。

 

  • 超弦理論の基本単位である「弦」には一次元の広がりがあるので、力の源も一次元に沿って分散されます。そのため、二つの弦が近づいても、点粒子の場合のような無限大は起きません。どんな物理量を計算しても、最初から有限の値が答えとして得られるのです。したがって無限大とは無縁であり、それを苦労してくりこむ方法を考える必要もありません。高次元の理論であるにもかかわらず、きわめて例外的に量子力学との相性がいいのです。

弦理論から素粒子全体を扱える超弦理論
  • 南部陽一郎が始めた「弦理論」は、現在では、「超弦理論」と呼ばれています。この「超」とは何でしょうか。もちろん、そこには具体的な意味があります。「ものすごい弦理論」といったような、漠然とした接頭辞ではありません。
  • その意味を説明するには、まず現在わかっている素粒子の「標準模型」を大まかに知ってもらう必要があります。素粒子の研究に「模型(モデル)」を使うというのは不思議な言葉遣いですが、「標準模型」とは、どのような種類の素粒子が、どのように力を及ぼし合ってミクロな世界を作っているかを、最新の実験のデータをもとにまとめた理論のことです。物理学では、自然の現象を数学の言葉に置き換えて説明することを「モデルを作る」と言います。要するに、「いま素粒子の世界はここまでわかった」と示す最先端のモデルが、標準模型なのです。
  • 標準模型では、素粒子を、物質のもととなるフェルミオンと、そのあいだの力を伝えるボソンに大別します。陽子や中性子の中にあるクォークはもちろん、電子やニュートリノも物質を構成するフェルミオンの一種です。これに対し、光子は、前述したとおり電磁気力という「力」を伝える粒子ですから、ボソンです。また、素粒子の質量の起源とされるヒッグス粒子もボソンの仲間に含めます。ヒッグス粒子は、素粒子標準模型の中では唯一見つかっていない粒子ですが、LHCで発見されると期待されています。
  • ともかく、ここでは素粒子に物質を構成するフェルミオンとそのあいだの力を伝えるボソンの二種類があることだけわかってもらえばいいでしょう。そのフェルミオンとボソンが相互作用する仕組みを明らかにし、どのようにしてさまざまな現象を起こしているのかを説明したのが、標準模型です。
  • さて、ここで弦理論の話に戻ります。一九七〇年に南部が発表した最初の弦理論は、素粒子全体に当てはまるものではありませんでした。ボソンのほうしか扱えない理論だったのです。そこで、フェルミオンも含めて素粒子全体を弦理論で扱うために生まれたのが、「超対称性」という概念でした。「対称性」とは、何かを入れ替えても自然界のあり方が変わらない性質のことです。たとえばパリティ対称性というものがあります。自然界の現象は物理法則にしたがって起きているわけですが、ある現象について、それを鏡に映したかのように左右を入れ替えたものを想像してみると、その現象もまったく同じ法則にしたがっている。左右を入れ替えても物理法則が変わらないことが、パリティ対称性です(ただしパリティ対称性はミクロの世界ではわずかに破れているので、これはあくまでも近似的な話です)。
  • 南部の提案した弦理論はボソンしか扱えませんでしたが、超対称性を導入すると、それを導きの糸として、この理論にフェルミオンまで含めることができるようになりました。ボソンとフェルミオンという異質な粒子を関係づけるものなので、普通の対称性と区別するために、「超」対称性と呼ばれています。超弦理論の「超」は、この超対称性の 「超」のことなのです。ボソンもフェルミオンも含めた、あらゆる素粒子の根源を「弦」だとする理論は、超対称性の存在を前提にしているのです。

 

「宇宙という玉ねぎ」はどこまで皮がむけるか
  • 物理学の目的は、一つではありません。直接的に技術革新に結びつく実用的な研究も、たくさんあります。しかし、その真骨頂の一つが自然界の「基本法則」を発見することにあるのは間違いないでしょう。この世界はいったいどのように成り立っているのかーいわば私たちの存在の根源に関わる問題に答えるのが、物理学が果たすべき一つの大きな使命です。
  • その基本法則は、私たちの経験の範囲が広がるにつれて深まってきました。かつてはニュートン理論ですべてが説明できると思われましたが、より大きなマクロの世界に出会うとアインシュタイン理論が必要になり、より小さなミクロの世界では量子力学が必要になるわけです。
  • また、物理学の世界では、新しいフロンティアを切り開くたびに、従来の理論を統一する理論が築かれてきました。たとえばマクスウェルは電気現象と磁気現象を統一して電磁気学を確立し、そのマクスウェル理論とニュートン理論の矛盾を解消するためにアインシュタインの特殊相対論が登場した。さらに、その特殊相
    対論と量子力学を融合させることで「場の量子論」が発展するという具合です。
  • いずれにしろ、基本法則の研究がフロンティアの拡大と共に進歩することは間違いありません。では、物理学が扱う領域はどこまで広げることができるのでしょうか。 もし、どこまで広げても「次」のフロンティアがあるのなら、基本法則の追究にも終わりはありません。逆に、もしすべてを説明できる「究極の基本法則」があるとすれば、そこから先は掘り進めることのできない行き止まりがあることになります。
  • 私が大学生時代に読んだフランク・クローズの『宇宙という名の玉ねぎ』(吉岡書店)という本では、ミクロの世界で物理学のフロンティアが広がっていく様子を、玉ねぎの皮にたとえて説明していました。いちばん外側の皮は、私たちが日常的に経験する世界です。それをひと皮むくと、あらゆる物質が「原子」からなって
    いることがわかりました。しかし、それも「皮」にすぎません。もうひと皮むくと、そこには「原子核」がある。さらにその皮をむくと、原子核が陽子と中性子に分解できました。現在では、陽子と中性子も「皮」にすぎず、その中に「クォーク」という粒子が詰まっていることがわかっています。
  • こうなると当然、クォークという「皮」をむけば、その中にまだ私たちの知らない中身があるのではないかと思いたくなるでしょう。どこまでむいても、その先があるような気がしてきます。
  • クォークが、それ以上は分解できない素粒子物質の根源なのか、それとも未知の基本粒子で構成されているのかは、今後の実験で検証されるべき問題でしょう。しかし一方で、宇宙という玉ねぎの皮はかぎりなくむき続けられるのか、あるいはそれ以上はむけない「芯」があるのかどうかについては、理論的に答えることができます。
  • 結論から申し上げましょう。それがクォークかどうかは別にして、この玉ねぎには必ず「芯」があります。物理学者の皮むき作業は、永遠に続くわけではありません。いつかどこかで、間違いなく「これ以上はむけないところ」にたどり着く。したがって、宇宙の根源を説明する究極の基本法則も、必ず「ある」のです。
加速器を巨大にすれば無限に小さなものが見えるのか。
  • しかし、まだ「これが芯である」と断言できるものは見つ,ていません。それなのに、なぜ「芯がある」とわかるのか。 それを理解してもらうために、まず、現在の素粒子実験がどのように「皮」をむいているのかをお話ししましょう。
  • ミクロの世界を観察するには、「顕微鏡」が必要です。その解像度を上げれば上げるほど、より小さなものが見えるでしょう。そのためには、できるだけ波長の短いものを観察対象にぶつけなければいけません。対象の大きさよりも波長が長いと、波が相手を回り込んで通り過ぎてしまいます。
  • そして、光電効果のところでお話ししたとおり、「波長が短い」とは「エネルギーが高い」ことにほかなりません。ですから、「顕微鏡」の解像度を高められるかどうかは、エネルギーをどこまで高められるかで決まります。
  • たとえば電子顕微鏡も、電子にエネルギーを与えて加速すればするほど、波長が短くなって小さいものが見えます。素粒子実験に使用される粒子加速器も、原理は電子顕微鏡と変わりません。高エネルギーで加速させた粒子を衝突させることで、 ミクロの世界が見えてくる。エネルギーを高めれば高めるほど、より小さい玉ねぎの皮をむくことができるわけです。
  • エネルギーを高めるため、粒子加速器はどんどん巨大化してきました。その最先端に位置するのが、ここまでにも何度か出てきたCERN(欧州原子核研究機構)のLHC(大型ハドロン衝突型加速器)です。一周二七キロメートルもある円形の装置が、地下一〇〇メートルに埋まっている。その中で陽子をグルグルと回転させて加速し、反対方向から来る陽子と正面衝突させることで、《一〇〇億 × 一〇億》分の一メートルというミクロの世界を見ることができます。ナノメートルが一○億分の一メートルですから、「ナノ」×「ナノ」のさらに一〇分の一の世界です。
  • もし、このような加速器のエネルギーを際限なく高めることができたとしたら(そして宇宙という玉ねぎに「芯」がなければ)、果てしなく小さいものが見えるはずだと思うでしょう。しかし、そこにはある限界があります。
  • ここで、特殊相対論の「E=mc^2」を思い出してください。 この式は、エネルギーが質量に転換されることを意味していました。そのため、粒子同士が高エネルギーで衝突した瞬間、そこには「重いもの」が生まれます。きわめて小さな領域に大きな質量が集中すると、どうなるか。ここまで本書を読んできた方なら、察
    しがつくでしょう。そう、そこには「ブラックホール」が生まれるのです。
  • ブラックホールができると、その質量に応じた「事象の地平線」ができるので、そこより内側の領域は見ることができません。何の情報も出てこないので、そこで何が起きているかわからない。しかも、事象の地平線はブラックホールの質量が増すほど大きくなります。したがって、粒子の波長を短くするためにエネルギーを高めれば高めるほど、ブラックホールに邪魔されて観測できない領域が広がってしまうのです。
宇宙という玉ねぎの「芯」は「プランクの長さ」
  • 《一〇〇億 × 一〇億》分の一メートルの世界を探索する LHC実験では、現在の素粒子標準模型を超える現象が見つかるのではないかと期待されています。その世界を記述するさまざまな理論が提案されていますが、その中にはLHCのエネルギーでも装置の中でブラックホールができてしまうというものもあります。科学解説書『ワープする宇宙― 5次元時空の謎を解く』(日本放送出版協会)やNHKのドキュメンタリー番組『未来への提言』への出演などでも知られている物理学者 リサ・ランドールらの理論もその例です。そのため実験開始前には、「地球が飲み込まれてしまう」と早合点して差し止め訴訟を起こした人もいました。しかし、LHCブラックホールができたとしても、それはごく小さなものですし、すぐに消えてしまうので心配は要りません。逆に、このような理論が正しければ、後でお話しする超弦理論LHCで直接検証できることになるので、とてもエキサイティングなことです。
  • 素粒子標準模型LHCを超える高いエネルギーでも成り立ったとして、さらに小さな領域を観測するために加速器のエネルギーを高めていくと、いずれはブラックホールが無視できない大きさになっていきます。 LHCの一京倍のエネルギーを実現する加速器を考えてみましょう。LHCと同じ技術を使うとすると、その加速器は銀河系の厚みと同程度の半径(!)になるので、これはあくまでも思考実験です。
  • そのエネルギーで加速した粒子の波長は、《一億 × 一〇億 × 一億 × 一〇億》分の一メートル。 一○ナノ・ナノ・ナノ・ナノメートルになります。そして、この波長の粒子が衝突した際に生まれるブラックホールのシュワルツシルト半径は、《一億 × 一〇億 × 一〇億 × 一〇億》分の一メートル。 加速器の分解能とブラックホールの大きさが同程度になるので、観測すべき領域が覆い隠されてしまうのです。せっかく銀河系規模の装置まで作ってエネルギーを高めたのに、これでは意味がありません。
  • そこから先は、エネルギーを高めれば高めるほど波長が短くなり、ブラックホールは大きくなりますから、ますます観測には意味がなくなります。したがって、加速器実験でミクロの世界を見る手法は、一〇ナノ・ナノ・ナノ・ナノメートルまでが限界。「技術的に不可能」なのではありません。「原理的に不可能」なのです。
  • この思考実験は加速器で「見る」ことを前提にしましたが、それ以外のさまざまな思考実験でも、この長さが分解能の限界であることがわかっています。どんな原理を使って分解能を上げようとしても、それより小さなものは見ることができません。
  • 第二章と第三章で見たように、相対論では光の速さに特別な意味があります。光の速さに近づくと、ニュートン力学では説明できない現象が起きます。これと同じように、《1億 × 10億 × 10億 ×10億》分の一メートルという極微の領域を探索しようとすると、量子力学、一般相対論のどちらかだけではうまくいきません。その両者を融合する新しい理論が必要になるのです。
  • アインシュタインの光量子仮説の前に光が「粒」だと主張したマックス・プランクは、自分の理論と、重力理論を組み合わせると、《1億 ×10億 ×10億×10億》分の一メートルが特別な長さとして現れることに気がつきました。プランク自身は、量子力学のさきがけとなった光量子の発見よりも、この長さの発見のほうが重要であると考えていたそうです。そのため、プランクの名前を取って、この長さは「プランクの長さ」と呼ばれています。
宇宙の根源を説明する、究極の統一理論とは?
  • この「プランクの長さ」が、宇宙という玉ねぎの「芯」です。「観測はできなくても、本当はまだ中身があるかもしれない」と思う人もいるでしょう。しかし物理学では、原理的にすら観測できないものは「ない」のと同じであると考えます。
  • 量子力学不確定性原理でも、かつて同じような議論がありました。その原理によれば、粒子の速度を定めると、その粒子は決まった位置を持ちません。これを「測定できないだけで、実際にはその粒子にも決まった位置があるだろう」と考えた人もいます。常識的には、誰でもそう思うでしょう。
  • しかし、それは正しくありませんでした。速度が正確に測定された粒子には、位置が「ない」のです。たとえば水面の波のことを考えれば、それも納得できるでしょう。波には広がりがあるので、その波長と位置を同時に決めることはできません。ある決まった波長を持つ波があるとして、その正確な位置はどこでしょうか。波がどこにあるかと聞かれたら、波全体を指すしかありません。波には正確な位置がない。測れないものは「ない」のです。
  • その意味で、「プランクの長さ」が分解能の限界だという原理は、新しい「不確定性原理」だと言えるでしょう。原理的に観測できない以上、それより小さいものはありません。それが宇宙という玉ねぎの「芯」であり、そこから先は、もう皮をむくことができないのです。
  • だとすれば、その「芯」で起きる現象を説明できる理論さえ築くことができれば、それ以上に理論を拡張する必要はありません。その先にフロンティアはないのですから、そこが理論の終着点です。そこまでたどり着けば、この世界の根源を統一的に記述する「究極の理論」が完成することになります。
  • では、それはどんな理論になるのでしょう。実は、すでにその目星はついています。その統一理論は、量子力学と一般相対論を融合したものになるに違いありません。というのも、まず「波長」を持つ粒子は量子力学の守備範囲です。一方、ブラックホールは一般相対論の世界。つまり、その両者が一致する10ナノ・ナノ・ナノ・ナノメートルの「プランクの長さ」は、量子力学と一般相対論がどちらも同じぐらいの影響を及ぼす領域なのです。
朝永=ファインマン=シュウィンガーの「くりこみ理論」
  • しかし、かたやミクロの世界、かたやマクロの世界を説明する理論として発展してきたので、この両者を統一するのは簡単ではありません。アインシュタインの重力理論に量子力学をそのまま当てはめようとすると、さまざまな困難が生じるのです。
  • たとえば量子力学不確定性原理によると、物体の位置や速度といった物理量はミクロの世界では常に揺らいでいます。そのため、マクスウェルの電磁気理論と量子力学を融合した「量子電磁気学」も、確立するまでに大変苦労しました。
  • マクスウェルの理論はマクロな電場や磁場を扱うので物理量を明確に計算できましたが、ミクロの世界では電場も磁場も揺らいでいます。なにしろ真空からボコボコと粒子がわき出てくる世界ですから、それも当然でしょう。電場や磁場の方向や強さが場所ごとに変わるので、その揺らぎの効果をすべてカウントしようとすると、いろいろな計算に「無限大」が現れて、物理的には意味をなさなくなってしまうのです。
  • その問題を解決したのが、一九六五年にノーベル賞を共同受賞した朝永 = ファインマン = シュウィンガーの「くりこみ理論」でした。
  • くりこみ理論はきわめて複雑な計算によって、無限大を回避する手法です。無限大を注意深く避けながら騙し騙し計算することによって、ようやく物理的に意味のある結果が出る。物理学における無限大は、それくらい厄介な存在なのです。
  • ちなみに、シュウィンガーは二十一歳で博士号を取ったという秀才で、コペンハーゲン流の量子力学をそのままマクスウェルの理論に当てはめ、超人的な計算力でくりこみ理論に取り組みました。これに対し、ファインマンは独創的な科学者で、物理のほとんど全部を自分で再発見または再発明するような人でした。彼自身によると、教科書で教えられた量子力学が理解できなかったそうで、ほかの誰よりも熱心に勉強して、ついに自分流の量子力学を完成したのだそうです。 これが前章で解説したファイマンの「経路和」の方法です。 ファインマンのこの方法は、「くりこみ理論」においてもシュウィンガーの方法よりも圧倒的に効率的で、今日ではほとんどの研究者がファインマンの方法で計算を行っています。
  • アメリカで理論物理学の二人の巨人がくりこみ理論の完成に向けて競っていた最中の一九四八年に、日本から小さな小包が届きました。同封された物理学雑誌には、朝永振一郎第二次世界大戦中の一九四三年に日本語で発表した論文の英訳が掲載されていたのです。のちにファインマンの方法が朝永やシュウィンガーの方法と数学的に同等であることを証明して名を成したフリーマン・ダイソンは、その論文を読んだときのことを、自伝の中に次のように記しています。
  • 戦争による破壊と混乱のまっただ中で、世界の他の部分からまったく孤立しながらも、 ……彼はシュウィンガーに五年先んじて、新しい量子力学を独立で推し進め、その基礎を築いていた。……そして、一九四八年の春、東京の灰と瓦礫の中に座しつつ、あの感動的な小包をわれわれに送ってきた。それは、深遠からの声としてわれわれに届いた。(F・ダイソン『宇宙をかき乱すべきかちくま学芸文庫)
  • アインシュタインの重力理論と量子力学を組み合わせたときも、やはり無限大の問題が現れます。しかしこれは電磁気のときよりもタチの悪い無限大で、くりこみ理論では解決することができません。それが、統一理論を考える上での障害の一つです。
  • また、アインシュタイン理論では、重力の伝わり方を空間の曲がり具合や時間の伸び縮みで説明します。そこでは時間と空間が混ざり合っているのですが、これに量子力学を当てはめると、時間と空間の構造そのものがミクロの世界で揺らいでしまう。空間が固定されないので、「長さ」という概念も成り立ちません。長
    さを決めようと思っても、揺らいでいる空間のどこを測定しているのかわからないからです。この問題はさまざまなパラドックスを生んでしまうので、長く物理学者を悩ませてきました。その中でも代表的なパラドックスが「ブラックホールの情報問題」なのですが、それについてはのちほど章を改めてお話しすることにしましょう。
  • この世界の「芯」を説明する究極の統一理論を築くには、こうした問題を解決しなければいけません。そして現在、その可能性を持つ理論が一つだけ知られています。量子重力の無限大の困難を克服し、さまざまなパラドックスを解決することで、量子力学と一般相対論を融合すると期待される理論。それが、これから紹
    介する「超弦理論」です。
素粒子とはバイオリンの「弦」のようなもの?
  • 超弦理論は「超ひも理論」と表記されることもありますが、どらも「Superstring Theory(スーパーストリング・セオリー)」の訳語ですから、何も違いはありません。私たち専門家は「超弦理論」と呼ぶことが多いので、本書ではこちらを採用します。また、その性質を理解する上でも、「ひも」より「弦」のほうがわかりやすいでしょう。
  • ここでいう「ストリング」とは、もともと、物質の根源である素粒子の基本単位として考えられたものです。 古代ギリシャで万物の根源を「原子」とする考え方が生まれて以来、素粒子はそれ以上は分割できない「点」だと思われていました。しかし超弦理論では、それを一次元の幅を持つ「ストリング」だと考えます。
  • 現在わかっている素粒子には、 クォーク、光子、電子、ニュートリノなど多くの種類がありますが、いくつものバリエーションがあるとなると、どうも物質の「基本単位」という気がしません。それこそ「皮」をもう一枚むけば、それぞれの素粒子に共通の基本単位がありそうです。
  • そこで超弦理論では、すべての粒子は同じ「ストリング」からできていると考えます。バイオリンの弦が、振動することでさまざまな音程や音色を奏でるのと同じように、この「弦」もその振動の仕方によって、クォークになったりニュートリノになったりする。そういう意味で、「ひも」より「弦」のほうが理論をイメージしやすいのです。
  • この考え方が最初に登場したのは、一九六〇年代の終わりのことでした。きっかけは、五〇年代から六〇年代にかけて加速器が発達し、次々と新しい「素粒子」が発見されたことです。現在ではそのどれもがクォークで構成される大きな粒子だとわかっていますが、当時は陽子や中性子と同じように「素粒子」だと考えられていました。それが毎週のように世界のどこかで発見されるのですから、どう解釈すればいいのかわかりません。素粒子の種類がそんなにたくさんあるのでは、「基本粒子」だとは思えないからです。
  • このように素粒子論が混迷を深める中、一九六八年にイタリアのガブリエレ・ベネチアーノが、素粒子の性質を説明する公式を発見しました。ただしそれは、基本法則から導き出したものではありません。具体的な根拠もなく、いきなり「この関数を使えば辻褄が合う」と答えだけを出したのです。
  • その二年後、ベネチアーノの公式を説明する新しいアイデアを提案したのが、南部陽一郎でした。素粒子が「点」ではなく、弾力のある「弦」でできていると考えれば、次々と見つかる粒子の性質をその公式で説明できることを発見したのです。これが「弦理論」の始まりでした。

 

ブラックホールに投げ込んだ本の中身は再現できるのか
  • さて、ホーキング理論の正しさは観測によって検証されましたが、だからといって喜んでばかりはいられません。むしろ、これはきわめて厄介な問題を新たに生じさせる結果になりました。それも、重力理論や素粒子論の専門家だけを悩ませるレベルの話ではありません。あらゆる科学の基礎を揺るがすほどの重大な危機
    が訪れたのです。
  • 物理学であれ化学であれ生物学であれ、自然科学の基礎には「因果律」があります。 宇宙の現在の状態を知っていれば、自然法則によって未来に起こることはすべて原理的に予言できる。また過去の状態も、現在の状態から導き出すことができるという考え方です。これがベースになければ、科学は成り立ちません。
  • なかには「量子力学不確定性原理によって因果律は過去の遺物になった」とする説もあるようですが、それとこれとは話が違います。たしかに不確定性原理では、粒子の位置と速度は同時には決められませんが、その量子力学でも、たとえば電子の波の状態は因果律にしたがって時間発展します。そこから位置や速度な
    ど、私たちに観測できる情報を引き出す際に不確定性があるというだけで、波の発展の仕方そのものは因果律に少しも反しません。量子力学の確立以降も、因果律は科学の基礎なのです。

 

エントロピーが体積でなく表面積に比例する奇妙な現象
  • その問題を解決する糸口は、ある奇妙な計算結果から見つかりました。それは、ホーキングの計算と超弦理論の計算が一致したブラックホールの状態の数が、ブラックホールの体積ではなく「表面積」に比例していることです。
  • なぜ、それが「奇妙」なのでしょう。
  • たとえば私の妻が、本や書類が山積みになっている私の机を見るに見かねて、同じ面積の机をもう一つ買ってきたとしましょう。しかし、雑然とした風景が少しは整理されるかと思いきや、使える面積が広くなった分だけ本や書類がさらに増え、むしろ以前よりも乱雑になってしまいました。
  • このとき、机の上に本や書類を積み重ねるパターンは、面積が半分だったときの「二乗」になっています。前に、一〇冊の本の重ね方は約三六〇万通りあるという話をしたのを思い出してください。机が二つになれば、その「山」がもう一つ作れます。一方の三六〇万通りの一つひとつに対して、もう一方のパターンが三
    六O万通りあるので、 全体のパターンは三六〇万× 三六〇万、つまり「二乗」になるわけです。乱雑さが増したのを見た妻が机をあと八つ買ってきて面積を当初の一〇倍にすれば、本の積み重ね方は三六〇万の一〇乗になってしまうでしょう。
  • この「状態の数」を対数で表したものを、 「エントロピー」と言います。対数で考えた場合、二乗は「二倍」、一〇乗は「10倍」と見かけの数字を小さくできるので、膨大な大きさになる状態の数は対数のエントロピーで考えたほうがわかりやすい。たとえば先ほどの例では、机の面積が二倍になれば本を積み重ねるエ
    ントロピーも二倍、面積が一〇倍になればエントロピーも一〇倍と、エントロピーは面積に比例します。
  • ただし、エントロピーは常に「面積」に比例するわけではありません。一般的には、その「領域」の大きさに比例して増えます。たとえば、あなたがいまこの本を読んでいる部屋の中の空気のエントロピーは、部屋の体積に比例します。
  • ブラックホールの場合、投げ入れた本は事象の地平線を越えてブラックホール内部に落下するのですから、関係する「領域」は表面だけではありません。ブラックホールエントロピーは、その内部で起きていることを表しているのですから、やはりその中の「体積」に比例すると考えるのが自然でしょう。
  • ところが計算してみると、そのエントロピーは事象の地平線の大きさ、つまりブラックホールの「表面積」に比例していました。投げ入れた本の情報は内部にあるはずなのに、ブラックホールではその表面だけが情報を担っているように見えるのです。
  • たしかに、ポルチンスキーが考えた「開いた弦」はブラックホールの表面に張りついており、それが状態数を決める自由度となっているので、エントロピーが表面積に比例しても不思議ではない気はするでしょう。しかしブラックホールは三次元の立体ですから、体積に比例しないのはやはり奇妙としか言いようがあり
    ません。まるで、事象の地平線の中で起きていることが、ブラックホールの表面に映し出され、そこに記録されているように感じられます。

 

  • 私は研究成果を論文にするときに、読んでもらいたい研究者を思い浮かべます。どのように書き始めれば問題意識を共有してもらえるだろうか、どのように話を組み立てれば納得してもらえるだろうかなどと考えながら執筆をします。
  • 本書を書くときに思い浮かべたのは、卒業以来会っていない高校の同窓生でした。私とは違う道に進み科学からは遠ざかっているものの、好奇心は相変わらず旺盛で、筋道だてて説き起こしていけば理解してくれる。そんな友人に三〇年ぶりに再会して、私が大学で勉強し、大学院で研究を始め、今日まで考えてきたことを語るつもりで書きました。
  • 久しぶりに会ったので、一緒に勉強をした高校の理科から話を始めます。しかし、説明を簡単にするためにごまかしてはいけない。大切だと思うことはきちんとわかってもらえるように、少しぐらい話が長くなっても丁寧に説明しました。みなさんも本書を読んでいくと、いままで聞いたことのない概念に出合って、ときには立ち止まり、本を伏せて考えをめぐらせなければいけないところもあるかもしれません。そうして新しい考え方を理解したときに、世界の見方がこれまでと少し変わって見えるような気がしたら、私がこの本を書いた意図は達成されたことになります。