天才数学者、ラスベガスとウォール街を制す

「お金持ちになる方法」はあるだろうか?標準的な経済学に従えば、大きく3つあるのだろう。1つ目はインサイダー取引を行うこと、2つ目はねずみ講を組成するなど、詐欺を働くこと。言うまでもないことだが、確実に儲かるがゆえに、これら2つは法律で規制されている。合法的にお金持ちになる唯一の方法である3つ目は、裁定機会を見つけてくることだ。本書はこの「お金持ちになる」方法を実践してきた投資家の自伝である。

上巻

  • 私は怒り狂い、2学期には化学の授業を取らず、専攻は物理学に変えた。おかげで私は有機化学の授業は取らなかった。これは生き物すべてにとって主要な構成要素である炭素化合物を研究する分野だ。つまり生物学の土台である。
  • このとき早まったせいで、私は学校も専攻も変えることになり、おかげで人生の道筋がまるごと変わってしまった。振り返ってみると、変わってよかった。私の興味も私の将来も、物理と数学のほうにあったからだ。何十年もあと、人間が健康にもっと長生きするためのアイディアを追求していて有機化学の知見が必要になったときには、必要な分だけ自分で学んだ。 

 

  • 教授は高名な物理学者の息子だったが彼自身は凡庸だった。いつもビクビクしていた。学生から質問されるのが怖いので、講義はカードの束に書いたことを黒板に写すだけだった。学生がものを言いにくいようにずっと背中を向けている。で、私たち学生は板書を自分のノートに写す。彼はもう何年もそんなやり方をしていて、講義の内容は毎年ほとんど変わらない。バカかと思った。先にカードのコピーを配ってくれたら講義の前に読めるから、興味深い質問もできるのに。もちろん彼は、誰かに何か尋ねられて自分が答えられないのが怖いのだ。
  • 退屈した私は、講義中にUCLAの学生紙『デイリー・ブルーイン』を読み始めた。これで教授の自尊心が傷ついた。執念深い敵を作りたくなければそういうのは絶対に避けないといけない。私がそう知ったのはずっとあとになってからだ。とても怒った彼は、私が完全に新聞に没頭していそうなときを狙って、カードを黒板に写すのを何度も急に止め、質問を私に投げつけた。そのたびに私は正しい答えを言ってまた新聞に戻った。
  • 今から思うと、私はいつも、ケチで凝り固まった凡人を見るとイライラしていた。ずっとあとになって、そういう連中と角を突き合わせたってしょうがないのを学んだ。そういう連中は、できるものなら避けて、できないものなら適当にあしらってやるのがいい。
 
  • CBOEが開所する数カ月前、私はオプション評価の公式を使って取引する準備ができていた。この公式のことはほかに誰も知らない、私はそう思っていた。PNPの独壇場だな。そんな矢先、聞いたことない名前の人から手紙が来て、発表前の論文のコピーが入っていた。ブラックという人だ。手紙はこう言っていた。私はあなたの研究に感服している、自分とショールズで『市場をやっつけろ』の核心であるデルタ· ヘッジのアイディアを拝借して1歩進め、オプション評価の公式を導出した。論文を流し読んでみると、私が使っているのとまったく同じ公式が出てきた。グッドニュースは、彼らが厳密な導出をやってくれたおかげで私が直観に頼ってたどり着いた公式が正しいのが証明されたことだ。バッドニュースは、これで公式は広く一般に知れ渡ったことだ。みんなこの公式を使うに違いない。運よく、そうなるにはしばらく時間がかかった。CBOEが開所し、取引が始まってみると、取引に公式を使っているのは私たちだけのようだった。 

 

  • 大きな組織につきまとう1つの問題は、構成員の大部分が他人の邪魔はしないのがいいと決め込んでしまうことだ。そうして道理が通らなくなるのである。私は親しい友だちに副学科長になって私を助けてくれと頼んだ。私が数学科で職を得るのを手伝ってくれた人だった。その頃にはもう終身の正教授になっていたのだけれど、彼は私の申し出を断った。言い分はこうだ。「オレはこのサルどもと一緒のオリで暮らしていかないといかんのだよ」。彼の言うことはよくわかる。対する私はと言うと、そんなオリに縛りつけられてはいない。私にはPNPがある。こんなことを思った。なんで私がここをなんとかしてやらないといけない?誰も私の味方をしてさえくれないのに?私は入りたくて数学科に入ったのだ。入らないといけないから入ったのではない。もういい頃合いだろう。

 

  • 人生最大の望みはカリフォルニア大学で終身教授になることだと誰かが言うのを何度も聞いた。私にとってもそれは夢だった。長い歳月のあいだに、私はUCIの学生や元職員を何人も雇ってきたが、教授陣でこの挑戦に乗って私の会社に加わってくれたのは1人だけで、終身教授ではなかった。ほかの人たちにとってそんなのは考えるだけでも恐ろしかったのだ。
    まあもちろん、そんなほかの人たちには、あとになって後悔した人もけっこういたけれど。
  • 常勤での講義の仕事はだんだん減らしていき、最終的にUCIの正教授を辞任したのは1982年のことだった。教えるのも研究するのも大好きだったから、一生楽しくやっていくんだろうと思っていた仕事を手放して大きな喪失感を味わった。でも結局、そうしてよかった。私は好きなものをちゃんと持って出たのだ。友だちもそのままだったし、共同研究も続けられた。思うがままに好きなことをやれるわけだから子どもの頃の夢がかなった。自分の研究を学会で発表し続けたし、数学や金融、それにギャンブルの学会誌に論文も載せ続けることができた。そうして私は、学界からウォール街へと押し寄せていた数学者に物理学者、金融経済学者との競争にいっそう力を注ぐようになった。

下巻

  • 政府は、当時とそれ以前の両方にわたるメイドフの顧客のリストを公表している。顧客の数は1万3000件を超えていて、大金持ちとは言いがたいフロリダのご隠居さんから、セレブに億万長者、慈善団体や大学といった非営利組織までさまざまだ。この(あるいはほかの)詐欺であれだけの数の投資家が簡単に、それも多くの場合何十年にもわたって騙されるなら、市場は「効率的」だなんて言う学界の理論はどうなんだろう?投資家は素早く合理的にすべての公開情報をポートフォリオ選択に反映させるとかっていう仮説はなんなのだろう?
  • 多数決という・・・やり方は、場合によってはものすごくうまくいく。樽の中に豆がいくつ入っているかとか、かぼちゃの重さとかを当てるなんて場合がそうだ。たくさんの人の当て推量全部の平均は、だいたい個人それぞれの当て推量の大部分より、ずっといい推定になる。この現象は群衆の叡智と呼ばれている。でも、だいたいの単純な話と同じように、この話にも裏がある。メイドフの事件でいうと、答えはたった2つしかない。イカサマ師か投資の天才かのどちらかだ。群衆は投資の天才のほうに手を挙げ、それは間違いだった。この群衆の叡智の裏を、私はレミングの錯乱と呼んでいる。

 

  • たいしたことない価格の変化に説明をつけるのは金融マスコミが四六時中やらかしている間違いだ。記者には目の前の変動が統計的によくあることなのかめったにないことなのかがわからない。でも考えてみると、人はなんにもないところにパターンを見たり説明を思いついたりなんて誤りをよく犯す。ギャンブルの戦略の歴史、役にも立たないのにやたらとある、パターンに基づく取引手法、それにマスコミの記事を本気にした投資法の大部分を見れば、それがよくわかる。

「大きすぎてつぶせない」なら

  • 個別に見ると、金融業界の重鎮の中には、個人として、あるいは会社として、ひどい傷を負ったケースもあった。でも、政治業界にコネのあるお金持ちは世間一般の人の財布から1兆ドルも奪い取り、「大きすぎてつぶせない」会社を救済させた。一部の利益団体にはたっぷりお金をばら撒いて懐柔し、また報いた。スクラップ直前の車を引き渡して別車を買うと4500ドルもらえる「ポンコツ買い替え補助金」なるものができた。環境にやさしい政策なんてネコをかぶっているけれど、新しい車を買うと車の種類によってはガソリン3.7リットルでほんの1.6キ
    ロから6.4キロ余計に走るだけで補助金がもらえた。燃費が気持ちだけよくなっても、新しい車を作ることで排出される追加の公害のほうがずっと大きい。でも車のディーラーたちは買い替えを後押ししてもらい、売り上げは伸びるわ車庫にたまった在庫がはけるわで大喜びだった。
  • 正社員でもパートタイムでも失業率は上がり続けていた。失業手当の給付期間は何度も延長された。必要だという意味ではこれはいいことなのだけれど、手当てを払うより手の空いている人たちをできるだけたくさん雇い、有意義な事業に携わってもらうほうがみんなのためになると思うのだ。公共事業促進局(WPA、Works Progress Administration)や資源保全市民部隊(CCC、Civilian Conservation Corps)なんかの事業が頭に浮かぶ。子どもの頃、1930年代のそうした事業で道路や橋、公共施設ができた。あのときに改善されたインフラは、それから何十年も私たちに恩恵をもたらした。